「待ってくれよ!」
 横島は叫んだ。
 暗闇に心を握りつぶされそうになりながら。
 横島は叫んだ、怯えながら。
「……待ってくれ! 行くな!」
 誰に呼びかけているのか、横島自身にもわからない。
 ただ何かを失う怖さに震えていた。
「行くな! 戻って来い!」
 いつしか、横島は自分が走っていることを感じていた。
 闇を掻くようにしながら。
 進んでいるのかどうかもわからないまま。
 横島は走っていた。
「……答えてくれ! 返事をしてくれよォ!!」
 喉を引き絞ってあらん限りの声で、横島は叫んだ。
 息が上がって苦しい。汗が目に入って開けていられない。
 しかし横島は叫ばずにはいられなかった。
「なんで行っちゃうんだよぉーッ!!」
 怒号の後の静寂。
 そして闇の中から答えがあった。
「オマエガミゴロシニシタンジャナイカ」


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<ALONE,but TOGETHER>
PRESENTED BY AJ−MAX.

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「――!」
 横島は声にならない叫びを上げて跳ね起きた。
 意識はまだ夢とうつつのはざまにあって朦朧としていたが、胸の奥の生々しい喪失感
だけははっきりと感じられた。
 二、三度目をしばたたかせ、体に残った不快感を振り払うように深呼吸する。そして卒然と今の状況を理解した。
 夕暮れに染まる、いつもの事務所の風景がそこにあった。
 安楽椅子に座っているうちに、円卓に突っ伏して眠り込んでしまっていたらしい。頬を撫でるとテーブルクロスの跡がついてしまっていた。
 今日は美神は留守だ。ザンス王国で精霊石のオークションがあるらしく、三日前から海外出張中である。
 タマモは真友くんとデートだと言っていた。妙に静まり返っているところをみると、多分シロもどこかに出かけているのだろう。おキヌもまだ学校から帰っていないようだ。
「……コーヒーでも飲もうかな」
 わざと声に出してそう言ってみる。
 しかしその言葉は誰に届くでもなく、虚空に吸い込まれて消えた。
 横島は唇の端を持ち上げて笑うと、給湯室へ向かった。
 おキヌがこまめに片付けているおかげで、給湯室はきれいだった。横島は棚からコーヒーミルを出して、多目の豆を入れた。そして電源を入れて豆を挽く――好みの荒挽きで。
「しまった、多すぎたかな」
 挽き終わった豆をフィルターに移しながらひとりごちる。しかしもう挽いてしまったから今さら缶に戻すこともできない。
「まあ、いいか」
 やかんをコンロにかけ、沸騰するのを待つ。一人分の水しか入れていないので沸くのは早い。ほんの二分ほどでもう白い湯気を立て始めた。
 フタが蒸気で暴れ出したので、横島はコンロのスイッチを切った。そしてフィルターの中の豆に熱湯を注ぎいれる。後はロウト部分に溜まった湯がポットに落ちるのを待つだけだ。
「これでよし、と」
 言いながら、やけに独り言が多い自分に気付いて眉をしかめる。感傷的になっていることを認めたくなかったのだ。
 一滴一滴ポットにコーヒーが落ちてゆく。
(俺の魂をフィルターでろ過したら、アイツもあんな風に一滴ずつぽたぽた落ちてきてくれるのか……?)
 命の雫――そんな埒もない言葉が横島の心に浮かんで、消えた。
 考えても仕方ないことだ。美神も、小竜姫も、ヒャクメも、そしてもちろん自分自身も全力を尽くしたのだから。あの時はあれ以上のことは望めなかったではないか。
 でも。しかし。だけど。
 考えないでいようとすればするほど、そんな言葉が頭を巡る。
 理屈ではない。感傷なのだ。
――アイツだって俺がいつまでもこんな風に傷を舐めていることを望んではいないだろう。あんな夢を見たのはアイツのせいじゃない。俺がいつまでも弱いからだ――。
「……横島さん?」
 横島の物思いを、背後からの声がさえぎった。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは制服姿のおキヌであった。手には鞄を持っている。
「ああ。お帰り、おキヌちゃん」
「ただいま……。あ、あの、どうかしたんですか? その……目が赤いですよ」
「え?」
 心配そうなおキヌの言葉で目に手をやってみると……濡れていた。
「あ、はは、いやいやなんでもないよ。さっきまで寝てたもんだからさ、ちょっと目ぇこすりすぎたみたいだ」
 アイツが死んだときもずいぶんおキヌには心配をかけてしまっていた。これ以上彼女の顔を心配で曇らせるのが嫌で、横島は精一杯虚勢を張った。
 それが通じたのかどうかわからなかったが、とにかくおキヌは普段と変わらない穏やかな微笑を浮かべてくれた。
「横島さん……」
 おキヌは笑顔のまま静かに言った。
「なに?」
「私、横島さんのこと好きですから」
「――!」
「まだあの人のこと、考えてますよね……。でも私、それでもいいんです。横島さんのこと、ずっと前から――幽霊だった頃から好きでした。だから――」
「おキヌちゃん……」
 おキヌはその場に鞄を置くと、ついと横島に近づいた。そしてその細い指で涙の跡を撫でる。
「――だから、私の前では泣いて下さい。辛いの、我慢しないでください」
 涙が流れた。少女の指が頬を撫でるたび、ただ涙が流れた。
 そしておキヌの手で涙が拭われるたび、一つずつ心が軽くなってゆくのを横島は確かに感じていた。
「……おキヌちゃん」
「なんですか?」
「――ありがとう」
 横島は涙でかすれた声で言い、おキヌの小さな手をしっかりと握り締めた。
 おキヌは黙ってうなずき、背伸びをして目を閉じた。

 そして二人は唇を重ねた――。