T The first meeting――私は彼女と再開する――


――見つけた……見つけたぞ……メフィスト。会いに行くぞ。今――

――1999年 11月5日 11時35分 妙神山――

 妙神山。ドラゴンズ・ホース(神の住む山)と呼ばれるこの山は、古来より、日本における地脈の中枢。竜神の山として下界に住む人々から恐れられてきた。
 また、より強大な力を欲するものにとっては、生死を分け、命がけの修行を受け、その試練に打ち勝つことが出来れば、人を超えた力を手にいれられるとまで語り継がれてきた。
 そのよーなことを鬱々と考えながら、現、妙神山管理人、小竜姫は今日何度目かのため息をついた。
 実際、そのようなことではいけないのだろう。管理人としては。彼女の師や、その数百倍は恐ろしい彼女の姉に知られたら…………考えただけで恐ろしい。
 よって小竜姫はまず、再び出かけたため息を押し殺し、その次に目の前の事態に集中することにした。つまり……
「ねえー、小竜姫ー。ひまでちゅー。ヨコシマはいつ来るんでちゅかー?」
 不満と退屈を惜しげもなく爆発させ、とりあえず小竜姫のお気に入りの湯呑み茶碗セットで『ぼうりんぐ』をして遊んでいるらしいパピリオに向け、小竜姫は血戦の覚悟を決めながら無表情に告げた。
「横島さんたちは今日は来れなくなってしまったそうです」
 沈黙。
 その沈黙の中で、小竜姫は無表情に、持ってきていた木刀を構えた。神木から切り出したこの木刀は、そう簡単なことでは折れないはずだ。
(もうっ! 美神さんのバカっ!)
 次の瞬間。暴走を始めたパピリオの渾身の一撃が、小竜姫の物思いを吹き飛ばした。

――同刻 アマゾンの辺境(現地時間 11月4日 22時35分)――

「それにしても今回の仕事はいつもにも増して不気味っすねー」
「話し掛けるんじゃないの! せっかく集まってきた霊が逃げちゃうでしょ!?」
「それにしたって……今回は依頼人からしてなんか変だったじゃないですかー。美神さん、またなんかやばい仕事に手ェ出したんじゃないでしょうね?」
「話し掛けないでって…………言ってるだろうがっ!! このスカポンタンッ!!」
 夜の森にコークスクリュー・ブローが唸る。潔くその殺人パンチを人中(鼻の頭。人体急所の一つ)で喰らいながら、横島は嘆息した。ついでに鼻血などぬぐいつつ、美神の隣でいつものようにおろおろしているおキヌに向かって『大丈夫だから』と手で告げる。
 その美神が言う。
「横島君。おキヌちゃん。今回の敵は本っっっっっ当にたちが悪いのよ。油断してたら、まあ死ぬのはいつもおんなじだけど、今回は『油断してたら死ぬ率』が、いつもにも増して高いのよ! しかも…………今回の敵の特性からすると……」
 美神が言葉を切る。横島は深く考えず続きを聞いてみた。
「すると?」
「……あんた一人じゃなくってチームが全滅する可能性が高いのよっ!! あんた一人のミスでっ!!」
「ぐほっ!?」
 絶叫と共に振り下ろされた神通棍を脳天に喰らい、さすがに流血しながら悶絶する。
「み、美神さん……落ち着いて……霊が逃げちゃいますよ」
 おキヌの言葉に美神は我を取り戻したようだが、すでに流血して倒れている横島にとっては、まあ、あまり関係のないことかもしれない。
「ところで美神さん。今日は何でシロちゃんたちを置いてきたんですか? 低級霊の集団なら、シロちゃんやタマモちゃんの方が……」
 おキヌが問う。さりげなく背後に横島をかばいつつ。
 それに対する美神の返答は、素っ気ないものだった。
「おキヌちゃん。犬や狐の最も苦手とするものってなんだか知ってる?」
「えっ?」
 突然逆に聞かれて、混乱するおキヌ。犬族の苦手とするもの。それは…………

――同刻 東京 美神除霊事務所――

「拙者は狼でござるぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
「何やってんの? あんた」
 屋根の上で悲しげな遠吠えをあげる『人狼』のシロを下から眺めつつ、タマモは素直に疑問符をあげた。
 屋根の上のシロは、聞いた様子もなく叫び続ける。
 きっとそのうち飽きるだろう。無責任にもそう結論付け、とりあえずタマモは事務所の中に戻った。倉庫の中からカップきつねうどんを取り出し、お湯を注ぐ。5分と『作りかた』には書かれているが、タマモは4分弱でカップを開ける。5分も待ったらうどんが伸びてしまうし、何より、彼女がこの世で自らの次に愛する油揚げがデロデロになってしまう。一度それをやった後は、タマモはカップ麺の時間設定は信用しないことにしている。
 タマモが事務所のソファに寝そべりつつ、うどんを食べていると(当然、家主がいないから出来ることである)、何やらげっそりしてシロが帰って来た。
「ううっ、ただいま……」
「お帰りー」
 のんびりと応え、箸でつまんだ揚げを口に持っていく――
 ――ぱくり。食べる。
「ううーーん。幸せ……」
「何を言っとるでござるかおまえはーーーっ!!」
 シロが絶叫する。うるさい。
「何よー、なんかつらい事でもあったの?」
 とたんにシロの元気がなくなる。そして、
「いや、何となく今日、今さっき急に悲しい気持ちが溢れて来て、居ても立っても居られなくて……」
「……そんな理由で私の至福のひと時を邪魔したの? あんた……」
「そ、そんな理由とは何でござるかっ! 誰にだってそういう時はあるものでござるっ! 横島先生だって、昔はよく『ネエちゃーーん!!』とか、『チチシリフトモモーーっ!!』とか叫んでいたではござらんか!」
「……あんた、本っっ気でアイツになりたいの……」
 思わず脱力してしまう。この犬は……
 そのくだりで思い出したのか、シロが言う。
「そういえば先生たち大丈夫でござろうか……」

――同刻 アマゾンの辺境(現地時間 11月4日 22時50分)――

「美神さん……私よおく分かりました。シロちゃんたちを連れてこなかった理由……」
 おキヌが言う。美神はそちらを見つつ、
「そうでしょ? こーんなところにあの犬2匹を連れてきたら、あいつら発狂しちゃうわよ? ほんとに」
 こんなところ。というのは実は…………野犬の縄張りなのだ。
 犬族はもともと縄張り意識が強い。それに加えて、シロは性格的に問題ありであるし、タマモは狐。狐が非友好的な同族と出会ったときの態度は、人間どころか、羆でも裸足で逃げ出しそうであるのだ。
 その上今は除霊中。野犬に手を出させるわけにはいかない。我慢は体に良くないというが、こういう状況下での我慢は、最悪、死につながる可能性すらある。
 おキヌはまだ気絶したままの横島を膝枕しながら、黙って相槌を打つ。しかし、
「でも、私もかなり怖いんですけど……この状況」
「文句いわないの。結界を張ってあるから大丈夫よ」
「この結界って低級霊用…………」
「っ……だ、大丈夫よ! 犬族は霊感が鋭いから、霊気を感じればそう簡単には近づいてこれないわっ!」
「でも、周りをぐるぐる回ってますよう……」
「大丈夫! 私の言葉を信じなさい!」
「ううっ…………」
 美神の言葉を信じるというよりは、すがりつく思いで野犬の群れを悲壮な顔で見つめるおキヌ。美神の顔にも、ひそかに冷や汗がたれている。
 夜の森は危険だ。野犬のほかにも、野鳥(肉食の)。吸血生物(ヒルや蝙蝠など)。そして……
「美神さんっ!! あれ!!」
 木の上を指差して叫ぶおキヌ。そこには……
「さ、猿ぅ?」
 そう、そこにいたのは猿の群れだった。
 猿は知能が高い。その上雑食だ。つまり、頭が良くて、何でも食べる。野犬とは違い、低級霊相手の結界に引っかかってくれるとは思えないし、数が多い。こういうときに役に立つ横島の文珠も、その横島が気絶していては使えない。
 その上。
「み、美神さんっ!!」
 ほとんど泣き顔になって叫ぶおキヌ。今度は何かと振り向く美神。そこに見たものは、当初の作戦目標…………
「あ、現れたわねっ!! 親玉がっ!!」
 現れた巨大な自縛霊に向かって叫ぶが、攻撃するには結界を解かねばならない。結界を解けば、犬や猿は大喜びで攻撃してくるだろうし、逆に解かなくても、この結界は低級霊用。頭上の猿や、現れた巨大な悪霊を押しとどめることは出来ない。
 絶体絶命。そんな言葉が美神の脳裏によぎる。
「おキヌちゃん! あの悪霊を操ることは出来ないの!?」
「無理ですよーっ! あんな大きい悪霊っ!!」
 考える。こいつに対抗できるのは……
「ええーいっ!! 起きろ横島ぁーっ!! あんたの文珠であいつを吹き飛ばすなりもっと強力な結界張るなりせんかーっ!!」
「み、美神さん! そんなことやってる場合じゃ……!」
 気絶したままの横島の頭を殴りつつブルンブルンと振り回している美神に向け、おキヌがあわてて言う。
「そんなこと言ってる場合じゃないのよおキヌちゃん!! こいつを何とかして起こさないと私たち全滅なんだからね!!」
「気絶させたのは美神さんじゃないですかーっ!!」
 おキヌが叫んでくるが、聞いている場合ではない。すでに悪霊は結界を壊しにかかっているし、猿はどんどん結界の中に入り込もうとしてくる。
「ええーい!! 入ってくるな!!」
 入り込んできた猿の脳天を先程の横島のように神通棍で殴りつけながら、そのまま横島のわき腹を同じように殴りつける。
「み、美神さんっ! 何するんですか!? これは猿じゃなくて横島さんですよ!?」
「いいのよっ!! どうせサル(Mr○パ○グ)とほとんど同じ顔なんだからっ!! というわけでおきろーーーーーーっ!! よ・こ・し・まぁーーーーっ!!」
「美神さんーっ!! 頭はダメですっ!! 頭はっ!!」
 横島の頭を神通棍でタコりまくる美神。それを必死で止めようとするおキヌ。何度も言うがここは夜の森。それも原生林。富士の樹海も真っ青の掛け値なしの原生林の真ん中だ。
 今現在の苦難に更なる苦難が覆い被さることも充分考えられる。
 密林の危険。……大蛇。……蜂。……ヒル。……湿気。……蜘蛛。いろいろな(一部個人的意見含む)危険が美神の脳裏にリストアップされる。夜中の森でこれだけ騒げば、今、この中のどの危険が迫ってきてもおかしくはない。
 しかしさし当たって問題なのは…………忘れていたわけではない。今現在の状況。
 やはりキャンセルすべきだっただろうか。
 いや、成功報酬10億。キャンセルなど出来ない。しないのではなく物理的に出来ない。出来るわけがないではないか。
 とりあえず状況分析からだ。
 自分はたいした怪我もしていない。しかし、横島=文珠が使えない。おキヌは今、その横島を控えめに起こそうと努力しているらしい。しかし、頭から明らかに致命的と思われるほどの出血をしている横島には無駄な努力だろう。ちょっとやそっとのヒーリングでは、これほどの傷は癒せない。
 おそらく横島はあと30分は目覚めない。
 結界はあと10分も保たないだろう。猿もどんどん押し寄せてくる。野犬の群れが突撃してくるのも時間の問題だ。
 絶体絶命。四面楚歌。背水の陣……
 絶望的な単語が脳内に連続して刻まれる。こうなったら横島の荷物に入っているウージーサブマシンガンの火力を持って事態の解決を図るか?
 いや、野犬や猿はともかく、ウージーで悪霊は倒せない。今回の弾丸は銀弾ではないのだ。
 ではおキヌにウージーを連射させつつ、自分は悪霊をシバく。これならどうだ?
 しかし、おキヌにウージーが扱えるとは思えない。最悪、変な方向に乱射して、結界を壊してしまう恐れすらある。その前に、予備の弾丸も少ない。野犬や猿。全てを殲滅することは不可能だろう。
 再びどん詰まり。
「美神さーん……やっぱりシロちゃんたち連れてきたほうが良かったんじゃ……うう……」
 おキヌの声はすでに泣き声に変じている。
 美神はその声に向け言い返した。大声で。
「何よっ!! 私が悪いって言うの!?」
 自分でも何を言っているのかと思ってしまう。それを自覚し、言い繕う。
「こ、こんなところにあいつら連れてきたら、大変よ!? あいつら加減知らないから、結界を壊されて悪霊と戦ってるうちに猿と犬に食べられちゃうのよ!? あんたそれでもいいの!?」
「だってぇーー……」
 そんなことを言い合っているうちにも、結界は徐々に壊れつつある。迷っているひまはない。
美神はほとんど破れかぶれで神通棍と破魔札を構えた。

――メフィスト……何を困っているのだメフィスト……お前は何も変わっていない。千年前と……私と違ってな……メフィスト。私はお前を愛しているのだと気づいたのだよメフィスト……50年ほど前だったかな、人間が私に教えてくれた唯一のことだ。しかし、感謝しているよメフィスト。あそこで棄てられなければ私はアシュタロス様と運命を共にしていただろう。お前に会わなければ私はそれでもいいと思ったかもしれん。……しかし私はお前に出会った。そしてお前を取り逃がした。結果としてそのために私は生き長らえたのだよメフィスト。お前はこの千年の間に何を見た? 私はそれを知りたいのだよメフィスト。お前は菅原道真に捕まったのか? それともあのまま逃げ切ったのか? 教えてくれメフィスト。君は何故……君は何故…………人間の姿をしているのだ?――

――11月5日 12時00分 東京 美神除霊事務所――

『プルルルルルッ プルルルルルッ』
「はいっ! 美神除霊事務所でござる!」
 電話のコール音が鳴り始めた瞬間からダッシュ開始。その勢いを維持したまま受話器を取るシロ。
 タマモはそんなシロをソファーからぼんやりと眺めつつ、今夜の夕食のことを考えていた。出来ればきつねうどんが食べたいが、先程昼食に食べたばかりなので、たまには違うものを食べようか……などと思ってみる。
 稲荷寿司がいい。
 前に一度食べに連れて行ってもらったあと、出来ればもう一度食べてみたいと常々思っていたのだ。幸い、『仲良くしててね』と、おキヌに食事代は十二分にもらっている。
 そのとき、シロのやかましい声が響いてきた。
「えっ!! 先生の先生でござるか!? あなた様はっ!?」
 先生。シロがそう呼ぶのはアイツ……横島忠夫を置いて他にいない。その先生ということはつまり、横島の先生ということになる。
 そんなことを考えていると、これまたやかましい足音がどかどかと響いてきた。
「タマモ!! タマモ!! 凄いでござるよっ!! 何かとっても偉い人が電話してきたでござる!!」
 余りにも予想どうりの言葉に却って感心しながら、とりあえず言葉を返す。
「先生の先生ってことでしょ? 横島の先生がどうかしたの?」
「違うでござるっ!! 確かにそれも凄いことでござるが、もっと凄いことでござる!!」
 何か、どうやら違ったらしい。どの程度の凄さなのかは分からないが……
「凄いって何が?」
 素直に聞く。
「神様でござるっ!! 神様が家に電話してきたんでござるよ!? これはホントに凄いでござる!! しかもその神様が先生の先生……つまり先生は神様の弟子なんでござる!! つまりその先生の弟子の拙者は神様の孫弟子になるのでござるっ!! 拙者、生きてて良かったでござるっ!! ワオーーーーーンッ!!」
 え……………………?
 神様……………………?
「か、神様ってどういうこと? シロ……?」
「よくは分からんでござるが、『神族』とか言っておったから、多分神様でござろう? ええーっと、名前は……」
 考え込むシロ。今さっき聞いたばかりにも関わらず、嬉しさにかまけて名前をど忘れしてしまったらしい。いらいらする。早くしろ。
「名前は?」
せっついてみる。
「えぇぇぇーーーっと…………」
 まだ出てこないらしい。次に訊いて出てこなかったら狐火をぶち込もう。
「名前は……?」
「ううーーーーーーん……………………。思い出したっ!! たしか……」
 よっぽど嬉しいらしい。尻尾をちぎれんばかりに振りつつ叫ぶシロ。
 たしかなんだ? 早く……
 シロは自信にあふれる声で言い切った。
「たしか小竜姫という方でござる!」

――12時07分 妙神山――

 小竜姫は疲労していた。
 パピリオとの死闘の後、後片付け等を一人で行っている。ちなみにパピリオは泣き疲れて眠ってしまっている。今は彼女が本当にうらやましい。
 たった今、美神の事務所に電話してみたところ、案の定彼女と横島、それにおキヌは留守だった。地球の裏側まで除霊に行ったらしい。帰ってくるのはどんなに早くとも明日。それも夜遅くだ。
 つまりパピリオの機嫌をとる手段は現状では何もない。彼女も体力を使い果たしたようなのでしばらくは目覚めないだろうが、明日の今ごろのことを考えると今から憂鬱になる。
 唯一、他に手段があるとすれば、魔界にいる彼女の姉に会わせることだが、魔界までその旨の通知を送って、その返事が返ってくるのは3日後。その上、軍属である彼女の姉は、今どこにいるのかも分からないのが現状だ。
 小竜姫は孤独な思いを噛み締めつつ、黙々と壊れた鬼門の後片付けをする。悲しげな鬼の顔が、何か妙に心を慰めてくれるような感じだった。鬼門の二人も気絶中なのだ。
 青空の下で不毛な仕事。気分はどんどん鬱な方向に傾いてくる。早く温泉に入ってのんびりしたい。それが今の小竜姫の切なる希望だった。
 しかし……
『ジリリリリリリン ジリリリリリリン』
 建物の中から、昔懐かしい黒電話の音が聞こえてくる。電話だ。早く出なければ。
 彼女は急いで建物の中に向かう。痛む足と脇腹を庇いつつ……
 ようやく電話の前にたどり着く。気の長い人らしく、電話はまだ鳴り続けていた。受話器を取る。
「はい……こちら――」
『さっきの神様でござるかっ!?』
 いきなり先制攻撃で耳にキーンとくる声をまともに浴びせ掛けられる。まだ声を聞く体制が整っていなかったところにこれはこたえる。
 声はさらに続く。
『ええーっっと、拙者はシロでござる!! あっ、名前さっき言ってなかったでござるな!! さっき電話に出たのでござるよ!!』
 それは声を聞いて一発で分かった。というより、この声を忘れろという方が無理な話だろう。
 こちらが何もいえないでいるうちに、声はさらに続いていった。
『あの、拙者は横島先生の一番弟子なんでござるが!! 神様は先生の先生ということでござったな!? どうすれば先生みたいに強くなれるか教えて欲しいでござるよ!!』
 半分放心状態だったが、脳は便利なものだ。大体の状況分析を勝手に行ってくれる。それによると、彼女は横島の弟子で、彼を慕っている。そして、彼のように強くなりたいと思っていて、そのために小竜姫にアドバイスを求めようとしている。
 ついでに…………彼女は小竜姫の名前をしっかりと覚えていないに違いない。先程しっかりと名乗っておいたはずなのだが……
 それでもやはり体は便利なものだ。小竜姫自身の意識とは離れたところでやんわりと受け応えている。
「ええーっと、私は小竜姫です。先程も名乗りましたが……そちらはシロさんですよね……?」
『そうでござる!!』
 やはり元気がいい。普段ならともかく、今はこちらは本当に疲れている。出来れば話したくない相手ではあった。
 しかし、それを表に出すわけにはいかない。我慢してやんわりと言う。
「私はここに修行を行うためにいます。そして、ここはあなた方俗界の人間が修行をするためにある場所。アドバイスが聞きたいのなら、まず、ここに来てください。普通、私は電話で修行予約など取っていませんから……」
 妙神山の人間界の電話番号を知っているのはごく一部の人間だけだ。美神や横島の関係者だからといって、そう簡単に例外に加えるわけにはいかない。
『しかし拙者留守番が……』
 受話器の向こうで何やら言い合っているらしい。そのような音が聞こえてくる。しばらくして、違う声が受話器の向こうから聞こえてきた。
『すみません……うちのバカ犬が。小竜姫様でしたっけ……』
 小竜姫は半ば以上ほっとしながら言った。
「ええ。それであなたは……?」

――同刻 東京 美神除霊事務所――

『ええ。それであなたは……?』
 電話の向こうから、何やら本気で疲れている様子の小竜姫が言ってくる。
 まあ、シロと今初めて会話したのなら無理もないだろう。とりわけ今のシロは普段の推定2・5倍は興奮している。
 タマモはそのシロを見やりながら応える。
「私はタマモ。九尾の狐――妖狐です。さっきのバカ犬シロと一緒に、わけあって美神さんのところに居候してるんです」
 ちなみにシロは幻術によって作り出された野犬の大群と格闘している……
「このっ!! ただの犬ふぜいがっ、人狼に勝てるとでもっ、思ってるでっ、ござるかぁっ!?」
 当然、幻術によって作り出されたまやかしなのでいくら切っても殴っても数が減ることはない。シロ相手になら、この会話が終わるまでぐらいなら充分騙し通せるだろう。
 そう胸中で打算し、タマモは小竜姫との会話に意識を集中することにした。どうせ後で美神に怒られるのはシロであるし……
 小竜姫は何か心底疲れた様子で言ってくる。
『すみません……ご迷惑をおかけしますが、美神さんたちは今どこにいるか分かりますか? さっきはよく話がつかめなくて……』
 おそらく、正確な場所を。という意味だろう。確か……
「アマゾン……とか……ええっと、そうだブラジル! ブラジルのマナオスとか言ってました!」
 何となく嬉しい気持ちで小竜姫の言葉を待つ。
『そう……ブラジルのマナオスね……』
「? 美神さんに何か用があるんですか?」
 神様が美神に用事。いったい何の用事なのだろう。シロではないが気になる。
『えっ? あっ! あっ! 気にしなくていいです! ホント個人的なことですからっ。いやホントに』
 ……? よけいに気になる。何があるのだろうか? まさかまた美神が今度は神様にまで何かやったのだろうか?
『ではっ! 有難うございます!』
 がちゃん ツー ツー ツー……
「いったい何なの?」
 美神達に何かあったのだろうか?

――同刻 アマゾンの辺境(現地時間 11月4日 23時10分)――

 遂に結界が崩壊した。
 彼はそれを冷然と眺めていた。
 彼女らは、気を失っているらしい男を庇うようにその周りを固め、悪霊と獣どもを相手に戦っている。しかし、正直、そう長く持ちそうにない。
 彼女をここで死なせるわけにはいかない。
 助けなければ。

――同刻――

『ピリリリリリリリリリリリリリリリリリッ!!』
 おキヌは必死に笛を吹いていた。後ろでは、美神がマシンガンを構えて野犬や猿を追い払おうとしている。
 おキヌの目の前にいるのは巨大な悪霊。今回の仕事のターゲットだ。
 そもそもこの仕事は、ジャングルの中に潜み、低級霊を従えて付近の村をたびたび襲いに来るこの悪霊を除霊することだった。おキヌはよくは知らないが、美神は依頼人から相当の報酬を約束されたらしい。
 その結果がこれ。
 とにかく笛を吹きつづける。一瞬でも気を抜くわけには行かない。しかし、人間の生物としての構造上、どうしても無限に笛を吹きつづけることは出来ない。酸素がなくては人間は生きられないのだ。
 呼吸をするために笛を口から放すたびに、巨大な悪霊は近づいてくる。動きを縛っておけるのもそろそろ限界に近い。
 しかし。
 今ここでおキヌが笛を吹くのをやめたら……横島が、美神が、あの悪霊にやられてしまう。
 死んでしまうのだ。
 元幽霊のおキヌには、死ぬということがどういうことかは痛いほどよく分かる。それは体の温かさを永久に失うことに他ならない。生きることで得られる感情というものもある。それらは死すれば永久に失われる。
 だから笛を吹くのをやめるわけにはいかない。横島を、美神を、死なせるわけには行かない。そして自分も……
 しかし呼吸は苦しくなる。生物としての限界は厳然として近づいてきている。頭の中がぼぅっとしてきた。苦しい。笛の音がかすれる。
「…………ぷはっ!!」
 その瞬間、笛の音による呪縛を解かれた悪霊がおキヌに迫ってくる。
 おキヌはすぐさま再び笛を吹き始めた。
 限界はいずれ訪れるだろう。しかし、今はまだ。少なくとも自分が倒れるまでは。

――同刻――

 弾丸が尽きた。
 美神はウージーを投げ捨て、神通棍で野犬に殴りかかる。
 当然野犬はそんなものは喰らわない。まさに野生の反射力で避け、美神に喰らいつこうとしてくる。
 しかし…………
 野犬はパンプスをその口蓋に喰らって、吹っ飛んだ。そのまま、逃げていく。次が近づいてくる…………
 終わらない連鎖。
 美神はその連鎖の中でもがいていた。このままでは駄目だ。ここにいる獣達全てを相手にする体力は、さすがの美神も持っていない。
 どこかでメビウスの輪を断ち切らなくてはならない。しかしどこで……
 背後を見る余裕はないが、一応ネクロマンサーの笛は鳴り続けている。おキヌも頑張っているらしい。
 自分が頑張らないでどうする。
 萎えそうになる気合を振り絞り、美神は猿に神通棍を振り下ろす。それをまともに脳天に喰らい、その猿はその場にくず折れる。しかし……
「なっ……!?」
 その猿の後ろから新手の猿。その猿がまともに顔にへばりつく。
「くっ……! 放しなさいっ! 私を誰だと思ってんの!? 美神令子よ!? ケモノなんかにやられる私じゃないわっ!!」
 しかし猿は離れない。おキヌも自分の方で手一杯でとてもこちらをかまう余裕はないようだ。体にしがみ付く猿はどんどん増えていく。
(くっ……!)
 万事休す。ここまでか……
 美神が覚悟を決めようとしたその瞬間。
 強力な光が……彼女を照らした。

――同刻(現地時間 11月4日 23時17分)――

 彼の発した光は、彼女とその周りにいる人間たちを完全に包み込んだ。
 彼は命ずる。
「浮……」
 彼の命に従い、光が彼女らを地上より持ち上げる。彼女にしがみ付いていた猿は、彼の命によって地上へと落下していく。
 その後、彼は光に追随する悪霊をにらみ据えた。命ずる。
「滅……」
 その一言だけで、巨大な悪霊は消し飛んだ。彼は、光に包まれた彼女へと向かい空中を滑っていった。その彼女を閉じ込める光にさらに命ずる。
「開……」
 命に従い、光は夜空を染め変えるほどに、爆発的に広がった。彼女らの姿が視認出来るようになる。
 男はやはり気絶しているらしい。大量に流血しながら白目をむいている。
 残り……彼女と、もう一人の女。
 その二人はこちらを見ていた。呆然と。
 光に命ずる。
「……離……」
命に従い、光は彼女と、他の二人を切り離した。彼女らは互いに何か叫び合っているらしい。しかし声が聞こえることはない。そう、決して。
彼は彼女の方に降りていった。光に触れた瞬間、彼女の怒声が聞こえてくる。
「ちょっとあんた!! おキヌちゃんと横島クンをどうする気なのっ!? そもそもあんたいったい全体何者!?」
 彼は答える。全ての問いに、簡潔に。
「久しいなメフィスト。そういえばお前には名を名乗っていなかった、名乗ろう。私の名はファウスト。 ……メフィスト、お前の誕生を見守ったものだ…………」

――To be continued――


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