『2月13日の贈り物』

著者:SINJIRO



 カーテンの隙間から、朝日が射していました。

 ことととと・・・
 ねぎを刻む音が終わると、湯気が立ちのぼり、お味噌汁の香りが漂います。

 小鳩は、手の平の小さな豆腐に、慣れた手つきで切れ目を入れて、そっとおなべに入
れました。軽くおたまでかき混ぜて、取っ手をつかみ、めざしと、お新香の乗っている、
ちゃぶ台に運びます。
 湯気が頬に温かい。支度が終わると、母さん、貧ちゃん、3人で手を合わせました。

「早く、幸せになれますよ〜に。」
「いただきま〜す。」

 食事を終わると、小鳩の小さなお弁当と、母さんのお昼の支度をして、後片付けをし
ました。教科書は、昨日かばんに詰めています。

 小鳩は、朝の支度が終わったのを確認すると、箪笥の引き出しを開け、お財布の横の、
小さな紙包みを取り出しました。手の平に包み込むと、そっと両手を胸に当て、目を閉
じます。この日のために、少しずつ貯え
て来たのです。
 今日は、2月13日。そして、あしたは・・・・・・

「母さん、お昼はいつものようにしてね。」
「ああ、解ってるよ。気分が良かったら、内職でもしようかね。」
「無理しなくていいから。」
 小鳩は靴を履くと、かばんを取りました。
「それじゃ、行って来まあす。」

 ドアを閉じると、いつのまにかすいっと、ついてきている貧ちゃん。
横島さんの部屋の前を通る時、つい、ドアを見てしまう。今日は、学校に来るのでしょ
うか。夕べも遅かったみたいです。
 もう、寝た後だったので、時間は解らなかったけれど、夢の中に、横島さんが出て来
たような気がして、何だか、とっても嬉しかったのです。

 2月の冷たい風が、小鳩のセーラー服を巻いていきます。でも、小鳩は、木枯らしな
んかに負けません。

「貧ちゃん、学校まで競争よ!」
「あ、待ちいな。」

 スカートを翻して駆け出した小鳩を追って、貧ちゃんが、飛んでいきました。


 チャイムが鳴ると、とたんに教室が騒がしくなりました。 「あ〜、終わった、終わった。」 「早く飯にしようぜ。」 「ねえ、音楽室行こう。」 「はらへった〜。」  騒がしく行き交う声、上履きの音、机や椅子を動かす響き。  まるで教室自体が、動き出したような錯覚を感じます。小鳩は、こういう雰囲気が好 きです。やっぱり、学校っていいなあ、と思うのです。 「小鳩、こっち、こっち。」  最近仲良くなったお友達グループが、手招きしていました。  お弁当を持って、合わせた机のテーブルにつきます。みんなで、おしゃべりしながら、 お弁当を広げるのです。 「ねえねえ、みどりの、今日、何入ってんの?」 「わー、すごーい。あんたんちのおばさん、まめよねー。」 「見栄はるのよね〜、ママ〜。」 「ちょっと味見。」 「あっ、それ〜!」 「うちのくそばばなんか、冷凍もんばっかしー。」 「あ、小鳩の、質素〜。良く足りるよね〜。」 「ヘルシーでいーじゃん。」 「だから小鳩って、スタイルいいのか〜。見習わなければ。」 「あんたにゃ、まねできんって。」 「わはははは、いえてるぞー。」 「ねえねえ、聞いた?聞いた?B組の野口がさあ。」  小鳩は、みんなの話しを聞きながら、ようやくこの学校になじんで来た自分を、実感 するのです。 「ところでさあ、あしたのバレンタイン・デー、本命決まった?」  突然話題が変わりました。脈絡無く、くるくる話しが変わるのは、いつもの事です。 でも、この話しは、みんな真剣になったようです。  小鳩も、つい、身を乗り出しそうになりました。 「あたし、ピート先輩〜。もう、ほかの男なんか見えないもんね〜。」 「ピート先輩、倍率高いよー。」 「いいの!山のようなチョコの中に、たった一枚だけ、キラリ!って光っているのがあ るのよ〜。先輩が、おお!これわ、運命の出会いかあ!!って取り上げてくれるの〜。 それがわたしのチョコなのよ〜。」 「みどりー、かえってこーい。」 「よーこは、どうするの?」 「あたしー?どーしよっかなー。いる事はいるんだけどさー、なんか、そーゆーの嫌い みたいだしさ・・・」 「え〜!、よーこにそうゆう人いたの〜。初耳〜。」 「だ、だからー、そーゆーんじゃ無いんだってばー。」 「片想いなの〜、意外ね〜、よーこって、積極的なのに〜。」 「まあ、こういうことはさ、ほかの事とは違うんだよね。」 「あ、りえー、自分だけ彼氏がいるからって、えっらそーに。」 「ところで、小鳩は?」  不意に、自分の名前が出て来たので、小鳩はびっくりしてしまいました。 「え、わ、わたし、バレンタインなんて、今までやった事無いから。」 「でも、小鳩と、横島先輩、噂になってるじゃない。」 「おらおら、調べはついてんだぜー。とっとと白状しねーか!」 「横島先輩に会うと、真っ赤になってるくせに〜。」 「で、でも、そうかもしれないけど、いや、横島さんにはちゃんと、あの、その・・・」 「あ〜、やっぱりそうなんだ〜。横島先輩、将来GSになるんでしょ〜、玉の輿かも ね〜。いいな〜。」 「だったら、みどりもアタックしたら。」 「あたし、や〜。」 「あたしも、パスだなー。」 「たしかにねえ。横島先輩はちょっとねえ。」 「わっかんないよねー、小鳩の趣味ってー。こんないー子なんだから男なんか一杯いる のにねー。」 「ねえねえ、小鳩、貧ちゃんにあげたら〜?喜ぶよ〜。」 「横島先輩よりいいかもよ。」 「おー、そりゃ、えー考えだわ。」 「なに!、なんかくれるんか、小鳩!!」 「でたー!、貧乏神ー!!。」 「ちゃうで、わいは、福の神やで!」  その時、予鈴のチャイムが鳴りました。あちこちで、机や椅子を元に戻す音が響きだ します。小鳩達も席を立ち、机を元に戻しだしました。  でも、小鳩は、まだどきどきしていました。  横島さんにチョコレートをあげる、そう考えただけで、もう真っ赤になってしまうの です。  今まで、ただ、うっとりと思っていただけだったのに、急に恥ずかしくなって来たの です。本当に、あした、渡す事が出来るのでしょうか?
 帰り道の小鳩は、元気が有りませんでした。チョコレートの事が、気になって仕方が 無いのです。もし、あした、横島さんにあげる事が出来ても、喜んでくれるでしょうか。 みんなは、もらって迷惑に思う男子なんかいないと言いましたけれど、やっぱり心配な のです。  でも、小鳩は決めました。あした、チョコレートをあげよう。そして、横島さんの笑 顔が見たい。横島さんは、きっと喜んでくれると思うのです。  勇気が湧いて来ました。  小鳩は、スーパーに寄りました。夕ご飯のおかずも買わなければなりません。そして、 特設売り場には、チョコレートがあるのです。  何日も前から、側を通るたびに、どれを買おうかと考えていました。  いよいよ、今日、それを実行するのです。  特設売り場の前に立った小鳩は、色とりどりのチョコレートを見て、目移りがして困 りました。本当は、もう決めていたつもりだったのに、また、迷ってしまいます。あの、 ハート型のがほしかったのですが、ポケットの包みにあるお金では、買えません。  結局、決めていた小さな赤い包みのチョコレートを、買う事にしました。赤い包みに、 水色の模様がついていて、ピンクのリボンがとてもかわいかったのです。  ポケットの包みを取り出した小鳩は、けれども、チョコレートを手に取る事が出来ま せん。包みをじっと見ていました。小鳩は、今まで、自分のために、おかしを買った事 が無いのです。  たとえ横島さんにあげるためとはいえ、これは、自分のためなのではないでしょうか。  横島さんに気持ちを伝える事なら、チョコレートが無くても出来るはずです。そう、 思えて来たのです。  それに、このお金があれば、今晩は、焼き肉が出来ます。そうすれば、母さんが、ど んなにか喜ぶ事でしょう。小鳩は、ゆっくりと、売り場を離れていきました。  母さんの笑顔と、横島さんのさわやかな笑顔が、交互に浮かんできました。
   西の空が、赤くなっていきます。オレンジ色の雲の縁が輝いて、遠くのビルも、灰色 にみえて来ました。小鳩は、橋の上に立って、ぼんやりと、遠くを見詰めています。  赤く染まった横顔には、うっすらと涙が光っていました。  その足元には、かばんと、スーパーの袋が有りました。  もう、帰らなければならないのに。母さんが待っているのに。チョコレートを買えな かったのが悲しいのでは有りません。  小鳩は、本当に、横島さんの笑顔が見たかったのです。  なぜか、横島さんに、申し訳ないような気がするのです。  でも、もうすんでしまった事でした。  もっといい事を考えよう。そう、いつの日か、きっと、チョコレートをあげる事が出 来る。その日まで、この想いを大切にしていこう。  小鳩は、かばんと、袋を拾うと、歩き出しました。  
 アパートが近づいて来ました。小鳩は、少し急ぎ足になりました。  早く夕ご飯の支度をしなければ。しかし、足が止まりました。階段の下に、貧ちゃん が待っていたのです。そういえば、いつからいなかったのでしょうか。 「遅かったやないか。何ぞあったんか。」  貧ちゃんは、小鳩の方にふわりと近づいて来ました。小鳩は、思わず、言ってしまい ました。 「な、何でもないわ。ちょっと、迷っていただけなの。」 「学校から帰ってくんのに、道、迷ったんか。」  違うのに、そうじゃないのに。小鳩は、また、涙があふれて来ました。 「あああ、堪忍や、堪忍や〜。ちょっとからこうただけやないか〜。」  貧ちゃんは、小鳩の顔を覗き込みました。 「ないたら、あかん、ないたらあかんぞ〜」  そう言うとふわりと、前に回りました。 「ところで、チョコの事やけどな・・・」  小鳩は、顔を上げました。貧ちゃんも、やっぱり、欲しかったのでしょうか。 「チョコレートは、無いわ。でも、今日は、焼き肉よ!」  小鳩は、せいいっぱい、元気に言いました。 「なに!焼き肉!!それ、食いもんか!!!」 「そうよ、一度しか、食べた事無いけれど、とってもおいしいのよ。」 「そうか、そら楽しみやなー、はよ、うちに入ろうか!!」  貧ちゃんは、先にたって、飛び立ちました。でも、急に止まると、  ゆっくりと戻ってきました。 「ところで、チョコの事やけど・・・」 「だから、それはないの。」 「ちゃう、ちゃう。有るんや。これなんやけどな。」  そう言うと貧ちゃんは、ポンチョの下から、小さな包みを取り出したのです。赤い包 みに、水色の模様。そして、ピンクのリボン。  小鳩は驚きました。あのチョコレートです。どうして貧ちゃんが持っているのでしょ う。 「貧ちゃん、あなた、まさか!!」  血相を変えて詰め寄る小鳩に、貧ちゃんは、目を丸くしました。 「ご、誤解や〜、わいは何も悪い事はせーへんで〜。ちゃんと、買うてったんや〜。」  貧ちゃんの言葉を、小鳩はまだ信じられないのです。 「どうして買えるの。貧ちゃん、お金持ってないのに!どうして!!」 「小鳩〜、わいは、福の神やで〜。そら、まだ、駆け出しやけどな。  でも、ちょっとずつでも進歩しとんのや。今までの福を貯めといたんや。だから、何 ぞお前に買うてったろ、おもとったんや〜。かんにんや〜。  お前、このチョコ欲しかったんやろ?いつもそういう目でみとったさかいな。」  貧ちゃんは、そう言うと、小鳩の手にチョコを押し付けました。 「このチョコをどうするかは、小鳩の勝手や。わいはまだ、そこまで面倒見切れへんよ ってな。」  そう言うと慌てて飛んでいきました。 「小鳩、はよ、きいな、焼き肉食わしてーな。」  小鳩は、階段の上を、しばらく見ていました。  そして、駆け登っていったのです。
 小鳩は、ちゃぶ台の上で、予習をしていました。その時、隣の部屋の鍵があく音が聞 こえ、しばらく続いた物音を、手を休めて、聞いていました。もう、あと数分で、2月 13日は終わるのです。  そして、あしたになれば・・・  小鳩は、隣の部屋の壁を、そっと見つめているのでした。 おわり 1997/1/25  BY SINJIRO

※この作品は、編者が著者の許可を得て、Nifty-Serve GS美神パティオより転載したものです。
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