――北アイルランドの……何処か――

 呪術師にとっては、それはいつもの仕事であるとも言えた。
 ただ、いつもと違うところ。それは、今回の仕事の内容だった。……今回の客は大金を手に、呪術師に『あること』を頼んだ……
 考えてみるのは一瞬だけ。正式に依頼があれば、それを断る事はしない。それは、呪術師の誇りでもあった。――故に、この仕事も遂行せねばならない。
 呪術師は考える。客の今後について、皮肉を交えて考える。
 無論、今回の仕事は正気の沙汰ではない。プライベートで――あるいは自分の知人に――それを頼まれたのならば、このような仕事は絶対に受けない。
 しかし。
 客は言った。この仕事を受けねば、呪術師自身を殺す。と。
 そして、呪術師はその依頼を受けた。……客は目の前にいる。そろそろ『仕事』の時間が近づいてきた……
 呪術師は言葉を発する。ほんの小さな、確認の言葉。
「……本当に、やるのか?」
 客は無言で頷いてきた…… 後は呪術師も無言。黙って、『仕事』の準備に取り掛かる。
 既に完成している魔方陣の周囲五箇所に蝋燭を立て、客はその蝋燭の中心へと静かに歩いてゆく…… 呪術師は部屋の四隅にも蝋燭が立っているのを確認したのち、最後のつぶやきを発した。
「…………最後に……意識上の最期に、何か言葉はあるか……?」
 客は、答えた。小さく小さく、呟く……
「……贖罪だ」
 その一言だけが、呪術師が客に対して持てる最期の感情の結果。……そして、客にとっては最期の言葉……
 贖罪……
 呪術師は杖を手にした。魔方陣の起動スイッチとなる杖を……
 そして、呟く。しかし、今度は意志を持って……
「……北の大地に住まう永遠の王、王の意志により汝を王の隷従と化す…… 吠えろ、獣よ! 唸れよ、獣よ! 噛み砕けよ、獣よ! ……汝の名は王の忠実なる不死の戦士にして、現世最強の獣! ……狂戦士(ベルセルク)!!」
 視界が閃光に閉ざされる……呪術師は、強烈な閃光に目を細めた。
 魔方陣に背を向ける。成すべきことを成した今、最早ここに居る理由はない。……そも、報酬は前払いで受け取っている。
 そして…………
 獣の唸り声。
「! ……!」
 振り向く。そこに在るのは……爪――
 そして、引き裂かれて血しぶきと共に宙を舞う、自身の臓物……
 それが呪術師の見た、生者としての最期の光景だった――――

 獲物を喰らった獣は、血しぶきによって装飾を施された部屋の中を睥睨した。……取り合えず蝋燭を引き裂く。
 そして……
 ガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
 獣は……咆哮した。……覚醒の喜びに打ち震えるように――

 そして…………時間は遡(さかのぼ)る――――


GSM MTH3
Gravestone――贖罪――


――2000年 8月31日 6時14分(中央ヨーロッパ標準時)ドイツ連邦共和国 ハンブルク――

 歩く事に目的は要らない。そう言ったのは誰だっただろうか…… それが、霧の中、湿った石畳の上に歩きつづける事を指しているのならば……それは自分の事だろう。目的も何もなく、ただただ歩くだけ。敢えて、歩くだけ。
 彼――ファウストは、霧の中、石畳の上を無言で歩き続けた。既に身に纏う衣服には水分が染みとなり、じわじわと不快感を身体に伝えてくる。
(……静か……だな)
 霧は、人の気配を覆い隠す。湿った石畳には足音も響かず、そして発する微かな音も、霧の気配の中へ溶け込んで消える……
 いや……自分も霧のようなものなのかもしれない……
(……道化だな。……『彼女』を失い、……メフィストを追い、……そして、今またここに戻ってきている……)
 自嘲する。……そうだ。自分は戻ってきた。……この、石と霧の街へ――
『彼女』を失った、この街へ――
(……反古すべきではないな……)
 歩いて――文字通りひたすらユーラシア大陸を歩いて――ここまで来たのは、考える時間を得る為だ。もう自分は充分考えた。
 答えは出なかったが。
 歩きつづける。――街は何も変わらずそこに在る。――ただ平穏な日常。平穏な朝。平穏な生活だけがそこに在る。……だが、そこに自分が求めるべき答えがあるのかどうかは、平穏な街からは判らない。
(そして、本当にその答えが見つかるのかどうかも判らない……か)
 メフィストの転生――美神令子は、自分の愛する者は『彼女』だと言い切った。
 だが……分からない……
(私の本当の思いは何処にあるのだ…… メフィスト――いや、美神令子。……私はここに来て、何をすれば良いのだ……)
 思いを霧に吸われてゆくような感覚。寒気を覚える。
 彼は霧の中、石畳の上を歩き続けた。自動車も入ってくる事が出来ないこの路地は、やはり静寂に包まれている。人に出くわす事もない。
(結局、私は行くしかないのか?)
 この道は知った道だ。この道の行き着く先に、かつての自分と『彼女』の家がある。
 そして、自分が『彼女』を失った場所でもある。……自分を愛した『彼女』を……
 通りに並ぶ商店は、まだ全て開店前である。時間が時間である為当然の事だが、自分が欲している静寂に、周囲が合わせてくれているような錯覚に陥りそうになる。
(……無論、そのようなことはあるまいがな…………)
 当たり前の事を当たり前に納得する。そして、歩を進める。自分が欲しているのは時間ではない。答えだ。自分の今後を占う……純粋な答え。
『彼女』が残しているであろう答え……
(いや、彼女が残しているわけではない…… それを私が欲しているだけだ……)
 自らが欲するものは、自らの為に手に入れなければならない。……決して、美神令子や、『彼女』の為ではない。そのような傲慢なことを、思ってはいけない。
 だから、歩く。自身の目的に向かって、歩く。思考は遅々として進まないが、足だけは勝手に歩を進める。自らの意図の外で。
 自分の欲する答えは何なのだろう……
 彼は訝った。『彼女』が答えを与えてくれる事を望むのならば、当然、自分には望んでいる答えがあるはずである。
(ああ。……私は何を期待しているのだろうな…………)
 脳裏に一瞬浮かんだイメージ。それを知覚するよりも早く、彼はうめいた。心の中で。……当然、抱いたイメージは跡形もなく思考の闇へ消える。
(往けば……判る……か)
 彼は歩き続けた。霧は、ますますその濃度を増してゆく……

――7時12分(中央ヨーロッパ標準時)――

 この町は、本来港町であるはずだ。内陸にあるとは言え、ドイツ国内随一の主要河川たるエルベ川が中央をまたいで通るこの町は、朝とは言え活気に溢れているはずだ。本来は。
 だが。
 この『街』は違う。厳密に言うならこの『通り』か。観光客も立ち寄らず、表通りには溢れ返っている土産物屋も全くない。……霧が支配する厳かな通り。
 自分が歩くには、その様な静かな場所こそがふさわしい…… 人間が作り出した不自然な騒々しさは、自分には合わない。
(不自然というならば……)
 苦笑する。自分の今の状況こそ、不自然だろう。……同族である魔族から見ても、そして人間から見ても。
 人間に懸想し、自我制御が絶対条件とされる魔族であるにもかかわらず、その懸想を取り違え、暴走した。……自分は既に、魔族ではないのかも知れない。
 ならば何なのか。……魔族でもなく、人間でもないのならば、自分はいったい何者なのか。ここに答えてくれるものは……いない。
(――いや)
 居る。
『彼女』が答えてくれるはずだ。……自分が、何者であるのか。
 それを、自分は甘受すれば良い。
 霧は、辺りをますます深く覆ってゆく。白き暗闇…… その中を彼は歩いた。
 ふと気付いて、彼は右方を見る。
(あれは……)
 古びた石造りの建物。かなりの年月、そこに何者も住み着いていないことは明らかだろう。建物全体から、そのことが感ぜられる。
 しかし、それは未だにそこに在った。
(……懐かしいと感じるべきなのかな……ここで)
 50年ほど前。自分はここに勤めていた。……そこは、50年前は新聞社だったのだ。……それが今、年月による寂れをその身に帯びて、自分の目の前にただ在る。
 やはり、さほどの感慨は感じなかった。そもそも、50年程度でその様な事を感じるようには、自分は造られてはいないのだろう。
 歩き出す。
 かつての仕事場を離れ、かつて必要性から、他愛もない世間話を店主と交し合った飲食物店があった建物を通り過ぎ、……歩く。
 …………かつての……住まいへと――

――7時30分(中央ヨーロッパ標準時)――

 人とすれ違った。
 自分の事を何も知らず、通り過ぎる『普通』の人間。……自分とは永遠に関わりを持つ事ない人間。――それは結局、誰も居ない事と同じ事ではないか。
(静寂は……変わらない)
 今の自分を知っているのは、この霧だけだ。この霧の中にだけ、現在(ヴェルダンディー)の自分は居る。
『彼女』の知らない自分。
 メフィストも知らない自分。
 今まで――主、アシュタロスによって生を受けてから今までの千年間――の自分ではない自分。……悪魔、ファウストとしての自分。……否、自分は最早『悪魔』ですらない。
 悪魔でいられるのならば、まだ救いもあった。――だが。
 自分は悪魔すら捨てた。この千年を、自分はどのようにして生きてきたか? ……断じて、自分は悪魔として千年の時を無為にしたわけではない。
 しかし、自分は人としてこの千年の時を生きてきたわけでもない。そも、人は死ぬものだ。自分は人としてすら存在できない。
(ならば…………)
 ならば自分は何なのだ?
 メフィストを愛し、『彼女』を愛した。魔としてメフィストに惹かれ、人として『彼女』に惹かれた。……自分は何なのだ?
(私の名は……ファウスト)
 悪魔、ファウスト。
(私は…………どうあがこうが人にはなれない)
 自分は……魔としてこの世に生を受けたのだから。……神ではなく、魔王の手によって。……しかし、自分は魔たることを捨てた。……つい、一年程前に。完全に。
 そして、それを確かめに来た。
(ああ……そうだな。私は恐れているのかも知れん)
 何を恐れるというのか。……それすらも、自分には分からない。
 次の三叉路を右に行く。そうすれば、じきに『わが家』は見えてくる。

――8時01分(中央ヨーロッパ標準時)――

 感無量。
 その様な言葉が自分の知識の中には有る。
 だが、その様な知識など最早関係がない。無論、その様なものに意味も、最早ない。……自分は、帰ってきた。
 そこに在るのは、石造りの小さな家。50年前に記憶の闇に埋もれ、そして、今また自分の目の前に在る。……『彼女』と20年間過ごした家。
 古びた木の扉……『彼女』が選んだ扉。ささくれが目立つその表面に、ニスで光り輝いていた過去の面影を探してしまうのは…… これは感傷なのだろうか?
 その家は、50年の時の経過を如実に表しながらも、過去の面影を残し、彼の目の前に在った。付近の住民は変わっていても、ここだけは変化してはいないはずだ。……変わっていてはならない。
「帰ってきた……」
 呟く。
(……!)
 ふと、気付く。
(…………声を発したのは、一年ぶりだな……)
 メフィストの転生――美神令子と会話して以来、言葉は発していなかった。……自分ではそれとは思わなかったが、やはり感慨は深い。そう思う。
「美神令子よ…………私はここまで帰ってきた。……ここに、私の求める答えがあるのか?」
 再び呟く。先程よりほんの少し、強く。
 霧の中の静寂に、声は溶け込むでもなく、そのまま霧散する。
 ……いや、霧散したわけではない。沈殿している。……自らの心の深淵に――そして、自らの耳朶(じだ)の深奥に。
 そして問いは、自らの内で荒れ狂う。
『彼女』は本当に答えを自分に教えてくれるのか?
 ここにはその答えがあるのか?
 そして……自分は何を望んでいるのだ……!?
(……この中に、答えは在るか……)
 彼はドアノブに手をかけた。

――8時09分(中央ヨーロッパ標準時)――

(何故だ……?)
 わが家の中に入って彼が最初に感じた感情。……それは、喜びでも、懐古でも、悲痛でもなく……
 疑問だった。
(何故だ……?)
 次々と部屋を調べてゆく。かつての自分の部屋、居間、寝室、バスルームに至るまで、全ての部屋を見てまわる。……しかし、疑念は深まりこそすれ、霧散する気配は一向にない。
 そう、おかしいのだ。
(何故なんだ……!?)
 50年前のテーブルに拳を打ち付け……心中で絶叫する。
 おかしい。……はっきりと、この家の中は不自然だ。
 家の中は埃に塗れている。しかし……
『きれい過ぎる』のだ。
(そう……そうだ)
 この家には、最低でも50年間、人の出入りはなかったはずだ。ドアの鍵は自分しか持っていない。そして、ドアが破られた形跡はなかった。窓は一階にはない。
 しかし、そう、しかしだ。
(何故なんだ……)
 この家は、少なくとも50年間ほおって置かれた状態ではない。……そう、まるで、つい最近まで人が住んでいたような…………
 肌が粟立つのを感じる。……『恐怖』。そう、自分は恐怖している……
(……………………)
 彼は足早に家の外へ出た。
 そして、隣家のドアをノックする。……しばらく話していない、ドイツ語の発音を思い出しながら。
「……ふぁい…………なんだぁ……」
 眠っていたらしい。応対に出てきた冴えない男の胸倉を、彼は掴みあげた。
「言え…………」
「ぐぇ……な、何だ……テメェ」
 男が暴れだす。しかし、それは胸倉を掴んだ右腕の力を少し強めるだけで、簡単に沈静化した。
「言え…………隣の家……誰が住んでいた?」
「ぐ……はぁ?」
 少し宙に浮いているようにも見える足をばたつかせながら、男。彼は、さらに右腕の力を強めた。
「知っているだろう……? 言え!」
「い……一年……くらい前まで、婆さんが、一人で……」
 ? ……?
「婆さん? 老婆が一人でか?」
 手の力を緩め、男を解放する。
 男はのどを押さえながら、
「げほっ……ああ、随分前から隣に住んでたみたいだぜ……俺がここに来るよりも前からあそこに住んでやがった」
 男の言葉は、耳には入ってくるが、胸のうちには届かない。老婆が一人。一年程前に居た日本ではままあるケースかもしれないが、この国では異常なことではある。特にここのような住宅街では。
 男の言葉は続く。
「何か偏屈な婆さんでよ、近所の寄り合いとかにも参加しねぇで、ずっと家の中にこもりっ切りなのよ」
 ……しかし、それが事実としてある以上、疑っても詮無いことだろう。老婆は何の為にここに居たのか。
 ……そして、どのようにして、ここに居る事が出来たのか。
「……その老婆は、今、何処へ?」
 限りなく簡潔な言葉で、彼は訊ねた。男へと。
 そして男は答える。
「ああ、死んだよ。……一年前の……確か、11月の5日だったかな……? 葬式には俺も出たんだ。……偏屈な婆さんだったが、一応隣人は隣人だからな……」
「死んだ……?」
 疑問は深まるばかりで、一向に散る気配はない。何故か自分の帰るべき場所に住み着いていた老婆。一年程前に死んだという。
 しかし、男は、続けた。
「何かあの婆さん……ずっと誰かを待ってるみたいな感じだったな……その誰かは天国にでも居たのかね……」
「! ……!!」
 鼓動が、止まった気がする。
「ん、どうした兄ちゃん?」
 男の声も、最早聞こえない。……微塵も、聞こえない。
「…………あ……ああ…………あ」
 何も考えられない。そして、何もする事が出来ない。腕を動かすことすら、……出来ない。表情を変えることすら、……出来ない。
「あ……あああ…………ああ…………あ……ああ」
『居た』のだ。
「おい! 兄ちゃん!?」
「あああああああああああああああああああああああっ!!」
 彼は……吼えた。
 吼えるしか……なかった。
 霧は……そして、雨に変わる。

――9月1日 11時47分(中央ヨーロッパ標準時)ハンブルク郊外――

 そこに立っている物は、ただの石の塊。
 しかし、それ自体に意味を持つ、石の塊。
 墓標――
 十字型の墓標の前、花束を落とすでもなく、彼はそこに居た。
 昨日から降り続いている雨は、いまだにやむ気配もない。水の粒を、彼の全身にまんべんなくまぶしてゆく。
(……美神令子よ…………『これ』が、答えなのか?)
 雨はただ降り続く。
(私に対する…………答えなのか?)
 雨にぬれて、墓標は眼前にただ在る。
(彼女は…………)
 墓標には刻まれている。
《1910〜1999》
 それが、『彼女』の生きた時間。
(彼女は…………)
『彼女』は『帰ってきて』いた。何処からかは知らないが、あの家に、自分と暮らしに、また帰ってきていたのだ。
(それを…………)
 それを自分は…………
 踏みにじった。
『彼女』の生を待つことのみで終わらせ……その間自分は、何をしていた?
 彼女をひたすら待たせておいて…………自分は……何をしていたのだ? 何を……何を…… 何を!!
(これは……私の『罪』なのか?)
 自分の罪故に、自分は『彼女』を見限ってしまったのか?
(『これ』が答えか!? 美神令子!! 私にとって、これが答えなのか!? 彼女を見限った私に………… 今更、今更何をしろと……)
 自分が、ちょうど美神令子らと接触したとき、『彼女』は、死んだ。……待つことのみにおいて、自らの生命を使い切ってしまった。
 自分などを信じて…………
 永遠を生きる自分などの為に、蝋燭のような自らの命を使い切った……
 最早……最早自分は…………
(いや……ああ、そうだな。私はこれを望んでいたのかも知れんな……)
 破滅。
 全てにおいて、自分の全てのものが覆される。……破滅。
(何もないな……もう、何もない…………)
 自分は最早永遠の時を生きることは出来ない。
 ……しかし、自分は生き続けて行かねばならないのだ。
(さて、これからどうしようか…………)
 雨は……全てを覆い隠した。

――数ヵ月後 北アイルランドの……何処か――

 呪術師にとっては、それはいつもの仕事であるとも言えた。
 ただ、いつもと違うところ。それは、今回の仕事の内容だった。……今回の客は大金を手に、呪術師に『あること』を頼んだ……
 考えてみるのは一瞬だけ。正式に依頼があれば、それを断る事はしない。それは、呪術師の誇りでもあった。――故に、この仕事も遂行せねばならない。
 呪術師は考える。客の今後について、皮肉を交えて考える。
 無論、今回の仕事は正気の沙汰ではない。プライベートで――あるいは自分の知人に――それを頼まれたのならば、このような仕事は絶対に受けない。
 しかし。
 客は言った。この仕事を受けねば、呪術師自身を殺す。と。
 そして、呪術師はその依頼を受けた。……客は目の前にいる。そろそろ『仕事』の時間が近づいてきた……
 呪術師は言葉を発する。ほんの小さな、確認の言葉。
「……本当に、やるのか?」
 客は無言で頷いてきた…… 後は呪術師も無言。黙って、『仕事』の準備に取り掛かる。
 既に完成している魔方陣の周囲五箇所に蝋燭を立て、客はその蝋燭の中心へと静かに歩いてゆく…… 呪術師は部屋の四隅にも蝋燭が立っているのを確認したのち、最後のつぶやきを発した。
「…………最後に……意識上の最期に、何か言葉はあるか……?」
 客は、答えた。小さく小さく、呟く……
「……贖罪だ」
 その一言だけが、呪術師が客に対して持てる最期の感情の結果。……そして、客にとっては最期の言葉……
 贖罪……
 呪術師は杖を手にした。魔方陣の起動スイッチとなる杖を……
 そして、呟く。しかし、今度は意志を持って……
「……北の大地に住まう永遠の王、王の意志により汝を王の隷従と化す…… 吠えろ、獣よ! 唸れよ、獣よ! 噛み砕けよ、獣よ! ……汝の名は王の忠実なる不死の戦士にして、現世最強の獣! ……狂戦士(ベルセルク)!!」
 視界が閃光に閉ざされる……呪術師は、強烈な閃光に目を細めた。
 魔方陣に背を向ける。成すべきことを成した今、最早ここに居る理由はない。……そも、報酬は前払いで受け取っている。
 そして…………
 獣の唸り声。
「! ……!」
 振り向く。そこに在るのは……爪――
 そして、引き裂かれて血しぶきと共に宙を舞う、自身の臓物……
 それが呪術師の見た、生者としての最期の光景だった――――

 獲物を喰らった獣は、血しぶきによって装飾を施された部屋の中を睥睨した。……取り合えず蝋燭を引き裂く。
 そして……
 ガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
 獣は……咆哮した。……覚醒の喜びに打ち震えるように――

 そして、悲しき獣は目覚める。

――To be continued to another story…――


※この作品は、ロックンロールさんによる C-WWW への投稿作品です。
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