多面的な戦国武将像

No.12001/02/10 10:41 カテラン組合の書記長(hrihzen@mocha.ocn.ne.jp)

 今回は連載を離れて余談を一つ。
 戦国時代の武将について、今朝聞いたラジオ番組で示唆に富む内容が放送されていました。大要を紹介します。

   かの今川義元について現在世間一般の評価は低いが、その事跡を丁寧に見るとなかなかたいした武将であったことが窺える。
    ・戦国武将で大義を掲げて上洛戦を行ったのは今川義元と織田信長・武田信玄の3人のみ。
    ・信長より30年以上前に「楽市楽座」を領内で行っている。
    ・今川氏の版図は義元の時代に最大となり、絶頂期を築き上げた。
  等々。
   義元については「桶狭間の戦い」の戦死から凡将の印象があるが、それは信長の「本能寺の変」に比定しうる。
  どちらも圧倒的な勢威を持つが故の「まさか」の隙を突かれて志半ばで命を落とした。
  ところがその後の権力継承の本流に位置する信長は賞揚され、傍流の義元や明智光秀は貶された。
  また義元にまつわる評価は主に江戸期に入ってまとめ残されたので、
  家康絶対化・神格化の進んだ時代において幼少期の家康を人質にとった義元の評価が低くされるのもまた自然である。
  「勝てば官軍」の戦国時代、敗者となった者は浮かばれないが、その事跡を詳しくたどることで通俗とは異なった姿も見えてくる。

 これは勿論1つの見方ですが、各々の戦国武将の新たな姿を想像することも興味深いですね。


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