∬5


  ざわざわざわざわざわ
 警察サイド、そして生中継をしているマスコミも。そして日本中で事の成りゆきを見守っていた人々はある者は押し黙り、ある者は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。

 滑走路に響いた渇いた銃声。望遠レンズに捕えられていた女性がその瞬間吹き飛ばされるように後ろに倒れ込んだ。いくら平和ボケの日本人でも、犯人を撃つはずであった狙撃が間違って人質を撃った事など火を見るよりも明らかだ。
  「あ!よ・・・・」
 西条が思い出したように慌てて彼の姿を探すが、そこにはもう彼の姿は無く、主を失ったライフルだけが置かれている。
 変わりに西条が見たのは乾いた音を響かせて飛行場から出て行こうとする、助手席にも人影が見えた彼のカレラである。
 何故か?シルエットで見ると狭い車内ではプロレスのような騒ぎ?が起っているようだ。
  「そうか・・・・・超加速か・・・・」

  ふう
 少し疲れた吐息を吐いて部下に命令しようとしたが止めて、本来の警備主任に告げた。犯人の逮捕はおまかせします、と。何の事だか分からずにポカンとする警官達。
 理由は後で説明するからと、尻を叩いたので飛び出していく警官達。その様子を見ながらもう一度車の方を見て笑みが零れる。
  ヨタヨタ ヨロヨロ
 出ていこうとしていた車は千鳥足で、アッチふらふら コッチふらふらと蛇行していた。双眼鏡を見ると、車中ではまだプロレスのカウントスリーは数えられていないらしい。
  (あてが外れたな)
 西条はクスリと笑いながら、先程の彼の言葉を思い返す。



  『超加速を?・・・・・・文殊でか』
  『ああ。前にやったことはあるから大丈夫だ』
 手に持った三つの文殊を見せる。それには各一文字ずつで、超加速と三文字見て取れる。これをブレット状に形成加工し、フルメタルジャケットの代わりにライフルに詰めて撃つ。当たればその瞬間から霊能者ならば神族や魔族以外は使えぬ、まるで0○9の電子加速装置のように別の時間の流れの中で行動出来るアイテム。
  『た 確かに超加速は常人の一秒を使う者にとっては一時間程の時間にまで伸ばすと言われているが・・・・』
 実際やった事は無いので不安気な口調。しかし実際に行なった事のある経験者の言葉には勝てなかった。
  『うん。そう。それだけ時間があればアイツの事だ。例えテロリストが何人いようが精霊獣が何匹いようが関係無いさ』
 作戦にイチルの不安も無いふうに脳天気で答える。

  『ん?』
 西条はおかしな事に気がついた。
  『それならば君が使った方がいいんでは無いか。あれだけの距離を狙撃する危険を侵さずに済むでは無いか。恐らく超加速状態なら一キロ先でも一秒もあれば走り抜けられるだろう?』
  『う〜ん・・・・・』
 その提案を渋い顔で退ける。

 第一の問題は、いくら自分が超加速を使っても一キロ近い遮蔽物の無い道を発動した文殊の霊気に不穏を感じ,喉元にでも突きつけられている拳銃の引き金をひく危険性がある。まだ発動していない文殊ならば実質霊力は感知出来ない。だからその意味でもこの作戦がいいとたしなめる。
  『しかしそんな気配だけで引き金を引いたりしないだろう』
 気配だけで大切な人質を殺したりはしないと反論する西条を制する。次の彼の言葉は西条には戦慄であった。しかし彼は断言した。犯人達はどう転んでも彼女を生きて飛行機から出す気など初めから無いと・・・・。
  『馬鹿な、何故・・・』
 まだ反論しようと思ったが、その顔は一切の反論を許さぬ雰囲気をたたえていたので押し黙る。
  (くっ!!)
 反論は言葉に出来ずに心の中で舌打ちをする。
 彼の上司、美智江ですら舌を巻く洞察力を持っている彼がこれだけ自身を持っている以上は、今起こっているのは自分の意識の埒外だと思い知らされている。それは決して初めてではない。

 第二の問題は今実質的な驚異である精霊獣がどんな種類の能力を持っているのか分かららないということ。当然属性も分からない以上は弱点も分からない。どんな事をすれば効果的に倒す事が出来るか分からない事は、無駄に時間を無駄にして超加速といえども効力が切れるかもしれない。
 しかし自分たちより長い時間一緒にいた彼女ならば属性に弱点までも感じているに決まっている。それを彼女に聞く理由にもいかない。普通の時間を歩む者と超加速中の者では意志の疎通など出来る理由は無い。それに弱点を問い質す事が出来ても、一度超加速は解いたら元には戻らないのは周知の事実だ。

 そして第三の理由。これが本当は彼にとってはプライオリティ(最重要項目)だと西条にも分かった。
 こんな状況に巻き込まれて?虫の居所の悪いままに彼女に会うのは今までも散々身の覚えが無い理由で殴られた、有りていに言えば八つ当たりで苦労してきた彼としては絶対避けたかった。
 だから、誰かが虎の尾を踏んだならば、踏んだ誰かが責任を取って欲しい。それが彼の切な希望であった。


 先程のやりとりを思い返している内に、もう一度西条が振り返り車を見ると・・・・・・・・車は空港出口付近の壁に激突して白煙を吹いていた。
  「・・・・」
  「・・・・・・・・・・・」
 思わず口をポカンと開ける西条と警官達。マスコミのカメラも狙う中に・・・。
  ガッシャ〜ン
 運転席側のガラスが派手に割れた音と共に中から男が飛び出してきた。続いて割れた窓から女が飛び出して来る。
  ギュ
 現れた女が地面に投げ出された男をハイヒールでふんず蹴る。
  「この宿六〜〜〜。あんた!あたしが乗っているのに事故なんか起こすんじゃないわよ。あんたは殺しても死なないからいいけど、あたしは幼い我が子を残して死ぬわけにはいかないんだからね」
 それは俺もだと反論する男に、女は踏んでいる足に力を込める。
  「大体事故ったのは、おまえが行き成り車の中で暴れるからだろうが。折角助けてやったんだからたまには素直に感謝しろよ。大体お前がこんなあからさまな罠に、今更使う当ても無い金なんぞに目を眩ませて二つ返事で引き受けるからこんな事になるんだろうが」
  「う」
 剣幕に少したじろぐが、生来の気の強さを強情を思い出して眉がピクリと跳ね上がる。
  「なんだってえ〜。あんた結婚して態度デカクなったわね。あたしはあんたが他の誰からも相手にされないから可哀想だと思ってお情けで一緒になってあげたのを忘れたの。そんなあんたが、いつからあたしに意見が出来るようになったってのよ。この場でもう一度教育して上げるわ」
 今迄散々とテロリストの血を吸って、赤黒く変色し始めている神通棍を大上段に構える。さながら薩摩示源流のように一撃必殺一打必倒の構え。それは二の太刀無しで、つまりは手加減無しを告げていた。
  「う あああ。いいいい いや、それは謹んでご遠慮をしたい」
 マジに切れているのが分かったので、取り敢えずテロリスト相手の以上の腰の低さで懐柔を試みつつ、付いた尻モチのままに後ずさる。
 無論それが通じる相手では無かった。

  ビシビシ バシバシ ドカドカ バキバキ
 テロより余程恐ろしい光景に思わず先程とは違った汗が周囲に流れた。これが今迄人質であった女性と、それを救った英雄の会話かと思い言葉も無い警官達だ。
 その中で西条は思わず、心から微笑んだ。
  (天才って隊長はいったけど)
 確かに横島の言う通り、今回の事件を自分の手で解決(犯人をボコボコにして)して溜飲も下がっただろう。しかしそれも横島無しには出来なかったのが分かっているので、彼女にはそれだけで腹立たしいのだ。
  (なんだ。相変わらずに肝心な所はまだまだって所だな)
 まだ自分の嫁の性格すら把握していない事に妙に安堵した。奴も単なる男なのだと、今更ながら気がついた西条であった。


  「さて、あの二人の事は隊長にでも任せて・・・・」
 もう惨劇の行く末に興味を失った時に胸の携帯が震えている事に気がつく。
  「ん?」
 液晶を見るとメールが届いていた。宛名は・・・・彼の妻からだ。内容は・・・・今日はどんな料理が食べたいか?との問い。思わずクスリと笑う。
 彼の好みを妻が知らぬワケは無い。西条が帰るといつもその日に食べたい物が並んでいる。それが今更お伺いを立ててきたのは・・・・・。
 職務中だと知って無闇に例えメールでも送ってくる分別の無い女では無い。今日に限って送って来たのは・・・・・・・・・恐らく今はこの現場の生中継を見ていて、事件も終わったのが分かったので、彼の安否が不安で夕食にかこつけて連絡を構うたのだ。
  「そうだよな・・・・・・僕には僕の・・・・・・・・・・・・・・・」
 もう一度クスリと笑う。そして美智江の言葉の後の部分を思い出した。

  『力や能力なんかで勝つことが重要だと考えていると、もっと大切な事を見逃して本当に人生の方で負けちゃうわよ』
  『それは・・・・』
 美智江は勝ち負けの問題じゃ無いと前置きをしながら口を開いた。
  『あなたにとって一番大事なのは何?過程なの、それとも結果。確かに彼は過程の行程はあたし達より優位に進める事が出来るけど、それが案外結果に繋がらないのが人生の面白い所なのよね』


 美智江の言葉を思い出しながら、今一度振り返るとまだ殺りくは続いているようだ。そして心底辛そうな表情で許しをこうアイツがいた。
  「そうだよな・・・・・アイツはアイツ。僕は僕だ」
 諦めの言葉とも取れるが、不思議と苛立ちも焦躁も敗北感も無かった。それはスイーパーとしての能力など、単なる人生の一部分にしか過ぎない事に今更ながら気ずくことが出来た証でもある。
 歴史古く、名家の嫡子として何不自由無く暮らし、容姿 体格 能力に恵まれて、挫折など知らずに育ってきたエリート街道を順風満帆に暮らして来た。だから認めたく無かった為に、もっと大事な事をポッカリと置き忘れて来た事に気がついた西条であった。
  「そうだよな。僕には一緒に幸せになりたい人がいるんだから」
 携帯に浮かんだ文字を送ってきた女性の顔を思い出しながら、美智江の言葉を思い出して少し朗らかになった西条を呼ぶ声がした。警察の広報担当官で、どうやら事件も終息したので事件のあらましを説明しなくてはいけないらしい。
  「ふふふ。おかげで返信の電話代が浮いたかな」
 その言葉の真意が分からず首を捻る広報担当に「なんでも無い」と言いながら、リクエストメニュウを伝えようと思っていた携帯を直し込む。
 そして何やら企みを秘めてカメラの砲列の前に歩いていった。


 次の日・・・・・Gメン本部で西条は苦笑する美智江に形だけだろうが?こっぴどく怒られた。何と西条はカメラの前で、事件のあらましより先に、見ている確信のある家で待つ妻に夕食のリクエストを宣言?したのだ。愛の言葉まで交えて。
 これで支局長の内定がお釈迦になったと苦悩する美智江であったが、西条は謝りつつも悪びれた感は見受けられない。ただ何やら思いだし笑いを浮かべている。おおかた世間に向けて愛のメッセージを宣伝された妻に昨日は随分サービスされたのではと頭を抱える。

  「楽しみにしていたポストがフイになったのに随分嬉しそうね。西条君」
 彼女も言っても無駄だと分かっていたので、演技だけ皮肉を込めた声で言う。
  「ええ。僕もいつかの先生の言葉がやっと理解出来ましたから」
 もしかして、西条が美智江に向ける初めての種類の微笑みかもしれなかった。全く自分を良く見せようとか、相手の事を推し量るというような感情はキレイさっぱり消失して、本当に自然体で屈託ない笑顔。もう今まで世間体を心のどこかに持っていた鉄の仮面はいちるも無くなっていた。
  「そう・・・」
 美智江は疲れた吐息を着いて、始末書を出した西条を開放してやった。出ていったドアを見ながら今度は安堵のため息をユックリ吐いた。多分自分が教える事が出来た最後の授業が成功であった事で・・・・・。もうこれで最後であった教え子に安心して全てを任せる事が出来る。
 座っていた机の引き出しを開ける。中には美神美智江名義の退職届けがキチンと封環されて置かれていた。
  「出すのが少し早くなっちゃったわね」

 今日の朝、娘から電話が入った。旦那が何故か?しばらく入院するんで、自分は一人でやらねばならなくなった畑仕事で忙しいからしばらく自分の娘 美智江にとっての孫娘の面倒を見に来てくれないかと言う頼みであった。
  「あたしは引退したら黒猫でも抱こうと思ってたんだけどな〜。えらく元気な猫になっちゃったわね。猫というよりあの子は虎かピューマよね・・・・・・・」
 少し気怠そうに嫌そうに、しかし嬉しそうにつぶやく。あの二人の子供は、女の子なのにヤンチャで一日相手をすればクタクタになる。しかし、それは嫌な仕事では決して無く、他の何事にも掛け替えの無い楽しみであった。
  「全く・・・・・誰に似たのかしら・・・・・・・ふふふ」
 美智江は辞表を机の上に出し、あらかじめまとめて置いた荷物を掴み、ドアのネームプレートをポケットに入れ、電灯の消えた部屋を静かに出ていった。もう彼女がこの部屋に戻ってくることはなかったそうだ。




※この作品は、西表炬燵山猫さんによる C-WWW への投稿作品です。
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