「少年。」

byニコのり。


 一歩、歩くたびにきしきしっと音を立てる、暗い廃墟工場の中。
 ひんやりと冷たい風を背中に感じて、悪寒が走る。
少年は父を追って廃墟へと入っていった。
 暗く、前が見えない。
 かすかに聞こえるざわめきが少年の頭の中にざわめく。
―――――怖い…。
 その時だった。
『誰だお前は!?』
 目の前にこの世のものとは思えない何かが現れた。黒くて透けていて…嫌な空気が、寒気と共に伝わってくる。
 これが、父や母が普段よく言っている、悪霊……?
 少年はあまりの怖さにその場にくずれ落ちた。
『ガキか…。まあいい。お前から殺してやる!!』
悪霊が少年に襲い掛かる。
体が動かない。
「父ちゃん、母ちゃん、ごめんなさいッッッ」
 目をぎゅっと閉じて死を覚悟した。
 瞼越しに何かが光ったのを感じる。
『う、うわーーーーーーーーーーーッッッ』
 最後に、頭がおかしくなりそうなくらいの雄叫びを聞いて、少年はその場に倒れた。
―――――父ちゃん、母ちゃん、姉ちゃん……。

「…もー!なんでちゃんと、ついてきてないことを確認しないのよ!!」
「お前だってちゃんと見てなかっただろ!?」
「いいからパパ、ママやめてよーッ。いいじゃない。無事だったんだから!!」
 …母ちゃんに、父ちゃんに、姉ちゃん?
懐かしい声が聞こえた。
 死ぬって、こんな感じなんだろうか……。
 死ぬ前に逢いたかった人たちの声が聞けるなんて…。幸せかも…。
「ん……」
 少年はそんなことを考えながら目を覚ました。
 見慣れた天井。
―――――あれ?
     ここって…え?
 ガバッ
 少年は体にかけられていた毛布をはらって飛び起きた。
「リビング…?」
「おっ大丈夫か?」
 きょとんとしている少年に、真っ先に話しかけたのは父だった。
「…父ちゃん?あれ…?俺死んだんじゃ……」
「なんだよ、お前見てなかったのか!?お前が悪霊に食われそうになったところを父ちゃんがこー、この手で…」
 そういうと、父は右手を霊波刀に変えて再現してみせた。
「馬鹿なことやってなくていいから!」
 母は父の頭をボカンっと殴った。
「アンタも、よッ」
 と、母は少年の頭も殴った。
「ッッつーーー…」
―――――ちゃんと痛い…。
     生きてるってことか…。
「まったく。あれほど駄目だって言ったのに勝手にパパについてっちゃって…!それで死にそうになってるなんて…あんなタチ悪霊に食べられて死んだなんてかっこつかないわよ?」
 母は安心したため息を一つ。
「そうだぞ?あと少し俺が気づくの遅かったらお前は今ごろあの悪霊の腹の中だなッ」
 ガハハと笑う父。
懐かしいこの風景。
 少年はやっと生きていると実感した。

 少年の父の名は横島忠夫。一流のゴーストスイーパーだ。
少年の母の名は美神令子。令子もまた一流のゴーストスイーパーだ。
今は令子は中学1年生の娘、蛍子と、小学5年生の息子の子育てに手一杯で、仕事は忠夫が殆どやっているが。
この息子がやんちゃで、1分たりともじっとしていられない。
いつも父の仕事が見たい、見たいと言っていた。
しかし何を仕出かすかわからないこの少年。
今のところ、将来ゴーストスイーパーになれるような素質は見当たらない。
そんな少年にはいつも仕事見学禁止令が出されていた。

 1階にあるリビングを出て、2階にある自分の部屋に入った。
 12畳。
床にマンガ週刊誌やらミニ四駆やら、いろいろ転がっていて足の踏み場がない。
 そんな床をうまく通って、部屋の置くにあるベッドの上にたどり着いた。
 ベッドの上にどさっと寝転ぶと、珍しくいろいろ考えてみた。
―――――なんで俺には霊能力がないんだろ…。
     父ちゃんも母ちゃんもすごい霊能者なのになぁ…。
     姉ちゃんだってすでに手伝ってるし…。
 右手に霊波刀を出す父の真似をしてみた。
 出るはずもない。どう力を入れたらいいのかすらわからない。
「もしかして俺って…俺ってーーーーーーッッ!!??」
 抱えた頭から手を離して、右手を見つめた。
―――――本当の息子じゃないのかな…。
 外を見ると、すでに夕焼けが始まっていた。
―――――そうだよなぁ…。本当の息子だったら、もっと霊能力があってもおかしくないよなぁ?
 少年はぐっと右手を握り締めて夕焼けに問い掛けた。
 コンコン、とドアをノックされ蛍子の声が聞こえた。
「ご飯だってー」

 リビングにまた降りていくとすでに机の上には夕食の支度がされていた。
「いただきまーす」
 家族4人で食卓を囲む。
 霊能力のある3人の会話を少年は無言で聞いていた。
 話には入れない。
 黙々と御飯茶碗を片手にご飯を食べる。
「あしたは私も行ってもいい?」
 仕事の資料に目を向けたまま忠夫に聞く蛍子。
「そうだな。姉ちゃんももう充分な戦力だしな!なんなら姉ちゃん一人でやってみるか?明日のは簡単だし」
「ホント!?」
 蛍子は瞳をきらきら輝かせながら両手を合わせて喜んだ。
 その様子を見た少年がふとつぶやいた。
「…俺も行きたい」
「…懲りないわねぇ。今日あんな目にあったばっかりなのに…」
 令子は隣に座っている少年の額をペシ、と叩いた。
 少年は膨れて俯いた。

 夜。時計はもう夜中の12時をさしていた。
 少年はトイレに行こうと部屋を出ると、蛍子を起こさないようにと、静かに階段を下りた。
 両親の寝室から明かりが漏れている。
 と、話し声が聞こえた。
「…まったくやんちゃな子だよなー」
 忠夫。
―――――俺の事…?
 少年はそっと聞き耳を立てた。
「あの子…なんでかしらね…。霊能力がゼロに等しいなんて。普通の人にだって多少の霊能力はあるはずなのに」
―――――え?
     ゼロ…?
     普通の人より少ないってことか??
 少年は心臓が震えた。
「俺たちの霊能力が重なると案外そういう弱い能力が出ちゃうのかも知れんな」
―――――でも、姉ちゃんはちゃんと霊能力持ってるじゃないか…。
 少年はトイレに行くこともすっかり忘れて、部屋へととぼとぼ戻っていった。
 それからしばらく眠れなかった。

 翌日。
「いってきまーす」
 元気よく家を出て行く忠夫と蛍子。
 それを自室の窓から見送る少年。
 窓に両手をついて、大きくため息をついた。
「俺だって……」
 その時、突然部屋のドアが開いた。ドアを開けたのは令子だった。
「なんだ、起きてるんじゃない。ご飯食べちゃいましょ。出かけるんだから」
「え?出かけるって…」
「いいから早く食べてきなさいって」

「はい、これ持って」
 ドス、と令子に渡されたのはリュックだった。
 しかも普通のリュックじゃない。
 少年の体の2倍の大きさはあるし、重い。いったいなにが入っているのか…。
「ちょっと母ちゃん!重い!!」
 リュックを背負おうとした少年を、リュックが押しつぶした。
「男の子でしょー?」
 苦笑いしながらリュックと少年を起こす令子。
「どこ行くのさ…こんな荷物もって」
 少年はオープンカーの助手席に乗らされた。
 真っ赤なオープンカーの後ろに荷物を積んで、令子はハンドルをきった。
「アンタは黙ってついてくればいいのよ」
 運転しながら少年の顔を見て話す令子。
 令子の運転は相変わらず荒っぽい。
 向かい風がもろに顔に当たって、少年は目が開けられなかった。
 そういえば、令子の運転するオープンカーに乗るのなんて初めてだ。
 たまに買い物についていくときにはワゴンだから。
 だんだん風に慣れてきた少年は、左目だけ開けて運転席の令子を見た。
 まっすぐ強い表情をしている。
 こんな表情を見るのも初めてだった。

 30分程一般道路を走ってついた場所は気味の悪い廃墟ビルだった。
「ここは?」
 車から降りた少年は廃墟ビルを見上げて令子に問う。
 令子も車を降りてさっきのリュックも降ろした。
「…本当は明日パパにやってもらう仕事だったんだけどね。ちょっーと久々に体が動かしたくなっちゃって♪」
 リュックの中から真っ白の皮手袋と神通棍を取り出して、霊気を送った。
 神通棍が光を放つ。
「……………!」
 少年は目を疑った。
「行くわよ!ちゃんとついてきてね。手強い相手だから油断するんじゃないわよ?」

 令子は少年に手招きしてどんどん廃墟ビルの中へ入っていった。
 昨日一人で入っていった廃墟工場よりももっと強い冷たい風を背中に感じる。
 全身に鳥肌が立った。
 令子の霊気なのか…。
 それとも……?
「…おかしいわね…。現れない…?」
 令子は立ち止まってあたりを見渡した。
 そのすぐ後ろに少年も立ち止まった。
 そして少年も辺りを見渡してみる。
 胸騒ぎがする。
―――――気持ち悪い…。
     なんでだろ……なんか……。
「きゃッッッ」
「…母ちゃん!!」
 令子の背後に昨日見た悪霊よりも3倍くらい大きい悪霊が現れた。
 息をのむ少年。
 令子は咄嗟に神通棍を構える。
「…強いわね」
 ぼそっとつぶやくと少年の右腕を掴んで、近くにあった階段を走り上る。
 2階に霊はいないらしい。令子は1階から霊が上ってこれないように結界札を貼った。
 今は蜘蛛の巣がはっているけれど、どうやらオフィスだったらしい。
「…ふぅ」
 とため息をつくと
「……こんなに強いとはおもわなかった。パパたちを呼んだほうが良さそうね」
 令子は少年の背中のリュックのサイドポケットに手を伸ばした。
「…あれ?」
 ガサゴソとリュックをひっくり返して探すけれど、探し物は見つからないらしい。

「…携帯電話、忘れちゃった…」
 さーーっと青ざめる二人。
「応援要請は不可能ね」
 ため息。
「えッじゃあどうすんの!?俺と母ちゃんはここで死ぬワケ!?父ちゃんに黙ってきたのに!!」
 令子にしがみつく少年。
「うるさい!!死ぬなんて決まってないじゃないの!」
 少年を振り払う。
「お札だってあるし!それにアンタだっているじゃない!」
 その言葉に少年ははっとした。
 でもすぐに少年は俯いた。
「…俺には霊能力なんかちっともないんだろ!?いても意味ないじゃんか!!…だいだい俺ってなんなの!?なんで霊能力が普通の人よりも低いの!?俺は父ちゃんと母ちゃんの子供じゃないんだろ!?」
 少年の心の爆発。
 それを聞いた令子はカッとして思わず少年の右頬をバシーンっと叩いた。
 叩いたというより、ひっぱたいたというほうがふさわしいかもしれない。
 少年の頬が真っ赤にはれあがる。
 少年は頬を抑えて、痛みと叩かれたショックとで、じわりじわりあふれてきた涙を流れるままにした。
「…アンタはパパが私のお腹の中に宿した大切な息子よ」
 令子は泣き続ける少年を残して、右手に神通棍、左手にお札をもって階段を下り始めた。
 少年は涙を拭ってリュックのショルダーをぎゅっと握り締めた。
 まだ痛む頬を軽くぺしっと叩いてみる。
「…よしッ」
 気合を入れた。
 そして少年も令子の後を追った。

 1階につく頃、すでに令子は先ほどの悪霊と戦っていた。
 急いで令子の元へかけよる。
「アンタはあっちへ行ってなさい!!」
 悪霊に押されながらも少年を遠ざけようとする令子。
 少年は歯をくいしばる。
 令子の体制はだんだんと崩れていく。
「……ッあッッ」
 令子の右手から神通棍がするりと抜けてしまった。
 神通棍は遠くへと転がっていく。
「やばいッ」
 令子は手を伸ばすけれどとても届きそうにない。
 それを見た少年の体が熱く火照ってきた。
 よくわからないけれど、この感じ、今まで味わったことはない感覚。
 そして少年は無意識のうちに悪霊に素手で跳びかかった。
『…グッ!?なんだ…!?』
 手ごたえがある。
「…………!?」
 そのすきに令子は神通棍を持ち直した。
 そして神通棍に念を入れる。
「母ちゃん!」
 令子は神通棍で悪霊を真っ二つにした。
 悪霊は
『グオーーーーーォッ』
 と雄叫びをあげて一瞬で消えた。
「……やった…」
 令子がそうつぶやいて少年を見た。
 少年は気力が尽きたのか、気を失っていた。
「…ちょっとッ」
 少年を抱き起こすと、少年の両手に霊気を感じた。
「これは…霊波刀…?」
 少年の右手はまるで忠夫のような霊気の剣になっていた。
「うそ……」
 少年は眠っていた。
 令子は少年の腫れた頬を見つめて
「アンタも…強くなっちゃうんだね…。パパみたいに…」
 少年をぎゅっと強く抱きしめた。
 強く、優しく。

「令子!!」
 家に着くと玄関に忠夫が立っていた。
「どこ行ってたんだよー黙って!!」
「ちょっとお仕事よ。ほら、このコをソファーに寝かせてあげて」
 忠夫は令子から少年を受け取ると、静かにソファーに横たわらせた。
「無邪気な寝顔しちゃって…ふふ」
「で、今日の話を聞かせてくれよ」
 少年を起こさないように小さい声で今日の出来事を話し始める令子。
 その表情はすごく嬉しそうだった。

 今日も夕飯を食べ終わってのひと時。
「おいっちょっと来てみろ」
 忠夫は少年を手招きした。
 少年は忠夫のあとについて、忠夫たちの寝室に入っていった。
 忠夫はごそごそとクローゼットの中から何かを取り出してきた。
 手にはバンダナ。
「これ、父ちゃんの昔の愛用品なんだけどな、ちょっとつけてみろ」
 忠夫は昔の自分のように、少年の頭にバンダナをまいた。
「似合うなーー。まあお前は母ちゃん似だけども、こうしてみると少年時代の俺そっくりだ」
 少年の頭をポンポンと叩いた。
 少年は自分が昼間、母に打ち明けた悩みを思い出して照れくさかった。
 そして霊波刀が出た両手を見つめてにやける。
「明日は家族で出かけような」
 部屋を出て行こうとした忠夫は振り向きざまにそう言った。
「どこに?」
「どこって、そりゃー…除霊だろ」
 忠夫はガハハと笑った。
 少年はガッツポーズをした。
 今まで誰にも見せたことのないような強く、立派な『一人の男』の表情で。


※この作品は、ニコのり。さんによる C-WWW への投稿作品です。
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