顕れる才能とオレ流の才能と。

No.12000/04/28 11:30 雨の浮船(ukifune@jomon.ne.jp)

 今回(珍しく発売日夜にサンデーが手に入ったのだー(^^))
 ヒヨシの最も重要な才能「人たらし」が明らかになったわけです。
 ご存じのように「人たらし」という言い方は私が勝手に言ってる
 わけではなく、最もスタンダードな秀吉伝説の解釈です。
 けれど、ここで椎名先生は重要な変更を加えられた。
 
 ひとことで言って今までの秀吉伝説は、
 「周囲のすべての人間が秀吉の『ひとたらし』に踊らされる」
 というものでした。

 身もふたもない言い方をすれば秀吉伝説は、
「秀吉以外の戦国大名はみな信長も家康も加藤清正も伊達政宗も
 秀吉と竹中半兵衛の機略に踊らされたばかあほうである」
 というそういう解釈のもとに語られて来たわけです。
 清正なんかは秀吉の死後も「踊っていた」ような解釈をされて
 ます。あわれな。

 講談などで秀吉が語られるとき、
 庶民は、同じく庶民出と「される」かれの徒手空拳と言って
 もいい勇姿に、
 機略以外武器を持たない我が身をだぶらせて、
 溜飲を下げて来たわけです。
 ざまあみろ!名門大名め!と。
まさに秀吉の大冒険ですね。
 
 名門大名はトリックスター秀吉の・・・。
 トリックスターの代表的武器のひとつ「とんち」に
 (名門への庶民の智恵ある反抗というテーマがあるので、
 「東北の名家」である伊達政宗の秀吉への帰服が重要な名場面に
 なるわけです)
 手もなく舞わされる。
 
 そして力の持ち主ではなく
 (力の象徴である信長が暗殺されるように)
 いちばん機転のきく智恵者秀吉が覇者の座につく。

 とまあそれが今までの「巷説の」 秀吉像だったわけです。
 (蛇足ながらアオリを見るにつけ、サンデー編集部はこの
 従来の秀吉解釈から一歩も出てないように思われます。)

 しかし椎名先生は「秀吉を少年漫画でやる」ために
 地味だけれど天才的な一手を放った。
 (僕が心配するのはここで、現在のサンデーはこういう
 「地味天才」をちゃんと評価できないんではないかと思う
 のです。おりゃおりゃーオレ俺ー男漢ーつってないと軽く
 扱われてしまうんではないか。そういうのはそれこそ
 「超増刊」にまかせておけばいい。
 三大少年誌ともなれば、「作家は編集者の財産」なだけ
 では認識がはなはだ足りない、と言っていいです。
 「同時に漫画界の財産でもある」と考えないと。
 考えて、椎名先生の謙遜をそのままうけとめず、
 おりゃおりゃだけが「やる気」だと思わずにいて欲しい。
 杞憂ならいいんですが。)
 
 地味だけど天才的な、そして自然な無理のない一手、それは。
 「周囲の人間が踊らされる」
  を
 「才能が顕れて認められる」
 にしたことです。
 これはささいなようで重要な改変です。
 今までのいわば「オレ流」秀吉から
 「モテちゃってホホホホ」の秀吉に。

 「出世物語」から「少年漫画の王道」へと。 


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