美神 令子・その人生・その愛
この間、久しぶりに一泊二日で東京に出かけた。
東京に出かけた公式な理由は、千葉の幕張で開かれたコンピュータショウ World PC Expo に参加することであったのだが、本当の目的は一緒に行った同僚と泊り込みで東京で飲んで騒ぐことであった。
ということなので、幕張の展示会場の3/4強というやたら広いスペースを使って開かれた PC Expo の会場に居たのはたったの4時間だけ(しかも食事時間込み)で、展示を観ている時間はロクになかった。
そんな事なので、もちろん内容もロクに憶えていない。競争厳しいコンピュータ業界に身を置く人間がこんなことでいいのだろうか(笑)。
で、上京したついでに、秋葉原のメッセサンオーその他の同人誌を置いてある店を少し巡ってみたのだが、そこで気付いたのが、やはりというか何というか「ときめきメモリアル」関連の同人誌の量の凄まじさだ。今までは「ときメモ」にそれほど興味はなかったので気付かなかったのだが、改めて確認してみるとやっぱ「ときメモ」人気は凄い。凄すぎる。
特にエロパロ系は、量が多いのはもちろんだが、「ときめき赤マムシ」とか「詩織 −闇の刻印−」とかいった類の、如何ともし難いタイトルを付ける妙なセンスを発揮している同人誌もあり、侮りがたさを感じた。こういう妙チキリンなセンス、先生は大好きだ。
この素晴らしいネーミングセンスがある限り、日本のパロディ同人誌界隈はまだまだ大丈夫なんだろうなと、タイトルを観ながら一人で訳の判らない事を考えてしまった。
で、パロディと言えば、今回はGS美神のエロパロ誌としてその筋では有名な「脱げ! 横島」をゲットできたのが収穫だった。
エロパロと言うと抵抗がある人も多いだろうが、エロパロを作るための苦労や精神的な負担は並大抵のものではなく(と、知り合いの同人作家は言っていた)、それ故、作者のパロディ元作品への思い入れもかなり強いと思う。と言うか、作品に対する思い入れが強くないと、面白いエロパロは作れない。
エロパロは単なる「ウケ狙い」とか「売り上げ数確保」のためだけではなく、エロパロはエロパロなりに作品への熱い思い入れを表現する方法の一つなのだ。多分。特に、これらの同人誌につきものの「作者のコメント」なんかを読んでみると、作者の思い入れの度合いや程度が見えて来て、結構興味深い。エロパロだからと毛嫌いせずに、たまには読んでみるのも悪いことではないと思う。
しかし、横島……
たとえ同人誌の中とは言えども、お前がこんなに嬉しい目にあっていいと思っているのかー
というバカな話だけではなく、時には本編にも触れておこう。
先週から、「私を月まで連れてって!」編が始まった。
今回の舞台は「月」なのだが、舞台設定そのものはそれほど重要ではないだろう。今回重要なのは、久しぶりに出てきたメドーサだ。彼女の最後となるであろう戦いっぷりが注目される。
メドーサは登場当時、「魔族」を象徴するキャラクターであった。彼女が初登場した「プリンス・オブ・ドラゴン」編以来、小竜姫のライバル的な存在として要所要所に登場、物語を盛り上げてくれた。
また、性格的に類似するところが多い美神とのやり取りも愉快でよろしい。「香港編」での彼女と美神のやり取りは、GS美神の名場面の一つと言っていいだろう。こんな感じで初期〜中期に渡って活躍していたメドーサであったが、物語の主軸が「単なる対魔族戦」から「美神の時間移動能力」にシフトして来た辺りから、彼女の存在価値は薄らいで行くことになる。
特に、時間移動能力の発端となった「母からの伝言」編に登場しなかったことでメドーサは物語の主軸に絡む接点を失い、結局「香港編」(話は長かったが、この話は結局GS美神の長期展望には影響を及ぼさなかった)を最後に、メドーサは一旦レギュラーから離れてしまった。それは何故なのだろうか。
メドーサは、「魔族の為に陰謀を企てて実行する」という悪の女幹部の基本パターンに忠実なキャラであるのだが、逆に言えば「単にそれだけのキャラであった」とも言えるではないのだろうか。
彼女が登場した頃は、まだ「魔族とはどのような存在で、何を目的にしているのか」という事すら設定として固まっていなかったこともあり、メドーサというキャラの行動の動機付けやキャラとしてのバックグラウンドの深さなどの面では、どうも今一つ弱かったような気がする。
「何故メドーサは人間界で悪いことをするの?」「だって魔族じゃん」だけでは、やっぱまずいのだ。彼女が一旦レギュラーを外れたのは、おそらく椎名氏が、彼女を活躍させるだけの理由を見付けることができなかったからではないのだろうか。メドーサを活躍させるためには、彼女の属する「魔族」の設定を、キッチリと決める必要があったのだ。
そして今回、ついに満を持してメドーサが登場した。今回は「アシュタロスのために」という行動方針もでき、メドーサが暗躍できる舞台も整った。しかも今回は、彼女とノリが合う美神との一騎打ちになることは必至と来ている。まさしく、メドーサを活躍させるためのお話と言ってもいいのではないのだろうか。
おそらく、今回はメドーサ最後の戦いになるだろう。
GS美神の礎を築いたキャラをどう椎名氏が活躍させるのか、注目したい。
ちょっと遅くなったが、実は9月2日を持ってこのC−WWWは公開一周年を迎えた。
更新が遅いとかサーバが遅いとか色々言われながらもここまでコンテンツを拡張できたのは、ひとえに皆さまのおかげ。みんなありがとー(フェリシア@ヴァンパイアハンター.カプコン風に)
という訳で、今後もよろしくね。
以上。
最近、「消えたマンガ家」(大泉実成著/太田出版)という本を買った。
この本はどんな本かと言うと、タイトル通り「消えたマンガ家」(死亡したり引退したりしてマンガを描けなくなったマンガ家)の消えた理由や、姿を消した後の足取りなどを追った、ドキュメンタリーを集めたものだ。
この本では、ちばあきお、徳南晴一郎(私はこの人は流石に知らない)、富樫義博、山田花子、鴨川つばめといった、過労死したり、自殺したり、絶筆したりしたマンガ家が取り上げられている。この本を購入した理由は、昔好きだった「マカロニほうれん荘」の作者、鴨川つばめ氏の消息を知りたかったからという、割と安直なものだった。……だがしかし、これを読んでいくうちに、いかにマンガ家という職業が「しんどい」ものであるのかという事を再認識させられたような気分になった。
人気マンガ家である彼らが、なぜ絶筆したり自殺してしまうような絶望的な状況に追い込まれてしまったのか、という理由は、もちろん各人によって異なる。だが、この本に出てきたほとんどのマンガ家に共通している悩みがある。それはコレだ:
「描きたいモノが描けない」
「自分の納得できるモノが描けない」
これはおそらく、マンガ家ならみんな抱えている悩みではないかと思う。特に、週刊ペースで連載しているマンガ家の場合は時間的な制約が大きく、納得できるレベルの絵を描くだけの余裕がないようだ。
もちろん、それでも連載マンガは描かなければいけない訳で、そこに葛藤が生まれる。ストイックでマジメなマンガ家ほど、安易な妥協をする事ができず、より自分を精神的に追い込んでしまう。その結果、ストレスを極限までため込んでしまって過労死してしまったちばあきお氏や、逆に「人がどう思おうがどんなに荒れた原稿になろうが、一人で描きたいものは描きたいんだ」と思って荒れた原稿を描き、最後は連載を降りてしまった富樫義博氏などのドキュメンタリーを読んでいると、何というか、とにかく衝撃を受けた。
マンガ家という商売が「苦しい」ということはある程度は知っているつもりだったが、これほどまでにマンガ家というのは厳しいものなのか?
また、このドキュメンタリーの端々からは、現在の出版社主導のマンガ作りというシステム面の問題を感じることができる。その最たるものが、ジャンプの「読者アンケート」(かの有名な、紙面に載る順番がそのままアンケート人気を現しているという、アレ)と、「専属契約」(ジャンプで描いているマンガ家はジャンプ以外で描いてはいけないという契約:ジャンプだけではなく、どこでもやってるんだろうけど)の弊害だ。
読者に人気のあるものを描く、というジャンプシステムは大いに成功したが、それは逆に「作者の描きたいモノを描かせてもらえない」というマンガ家の悩みに直結してしまった。また、連載が長期化すれば、やがてそのマンガでできることをやり尽してしまい、それでも無理に連載を続けるとマンガの質は低下してしまう。
現在のジャンプの発行部数の凋落ぶりは、このシステムが現在ではうまく機能しなくなっていることを表しているのではないのだろうか。
「マンガ」は、確かにアニメ・ゲームと並ぶ日本の誇る世界水準の文化であるはずなのだが、その重要な文化を創造しているはずのマンガ家が、ここまで精神的・肉体的な犠牲を払っているのかと思うと、ちょっとなんか世の中間違ってるんじゃないのかなー、とダークな気分になってしまう。
最近では Web に「スラムダンク」の作者・井上雄彦氏がマンガを掲載した、と話題になった。このような動き――マンガ家が自分自身で自分の描きたいマンガを Web などで発表する――が活発になれば、Web はこのシステム的な問題に対する問題提起を投げかけうるようになるのかもしれない、と夢想してはいるのだが……。
あ、でも、現役マンガ家には、Web のコンテンツを作ってるヒマがないのか(笑)
GS美神のコミックス23巻が発売された。
ここしばらくはコミックスの出る間隔が3〜4ヶ月ほど開いていたのだが、23巻は22巻が出てから2ヶ月で登場してくれたのはいいことだ。
で、23巻掲載分のマンガで一番思い出深いのは、何といっても「サバイバルの館・その2」だ。連載当時もここでなんかギャーギャー書いたような気がするが、とにかくピチピチの肉体を持って復活したおキヌちゃんが、横島に対して「横島さん、大好き」と初めて言ったにも関わらず、それに対して横島が軽薄な態度しか取らなかった(取れなかったとも言えるけど)のは、やっぱりちょっとショックだった。
私としては、この「横島さん、大好き」という台詞は、もっと大事に使って欲しかったのだ。そもそも「大好き」なんて台詞は、「ときめきメモリアル」ならば3年間さんざん苦労した挙げ句でなければ聞けないレベルの、大変貴重なものであるはずなのだ(ときメモとGS美神を比較してどうする、というツッコミは一時禁止)。あのような場面で使って欲しくはなかった。
そう――「大好き」という台詞は、少年マンガに出てくる女性キャラにとって、まさに「乙女の切り札」的なものでなければならないのだ。それが告白の美学というものなのだ。
その証拠に、「わはははルパン、切り札は最後まで取っておくものだよ」と、昔時計台で死んだカリオストロ伯爵も言っていたではないか(笑)。
……冗談はここまでとして、マジメな話、これからおキヌちゃんはどうなるんだろうか。だんだんと展開的にせっぱ詰まってきた感があるGS美神において、今後彼女はどんな役割を持ったキャラになるのだろうか?
おキヌというキャラが、単なる「生き返って笛吹いて横島に対して恋心を持つキャラ」で終わってしまうのか、それとも今後さらに一皮剥けてグレードアップして「GS美神というマンガの中の切り札的なキャラ」になるのか、非常に気になる。せっかく生き返った上にレギュラー復帰までしてしまったんだから、色々と活躍してほしいものだ。キャラ人気があるから復活させてみましたー、みたいな扱いではちょっと悲しい。
わはははルパン、切り札は最後まで取っておくものだよ(謎)