もう一つの物語

第一話 旅立ち


「こんの馬鹿横島ああああ!!!」

高層ビルの工事現場に、美神の怒声が響き渡った。
いつものセクハラに対するものではない。本気で怒っている。
一方の横島は愕然としている。

「み・・・美神さん。私は大丈夫ですから・・・あうっ!!」

おキヌが苦しそうな声を出す。おキヌの左腕が、ざっくりと裂けている。
重傷だ。

「なにボケッとしてんのよ!さっさと文殊出しなさい!」

横島は我に返ったように手のひらに意識を集中させる。
そして【治】の文殊をおキヌの傷にあてがう。
文殊の効果はすぐに現れ始め、おキヌの傷が見る見る癒されていくのがわかる。

「もういいわ、横島クン。あんたは帰れ。」
「・・・すんません。」

いつもの能天気な横島ではない。苦渋に満ちた表情をしている。

簡単な除霊の筈だった。事実、美神が一撃で仕留めるほど簡単だった。
おキヌと共に行動していた横島は、霊を追い込み、美神がとどめを刺す位置に
誘導する。あと一歩だった。

建設中の高層ビル鉄骨の隙間から、夕日と、そして東京タワーが横島の目に入った。
一瞬の判断の遅れ。それがおキヌの大怪我に繋がった。

「ああ、それと」

立ち去ろうとしている横島に、美神の声がかかる。

「あんた暫く来なくていいわ。」
「み・・・美神さん!あれは、その、私がボーっとしてたからで、横島さんのせいじゃないんです!」

おキヌが横島を庇おうとするが、美神は厳しい顔のまま聞く耳持たずの態度がありありと出ている。

「すんません。」

もう一度呟くと、横島は立ち去っていった。


「最近・・・というか、ここ暫くずっと、横島クンは酷すぎるのよ。」

コブラを運転しながら、美神は病院へ向かっている。

「除霊に失敗するのはいいとしても、仕事中に、ボーっとすることが多いし。
GSの仕事は命懸けなのに、あんなんじゃ命がいくつあっても足りやしない。」
『横島さん・・・。』

おキヌは何か言おうとしたが、言葉が思いつかず、黙ってしまった。


横島はアパートに戻っていた。
万年床に寝転がり、自分の手をじっと眺める。

「くそっ!」

横島忠夫19歳。無事高校をなんとか卒業し、美神の丁稚として
まだアルバイトをしていた。

横島は自覚していた。
最近、自分はおかしい。どこがおかしいかと問われると答えられないが、
何かがおかしい。あるいは、疲れたのか。
大切な大切な、あいつを失ってから、自分の何かが変わったような気がする。
相変わらず、覗きをしてぶちのめされたり、セクハラをして簀巻きにされたりしているが、
もう一人の自分が、それを冷静に眺めているような、そんな感じもしていた。

『俺は何してんだ・・・?』

横島は、そこで思考を中断させた。
扉の向こうに僅かな気配を感じる。と、気配が扉を無造作に開けて、ドカドカと入り込んできた。

「よう、邪魔するぜ。」

そういうと、部屋の主に断りもせず、おもむろにカップ麺をあさり、やかんに水を入れ始める。

「お前なー。ちったー遠慮って言葉を勉強してこんかい。」

横島は苦笑しつつ、自分のカップ麺の用意を始めた。

「そういうな。俺とお前の仲じゃねーか。」
「わけのわからんこと言っとらんと、俺の分の湯も計算しとけよ、雪之丞。」


「で、相変わらず美神の旦那にこき使われてるのか?」

カップ麺を美味そうにハフハフと食いながら、雪之丞は横島に訊ねた。

「ん?ああ、まあな。」

曖昧な返事を返す。雪之丞は気づいた様子もなく、カップ麺を食うのに没頭している。

「まあ、このご時世、バイトでもありがたいじゃねーか。俺は2日食ってねーんだ。」
「何でだ?お前ほどの腕なら、いくらでも雇ってくれるところあるだろ。」

横島は食い飽きたカップ麺を、不味そうにすすってる。

「前歴があるからな。美神の旦那ほど肝が据わった雇い主じゃねーと、俺なんか
雇ってくれねーよ。」

「ふーん・・・。」

横島はふと思案顔になる。
麺が伸びるのも構わず、じっと考えていた横島は、雪之丞に話し掛ける。

「なあ、雪之丞。」
「あん?」
「お前、美神さん所で働いてみる気はねーか?」

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次の日。

「おはよーっす。」

美神が渋い顔で横島を見る。

「あんた暫く来なくていいっていったでしょ?」

横島はそれを無視して、もう一人を招き入れる。

「あれ?雪之丞じゃない。どうしたのよ。」

雪之丞が口を開く前に、横島が美神に訊ねた。

「それよりも、おキヌちゃんの様子はどうでしたか?」
「殆ど直ってるわよ。今日一日は病院で検査のために、休むけどね。」

横島は安堵したようによかった。と呟いた。
横島はすっと部屋を見渡した。

『そういえば、シロタマがいないな。
よかった。あいつらがいると、話がややこしくなるからな。』

と心の中で呟く。


「で、雪之丞は何しにきたの?」

雪之丞は、横島をチラッと見ると、口を開いた。

「横島がバイトを紹介してくれるってんで、ついてきたんだ。」
「はあ?」

美神はわけがわからないという感じで雪之丞を、そして横島を見る。
横島は、ちょっと緊張気味に、そして意を決したように美神に話し始める。

「美神さん。雪之丞を雇ってみませんか?俺なんかよりずっと役に立つっすよ。」

美神はジロッと横島を睨む。

「これ以上増やしてどーすんのよ。」
「ああ、それは大丈夫っす。俺、今日限りでここ辞めさせてもらいますから。」

「「は?」」

美神と雪之丞の声がはもる。
しばらく事務所の空気が固まったあと、雪之丞が慌てたように声を出す。

「ちょっと待て!そんな話は聞いてねーぞ!」

横島はその質問を予想していたかのように、雪之丞に話す。

「すまん。だますつもりはなかったんだ。だけど、もう決めたことなんだ。
俺が抜けるのはたいした事ないんだけど、それでも穴埋めが欲しかった。
それに、お前金に困ってただろ?俺の給料は酷かったけど、お前レベルとなれば、
それ相応の給料が出るさ。でしょ、美神さん。」

雪之丞が美神を見ると、思わずズサッと身を引いた。
凄まじい霊気が美神から噴き出している。

「・・・よく聞こえなかったわ、横島クン。もう一度言ってくれるかしら。」

顔は微笑んでいる。だが、霊気は衰える気配を見せない。
いつもの横島なら、ここで「仕方なかったんやあああぁぁぁ!堪忍やあああぁぁ!!」
と床に額を擦り付けているだろう。だが、今日の横島は全く様子が違っていた。

「んじゃもう一度言います。俺は今日限りで事務所を辞めさせてもらいます。
その穴埋めとして、雪之丞を雇って貰えませんか?」

横島の言葉が終わるかどうかの所で、美神が切れた。

「横島あああああああ!!!!!」

神通棍を握り締め、髪の毛が逆立つ。雪之丞はかなりビビッてさらに一歩下がった。

「なんすか?」

だが横島は全く動じる様子を見せない。じっと冷静に美神の目を見ている。
さすがに、美神も横島の様子が普段と違うことに気づく。
いつもなら、この時点で美神の勝利は決定していた。
美神は心を落ち着かせ、横島に訊ねる。それでもかなり息は荒かったが。

「どこに引き抜かれたのよ?」

美神は舌打ちしつつ、もうちょっと給料上げておけばよかったと考えていた。
横島本人は例のごとく朴念仁で、自分が世界でもトップレベルのGSであることに
気づいていない。横島を引き抜きたい除霊事務所は、世界中にある。

「は?どこにも引き抜かれてないっすよ。俺なんか引き抜いても仕方ないじゃないっすか。」

う〜む、と雪之丞が後ろで唸っている。

「それじゃこれからどうするつもりなの?」

美神は探りを入れる。だが、横島の答えは、探る間もない。

「それに答える必要は無いと思うっす。とにかく、俺自身辞める心は変わりません。
美神さんにはお世話になりました。おキヌちゃんには謝っておいてください。
シロタマには、よろしく言っておいてください。それじゃ、雪之丞。あとの交渉は任せるぞ。」

ポンと雪之丞の肩を叩き、すっとドアに向かう横島。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

あまりにも、淀みなく横島が話すため、思わずそのまま見逃すところだった。
横島はドアに手をかけたまま、振り返らずに言った。

「すんません。俺、これ以上ここにいても、迷惑になるだけだと思うんです。
いや、迷惑だけならまだしも、おキヌちゃんみたいに大怪我させることになるかもしれない。
あんときは大怪我ですんでいたけど、もしかしたら・・・。」

横島の肩が僅かに震えている。

「我侭言ってすんません。」

それだけ言うと、横島は事務所を出て行った。

「・・・・」

事務所の中では、美神と雪之丞が呆然とドアを眺めていた。

「旦那?」

雪之丞の声で、我に返った美神は、ドッとソファーに体を沈めると、暫く黙っていた。

「何してんのよ。給料の交渉すんでしょ?さっさと座りなさいよ。」
「え、あ、ああ。」

そう言って、雪之丞はソファーに腰を落とす。
美神は一度頭を振ると、おもむろに書類を出し、電卓を置く。

「それじゃ、雪之丞。あんたの時給は横島クンと同じでいいわね。」
「いくらなんだ?」
「255円。」
「帰る。」
「冗談よ。2550円でいいわね?」
「少なすぎじゃねえか?」
「最初は見習いだからいいのよ。使えるなら給料はそのとき考えましょ。」
「しゃーねえな。」

そう、これが相場なのである。優秀なGSだと、時給1万円でも安い。
もっとも、そんな優秀なGSがバイトをするとも思えないが。
哀れなり横島。


その横島は、しばらくじっと事務所を眺めたあと、アパートに戻っていった。
まだ午前中だ。適当に荷物をまとめる。たいした荷物はない。
そうこうしているうちに、雪之丞が戻ってきた。

「んじゃ、この部屋はお前に渡すぞ。」

荷物を背負いながら、横島は雪之丞に言う。

「ああ、それはかまわんが、本当にいいのか?」
「言ったろ。もう後戻りはできねえんだ。」

雪之丞は黙っている。

「・・・美神さん達のこと、頼む。」
「・・・ああ。」

暫く沈黙が続く。

「こうしてても仕方ねえ。行くわ。」
「行き先はやっぱり教えてくれねえのか?」
「そうだな。これは俺の意地なんだ。悪いが。」
「ふん。ま、一生会えねえわけじゃねーし。どこへ行くか知らねえが、
お前は俺のダチなんだ。忘れるんじゃねーぞ。」
「勝手にダチにすんじゃねえ。」

そういいつつ、横島の顔には笑みがこぼれていた。


こうして、横島はアパートを出て行った。
僅かな給料を貯めた金で、どこへ行こうというのか。
横島は、何時間もかけ、電車を乗り継ぎ、バスに揺られ、徒歩で歩きつづけた。
その歩みが止まる。もうすっかり暗くなっていた。大きな門がある。
そこには、大きな文字で、こう書かれていた。

【妙神山】


※この作品は、hoge太郎さんによる C-WWW への投稿作品です。
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