「あんな現実女、ボクが気にかけることは絶対ない!」 サンデー51号神のみ感想

神のみぞ知るセカイ

 「好きになるのに…理由なんてないよ!
  気がついたらもう、好きになってたのさ!

 桂馬が秩序だった論理が支配するゲームの世界に住む神であるならば、対するちひろは時として理屈が通じない、あいまいで非論理的な現実世界の人間である。それを象徴するような言葉だと思いました。

 「攻略もしてない…接点もない…それで、なんでボクが好きなんだよ!」の台詞から伺えるように、桂馬にとって「好き」という感情はあくまで攻略という手続きを踏んで初めて獲得される感情であると認識していますが、ちひろにとって桂馬を好きである理由は「気がついたらもう好きになってた」という言葉が全てであり、それ以上の理屈は必要ありません。現実はギャルゲーよりも遥かに複雑系であるが故に、斯様な非論理的な感情も(桂馬にとっては残念ながら)アリなのです。困ったことに。
 かつて桂馬はちひろのことを「現実女」と罵倒してましたけど、今でもやはりちひろは桂馬にとって(そして、この作品そのものにとっても)ままならない現実の象徴なんでしょう。

 女神探し編が始まってからというもの、このマンガに出てくる主要女性キャラクターは基本的に体の中に女神を養っているか、女神そのものであるか、あるいは悪魔であるといった、良くも悪くも超現実的な面々ばかりになって来た感があります。
 特にかのんは「桂馬に救われるのを待っている囚われのお姫様」的なポジションにいることもあってか、以前登場した時にはかのんちゃんマジ女神としか表現しようがない、神々しいまでのアイドルオーラを放っていたのが印象的です。

 しかしそんな中でちひろは、あくまで「現実の人間」というポジションに位置し続けているキャラクターであることが明確になりました。桂馬のことが好きだとハッキリと意思表示をした彼女は、もしこのまま順当に学園祭が開かれ、かつそれまでにかのんが救われれば、学園祭のステージの上でかのんと(桂馬を賭けて)対峙する機会が起こりえるかも知れません。
 もし本当にそうなったら、理屈抜きの恋ができる普通の人間の女の子として、歌でも恋でもアイドルであるかのんと正面から張り合うことができる、そんな彼女の輝く姿を見てみたいなーと、今回必死になって桂馬に自分の想いを伝えたちひろを見て思いました。ホントに素敵な女の子になりましたよね彼女。

 しかし、桂馬が今やっていることはちひろとのデートではなくあくまで「女神探し」を賭けた攻略であり、女神を探してかのんを助けなければ、上記のような機会をちひろが得ることもあり得ません。という訳で、桂馬はちひろとのフラグをへし折る作業に入らざるを得ないのです。
 そんな桂馬にとっての誤算は、ちひろとのフラグを折る工程を、本来の目標である歩美に見られてしまったことでしょう。これは荒れますよ。女子二人からモテてモテて困る展開から一転、女子二人に嫌われまくる展開に突入ですよ。ここからが本当の地獄ですよ。

 果たして桂馬はこの状態から歩美の中にいる、女神だか何だかよく判らない存在を引き出すことができるのか否か。まだまだ先は長そうです。

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ちひろ攻略編のBlu-ray欲しいなー

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