700年前、ドクター・カオスに苦渋を飲まされた錬金術師ネロは、以来雪辱を期して、
打倒ドクター・カオスを誓い、マリアを上回る人造人間の開発に没頭した。
  ネロは悲憤のうちにその生涯を終えたが、その研究は、子々孫々に受け継がれていった。

そして、今・・・・・・・・・。



メガロポリスのマリア


by SINJIRO



浦賀水道。
房総半島と三浦半島に挟まれたこの狭い水路は、東京湾の入り口だ。
過去にいくつもの接触事故を起こしている、海の難所としても有名である。
  未明。
釣り舟「五平丸」は外海に向かって航海していた。
  前方を監視していた船長の児玉は、急に横波を食らって、慌てた。
すぐに舵を切って船を立て直したが、お客の身が心配で、キャビンを覗いた。
幸い3人の客に怪我はないようだった。
しかし、もう一人が見当たらない。
デッキに出て見ると、赤いアノラックを着た客が手すりにしがみついて、しゃがみこんでいた。
  「お客さん、大丈夫かい。」
客は、震えながら言った。
  「今、でっかい鯨みたいのが、泳いでいったぞ。」
児玉はちょっと考えた。鯨なんかいるわけない。
しかし、潜水艦が、潜水してここを通ることはありえないし、
ほかに船なんか見えなかった。ずっと監視していたのだ。
  「お客さん、もう飲んでるんでしょう?きっと見間違えたんすよ。
それより中に入ってくださいよ、また横波が来ると危ねっから。」
児玉は客の腕を取ると立たせた。
  客は、小用を済ませようとした時、わずかに浮かび上がったそれを確かに見たと思った。
しかし、その巨大な物体が、人型をしていたのまでは知らなかった。




  「朝です、ドクター・カオス。」
マリアは、朝食の支度を終えると、いつものように、カオスを起こした。
一間しかない部屋なのだが、支度が整うまで起こさないように気を使う事はない。
起こされるまで、熟睡しているのが常なのだ。
  共同トイレで用を足しながら、カオスは、今朝見た夢を思い出そうとしていた。
何か引っかかる。
それが何か思い出せない。
もっとも、そんなことは、いつもの事なので、気にしているわけではない。
ドクター・カオスに恐れるものはないのだ。
ただいつもより気になるのが気になるだけなのだ。
  部屋に戻ると、布団が、片づけられ、朝食の支度が整っていた。

  マリアは側に座り、旺盛な食欲を見せている、カオスの給仕をしていた。
  ドクター・カオスの見た夢が、やがて訪れる、恐るべき災厄の前兆だったとも知らずに。


   買い物篭を手に取ると、カオスに声をかけた。
  「マリア・買い物に・行ってきます。」
   アパートを出ると、商店街の方に歩き出す。
午後の強い日差しに、レンズの絞りが小さくなる。
  塀の上の木陰に、猫がうずくまっていた。
きっと頭を上げ振り向いたが、マリアの姿を見ると、また目を閉じた。
  マリアは、猫に目を向けながら歩いていった。


   ドクター・カオスは部屋で新しい発明に没頭していた。
これが出来れば厄珍に高く売り付けて、溜まった家賃が払えるはずだ。
まったく、世間の奴等は、なんでこのわしの発明が解らんのだろう。
天才の悲哀を噛み締めつつ、今度こそはと思っていた。
このカオス式「クラインの壷便器」が出来上がれば。

  ノックの音がした。
カオスはもちろん気がついたが今は乗っているのだ。邪魔されたくない。
マリアなら声をかけるはずだし、大家の婆さんなら、
こんなしおらしい真似をするはずが無い。
セールスに決まっている。
   ドアが開いたのに、気がつかなかった。
そしていきなり背後から頭を殴られた。


   マリアがアパートに帰ってきたのは、買い物に行ってから、一時間ほどしてからだった。
「ドクター・カオス・お出かけ」
   つぶやくと台所に行き、買ってきたものを仕分けし始めた。
醤油を流しの下にしまい、めざしとキャベツや玉ねぎを、
拾ってきた冷蔵庫に入れる。
  今日もおまけしてくれた。
疑うことを知らないマリアに対して、値段を吹っかけるような真似をする人は
この商店街にはいない。
  むしろ、口うるさいおばさん達に混じったマリアはオアシスだった。
買うものは少ないが、サービスもしたくなるというものだ。
  仕分けを終えたマリアは、部屋の掃除を始めた。


   目を覚ました時、目の前に中年の男が立っていた。
長い金髪を、オールバックにしていた。
見るからに精力に満ち溢れた顔をしている。小太りのからだを白い背広に包んでいた。
   「貴様、このわしをどうするつもりだ。」
カオスは、目の前の男に悪態を突いた。
縛られたままあぐらを掻く。
何処かの廃ビルの一室のようだった。
がらんとした広い部屋に少しばかりのがらくたと、大きなトランクがある。
窓から夕日が差し込んでいた。

  男はカオスを見下ろすと、唇の両端をにっとつり上げ口を開いた。
  「やれやれ、こんなじじいに700年もの間こだわり続けるとは。
    我が一族も馬鹿なことをしたものだ。
    もう少し歯ごたえがあると思っていたのだがな。」
  「いったい何のことだ。ちゃんと説明せんか。」
  「それでは、自己紹介をさせていただこうかな。ドクター・カオス。」
男はスチール製の椅子を引き寄せると、カオスの正面に腰を下ろした。
  「私の名前は、ネロ男爵。この名前に覚えがあるだろう。」
ネロ男爵。その名前は・・・
  「まったく心当たりがない。そんな奴になぜこんな目にあわされるのか、納得いかんぞ。」
  
  ネロは言葉を失った。
何処までとぼけているのだ。このじじいは・・・・・・・・・
まあいいだろう。強がりを言っていられるのも今のうちだ。
  「貴様が私の先祖にした仕打ち、忘れたとは言わさんぞ。
あれだけのことをしたんだからな。」
カオスの顔にくっつきそうなほど顔を近づけると、ゆっくりと言った。
  「我が一族の700年にわたる怨念、この私がはらして見せる。」
  ネロは余裕を見せていた。
そう、彼には自信があった。先祖代々の研究が、今、彼の手によって、
最先端の技術を取り入れて、実を結んだのだ。
   真っ赤な西日を浴びて、ネロは言った。
  「さあ、マリアを呼んでもらおうか。ドクター・カオス。」


  マリアは、食卓の側に座ってカオスの帰りを待っていた。
  食事の支度はもうできていた。
カオスが帰ってくればすぐに食べられるようになっている。
好き嫌いはしないし、出されるものは、何でも食べる。
  1000年も生きてきて、食事に対する興味が失せたのか、
ただ意地汚いだけなのかは解らないが。

  その時、マリアの頭部に埋め込まれた受信機に、緊急コールが響いた。
ドクター・カオスの身に何か有ったのだ。
  信号の発信地を計算して、瞬時に位置を特定する。
同時に通常モードを強制終了し、緊急モードを立ち上げた。
   ジェットエンジンを最大出力で瞬間作動させる。
轟音とともに、マリアは一直線に45度の角度で部屋を飛び出した。
   マリアのジェットエンジンは、カオスが、魔法技術を応用して造った、特殊なエンジンだ。
その為に、ジェット機では考えられないような瞬間作動が可能なのだ。   
   マリアは身体の各部を微妙に調節しながら、コースを保持した。
ただまっすぐに目標点だけを見つめている。
もうすぐ、海の側にある、目的の場所に着くはずだ。
  降下体勢に入った。

  「どうやらきたようだな。」
  ネロは、カオスから取り上げた発信機を、手の平でもてあそびながら呟いた。
ジェットエンジンの甲高い音が近づいてくる。
    
  再開発のために周辺一帯が廃ビルになったものの、バブル経済の崩壊で
そのまま放置されている場所だ。
  マリアは、迷うことなく5階建てのビルを目指すと、屋上に着地した。
金属製のドアを押し倒し階段を降りる。
  部屋の前に来ると、身体ごと壁をぶち破った。
  
  目の前に、縛られたカオスが居た。
頭部にピストルが突き付けられている。
  マリアは停止した。瞬時に状況を把握する。
  「マリア、この馬鹿をやっつけろ!」
  カオスが怒鳴る。 
  しかし、マリアは動くわけにはいかなかった。
  「いい子だ。そのままじっとしていろよ。」
  ネロは頭に押し付けたピストルが動かないように注意しながら、
左手の携帯電話のようなものを操作した。
  マリアは、先ほどセンサーを作動させた時に、このビルの隣にある
工事中のまま放置されたビルの中に、強力な金属反応があるのに気づいていた。
それが今、動き出したのを知った。

   ガラスの破片をきらめかせて、巨大な金属の腕が進入してきた。
マリアは両腕ごと、からだを掴まれた。

   「タイタン、握り潰せ!」
  ネロが、左手の、音声入力端末に叫ぶ。
中世のヨーロッパの甲冑を思わせる、10メートルはあるロボットだった。
全身が冷たい金属の光沢で光っていた。
それが、マリアを握り潰そうとしていた。
  「貴様、あんな馬鹿でかいものを造りおって、どういうつもりだ!」
カオスは怒鳴った。
  「私が、現代科学の粋を結集して作り上げた最高傑作だ。
  おまえの機械人形がつぶされるのを良く見ているんだな。」
  ネロは勝ち誇って言った。

  「マリア、遠慮は要らんぞ。そのがらくたをぶち壊せ。」
  「イエス・ドクター・カオス。」
  マリアは、ジェットエンジンに点火し、同時に、両腕に力を込める。
  急激にかかった力に対して、タイタンの腕は、上方に跳ね上げられた。
あっという間に腕をすり抜けて、そのまま上昇していく。
10秒ほどで、身体を反転した。
  上昇していたスピードに急制動がかかり、
猛烈なGに、全身のショックアブソーバーが軋む。
一転して急降下に入った。
  両腕をまっすぐ前に突き出し、拳をそろえる。
ロック・オンした目標に向かって、さらに加速していった。

  金属と金属がぶつかる衝撃音がビルを震わせた。
窓にしがみついていたガラスが、つぎつぎと落下していく。
  
  弾き飛ばされたマリアは、空中で体勢を立て直すと、
地響きを立てて着地した。
  ビルのあいだに残響がこだましていた。
  
  マリアはタイタンの方を振り向いた。
  タイタンはその動きを止めていた。
レンズをズームアップする。
  左の肩あたりに大きな窪みがあり、ボディが変形していた。
内部構造に、相当のダメージを受けているのは明らかだ。
動力部と思われるあたりが急速に熱を失っていくのが見えた。
  オートバランサーの停止したタイタンは、ゆっくりとビルに倒れ込んでいった。
破壊されたビルの瓦礫が次々と降り注ぎ、タイタンの姿を埋めていった。
  マリアは、カオスのいるビルに向き直ると、ジェットエンジンを始動し、
ホバリングの状態でゆっくりと上昇を開始した。

  ネロは、目の前の光景が信じられなかった。
先祖代々の研究に加え、最先端のハイテクを結集させた、
タイタンが、あの機械人形に敗れるなんて。
しかもたった一分足らず、たった一撃で。

  窓を破って進入してきたマリアを見て、ネロは、その場にへたり込んだ。
マリアはかまわず、カオスの所へ歩いて行った。
両手でナイロン製のロープを引きち切る。
  「おお、ご苦労じゃったなマリア。」
  「イエス・ドクター・カオス。」
緊急モードを解除し、通常モードを復帰させる。
ジャンヌ・ダルクを思わせる凛々しい表情が、無垢な微笑に変化した。
  「ドクター・カオスが無事で・マリア・嬉しい。」
  カオスは両腕をさすりながら、座り込んでいるネロの方へと歩いていった。
  「やい!小僧!」
  長身のカオスは下から見上げると威圧感があった。
  「名前は何といったか忘れたが、貴様のようなひよっこが
このドクター・カオス様に挑戦するなど300年早いぞ。
まあ、今回は高い授業料を払ったようだから勘弁してやるが、
次に来る時は、せめて5分は遊べる物を造ってくるんだな。
そうすれば相手してやらん事も無いぞ。」
そう言うと高らかに笑い出した。

  「さて、マリア帰るぞ。」
  「イエス・ドクター・カオス。ご飯の用意・出来てます。」
カオスは相好を崩した。
  「そう言えば、腹が減ってたまらんわい。急いで帰るとするか。」
そう言って部屋を出ていった。マリアも後から続いた。
  カオスの頭には、すでにネロのことはなかった。
もう思い出すこともないだろう。

  屋上でカオスを背中に乗せると、マリアは飛び立った。
すでに日は沈み、西の空にわずかな残照が残っている。
星屑をちりばめたような東京の夜景を見下ろしながら、
アパートを目指して飛んでいった。

  遠ざかるジェット音がネロには、カオスの高笑いに聞こえていた。
もはや一片のプライドも残っていなかった。
あの、鶏のような高笑いが粉々に打ち砕いてしまった。
  両腕を振り上げると思いっきり床を打ち据えた。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。泣き出した。
あの糞じじいめ  いまにみていろ  この借りは必ず返してやる。
一生かかってもマリアを打ち負かしてやる。
たとえ俺が無理でも、子供や孫が必ず・・・・・・・・・・・・・。




  「カオっさん、この始末どうつけてくれるんだい!」
薙刀をつき、仁王だちした大家さんを前に、カオスは狼狽していた。
窓は砕け、部屋の中はジェット噴射のために、手のつけようもない惨状を呈していた。
  カオスは、今朝の夢を思い出していた。
そう、確かこんな・・・・・・
  「ま、待て。これには事情があるのだ。話せば解る!」
後ずさりながら叫ぶ。

マリアも目をつぶり、首をすくめて消え入りそうな声で言った。
  「大家さん・ごめんなさい・・・・・・・・・・・・・・。」



END
  

1996/07/22          by     SINJIRO

※この作品は、SINJIROさんによる C-WWW への投稿作品です。

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