虎は夜明けに蒼ざめる

著者:SINJIRO



 道は舗装が途絶え、自動車が一台やっと通れるくらいの山道になった。
依頼書に添付されていた地図によると、ここから目的地までは一本道だ。
かつては自動車が通っていたらしく轍の跡があったが、中央部は草が生えていた。
 東京から新幹線で一時間。
さらに駅前から温泉町に向かうバスで一時間以上。
終点の二つ前で降りた脇道だった。

 タイガーはバスを降りてからすでに一時間ほど歩いていた。
タクシー代を惜しんだのではない。
駅前で、停車していたタクシーに乗ろうとしたところ、
運転手に体好く断られてしまった。
ほかのタクシーに声をかけるのもためらわれ、
一時間に一本のバスに乗る事にしたのだ。
バスに乗り込むとき、運転手が目を剥いたのも気になった。
やはりこの格好は目立つのだろうか。
「OGASAWARA GHOST SWEEP OFFICE」の
ユニフォームである迷彩服を着用し、
40キロを超すリュックを担いだタイガーの巨体は、
確かに田舎の温泉町には場違いかもしれない。

 やがて右側が緩やかな斜面になり、ヤマツツジやナナカマドの群落が続く。
左側の林には白樺が混じり始めていた。
タイガーは行く手に有る、大きなブナの木を目指した。
あそこまで行ったら一息いれよう。すでにからだ中汗みずくだった。
 たどり着いたタイガーは息を呑んだ。
林が途切れ、目的の山荘が見える。
厚い雲が垂れ込め、急に冷たい風を感じた。
背後の山が濃霧に隠れ、山荘だけがぼんやりと霞んで見える。
そこだけ宙に浮いているように、得体の知れない不吉な気配を漂わせていた。
とうとう来てしまった。
 汗が急に冷たく感じられるのは、高山の冷気のせいだけではなかった。

 「ねえタイガー、これはいい機会だと思うワケ。
確かにおたく独りで行かせるのは心配だけど、
いつまでもアシスタントのままじゃ、日本に留学してきた意味が無いワケよね。」
タイガーは背中を丸めて、テーブルの向かいのエミを見ていた。
ひざに当てた両手の拳が汗ばんでいる。
 「私だってピート、いや、唐巣神父からの要請でなけりゃ断るんだけど
あのおっさんには義理も有るし、かといってこの不景気に
せっかくの仕事をキャンセルなんかできないワケ。」
そう言うと褐色の足を組み替えた。右手で長い髪をかき揚げる。
 「だからこの仕事、おたくにまかせてみたいのよ。」
 「し、しかしわっしは・・・」
 「大丈夫。依頼書によれば子供の霊だって言うし
おたくの霊能力で簡単にカタがつくわ。」
ソファーの背もたれに伸ばした両腕を絡め、上目遣いで言った。
 「じゃけんど、わしの精神感応ではとどめはさせんし・・・・。」
巨体を丸めてぼそっと言う。
エミはかんしゃくを起こした。
 「おどかしてやればいいのよ。びびって成仏するから!」
両手をテーブルにつくと身を乗り出して低い声で言う。
 「タイガー、おたくこのままじゃ令子んとこの横島にますます差をつけられるわよ、
それでいいワケ?」
タイガーが思わず身をのけぞらせたのは、マリンブルーのタンクトップから覗く
胸の谷間に目を奪われたせいではなかった・・・はずだ。
横島さん!
ゴーストスイーパーのアシスタントとして先輩であり、兄貴分とも思っている横島は、
GS資格取得試験以来、その潜在能力を急速に覚醒しつつあった。
もって生まれた素質が違うのかと、タイガーはその成長ぶりを頼もしくも思い、
又、おいていかれる寂しさをも感じていたのだ。
 「ここらで一つドーンとやってみたらどうなのよ!」
テーブルを手の平で叩いたエミの迫力に、タイガーは目を見張った。
そうだ、この機会に自分の力を試してみるのもいいかもしれない。
自分一人でこの仕事を片づけたら新しい道が開ける可能性もある。
そう思ったら腹の底から熱い物が込み上げてきた。
 「エミさんっ!わしはやりますけえ!」
テーブルを倒しかねない勢いで立ち上がったその迫力に、今度はエミがたじろいだ。
タイガーは吠えた。
 「わっしはタイガー寅吉じゃあ!見ててつかあさい!
必ずエミさんのお役に立ちますけえ!」
両手を握り締め、仁王立ちしたタイガーの全身から野獣のオーラがほとばしった。

 二階建ての山荘は、洋風の切り妻屋根に二つの出窓を持った二階と
ベランダのある一階とからなっていた。
もう10年近く空き家になっているという。

 事の起こりは、山荘の裏山に新しい温泉源が発見された事に始まった。
古い湯治場の伝統を持つひなびた温泉町は、この発見に沸いた。
秘湯ブームで一時的に客足は増えたものの、
これと言って目玉の無い温泉町はすぐに飽きられた。
おまけにこれまでの固定客が、喧騒を嫌って離れていったのだ。
そこで、この場所に近代的なリゾート施設を共同出資で建設し、
若い客層を繋ぎ止めようという訳だ。
町議会は満場一致で可決した。
早速山荘の権利者に連絡した所、すぐに権利の譲渡が申し出られた。
ところが山荘を取り壊しにかかると事故が相次ぎ、怪我人が続出したというのだ。
おまけに作業員のあいだで不吉な噂がささやかれ出した。
ここには何かがいる、と。
 噂はともかく事態を憂慮した役場の助役は、遠くの町にいる権利者をたずねた。
その結果、噂を裏づける事実が判明したのだ。
かって山荘に若い夫婦と一人娘が住んでいた。娘は病弱で山荘で静養していたが、
8歳のときに亡くなったという。そして夫婦は山荘を引き払った後、
不運にも自動車事故で二人とも亡くなったというのだ。
その後、弟夫婦が住もうとしたが、なぜか慌てて山荘を売り払ったという。
町の人々も噂は聞いていたが、本気にはしていなかったのだ。
しかし今更後には引けない。
何としても山荘を取り壊さないと、町の命運がかかっている。
そこでお払いをしてみたらということになったのだが、結果はひどい物だった。
死人が出なかったのが不思議なくらいだった。
そういう訳で、エミの所に依頼が行ったのである。

 夕闇が迫っていた。
いつもエミのアシスタントとして除霊をしているタイガーに霊に対する恐怖心はない。
有るのはこの仕事を果たして一人でやり遂げられるのか、という不安だった。
しかしここまで来たらもう腹を括るしかない。
玄関の扉に鍵はかかっていなかった。
軋む扉をゆっくりと開ける。
湿ったかび臭い匂いが鼻につく。
中は薄暗く、広いリビングになっていた。
室内が荒れているのは、取り壊しの際の混乱を思わせた。
タイガーは油断なくあたりを見回した。
霊の気配はなかった。
リュックをおろすと懐中電灯を取り出し、装備を点検した。
いつもの装備に加え、エミが特別にくれた御札と
非常用の精霊石まである。こころづかいが嬉しかった。
ただし、これを使うようなら荷物をまとめて国に帰りなさいよと、釘を刺されている。
ほかの部屋を点検するか、とも思ったがどうせ向こうからやってくるに違いない。
狭い部屋でいきなり襲われるより、広い部屋で迎え撃つ方がいい。
携帯食を取り出すと腹ごしらえにかかった。

 すでに真夜中になっていた。タイガーはさすがにじれてきた。
このまま朝まで現れなかったら仕事にならない。
やはりこちらから行くべきか。
立ち上がると、奥の階段に向かい出した。
その時、背筋をぞっとさせる霊の気配を感じた。

階段の裏側にぼうっと霊が姿を現しかけていた。
まだ形は解らない。
精神感応で姿を見定めるか。
タイガーは油断なく神経を集中させた。

 突然背後から強力な霊波が襲ってきた。
宙に舞った家具が襲い掛かる。
身を投げてやり過ごしたタイガーは回転して起き上がると玄関から飛び出した。
ここでは不利だ。
 「一体じゃなかったのか!」
依頼書を鵜呑みにしたうかつさを後悔した。
ベランダの前の庭に達したタイガーは後ろを振り向いた。
玄関の前に、揺らめく霊体が有った。

  みぎゃあああううううう・・・・・・

背筋を逆なでするようなうめきがもれる。
不安定に揺らめく身体に、狂暴な二つの眼が青白く燃えていた。

 ぐぎゃっ!

身構えたタイガーに霊体が襲い掛かる。
目測を誤った!
左にかわした所を肩を切り裂かれた。
しかし霊体の正体は掴めた。動物霊だ。
素早く振り向いたタイガーは瞬間、気を頂点まで高めた。

 うおおおおおおおおおおおお!!

雄たけびが闇を震わせる。
全身から野獣のオーラがほとばしった。

 みゃん!!

悲鳴のような叫びをあげて霊体は玄関の中に消えていった。
だが、霊はいろんな手を使うという。
油断した所を襲われる事も有るとエミに聞いている。
タイガーは身構えたまま玄関を見つめた。

 玄関から再び霊が現れた。
しかし動物霊ではなかった。
はっきりと形を現したのは少女の霊だった。
肩より長い髪の、青白い、しかしあどけない顔をしたネグリジェの少女だった。
その腕に子猫を抱いていた。
 「又わたしをいじめに来たのね。」
そう言った。

 タイガーは狼狽した。勝手が違う。
まるで自分がいたいけな少女をいじめているみたいではないか。
エミの助言も消し飛んだ。タイガーの全身から野獣の本性が消えていく。
 「いや、わしはただ・・・・・・・・」
 「あなた虎ちゃんなの?みみが怖がっているもの。」
少女の腕の中で子猫が震えていた。
 「みみはわたしを守ろうとしただけなの。悪い子じゃないの。」
そう言って顔を伏せた。
どうすればいいのだろう、タイガーはうろたえるばかりだった。
 「しかしあんたはもう成仏せんといかんのじゃ。みんなに迷惑がかかるけえ。」
やっとのことでそう言った。
 「わたしみんなと遊びたかったの。ずっと寝ていたし、誰も友達いなかったし、
みみだけが友達だったの。目の前が暗くなってどこか知らない所にいたの。
そしたらみみが来てくれたの。
わたし思いっきり遊びたかったの。それだけなの。」
少女はそうまくしたてるとまた目を伏せた。
これが悪霊の正体なのか?
タイガーは目の前の少女がそうとは信じられなかった。
かわいそうな普通の少女ではないか。
思わず言ってしまった。
 「そしたら、わしが遊んでやったら、言う事を聞いてくれるかいのう。」
 「ほんと?虎ちゃん遊んでくれるの?」
その顔は嬉しさではちきれそうだった。
 「ほんとじゃあ、そのかわり朝が来たらちゃんと成仏するんじゃ。ええか?」
成り行きで言ってしまった。

 「わあああああい!!
                   虎ちゃんさいこおおおおおおお!!!!」

 
 突然襲ってきた霊波の嵐にタイガーの巨体は宙を舞った。
巻き上げられた木の枝や小石が顔を叩く。
大きな渦巻きの外側でもみくちゃにされる。
目の前に巨木が迫ってきて背中から叩き付けられた。
息が詰まりやっとのことで起き上がると目の前に少女が居た。
 「おもしろかったあ、もう一回やろう!」
すっかり興奮しきっている。
タイガーの顔から血の気が引いた。これが遊びだと?
あわてて精神感応力で思念フィールドを作る。
姿を隠さなければ!
少女には辺りが急に熱帯のジャングルになったように見えるはずだ。

 「わあ、すごい、すごい。虎ちゃんすごおい!
今度はかくれんぼね、わたしが鬼ね!」
少女はタイガーの姿を求めて辺りを駆け回り始めた。
潅木の茂みに身を隠したタイガーは息を殺してそれを見つめていた。
このまま朝まで隠れていられるのか?
夜明けは、はるかな闇の彼方に思える。

  限界が近づいていた。
頭が割れるようだ。
もうこれ以上精神集中を持続する事はできない。
理性が吹き飛んでしまう。
もしそうなったら一体どうなるか。考えただけでも恐ろしい。
タイガーは必死で持ちこたえようとした。
しかし、エミがいない今、その力をコントロールすることはもうできない。
ついに最後の時が来た。
 がああああああああ!!
茂みから立ち上がったタイガーは苦悶の叫びをあげた。
 「あっ虎ちゃん見っけ!!」
少女はタイガーのそばに駆け寄った。
 「どうしたの?」
タイガーは呆けたように立っていた。
目がとろんとして、口元はだらしなく半開きになった。
理性の吹き飛んだタイガーはもう野獣の本能しかなかった。
宙をさまよっていたその目が少女を捕らえた。
 「うへへ・・・おんな・・・
女じゃああああああ!!!!」 
 タイガーは野獣の素早さで少女に襲いかかった。
 「きゃあああああ!
今度は鬼ごっこね!!わたしつかまらないわよっ!!」
少女は素早く逃げ出した。
叫びながらその後を追う。

 雲の切れ間から顔を出した三日月に照らされながら、
少女の笑い声とタイガーの雄たけびが、いつ果てるともなく響いていた。
それは不思議に懐かしい光景だった。

 山荘の裏手の雑木林。
山荘が建設されたときに植林されたのでまだ若い木が多く、
林相はそれほど密ではなく見通しがよかった。
 タイガーは意識を取り戻した。
林の中で、落ち葉に半ば埋もれるようにして倒れていた。
「虎ちゃんどこ行ったの?」
少女はタイガーの姿を探していた。
青い光に包まれて、木々のあいだに見え隠れしているその姿は、
まるで森の妖精のように見えた。
ああ、このままずっとあの子と一緒に遊んでいたい。
ぼんやりと思った。
しかしそれは、体力と気力を使い果たした人間が見る幻覚だ。
あれは幽霊だ、早く安全な場所に移動しろ、もう一人のタイガーが告げていた。
少女が遠巻きに近づいてくる。
ああ、早く見つけてくれ。
タイガーは目を閉じた。
濡れた落ち葉が、熱を持った身体に心地よかった。

 何も起こらない。
そっと目を開けた。
少女はタイガーの前に立ち、しかし顔は東の空を見ていた。
山稜のシルエットの上がうっすらと白みを帯び、
雲が茜色に染まりつつあった。
少女はゆっくりとしゃがみこんだ。
 「わたし、もう行かなくちゃ。虎ちゃん、遊んでくれてありがとう、バイバイ。」
そっと頬に唇を押し当てた。
そして幽冥の空に吸い込まれるように消えていった。
後を小さな光が追っていく。
薄れていく意識の中に、急に大人びて見えた少女の顔だけが焼き付いていた。

 木漏れ日の中でタイガーは目を覚ました。
ゆっくりと身体を起こすと、身体中が痛んで、思わずうめき声がもれる。
立ち上がると、足を引き摺りながら山荘へ戻った。
ベランダが壊れ、あたり中に木の枝や葉っぱが散乱している。
開いたままの玄関から中に入るとリュックを探した。
ひっくり返った椅子とテーブルのあいだに挟まっている。
リュックを引っ張り出すと食料を取り出した。
とにかく、食えるときは食っておかなければ。
食事を終え、壁に背中を預けて一休みした。

 昼過ぎにタイガーは山荘を後にした。
体力はだいぶ回復していた。
結局仕事はうまくいったのだ。それなのにタイガーの心は重かった。
20分程歩いた所で、見覚えの有るブナの木の元についた。
昨日、初めて山荘が見えた所だった。
タイガーは後ろを振り返った。
雑木林を後ろに背負い、
熊笹や這い松の茂る連峰を背後に望むありふれた山荘だ。
昨日感じた不吉な気配はどこにもなかった。
もうあの少女はあそこにいないのだ。

 不意に込み上げた感情に狼狽したタイガーは、
ブナの木に思いっきり拳をぶち込んだ。
幹が揺れ、激しい痛みが肩先を突き抜けた。
歯を食いしばって痛みをこらえる。
そうだ、あの子は確かにありがとうと言ったのだ。
タイガーはエミの事を思った。
 「言った通りよね、もう大丈夫だって思っていたのよ。」
そう言って、ねぎらってくれるだろうか。

 そうだ、横島さんにこの事を話したら何というだろう。
 「やったじゃねーか!お前ってばやる時ゃやるんだなー。」
そう言って両手で肩をバンバン叩き、蹴りを入れてくるだろうか。
タイガーの顔に笑みが浮かんだ。
早く帰りたい。
帰ってみんなに会いたい。

タイガーはリュックをゆすり上げるとふもとを目指し、大股で歩き始めた。


おわり


1996/9/3   by SINJIRO


※この作品は、SINJIROさんによる C-WWW への投稿作品です。

この作品へのご感想をおよせ下さい:

タイトル:
コメント:


前のページに戻る
(c) Copyright by T.Fukazawa
fukazawa@st.rim.or.jp