―創作作品―

北珪山綺譚

(ほくけいざんきたん)


  闇は広がり続けて、胸の内にまで入り込んでくる。
 肩で息をするたびに血が滴り落ち、まるでその血を補うかのように体内に闇が入ってくるのが解った。
(・・・・・・・そう思うのだろう?)
「うるさい!!だまれっ!!」
 闇の声に対して、もはやもうその言葉しか返していない。空気は澱んだ水のように身体に纏わりつき、男は自分が呼吸しているのかさえ解らなくなってきた。
 男・・・李 邦嵩は、それでも闇を睨み返し、符を掲げた。
(なぜだ・・・。おまえは裏切られているのだぞ?父にも、母にも、あの女にさえ・・・)
「違う!!」
(それなのに、なぜお前は人間を守ろうとする?守る価値などないではないか・・・)
「お、俺は・・・」
(奴等はおまえを利用しているだけなのだ・・・裏切っているのだ・・・)
「や、奴等は・・・」
(そう思うのだろう?)
「奴等は、俺を裏切っている・・・」
(人間は、皆裏切るのだ・・・守る価値などないのだ・・・)
「俺は、裏切られた・・・」

(ならば・・・)

「ならば・・・」

(ならばどうする?)

「ならば・・・ならば、みんな・・・みんな、殺してやる・・・」

☆            ☆            ☆            ☆            ☆

  日本の梅雨を思い出す、蒸し暑い夕方であった。
 熱帯に属する香港ではまだまだ序の口の気温であるが、この湿度の高さは不快指数を高める。朝から降ったり止んだりしている雨も街を歩く人々のストレスを高めていた。
「全く、天気までいらいらさせやがって・・・」
 ブラインドの隙間から外を眺めつつ、雪之丞が毒づいた。20世紀末からの不況は未だ回復を見せず、彼の言葉は香港のサラリーマンを代表するものだった。
「なんか、日本じゃもっとひどい事になってるみたいじゃノー。」
 うしろのデスクで、タイガーが眺めていた新聞を放り投げた。雪之丞が受け取った新聞は、日本の関東を直撃し、100人以上の死傷者をだした台風の記事を一面に掲載している。
「この時期に台風とはなぁ・・・どーなってんだか・・・」
 雪之丞は新聞をオフィスの真ん中にある面会用のデスクに放り出すと、その横のソファにねっころがった。報告がこないことには、こっちも手の打ちようがない。雪之丞にとって、「待機」という仕事が最も苦手だった。報告がくるまで、仮眠でもとっておこう・・・。一つあくびをすると、目をつむった。だが・・・
 リリーン!
 雪之丞の仮眠は、5秒経たぬうちに中断を余儀なくされた。なかなか古風なオフィスの呼び鈴の音は、実は雪之丞の趣味である。彼の幼い頃の自宅の記憶の一つ・・・。全く、こういう幼いこだわりというのは、いくつになっても抜けないものである。
「いい、俺が出る。」
 腰を浮かしかけたタイガーを制して、雪之丞がドアへ向かった。呼び鈴を鳴らして正面玄関から来るのは、それが外部の人間である事を意味していた。という事は、仕事の依頼者か、頼んでいた「1部」からの助っ人だろう。
『どちら様ですか・・・』
 雪之丞が、まだややくせのある広東語で応対しながらドアを開けると・・・
「お久しぶりです!!雪之丞先輩!!」
 そこには、やや小柄で元気のいい、赤毛の少年が立っていた。
「み、壬生っ!!なんでおまえがくるんだよっ!!」
「はっ!!壬生 周達、本日より、臨時配属として2部に転属となりましたっ!よろしくお願いします!!」
「おー、ミブ、元気じゃったかあああっ!!」
 唖然としている雪之丞を押しのけて、タイガーが壬生を抱き上げる。口調といい行動といい、まるで孫を迎える田舎のじいさんだ。何かいいたげな雪之丞をよそに、二人でめいっぱい再会を喜んでいる。
「ささ、あがれ。もうすぐおキヌちゃんも帰ってくるからノー」
 この意外な来訪者が、香港の「日本ゴーストスイーパー特殊任務部隊」の2部に加わる新しいメンバーであった。この人選がどのような結果を生むのか、まだ誰も知らない。

☆ ☆            ☆            ☆            ☆

壬生 周達(みぶ しゅうたつ)
 この人物について、いくつかの説明が必要だろう。彼は、日本では小笠原 エミのもとでアシスタントをしており、「特殊任務部隊」の編成に際してエミと共に「1部」に配属された。つまり、タイガーの後輩という事になる。大戦後、タイガーと雪之丞が修行をしていた時、二人は北海道の東部で一人の少年にであった。
 夕日を溶かし込んだ紅茶のような真紅の髪。瞳の色まで白兎のように紅く、肌は透き通るように白い。符や独鈷を用いず、自然の精気を用いて結界を張る紅い瞳の一族の末裔。
 それが、壬生だった。
 余談であるが結界師にはその能力を血筋によって伝えている一族がいる。そのため、髪の色など、身体に何らかの特徴が残る事が多い。壬生もまた、傍目には尋常の人間にはとても見えない。しかし、付き合ってみるとその性格は意外に明るく、不思議とタイガーとはよく馬が合った。そして、向上心あふれる彼は、タイガーからエミの話を聞いたとき、修行のためと自分から進んで新しいアシスタントに志願したのである。(実は、これについてだけはタイガーは最後まで反対で、エミが壬生を採用すると聞いたとき、自分の友人の将来を思って涙したという噂がある。あくまでもうわさであるが)
 とにかく、タイガーがエミから事実上独立したとき、壬生周達は交代する形でエミのアシスタントになったのである。

「しっかし、なんだっておまえなんだ?俺はてっきり横島がくるもんだと思ってたが。」 
 雪之丞はまだぶつぶついっている。壬生はどうも雪之丞によく「なついて」おり、正直、ちょっとうっとおしい感があるのだ。
「美神隊長も最初はそのつもりだったようですが、実はやむにやまれぬ事情ができまして・・・」
 壬生がそこまで言ったとき、裏の関係者出入り口から、「2部の隊長」が戻ってきた。
「ただいま戻りました・・・あれ、壬生さん!!久しぶり、どうしたんですか?」
 その口調はとても隊長とはおもえないほど丁寧で優しい。5つも年上の隊長に「さん付け」で呼ばれて、壬生は言葉が出ないほど緊張した。
「おかえりー、おキヌちゃん。なんでもこの間頼んだ1部の助っ人を壬生がやってくれるそうでしてノー、ま、見ての通りガキなんジャけど、腕は大したもんじゃけえ、よろしゅう・・・」
「み、壬生周達、一生懸命働きます!!よろしくお願いします!!」
「は、はい、こちらこそ、どうぞよろしく。」
「そ、そんな、隊長!もったいない、お顔を御上げください!!」
 あたふたしている壬生をみて、雪之丞がタイガーにささやいた。
「なんか、こういうのみると、俺達いい上司持ったと思うよなあ・・・」

 近い未来予想される最終局面に備えて、日本ゴーストスイーパー協会は精鋭GSによる「特殊任務部隊」を編成した。1部の隊長に美神美智恵が再起用され、同時に新人を主体とした予備部隊として「2部」が編成された。しかしそんな中、極めて俗世的な問題が発生した。中国での不況と人手不足が深刻化し、退魔、除霊関係でも日本に協力が求められるようになったのである。陰陽道や除霊術の本場中国へ日本が援軍を送るというのも皮肉な事態である。ともあれ日本は逐次有力なゴーストスイーパーを大陸に動員したが、困った事に一向に成果が上がらず、日本ゴーストスイーパー協会は頭を抱える事になった。
「大陸の霊体は長い歴史の中でほとんどの除霊法を経験し、強化されている。攻撃系のゴーストスイーパーを送り込むより、発想を転換してネクロマンサーを起用しては」
 唐巣神父の提言により、当時1部にいたおキヌが隊長に大抜擢され、予備部隊であった特殊任務部隊2部は協力隊として香港に配属される事になった。(これについては当初、単に1部の戦力を出し惜しみしたという意地悪な見方もあったものだが)
 この人選は、結果的に最大の効果をもたらした。おキヌと2部の主要メンバーによって、中国の悪霊関係の問題は急速に解決されたのである。そして、その最終仕上げとなる最後の作戦を遂行するため、おキヌは日本に1つの嘆願書を送った。「1部の戦力を一人、援軍として香港に送ってほしい」と。
 壬生が香港に来たのは、こういう経緯である。
 それはさておき。
「隊長!どうぞ、この壬生に、何でも御申しつけください!!不肖ながら、最善を努めさせていただきます!!どうぞ、なんなりと!」
「え、ええと、まあ、今日はとりあえずゆっくり休んでください。特にやる事はありませんから・・・」
「・・・・・・・!!」
 おキヌの言葉の後半部分を聞いて、壬生はぶるぶる震え出した。白い顔が青くなり、目に涙が浮かぶ。
「・・・?あの、どうかしましたか・・・?」
「そ、そんなあっ!!お願いです、なんでもやりますからっ!!!」
「???」
「クニのかあちゃんにも、しっかりやってこいっていわれてるんですっ!!いまさら帰れません!!なんでも、ほんとになんでもしますからああああっ!!!」
「あ、あの・・・」
 どうやら、エミのもとで労働者の権利と憲法で保障されている基本的人権の90%以上を剥奪されていたようである。おキヌの「何もしなくていい」という言葉を、解雇宣告と勘違いしたようだ。事態の飲み込めないおキヌにすがり付くように、泣いて懇願している壬生の肩を、ぽんと雪之丞がたたいた。
「あ〜、とりあえずお茶入れてくれ。話はそれからだ」
「は、はいっ!!今すぐっ」
 一気に精気を取り戻した壬生は、嬉々として台所へ飛び込んでいった。すっかり過剰労働勤務が中毒化して、作業していないと言い知れぬ恐怖に襲われるようだ。
「ううっ・・・エミさん・・・あんたぁ・・・あんたはやっぱり壬生を・・・」
 タイガーの呟きは、誰の耳にも届かなかった。

☆ ☆            ☆            ☆            ☆

 お茶が入ると、4人で面会用デスクを囲み、作戦の打ち合わせが始まった。
「それにしても、壬生さんが助っ人とは正直意外でしたね。」
「そうだ!さっきお前、なんか言いかけてたよなあ、なんで横島はこねえんだよ?」
 雪之丞の言葉に、おキヌがわずかに反応する。机の下で、タイガーが雪之丞をつついた。横島が来れなくなったことで、おキヌが内心かなりがっかりしている事は疑いないのだ。茶菓子に出された手製のケーキも、いつになく気合いが入っているし・・・。3人をみて、壬生は、言い出しにくそうに話し始めた。
「確かに、最初は横島さんが来る予定だったんです。でも、その・・・どうしても来れない事情ができちゃって・・・」
「だから、その来れない事情ってのは何だよ?」
「・・・・じ、実は・・・」
 壬生があまりにも言い出しにくそうにしているので、3人に緊張が走った。3者3様の想像が頭の中を駆け巡る。横島に何があったのか・・・。しかし、事実は3人の想像をはるかに超えた所に存在した。
「さ、査察が入りまして・・・」
「・・・・へっ?」
「・・・・・・・!!」
「・・・・・?・・・!!」
「美神除霊事務所に、税務署の査察が入って、大量の脱税証拠物件が応酬されたんです。それで、しばらくアシスタントの横島さんも含めて、謹慎処分になりまして・・・あ、横島さんは身の潔白が証明されてるんで、まあ、とばっちりなんですが、協会もこういう事態に横島さんを転属させると美神さんがまた何を企むかわからないと警戒しまして・・・」
「・・・あいつもつくづく災難なやつだな〜」
 雪之丞がかろうじてそれだけいった。タイガーとおキヌはさすがに無言である。こういう事態に言うべき言葉があるとして、それを見つけるのは二人には困難であったろう。
「えーと、そ、それじゃ、横島さんは元気なんですね?」
「ええ、本人はとっても。こっちに来れないのを残念がってました。あ、手紙ももらってきましたから・・・」
 壬生は、懐から封筒大の箱を取り出した。ちょうど筆箱のような厚みで、手紙以外に何か入っているようだった。
「これを、隊長に渡してくれって・・・」
「私に?あ、ありがとう。」
 少し頬を赤らめて、おキヌはその箱を受け取った。中身が気になったが、なんとなくここで開けるのがためらわれたので、おキヌはとりあえずそれを傍らにおいて、話題を転じた。
「では、さっき受け取ってきた報告をしますね・・・」
 他の3人の顔つきが変わる。皆それぞれ、選び抜かれたGSなのだ。
「昨日発見された遺体は、符術師、李 邦嵩さん、33歳。今まで同様、霊体を取り除かれています。彼の所持していた符の霊解析から、彼が戦っているときの状況が把握できました・・・。『魅了の術』ですね。」
「ホウスーさんが・・・」
「知ってるのか?タイガー」
「いや、直接あった事はないんじゃけど、こっちに来たときいろんなGSから噂を聞いてノー、なんでも腕のいい術師なんジャけど、人がよすぎていつもだまされたとか、詐欺に遭ったとかが多くて、皆可哀想だっていっとったノー」
 おキヌが頷いた。
「こういう事はあまり聞きたくなかったんですけど、どうやら彼、最近は家庭にもトラブルがあったそうで・・・。そういった人間への不信感に、つけこまれたんでしょうね。」
「・・・やなやり口だな・・・」
 雪之丞が吐き捨てた。相手の精神の弱いところに付け込み、懐柔し、霊体を奪う・・・そういったやり口は、ある意味人間的なのではないかと、思わないでもなかった。
「それで、霊体を集めて、そいつは何をしようとしてるんでしょうか?」
壬生が尋ねた。
「そうですね、単に栄養とするだけなら、これだけ大量には必要ないはずですし、わざわざ厄介な霊能者ばかり選んで狩る必要もありませんし。私が思うに、おそらく敵の目的は、複合変異だと思います。」
「複合変異!」
 全員が、再度おキヌに注目した。
「ええ・・・。これまでの調査で明らかになった事は、ほぼ同タイプの妖怪が3鬼、ここ数ヶ月同時に出現しています。どれも、霊力の高い人間を標的にして、その霊体を奪い、更にそれをその場で消費せずに持ち去っています。この3鬼が合体してより強力な妖怪になろうとしているとしたら、3体が協調して動いている事も納得できます。」
「すると、奴等は変異に適した、霊的に安定した地区に巣くっている可能性が高いな」
 ここまで聞いて話の本筋を理解した雪之丞が指摘した。
「正解です。そして、今回の場合、その場所は珪山の北部ですね」
 おキヌの回答に、壬生は困惑の、他の二人は納得の表情を示した。
 珪山(けいざん)。伝説でもよく語られる妖の住む山である。しかし常人が踏み入れぬその土地は謎に包まれており、「珪山」という名ですら表記が定まっていない。そこが、この作戦の戦場となる場所であった。複合変異は、同系列の能力ある妖怪が行えば、その力は相乗的に高まり、飛躍的なパワーアップが可能となる。そして、この種の妖怪は、下等妖怪が偶発的に複合した「キマイラ」などとは訳が違う。意図して計画的に生まれた複合妖怪は、下手をすると上級魔族に匹敵する力を持つこともあるのだ。なんとしても、変異前に個別に除霊しなくてはならない。
「ちょ、ちょっと待ってください隊長、北珪山ですか?でも、あそこは余程の能力者じゃなきゃ侵入は無理ですよ?我々4人はともかく他の方々は・・・」
「ええ、ですから助っ人をお願いしたいんですよ」
 おキヌは壬生にむかって、にっこり微笑んだ。
「ま、まさか、4人だけで・・・」
「以前の大戦でも結局動いたのは主要メンバーだけだよ」
 明確に雪之丞が前例を指摘する。
「んじゃ、わっしら3人で1鬼ずつとして、その間結界の保持と雑魚を、壬生に頼むかいノー」
 タイガーが壬生をみた。壬生もやっと、作戦の概要が飲み込めてきた。
「そういう事でしたか・・・。ええ、結界の事なら任せてください。雑魚ってのは、何匹ぐらいいるんですか?」
「そうですね、ざっと・・・・5,6千鬼ってとこですね。」
「・・・・ご、5,6千・・・・」
 新しい隊長は誠に優しく親切で、私などにまでお茶とケーキを出してくれる・・・そう感動していた壬生だったが、どうやら仕事のハードさは、以前を上回るようだ。考えてみれば、あの横島さんが引き受けるはずだった仕事である。壬生は、今更ながらに自分の置かれた立場を再認識した。
「・・・わかりました。微力を尽くします。」

☆ ☆            ☆            ☆            ☆

 大気の揺らぎが鼓膜に直接響いてくる。なんとも形容しがたい高波長域の音と共に、空間が揺らぎ、珪山への道が開かれた。
 身体を斜めにして通れるほどの道を安定化させると、壬生は髪を数本引き抜き、己の指をわずかに切って血を髪に滴らした。真紅の血と髪は混ざり合い、一つの炎となって入り口の上に灯った。
「この道はこの炎と契約したもの、すなわち我々4人意外誰も通る事はできません。この炎が燃えている間は、珪山からの出入りは我々4人意外誰もできないわけです。」
 壬生は説明しながら、しきりに手のひらに人の字を書いている。別に実戦が初めてというわけではないのだが、異国の地で異空間全体を結界で覆いつつその内部で除霊をするなど、サポートとはいえ重要且つ複雑な仕事に、かなり緊張しているようだ。対してタイガー達はごく平静である。新人とはいえ、彼らは大戦、またその後の修行で飛躍的に力をつけ、相当の修羅場をくぐっている。少々の事では動じない。その点、壬生はまだ明らかに経験不足であった。
「では、いきましょうか!」
「はいっ!!」
「おうっ!」
「おっしゃっ!!」
 4人は結界の突入口から敵のテリトリー、珪山へ足を踏み入れた。
「う、美しい・・・!」
 壬生は予想外の珪山の風景に思わずつぶやいた。中国の奥地も人間の開発がいたるところに入り、環境破壊が深刻化しているが、この山にはそういった暗い影がまったくない。絶滅危惧種に指定されている動植物がいたるところに姿を見せており、太古からの原生林がそのまま息づいている。北海道の高山でも見られるお花畑が、森林限界からうえをきれいに染め上げていた。
「太古からずっと普通の人間がたちいれない場所だからな。いってみれば最高の自然保護区ってわけだ。」
 そういった雪之丞の表情も複雑である。「妖怪が潜んでいる荒廃した闇の向こうの世界」と、一般に思われている霊拠点。しかし、実際はそこにこそ本来あるべき自然が残されている。どうやら地球にとって人間は妖怪よりずっと質の悪い生き物のようだ。
「・・・どうですか?、タイガーさん」
 おキヌが、虎に姿を変えて精神感応を発動させたタイガーに尋ねた。
「早速動き出しよったノ・・・まだ首領の3鬼は動かんけど・・・眷族がこっちにむかっとる。あと20分ぐらいでこっちにつく・・・」
結界の突入口は空間移動によって通るものを結界の反対側に送り出す。つまり、円形結界の脱出口の反対側に4人はいるのだ。これは、突入した人間の霊波で突入口の位置がばれない様にするためである。
「では皆さん・・・」
 おキヌが他の3人をみる。他の3人のうち2人は悠然としているが、一人は緊張と武者震いでぶるぶるしていて、なんとも危なっかしい事この上ない。
「お昼にしますよ〜」
 壬生は緊張のあまりの自分の聞き違いかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。おキヌは傍の原っぱに直に腰掛けると、自ら背負っていた荷物からお弁当のおにぎりを取り出し、テキパキとステンレス魔法瓶からお茶をそそいでタイガーと雪之丞に配っている。まだつったったままの壬生の前で、ピクニックが始まっていた。
「壬生さんもどうぞ。お腹空いてたら、力が出ませんよ。」
「ぁ、あの、敵がもうすぐ来ちゃうんじゃ・・・」
 かろうじてそこまでいったが、言葉が続かない。
「慌てんなよ・・・いくらタイガーがいるからって、この原生林の中それぞれ単独で切り込んだら、各個撃破されるだけだろうがっ!ここは敵のテリトリーなんだぜ。」
 雪之丞がほっぺに飯粒をいっぱいつけて、おにぎりをほおばりながら言う。
「そ、それはそうですが・・・」
「敵が何を用意しているかわからんからノー、とりあえず引き付けてあたまが出て来るのを待つ。3体引き離して1体ずつうちらが戦うけえ、壬生はその間眷族と撤退路確保を…ああっ、雪之丞、わしの魚肉ソーセージかえせっ!!」
「何だよ、けちけちすんなよっ、これ大好物なんだからよっ!」
「まあまあ、二人とも、たくさんありますから・・・」
 壬生は、今更ながらに、この3人がなぜ日本では予備兵力にまわされているのか不思議に思った。「戦場」で、ここまで悠然とピクニックとは、並みの精神ではない。

「結界はどのくらい持ちますか?」
 お弁当を食べながらも、おキヌの言葉は常に作戦の最も重要な部分を捉えている。だが、言いながらおにぎりとお茶を壬生に差し出しているので、緊張感はあまりない・・・というか、ややほのぼのとしすぎている。
「ぁ、どうも、恐縮です・・・そうですね、敵の反応にもよりますが、少なくとも5時間は持ちこたえられると思います」
 おにぎりを受け取りながらも壬生は緊張が抜けない。
(前線でここまでのんびりできるのは六道さんぐらいだと思っていたが・・・)
 どうやら、認識を改めねばならない様だった。
 壬生は深呼吸をすると、無理矢理一口でおにぎりをほお張った。食べる事で、少しでもリラックスしたかった。
「んぐっ!!」
 次の瞬間、壬生はそのままの姿勢で前に倒れこんだ。顔を真っ赤にして、ぴくぴくと痙攣している。
「?あの、壬生さん、どうかしましたか・・・?」
「あ〜壬生、あたりひいたのかあ」
 満腹した(もう食った)雪之丞の、のほほんとした声が響く。おキヌには、何の事か分からない。
「あたりって、何の事です?」
「超激辛からし明太子200gいりおにぎり」
「なっ・・・私、そんなのつくった憶えないですよっ!!」
「い〜や、確かにおキヌちゃんがつくったんだぜ、昨夜。憶えてねえの?」
 雪之丞はなにやら人の悪い笑みを顔いっぱいに浮かべている。「昨夜」といわれて、おキヌは一気に真っ赤になった。しかし、昨夜の事はよく憶えていないのだ。朝寝坊してしまって慌ててお弁当を作ろうと思ったら、もうできていた。なんとなく夜のうちに作ったような覚えがあるが、はっきりとは思い出せない。おキヌが恐る恐るタイガーをみると、これまた笑っていた。タイガーはあわてて背中を向けたが、その背中が小刻みに震えている・・・。
事の真相はこうである。
 昨夜、タイガーと雪之丞は、壬生の歓迎会と称して、事務所で宴会を開いた。宴会といっても、参加者は4人だけ、しかもおキヌと壬生はまだ未成年である。20になった二人もさほど飲むほうではない。出発前夜という事もあるし、まあ、出発前の景気付けといった、ささやかなものである。
 この時、おキヌと壬生はジュースで一緒に乾杯したわけだが、実は雪之丞がちょっとしたいたずらをしたのだ。二人がオレンジジュースと信じて飲んだのは、雪之丞手製の、ごくアルコール度の低いカクテルだったのである。案の定壬生は真っ赤になって、タイガーと雪之丞に面白がられたのであるが、おキヌの行動についてはタイガー達の想像をはるかに超えていた。
「おつまみ作りますね〜」と、正気なのかどうかわからない調子でふらふら台所にいくと、やや危うくも見事な手さばきで5種類のつまみを作り、勢いに乗って明日の弁当までこさえると、そのままソファに倒れこんで寝てしまったのだ。翌日の準備をしっかりしてからつぶれると いうのもある意味さすがであるが。つまみはどれもおいしかったが、一品だけ、「するめのしょうが焼き」という、意味不明のメニューが混ざっていた。おにぎりにもその種のあたりが混ざっていたというわけである。
「・・・・もう・・・・二人とも、私がお酒全然駄目だって知ってたじゃないですかぁ・・・・」
 おキヌは首から耳まで真っ赤にしてすねている。言われてみるとうっすらと思い出せるのが更に恥ずかしい・・・
「ハッハッハ・・・しっかし、あんなジュースみたいなカクテル1杯でなぁ・・・」
 雪之丞はまだ笑っている。一方壬生は、辛さで目に涙をいっぱい浮かべてまだ倒れていたが、突然起き上がると、ごくんと口の中のものを飲み込んで言ったのである。
「隊長!うまかったです!!御馳走様でした!!」
 なんとも真面目な、14歳であった。

☆ ☆            ☆            ☆            ☆

「来た様じゃの・・・」
 タイガーの言葉に、全員がぴっと引き締まった。彼の能力は、もはや単なる精神感応ではない。妖怪はもとより、あらゆる生物、霊体の霊波を感知し、その情報を察知できる。人の精神や霊的機能の全てを通してその状態を把握する事ができるのだ。この能力は、壬生の一族の結界術からヒントを得て、タイガーが独自に編み出したものである。
「・・・みいつけたあっ!眷族に紛れて、3体ドデカイのがおる・・・1鬼北、2鬼目は東、3鬼目は西から・・・はなっから分散してきよった!」
「真っ向タイマン勝負かよ・・・気に入ったぜ!!」
 早くも雪之丞は魔装を纏って東に出撃する。
「分散させる手間は省けましたね。ここからは乱戦になります。コンタクトはテレパシーで、逐次タイガーさんから戦況を受け取ってください。タイガーさん、眷族の位置と数はっ?」
「わらわらでてきよる・・・一個大隊、こっちにくるっ!数1万!!」
「げええええっっ!!!一個大隊で1万って・・・」
 壬生がうめく。
「全部で、5万以上はおるっ!!」
「だああああっっっ!!!0一個多いじゃないですかあっ!は、はなしがちが・・・」
「壬生さん!予想以上の数です。ここは・・・」
 おキヌが壬生をみて、にこっと微笑んだ。
「・・・がんばってくださいね。」
「た、たいちょおおっ!1人で5万相手にすんですよお!もうちょっとなんかいってくださいよおっ!!」
「・・・やっぱり、無理?」
 おキヌのその言葉を聞いて、急に壬生は顔付きが変わった。少年の顔ではなく、「男」の顔になった。
「と、とんでもないっ!!楽勝ですっ!やってやりますよっ!!!」
 おキヌは、再度にっこり笑った。壬生にはその笑顔が、誰かに似ているように思えた。

「出撃です!!」
 おキヌの合図に、残る3人もそれぞれの持ち場に散った。おキヌは北へ、タイガーは西へ。壬生は上空に飛び、眷族を迎え撃つ。戦闘が始まった。

☆ ☆            ☆            ☆            ☆

 雪之丞は、敵の首魁の一人に急接近すると、先制攻撃に出た。相手の懐に入り、強烈なパンチをボディに叩き込む。
 ズクッ!!
 雪之丞の拳が敵の身体に突き刺さった。
「なにっ!!」
 驚愕の声をあげたのは雪之丞のほうだった。拳が敵の体に食い込んだ瞬間、罠に気付いたが、もう遅かった。雪之丞の拳は相手の身体に刺さったまま抜けなくなり、更に相手の身体から羽のような触手が何本も伸びて雪之丞を包んだ。
「ぐあああああっ!こ、こいつは・・・」
 どこから現れたのか、囚われた雪之丞の身体に数万のカラスがむらがり、雪之丞の魔装をついばみ始めた。
(こ、こいつらは眷族・・・し、しまった、ねらいはタイガーかよっ!!)
 雪之丞は急速に意識が薄れていくのを感じた。

 タイガーの前には、白く細い尖った羽を持ち、氷のような目をした妖怪が浮かんでいた。顔立ちは人間の女性と似ているが、感じられるものは別物である。美しい顔立ちだが、それだけにその鋭さと危険さが感じ取れた。
(・・・!鳥妖か!)
 次の瞬間、タイガーは、ものすごいスピードの鳥妖の一撃を紙一重でかわした。うっすらと頬が切れる。もうコンマ1秒遅かったら、タイガーの頭部は動体と決別していただろう。
『ふん、よくかわした・・・しかし、次ははずさん。お前ほどの霊能力者なら、我々の悲願を達成するのに十分だ・・・』
 タイガーはその言葉は対して聞いていなかった。ありふれた台詞であるし、目の前の事より雪之丞が気になった。今さっき、雪之丞の霊波が急速に弱まっていくのを感じたからだ。
『お前は今までの手では無理そうだ・・・したがって強引に霊体をいただくことにしよう。死ねっ!!』
 鳥妖が再度さらに急速なスピードで襲いかかった。羽の刃でタイガーを切り刻むつもりであり、万に一つもはずさない間合いであった。
 しかし・・・
 鳥妖の顔面に、タイガーの拳が叩き込まれた。鳥妖は、霊波を込めた恐ろしく重い一撃を食らって後方に弾き飛ばされた。
『な・・・なに・・・私より速いだと・・・』
 タイガーは即座に間合いをつめて第二撃を叩き込んだ。速攻でしとめて雪之丞の援護に向かう必要があった。
 があああああっ!!
 虎の咆哮が響き、鳥妖を捕らえる、その刹那。
 ジャキン!!
 タイガーの背中に、黒い光が突き刺さった。
「グオオオオッ!!」
 思いもかけず背後から攻撃を受けて、タイガーは地面に倒れこんだ。背後には、全身を黒羽で覆った鳥妖が立っていた。
『やるなあ、お前・・・鳥妖の中でも随一のスピードといわれたステルナ相手に、「後の先」をかけるかよ・・・』
『コルブスっ!!助太刀は要らないっていったはずだろっ!』
 ステルナと呼ばれた鳥妖が起き上がりつつ吐き捨てる。ふん、と鼻で笑って、黒い鳥妖が応じる。
『助けてもらって結構な言い草だな。ま、そういう所も好きだけど』
『う、うるさいっ!ちょっと油断しただけだっ』
 そう言いながら、ステルナの頬がわずかに染まっている。どうやら仲間に対しては別の顔を見せるらしい。
(な、ナンジャア?・・・4人いたのか・・・・)
『いや、違うね。東からいったと見せかけたのは、俺の眷族で作ったダミーだよ。あんたが一番厄介そうだったからねえ、用心のためにふたりがかりで来たわけさ』
 そういったコルブスに、タイガーははっとして顔を上げた。
『今、心を読むのかって思ったろ?その通りだよ。』
 マイペースにコルブスが応じる。タイガーは、背中の傷の痛みをこらえながら、必死に立ち上がった。幸い致命傷ではないが、長引くと不利になる。しかも、目の前の黒い鳥妖は一筋縄でいく相手ではない。タイガーは、この敵の霊波から、敵の最も厄介な部分を探り当てた。
(邪眼!!!)
『フフ、敏いね』
 コルブスが前髪を指ですっと分けた。その額に、紅い第3の眼が埋め込まれていた。
『人間から頂戴したんだ。便利なもんだせ、これ。あんたの心も、動きも、霊能力も全部見えるぜ。あんたの能力でも似た事ができるみたいだけど、そんなんでうちらの動きを見ようたあ、ちょっと浅はかだったなあ。霊波で全部物をみようとすると、逆に霊波で目くらましされる・・・。こんな風にね!!』
 そういった瞬間、タイガーは背後から痛烈な打撃を受けた。跳ね飛ばされつつ、それでも2転3転しておきあがると、コルブスもステルナもまったく動いていない。霊波の動きも、気配も、まったくなかった。
『霊波で物をみているやつは、霊波のない攻撃が見えない。俺には、そういう攻撃ができるんだよ』
コルブスは得意げに言うとステルナに向き直った。
『んじゃ、それほどでもないみたいだから、お前はあっちのちっこいお兄さんのほう頼むわ。捕まえたけど、眷族だけじゃおさえきれないだろうからさ』
『ぁ、ああ・・・。あの、コルブス・・・』
『ん、何だ?』
 ステルナは、ちょっとうつむいていたが、急に、
 バッチーン!!
 コルブスの頬をひっぱたくと、『ありがとよっ!!』といって、飛び去っていった。
『いってー。なんだよ、あいつ・・・礼言うならもうちょっとしおらしくできんのかね』
 頬をさすりながら、コルブスは瞬時に動いてタイガーの体当たりをかわし、胴に蹴りを叩き込んだ。タイガーは胃液を吐いたが、それでも身を返してコルブスに蹴りを放った。
 タイガーの巨体から放たれる強烈な回し蹴りは、しかし、タイガーの半分ほどもないような体躯のコルブスに軽々とブロックされた。
『身体の全神経を霊波制御する事で、常人の数十倍の運動力を作り出すか・・・見かけによらず器用な事をするが・・・』
 コルブスはタイガーの足をとると、軽々とその巨体を振りまわしてタイガーを放り投げた。
『肉体がこんなにちゃちいんじゃ、当たったってへでもねーよ!』
 タイガーは岩に叩き付けられ、またも地面を噛まされた。それでもなお、起き上がり、大きく咆哮した。
 ガアアアアアアッ!!
『へえ〜、タフだねえ』
 楽しそうに笑みを浮かべて、コルブスが舞い上がった。黒光りする羽の刃をかざす。
『んじゃ、しばらく楽しませてもらうかね・・・』

 タイガーは苦戦しながらも、逐次おキヌ達に情報を送っていた。
『隊長!僕もタイガーさん達の援護に・・・』
 壬生がまとわりつく鳥の眷族を叩き落としながら、テレパシーでおキヌと交信する。
『いえ、彼らは大丈夫です。それより結界の出口を守ってください。邪眼があるなら、敵はもうその位置を把握しているはずです。破壊されれば、私たち閉じ込められちゃいますよっ!』
『了解っ!!』
 壬生の背後に、数え切れない鳥の大群が迫った。羽の一枚一枚が刃でできた、死の鳥である。
『メンドくせえっ!まとめてくたばりやがれっ!!』
 普段は決して使わない言葉づかいで叫ぶと、壬生は両腕を掲げ、勢いよく振りおろした。空気が揺らぎ、急速な風が竜巻となってまい起こる。ただの竜巻ではない。触れる妖怪をすべて消滅させる「破魔結界風」である。
 ゴオオオオオオオ・・・
 雲がなぎ払われるように、鳥の大群が消し飛ばされていった。

 やっとの事で結界の出口付近に達したとき、壬生は想像もしなかった敵から攻撃を受ける事になった。
「なんだ!?あ、あなたたちは・・・」
 鳥妖の犠牲になって霊体を奪われたはずの人間達が、次々に襲いかかってきたのだ。
『フッフッフ・・・人間と戦うには人間の戦い方が一番ふさわしい・・・こいつらが殺しあって、霊体は更に邪気を高める・・・殺れっ!復讐するのだ!!』
 ステルナの指揮の下、かつて霊能力者であった霊体が一斉に壬生に襲いかかった。
「クソッ、待て!」
 壬生の声を嘲笑いながら、ステルナは結界の出口がある方向に向かおうとした。
『なかなかハードな結界じゃないか・・・おかげで私が直に破壊しなくちゃね。ホントは遊んでやりたいんだけど、また今度な』
 ステルナはそういうと、口から何かを吐き出した。それは見る見る大きくなり、人の形になった。壬生が、よく知っている人だった。
「ゆ、雪之丞先輩・・・」
『そいつの霊体もなかなかいいねえ。人間の狡さ、卑怯さ、野蛮さ・・・そういう物にずいぶん触れてきたみたいだからねえ・・・いい眷族になってくれたよ。』
「き、貴様・・・」
『殺れっ!!』
 壬生に向かって、一斉に霊体達が襲いかかった。壬生は、動けなかった。恐れたのである。敵ではなく、霊体とは言え様々な人生を経験した人間を殺す事が、壬生はたまらなく恐かった。
(戦いたくない・・・でも・・・)
 壬生は棒立ちとなり、どうしていいかわからなかった。

 しかし、次の瞬間、襲いかかる霊体は一瞬にして全て爆発した。否、1体を除いて全て爆発したのである。
『なにっ!!』
 驚愕したステルナに、爆発しなかった霊体が一気に突っ込み、強烈な一撃を加えた。
『ぐはっ!』
「わりいなあ、俺、人に指図されるの嫌いなんだよ!」
「雪之丞先輩っ!」
 壬生が喚起の叫びをあげる。
『き、貴様、どうして・・・』
「てめえの洗脳も結構うまかったがよ、ちょっと相手を間違えたなあ」
 雪之丞はすばやくステルナのバックをとると、その羽を引き千切った。
『ぎゃぁあああああっ!!!』
「俺はよっ!ママ以外の存在にゃすべてに反抗する事にきめてんだよっ!!」
 世界一質の悪いマザコンである。
 地面に叩き付けられたステルナの前に、壬生が立った。
「封印!!」
 壬生の言葉と共に、大地の土が盛り上がり、ステルナを包んだ。土は球形の塊になり、激しい光を出すと、中の鳥妖を押しつぶしながら、どんどん小さくなっていった。
 球形結界が完全に収束すると、壬生は、雪之丞に駆け寄った。
「先輩!!あ、ありがとうございました。自分は・・・自分は・・・」
「てめーなに考えてんだよっ!お前が殺されて、奴等が変異したら、囚われてる霊体が浮ばれるとでも思ったのかよっ!」
 雪之丞に叱責されて壬生ははっとなった。確かに雪之丞の策がなければ、壬生はとっくにあの世行きである。壬生だけではない。結界が閉じられて、仲間全員が死ぬところだったのだ。
「す、すみません・・・」
 壬生は消え入りたいほどだった。自分の迷いでみんなを殺すところだった・・・。うつむいている壬生に、ちょっと言い過ぎたかと思った雪之丞だったが、口に出してはこういった。
「自分の命最優先で考えねえから、そういう事になるんだよ・・・」
 そして、いったん魔装術をとくと、ポケットから護符を一つ取り出した。雪之丞が念じると、護符は光を放ち、続いて爆発した霊体があった場所が光を放ち、そこから鎮魂され、昇天していく霊体達が見えた。
「!!!先輩!ちゃんと霊体保護してあげてたんですか?」
「何だぁ?おまえ、俺が美神みたいな血も涙もない奴だと思ってんじゃねーだろーな?」
「せ、先輩っ!!!!」
「うわっ!気色ワリイ、抱きつくなっ!!まだ終わってねえんだぞっ!タイガー達が戻るまでここで脱出路を確保する。気合入れろよっ!!」
「はいっ!!」
 答えながら壬生は、2部に配属してくれた美神隊長に、心から感謝していた。

☆ ☆            ☆            ☆            ☆

(裏切ったな・・・お前だけは信じていたのに・・・)
(殺してやる・・・みんな、殺してやる・・・)
(みんな、みんなうそだ・・・私をだまして、笑ってるんだ・・・)
 おキヌの耳に、絶えず声が流れていた。その呪詛の声の中に、別の声が混じっているのを、おキヌははっきりと知覚していた。
(・・・・なぜ、守ろうとするのだ?なにを、守ろうというのだ?)
(・・・おまえも、裏切られているのだぞ?それなのに、なにを守るというのだ?)
「あなたですね・・・私に問いかけるのは」
 おキヌは、前方の闇に向かっていった。
(くっくっく・・・)
 含んだ笑いが聞こえ、闇の中に、灰色の羽を纏った鳥妖が現れた。澱んだ、それでいて吸い込まれるような暗い眼から、息が詰まるような暗い瘴気が漂っている。
『闇を見つめ返すかよ・・・豪胆なカマトトよ。私はラルス。最も人間を愛している妖怪だ・・・』
「あなたは、愛する人々を滅ぼす事でしか、自分を確認できないのですか?」
『私は世界中を飛んだ・・・海から海へ、そう、すべての人界をな・・・そして知ったのだ。人間の言う愛は、殺す事であるとな・・・』
「可哀想に・・・」
 おキヌの言葉に、穏やかであったラルスの声が急に怒気を帯びた。
『黙れ!!貴様もその笛で死霊を繰るのであろう!我の死を望み、己の愛のために人を殺すのであろう!!そのような輩が、私に哀れみなど、笑止の極みよ!!』
「私はあなたを殺さない・・・誰も殺さない・・・私も生きる事が好きだから・・・」
『私はこの6000年、幾たびも人に殺されてきたのだ!!愛されるたびに殺され、ついにこんな姿になってしまった・・・それならば、私も愛そうではないか!全ての人間を愛し、全ての人間を殺してやる・・・そのための身体が、もうすぐ手に入るのだ・・・』
 おキヌの周りに、無数の死人の霊体が立った。おキヌは、身じろぎもせず、ラルスを見つめている。
『フフ・・・笛は鳴らんぞ・・・ここは私の聖域。何人も我が子を操る事はできぬ・・・』
「私は操らないわ・・・彼らは、もう愛を知っているから・・・彼らは、あなたにも、誰にも操られないわ」
『世迷言を・・・ならば、貴様も我が子になるがよい・・・』
ラルスはそういうと、弱々しく羽を広げはじめた。ぼろぼろに破れた羽・・・。しかし、少しでも恐れれば、常人でなくともその羽の一つ一つから放たれる闇に取り込まれてしまうであろう。ゆっくりと羽が開いていく。開ききったとき、全ては闇となるはずだった。だがそのとき、おキヌの背後でわずかに光が輝き始めたのに、ラルスは気付かなかった。
『さあ、我が子らよ、我の新しい肉体を得るため、新しき姉妹を迎えるのだ・・・』
 霊体達がおキヌに近づく。おキヌから霊体が出て、ラルスに取り込まれるはずであった。
 しかし・・・
『なぜだっ!!なぜ動かぬ!』
 ラルスの羽は、半ば開きかけた状態で停まった。おキヌの周りの霊体の動きが止り、あえぐように何かを叫び始めた。
(帰りたい・・・帰りたいよ・・・・)
 霊体は一人、また一人と膝を突き、苦しみ始めた。皆口々に叫ぶ。「帰りたい」と。
『なぜだっ!貴様、なにをしたっ!!』
「私は、何もしないわ・・・これは、あなたが望んだから・・・」
『なに・・・・!!!』
「あなたは愛する事を知っているわ・・・だから、彼らを取り込む事ができなかった。あなたが望んだから、あなたが帰りたいと願ったから、彼らは自我を取り戻したのよ・・・」
『馬鹿な、私は・・・・』
「人を愛すれば、悲しみは必ずやってくるわ・・・あなたはその悲しみが恐かった。そして、彼らにその悲しみを与えたくなかった。でも、あなたも彼らに、私があなたに抱いたのと同じ事を思ったはずよ・・・可哀想だと・・・」
『わ、私は・・・』
「あなたも、帰りたいのでしょう?」
 おキヌの背後の光が眩しいほどに増している。おキヌの背後から光るその光の珠は、ラルスの闇を照らした。

『わ、私は・・・』
「帰りましょう・・・あの、暖かい場所へ・・・」
 おキヌは笛をくわえた。不思議な事に、笛は美しい音色で鳴り響いた。
 ラルスは、その光と音をどこかで感じたような気がした。遠い遠い昔・・・あれは、あの頃は・・・あの場所は・・・あの人は・・・

 暖かかった。

 ラルスは目を閉じ、そっと、つぶやいた。

『ああ、帰りたい・・・・』

☆ ☆            ☆            ☆            ☆

『くっ!!』
 コルブスは、急にあごに痛烈な一撃をくらい、思わずのけぞった。さすがに息が上がってきた。もう100回以上殺しているはずなのに、目の前の虎はまだ立ち上がり、反撃してくるのだ。
「やあ、やっとすんだ様じゃノー」
 タイガーの呟きに、コルブスは奇妙な不安を覚えた。
『なんだっ!なにを企んでるっ!』
「邪眼で探ってみればいいじゃローが」
 はっとして、コルブスは気付き、愕然とした。埋め込んだ邪眼に何の痛覚もなかったので、きづかなかったのだ。彼の邪眼は、完全に割れ、能力を失っていた。あごへの1撃は囮で、実はタイガーは瞬時にコルブスの邪眼を隠し持っていた小石で叩き潰したのだ。
「人間から奪い取った人工邪眼なんぞ、過信しとるからこんな子供だましに引っかかる・・・教えちゃるがの、その人工邪眼は中国の邪法師が作ったマガイモンでノー、霊波を受けすぎてその許容範囲を超えると効力を無くす、香港で有名な不良品なんじゃ!!」
『!!!』
 驚愕したコルブスに、タイガーが襲いかかる。スピードといいパワーといい、今までとは比べ物にならない。
『馬鹿な・・・今まで何百人の霊波を受けても何ともなかったのに・・・たかが貴様一人の霊波で、オーバーロードしたというのかっ!!』
「あんたが一番厄介そうだったんでノー、おキヌちゃんが一仕事終えるまで、時間稼がせてもらったんじゃ!!」
『お、おのれえええええええっ!!!』
 すっかり逆上したコルブスとタイガーが組みあう。ちなみに、タイガーの言葉は半分はホントだが、半分うそである。邪眼の効果がなくなるまでは、反撃しようにも全て見抜かれてしまい、反撃できなかっただけなのだ。実際邪眼の効果が薄れてきて、タイガーもはじめてその事を思い出したのである。最初からそのような策を練っていれば邪眼で見抜かれてしまったはずだが、今回ばかりは出たとこ勝負の作戦が効を奏した。
『時間稼ぎだと・・・ふん、あのような戦闘力のない小娘に、ラルス様がおくれをとるものかっ!!貴様ひとりごとき、3人で簡単にひねりつぶして・・・』
「悪いけどなあ、もう残ってるのお前だけだゼ」
 いつのまにか、背後に雪之丞と壬生が立っていた。さすがにぼろぼろであるが、二人とも眼だけは精気に満ちている。
『馬鹿なっ!!眷族をすべて倒しただと!!貴様らごときに・・・』
「あーあ、自分の目じゃ、何にも見えねえ奴だなあ。教えといてやるけど、うちらのナンバー1は、俺でもタイガーでもねえよ」
『!!!』
 その瞬間、タイガーがコルブスをねじ伏せると、雪之丞のいるほうに放り投げた。
「縛!!」
 壬生が、空中でコルブスを呪縛する。コルブスは逆さまの状態で宙に貼り付けられた。
『・・・馬鹿な・・・ラルス様が負けただと・・・あんな小娘が、尊き永劫の闇を消しただと・・・』
 雪之丞が、拳に霊力をためつつ、コルブスの前に立った。
「戦ったら負けちまったろうけどなあ・・・最後にもう一つ教えてやる。うちの隊長はなあ・・・・戦わないから強いんだよっ!!!」
 雪之丞が拳を叩き込み、コルブスは黒い光を放って、消滅した。
 ふうっ、と、息をつくと、雪之丞は魔装をとき、壬生とタイガーにむかってニッと笑ってみせた。
「さて、帰るぜ!お強い隊長さんにボーナス請求しないとな!」
 3人は笑いながら、結界の出口へと向かった。その背後で、コルブスのいたあたりが暖かく光っている事に、3人は気付かなかった。

☆ ☆            ☆            ☆            ☆

「ええっ!あのカラス野郎も鎮魂したのっ!」
 帰りの車の中、おキヌの話を聞いて3人は開いた口がふさがらなかった。
「ええ、それが私の仕事ですから・・・」
 おキヌはこともなげにいった。
「徹底してますねえ・・・・」
 壬生は感心したのかうんうんと頷いている。
「しかし、1度にあれだけの霊体を鎮めるとは、やっぱり天才っているもんじゃノー」
 タイガーの言葉を、おキヌは笑って否定した。
「フフ・・・まさか!私の力なんかで、鎮魂なんか1体でも無理ですよ。鎮魂は基本的にその霊体の自我が行うんです。私はきっかけを作るだけですよ。」
「きっかけねえ・・・」
 雪之丞が、何かわかったようなわからないような様子でおキヌの言葉を反芻している。
「でも、あれだけ広範囲にわたる場所を、どうやって鎮めたんですか?」
 そう尋ねる壬生に、おキヌはすっと手のひらを差し出し、持っていたものを見せた。
「これは・・・文珠!!」
「実は、横島さんが、手紙と一緒に何個か送ってくれたんですよ」
「そうだったんですか・・・」
 1部にいたとき、壬生は横島によくカップラーメンなんかを分けてもらったものだが、こういう所に気がまわる人にはみえなかった。いっつも女の人ばかり見ているあの人も、ちゃんと影で味方の援護をしている・・・。ひょっとしたら隊長だからなのかな、と、ふと壬生は思ったが、口に出しては別の事を言った。
「これで中国での仕事は一通り終わったわけですけど、隊長はこれからどうなさるんですか?」
「私は、日本に帰ろうと思っています。まだまだ修行も必要ですしね。」
「2部もこれで実質的に活動を終えたわけだし、そろそろ新しい人材もくる。そうなったら、おまえもまた転属する事になるだろうな。」
 ハンドルを握る雪之丞がいった。壬生は、急にものすごく気が重くなった。せっかくこんないい部に入れたのに…。知り合いのいない部署に移されればまた大変だし、ましてやエミの元に送り返されたらと思うと、果てしなく憂鬱だった。
「はあ・・・・・じゃあ、先輩達も帰国なさるんですか?」
「いや、おれたち二人は香港に残る。」
「えっ!!」
「念願の個人事務所を開こうと思ってノー。香港は日本より仕事が多いし、ギャラもなかなかいいけえ、二人共同経営で稼ごうとおもっとるんジャがノー」
「そうなんですか・・・おめでとうございます!」
 後半は無理に大きな声で言ったが、壬生はさみしかった。日本に帰ったら、二人にはなかなか逢えなくなる・・・。そんな壬生を横目で見ながら、雪之丞が言った。
「それでよ、よかったら壬生、うちのアシスタントにならないか?おまえも一緒にうちで働かないか?」
「えっ・・・・」
 余りの事に、壬生は何も言えなかった。3人で一緒に働ける・・・。一呼吸の間を置いてそう認識したとき、壬生は猛烈に湧き出してきた感動と喜びで跳び上がり、車の天井に頭をぶつけてしまった。
「よ、喜んで!よろしくお願いします!!壬生周達、一生懸命働きます!!どうぞ、何でも何なりと御申しつけください!!!」
「何なりとって・・・別にまだやる事はねえよ」
 雪之丞の言葉に、壬生は再度跳び上がった。
「そ、そんなああっ!たった今雇うって言ったじゃないですかぁ!!!」

その反応に爆笑する3人と、マジで半べそをかいている1人を乗せて、車は1路、香港に向かっていた。

−完−
 
 
※この作品は、shinshoさんによる C-WWW への投稿作品です。

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