―創作作品―

二十三の瞳

だいじょうぶ、だいじょうぶ。

真っ暗だって、ぜんぜんこわくなんかないもん。

前の保育園のお昼のほうが、ずっとこわかったもん。

たーくん、今日はちょっと遅いな。いっつも、優より早くきて、まっててくれるのにな。

でも、電気つけたら、来てくれないかもしれないもん。

真っ暗って、黒だけかと思ったら、紫色もなんだ。

たーくんの目とおんなじ、紫色・・・・。

ぁ、やっぱり紫。黒の中に、紫色が三つ・・・・。

『やあ、優ちゃん、あそぼ!』

ほら、やっぱり。たー君ちゃんと来るもん。お母さんと違うもん。

『優ちゃん、ほら、今日はお母さんも呼んできたんだよ』

え、お母さん?

ホントだ、お母さんだ。そっか、お母さん呼んでたから、だから、たーくん遅くなったんだね。

『じゃあ、今夜は何して遊ぼうか?』

ええとね、今夜は・・・・

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昼過ぎの静けさのなか、雨音だけが室内に深く流れている。

10人の「大騒動の種」たちも、やっとお昼寝したようだ。圭太君のお布団をなおしながら、花戸小鳩は今日何回目かのため息を吐いた。

「花戸さん、お茶入れたから、しばらく休みましょうか。」

隣室から顔を出した初老の女性が、小鳩に声をかけてきた。「泣く子も笑う」と称される、ぷわっとした笑みを常に浮かべているこの園長先生が、小鳩は好きだった。

「あ、は、はい。」

人に見られているとは思わなかったのでちょっと慌てたが、小鳩は子供たちを起こさないようにそっと隣の園長室に入った。

「いつもすみませんねえ。何しろ最近保母さんが足りなくてね。せめてもう一人いてくれるといいんだけどねえ。」

小鳩にお茶とケーキを勧めながら、園長先生が申し訳なさそうにいう。一応ローテーションを組んではいるものの、なかなか職員である保母さんたちの都合があわず、今日は小鳩と園長先生の二人きりだった。園児10人というこの小さな保育園でも、子供の相手というのは想像を絶する重労働である。

「そんな。もともと私がお願いしてバイトさせていただいてるんですし、それに私、子供大好きですから・・・」

小鳩は自分のため息が仕事疲れのせいと勘違いされたことに、ちょっとほっとした。実はため息の理由は他にあるのだが、それはあまり他人に話せる内容ではない。

「ほんとに、花戸さんが来てくれないと子供たち大変なんですよ、花戸先生はどこって・・・。こんなに子供がなついてくれる人なんて、今までそういませんでしたよ。」

にこにこと笑みを絶やさない園長先生に誉められると、小鳩は嬉しさと照れくささで赤面してしまった。小鳩自身、心底この仕事は楽しかったし、仕事がどんなに大変でも、子供たちの笑顔を見ると忘れる事ができた。

小鳩は、大学生である。

家が貧しい彼女は、奨学金とこの保育園のバイトで学費の一切をまかなっていた。知り合いの神父様から紹介してもらったこの保育園は、普通の保育園とはやや異なる。擁護施設的な機能をかねており、知恵遅れの子や障害児、また何らかの事情で両親がいない子供達が暮らしていた。そういった社会的に弱い立場にいる子供たちが、貧しい家に育ち、おそらく通常の若者の何倍も苦労を重ねてきた小鳩の清廉な人柄になつくのは、当然なのかもしれない。子供は、大人がどれだけ親身に自分の境遇を思ってくれているかを、敏感に感じ取るものである。

「そんな・・・私なんか他の皆さんに比べたらまだまだで・・・」

小鳩が謙遜した時、彼女の肩にふっと小さな影が現れた。

『何や小鳩、謙遜することないで。ほんま、あの子らみんな小鳩の事母親みたいに思うとるわ』

「び、貧ちゃん!おどかさないでよ…」

『いや、うかつに姿あらわすと、子供らにまた押しつぶされてまうんでな、ずっと隠れとったんや』

未だに「貧ちゃん」の愛称で呼ばれているこの福の神は、園長先生に軽く会釈をして、床に舞い下りた。福の神様も子供たちのパワーには圧倒されるらしい。実はついこの間も、泣いている子をあやそうとして、大変な目にあったばかりである。なかなか泣き止まぬ子供を抱っこして部屋中を飛びまわってみせたわけだが、他の子達にも次々と空中抱っこをせがまれたおかげで、結局10人全員抱っこする羽目になってしまった。それ以来貧ちゃんを見ると子供たちから「抱っこコール」が湧き起こるわけで、小鳩が保育園にいる間、貧ちゃんはおとなしく姿を隠している。

『小鳩はきっとこの仕事むいとるで。教育学部やし、卒業したら保母さんになってみたらどうや?』

「あ、それいいですね、その時はぜひうちの保育園へ。うちなら今すぐにでも大歓迎ですよ」

そういってから、園長先生は思わず吹き出した。軽い会話であるのに、小鳩があまりに真剣な表情で考えこんだからだ。本当に、真面目な娘なのだと思う。

園長先生につられて、小鳩も笑った。貧乏神、いや、もとい福の神はちょっと不思議そうに、二人の顔を見比べていたが、小鳩よりさらにワンテンポ遅れてやはり笑い出した。

数秒の笑いのがおさまった時、ふと貧ちゃんが小鳩に尋ねた。

『優ちゃんは、今日はちゃんとねとるか?』

「え?ええ、優ちゃんならいつもどおりおとなしく寝てるけど。」

小鳩も園長先生も、その質問の意味がよく分からなかった。優ちゃんは、保育園では最もおとなしい子である。いや、最初はおとなしいというより、声が出せないというのが実状であった。前にいた保育園で起こったあの惨劇は、幼い少女に許容できる恐怖ではなかったのだろう。ついこの間までは一言も口を開く事がなく、いつも一人で絵を描いていた。ただ聞き分けがいい子で、保母さん達の手を煩わせる事は全くない。昼寝の時もぐずったりせず、自分で御布団に入ってすぐに寝てしまう。それだけに、「今日は」という制限をつけた貧ちゃんの質問が気にかかった。

「あの子、今まで寝付かなかった事なんかなかったと思いますけど。」

『いや、それがな先生、あの子、心の方は全然寝とらんみたいで気になってな』

「どういう意味?貧ちゃん。」

『前、圭太の誕生会の準備で遅くまで保育園に残ってたことあったやろ?実はそんときな・・・』

貧ちゃんがそこまで行った時、突然子供たちの歓声が外から響いてきた。びっくりして3人とも窓の外を見る。いつのまにか雨が上がり、雲間から明るい日差しが線となって注ぎ込んでいた。昼寝をしていたはずの子供たちは、保育園の門に集まって騒いでいる。

「サンタさん!サンタさん!!」

そう口々に叫んで、門前に訪れた丸眼鏡の男性に跳びついていた。

「いや〜、お昼寝の隙を見てきたんだけど、見つかっちゃったなあ・・・」

子供たちにジャングルジムにされながらも、笑顔を絶やさないその男性からは、誰もが一目で「いいひと」と確信できる人柄が滲み出ていた。

「唐巣神父様!!」

「やあ、小鳩君、園長先生、御無沙汰しておりました。」

「駄目よ、みんな、一度にしがみついちゃ・・・ああすみません神父様、お洋服が・・・」

小鳩も園長先生もあわてて庭に飛び出し、子供たちを制止する。見ると、おとなしい優ちゃんも含めて、10人全員外に出ていた。ついさっきまで静かに寝息を立てていたはずなのに、普通の子より愛情に飢えているこの子達には「優しい大人」を感じる特別な能力でもあるのだろうか?

ちなみに「サンタさん」とは、子供たちが唐巣神父につけたあだ名である。白髭もなく、まだ老人と呼ぶには程遠い神父様であるが、毎年クリスマスには決まってお菓子のプレゼントを配りに来てくれるサンタクロースがこの神父様なのだと、みんなちゃんとわかっていた。仕事の合間にこの子たちの笑顔を見に来るのが、多忙な唐巣神父の楽しみであり、結果、この保育園には季節外れのサンタさんがちょくちょく訪れるのである。

「ねえねえ、サンタさん、ピートお兄ちゃんはぁ?」

「う〜ん、ピートお兄ちゃんはいま、外国でお仕事でこれなかったんだよ。」

「え〜、じゃあ、横島の兄ちゃんは?ねえ、横島の兄ちゃん、今度水鉄砲作ってくれるって約束したんだよ!」

達也の言葉に、小鳩がぴくりと反応した。

「う〜ん、横島お兄ちゃんも今日は来れないんだよ、ごめんね。」

達也と小鳩を申し訳なさそうに見て、唐巣神父は頭を掻いた。

「なーんだ、そうなのかぁ・・・。じゃあ、今度きたら、絶対水鉄砲作ってもうらうんだ!!」

「だめだよ、だめだよ、よこしまお兄ちゃんはね、麻衣とおままごとするの。麻衣がね、お母さんやるでしょ、それでね・・・」

「え〜、おままごとなんか女の子がやるんだよ、横島兄ちゃん男だもん!絶対水鉄砲作るんだ!!」

「違うよ、おままごとでも、お父さんは男だもん。よこしま兄ちゃん、お父さんやるんだよ!」

達也と麻衣のやりとりを聞きながら、唐巣神父はにこにこ笑っていたが、内心はちょっと複雑だった。精神年齢があうのだろうか、子供には非常に好かれている横島が、この先どれほど複雑で危険な仕事に携るのかは、司令補である唐巣がよく知っている。できればあの若く不思議な青年は、こんな子供の笑顔を見続けられる世界にいるべきなのだ・・・。もはや無理とわかってはいるが、唐巣はそう思ってしまう。ふと顔を上げると、小鳩が心配そうな目でこっちを見ていた。この娘の他人の心に対する洞察力を知っているから、唐巣はちょっと慌てた。

(やはり、かなり心配をしている・・・)

子供たちに気付かれないように笑顔を絶やさず、唐巣は手にしていたアタッシュケースから袋を取り出した。

「はい、じゃあみんな、ならんでくれるかな?みんないい子にしてたようだから、サンタさんがいいものあげようね!」

「わーい、ありがとうサンタさん!!」

小さな手にお菓子を渡してもらい、口々に礼を言って、子供たちはおおはしゃぎである。すぐに食べ始める子、きれいな包装紙を大事そうに眺めている子、半分ずつ仲良しの子と交換している子と、反応は様々だ。

10人目の女の子にチョコレートを渡した時、唐巣神父はその子の目に映っている紫色の光に気付いた。それは、有能な霊能力者である唐巣のみが気付く事のできる光である。

「・・・・!・・・・・優ちゃん、元気だったかい?」

「うん・・・・ありがとう・・・・・」

にこっとわらって、優ちゃんは大きなハルニレの木の下にかけていった。そこは、彼女のお気に入りの場所なのだ。その後ろ姿を見つめる唐巣神父の目に、小鳩はまた別の不安を覚えた。唐巣神父のその表情は、普段あまり見せる事のない、かたく、厳しい表情だった。

ひとしきり子供たちと遊び、家族のいる子供たちが迎えにきた父母達と一緒に家に帰ると、保育園はやっと静かになった。今、小鳩と唐巣神父は、保母さん用の休憩室でお茶を飲んでいる。園長先生は席を外し、子供たちの夕飯の買い物に出かけていた。家族のいない圭太君、麻衣ちゃん、そして優ちゃんは、保育園の棟の一角の園長先生の自宅に引き取られているのだ。

「今日はありがとうございました。子供たちもあんなに喜んで・・・」

「いや、こっちも精神的にいい息抜きになるからね・・・まあ、体力は悪霊退治より使うかもしれないけどね、ハハハ・・・」

少し笑った唐巣神父は、すっと真顔に戻り、言葉をつないだ。

「それに・・・小鳩君も、随分心配しているんじゃないかと思ってね、知らせにきたんだ。」

小鳩は心臓が大きく脈打つのを感じた。小鳩の今朝からのため息の理由を、唐巣神父は見抜いていたのだ。何故だか真っ赤になってしまったが、それでも聞いてしまった。

「ぁ、あの、横島さんはどうしているんでしょうか?」

「今はもう事情徴収も終わって、本部で事務処理に追われてるよ。本人はいたって元気なんだ。心配する事はないよ・・・今回の件も、彼はまったく無関係なんだ。もうすぐ外出許可も取れるだろうから、そうすれば自分のアパートに帰れると思うよ。」

「今回の件」とは、先週発覚した「美神令子脱税容疑」の件である。税務署の査察が入り、激烈な攻防戦()の末、大量の脱税証拠物件が応酬された。毎年恒例の所得番付で、過去10年さかのぼってもダントツ1位という収入がごまかされており、さらに容疑者が日本GS特殊任務部隊総司令、美神美智恵の娘ときているから、もうこれ以上の不祥事はない。幸い美智恵の実権と、美神令子自身の実力と実績、さらに美神令子の師である唐巣神父の人徳によって、免許剥奪等の最悪の事態は避けられたが、当人は有無を言わさず謹慎処分。美神の往生際の悪さを警戒したGS協会は、同時にアシスタントである横島も謹慎させてしまった。横島にとっては完全なとばっちりである。

さらに無情な事に、美神に関する詳細情報がなぜかマスコミにほとんど流れなかった変わりに、オーナー名を巧みに隠した上で、横島はスケープゴートとしてマスコミにさらされてしまった。誰の差し金か唐巣には想像できたが、唐巣ができる事といえば横島の潔白を代弁してやる事ぐらいで、1度流された情報を押しとどめる事はできなかった。

「日本有数の若手ゴーストスイーパーが師に陥れられた財政の罠!」

「悲劇!!生死を賭けた1億円ギャラの仕事を時給350円で!」

「不況経済の歪みが生んだ若手GSへの非情強制労働!!」

とまあ、横島の仕事の実状がマスコミにこぞって書き立てられ、今や彼は「不況経済の哀れな犠牲者」として同情の的である。いくら同情されても横島の給料が上がるわけでもなく、さらに労働条件は悪化しそうだから、うれしかろうはずがない。「これでも時給は3年前の2倍以上」という横島の発言を聞いた民間慈善団体が様々な食料品を送ってきてくれても、よけい惨めになるだけである。

小鳩としては、マスコミの無意味な騒動はともかく、アパートに帰っていない横島の身体が心配だった。横島がこの所今まで以上にハードな仕事をしているのは、小鳩にも容易に想像できる。それに、仕事の事なので詳しくは聞けないが、横島が何かとても重大な事に関わっているらしい事も、漠然とだが小鳩にはわかっていた。それは、横島がGSという特殊な職種に就いている以上、仕方がない事なのかもしれない。

しかし、たまに横島がアパートに帰ってきた時、横島は以前として「お隣の優しい先輩」であった。小鳩にはそれがうれしい。玄関で挨拶を交わすだけでも小鳩はその日を充実して過ごす事ができた。そんな横島さんが、ここ数日ずっと帰っていない。横島さんが仕事で身体を壊してしまうのではないかというのが、小鳩が一番気にしている事である。

「彼は思ったよりずっとタフな精神をしてるよ。今は慣れない事務作業でストレスが溜まってるようだけど、彼は実際不可欠な人材だからね、できるだけ早く、元に戻ってもらうよ。」

GS特殊任務部隊などというものは、民間に知られていい機関ではない。唐巣神父は巧みに仕事の内容を伏せて、横島の近況だけを小鳩に伝えた。小鳩も察しのいい娘であるから、深く追求する事はしない。

「そうですか・・・。あの、私、何もできませんけど、横島さんによろしく伝えてください。」

小鳩は深々と頭を下げた。

(この娘は本当に、横島君に好意以上のものを持っているんだ・・・)

今更ながらに唐巣神父は実感した。

「ところで・・・優ちゃんに最近、変わった事はなかったかね?」

「え?優ちゃんですか?いえ、別に・・・。」

「そうか・・・」

「あ、あの、優ちゃんがどうかしましたか?」

昼間の唐巣神父の表情を思い出して、小鳩は思わず尋ねた。唐巣神父は、珍しく曇った表情で何か考えている。

「いや、あの娘の目が気になってね・・・」

「目、ですか?」

「あの娘以前は喋らない娘だったが、いつ頃から話すようになったのかな?」

「ええと、そういえば最近だいぶ明るくなった気がしますけど・・・前は誰とも話さなくて、ずっと木の下に座っているだけだったんですけど、やっと最近、話してくれるようになって。近頃なんかはよく笑いますし、折り紙おってとか、絵本を読んでとかおねだりもするようになって、園長先生も喜んでらしたんですけど・・・」

『せやけど、あの娘、やっぱり変な感じやで』

急に、貧ちゃんが話に入ってきた。

『昼間も言いかけたんやけど、あの娘、夜に寝たままどこかに行ってるみたいやで。』

「寝たまま?どういう事かね?」

『この間、優ちゃんが夜にパジャマのままで東の棟の方に行くのをみたんや。最初はトイレかと思ったんやけど、そっちにトイレなんかあらへんやろ、そんで呼び止めようと思うて廊下曲がったら・・・もうおらんかったんや。』

「・・・・何だって?」

「貧ちゃん!!どうしてそんな大事なこと黙ってたの!!」

小鳩が詰め寄ったので、貧ちゃんは慌てて言い募った。

『いや、最初は見間違いやとおもったんや。どこにも隠れるとこなんかないのに、きえてもうたからな。ほんで、気になったもんやから、昨夜確かめにきてみたんや。』

「すると、昨夜もそんな事が?」

唐巣神父の問いに、貧ちゃんが頷いた。小鳩の顔色は、かなり青くなっている。

小鳩の脳裏に真っ先にひらめいたのは、「夢遊病」である。心に不安のある幼児にはよくある、一種の心の病気だ。両親を失ってまだ時が浅い優ちゃんが夢遊病にかかっても、不思議はなかった。

だが、貧ちゃんの次の言葉は、そのような一般的な重大事とは方向性を異にしていた。

『せやけどな、ちゃんとおったんや。あの娘、ちゃんと布団で寝とったんや。にこにこしてな。確かに東の棟に優ちゃんは歩いていって消えたのに、優ちゃんはお布団で寝とるのや。』

「・・・・・?それって、どういう・・・」

「つまり、その瞬間、優ちゃんがふたりいた、という事かね?」

唐巣神父の問いに、貧ちゃんは頷いた。

『神父はん、あの東の棟、何やすんどるんちゃうやろか?』

「うむ・・・」

少し考え込んでから、唐巣神父は立ち上がると、真っ直ぐ小鳩の目を見ていった。

「調べてみましょう。多少、心当たりがあります。念のため、優ちゃんが寝たら、このリングを優ちゃんの胸元にかけておいてください。忌まわしきものから優ちゃんを守ってくれるでしょう。」

渡された金色のリングを握り締めて、小鳩は不安げな表情で唐巣神父を見送った。

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「・・・・・?・・・・小鳩、どうかしたの?」

夕飯の時、不意に母に声をかけられて、小鳩ははっと我に返った。

「え・・・ううん、別に・・・・」

そう首を振ったが、母をごまかす事はできなかった。小鳩はさっきから少しも箸が進まず、考え込んではため息ばかりついているのだ。

「横島さんの事?」

「ううん、そうじゃないわ。今日唐巣神父様がいらして、横島さん、もうすぐ帰れるって言ってらしたから・・・」

「そう・・・・。でも、じゃあ何を考えていたの?」

『優ちゃんの事やろ?』

貧ちゃんがいった。さすがに小鳩が生まれる前からこの家についている神様だけあって、小鳩の考えている事はなんでもお見通しだ。

「優ちゃんって・・・・唐巣神父様があなたのバイトしている保育園に連れてきた女の子の事ね?」

「ええ・・・あの子、最近明るくなってきて、凄くうれしかったんだけど・・・」

小鳩は、今日、保育園で唐巣神父に聞いた事を母に話した。

「そう・・・・。でも、その事は、神父様に任せるのがやはり一番だわね。あなたは、あなたのできる事をしなくちゃ・・・」

小鳩の話を全て聞いた後、母はそういって、小鳩に微笑みかけた。その笑みを見ると、小鳩はどんなに悩んでいる時も心が和む。以前は寝たきりで、看病する小鳩に力なく笑いかけるだけだった母の顔は、今はずっと若く、精気に満ちて見えた。もうすっかり病気も治り、意欲的にスーパーのパートで働いている。金銭面では相変わらず貧しい小鳩家であるが、何といってもこの家には福の神がついているのである。「可愛らしい」から「美しい」へとその形容詞を移行させつつある小鳩の容貌も然り。母娘ふたり、ここ数年風邪一つひいていない。数年前貧乏神から憑依した「かけだしの福の神様」の御利益だった。健康が何にも勝る富である事は、言うまでもない。

『そうやで、小鳩。優ちゃんのことはあの神父はんに任せて、小鳩はいっつもどおり、子供たちと遊んで、おやつ作ってあげればいいんや。わいも手伝うで。実はこないだな、新しいメニュー考えたんや、その名も・・・・』

「う、うん!!そうする!私がお菓子を作るから、貧ちゃんは後片付けお願いねっ!!」

貧ちゃんが新メニューを口にする前に、小鳩は迅速にそれを却下した。気持ちはありがたいが、それだけは困る。何しろ貧ちゃんが以前作ったおやつときたら、あの例の「チーズ・しめさば・あんこバーガー」を筆頭に、

「ナマコとひじきのシーフードマグロパフェ」

「スイカとパイナップルの味噌田楽」

「野沢菜のチョコレートクレープ」

「サンマ入りキクラゲパイ」

「マヨネーズトコロテンプリン」

「山菜入りバター醤油フルーツポンチ」・・・等々。

いやもう、貧ちゃんの努力と愛情を汲んでやる事ができなければ、ただ食べ物を粗末にしているとしかおもえない代物である。

『なんや小鳩〜、わいにも作らせてえな〜。今度は失敗せえへんって〜〜』

「成功しても、だめ!」

珍しく厳しい口調できっぱり言われ、貧ちゃんはいじいじすねてみせる。その様子があんまりおかしかったので、母と娘はしばし声を上げて笑った。

(私のできる事・・・・)

よる布団に入って、小鳩は母の言葉を考えてみた。前の保育園にいた時、お迎えを待っていた優ちゃんの目の前で、彼女の両親とお友達が殺されたという。しかも、この世の者ならざる者の手によって・・・・。小鳩自身でも耐えられないであろう恐怖をせおったあの女の子に、自分は何ができるのだろうか?自分はあのこの悲しみを、埋めてやる事ができるのだろうか?小鳩は眠らずに、ずっと考えていた。

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保育園を後にすると、唐巣神父は直接教会には戻らず、一旦東京都都庁ビルに足を運んだ。最近、都庁と教会を往復する回数が増えている。

東京都民でも、誰しもがこの巨大なビルの中に足を運ぶわけではない。ましてその地下にGS特殊任務部隊の本拠地があるなど、誰が想像しえるだろうか。唐巣神父は現在、神父の本業のほかにゴーストスイーパー、さらにこの特殊任務部隊の司令補という3足のわらじを履いているわけである。

廊下を歩きながら数名の職員と挨拶を交わし、自分のオフィスのある一角に曲がったところで、唐巣神父はばったり総司令と出くわした。

「ぁ、隊長、ご苦労様です。」

美智恵は「1部」の隊長も兼任しているため、唐巣にはこう呼ばれる。美智恵の方も、GS界で最も人望があり、娘の師である唐巣神父に対してはさすがに遠慮があり、「総司令」という呼び方はさせない事にしていた。

「はい、ご苦労様。香港の件ですが、今度もあなたの人選どおりにやる事にしましたから。」

と、ここまでは極めて事務的な口調で応じた美神総司令であったが、きょろきょろと周りを見回して誰もいないのを確かめると、自らの地位を「厳格な総司令」から「生徒指導で職員室に駆けつけた不良娘の母親」に急降下させた。

「この度は令子の件でご迷惑をおかけしまして、本当に申し訳ありません。あの娘にはもうきつく、きつ〜く言い聞かせて、地獄の修行をさせておりますから、どうぞ唐巣神父様も長い目で・・・」

「こ、こんな所で困りますよ、隊長!・・・・まあ、美神君も今回はだいぶ懲りたでしょうから・・・」

「ほんとにあの娘はまったく・・・あまり公にならなかったからよかったものの・・・もし事が政府上層部にしれたりしたら・・・」

ぐぐぐっと、額に青筋を浮かべてこぶしを握り締める美智恵を見て、唐巣神父はこの後娘の令子が受けるであろう地獄の折檻、いや、地獄の修行を想像し、自分も青くなった。

「ところで隊長、横島君の事なんですが、彼、もうそろそろ家に帰してやってくれませんかね?」

横島の名が出たとたん、美智恵は柄にもなくドキッとした。唐巣の眼鏡の奥を見ると、その目はいつもどおりの優しい笑みを浮かべていたが、「私はすべて知ってますよ」という言葉も同時に浮かべていた。

「お、おほん、か、彼については今回何も関係ないわけですし、早急に拘束をとける様、配慮いたしますわ。」

そんな美智恵の態度を見て、唐巣はクスッと笑ってしまった。「配慮する」も何も、彼女の命令一つで横島は自由を得られるのである。案外と嘘をつくのが下手なのだな、と思う。美智恵の方は赤面して、冷や汗まで流しており、まったくらしくない。魔族をも翻弄する美智恵でも、この神父の徳と度量の深さには太刀打ちできない様だった。最もこのような人物が司令補であるからこそ、美智恵も存分にその力量を発揮できるのである。

美智恵と別れて自分の部屋に入った唐巣は、すぐに電話を取り、スイスのジュネーブに国際電話をかけた。最近は電話で連絡を取る事が少なかったため、やや慣れない。喋る事項をあらかじめメモして、一度深呼吸してからダイヤルする。唐巣は英語、イタリア語、広東語は堪能だったが、ドイツ語となるとしばらく使っていない。

『はい、ICPO、日本オカルトGメン国際支所ですが・・・』

対応はドイツ語かフランス語だと思っていたが、意外にも日本語だった。ありがたい事に幹部クラスの電話は直通でつないでくれるらしい。

「私は日本の唐巣司令補です。ピエトロ・ド・ブラトー君をお願いしたいんだが・・・」

『はい、少々お待ちください・・・』

数十秒の間の後、受話器のむこうから、聞きなれた声が聞こえてきた。

『唐巣神父!!お久しぶりです!!』

「やあ、ピート君、出張中悪いが、実は以前君がやった仕事の事でどうしても聞きたい事があってね・・・」

唐巣神父は、真剣な表情で今日の事を話し始めた。ピートから必要な情報を聞き終わると、最後に次のような事を聞いた。

「ではその、たー君・・・拓也君自身より、ほかの子の方が影響が顕著に出る可能性が高いのだね?」

『もし先生の予想通り、その実験台にされた子が原因だとしたら、実験で調整された被害者より生身の保育園児童の方が、時間の面でより危険ですね・・・拓也君は時間をかければ回復するかもしれませんが、ほかの園児達はこれ以上影響がでれば手後れになってしまいます』

「そうか・・・うむ、ありがとう。忙しいところを、すまなかったね・・・うん、じゃ、西条君によろしく・・・」

唐巣が受話器を置くと同時に、部屋のドアがノックされた。入室を促すと、一人の小柄な若者がかなり緊張した面持ちで入ってきた。

「こ、この度、臨時配属で、香港に転属する事になりましたので、ごあいさつにうかがいましたっ!!」

肝心の自分の名前を名乗るのを忘れているから、その緊張のほどがわかる。実のところこの少年を香港の「2部」に配属する事は唐巣本人が進言した事なので、唐巣はすでに全てわかっているのだが、その事には触れず、静かに頷いた。

「頑張ってきてくれたまえ・・・向こうに行ったら、氷室君たちにもよろしく伝えてほしい。」

「はっ!!・・・・ぁ、あの、質問があるのですが・・・・」

「何かね?」

「こ、この任は、元々は横島さんが受ける事になっていたと、美神総司令から聞きました・・・その、何故自分が選ばれたのでしょうか?自分には横島さんの代わりなどとても・・・・」

不安げにうつむく少年を見て、唐巣はむしろ好感を持った。素直な少年なのだ。14歳という年齢では、無理からぬ不安であろう。真紅の髪と、それと同じ色の瞳を持つこの少年は普通ならかなりの異様に見えるが、野菜の秘書がうごめいている唐巣神父のオフィスではさして気にならない。トマトにある物をもって来るように命ずると、唐巣はその少年に向き直った。

「それはそうだよ。きみだけでなく、横島君の代わりなどほかの誰にも出来やしない。だが、美神隊長は君を選んだんだ。だから君は、君のできる事を精一杯すればいいんだよ。」

「自分の、できる事・・・・」

その少年は、唐巣の言葉をゆっくりと反芻した。

「横島君にはあってきたかね?」

「は、はい。横島さんはすぐにここに来るようにと・・・」

唐巣は、トマトから小さな筆箱大の箱を受け取ると、その少年に渡した。

「これは、彼から預かったものだ。これを、氷室君に渡してほしいといっていた。こんな事態だから、彼が直接君に渡すと何かと怪しまれると思ったんだろう・・・横島君は、君に期待しているようだったよ。」

赤毛の少年の顔が、ぱあっと明るくなった。

「健闘を祈ります!!」

先んじて唐巣が敬礼を送ると、赤毛の少年は満面の笑顔で敬礼を返した。

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「うあああああぁぁぁん・・・・・・・」

突然、大きな泣き声がしたので、まどろんでいた小鳩ははっとして顔を上げた。泣いているのは、優ちゃんだった。

「優ちゃん、ゆうちゃん、どうしたのっ!」

うなされている優ちゃんを揺り起こすと、彼女は目も鼻もぐしゃぐしゃにして小鳩にしがみついてきた。

「いっちゃうよう・・・たー君が、行っちゃうよう・・・」

「たー君?たーくんて、だあれ?」

そういうあだ名の子は、この保育園にはいない。

「いっつもね、遊んでくれるの・・・毎晩、遊んでくれるの・・・お母さんも、呼んできてくれたの・・・なのに、たー君、今日は来て、すぐに、さよならって言って、行っちゃうの・・・」

小鳩は愕然とした。優ちゃんの母は、すでに亡くなっている。

「この輪があるから、だめなんだって・・・花戸先生が寝る前にくれたこの輪がだめなんだって・・・ねえ、たー君とあそんじゃだめなの?たー君と遊びたいよ、だって、きっとたー君も遊びたいんだよ、ねえ、どうして、たー君行っちゃうの?」

次々とされる質問に、小鳩は一つも答えられなかった。ただ、この子の瞳に、紫色の光が浮んでいるのは、いまは小鳩にもみえた。唐巣神父が見た優ちゃんの目はこの目だったのだと、小鳩は確信した。と、同時に、小鳩は何か自分がとてつもなく残酷な事をしているような気がしてきて、ぞっとした。

(この子は、そのたー君と友達なんだ・・・新しいお友達ができて、この子は話してくれるようになったんだ・・・)

そういう事実が、小鳩の胸を締め付けた。優ちゃんの目の光が小鳩の頭の中に流れ込んで来るのがわかった。そして、その時、小鳩ははっきりと見た。はじけるように笑い、楽しそうに走っている優ちゃんとたー君を・・・。それは、小鳩の脳裏に送り込まれた、優ちゃんの、あるいはたー君の記憶であった。二人とも本当に楽しそうに、はしゃぎ、笑っている・・・。たー君が野球帽のつばをあげたとき、額に、三つめの目が見えた。その目を見た時、小鳩の手は知らず知らずのうちに、優ちゃんの首に紐でかけたリングに伸びていた。

『小鳩!!あかん!!』

びくっとしてわれにかえったとき、小鳩は全身にびっしょりと汗をかいて、眠っている優ちゃんの傍らに座っていた。手には、あの金色のリングを握り締めている。優ちゃんの胸元に紐でかけたリングを、小鳩ははずそうとしていた。

『小鳩、だいじょうぶか?』

貧ちゃんが、心配そうに小鳩の顔を覗き込んでいる。

「貧ちゃん・・・私・・・・私・・・・」

『心配やろうけど、今夜はもう、帰った方がええで』

「で、でも・・・・」

『わいは神様やけど、こういう事には力になれへん。あの神父さんにまかせとくんが一番や』

小鳩は頷き、優ちゃんの顔を見た。眠っていたが、その目から、涙が流れている。

(やっぱり、私は・・・)

胸にひどく引っかかるものを持ったまま、小鳩は寝室を出た。園長先生を起こさないように、そっと玄関をでる。優ちゃんが気になり、無理を言って泊めてもらう事にしたのだが、今自分には何もできない事を、小鳩は理解した。

昼間、唐巣神父がきたが、子供たちとは遊ばなかった。唐巣神父は東の棟の周辺で、何かを探しているようだった。夕方迎えにきた親達に説明しながら、金色のリングを配ったりしていた。

(私には、何ができるのだろう・・・・・)

うつむいて歩く小鳩の後ろ姿を、園長先生がじっと自室の窓から見つめていた。

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その次の日、小鳩と園長先生、それに唐巣神父は、園長室に顔をそろえていた。外からは子供たちの明るい笑い声が響いている。優ちゃんの元気がなくなっているのではないかと小鳩は心配していたが、優ちゃんも元気にブランコに乗っている。朝も大きな声で小鳩を迎えてくれて、少しほっとした。

「・・・半年ほど前、つまりこの保育園ができる前ですが、ここの東の棟がある場所は、放棄された工場の倉庫だったんです。そこで、恐ろしい事が行われていました・・・。」

今、唐巣神父は、一昨日ピートから得た情報と独自に調べた情報を二人に話している。

「その廃工場には、中国から密入国した邪法師が住み着いていました。そこで、妖怪や動物、果ては人間までを実験台にして、忌まわしい外道の術を行っていたのです。」

「に、人間を使って・・・」

園長先生が真っ青な顔でつぶやいた。邪道妖術の人体実験など、常人が許容できるおぞましさではない。

「当然その邪法師の悪事は見逃されるはずもなく・・・我々GSが彼を追いつめ、その施設は壊滅させました。その任に当たったのが、ピート君です。彼は完全に施設を壊滅させ、邪法師の操る人工妖も除霊しましたが、邪法師自身は逃亡したのです。その際、彼がもって逃げた人工邪眼と、その邪眼の開発の実験台にされた被害者の少年・・・松島拓也君といいます・・・が、同時に行方不明になりました。」

「じゃ、じゃあ、その邪法師が・・・」

小鳩の問いに、唐巣神父はかぶりを振った。その邪法師は国外に逃げたのであるが、すでに中国で死体で発見されていた。奇怪な事に外傷はなく、霊体を抜き取られ、持っていたはずの人工邪眼も影も形もなかった。だが、いずれにしても今回の件に直接関わっているのはこの邪法師ではない。

「昨夜小鳩君が見た、優ちゃんがたー君と呼んでいるその少年は、3つ目だったという。彼は、松島拓也君の霊と見て間違いないでしょう。」

「では、その松島拓也君というのは、死んでしまったんですか?」

園長先生の問いに対して、唐巣神父は直接は答えず、符で包んだ小さな小箱を取り出して二人に見せた。

「これを、昨日、東の棟の脇で見つけました・・・」

その箱の中を見て、園長先生も小鳩も、はっとして思わず口をふさぎ、鳴咽をこらえた。その箱の中には、人形のように小さくなった、3つの紫の瞳を持つ少年が入っていたのだ。

「可哀想に、妖術でこの箱に閉じ込められ、あそこに封印されていたんでしょう・・・邪法師が死んで箱の外側の封印がとけるまで気付けなかったのは、我々のミスです・・・。今問題なのは、彼がさみしさのあまり霊体を飛ばしてこの保育園の子供たちと遊んだために、彼にかけられた邪道の術の影響が、優ちゃん達に出てしまった事です。すでに優ちゃん以外の子達にも影響していると考えて間違いないでしょう。拓也君についてはこちらで全力を尽くして回復させられるよう試みますが、残念な事にエキスパートである氷室君は現在香港に行っていますので・・・。他の子達については、昨夜渡したリングをつかってこれ以上の影響を無くせば、集中治療で何とか・・・」

「駄目です・・・」

急に、園長先生がぽつりと言った。

「えっ・・・」

「駄目なんです・・・わたし、昨夜、あの娘のリング、はずしてしまったんです・・・・」

「なんですって!!!!」

「え、園長先生、どうして・・・」

小鳩も唐巣神父も園長先生をみた。この時、小鳩ははじめて、園長先生の泣き顔を見た。

「・・・私、馬鹿でした・・・引き取ってからずっと、あの娘だけは心を開いてくれなかった・・・・それが、ここ数日、よく笑うようになって・・・神父様、知ってますでしょう・・・あの娘、目の前で両親も友達も失っているんですよ・・・優が、あんなに楽しそうに遊んでいるのは、昨夜、初めて見ました・・・やっと友達ができた優から、またそれを奪ったら、今度こそ、あの娘は心を閉ざしてしまう・・・そう思うと、恐くて恐くて・・・・何もできなかった自分が、あの子の友達を奪うなんて、絶えられなくて・・・あの娘に泣きつかれた時、私、つい、あのリングをはずしてしまったんです・・・・」

「何という事を・・・」

唐巣神父は、後悔に打ちひしがれていた。やはり、早急に自分が処理すべきだったのだ。このような優しすぎる女性に任せたのは、残酷だった・・・そう思ったが、今となってはもう手後れである。唐巣神父は、静かに、しかし簡潔に決断を告げた。

「拓也君の除霊を行います。」

「え・・・ま、待ってください!!じゃあ、拓也君はどうなるんですか?今ならまだ、元に戻れるんじゃ・・・」

「小鳩君、拓也君にかけられた妖術を取り払うには、少なくとも3日以上かかる。術に蝕まれた彼の魂が存在するうちは、優ちゃんへの影響は消せないんだ。そして、昨夜の事で、もうタイムリミットまで1日もないんだよ。」

「で、でも、あんなに元気そうに・・・」

「妖術の影響は自覚症状がない。突然死なんだ。拓也君の除霊を行わなければ、優ちゃんの命まで失う事になるんだよ。」

「そ、そんな・・・」

「わ、私のせいで・・・ああ・・・」

泣き崩れる園長先生を支えながら、小鳩は必死に唐巣神父に訴えた。

「お願いします!!唐巣神父、これじゃ、あまりに残酷すぎます・・・何か、何か手だてはないんですか?拓也君だって、生きていたいはずです!!わたし、私・・・こんなの、絶えられませんっ!!」

思わず感情的に声を上げて唐巣神父を見たとき、小鳩は急激な後悔に襲われていた。この保育園を作るのに多大な協力をしたのも、優ちゃんや翔太君や麻衣ちゃんをここに連れてきたのも、唐巣神父自身ではないか。唐巣神父こそ、絶えられないのではないか?それを、この人は、自らの手でなそうとしているのだ。そう思った時、小鳩は消入りたいほど恥ずかしくなり、涙が流れてきた。

「ごめんなさい、唐巣神父様・・・・でも、私、私・・・・・・・」

「いいんだよ・・・小鳩君・・・私にも、自分のする事が正しいという確信などない・・・しかし、人は他に方法がない以上、最善と信じる行動を選ぶしかないんだ・・・これが、私のできる事なんだよ・・・」

「私、結局何も・・・・」

唐巣は、そっと小鳩の肩に手を置くと、少し力なく笑った。

「そうではないよ、小鳩君・・・この後の事は、君と、園長先生にしかできない。たー君を失った後、ふたたび優ちゃんの心を暖めてあげるのは、ほかの誰にもできない。あの子には、二人が必要なんだ。」

「できるでしょうか・・・・」

園長先生が、不安な目で唐巣を見た。

「ええ、必ず・・・後の事は、お二人に頼るしかありません。ですから、今は、私に任せていただけないでしょうか?」

小鳩は頷いた。この神父様を信じよう、そう心に決めた。しかし、小鳩は同時に何か言いようのない不安が沸き起こって来るのを、押さえられなかった。

唐巣神父は、小鳩と園長先生に部屋から出るように告げると、拓也君の入った箱を机に置き、その周りに5つの十字架を設置すると、胸に手を組んだ。そして、箱の中の小さな少年を見つめ、静かにつぶやいた。

「だいじょうぶだよ・・・すぐ、お昼でも思いっきり遊べるようになるからね・・・」

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『あかんで、小鳩!!あの神父はん、死ぬ気や!!』

部屋の中の様子を覗いた貧ちゃんは、必死に中に入ろうとしたが、すでに結界が張られているらしく、どうしても園長室には入れなかった。

「死ぬ気って・・・どういう事!!貧ちゃん!!」

『あれは、西洋の術にある最高秘術や!!あの神父はん、自分の魂と引き換えに、拓也の魂を浄化して、よみがえらせる気や!!』

「そんな・・・!!!!」

小鳩は、園長室のドアに飛びつき、声の限りに叫んだ。

「神父様!!やめてください!!お願い、ここを開けて!!!」

しかし、ドアは硬く閉ざされたまま、びくともしなかった。ドアの窓から中を見ると、唐巣神父の背が見えた。あまり広くはないが、暖かく、優しい背中・・・

ほんの一瞬、唐巣神父が肩越しに後ろを見た。かすかにすっと、あの優しい笑顔が見えた。

唐巣は、そのまま、念を込め始めた。

(主よ・・・私の選択は、正しいですか・・・・)

5つの十字架が順に光を帯び、唐巣の胸の光と連動して瞬き始めた・・・

不意に、小さな拓也の目が光り始めた。その紫の光は十字架の光に被さり、園長室の中を紫に染め上げた。

(・・・・・?これは・・・・)

小鳩が振り返ると、いつのまにか子供たちが集まっていた。園長室から漏れて来る光を見ると、突然優ちゃんが駆け出した。

「たーく〜ん!!サンタさ〜ん!!」

「あ、まって、優ちゃん!」

つられて、麻衣ちゃんも走り出す。他のみんなも、それに続いた。10人の子供たちが、小鳩と園長先生の足元をすり抜けて、瞬く間に園長室に吸い込まれていった。

(!!!子供たちには、入れるの?)

小鳩は子供たちの後を追ってみたが、やはり園長室のドアは、小鳩には開いてくれなかった。

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唐巣神父は、紫色の闇の中を漂っていた。

手足の感覚がない。自分が横たわっているのか、流されているのかも分からなかった。

(自分は死んだのだ・・・)

そう思って、一人笑った。笑ったつもりだったが、顔の感覚がないので、本当のところはわからない。笑ったのは、自分の想像が独創性のなさすぎるものだったからだ。

(そう、やはり、無なのだ。)

神父である自分がそんな東洋的な発想をするのは、やはり、自分が日本人だからだろうか?あれだけ信仰してみても、死ねば、やはり無なのだ。きっと今あるわずかな感覚も、そのうち消えて、本当の無になる・・・しかし、明るい。何の光だろう。真っ暗だと思っていたが・・・ふふ、いつだったかなあ、優ちゃんが絵を描いてくれたっけ・・・夜の絵だった・・・・真っ暗は黒じゃないんだよ、紫もなんだよって、きれいな星空の絵をくれたっけ・・・。男の子の絵も、描いていたなあ・・・横島君の絵も・・・小鳩君の絵も・・・園長先生の絵も・・・私の絵まで描いてくれたっけ・・・・優ちゃんは絵を描くのが好きだったなあ・・・・

(サンタさん!!)

あれ、優ちゃん・・・なんだ、駄目じゃないか保育園にいないと・・・

(サンタさん、遊ぼうよ!)

麻衣ちゃん・・・ごめんね、サンタさん、もう遊べないんだよ・・・・・

(どうして?)

(どうして遊べないの?お仕事なの?)

圭太君、翔太君・・・君たちはいつも一緒だなあ・・・そうなんだ・・・・遠いところで、おしごとなんだよ。

(ねえ、いつ遊べるの?)

駄目なんだよ、達也君・・・ごめんねえ・・・サンタさん、もう遊べないんだ・・・

(どうして?)

(もうこないの?)

あきちゃん、こう君・・・・そうなんだ、もう来れないんだよ・・・・

(だめだよ、もっと遊ぼうよ!!)

(遊ぼうよ!!)

美央ちゃん、れいちゃん・・・ごめんねえ・・・でも、よこしま兄ちゃんがいるだろ・・・それに、ピートお兄ちゃんも来てくれる・・・園長先生も、花戸先生も、愛子お姉ちゃんだって来てくれるさ・・・・だから、だいじょうぶだよ・・・・

(サンタさん、もう来るのいやなの?)

修ちゃん・・・そんなにこまらせないでおくれ・・・いやなわけ、ないじゃないか・・・でもね・・・・

(そうなの?いやなの?)

違う違う、いやじゃないったら・・・・ああ、優ちゃん、泣いちゃだめだよ・・・・

(いやなの?)

(いやなの?)

(いやなの?)

だめだよ、みんな泣いちゃ・・・・ほら、わらって・・・・・

《生きるのが、もうやなの?》

ああ、みんな、拓也君も・・・・泣き止んでおくれ、そんなはずないじゃないか・・・・あんなに楽しかったのに・・・・あんなにおもしろかったのに・・・・・そうさ・・・・・

(死んでたまるかよっっっっ!!!!!)

23の瞳に見つめられて、唐巣神父はもうしばらく発していなかった、青年の頃の生気にあふれた力強い言葉を絞り出した。その瞬間、唐巣は子供たちの笑い声を聞いた。そしてそれと共に、自らの四肢に感覚が急速に戻っていくのが感じられた。

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「はいっ!!花戸先生、これあげる!」

「あらっ!ありがとう優ちゃん・・・へ〜、上手ねえ〜」

ハルニレの木の下で、大きなおうちの絵をもらった小鳩は、その絵のおうちのドアのところに、男の人と女の人が書いてあるのに気付いた。

「ん?優ちゃん、この人達はだあれ?」

「ん〜っとね、こっちの女の人が花戸先生でしょ、それで、こっちの男の人は、よこしまお兄ちゃんだよっ!!」

「え?私と、横島さん?」

「そうだよ、あのね、貧ちゃんがね、おうちをあげたいって言うの。おっきなおうち。でもね、まだだめなんだって。だからね、優が、おうちかいてあげたの!!」

「???」

『いやな、わいももうちょっと修行つんだら、二人に新婚用のマイホームぐらい用意したらなとおもっとったんやけど、なかなかいい家が思い浮かばんでな。そしたら、優がこれ、描いてくれたんや。どや、二人にぴったりの新居やろ?』

「び、び、貧ちゃん!!」

たちまちつま先から頭のてっぺんまで、かーっと真っ赤になってしまう。

と、その時。

「ぁ、サンタさんだ〜!!!」

砂場で遊んでいた翔太と圭太が、門のところに現れた人影に気付いた。みんな一斉に門のところに駆け寄る。優ちゃんに続いて門に向かった時、小鳩は唐巣神父のほかにもう一人、すっかり回復した拓也君を肩車している人物に気付いて、ドキッとした。

「よこしま兄ちゃん!!水鉄砲作って!!」

「おう、達也、元気にしてたか〜」

「拓也君、もういいの?」

「うん、今日からこの保育園に通うんだっ!!」

「わ〜い、やったぁ!!」

飛び上がった優ちゃんを見て、横島も唐巣神父も破顔した。ふたりとも拓也の回復のために昨夜ろくに寝ていなかったが、優の顔を見ると、全ての疲れが消え失せたように感じられた。

「横島お兄ちゃん、ね、おままごとしよっ!!麻衣がお母さんで、お兄ちゃんがお父さんねっ!麻衣がお兄ちゃんのお嫁さんなのっ!!」

『あ〜あかんで、麻衣ちゃん、よこしま兄ちゃんのお嫁さんはな、花戸先生なんやで』

「もうっ!!貧ちゃんっ!!!」

おにごっごを始めた二人と、はやくも子供たちにしがみつかれている横島を見て、唐巣はなんとなく涙が出てきた。拓也を抱っこした園長先生が、深々と唐巣に頭を下げた。

(主よ・・・!どうかこの子達に幸せをお与えください!!)

事態はより深く、深刻に進んでいる。しかし唐巣は今、それのみを天に願った。




※この作品は、shinshoさんによる C-WWW への投稿作品です。

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