宇宙のタマゴ
作者:葉梨らいす
「ジャッジメント・デイ!!その1」で「疑惑の影!!」三話が、アシュタロスが所有する「宇宙のタマゴ」の中での出来事であったことが判明する。それを遡る事2ページ前、べスパのこの発言、「おまえ、アシュ様をなめてんのか?つかまえてからもう二ヶ月は経ってるよ!」ここから混乱が始まるのだが、ここで解説を付け加えると、べスパは「宇宙のタマゴ」での「約」二ヶ月が、現実世界での三日に当るであろうことを知っている。アシュタロスがべスパに命じたであろう命令はエネルギー結晶を奪取した後、何らかの「兆し」によって、すぐさまべスパは結界を展開、宇宙処理装置起動までの時間稼ぎをする。この時の「兆し」がGS達が感じた「霊感」の正体だったのだろう。
ここで、ルシオラが突然、「二ヶ月…!?パビリオの家出のあと…………」と謎の発言をし、おキヌちゃんが、「まだ三日しか経ってないですよ!?」と、これまた謎の会話をする。ここでの会話は一見、全く噛み合っていないが、ここで、漫画には描かれていないが、べスパが、上記の発言の後、続けて「現実世界」でのパビリオの家出騒動の直後から、美神智恵子の退院以前に起こった、これもまた、漫画に描かれていないある出来事に就いて言及したとする。例えば、パビリオの毒にやられた西条氏と、ルシオラにボコボコにされた横島クンの退院に関する話など。(しかし、横島クンの方が重傷だったのに、横島クンは回復が早い。やはり、ゴキブリさえも超越した生命力だ。)すると、ルシオラ、おキヌちゃんが、その出来事が『パビリオの家出のあと』ということを思い出し、彼らには『三日しか』経っていないのにも拘わらず、べスパが『二ヶ月』と言っているのに違和感を感じ、上記のような発言に至った。こういうことになる。締切りに追われる週刊誌の漫画家は、こういう細かい部分を書き損じてしまうこともあるのかもしれない。他にも、単行本32巻154ページで、またもべスパが「たしかにルシオラの言うとおりだね。今、アシュ様の最大の敵は多分おまえだ!!悪いけど―――最初に殺しておく…!!」という台詞がある。その場合、それ以前にも、それ以後の話でも、そんなことを言っている場面は無い。
ところで、「宇宙のタマゴ」の中の世界は、現実の世界と寸分違わないものだった。これは、何かおかしくはないだろうか?もしアシュタロスが、その世界を設定したのならば、すさまじい情報量が必要となる。個々の人格、記憶、その他たくさんのものが必要である。しかし、そこまで知り尽くしているような、全知全能の存在ならば、エネルギー結晶の奪取に四苦八苦し、部下が裏切らないように、「十の指令」などという面倒なものを設ける必要もなかったはずだ。ならば、なぜその世界はそこにあったのだろうか?本当にアシュタロスが最初から作ったものなのだろうか?
アシュタロスが、その世界のすべてを設定できるのならば、なにも宇宙処理装置を使わずとも、その世界で必要な人材、資材を確保すればよい。時間にしても、その世界の時間の進度を千倍・万倍に設定すれば、エネルギー結晶など、現実世界の一年の間に完成するはずなのである。「あらゆる可能性」がつまったものが「宇宙のタマゴ」なのならば、なにも神魔族の牽制に終始せずとも、その内部でエネルギー結晶を設定し、現実世界に持ってくれば用は足りるのだ。 しかし、現実は違った。アシュタロスは、わざわざ美神さんに接触し、エネルギー結晶を奪おうとしている。この現実を説明するには、二つの答えしかあり得ない。
一つ目は、「アシュタロスによる世界のコピーは完全ではない」という答え、つまり、創造者であるアシュタロスの限界、例えば、「アシュタロスのエネルギーより大きな、エネルギー結晶のようなものは作れない。」や、「再現できる世界は有限な範囲である。」というような場合である。しかし、今まで述べてきたように、それでも情報量がほぼ無限大になる上に、そこまで他者の内面、感情の機微に至るまで把握しているアシュタロスが、おそらくシミュレーションも相当行っていただであろうにも関わらず、失敗に次ぐ失敗を重ねたのはなぜだろうか?それは、アシュタロスの把握が、不完全なものに他ならないからである。つまり、「アシュタロスによる世界のコピーは完全ではない」という答えが正しくないということに他ならない。
二つ目は、「アシュタロスは、何らかの形で存在していたものに介入していたに過ぎない」という答えである。この答えに対しては、ある程度、物理学で補うことができる。例えば並行宇宙というような考えである。この考えも、あくまで理論の域を出てはいないが、仮に、そのような宇宙が存在すると仮定して議論を進める。ともかく、この場合、アシュタロスは、すべてを設定できたわけではない。しかしながら、「宇宙のタマゴ」の中は、「現実世界」と錯覚してもおかしくない出来であった。しかし、今までの議論から、それをアシュタロスが設定したものというのは不可能であることが分かっている。ならば、それはどうしてそこに存在していたのであろうか?
その答えは、「最初からそこにあった」と考えるべきであろう。ルシオラによると、「宇宙のタマゴ」の中には、「無限の可能性」が詰まっているという。「無限の可能性」というのは、すべての確率を併せた「確率が1」のものが、「宇宙のタマゴ」の中に入っているということであろう。その確率「1」は、それこそ「すべて」である。例えば、我々の宇宙は、生命が育つのに、絶好な条件を兼ね備えた宇宙である。超新星爆発で必要な原子が作られたことや、太陽、地球、月の位置、重さなど、あまりにも偶然というには出来過ぎているのである。それを説明する一つの手段として、この宇宙自体が、「ある確率」で出来たものに過ぎず、生命が生まれない宇宙は、その必然性によって、生命が生まれないのだという考え方であり、その確率を統べることができるならば、それは正に、創造主の名を冠するに等しいのであるが、アシュタロスにそこまでの力は無いというのは、今までの議論で既に何度も出てきている。ならば、「宇宙のタマゴ」とは何だろうか?
ここで、「GS美神」のあとに始まった同じく椎名先生の「MISTERジパング」という作品を挙げます。あの作品では、特殊な人間によって、「銅たく」を介し、他の宇宙と接触が可能だったわけなのです。
それと同じで、「あらゆる確率」、つまり、「あらゆる宇宙」と、亜空間迷宮を介して繋げたすべての「ワームホールのような宇宙同士をつなぐもの」に接続されたもの、それが、「宇宙のタマゴ」なのではないでしょうか?
だとすれば、土偶羅魔具羅のこの台詞、「そのとおり!!あの女はこの中におるわっ!!こいつはおまえらが南極で見た試作品とはわけがちがうぞっ!!」(単行本33巻143ページ)の意味は、「有限の数の宇宙としか接続されていない」、「確率の合計が1にならない」という意味だとも考えられます。そう考えると、単行本32巻で、横島クンが「エデンの園?」に迷い込み、それをベスパがすぐに探し当てたことや、同巻52,53ページに渡って描かれている、莫大な量の「宇宙のタマゴ」が試作品として、杜撰な管理の元に置かれていた理由が一応つきます。
「宇宙のタマゴ」の働きを、上記の様なものだと仮定したとき、その中にあった世界を考えます。その中では、完璧と言っていい程、「現実世界」と同じというのは、そこが並行宇宙、あるいは並行宇宙のような世界であるからだと、説明がつきますが、では、どこか「現実世界」との相違点はあったのだろうか?と考えると、真っ先に思いつくのは、読者も周知の通り、「芦優太郎」が挙げられます。しかし、「現実世界」には「芦優太郎」が存在しないという積極的な証拠はどこにもありません。確かに、単行本33巻144ページで美神さんが、「ママはまだ退院していないし、ヒャクメも眠ったまま………!芦優太郎なんてふざけた奴も実在しない!!」とは言っていますが、最初のふたつは、33巻79ページで退院しているはずの美智恵女史が、単行本35巻14ページではまだ入院しており、また、33巻114ページで復活したヒャクメが、単行本35巻34ページで再び霊力供給により復活しているという、積極的な事実を提示されたのですが、「芦優太郎」が実在しないという証拠はないし、アシュタロスも、「私の用意したこの世界」(単行本33巻145ページ)としか言っていない。
芦優太郎を、アシュタロスの計画の一環と捉えるのは、まず疑いようがない。また、その出自の完璧さを考えると、南極で美神令子に万が一逃げられた場合、南極に万が一こなかった場合などの為、長い年月をかけて用意していた存在だと考えられる。国際企業の御曹司で、少なくとも名前は日本人であるのは、29巻128ページの、「メフィストの生まれかわりは日本にいる可能性が高いんでしょ?」という、ルシオラの発言から、アシュタロスが、日本をあくまで本命と捉えながら、同時に海外に滞在していても怪しまれない状況を作り出す為に、アシ・グループを陰から助けてきたのではないでしょうか?その場合、必ずしも直接的な接触である必要はない。人間が悪魔を召喚するのは古来からあったことだし、悪魔が人間を勝手に助けるのも問題がないはずである。もしあるとしても、アシュタロスほどの力があれば、それを握りつぶすのも、見つからないようにすることも可能だからである。もちろん、芦優太郎は、アシュタロスと似ているだけの正真正銘の人間である。ただし、アシュタロス自身に似るようにアシュタロスが何らかの手段を講じていたのはまず間違いないでしょう。
ここで、描かれていない「現実世界」での三日間に何が起こっていたのかを考えてみる。「現実世界」の描写は、33巻、126ページ、横島クンがアパートで眠っているときに霊感を感じ、とび起きる所から再開される。西条も自宅から支度をすませて出掛けている。おキヌちゃんも同じだ。ルシオラはどうかははっきりとは分からないが、パビリオは寝惚け眼なので、人間だけが感じているものなのかもしれない。しかし、彼らがみんな、例外無く、まっすぐ美神さんの自宅に向かったということは、「美神さん」が自宅にいると確信していたことに他ならないだろう。つまり、「現実世界」での「三日間」にも美神さんが存在していたことになるはずです。そもそも、横島クンも、西条氏も自宅で眠っているはずが無く、美神令子捜索に全力を尽くしているはずだからです。
それではここで、「芦優太郎」が「現実世界」には存在せず、「並行宇宙(のような世界)」にだけ存在したとすると、3つの可能性が考えられる。
A.「現実世界」にしかアシュタロスが存在しない場合
B.「並行宇宙(のような世界)」にしかアシュタロスが存在しない場合
C.両方の世界にアシュタロスが存在する場合
Aについて考えると、「現実世界」から美神さんが連れてこられたことが簡単に説明できます。まず、「現実世界での」三日前の「ある時」に、「現実世界」の美神さんは、「並行宇宙(のような世界)」に何らかの方法で移動させられ、その中で美神さんは、何の疑問を感じることなく、「芦優太郎」と接触し、「並行宇宙(のような世界)」で、二ヵ月後、結晶を抜き取られるという場合です。おそらくは「現実世界」、「並行宇宙(のような世界)」の二人の美神さんは、どちらもエネルギー結晶を持っていたが、最初に『勘違い』と言う『偶然の』出会いを演出するために、「芦優太郎」を知らない、「現実世界」の方の「美神さん」でなければならなかったのでしょう。設定上、国際企業であるアシ・グループの御曹司である「芦優太郎」のことは、やはり一般常識を逆手に取るであろう、「並行宇宙(のような世界)」の美神さんは知らないはずはないし、その場にはいませんでしたが、五年前の知識しかない美神智恵子女史は、知っていても五歳も若い彼しか知らないわけです。西条氏は知っているはずですが、彼の場合は、イギリスが長かったために逆に知らなかったのか、仕事が忙しくて知らないのか、あるいは、優秀とは言っても、美神親子程ではないので、的確な状況判断ができなかったのかも知れません。ただ、横島クンとおキヌちゃんは基本的に一般常識が無い。おキヌちゃんに至っては、NYすら知らなかったのですから、知っているはずがあり