少し高くなった日差しを背に受け、オレは物思いにふけっていた。

 卒業と同時に――――言いかえれば結婚と同時に――――オレは独立した。横島所霊事務所だ。所長はもちろんオレで、所員にはタイガーや雪之丞、かおりさんに一文字さん、小鳩ちゃんと愛子がいる。

 雪之丞とかおりさんは、かおりさんの高校卒業と同時に結婚して、今では女の子をもうけている。なんか、色々と大変みたいだったけど。「どこの馬の骨ともわからん奴に、ウチのかおりをやれるかー!」と叫ぶ親父さんをなんとか説得して、雪之丞は婿養子となった。だからあいつは今現在、弓雪之丞だ。うん、激しく似合わねぇ。

 タイガーと魔理さんも、俺たちに比べて遅くなったとはいえ、近々結婚予定だ。今日は籍を入れにいってて休み。明日は盛大にパーティーをしてやろう。そういえば、名前はどうなるんだろう? っていうか、タイガーの苗字ってどっちだ? 結婚したら、魔理さんはタイガー魔理? それとも、寅吉魔理? …………謎だ。

 小鳩ちゃんも高校を卒業したらと約束していたので、愛子と同じく秘書をやってもらってる。さすがに現場を任せるわけにはいかないしな。

 愛子はオレが事務所を立ち上げるや否や押しかけてきた。机の備品付きの、自称OL妖怪だ。相変わらず、口癖は「青春だわ!」。

 所員ではないけど、シロやタマモもちょくちょく遊びに来る。ここが大層気に入ったようだ。まあ、嬉しいことは嬉しいが、美神さんが連れ戻しに来るほど入り浸るってのはどうかと思う。

 そういやこの前、隊長がひのめを連れてきた。久しぶりだったな。相変わらず素直で、美神さんの妹とはとても

「な〜に? また写真見てるの、所長?」

 壁にかけたボードに張ってある写真の数々をぼんやり眺めていた俺に、愛子が声をかけてきた。

「いいじゃねえか。今日の依頼は午後からなんだし」

「だからって、会社の長がそんなボヘ〜ッとしてたら、事務所の空気もだれちゃうじゃない。もっと威厳を持ってよ」

 いや、オレにんなもん期待されてもな。高校時代からの付き合いの奴らにいまさら威厳を持とうとしても……

「わかった、わかりました」

「もう、全然わかってないんだから。

 ……一体、何をそんなに一生懸命見てるの?」

 すぐさま写真に目を戻す俺を見て、愛子が訝る。

「別に……ただ、幸せだな、って」

「ふえ?」

 マヌケ声だな、おい。そんなにオレの言葉が意外か。

「オレは独立して。雪之丞もタイガーも一緒で。愛子や小鳩ちゃんとも一緒で。初めは色々と苦労したけど、なんとか仕事も軌道に乗って」

 ボードの中央の写真を見つめる。事務所開設のときに、全員でとった一枚だ。雪之丞とかおりさんが隣り合い、タイガーと魔理さんが肩を組んでいる。

 まだセーラー服の小鳩ちゃんは恥ずかしげに俯いており、愛子は同じくセーラー服だけど、こちらは対照的に机から乗り出して元気にピースしている。

 そして中心には、もちろんオレ。その隣には、オレの妻がいる。ルシオラがいる。笑顔で、そこに写っている。

「……ルシオラがいて。みんなと楽しく笑いあって。

 そりゃ、いいことばかりじゃなかったさ。事務所始めてすぐに、オレが倒れちまったしな。いやあ、あれはマジで死ぬかと思った」

 笑いながら言う。その時を思い出したのか、愛子の表情が少し翳った。

「あの時はほんと、心配したわよ。私の目の前で倒れるんだもの」

「そうだな。迷惑かけた」

「別にいいわ。生きていてくれたんだから」

 溜息し、愛子は自分の机によりかかった。

「でも、そうよね。私も学校妖怪やめるなんて思わなかった。みんな、少しずつ変わっていく」

「変わらないさ」

「そうかしら?」

「そうだよ、変わらない。だって、みんな一緒に、こうして笑ってるじゃないか」

 写真に写っているみんなの顔は、幸せそうだった。

「……そうね。そうかもね」

「そうそう。オレも含めて、みんなまだ青い奴らばかりだけどさ。だからこそ楽しいんだよ。

 そう、まさにこれこそ――――」

 クスリと笑い、オレと愛子は、続きを口にした。

「「青春だわ!」」

















人魔 第十四幕



誰がために

















 一、


 ゆっくりと、『横島』は目を開いた。

「おはよう、『人魔』よ。気分はどうだ?」

 その瞳を覗きこみ、セザールは言った。

「……………………」

 答えず、無言で『横島』は起き上がる。

「ふむ。問題はないようだな。よし、行くぞ」

 言って、セザールは背を向けた。

 部屋を出て、本来の目的―――世界の破滅―――を遂行しようとする。

 しかし、『横島』はその後には続かなかった。

「……?」

 気配が付いて来ないことに訝り、セザールは振り向いた。

 『横島』は、崩れて消えていくマリーの姿を、じっと見つめていた。

「……ああ」

 セザールは納得した。『横島』が初めて出会った他者が、少しばかり気になるのだろう。あるいは刷り込みで、彼女を親とでも思っているのかもしれない。そんなことはどうでもいいが。

「気にするな。それは単なるゴミクズだ。行くぞ」

 再び、セザールは部屋に背を向ける。

 セザールは、気付かなかった。

 背を向けたため、セザールはそれに気付くことができなかった。

 呆、としていた『横島』の瞳に、激しい炎が浮かぶのを。

 ゆらりと、『横島』は立ち上がる。

 その気配の動きを、セザールは当然と思っていた。自分についてくるのが当然と思っていた。目覚めさせたのは、自分なのだから。

 だが、そんなことは『横島』には関係なかった。

 『横島』は無造作な歩みでセザールに近付き、そして、

「…………え?」

 セザールの胸から、一本の腕が生えていた。

 『横島』の、腕。それが、セザールを背中から貫いていた。

「な……人……魔…………?」

 呆然と呟くセザール。予想だにしなかった事態に、なんら反応を示せない。

 無言で、『横島』は腕を振るった。

 セザールの身体がすっぽ抜けて飛んだ。部屋の壁を割ってまだ止まらず、隣の部屋の壁にぶち当たる。

 吐血するセザール。内臓が破裂したようだった。

 震えながら、セザールは顔を上げた。『横島』が、自分を睨んでいる。

「………きらい」

 初めて。『横島』が、口を開いた。

 それは、セザールにとって意外でしかなかったが。

 そう、あるはずがないと思っていたのだ。『人魔』が口をきくなどとは。

「オマエいや。オマエきらい。ゴミっていった。クズっていった。オマエ、だいっきらい!」

 その言葉に。

 唐突に、セザールは理解した。全てを理解した。自分の誤りを理解した。

 理解して、だから、笑いたくなった。笑いたくなったから、大きく声を上げて、血にむせながら笑った。

 なんだ。ああ、そういうことだったんだ。

 セザールは、嗤いながら思う。

 そうか。そうだったんだ。オレは間違っていた。そもそもの初めから、オレは大前提から間違えていたんだ。

 だってそうじゃないか。オレの計画はいつでも完璧で、完全なる勝利を収めてきた。臨機応変に対応して、いつでも勝利を手にしてきた。

 そう、今回も、オレの計画は完璧だった。間違っていたのは計画ではない。オレたちの認識だ。

「ふ……ふふふくくっくっくっくっくくゲホッくくくくくはははガハッははははは!!」

 笑いながら、セザールは思う。

 そうだ。間違ってたのは、オレの認識なんだ。

 計画は。オレの建てた計画は、まだ、間違ってはいない。

 コイツがそういう存在ならば、オレの思っていたとおりの存在に塗り替えてやればいいだけのこと。

 そう。オレの計画は、まだ、終わってはいない!

「―――なぜ、オレを殺す?」

 自分の血で声をくぐもらせながら、そう、セザールは言った。

「オマエいや。オマエきらい。ゴミっていった。クズっていった。オマエ、だいっきらい!」

 それに対する『横島』の返答は、先ほどと同じものだった。

「……なんだ。あいつをクズ呼ばわりしたのが気に食わないのか、お前は」

 その程度のことで、と、セザールは笑った。

 『横島』の霊波が、憤怒に荒れ狂う。

「あいつがお前に、何をした?」

「アタシを見てくれた」

「違う。あいつはお前を見ていない」

「そんなことない!」

「ならばなぜ、私の邪魔をする?」

「え……?」

 咳き込み、血を吐き、セザールは続けた。

「お前を解放しようとする私を。お前を目覚めさせようとする私を。お前を見ているというのなら、マリーはなぜ、私の邪魔をした? お前の目覚めを、どうして邪魔した?」

「それは……」

「お前を見ていないから、だ」

 その言葉を、セザールは叩きつける。

「お前を見ていないから、マリーは私の邪魔をする。お前を見ていないからだ。お前をなんとも思っていないからだ」

「ちがう! そんなことない!」

「違わん。お前が必要ないから、お前が邪魔だから、マリーは私の前に立ちはだかったのだ。それは横島忠夫を守るためだ。それは横島忠夫を傷つけないためだ。それは横島忠夫を眠らせておくためだ。

 なにひとつ、お前のためにしたことはない」

「ちがう! ちがうちがうちがう!」

「私がここまで来るのを防ごうとした者たちは18人。それだけの者たちが、横島忠夫を守ろうとしたのだ。素敵なことではないか。横島忠夫はとても愛されている。彼女らは横島忠夫を守る為にここにいる。

 マリーも然りだ。横島忠夫を守るために私と戦った。すでに瀕死の重傷を負っていたのにもかかわらず。横島忠夫のために、私に挑んだ。横島忠夫のために戦い、そして死に逝こうとしている。横島忠夫のために、だ」

 ことさらに、セザールは横島忠夫という名を多用し、強調する。霊力を乗せ、呪詛を奏でる。

 なぜならそれが、『横島』にとって、最も忌むべきものだから。自分の望みをかなえる、最も効果的な言葉だから。

 にやりと、セザールは嗤う。

 さあ、引き金を引こう。

 この計画の、オレの役割を果たそう。

 駒は整った。場は整った。後はただ、放つだけ。

 この計画の最後の仕上げを妹に譲るのは口惜しいが。

 まあ、いい。

 アシュタロス様の願いを完遂すべく、オレはすべてを捧げると誓ったのだから。

 死も、滅びも、そのためならば喜んで受け入れよう。

 さあ、狙え。銃口はちゃんと向いているか? 弾はちゃんと入っているか? セーフティを入れっぱなしだったなんてオチはなしだぞ?

 すべての準備が整ったなら。

 その最後を見れないのは残念ではあるが。

 躊躇せず、引き金を引こう。

 そしてセザールは、決定的な一言を口にする。

「お前のためでは、ないなぁ」

 それが、その男の最期の言葉となった。

















 二、

 セザールが『横島』に吹き飛ばされ、そのプレッシャーが消え。

 陽蘭は迷わず、マリーの元へと駆け寄った。

 すぐさま傷の具合を診る。傷はチャクラの間近ではあったが、貫いてはいなかった。まだ、手遅れなわけじゃない。

 陽蘭はヒーリングを開始した。

 見る見るうちに傷が治っていく。しかし、それでもマリーは目覚めない。

 当然だろうと、陽蘭は思う。完全にではないにしろ、チャクラを傷つけられたのだ。傷口を塞いだだけでは、とても充分とは言えない。

 なにかないか。なにか。なにか、チャクラを再構成できるようなものは………

 あたりを見回し、陽蘭はそれに気付いた。

 先ほど、『横島』がセザールを貫いた際に散乱した血。そして、

 セザールの、霊気片。

 異母兄妹ということは、父親は同じ。霊気構成も似通っているはず。

 それしかないと陽蘭は判断し、行動に出た。

 散乱しているセザールの霊気片をかき集め、マリーを基本に加工・調整し、マリーの霊体に埋め込んで霊基構造の再生を促す。

 果たして、その試みは成功した。マリーの顔に、生気が戻り始めたのだ。

 安堵の溜息をつき、陽蘭は優しくマリーの身体を抱きしめる。

 ぐしゃり、と、いやな音。

 振り返り、それが『横島』がセザールの顔を潰した音だと知った。

 そのまま動かない『横島』。

「ちがう……ちがう……そんなの………」

 耳を澄ませると、そんな呟きが陽蘭の耳に届いてきた。

 なにが違うのか、それはどういう事か、陽蘭は考えようとして、しかしすぐに思索を中断した。

 マリーが小さくうめき、身じろぎしたのだ。

「う……」

 そのうめきに反応したのは、陽蘭だけではない。『横島』もまた、マリーを振り返っていた。

 その表情の、なんと頼りないことだろう。今にも泣きそうな顔。縋りつくような目。何かを望み、それが最後の希望だというような。

「マリー。大丈夫、マリー?」

 陽蘭の呼びかけに、マリーはゆっくりと瞼を開けた。

「陽、蘭……さん……」

 意識を取り戻し、マリーは最初にこう言った。

「横島さま……は………?」









 それは。









 それはあまりにも。









 あまりにも無情な宣告だった。









 マリーの言葉。









 マリーが最も気にかける人物。











 それが横島忠夫であったという事実。



「横島忠夫のために、だ」





 それは『横島』にとって。



「お前のためでは、ないなぁ」





 すべてを絶望に塗りつぶすには、あまりにも充分過ぎる言葉だった。




















 『横島』は、暴走した。


















 三、

 『横島』は絶望し、暴走した。

 その霊波は荒れ狂い、妙神山道場を壊滅させた。

 建物は吹き飛び、瓦礫の山と化した。

 もうもうと埃が舞いあがる中、瓦礫の中から二人の人影が出てきた。

 人影は、『横島』に気付いた。

 驚愕の表情で人影は『横島』を見つめ、その片方が呟く。

「ヨコシマ…………」

 その言葉に。

 『横島』は迷わず駆け出した。

 横島と呟いた人影の存在を、この世から消し去るために。






※この作品は、桜華さんによる C-WWW への投稿作品です。
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