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「競女!!!!!!!!」アニメ版開始記念 サンデー45号感想

競女!!!!!!!!

 アニメ第一話を見ました。始まる前は「よりによって、あの『競女!!!!!!!!』をアニメに!? 本当に大丈夫なのか!?」と心配でしたけど、実際に見てみたら個人的には期待以上の出来だったと思います。

 何より、「競女!」の世界とは「水着のお姉さんたちがプールの上で尻相撲をしている」という設定から想像される、「女の子アイドルが『ポロリもあるよ!』みたいなお色気を振りまいてキャッキャウフフと戯れる」ものでは全く無く、乳と尻を戦う武器とみなして壮絶な能力バトルを繰り広げるガチな格闘技を描いたものであることを制作側がちゃんと悟っていることが、第一話から伺えたことが嬉しかったです。
 アニメが始まる前に心配だったのが嘘みたいに(「競女!」として)よくできたアニメでした。「案ずるより尻が易し」とはまさにこのことだったのですね!(グルグルした目で)

 あとは、エンディングでちゃんと登場人物達が走っているところも良かったです(よりによって風に流された競泳水着を追って)。エンディングで走るアニメは名作の法則に従えば、「競女!」のアニメは第一話から既に名作の仲間入りです。

 本編の方は、のぞみの新必殺技「真空烈尻・弐式」が、すごい風を尻から巻き起こすことで相手の尻の体温を急速に奪い、その結果相手の尻を攣らせるものであることについて、読んでいる時は「なるほどわかった」と素直に納得しかけたんですけど、しかし読んだ直後に「いや、いくら何でもそのりくつはおかしい。気化熱でそこまで急速に熱を奪えるだけの風圧を、人間が尻だけで発生できるとは思えない。この技は熱力学を超越してしまっているのでは?」と疑問を持ってしまったので、まだまだ自分は「競女」に対する悟りが足りないなと反省しました。
 そもそも「UNCO」とか言ってる作品世界に常識を持ち込んではいけないんですよ(知性の喪失)。

だがしかし

 ほたる亡き後の(死んでません)「だがしかし」界に、まさかの新女性キャラ・尾張ハジメ(20)が登場。しかも何か住み込みとか言ってますよこの人。彼女、いったい自分が何を言っているのか判っているのでしょうか。

 今のココノツにとって異性と一つ屋根の下で一緒に生活するということは、ココノツがほたるに捧げた純潔への想いが本当かどうか、日々試されるということを意味しているんですよ。ほたるを失って(死んでません)心に穴を穿たれたココノツに、更に性的な意味で過酷な試練を課すことになるんですよ。ハジメさんはそれが判っているんでしょうか。明らかに判ってないですよね。
 彼女を雇用したことが、文字通りシカダ駄菓子店にとっての終わりの始まりとなってしまう可能性も否定できません。尾張ハジメなだけに(シャレ)。

 それはそれとして、ハジメさんは高スペックな頭の持ち主だけどマトモな日常生活が全く送れないキャラということになっていますが、リアルでもそういう人物には何度もお目にかかったことがあるので、彼女には割と近親感を抱けます。
 彼らを見てると、天才を天才のまま活かしておくためには、天才に常識を求めてはいけないんだよなとつくづく思います。

マギ

 シンドバッド、「聖宮」を目指す夢半ばで散ってルフになって輪廻の輪に取り込まれるの巻。あのシンドバッド様が、まさか最期は神の光に撃たれて炭になって消える結末を辿ることになろうとは。
 彼の最期が満ち足りたものであったのが救いではあります。次はどこの誰に生まれ変わるんでしょうか。

 あと、物語が既に神話的スケールに入り込んでいるので全体的に絵の表現が観念的なんですけど、シンドバッドにこの世の摂理を説いているウーゴ君を「人型の白いシルエットに丸い目を入れただけ」の描き方で神々しさを表現しているのが、ある意味すごいと思いました。
 そういえば、前にアリババが超常的な力でハニワになった時も「人型の白いシルエットに丸い目を入れただけ」でしたし、このマンガにおいては丸い目だけの人物表現=神性の現れなのかも知れません。

古見さんは、コミュ症です。

 古見さん水着回でしたが、個人的には古見さんの黒髪を顔にバッサバッサ当てられた結果、「髪フェチ」なる新たな性的嗜好に目覚める只野君がただただ羨ましいなと思いました。
 フェチの中でも比較的ニッチと思われる髪フェチに目覚めてしまった只野君が、これから古見さんの長髪を見るたびにあの時の感触を思い出して悦に浸ると共に、それ以上のプレイを求めたいけどそんなことは絶対にできないし彼女にこの性癖のことなんて言えないという、己の満たされないフェティシズムに悶々とする日々を送ることになるかと思うと、何かこう青春って感じがしていいですよね!

 はしゃいでコケる古見さんが可愛いです(マトモな方の感想)。

天野めぐみはスキだらけ!

 基本的に先々週のサンデーに載った「銀の匙」の一コマ、「だったらとっとと八軒の下宿行って返事して不純異性交遊すりゃいいじゃん!」が思い浮かぶような話でした。
 幼馴染の女の子が「自分の部屋で一緒に勉強しよう」と誘って来たら、まあ普通ならヤることは一つだと思うんですけど、残念ながら「天野めぐみ」はそういうマンガじゃないんですよね。まー君かわいそう…。

 そんなアレでめぐみのムッチムチで無防備な肉体を見せられて終始悶々としていた学とは逆に、話の最後に描かれためぐみの学に対する初恋のエピソードがあまりにピュアであり、この辺の両者の対照っぷりがこのマンガの肝なんだろうなと思った次第です。
 めぐみの学に対する感情が、子供の頃の初恋の状態に留まっていないと今のこのマンガの健全なエロさを醸している雰囲気が整理しないことを考えると、二人の関係は今の状態のまま当分は進展しないんだろうなーとも思います。

読み切り:始発電車

 週刊少年サンデーには久しぶりに登場の小山愛子先生の読み切り。前にサンデーに登場したのは2005年とのことなので、実に11年ぶりの登場ということになります。
 マジか! 前に小山先生の作品が載ったのはほんの数年前だと思っていたんですが、もうそんなに経つのか! そりゃー歳取る訳だわ!(日記)

 小山愛子先生は、ゲッサンで横濱の喫茶店で働く少女の日常を描いた「ちろり」という作品を連載していたのですが、今回の「始発電車」も兄妹の日常の何気ない積み重ねを描くことで、ラストの「妹が結婚する」=これまでの日常が終わることの重みを感じる構成になっていると思いました。
 いくら幼少期にお兄ちゃんのことが大好き! と言ってる妹も、一般的にはいずれ彼氏を見つけて結婚して他所に行っちゃうんですよね。お兄ちゃん大好き系のエロマンガばっかり摂取しているとそういった常識的なことを忘れてしまいがちなので、気を付けたいです。

ふれるときこえる

 最終回。友達を気遣える心の清らかな善男善女達が、キレイな心を持っているが故に恋と友情の間で思い悩むという美しい物語だったという印象でした。
 「ふれるときこえる」というタイトルに象徴されるサイコメトリー能力は、最終的には「サイコメトリーを持っていても全てが判る訳ではなく、相手が口に出して自分の意志で言ったことこそが相手の本当の気持ちである。本当に大切なことはちゃんと言葉に出さなければ相手に伝わらない」というところに落ち着いたところからも、この作品の抱えるテーマの美しさが伺えるというものです。

 あとこのマンガのもう一つの特徴は、メインヒロインであるさとりがここぞという時にメガネとマスクを外してキメ顔を晒す点にあったんですけど、最終回でもそれをちゃんとやらかして噪君を籠絡しにかかっているので満足しました。
 さとりの眼鏡は彼女の心を外から守るためのペルソナの象徴であったんですが、最後に眼鏡を外して噪の前に現れたことで、彼女は自分の心を他人に晒す覚悟を手に入れるまでに成長できたことを示しています。つまりこの物語は、最終的には「さとりが眼鏡を外すまで」の物語だったのです。
 「眼鏡を外すと美人」のパターンって、さとりみたいな子には極めて有効に働くんだなと思いました。

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「始発電車」の小山愛子先生のゲッサン連載作品。女の子かわいい


お久しぶりです(´・ω・`) サンデー43〜44号感想

西脇サブ長の人柄が伺える一コマ(サンデー43号より)
あおざくら

 あまり本編とは関係ないのですが、西脇サブ長って何だかんだで面倒見が良いし先輩後輩関係なく慕われているオーラがあるように思えます。前回の「近藤は乙女心というものが、何一つわかっとらーん!」の下りは、西脇サブ長の優しさがにじみ出ていて個人的に感動しましたね。
 そんな面倒見が良く乙女心に通じている彼は、この手の話だと有事の際には何か部下や民間人を庇って撃たれて死ぬタイプのキャラなんじゃないのかなと思ってます(ひどい感想)。このマンガの中では有事にならないといいですね。

 坂木部屋長は、戦場でも弾避けるのが面倒くさくなって匍匐前進とかしないでズンズン歩くけど何故か弾が当たらないタイプ(ひどい感想)。

マギ

 「聖宮」を目指すことを決意してからのシンドバッドは、随分と活き活きしていると感じます。
 アリババが商売人として頭角を現すようになってから、シンドバッドは「新興勢力に既得権益を脅かされる側」を象徴する嫌な感じのボスキャラとしての立ち回りを余儀なくされていたところがあったのですが、これまで築いた全てを捨て、自分の野心のためだけに神の力を得ようとしている今の彼は、自身に満ち溢れていてとても魅力的です。
 死んじゃいそうだけど。

だがしかし

 これも前回の話になりますが、ココノツがコンビニ店長に「店員になればスケベな本を読み放題なのでウチでバイトしろ!」とアルバイトを迫られた際、ほたる(のおっぱい)を脳裏に浮かべ、「欲しいスケベは自分の手で掴み取る!」と宣言してその誘惑に耐えた話が非常に良かったと思います。
 つまりココノツは、既にほたる(のおっぱい)に貞操と純潔を捧げており、いつかほたる(のおっぱい)を自分の手で掴もうと決意している訳ですよ。ココノツの性的な精神的な成長を感じます。

 そして今回は、そんなココノツを眺めてニヘラニヘラしているサヤ師が良かったです。

古見さんは、コミュ症です。

 最近は(何だかんだでクラスの中では一番古見さんのことが判っている)只野くんに対し、古見さんがかなり彼を意識しているような展開になって来ていて大変に只野くんが羨ましいので、これからこのマンガを読む時は「オレが只野だ! 只野がオレだ!」と自意識を高めるマインドセットを仕込んでおきたいと思いました。

競女!!!!!!!!

 今回ののぞみの対戦相手の柏葉さん、敬愛している竜胆様から「ジャブ的な胸技を覚えねーとな」と言われて伝授されたのが、ジャブというよりはむしろ必殺技レベルの大技である百裂系の「乳・爆烈拳」だったというのが面白かったです。
 この「乳・爆烈拳」には、対戦相手との間合いを取って行動を制限するとか、細かいダメージを積み重ねて相手を追い詰めるといった一般的な「ジャブ」の意味合いは全くありませんが、そもそも「競女!」とはそういう世界のマンガであるということを、アニメをきっかけにこの作品を知った読者に知らしめる効果は十分にあると思いました(前向きな感想)。

絶対可憐チルドレン

 個人的に「公式が最大手」と勝手に呼んでいた、真木と兵部の過去話展開が終了。
 何故「公式が最大手」かというと、これまで真木達パンドラ三幹部が幼少期だった頃のエピソードは原作内であまり触れられておらず、それだけに絶チルの二次創作界隈でよく題材にされていた印象があったんですけど、そのネタを公式エピソードで堂々とやってしまったことに由来します。さすが椎名先生です(褒めてます)。
 今回の公式エピソードを燃料に、更にファンの皆様の二次創作意欲(具体的には真木×兵部妄想)が捗ることをお祈りしております。

 話の展開としては、これだけ兵部が真木との過去のエピソードを語って真木のことをどれだけ大切に思っているかを訴えたのにも関わらず結局ギリアムの洗脳は解けず、兵部は不二子に続いて真木までギリアムに奪われることになってしまいました。兵部の最も大切な人間を標的にするギリアムの性格の悪さは、既に兵部のそれを上回っているということでしょうか。

 おそらく今後は、兵部は(不二子を助けるために極秘に行動している)皆本や賢木と協力して事態を打開しようとする行動に出るものと思われます。可憐ガイズ再結成の流れが来てますね!
 更に、最強の独身中年男性である谷崎主任も可憐ガイズに合流すること必至!(必至なのか) 兵部と谷崎のやり取りはちょっと想像できないので、その辺が今から楽しみです。

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古見さん1巻は、現在Amazonでは品切れでプレミア価格になってますね


さようなら、枝垂ほたる記念・ここ一ヶ月くらいの「だがしかし」感想

だがしかし

 このマンガのキャッチコピーは「ウマイ駄菓子×ヘンな美少女? ハイテンション駄菓子コメディー開封ッ♪」なのですが、ココノツとほたるの夏祭り花火デート回以降は明らかに話の雰囲気が変わって来ています。まるでタイトルが「さようなら、枝垂ほたる」に変わったかのような切なさと重苦しさです。
 ほたるがいずれこの町からいなくなるであろうことは、これまでのエピソードの中でも示唆されてはいましたが、ついにその時が訪れてしまいました。

 話の雰囲気が変わってきたのは、明らかにココノツがほたると「二人きりで」花火に誘った、ホームランバーのエピソードからでしょう。
 本当なら遠藤兄妹と一緒に行くはずだった花火大会を、ココノツがほたると二人で行くと言ってしまったことは、彼にとってはほんの一時の気の迷いというか、(ほたるから「二人で?」と聞かれたことによる)偶発的な出来事だったと思うのですが、しかしその選択はココノツ・ほたる・遠藤兄妹の間の微妙な人間関係のバランスを壊し、今後の彼らの関係を大きく変化させるきっかけになってしまう可能性はあり得ると思います。

 そしてほたるは、おそらく現在の人間関係や駄菓子屋を巡るこの町の状態に満足しており、それが大きく変わることは望んでいなかったのではないかと思われます。
 しかしその一方、いずれそれらは時代と共に変わってしまうであろうことも、多分彼女は判っているはずです(幼少期に通っていた駄菓子屋がなくなってしまったエピソードが象徴的)。

 そんなほたるに対して、ココノツがこれまでになく積極的なアプローチをして来たことは、ほたるにとっては「ついにこの町も変わる時が来てしまった」ことを意味していたのかも知れません。この町が変わってしまう以上、自分もこのままではいられない。そんな考えが、彼女を動かしたのかも知れませんね。全て自分の妄想ですが。

 あと今回の話では、ほたるが不在であってもいつも通りにココノツに接するサヤの姿が印象に残りました。
 でも、彼女の側から今のココノツ達の状況を見た場合、

  • 花火大会の時にココノツとほたるの姿がなかった
  • つまり花火大会の時、ココノツとほたるは「一緒に花火を観る」約束を破って二人きりで逢っていた
  • 二人は付き合っていたのか?
  • しかし花火大会が終わった途端、ほたるは姿を見せなくなってしまった
  • ほたるが姿を見せなくなったのは、花火大会の時にココノツがほたるに何かやらかしたからなのでは?

 と訝しまざるを得ない訳であり、サヤの今の態度はココノツに対して微妙に引いている結果である可能性も否定できないのでは(嫌な感想)。

 そんな感じで、否応なく人間関係がネクストステージに進む可能性を秘めたこのマンガ。
 次にココノツの店に訪れた時のほたるの姿は、これまでのままの駄菓子大好きな美少女の姿なのか、それとも駄菓子界隈の衰退を憂うあまりホームランバーの当たり棒どころか全てを忘却の彼方に追いやってしまった、変わり果てた姿なのか。
 そんな妄想をしつつ、次回の「帰ってきた枝垂ほたる」編を待ちたいと思います。

 今回の結論としては、「二人で?」と言ってココノツを見つめる時のほたるさんはすごく可愛いと思いました。


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今考えると、アニメ版のほたるさんは少々エキセントリック過ぎた気がする


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