長いお別れの後で……

ジャン・バルジャン


 美神美知恵は追撃を逃れるために急いで手に持っていた『雷』の文殊を発動させた。
「冗談じゃないわよ!?それってひどいじゃないっ!!」
「ま…まーまー!!」
こちらに飛び掛ってくる令子を小竜姫さんとワルキューレさんが必死で押さえつけてくれるのを見ながら美知恵は時間移動を開始した。
「じゃ…じゃーね令子!!」
手を振りながら慌てて逃げ去る。五年後のあの日になったら自分がこうして時間移動した直後に訪ねてやらねばいけないだろう。あの怒り具合だとそうしなければ周りの人間に八つ当たりするのは目に見えている。それからそのときには小竜姫さんとワルキューレさんに何か娘を止めてくれたおれいを何か持っていかなくてはいけないだろう。
 美神美知恵は今、道の上に立っていた。これは実際には異空間なのだが美知恵が時間上の座標をわかりやすくするために考案した方法で実際に道は無い。美知恵が頭の中で創造し、物理的制限の少ないこの世界に現出させたものだった。自分が本来いるべき時間から五年の看板が立っている地点から出発して歩き始める。いや、正確には美神は指一本動かしてはいなかった。周りの風景が動いているのでそう見えるだけだった。自分がいるべき時間まであと一年が来たとこで、
 「!?」
唐突に体の自由が利かなくなる。心臓が苦しくなる。
『まさか!?これは…………』
 ベスパの妖毒。まだ自分の体に残っていたのか!?周りの景色が美知恵の集中力が乱れたためゆがんで消える。
 美知恵の意識は一瞬活動を停止しそして…………………

 「はあっ、はあっ、はあっ」
美智恵はとりあえず辺りを見回した。もう心臓の動悸はかなりおさまってる。どうやら時間移動には一応は成功したらしい。一応というのは、
「………ここ………………どこかしら」
とりあえず東京でないことと現代でもなさそうなことは確かなようだった。
 つまり彼女は失敗して全く別の時間と場所にきてしまったようだ。目の前にはジャングルが生い茂っている。美智恵は近づいていってその植物を調べてみた。夫の職業柄上植物や動物には専門家には遠く及ばないが普通の人よりは遙かに詳しいつもりなのだが、所詮つもりであったのか全く見たこともないようなものばかりだった。
『ひょっとして………………白亜紀とかにきちゃったのかしら』
はたして恐竜のいた時代にも雷はあったのだろうか?
「ま、とりあえず、ここにいてもしょうがないし、歩きましょう美智恵」
 そう自分に言い聞かせてひょいひょいっと歩き出した。できることならこのジャングルから抜け出したいとこだった。自分の格好はこのジャングルという周りの状況には環境には合わないだろうし、こう藪が多くてはいつどこから猛獣のたぐいが襲ってくるとも限らない。それから水と食料も見つけたいところだった。ここが一体どういう天候なのかは知らないがとりあえず葉の間から小さく見える空は青くて雲一つない。となれば雷が来るまで何日か待たなくてはいけないかもしれない。こうなってくると横島の便利さが身にしみてきた。
(一家に一台あったらいいのにねえ。ああいう子が)
 もっともあの様子ではひょっとすると何年かあとには本当にうちの一家に来るかもしれなかったが。

 最悪の場合五時間や六時間は歩くつもりでいたが、三時間ほど歩くと唐突に目の前に現れたのは石造りの階段だった。
「たすかったー。」
とりあえず人がいるならどうにかなるだろう。と考えたのだが…………数分後、
「……………うーまだあるの?」
階段はものすごく長かった。数えてはいないが、おそらく数百段は軽くこえてきた。しかも未だ頂上は見えない。
 そこで、美智恵は小休止することにした。階段に腰を下ろしてふうっと息を吐く。するとちょうど目の前で、夕日が沈む頃だった。すると、なんとはなしにルシオラのことが思い出された。横島君がいうには彼女は夕日が好きだったらしい。彼がスパイとしてあの三人の中に飛び込んでいったときにそう報告してくれた。自分の注意は彼女たちのタイムリミットのほうにばかり行っていたが。ひょっとしたらあのころにはすでに恋人同士であったのかもしれない。
 美知恵はあの子が横島の身代わりになって死んだと聞いたとき、ひどく後悔した。彼女は自分の命を救ってはくれた。だが、アシュタロスにしてみれば自分の命がどうなろうとあまり違いは無いのではないだろうかという思いをどうしても捨て去ることができなかったのだ。そう、美神美知恵はルシオラのことを信用してはいなかったのだ。疑っていたのだ。彼女の態度を。行動を。横島君に対する愛情を。そうした経緯から彼女は知らせを聞いたとき、ひどく自己嫌悪に陥ったものだった。
 美神美知恵はズボンのお尻についた砂を払うとまた階段を昇り始めた。

 とりあえず美神美知恵にできたことはポカンと馬鹿みたいに口を開けて、それから必死で混乱を沈めようとすることだった。
 階段を上るとそこには門があり、看板に掃こうかかれていた。『妙神山修行場』と。
 美知恵は妙神山に直接行ったことは無いが、話だけなら断片的に聞いてるし、第一、
(第一、ここは日本なの)
悩んでても仕方が無いので、美知恵は扉に近寄っていって扉を開けようとした。すると、
「誰かそこにいるの?」
そういって扉の中から出てきたのは角を生やした、長い髪の穏やかな顔をしている自分より背の高い筋骨隆々とした大男だった。美知恵は少し圧倒されかけた。するとその男が話しかけてきた
「見かけない顔ね、どちら様かしら?」
「あなたがここの管理人さん?」
「いいえ、ちがうわ。それは私の師匠よ。彼女に用があるの?」
「ええ、ぜひあいたいのよ」
その男は少しの間腕組みをして考えていた。おそらく自分が危険人物で無いかどうか判断しているのだろう。と美知恵は考えた。
「いいわよ。会わせてあげるわ。ついてらっしゃい」
そういうと扉の中に入っていった。美知恵も慌てて後に続いた。
「師匠様ーーー!!どこにいらっしゃいますかーーーーお客さんですよーーーー!!」
大男は大声でそう呼んだが返事は案外近くで聞こえた。
「うるさいねえ。そんな大声で呼ばなくたって聞こえるよ、お客様ってのは誰だい?」
「こちらの方ですよ」
男は美知恵と管理人の間から自分の体をどけた。美知恵はその管理人をじっくりと観察してみた。
 外見上は15〜7歳ほどの少女で髪の毛は薄い紫色、額と両腕に竜神族のヘアバンドと籠手をつけている。服装は紺色の胸から下腹部だけを覆ったプロテクターのようなものをつけ、腰に白いスカートをはいている。全体的に整ったかわいらしい顔立ちをしているが瞳はなんだかやんちゃそうでいたずら好きそうな色をたたえている、が決して彼女の印象を悪くするものではなかった。
(どこかで…………どこかで見たことがあるような………)
美知恵の問いはその管理人の口から出た言葉で解決された。
「あんたかい、あたしに会いたがってるやつってのは」
「ええそうよ。あなたがここの管理人さん??」
「そうだよ。あたしがここ、妙神山の管理人のメドーサさ。こっちはあたしの弟子の勘九朗」
今度はとりあえず美知恵にできたのはポカンと馬鹿みたいに口を開けること。ただそれだけだった。

 先入観が全く無ければ、美神は彼女のことを少しぶっきらぼうだが優しくて温かい人だと評することができただろう。実際、こうして見ず知らずで初対面の自分にお茶とお菓子まで出してくれたのだから。
 彼女、メドーサのことは間接的になら知っていた。おキヌちゃんが主に暇つぶしに話してくれたし、令子専用の特訓プログラムを組んだときにも資料を見た。結局あれを十倍にしたら、アシュタロスと同等の力の持ち主になってしまうため、プログラムに組み込まなかったのだが………
 そして今、現在アシュタロスの傘下にあって間違いなくトップクラスの実力を誇っていた恐るべき女魔族は自分の前で、紅茶にミルクを入れてかき混ぜているとこだった。(どうやら砂糖は入れない主義らしい)
「で、このあたしにどんな用?」
美知恵はこの際一切合財口にしてしまおうと心に決めた。
「実はあたしは美神令子の母でして…」
「ちょっと待ってよ、誰だいその美神令子ってのは?」
美知恵はここからひとつ情報を得た。どうやらここは未来ではなく過去らしい。
「あ、いえ、今のは忘れてください。実はあたしは時間移動能力者なのです」
「………へー」
メドーサは驚きを含んだ声で返答した。
「実はちょっとした手違いから本来行き着くはずの場所とは別の時空に落ちてしまって……………それで私の世界ではここの管理人は知り合いがやっていましたので………」
「ああ、なるほどそういうことかい」
「はい、それでどうにかお力を貸していただければと存じまして……」
「具体的には何してほしいんだい」
「助けていただけますか!?」
「困った人をほっとくわけにもいかんだろうしね」
「ありがとうございます。雷があれば、私はもういちど時間移動が行えますからそれで帰れます」
「うーん、雷、雷ねえーー」
ふと美知恵はなぜここまでメドーサが親身になってくれているのか不思議に思った。聞いていた彼女の印象とは大分違う。いや、というより、なぜ魔族であるメドーサが神族の出張所の管理人をやっていたのだろうか……。
「あ、そうだ!」
メドーサが不意に大声を上げた。
「あたしの知り合いにイブリースって奴がいるんだけどさ、あいつならたぶん雷を作れると思うよ」
「その方に頼んでいただけますか?」
「基本的に、まあ少し女好きだけど気のいい奴だから、二つ返事でオーケーしてくれると思うよ」
「あ、そうですか」
「じゃ、通信鬼で連絡つけてくるからちょっと待ってて」
そう言ってメドーサはいすからたちあがり、奥のほうへ歩いていった。
美知恵はとりあえずやることがなくて、目の前にある紅茶を一口飲んでみた。
(……おいしい………)
あまり味わったことの無い味がしたがとてもおいしかった。
(現代にもあるのかしらね?……この紅茶は)
メドーサが戻ってきたらなんと言う銘柄なのか聞いてみようと思った。もっともメドーサの鮮やかな手つきを見た限り、自分にもこれと同じ味が出せる自信は無かった。そんなことを考えていると、メドーサが戻ってきた。
「オーケーだってよ。けどあいつ今勤務中だからあいつの職場に行かなきゃ行けないんだ。それでもいいね」
「私はかまいませんけど、いいんですか」
「ま、なにか一大事が起こらない限りは暇な場所だからね、あたしも人のことは言えないけどさ。だからついてってあげるよ」
「申し訳ありません」
美知恵は思わず頭を下げた。
「いいってことよ。乗りかかった船だしね」
照れくさいのか彼女はそういって笑った。
「じゃ、こっちから冥界を通っていくからさ、ついてきなよ」
「本当にすいません。ところでメドーサさん」
「うん?」
「あの紅茶の銘柄なんていうんですか」
「ああ、あれかい。あれはね、私の友達が作っているもので特に名前は無いんだ」
「そうなんですか」
「そ、まあ多分これからイブリースのところに行けば会えると思うよ。作り手にさ」
「どういうことです?」
「イブリースの彼女なんだ。作っているのは」
「へえ」
「ところでこっちからもひとつ尋ねていいかな?」
冥界へのチャンネル盤を操作しながらメドーサが聞いてきた
「答えられることでしたら」
「あんたのいた時空さ、ここの管理人はなんていう人がやってたんだい?よしこれでつながった。そういうわけで勘九朗、留守番よろしく頼むよ」
「かしこまりました」
メドーサは勘九朗とそんなやりとりをした後、扉の中に入っていった。扉の中に一歩はいると20Mほど先に扉の形をした出口があった。
そこ以外は黒一色である。
「多分、私がいたのはここより、未来ですから知らないと思いますけどショウリュウキって人がやってますよ」
美知恵は疑問に答えた
「……………………………は?なんだって」
「え、ですからショウリュウキという方がやってると……………」
「ショウリュウキだって!?」
「知ってるんですか」
「いや………知ってることには知ってるが、嘘じゃないよな」
とても信じられないという顔つきでこちらをのぞいてくる。
「嘘じゃないですよ」
「ちなみにあたしには会ったことはあるか?」
「いえ、無いです」
「そうか…………あんた自分が何年後から来たのかわかるかい?」
「いえ」
メドーサはふっと笑うと
「まあいいさ未来なんかいくらでも変えてやるよ」
と小さくつぶやいた。そのため美知恵には聞こえなかった。
「ところでイブリースの前でその言葉を出すなよ」
「何故です?」
「殺されてるんだよ」
「は?」
「イブリースの仲間はショウリュウキに殺されたんだよ」
このとき、美知恵の頭にある仮説が浮かんだ。ひょっとして………
「ほら、ついた、ここだよ」
考えをメドーサの声が中断させた。
目の前には、赤い壮麗な門がたっていた。沖縄の守礼門の様に扉のない門である。
「ここで、あいつはここの長の取次ぎ係をやっているのさ。ちなみにどうでもいいけどあいつの彼女は、ここの食堂で働いている」
「ふーん。ひょっとして、その長って人、アシュタロス?」
「知ってるのかい!」
「まあ、ちょっとね…………」
彼女の仮説はだんだんと真実味を帯びてきた。
「アシュタロスって人に会えるかしら?」
「難しいんじゃないかいあの人も忙しいから」
 その時、門の向こうからロケットを発射したときのあの、ドゴーーーーーーーーーーーンというような音がして何か人型の物体が叫びながら飛んできた。
「メドーサちょわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!」
メドーサは無言で掌の虚空からさすまたを生み出して思いっきりそのなぞの飛行物体をぶちたたこうとした……………らしい。
 らしい、というのは飛行物体はメドーサより5Mほど前方でぴたりと止まり、そのまま後ろに引きずられるようにして門の中心にある支柱に、後頭部をしたたかに打ち付けた。
「はごおっ!!」
情けない声を上げて物体は動きを停止した。一方メドーサはさすまたを唐竹に打ち下ろそうとしていたらしくその直前の格好で止まったまま、呆然としている。
 だがしかし、気絶したと思われていたそのなぞの生物は、再び俊敏な動きでメドーサに近寄り、
「メドーサちゃん!会いにきてくれたんだね!」
などと叫びつつメドーサの腰に顔をすりすりさせながら抱きついた。
「だーーーーーーーーーーーー!!!やめんかこの…………………」
メドーサはそこで一回言葉を切り、
「セクハラ小僧がーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
思いっきり力を込めてさすまたをたたきつける。
「ぐはあっ!!!!!」
さすがにもう動かなくなった。
「あの、この方は……?」
いままで何もいえなかった美知恵が口を挟んだ。
「はあ、はあ、はあ、こいつがイブリースだよ」
肩で呼吸しながらメドーサが答える。
「はあ、まあ、なんとゆーか独創的な方で……」
人間だったら致死量に十分相当する分量の血をダクダクと流しながらうつぶせに地面に寝ているそいつを見て美知恵はそういった。
「まったくあうのは三年ぶりだけどもちっとも変わってなんだから」
大分落ち着いてきたメドーサがそう言う。そこへ第三の声が割り込んだ。
「メドーサ、あなただったのね」
「お前も自分の彼の面倒ぐらいしっかり見ろよ」
不意に現れた割烹着に三角巾、そしてマスクをつけた女性に向かってメドーサは抗議した。
「今度は一応、対策として、呪いをかけてあったんだけど………」
「そういえば一回だけなんか後ろに引っ張られていってたな」
「一回だけ?」
きょとんと不思議な顔をしてその女性は倒れているイブリースに近づいて、マスクを取り払って、彼の背中の辺りをなにやら調べ始めた。
 その女性の顔を見て美神美知恵は驚愕した。彼女は………
「うわ!すでに破られちゃってる。今度はもう一段階高いのに上げないとだめねー」
そういってイブリースの体をごろんと仰向けにした。
 そして美知恵はもう一度驚愕した。
「ほらーもういい加減起きなさいよーまさかこのくらいで気絶するようなタマじゃないでしょー」
 イブリースと彼の体をゆさゆさとゆする女性。
 その二人はどう見ても、横島忠夫とルシオラの二人に相違なかった。

「ルシオラ!?それに横島君も………一体二人ともどうしてここに!?」
美知恵はついそう叫んでいた。美知恵にとって少し意外だったのは、その叫びに対する反応が横島とルシオラ、いやイブリースとその彼女とで全く違ったものだったからだ。
「何で私の名前を知ってるんです?」
ルシオラの顔をしたその女性はここでも一応ルシオラらしい。一方イブリースは辺りを見回した後、
「ひょっとして横島って俺のことですか?」
「違うの?」
「………誰かと間違えてませんか俺、横島なんて名前じゃないですよ」
「……………ごめんなさい。ちょっと知り合いに似てたものだから」
実際には『似ている』どころの話ではなく同一人物といって差し支えなかった。違いはバンダナを巻いていないことと背中に黒い羽が生えていることぐらいか……
 それ以外には何も変わっていない数時間前に見た彼そのものだった。
(どういうことかしら?もし私の仮説があってるのならこの二人がここにいるのは明らかに不自然だわ。やっぱり最初に考えたとおりここは過去で・・・・・ひょっとしてこの子、横島君の前世のそのまた前世とかかしら?)
ひとつの可能性ではある。
「メドーサちゃん、この人どなた」
「通信鬼で話したろこちらが時間能力者のかただよ」
「あんたがですか!あなたのような美しい方にお目にかかれて光栄です。僕はイブリースと申します。以後よろしくお見知りおきを」
「は、はあ。どうも………」
思わず圧倒されてしまった。どうやら性格もそっくりであるらしい。
「騒がしいと思ってきてみればまたお前かい?イブリース」
不意にまた別の声が現れた。声が出てから少し遅れてまた一人良く見知った顔が姿を現した。
「ベ、ベスパ様!すんませんすんませんこれにはその…少しわけがありまして………」
イブリースは必死に謝っている。
「全く余計な仕事を増やすんじゃないよ。こっちだって暇じゃないん………だか………ら…………ね…………」
ベスパは上司としての義務からどうにか最後まで言い切った。自分の目の前に四人の人物がいる。イブリースとルシオラとメドーサ。
 そして美神美知恵。なぜこの女がここにいるのだ?考えているとその女がすっと近寄ってくる。
「ひょっとして、あたしのこと、知ってる?」
美神美知恵、約300年前に死んだはずの女はそうこちらに尋ねた。
「ああ…………覚えているよ。しかし…………」
「そういえば、あなたは知らなかったっけ?私は時間移動能力者なのよ。亡霊なんかじゃないから安心して」
「そういえばそうだったな」
「あのーベスパ様…………つかぬ事を聞きますがお知り合いですか」
そう尋ねてきたのはルシオラだ。ベスパに『様』をつけているところに美知恵は少し驚いた。
「ん、ああちょっとな。お前たちは自分の仕事に戻ってくれ」
「ベスパ様、俺はメドーサさんにその人をもといた世界に送る手伝いをされるよう頼まれたんすけど……」
イブリースが声を上げる。ベスパは美知恵のことを振り返って言った。
「少しここの世界にいる気はないか。おそらくアシュ様もあんたが来たことを知ったらあいたがると思うんだが……」
「実はあたしも少し混乱しているからアシュタロスにはあいたいと思っていたのよ。そうねえ一日か二日ならここにいても私はかまわないけど」
「じゃあ、決まりだ。イブリース。悪いが私はこの人と少し話したいことがある。この人が帰るときになったら呼ぶからその時お願いするよ。あんたもそれでいいね」
言葉の最後は美知恵に向けられたものだった。美知恵はこくんとうなずいた。

 コンコンコン。扉がノックされたのを聞いてアシュタロスは書類から眼を話し、顔を上げた。
「アシュ様。お邪魔してもよろしいでしょうか」
「ベスパか。構わぬよ」
聞こえてきた声でアシュタロスは判断した。ガチャッと扉が開く。
「失礼します」
「何か用かね。ベスパ」
ベスパが自分が働いてるときに尋ねてくるときはたいてい何かしらの事件が起こったときだ。それは愉快なときもあれば、不愉快なときもある。ベスパはいたずら小僧がするような顔をした。
(不愉快なほうではないようだな)
昔のベスパは決してあんな顔はしなかったな、などとせんなきことも考えてみる。
「実は面白い方に再会したのですよアシュ様」
「ほう?」
不意に、ベスパが体を横にどける。ベスパの後ろにいたのは……
「美神美知恵!?」
「私の主観から言えばそう昔でもないけど、あなたにとっては大分久しぶりではないかしら?それともそうじゃない?」
「いや、三百年ぶりだ。だが………そうか時間移動か。だがしかし私のことを知ってるとなると少し変な話だな」
「アシュタロス。実は私は時間移動に失敗してここに来てしまったのよ。それでひとつ聞きたいんだけど」
美知恵はここで一回言葉を切った。見たことのない植物。逆転している神族と魔族の立場。
「ここは、あなたが世界を征服したその後の世界……違うかしら?」

 しばし沈黙をはさんだ後アシュタロスは返事した。
「いや、当たりだ。まあ、どういうわけかわからないが旧世界の記憶を保っているのは私とベスパだけだがね。私からも聞きたい一体どうして君は時間移動ができたのかねあの時は私の妨害電波で時間移動はできなかったはずだ」
「私の世界のあなたは、本当の目的を遂げたのよアシュタロス」
「それはひょっとして…」
「ええ、こちらではあなたは死んだのよアシュタロス」
「なんだか話がややこしくなってきたな」
「図で説明するとわかりやすいんだけど…………」
そういって美知恵は中空に青い霊気でアルファベットのYの字をさかさまにしたものを書いた。
「まず私は五年前からさかのぼって未来に行き、そこであなたを倒したの」
美知恵の指は二股に分かれてない場所から出発して分かれたほうの片側に向かった。そのまま先端まで行く。
「で、私は元いた時空に帰ろうとしたんだけど………」
指はちょうど二股に分かれる分岐点のところへ戻り、
「ちょっと失敗していままでいた未来とは別の未来にきてしまったみたいね」
そこからもう一方の先端へと向かう。
「なるほどな過去は変わらないが未来は無数にある。ここもそんな世界のひとつというわけか。それでもう一度確認させてもらうが、君のいた未来の私は本当に死んだんだね」
「ええ、そうよ」
「そうか…………」
アシュタロスは遠い目をした。
「アシュ様……」
ベスパがそう声をかける。美知恵はただ黙っていた。しばらくしてアシュタロスは目を軽く一回閉じると改めてこちらを見返してきた。
「しかし君は、恐ろしくないのかね?君の主観で言えば、何日かまえには君の娘や仲間を殺そうとした男だぞ。私は」
「けれど、いまはあなたは神様のはずでしょ。だったらそう手荒な真似をするはずはないと確信してたもの」
「くくっなるほどな。まあ、確かにそのとおりだよ」
「それよりも私にはもうひとつ知りたいことがあるの」
「何だね?」
アシュタロスは穏やかな顔で聞き返した。
「イブリースのことよ。一体彼は何者?なぜ横島君……彼のことは覚えているわよね、と同じ顔をしているの?」
「それは…約束を守ったに過ぎないよ」
「約束………………………?」
「君はあの場にいなかったから知らないかな。あそこにいたのは私と彼のほかには美神令子、君の娘と、それからあの氷室キヌという少女だけだったからな」
「……………ひょっとしてルシオラとエネルギー結晶体を交換しようとしたこと!?彼があの誘いに乗ったの!!」
「おや、では彼のイエス、ノーがこの時空と君のいた時空との違いらしいね。そうだよ。『彼らを新世界のアダムとイブにする』それが約束だったからな」

 ベスパから見た限り美神美知恵は呆然としているようだった。やはりショックだったのだろう。推論になるが二人のの言動から察するにアシュ様が死んでしまった時空では、つまりこの美神道描いた時空では、おそらくポチはその取引を拒否したのだ。ややあって美知恵は
「それじゃあ………それじゃあもうひとつ聞くけど、どうして彼の名前が変わっているの?」
「それは横島忠夫が自殺してしまったからだ」
「………え?」
「今考えると自分でも卑劣だったと思うよ。彼は私が提案した取引に応じた。だがいざ崩壊していく世界を見て、罪悪感が募ってきたのかあるいは他の理由からかもしれないが。その時まだルシオラは気絶していてね、ベスパも彼を止めようとしてくれたのだが、間に合わなかった。彼は崩壊していく世界へ飛び込んでいってそのまま世界と一緒に消えてしまったよ。そのままではあまりにも哀れだったし、何より先の約束があるからな、ベスパとルシオラの記憶から彼の人格を再構成させてね新しく魔族として生まれ変わらせた。そして生まれ変わった以上、別の名前を与えなきゃいけなかった。それから後でルシオラの記憶は崩壊して今の状況というわけだ」
「そう………………なの」
美知恵は愕然とした。
「ちなみに先ほど旧世界の記憶があるのは私とベスパだけといったが、そういった都合で、一応ルシオラとイブリースにも旧世界の記憶があることになっている。私が作った偽物だがね。詳しくはどういう記憶になあっているかは私もわからないが………」
「なぜ、あなたに判らないの!あなたが造ったんでしょ!!」
「私が決めたのは大体の大筋だけだからだ。そう突っかかるな」
「あっ………………ごめんなさい」
「ちなみに、そういうわけだからひょっとしたら彼等の奥底には真実の記憶が残ってるのかもしれないが…………無理にたたき起こすのはやめてくれ。虚偽の記憶とはいえ彼らはそれなりに幸せなんだ」
「そう、判ったわ。いろいろ教えてくれてありがとう。私はもう帰るわ」
「やめた方ががいいと思うぞ時間移動に十分な体力は必要不可欠だろう。見たところ君はたいそう疲れている。帰るのは明日にしたほうがいい。近くにホテルがあるから泊まって行きたまえ。金は私が払おう」
「紹介はしてもらってもいいけど立て替えなんてさせられないわよ」
「しかし、君はここの通貨を持ってないだろう」
「…………そうね。それじゃあ悪いけどお願いするわ」
「そうだ。どうせだからイブリースか、ルシオラに案内させるか?」
アシュタロスは思いつきで言った。
「横島君に…………いえ、イブリースだってわね。彼に頼んでくれるかしら」
「ああ、いいだろう」

 どうやらこの世界にもタクシーというものが存在しているらしかった。
「運転手さん、『レメトゲンホテル』まで頼むよ」
横島……いや、イブリースはタクシーに乗りながらそうつげた。
「あいよ」
車はゆっくりと走り出した。
「ねえ、横…………じゃなかったイブリース君」
「はい」
『無理にたたき起こすのはやめてくれ。虚偽の記憶とはいえ彼らはそれなりに幸せなんだ』
アシュタロスの言葉がよぎるが美知恵は無視した。
「少し不快に思うかもしれないけど最後まで聞いてちょうだい」
「はい」
美知恵はバックから一枚の写真を取り出した。自分とそれから令子が写ってる写真だ。
「この子、美神令子って言うんだけど、見覚えないかしら?」
「妹さんですか?」
「いえ、娘よ」
「え!いやーこんな大きな娘さんがいるとは、とてもそんな風には見えませんなー。お若くていらっしゃる」
「ありがと。で、見覚えあるの、ないの」
少しいらいらしながら尋ねる。
「いや、ないっすね。娘さんも美人ですな。今度紹介してくださいよ」
「本当にないの!ちっとも!?全く!?」
「え、な、ないですよ」
美知恵の迫力に圧倒されてイブリースも必死になって答える。
「そう、ないの……………」
美知恵はここ数年味わったことのないほどの悲しみに襲われた。
 その後、美知恵は思いつく限りの名前をあげてみた。
 氷室キヌ。西条輝彦。唐巣和宏。六道冥子。伊達雪之丞。ピエトロ・ド・ブラドー。小笠原エミ。タイガー寅吉。魔鈴めぐみ。ドクター・カオス。マリア。花戸小鳩。他にもいろいろ…………
 だがどれひとつとしてイブリース、いや横島忠夫が反応した名前はなかった。
 あなたにとっては………ルシオラが全てだったの?横島君。
 どうやらそのようだった。少なくともイブリースに転生した横島にとっては。
 悲しい結論が出た頃美知恵はホテルの自分にあてがわれた部屋につき、睡魔の誘惑に素直に従った。

 翌朝。
「はっ!」
イブリースが右手に力を込めるとそこから文殊が生み出された。
(能力は、変わってないんだ…………)
なんだか横島が変わってないのが、彼が変わったのではなく遠くへ行ってしまった気がしてひどくさびしくなる。
「これでいいんですか」
「ええ、ありがとう」
イブリースとルシオラの二人が結局見送りに来てくれた。
「美知恵さん、メドーサからよろしくとのことです。それからこれ……」
「?」
ルシオラが差し出したのは青い色をした缶詰のようなものだった。
「私が作った紅茶です。正確には私の妹が品種改良して作り出したものなのですけれど…………気に入ってくれたそうなんで、お土産に持っていってください」
妹………………ひょっとしてパピリオのことだろうか。
「……ありがとう、ルシオラ…さん」
「美知恵さん。また遊びに来てくださいな」
イブリースはそういって続けて顔をつつっとこちらに寄せ、
「今度は、ぜひ、令子さんを連れてきてください。頼みましたよ」
ひそひそと小声で言う。おそらくルシオラに聞かれないための措置なのだろうがルシオラの耳がイブリースの口から20センチと離れていないという衝撃的な事実には気付いてないらしい。
「何の話をしているのかしら?」
こめかみに軽く青筋を立てながらそれでも一応笑顔を絶やさずに声を出す。
「い、いや、な、なんでもないんだよ。ル、ルシオラ」
かわいそうなぐらいに狼狽しながらイブリースが答える。
「そうなの」
ギューッとイブリースの耳をつねりながら、相変わらず笑顔でルシオラが続ける。
「いたたたた!いたいいたい!!」
 美知恵はそんな彼らを見て自分が思わず微笑んでいることに気付いた。
「ねえ、あなたたち」
美知恵は、あんたって人はー本っ当に懲りないのねー、だの、堪忍やー仕方なかったんやーなどと叫んでいる二人に向かって声をかけた。
反応してくれないのではないかと一瞬心配になったが、二人はこちらを向いてくれた。
「あなたたち、いま、幸せ?」
「え………」
二人はしばらくきょとんとしていた。おそらく質問の内容があまりにも唐突だったためだろう。だがしばらくしてルシオラはこう答えた。
「ええ、幸せです。とっても」
にこっと笑いながらそう言った。本当にその笑顔は幸せそうだった。まるでずっと昔からそうであったように。悲しいことなどひとつもなかったかのように、今の幸せのために犠牲になったものが何もないかのように…………
「あなたは?イブリース君」
イブリースはチラッとルシオラを目を見合わせてから、そっと彼女の肩の上に優しく手を置いてから、
「幸せですよ。な、ルシオラ」
「あなたの浮気癖が直ればもっと幸せに成れるんだけどね」
「美知恵さん。幸せですよ、僕らは」
ルシオラの発言を完全に無視してイブリースが言った。
「そう…………そうよね」
(あなたたちは……………本当に心のそこから愛し合っていたんですもの………ね)
「さようなら、二人とも。メドーサさんにもよろしく伝えといてくださいな」
 相手の返事は待たずに美知恵は『雷』の文殊を発動させた。稲妻が彼女をうつ。
 数秒後、美知恵は無事本来の目的地に着いた。大学にある夫の研究室である。
「あれ、お前、どうしてこんなところに突然出て来るんだ」
机に向かっていた夫が慌てて、物音でもしたのだろう、こちらを向いた。
「自分の妻を化け物みたいに言うのはよしてよね。ま、それはともかくとして、ちょっと面倒なことが起きたのよ。いま時間取れる?」
「平気だけど………?」
「それじゃあ、いっきに話しちゃうわよ。実はね……………………」

 それ以降、美神美知恵はあの時空の人たちに会うことはなかった。ただあの時感じた悲しみという感情だけは別だった。
 悲しみにお別れを言う方法は、いまだ見つかってはいない。


※この作品は、ジャン・バルジャンさんによる C-WWW への投稿作品です。
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