奏でよ孤独〜ダブル・アイデンティティ〜




 東京駅、午後三時。
「それでは美神殿、お世話になったでござる」
改札口の前でシロはぺこりと頭を下げた。
「またいつでも遊びに来てね」
「気をつけて帰んなさいよ」
おキヌと美神も手を振って応じる。
「はい、でござる。それと……」
シロは少し視線をずらした。
「先生も、また……」
「ん、おお。またな」
横島が気楽にそう返すとシロはもう一度ぺこりと頭を下げ駅のホームに向かって走っていった。
「また会えるといいですね」
おキヌは感慨深げにそうつぶやく。
「そうね、ただでこき使えるし」
「もう、美神さんたらそんなこと言って……」
「ふふ……。さ、事務所に帰るわよ書類仕事が溜まってるしね」
「じゃ、美神さん、俺は……」
「そうねえ、どうする? いい加減、書類仕事とか覚えてみる?」
「え、ま、任してもらえるんですか!?」
「書類仕事一時間分のストレスは255円より高いしね。悪霊をやっつけることだけがGSの仕事じゃないのよ」
ただいまのセリフを横島言語で再構成中。「悪霊をやっつけることだけがGSの仕事じゃないのよ」→「いずれはあんたもGSになるのよ」→「もちろん、その時は私のパートナーになってね」→「で、できたら、その……仕事だけのパートナーじゃなくって、もっと大切な……」→「横島くん、愛してるわ」
 ………。
「み、美神さん! 俺ならいつでもオールオッケーへぶごはっ!」
「きゃ、よ、横島さん!?」
「ううぅぅ……」
横島は思わず美神に殴られた鼻を押さえた。
「どーゆーつもりなのかしら。一体」
額に青筋を浮かべ、指を鳴らしながら美神が爽やかに笑う。ただ、後ろからたち上るオーラはまったくもって爽やかではなかった。
「い、いや、その、なんと言うか、若き血潮がなせる暴走がドコサヘキサ塩酸で……」
恐怖のあまり、出てくる言葉が意味を成さない横島。
「あらそうなの。それなら折角だから骨の髄までドコサヘキサ塩酸になってみる?」
「こっ、怖い!! セリフの意味はわかんないけどすっごく怖い!! すいません! 二度とやらないと誓います!! お願いだから許して〜〜!!」
「あのね……、あんた一体全体何度その言葉を吐いたーー!!!」
言いながら、美神は横島の胸元をつかんで引きずりあげると顔面に拳を叩き込んだ。たまらず吹っ飛ぶ横島。彼は五メートルほど先にある柱にぶつかることでようやく動きを止めた。
「まったく……そういうところはまったく進歩しないのね」
美神はもはやあきらめたような調子でつぶやいた。と……
 ピリリリリ……ピリリリリ……
 電話が鳴った。
「もしもし?」
電話の相手の声は切羽詰っていた。
「美神くんか? 私だ」
「先生? どうかしたの?」
「頼みがある。至急、私の教会に行ってくれないか?」
「いいけど、どうして?」
「詳しいことは着てから話す。というか、正直なところ私も状況をよく把握しきっていない。唯、一ついえるのは……メドーサが現れた。」
「!!」
「で、来てくれるか?」
「う〜ん……。わかったわ、とりあえず、行くだけ行ってみる。協力するとは約束できないけど」
「構わない。とにかく来てくれ」
「オーケイ。二十分で行く」
美神は電話を切ると大声で横島とおキヌを呼んだ。






 また一本、洞窟にはめ込まれた鉄棒──実際には鉄かどうかは知らないがとにかく黒光りする金属が──音を立てて消え、ついに残りは二本となってしまった。
「ようやくだな……」
洞窟の奥からの声はそう言う。
「この楔が取れれば、俺を縛るものはもう何もない。後は俺がお前を殺せば俺は外へ出れる。本当に長かったよこの12年間は……。暗闇の中には何もなかった。俺の人格は先祖の記憶のみでできている。だが、俺自身は何も経験していないんだ。正直、待ち遠しいよ。外に出れるのが」
「よく喋るね」
「お前が無口すぎるんだよ」
武藤は頭の中ですばやく計算した。今ので分かったことがある。つまり、この化け物が外に出るためにはあの鉄柵をはずすだけではなく、この自分を倒さなくてはいけないらしい。クサナギは使えない。自分は腕輪も身に着けていなかったからだ。破術も使えない。もともと武藤家の開祖が確立させた破術とは、対鬼用の戦闘術だ。つまり、対人型の妖怪に対して使える技である。相手がどんな体型をしているのか、いまいち判別がつかないが、少なくとも目が二つではなく、もっとたくさんあることから考えても、普通の人間の体型とは言いがたい。武藤のうろ覚えの知識によれば確か首が八つに尻尾も八つある化け物だったと記憶しているが……。しかもそれはあくまで日本神話で語られている姿に過ぎない。
 つまり、自分は魔導術によってしか相手を倒すことはできないのだ(これは問題なく使える)。それではどうするか? 武藤の出した答えは……
 彼は無言でヤマタノオロチに背を向けて、だっと駆け出した。
「………」
彼の走った後に波紋が点々と残っていく。
「……逃げた?」
わざわざ確認するまでもなかった。






 デミアンは倉庫の中にあったコンテナに腰掛けて足をぶらぶらさせながらこうたずねた。
「何をやってるのか聞いていいか?」
メドーサの返事はすぐに返ってきた。
「言ったろう。封印をといてるんだよ」
メドーサもデミアン同様何の変哲もないコンテナに座っていた。彼女の腕には一本の紐が巻きつけられそれはそのまま魔法陣の中心に横たわっている武藤の腕へと伸びている。
「正直魔力を送ってるようにしか見えない」
「そのこと自体は間違ってないよ」
「?」
「ヤマタノオロチは私と同じ竜族だ。今、私がやっているのは──まあ、分かりやすく言えばヤマタノオロチを起こしているのさ。いわば私の魔力がやつにとっての目覚まし時計になっている」
「どういう理屈でそうなるんだ」
デミアンはいまいち理解できないようだった。
「暇だしきちっと説明してやるよ。今現在のヤマタノオロチは武藤玄也の魔族の力のみの部分が元になっている。そのままならただのエネルギーだったんだが、そこに先代のヤマタノオロチが死んだ後に伝わった先祖分の記憶によってヤマタノオロチの人格ができてしまった」
「ヤマタノオロチって伝達種だったっけか?」
伝達種とは高位魔族、神族の一部に見られる。彼らは生涯にただ一人だけの子供を産み、そして親が死ぬと同時に、その親の記憶が先祖の分とまとめて子供に伝わる種族だ。
「あまり、知られてはいないけどね。それはそうとして、つまり武藤玄也の内側にいた存在はただのエネルギーから擬似的ではあるが魔族になってしまったのだ。魔族であるならばそこから霊波が放出される。封印によって大半はさえぎられるが、それでも本当に少しづつ、その霊波は封印を侵食していった。封印をかけた存在とかけられた存在の霊気構造は酷似しているからな。自然、武藤の霊波にも魔族の霊波がほんの微量だけ──上位魔族でも感知できないほどだが──含まれる。問題はここからなのだが、実は数ヶ月前にヤマタノオロチは不完全ながらも復活を果たしている。その直接の契機となったのはこいつが竜族──私と、それから小竜姫は知っているかな?──と接触したからだ。竜族の霊波と武藤の中にある微量の霊波とが同調し、わずかながらヤマタノオロチに刺激を与えてるのさ。もっというなら、私の力がそのままヤマタノオロチに流れ込んでいる」
「よくわからんが……まあわかったことにしておく」
「そうしてくれると助かる。実際のところ、私が話したのは半分ぐらいはヌルの受け売りだからな」
「ふむ……」
と、デミアンは何かに気付いたように顔を動かした。それから視線を一定の方向に定め、目をつぶる。やがて、目を開けるとすっくと立ち上がった。
「指令が降りた。一緒に仕事をする連中ととりあえず、おちあうことになったから私は行くぞ」
「ああ」
メドーサがそう返答するとデミアンは音もなく消え去った。






 ヤマタノオロチは洞窟から外に出ると辺りを見回した。
(………)
自分が予想していたほどの感動はそこにはなかった。別に今までと代わりばえのしない風景が広がっているだけなので当然といえば当然かもしれなかったが。
 ヤマタノオロチの外見は武藤の想像とほぼ合致していた。真紅に光る十六の目とそれに勝るとも劣らぬ赤い舌を持った首が全部で八つ。それがひとつの小山のような胴とつながり、その胴からは大木のような四本の足と、八つの尾っぽが生えていた。頭の高さは約五メートルほど。体長は12メートル前後といったところか。
 ヤマタノオロチはとりあえず前進した。武藤玄也がどこにいるかは皆目見当がつかなかったが、一刻も早くこの暗闇中を抜け出たかった。視界はひどく狭い。五メートルほど先の姿が見えるか見えないか、といった程度だった。
(もっとも、それは向こうも同じことだろうがな……)
そう考えたその直後である。不意に前方で何かが光った。と、身構える暇もなく細かな霊子がヤマタノオロチにたたきつけられた。
「な!?」
ヤマタノオロチはまともに食らう。が、ほとんどダメージはない。
「ふーん、こりゃ、いっぱい食わされたな」
自分が感知できる外から攻撃が向こうは仕掛けられるらしい。下手に動かないほうがいいだろうか? いや、それこそ敵の思惑かもしれない。
「ま、どんな罠があろうと蹴散らすか」
所詮、相手は人間なのだ。ヤマタノオロチは光が光っていた方角に向かって一気に駆け出した。






 武藤玄也は内心あせっていた。
(まさか、無傷とは……)
最大級の威力を込めた一撃ではないにしろ、それなりの力を持たせた一発である。
(そもそも、勝てるのか?)
そんな考えが浮かぶがあわてて打ち消す。
(やはり、一発に賭けるしかない)
その一発で倒せるかどうかはこの際、気にしない。とりあえず、有効打となる打撃をうち、そしてすぐに逃げる。いわゆるヒット・アンド・アウェーだ。ただし、連続で攻撃を加えるのではなく、ゆったりとダメージを蓄積させる。
(問題はこちらの体力か)
後は実行あるのみだった。武藤は印を描きながら呪文を唱え始めた。







 美神はノックもせずに教会のドアを開けると言った。
「先生、私だけど、一体どうしたの?」
「あ、令子ちゃんだ〜〜」
中には──多少、予想していたことではあるが──そうそうたるメンバーが集まっていた。教会の住人である唐巣神父とピート、それから冥子、西条の四人。
「ずいぶん、集めたのね」
「状況が状況だけにな。適当に座りたまえ、君たちが最後だ」
唐巣がそういうと西条が口を挟んだ。 「そういえば、彼女はどうしたんですか?」
「彼女?」
「呪術師の……」
と言いかけたところでピートが答える。 「ああ、エミさんの事ですか。あの人は連絡が取れませんでした。一応、留守電にメッセージは残しておきましたけど」
「べっつにいいじゃないの。あんなやつ。いたって大して変わんないわよ」
と、その美神の憎まれ口に重なるようにして横島が奇声を上げた。
「しょ、小竜姫様じゃないですかーーー!?」
「あ、ど、どうも」
完全にひいた形で応じる小竜姫。
彼が小竜姫のことを気付くのが遅れたのはわけがある。彼の位置からでは小柄な小竜姫は他の人間たちの陰によって見えなかったのだ。
「相変わらずお美しいっ! ぼかーぼかーもうっ……はぎょっ!?」
「あんた、自分が30分前に何て言ったか覚えてる?」
「ご、ごめんなさい!! ごめんなさい!!」
「美神くん、悪いがそのあたりにしておいてくれたまえ。あまり時間がないんだ」
唐巣がたしなめるように口を挟む。
「ああ、すみません。どうぞ、始めちゃって下さい」
「うむ。それじゃあ説明しよう。とりあえず、この中で最も状況を把握している彼に説明してもらう」
その声に導かれて一同の前に姿を現したのはクサナギだった。
「あれ〜〜? クサナギくん〜〜〜?? 玄也くんは一緒じゃないの〜〜??」
冥子が素っ頓狂な声を上げる。
「はい。お話というのはその玄也様に関することです」
「パス1」
即座に令子の声が上がる。
「速っ!」
さすがに横島が突っ込む。
「ちょ、二人とも!?」
「パスったらパスよ。あいつとメドーサなんてほとんど最悪の組み合わせじゃないの。わるいけど、あいつが絡んで面倒ごとにならなかった試しがないから」
唐巣はあわてて引きとめようとしたが、エミと美神は取り付くしまもなかった。
「帰るわよ、横島くん、おキヌちゃん」
「い、いいんですか?」
「おキヌちゃん、私はね、玄也を信頼しているの。あいつなら何か困ったことがあっても必ず自力で解決するわよ」
かっこいいのはセリフだけで目は思いっきりめんどくさそうといっていた。
「ま、待ってください!」
そう声を上げたのは小竜姫だった。声の大きさにさすがの美神も足を止める。
「ほ、報酬は私からお払いしますから手を貸してください」
「はい、まいどー」
突然、ころりと態度を切り替える美神。
「美神さん、まさか最初からそれが目的だったんじゃあ」
「半分正解」
唖然とする横島の声に小ずるく笑う美神。
「あの……話してもよろしいでしょうか」
珍しく困ったような色をにじませながらクサナギが声をかける。
「ええ、いいわよ」
「ではお話いたします」
説明を聞いてから、やっぱり聞かなきゃよかったと美神は思った。






 ヤマタノオロチは何か違和感を感じていた。大げさに言うなら精神と肉体がぴたりと一致しない。両者の間に何かずれがあった。
(ま、多分……)
肉体と精神──要は魂だ──とでは経験した戦いの数が違うためだろう。
 ヤマタノオロチはどうにかしてその違和感を消そうとしていた。ほうっておいてもいいのだが、あまり気持ちのいいものではない。さらに原因が分かってるのに解決できないということも不快感に拍車をかけていた。
(とはいえ……)
別に何ができるわけでもない。せいぜい、原因となる記憶を必死に探すだけだが、こういう場合えてしてうまくは思い出せない。
 ヤマタノオロチはあきらめることにした。そして、意識を自分の半身へと向ける。そもそもあいつはどこにいるんだ? ヤマタノオロチが歩を進めると四本の足元から波紋が広がる。それらは互いに干渉しあって複雑な形を作り出し、やがて遠くへ広がっていく。あいつにもこれと同じことが起きているはずだ。つまり、自分以外に波紋が見られないということは奴は空間的にある一点から動いてないはずである。つまり、先ほど光が光った方角にまだやつはいるはずなのだ。ところがいつまでたってもやつの姿は見えてこない。さらに、どうやって向こうはあこちらの位置を感知しているのかがわからに。肉眼では数メートルしか見渡せないこの暗闇の中で一体どうやって……
 そこまで考えたとき、不意に先ほどの違和感の正体が見えた。一度目を閉じ、また目を開く。
 視界が開けていた。そうだ、この感覚だ。霊波にピントを合わせてみればいいんだ。やつは……いた。向かって左手。距離にして約30メートル。そこに奴は寝転がっていた。
(そうか……匍匐前進か)
それならばたつ波紋を最小限度に押さえることが出来る。まあなんにせよ、自分にしてみれば一瞬で詰められる距離だ。
 迷う理由は何一つない。ヤマタノオロチは、駆けた。






(気付かれた!?)
武藤が術を発動させるその直前になって、ヤマタノオロチはこちらに向かって一直線に駆けて来た。武藤は大急ぎで呪文を唱える。
「其は至高、其は福音、其は久遠、砕けよ世界!」
正式な呪文を唱えている暇はなく、簡略化された呪文を唱えざるを得なかった。
「しゃらくせぇ!」
だが彼の放った力はヤマタノオロチが吐き出した炎によって、あっさりと霧散した。その炎はそのままこちらに向かってくる。
「くっ!」
慌ててよける。炎は地面に当たってそこで爆砕した。武藤の体は衝撃波で吹き飛ぶ。同時に胸でうずく痛み。
(何だ?)
その痛みを疑問には思ったものの追求している余裕はまったくない。受身を取って地面を転がり(その際、またも波紋が生まれる)、敵を見据える。と……
(いない!?)
影。影が不意に降りてきている。武藤は上を見上げ、唖然とした。ヤマタノオロチは彼を飛び越えるように跳躍していた。
 無論不思議なことではないのだが、あの巨体が飛ぶというのは完全に予想の範囲外だった。武藤の動きが一瞬止まる。その間にヤマタノオロチは着地してこちらに頭──八つあるうちのいくつかを──向けた。そこまで来てようやく、武藤は自分がチャンスを逃したことに気付いた。
 とりあえず──意味のあるなしは別にして──距離をとる。だが、ヤマタノオロチは意外にも追いかけてこなかった。
「やれよ」
「?」
「お前に俺が殺せるか? ろくな力も持たないお前が。証明してやるよ、お前より俺のほうが上ってことをな。俺は無防備でここにいる。お前は、好きなときに、どこからでも、お前の一番を使ってみろよ。何発でも好きなだけな。俺はそれに耐えてみせる。そしたら次は俺の番だ。今度は俺が全力でお前を攻撃する。その時俺はようやくすべてから解放される」
「お前の趣味に付き合う義理はない」
「分かってねぇな。普通にやったらお前には勝てる要素は何一つないんだぜ」
「ちっぽけな自尊心と満足感に手を貸すのはごめんだと言っている」
「だが、お前は俺を殺さなくてはいけない、そうでなければお前は死ぬからな」
「このまま何もしないで待つという手もある」
「言っておくが俺はそんなに我慢強くはないからな」
それはある程度時間がたてば向こうから攻撃してくるということなのだろう。
 武藤はあきらめて呪文を唱え始めた。おそらく自分は死ぬのだろう。







「ふーん、あいつが半魔だったとはねぇ」
美神の声はさして驚いてなかった。
「でも〜〜、確か玄也君はヒーリングが使えたわよね〜〜珍しいわよね、そういうのは〜〜」
一般的に魔族はヒーリングが使えないことが多い。もちろん例外はあるものの、ヤマタノオロチは生粋の魔族だ。
「不思議でわないさ、霊気構造から魔族の部分だけ取っ払われたんだから後の部分に魔族の部分は残ってないはずだからな」
「まあ、その辺のところは後で議論するとしても、どうするの? 小竜姫様」
突然、美神から話を向けられた小竜姫はきょとんとした。
「え? どうするのって……、それは……?」
「だから、私たちに頼みたい仕事って何なの? あいつを助けることなの? それとも倒すことなの?」
「も、もちろん助けることです! もっと正確に言うならメドーサの目論見を妨害することですが……」
「オッケー、わかったわ。それじゃあ、とりあえず動きましょ。武藤君がどこに連れてかれたか分かる……わけないか」
もし、わかっていたら、こんなところで悠長に話し込んではいないだろう、と美神は考えた。
「うむ、そのことなんだが、西条君に頼んである」
と、全員の視線が西条に集中した。
「基本的だが、今は人海戦術で地道に探している」
「人海戦術って……そんな突然にこんな状況で何人動くんだよ」
「君にしてはいい点をついてきたな横島君。そのとおりだ。時間もない品により脅威が眼前に迫ってない時点では動かせる人間は数少ない。しかも私の立場はあくまでインターポール。日本の警察には要請という形でしか指示を出せないのだ」
「だめじゃねえか!」
「だから令子ちゃんたちを呼んだのだ。最も君に限ってはいささかの期待もしてないが」
と、余計な一言を付け加える西条。ガタガタン、といすがけり倒される。
「ちょっと〜〜、けんかしてる場合じゃないでしょ〜〜!?」
「冥子にしてはいい事いった。横島くん、あんたは黙ってなさい話がこじれるから」
 電話のベルが鳴ったのはちょうどその瞬間だった。応対に出たのはピート。
「もしもし?」
「あ、ピート〜〜、電話したかしら?」
受話器の向こうから鼻にかかるような甘ったるい声が聞こえる。相手は小笠原エミだった。
「凍てつけよ風!!」
冷気を含んだ突風がヤマタノオロチにたたきつけられるが相手は微動だにしない。
「終わりでいいかな?」
にんまりと邪悪な笑みを浮かべながらヤマタノオロチはそう尋ねる。武藤は答えず、ただ荒い息を吐いた。ヤマタノオロチはそれを肯定と受け取った。
「さようならだな」
ヤマタノオロチはゆっくりと武藤に近づく。
「戒めよ鎖!」
だが地面に現れた魔法陣から伸びた鉄鎖がヤマタノオロチを捕らえる。
「……へぇ」
ヤマタノオロチは多少驚いたものの、余裕の表情を崩そうとしなかった。実際に余裕であったからだ。
「で、次は何が出てくるのかな?」
武藤はそれには答えず、印を描き、呪文を唱える。
「混沌より生まれし楽園よ、全ての創造の内包者よ、其は至高、其は福音、其は久遠、今、汝、我の力を代償にその大いなる力を再びこの世界に現出させ我が眼前の敵を再び混沌へ追放せよ、砕けよ世界!」
こんどこそ、武藤の最大級の術が放たれた。唯一、敵を滅する可能性がある術が。
 あらかじめ鎖で縛っておいたのは武藤にはもし仮に一撃が通じた場合、ヤマタノオロチは即座にこちらに反撃することが分かっていたからだ。その前に唱えた小規模の術はこちらの力量を誤らせるための伏線だった。功を奏したかどうだかは知らないが。
 術はヤマタノオロチの頭のひとつで炸裂する。そして、別の頭がすぐに答えた。
「終わりでいいかな?」
術をまともに食らった部分は無傷だった。
 何かを考える暇も何かを感じる暇もなかった。
 ヤマタノオロチを縛っていたはずの鎖は一瞬で引きちぎられ、次の瞬間、すべての顎が武藤に喰らい付く。
 痛みを感じる暇もやはりなく、武藤は文字どうり八つ裂きとなった。






「あなたからかけてくるなんて珍しいわね、ピート。デートのお誘いかしら?」
受話器のコードをもてあそびながらエミは言う。 「ち、違います」
「あらそうなの、残念だわ。……それじゃピート」
「はい」
「今から二人でどっかでかけない?」
「すいません。それどころじゃないんです。今、ちょっと面倒ごとが起きまして、力を貸してほしかったんです」
「もちろんOKよ。何処に行けばいい?」
「とりあえず、唐巣先生の教会に……」
エミはそこで思わず受話器を取り落とした。
「……来て下さい。……もしもし? もしもし? エミさん?」 受話器からはピートの声が相変わらずもれ出ているがそれに答える余裕は無かった。
 一体なんだと言うのだ。このプレッシャーは。
「もしもし! もしもし!」 そこでようやくエミは床に落ちた受話器を取り上げた。 「もしもし、ピート。ごめんなさい、ちょっと手を滑らしちゃったのよ」
「そうでしたか、あまり、びっくりさせないでください」
「ふふ、心配してくれてありがとう。ところでピート、その厄介ごとってひょっとして強力な魔族が関わってる?」
「え? えっと、一応メドーサと、あと……その……」
「とにかくメドーサともう一匹魔族が関わってるのね?」
「ええ、まあ」
「ビンゴよ、ピート」
「え?」
「今からあたしの事務所に来なさい。多分その厄介ごとが近くにあるはずだから。仮にそうでなくても正直私が助けを借りたい気分」
「わ、わかりました。よく分かりませんけど気をつけてくださいね」
「ありがと。やさしいわね」
エミは受話器を置いた。 「エ、エミさん!」
そしてその時になってようやく部屋にタイガ−が駆け込んでくる。
「わかってるわ」
そうはいうものの何も分からない。ただそう遠くないところにとんでもないものがある。それだけは分かる。






「ん?」 ふと、シロは何かの気配を感じた。狭い車内を見回すが別段変わったところは無い。
「気のせいでござろうか?」
それにしてははっきりとしすぎていた。人狼の感覚は鋭い。間違いじゃない。シロははっきりと認識する。
 不意に湧き上がってきたのは奇妙な感情だった。憎々しいような、悲しいような、うれしいような、そして、何より懐かしいような……
「なんなんでござろうか?」
思わず口に出してつぶやく。シロは考えたが結局答えは出なかった。






 殺生石はゆらめいた。






 とうとう来てしまった。
 メドーサは心の中でつぶやく。自分の感情に整理のつかないまま。
 圧倒的なプレッシャーが先ほどから続いている。それがどんどんと大きくなっているのが肌で分かった。一体どこまで多きくなるのかと考え始めたその矢先……
 卵にひびが入った。ひびは一度入ると次々と増殖して行き、やがてすべてに行き渡る。そして、ある一点──それは最初にひびが入っていたところだったが──に穴が開き、赤い瞳がその姿を覗かせる。
 この瞬間、ヤマタノオロチは正式に復活を果たした。

※この作品は、ジャン・バルジャンさんによる C-WWW への投稿作品です。
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