びゅうう。 冷たい風が、かたり、とたてつけのゆるんだ窓枠を鳴らし、1Kの安アパートの一室を 吹き抜ける。 薄っぺらい布団にくるまった男が一人、ぶる、と震えて目覚めた。 「・・・さぶい・・・」 自分の体温を極力逃がさない様に、その大柄な身体を丸めるが、粗大ゴミの日に拾って きたほつれだらけのせんべい布団は、やや小さめで、どうやっても隙間が出来てしまう。 「・・・なんでワシが・・・」 布団の中で男は嘆く。 「・・・こんな目に遭っとるんじゃ・・・」 覚めてしまった目をこすり、心の中でもつぶやく。 「ワシはカオスだぞ・・・Dr・カオスなんじゃぞ・・・」 その昔、ヨーロッパを舞台に、その人ありと恐れられ、数々の偉業をなし遂げて、人々 の尊敬と畏怖の思いを一手に引き受けた、不老不死の天才錬金術者。 「Dr・カオス」 それが今や、大都会・東京の片隅に埋もれ、日銭を気にして自らの運を嘆く、ただの老 人に成り下がっていた・・・・。
「おーい、茶をくれ、マリア」 「イエス、ドクター・カオス」 マリアは、こぽこぽとカオスの湯飲みに茶を注ぐ。ささやかな朝食の時間。 ちゃぶ台の上には、ご飯、味噌汁、こいもの煮付け、目刺し、漬物等々、結構まともな 物が揃っている。 が、しかしこれはカオス自身、もしくはマリアの手によるものでないのは明白である。 カオスの部屋の小型冷蔵庫には除臭剤が転がっているだけである事を見ても。 この温かい食事の出所は、この幸福荘の大家のばあさんであった。 家賃滞納の常習犯の不良店子であるカオスの天敵でもあるが、カオスのあまりに悲惨な 生活を見かねて「余り物」を供給してくれているのである。 いわく「造りすぎた」「期限が切れそうでもったいないから」「買いすぎた」と言って はマリアに持たせていた。 しかし、近所でもケチで有名なこの大家が、そうそう分量を間違えるはずはなく、ある 程度わざとな部分もあるのだろうとはカオスも気付いていて、その見返りとして大家には マリアの借用を容認せざるを得なかった。 「ふぅ・・・」 食後の茶を終え、カオスは一息つく。 「まぁ、大家のばーさんにも、なんぞ返してやらんといかんのぅ・・・」 カオスの呟きを聞いてが聞かずか、マリアはすっと立つと食器を片付け始める。 カチャカチャと心地いい水仕事の音。カオスは、はあっと息を吐く。 外気温とそう変わらぬ部屋の中、白い吐息が拡がり、それを見たカオスの肩ががっくり と落ちた。 「・・・家賃・・・払うのが先か・・・」 「イエス、ドクター・カオス」 と、マリア。 「では、マリア、ワシはこれから瞑想に入る。邪魔をするでないぞ」 「イエス、ドクター・カオス」 押し入れの中に籠もるカオスを見届けたマリアは、静かに部屋を出るとドアに 『 入 る な ! 』 と朱書された紙を張りつけ、食器を返しに大家の部屋へと向かった。 「あンのじーさん、まだそんなムダをしとるのかっ!」 大家のばあさんは、呆れた様に腕を組む。 「とっとと職につきゃあいいもんを・・・妙なプライド持っとるから・・・」 「イエス、ミス・オオヤサン」 「ま、とは言え、この不況下じゃなあ、そうそうアテもないしのぅ・・・」 「イエス、ミス・オオヤサン」 「あんたも大変じゃな、あんなじーさんと長年暮らして。さぞ苦労しただろう」 ぽんぽん、と大家はマリアの腕を軽く叩く。 マリアの返事は少し遅れた。 「・・・ダイジョウブ、ミス・オオヤサン」 かすかに翳ったその声を大家は聞き逃さなかった。 外で、ひゅう、と風が鳴る。 「そうじゃっ!」 大家が突然声を張り上げた。 「!?」 驚いたマリアが目を見開く。 「あんたもどうせする事はないんじゃろ? 今日はクリスマスイブじゃないか、いい事を 思い付いた、あのな・・・」 と、大家はマリアをかがませ、その耳に何事かをささやきはじめた。 そして夕刻。 カオスがやっと押し入れから這い出てきた。 どんよりと曇った空はすでに暗く、吹き抜ける風は一層冷たくなっていた。 結局、カオスの一日は、この瞑想で明け暮れる。 多少のアイデアを思い浮かべても、それは漠然としたままでまとまらず、何の会得にも なりはしない。 全盛期に、一日にいくつものアイデアを具現化させた明晰な頭脳は、既に飽和状態とな り、通常の老人並のレベルへと退化していた。 しかし、それでもきっかけさえあれば、今なお「術」を操る事が出来るのは、さすがで はあるが。 「うお〜い、マリア〜」 カオスは姿の見えないマリアを呼んだ。 返事はない。 いつもなら瞬時に現れるマリアだが、しばらく待っても姿はない。 「どうした?マリア?」 ひょいとドアを開け、うすら寒い廊下をきょろきょろ見渡す。 「マ〜リア〜」 もう一度呼ぶが、何の気配もなかった。 「なんじゃ?出掛けておるのか?」 大家の部屋まで出向いてみたが、大家の姿もなく、多分何かの用事で出掛けたのだと結 論付けたカオスは、一人、廊下にたたずんでいた。 「ちと、外にでも行くか・・・」 しんとしたアパートの中にいるよりは、とカオスはマントをはおり、風吹く街へと向か った。 空を覆う黒い雲の下。 日の落ちた後には、繁華街のネオンがきらびやかに渦巻いていた。 あちこちで小さなクリスマスツリーが点滅を繰り返し、アルバイトのサンタクロースが ケーキを売りさばき、家族連れやカップルが幸せそうな笑みをこぼす。 行き交う人の流れにもまれながらカオスは一人ぶつぶつと呟く。 「ったく、キリストなんぞの誕生日を祝うなら、このワシのも祝わんかいっ!!今の技術 のほとんどはワシの昔のアイデアが基になっておるんだぞ、ずっとおまえらの役に立って おるんだぞ・・・」 ぼやきながら、カオスは次第に息苦しくなるのを感じた。 人混みに酔ったのか、幸せそうな人々に当てられたのか、自分の不甲斐なさに幻滅した のか、ふらりふらりと足元がおぼつかなくなってきていた。 「・・・ぐへぇ、戻るか・・・」 やっとの事で、人混みから抜け出し、裏路地を歩もうとしたカオスは何かに気付いた。 「・・・? なんだか重いな?」 自分のマントが妙に重く感じられた。 カオスはふと、振り返る。そして下を見た。 「お?」 いつの間にか、幼い少女がカオスのマントに、ひし、としがみついていた。 「こりゃ、何をしておる」 カオスがぐい、とマントを引くが、少女はそのままとててっ、と引っ張られた。 「こりゃ、放さんか」 カオスの言葉に少女はぶんぶん首を振り、ぎゅっ、とマントを握りしめる。 「やれやれ・・・」 カオスは、すっ、とかがんで少女の頭を撫でた。 「これ、嬢ちゃんや、放してくれんか?」 マントに顔を埋めていた少女が、ぱっ、と頭を上げる。 ぽちゃりとして、愛くるしい少女だったが・・その瞳に光はなかった。 「嬢ちゃん・・・?」 とまどうカオスの顔を、突然、少女は小さな手で指し示した。 「おじちゃん、サンタっ!」 「は?」 「みつけたっ! サンタ!」 少女は叫ぶ。そしてマントを、ぎゅ、と握る。 カオスは呆然と少女を見やった。 「これ、嬢ちゃん、ワシはサンタなどではないぞ?」 「だめっ!ほんとのサンタ!おじちゃんはサンタ!」 カオスの言葉に少女は耳を貸さない。 「困ったのう・・・嬢ちゃんや、なぜワシがサンタなのじゃ?」 少女は再び頭を上げた。 「おじちゃん、サンタのにおいがするっ!だからサンタなのっ!」 「はああ?サンタの匂いぃぃ?」 カオスは、この突拍子もない少女の言葉に唖然となった。 カオスが愛用しているこのマントには、数々の薬品が染み着いていた。 その中のいずれかに、この盲目の少女は何かを感じたのだろうか・・・? カオスは、ふぅ、と息を漏らし、懐柔策に出た。 「まぁ、サンタでも何でも良いが、嬢ちゃんや、マントをあんまり引っぱると痛んでしま う、こっちに来て手でも繋ごうや」 そして、ごつごつした手を差し出した。 「うんっ!」 少女はにっこりとうなずいて、しっかりと両手でカオスの温かい手を掴んだ。 そして、てくてくと二人は歩きはじめた。 「嬢ちゃんは、どこから来た? 誰と来たんじゃ?」 道すがら、カオスはやさしく少女に語りかける。 「う〜んとね、がっこうなの、んで、せんせいとか、・・・みんなで、きたのっ!」 ・・・施設かな?・・・ カオスはふと思う。 ・・・ならば先生が探しているだろう、交番に行けばなんとかなるわい・・・ そんなカオスを尻目に、無邪気な少女はとめどなく喋り出した。 「あのねあのね、みんなで、クリスマスしにきたの、んでね、わたしだけがおじちゃん・ ・・んと、サンタさんみつけたの、でね、どっかいきそうだったから、わたし、いそいで つかまえたのっ!」 「う〜ん、じゃが、みんなとはぐれてしもうたのぅ・・・」 「ううん!こわくない、だって、サンタさんといっしょだもんっ!」 一生懸命に喋り、そのうつろな目を向ける少女に、カオスはとまどっていた。 子供に馴染みがない以上に、自分をサンタクロースだと信じ切っている少女に、どう対 応すればいいのか、分からなかったのである。 と、カオスはゆっくり歩いているつもりだったが、大柄な自分に懸命についてこようと している少女の足が、時々もつれるのに気付いた。 「よし、嬢ちゃん!」 カオスは、ひょいっ、と少女を持ち上げ、肩にのせてやった。 「うわああっ!」 突然の浮遊感と、カオスの温かい感触に少女は喜んだ。 「きゃっ、きゃっ」 はしゃぐ少女はカオスの髪をくしゃくしゃにする。 「こ、こりゃ、やめんか」 「きゃっ、きゃっ!」 なすがままにされるカオス。 「こ、こりゃ!」 口では嫌がっているものの、カオスは決して少女を降ろそうとはしなかった。 おそらく、初めての経験なのだろう、やたらはしゃぐ少女にそれ以上、何も注意しない 事にした。 再び繁華街へと出向いたカオスは、さっそく交番を探した。 「確かこの辺りに・・・おお、あったあった」 赤い回転灯を見つけたカオスは、そこに向かいながら少女に告げた。 「さ、嬢ちゃんや、サンタごっこはもう終わりじゃ、みんなの所に行こうな」 少女の動きが止まった。 「やだっ」 少女は叫ぶ。 「これ、わがまま言うでな・・・いでで、いでででっ!」 少女はカオスの髪を、ぎゅうううっ、と掴む。 「やだ、やだっ! サンタさん、やだっ!」 「いででで、こりゃ、髪を引っぱるなっ、だからワシゃサンタなんかじゃ・・」 「ま、まきちゃんっっ!!」 突然、雑踏をかきわけて若い女性の声が響く。交番の前にいた女性のものだ。 その声に少女は、びくり、と反応する。 遠目に、カオスの風体と、探していた少女が肩車されて、むずがっている様子を見たそ の女性はあまりにも早急な結論を出してしまった。 「きゃああああっ! 誘拐よおおおおおっっっ!!」 ざわっ、と辺りがざわめく。 「なっ、なにぃぃぃぃぃぃっっっ!!」 カオスは心底驚いた。 自分に勝手にひっついてきた少女を送り届けようとして、誘拐犯よばわりされてしまっ たのだ。 「違うっ! この娘は・・・!」 あわてて否定しようとしたカオスが交番に近づいたとたん、わらわらっと警官が飛び出 てきた。 「あっあそこっ!誘拐犯よおおおおおおおおおおっっっ!!!」 ヒステリックにカオスを指差した女性はそのまま失神して倒れ込んでしまった。 「げ!」 「こらああっ! 貴様あっ!」 警官達の勢いは、カオスの説明など聞く耳を持ってなさそうである。 「あっちっ!」 雰囲気を察知したのか少女、まきは、ぐりんっとカオスの首を回す。 ぐき。 「いててててっ! 何をっ!」 「そこを動くなぁぁっ!!」 警棒を振り上げた警官が突進してくる様子にカオスは身の危険を感じた。 「こりゃあ・・・たまらんわいっ!!」 カオスは逃げた。すたこらと。 日頃、大家に鍛えられているおかげで、こういった逃げ足だけは早くなった。 人混みをかきわけ、路地に入り、垣根を飛び超え、全力で走った。 途中、まきは突然笑い出した。風を切る疾走感が楽しかったのだろうか? それとも、パワフルな躍動感が新鮮だったのだろうか? 必死に走るカオスに抱えられ、まきはそれでも笑っていた。 追いすがる警官も必死だったが、年末体制で駆り出された人員では、土地カンのあるカ オスの敵にならず、結局、彼らを見失ってしまった・・・・・。 「はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ・・・・」 カオスは全身で息をする。 しっとりと汗をにじませ、壁に両手をついて肩を揺らす。 「な・・・なんでワシがこんな目に・・・」 かたわらに、ちょこんと座るまきを見やる。 「・・・なんなんだ、この娘っ子は・・・?」 しばらくの後、ようやくカオスの息も整ってきた。 まきは、それを見計らったように、そおっと喋りだした。 「サンタさん、ここどこ?」 「ん?あ?・・・公園の様じゃな・・・」 「こうえん?・・・ひろいの?」 「んんん? 広いかな? そうだな、広いな」 「・・・ふんすい・・・ある?」 「・・・噴水・・・あったんじゃないかのぅ?」 まきは、突然立ち上がり、探った手でカオスのマントを掴んだ。 「ね、いこう、ふんすい、いこう」 カオスを見上げ、まきは、にこっと笑う。 どうやらまきは、声のする方向に顔を向けるらしい。 何か言いたげなカオスだったが、やがて、あきらめたかの様に優しく答えた。 「そうさな、行こう、噴水に」 「うんっ!」 ざあざあと、水がしぶく噴水があった。 公園の中でもここの周りには水銀灯が立ち並び、かなり明るくなっていた。 イブの夜を過ごす恋人達が、ベンチに腰掛け、思い思いの時を楽しんでいる。 誰もが自分達の世界に没頭し、のっそり現われたカオスとまきには振り向きも気にもし ない。 「ふんすい・・・きれい?」 まきが問いかける。 「ああ、きれいじゃな」 ライトアップが施された噴水は、いつにも増して水しぶきを美しく散らす。 すぅ、と、まきがカオスの手から離れ、噴水に近づいてゆく。 音のする方に顔を向け、両手を空にまさぐらせる。何かを掴みたいかの様に。 カオスは不覚にも、その仕草にじんと感じた。 そっと、まきを抱き上げ、噴水の縁に腰掛けると、まきの手を水に触れさせた。 ぴちゃん。 「きゃっ、つめた〜いっ!」 ぴちゃぴちゃと、水をはね上げ、はしゃぐまき。 「ふんすいって、つめたいけど、きれいなんだねっ?」 「ああ、そうじゃな」 無邪気な、まきに、カオスは目を細める。 『 ざああっ! ざああっ! 』 突然、水が噴き上がった。 同時に、敷設されたライトが色とりどりに変化点滅し、しぶきを照らす。 水と光のロンドが始まった。 定時のプログラムなのだろう、いく人かのカップルが噴水に目を向ける。 まきは、身体を起こし、縁の上に立ち、まぶたを閉じた。 「ふんすいが・・・うたってる」 まきがつぶやく。カオスの手をぎゅ、と握って。 まきは、音で噴水を感じているのだ。 カオスもまた目を閉じ、じっと噴水の音を聞いた。 『 ざ、ざあっ! ざざあっ ざあっ ざざざあっ! ざざ、ざああっ 』 噴き上がる水のリズムは、確かに歌の様にも聞こえる。 「きれいな・・・歌じゃな」 「うんっ!」 『 ざざあっ! ざああっ ざっ ざあああっ! ざざざあっ! ざっ 』 カオスとまきは、噴水の奏でる旋律にじっと聞きほれていた。 しばらくの後、噴水は静かになった。 名残のごとく、小さく輪を噴くのみとなった。 びゅう、と一陣の風が吹き、カオスのマントがひるがえった。 「おお、寒い」 ぶるる、と震えたカオス 「まき、は、寒くないかの?」 カオスのひざに乗ったまきは、その、ほの赤い頬をカオスの胸に押し当てた。 「うん、だいじょうぶ、サンタさんといっしょだからへいきっ!」 「おお、そうか・・・」 カオスは噴水の縁に腰掛けたまま、まきをマントにくるむ。 「あったか〜い・・・サンタさんって・・・」 カオスは、しばし、まきのサンタになった。 「サンタさんって、どこからきたの?」 「・・お? おお、そうさな、遠い、遠い国からじゃ・・・」 まきの素朴な疑問にも、カオスは優しく答えてやった。 そして、自分の体験した話をゆっくり聞かせてあげた。 魔法の話、お城の話、お姫様の話、王子様の話、戦いの話、夢の話・・・ カオスは、しっかりまきをマントに包み、その耳に語りかける。 まきは、その話を聞きのがす事のない様にと、カオスの手を握っていた。 静かに時は流れる。 びゅう。 また風が強くなった。 それには「雪の匂い」があった。 空を覆った厚い雲から、雪が舞い降りてきた。 ネオンに彩られた街に、白い雪がはらりはらりと舞う。 カオスは、ふと、空を見上げた。 まきのほてった頬に一つ、雪粒が落ちた。 「・・・あめ?」 まきは、その冷たい感触をカオスに問う。 「いや、雪じゃよ」 「ゆき? つめたいゆき?」 まきの表情がみるみるほころぶ。 カオスのマントから腕を突き出し、雪粒を受ける。 「つめたい・・・」 ふわふわとした結晶は、まきの手の中で、すぐに溶けてゆく。 まきが急にむずかった。 カオスは、まきをひざの上から降ろしてやる。 ててて、まきが走る。 転びはしないかと、カオスは、ひやりとした。 ぴた、っと立ち止まったまきは、空を仰ぎ、両手をいっぱいに拡げた。 そして、雪の感触を確かめた。 「あめはいたいけど、ゆきはいたくないっ!」 まきの声が響く。 冷たいのも、寒いのも気にせず、そのまま、じぃっと雪を受けるまき。 雪が降り始めると、辺りのカップル達は次々と姿を消した。 仲むつまじく寄り添いあった最後のカップルが立ち去ってゆき、噴水の周りにカオスと まきだけが残った。 カオスは、じっと雪を受けるまきを見ていたが、不意に「いやな予感」がした。 それは、まきと出会った時から、おぼろげに感じていた事にも思えた。 ・・・まきが「それ」を求めないうちに、ここから去るべきだ・・・ そう直感したカオスは、まきに声をかけた。 「さ、まき、そろそろ街に・・・」 「 ゆ き が み た い っ !! 」 カオスの言葉は、まきの声に消された。 そして「それ」はカオスが避けたかった言葉だった。 「う・・あ・・・・」 カオスはうめいた。 「サンタさん・・・ゆきがみたいの・・・」 その、濡れた顔を向け、まきはカオスに願う。 「・・・おお、それは・・・」 「サンタさんなら、できるでしょ? まき、ゆきがみたいの・・・」 無邪気で・・・残酷な願いだった。 カオスは、この場で「出来ない」と言えない自分にとまどった。 そう言えば、まきは落胆するだけで済む。 しかし、カオスは一瞬、まきに雪を見せてあげたいと思ってしまった。 自分が、その「術」を知っているから・・・ 「おお、まきよ・・・」 そんなカオスの動揺を知ってか知らずか、まきがすり寄ってきた。 冷たくなった小さな手を添えて・・・ カオスは、その手を、そっと包みこむ。 「どしたの?サンタさん?」 小首をかしげる、まき。 その「術」とは・・・ カオスも幾度か施した経験がある。今でも忘れてはいない。 しかし、その術を施した相手は、すべて「老人」であった。 彼らが、冥土に旅立つ前に『最後の眼』を与える術・・・ 失明した彼らに、家族や生まれ育った土地、美しい森や湖の景色を見せてあげる為の 『最後の眼』。 そして彼らは皆、喜んで旅路に赴いて行った。 もう二度と開くことなく、かたくまぶたを閉じて・・・ はっ! カオスは驚愕する。 今、自分はなんと恐ろしい事を考えていたのだろう! この幼い瞳に、『最後の眼』はあまりにも危険すぎる。 もし、それを行えば、その後の少女の目は、永久的に見えなくなる恐れがある。 何らかの形で、見える様になる可能性があるその目が・・・ その目を、失わせるわけにはいかない。 カオスは、ゆっくりと、まきを諭す。 「まきや・・・それはできん、ワシには、できんのだ」 「うそっ!」 まきの声が、カオスの心に刺さる。 「サンタさん、うそいった。 できるはず、サンタさんならっ!」 ・・・ああ、この娘は、心を読んだ。 ワシは、心を読まれた・・・ カオスは余計に動揺する。 「いいか、まきよ、それはとても怖い、痛い事なんじゃ、もう、たくさんたくさん泣かな ければいけない事なんじゃよ・・・」 カオスは取り繕う。 「だいじょうぶっ! まき、なかないっ!」 力一杯、まきは叫ぶ。 「えっ!?」 「まき、なみだがでないの、だからなかない、なみだがでないっ!」 「!!」 カオスは、まきの瞳を見る。 必要最小限の潤いしか持たぬその瞳を。 「まき・・・なみだがでないの・・・」 「あ・・・あ・・・おお・・・」 この少女は、今まで泣いた事がないというのか? 痛い時、辛い時、悲しい時、苦しい時を、どう表現していたのだろうか? 「まき・・・もし、今、雪を見れば、この後ずっと大人になっても目が見えん様になって しまう、だから・・・」 「まき、それでもいいっ!」 その叫びに、カオスは縛りつけられる。 「まき、いま、ゆきとサンタさんみれればそれでいいっ!だからサンタさん、みせてっ」 「おお・・・まき・・・・おお・・・」 カオスは、すっとハンカチを取り出し、まきの顔を拭いてやる。 そして、くしゃ、と頭を撫でた。 「分かった、まき、見せてやろう」 「わあっ! ありがとうっ! サンタさんっ!」 まきは、カオスの膝に抱きつく。 カオスは、負けてしまった。 まきの願いと・・・自分自身に・・・ カオスは懐から、小さな塗り薬の瓶を取り出す。 それを水銀灯にかざし、念を込めた。 ベンチに腰掛け、膝枕に寝かせた、まきのまぶたに、ほんの微量塗ってやる。 通常使用すべき量より、かなり少なく。 カオスは、ゆっくり手をかざし、ぶつぶつと呪文をとなえる。 『天見たるアイリス 地見たるアイリス 水見たるアイリス 光見たるアイリス しばし この小さき瞳に力を与えよ この小さき瞳に光を与えよ・・・・・』 カオスの手のひらから、ぼうっ、とオーラが発生し、まきの顔を覆う。 まきは、ぴくりとも動かず、じっとしている。 雪は相変わらず降り続いているが、カオスとまきには落ちてこない。 不思議なオーラに包まれた二人には・・・ 「よかろう、まき、起きるがよい」 カオスは、まきの上体を起こし、抱き上げる。 「まだ、目は開けるな」 そのまま、まきを立たせたカオス。 「下を向いておれよ、夜とはいえ、ここは明るい」 いきなりの強い光は、まきには強烈すぎる。 「ちょっと・・・あつい」 まきは、目の周りに、今までにない特別な感覚を持った。 「まだだ・・・もう少し・・・」 まきは、カオスの言葉にうなづく。 カオスは待った、まぶたを開けるタイミングを。 そして・・・ 「まき、そっと目を開けるがよい・・・」 まきは、言われるまま、そぉっとまぶたを上げた。 「まだ暗いはずじゃ、心配するな・・・」 「うん・・・あっ!」 まきは生まれて始めて『光』を感じた。 闇の中心から、じわりじわりと『白い拡がり』が増えてくるっ! 「あっ!あっ!」 どんどん、『白い拡がり』は、まきの視野を覆いつくす。 「うわっ!」 再び、中心から『黒い拡がり』が現われた。 しかし、それは『闇の黒』でなく、まきが初めて見る『夜の黒』であった。 「ああっ! みえるっ! みえるっ!」 まきの全身が震えた。寒さでなく、感動と興奮を伴うその新しい感覚に。 「まき、一度、目を閉じて上を見るが良い、雪が見えるぞ」 言われるまま、まきは上を仰いだ。 そして、思いきって開けた。 「・・・・わあっ!」 まきは、まだぼんやりした視界の中に見た。 白い雪。 これが雪。 初めての雪。 白く綺麗な雪。 溶けて冷たい雪。 「ゆきだあっ!」 「まき、痛くないか?」 カオスの問いかけに、まきは上を見たまま答える。 「うん、だいじょうぶ、いたくない、ゆきがみえる、みえたっ!」 まきは、くるりと回った。 「あかりもみえるっ! いっぱいあるっ!」 おぼろげな、まきの視界に、公園の景色が写り込む。 そして、とめどなく降る、雪の中に、身を踊らせる。 「こわくないっ! みえるっ! こわくないっ! あるけるっ!」 あちこち、首をめぐらせる。 初めての世界に。 その小さな瞳に、あらゆるモノを写し込んだ。 夜の黒、雪の白、たくさんの丸い光、冷たい地面、公園の黒く繁った樹々、ベンチ、 静かな噴水、遠くのビルのあかり、どこかで点滅している赤い色。 そして・・・ 「サンタさん、どこ?」 まきは、降りしきる雪の中、サンタの姿を探した。 「ワシはちゃんとおるぞ」 サンタの声のする方を見るが、暗いのに加え、まだぼんやりしている、まきの目にはそ の姿が捉えられない。 「まき、ワシなんかより雪を見ぃ、きれいな雪じゃ・・・」 「うんっ!」 大きくうなづいたまきは、再び公園の中をかけまわった。 両手を拡げ、一生懸命に雪をつかもうとはしゃぐ。 「こわくないっ! こわくないっ!」 まきは、今まで歩く事が怖かった。 すぐつまずいて転んだり、ひっかかって怪我をしたり、いつも何かに掴まっていないと 不安で仕方なかった。 しかし、今は自分の足を見、手を見、不安なく走ったりもできるし、踊る事もできる。 「すごい、すごいっ!」 くるくると、雪の中ではしゃぐ。 ・・・わたしは、すごいことをしてるんだ、サンタさんって、すごいっ!! 「大好きっ! サンタさんっ!!」 まきは叫んだ。 そして、待った。 サンタの声を。 「まき、雪はきれいか?」 サンタの声がした。 ななめ後ろのベンチからだっ! 「うん、すっごくきれいだよ・・・」 まきは、そろそろと後ろに下がった。 そして、急に振り向いて駆けたっ! 「ぎょ!?」 カオスは、自分に向かってくる、まきからあわてて逃げた。 なんとなく、自分の姿を見せるのが恥ずかしく思えたのだ。 「まって!サンタさんっ!」 まきは、黒い影を追った。 ・・・この人が、サンタさんなんだっ! まきは、はしゃぎながら追いかけた。 雪の中の追いかけっこは続く。 「きゃははっ!」 まきは、嬉しそうに笑う、今までこんな追いかけっこなんてした事はなかった。 新しい遊びを見つけたのだ。 カオスもまた、妙にムキになって、まきから逃げた。 そして、隙を見て、噴水の縁の影に、身を伏せて隠れた。 カオスの影を見失ったまきが、きょろきょろする。 「サンタさ〜ん、どこお〜?? サンタさぁ〜〜・・・」 『 ざああっ! ざああっ! 』 『 ざあっ ざああっ ざっ ざああんっ! 』 また、噴水が、水を噴き上げた。 再び、水と光のロンドが始まったのだ。 まきは、ポカンと口を開けて、噴水に釘付けになる。 美しい、とても美しい光景だった。 さっき「うた」でしか聞けなかった噴水が見えている。 今度は『水と光と音と雪のカルテット』 『 ざああん ざあん ざっざざぁざんざん ざざざあっ! 』 まきは、この強烈な体験に、全身が包みこまれる感覚におちいった。 なによりも、鮮明な想いが駆け抜ける。 「き・・れ・・い・・」 まきは、もっと近くに寄って噴水を見ようとした。 ふらりと歩き出す。 『 ざ、ざあっ! ざざあっ ざあっ ざざざあっ! ざざ、ざああっ 』 いくつもの輪が重なり、虹を描き出すライトに浮かび、光の渦に舞う。 カオスは、噴水に見惚れる、まきの表情にいとおしさを感じた。 「サンタさん・・・いっしょにみよう、ふんすい、みようよ・・・」 まきは、サンタを探して両手をかざす。 カオスは、観念した。 ついに自分を見せねばならぬのだと。 ゆっくりと身を起こした。 美しく、輝く噴水の前に、ゆらりと影が現われた。 まきは、それがサンタであると確信した。 「サンタさんっ!!」 両手を拡げ、抱きつこうとまきは走る。 「おいで、まき!」 噴水と虹のライトを背に浴びたカオスも、両手を掲げる。 一層、噴水の勢いが増した。 その時だった。 突然、まきが失速した。 がくん、と立ち止まる。 「どうしたんじゃ?まき?」 カオスが一歩踏み出す。 「 い た い っ !! 」 金切声で、まきが叫んだ! 両手で、顔を押さえてうずくまる! 「!!」 カオスの耳に、その叫びが突き刺さる。 「なにっ!」 ・・・そんなはずは・・・ カオスは、薬をほんの少ししか使わなかった、ほんの10分程度の効力になる様にしか ・・・だが、まきの身体には異変が起こった。 「いたいっ! いたいっ!」 わめくまきに、カオスはあわててかけ寄る。 「どうしたんじゃっ! まきっ!」 まきの手を外し、顔を覗き込む。 「 あ っ !!」 カオスの全身が凍りついた。 まきは、泣いていた。 涙を流して。 そう・・・血の涙を! 「おお、なんという、なんということだっ」 カオスは驚愕し、混乱した。 まきの目から流れ出る真っ赤な涙に。 「いたいっいたいっ、めがいたいっ!!」 カオスは、ぎゅ、とまきの顔を自分の胸に押し付けた。 血で、まきの服を汚さない様に。 震える腕で抱え込む。 「いたいっいたいっ、めがいたいっサンタさんたすけてっ!」 まきは、両手でカオスの胸を叩く。 どんどん、どんどん。 「おお、まきよ、すまぬ、すまぬっ!」 輝く噴水の前で、カオスは、まきに懺悔する。 カオスは、自分自身を嫌悪した。 ・・・ワシは、なんという残酷なむごい事をこの少女にしてしまったのだ。 まきのこもった叫びを直接、その胸に受けながら。 あばれるまきを、ぎゅ、と抱きしめてやる他、カオスには打つ手がなかった。 これ以上、術や薬は、まきには使えない、それはまきの生命さえも奪えかねない危険性 を帯びている。 『最後の眼』は人体に苦痛を与える法術ではない、それでもこの結果なのだ。 「いたいよおっ!」 「おお・・・おお・・・」 不老不死になって以後、カオスは数々の人の生き様を見てきた。 愚かな人間達の行いを。 そんな人間達を嫌悪し、蔑んできたのは自分ではなかったのか? しかし、今、自分がした事はなんだ? この幼い少女に対して良い事だったのか? 自分には結果が分かっていたのではないのか? それが分かっていて、なぜ自分はこんな愚挙をした? 一時の感情に揺さぶられて・・・ それこそ、愚かなる者達の犯す罪ではないのか? 千年以上も生きてきて、そんな事も分かっていなかったのか? ならば、何の為に不老不死になったのだ? 何の為に・・・ 「いたいっ!」 「おお・・・すまぬ、まきよ、すまぬ・・・」 カオスは、まきをマントで覆い、雪から遮断した。 雪は、カオスの背を冷たく凍らせていった・・・ いつしか・・・ いつしか雪はやみ、冷たく濡れた住宅街をとぼとぼ歩くカオスの姿があった。 遠くでパトカーのサイレンが響く。 カオスは、ふと空を見上げる。 「まきよ・・・すまない」 ちかちかと切れかけた街灯の下、カオスは肩を震わせる。 結局、カオスはどうする事もできず、泣き疲れて眠ったまきを、そのまま置いてきたの だった。 公園の電話ボックスの中、血で固まったシャツを下にひいて・・・ びゅう、と吹く風が、カオスのマントをなびかせ、その素肌をなめていく。 「ああ、寒い・・・」 身体以上に、心にも寒さをおぼえたカオスは家路に急いだ。 幸福荘には灯りがなかった。 いやに、しん、と静まり返っている。 しかし、カオスはそんな事に気を留める余裕はなく、無造作に玄関扉を開ける。 ガララァ・・・ 『 パッ パァン! パッ パン!パン! 』 突然、フラッシュとクラッカーの破裂音が響いた。 暗かった玄関に灯りがともる。 驚いたカオスは思わず手をかざす。 その向こうに。幾人かの人影が見えた。 「・・ったくっ! カオッさんよ、今までどこをほっつき歩いていたんだいっ! 皆、待 ちくたびれたじゃないかっ!」 仁王立ちの大家が先頭にいた。 怒っている口調でも、表情はおだやかである。 「なんじゃ?」 カオスは、自分の身体にからみつく細い紙テープに気付いた。 「??」 大家の脇にマリアがいた。 「・・・マリア? これは一体・・・?」 「ドクター・カオス、ミス・オオヤサンガ、パーティーヲキカクシマシタ」 「パーティー・・・だと?」 ふふん、と大家が腕を組む。 「そうさね、あンたは日がなぶらぶらしとって、本当はこんな事してやるこたぁないんだ が、ほら、異国の地で、なんぞ楽しい事もないっちゅうのもなんだし、みんなで持ち寄っ て、パーティーでもやろうかっ、てな寸法じゃ」 ずらりと並んだ他の店子たちもにっこりと微笑む。 大家はカオスをじろりと睨む。 「ま、別にあンた抜きでもはじめようかってなったんだが、この子がな・・・」 と、マリアの腕を取った。 「あンたを待つって言い張っての、皆もしびれを切らして探しに行こうか、ってな時に、 あンたがぼけぇっと帰ってきたんじゃ」 「マリア・・・?」 カオスは、ほうけた表情で、マリアを見やる。 「イエス、ドクター・カオス」 マリアは、その瞳の中にカオスを見すえ、はっきりと答えた。 ばしん! 大家がカオスの腰を、思いッきり引っぱたいた。 「カオッさんっ! あンた、この子を大事にせんといかんぞっ!」 にいっと笑った大家は、ぐいっとカオスの手を引く。 「さ、始めようかの、折角の料理が冷めちまうで!」 皆が、思い思いにパーティーを楽しんだ。 地方から来た大学生は、国の話や方言を皆に教えてまわっている。 酔った会社員が、マリアをくどこうとして、男共からタコ殴りにされる。 フリーターの青年は、ギターを持ちだし、懐かしいフォークを歌い出した。 屋根に上った奴が、危うく滑り落ちそうになって大家に怒鳴られる。 物まねのうまい女性は、カラオケのマイクを独占し、やんやの喝采を浴びる。 バラエティにとんだ皆の個性が、パーティーを盛り上げていく・・・ マリアはふと、カオスの姿が見えないのに気付いた。 さっきまで、あちこち渡り歩いて飲み食いしていたはずなのに。 わはは、と盛り上がる部屋を素通りして、マリアはカオスを探す。 「ドクター・カオス、ドコデスカ?」 ぎしぎしと廊下の板目が鳴る。 カオスは自室にいた。 灯りもつけず、開け放った窓枠に腰掛け、ぼんやりと外を見ていた。 その、何か寂しげな雰囲気に、マリアは声をかけるのをためらった。 「・・・・・・マリアか?」 外を向いたままのカオスが問う。 「・・・イエス、ドクター・カオス」 「マリア・・・人間とは愚かなものよのぅ・・・」 ぽつりとつぶやくカオス。 「ワシゃ千年も生きてきて、何をしておったのかのぅ・・・」 マリアは何も答えられない。 「人間っちゅうのは、いつまでたっても賢くならんもんだな・・・同じ愚行を繰り返し、 罪を犯し、罰を受け、また同じ愚挙に走る。一向に賢くならん、馬鹿じゃ阿呆じゃ間抜け じゃ・・・愚か者よ・・・人間とはのぅ・・・なんとも言えんほどの・・・」 マリアは、答える代わりに、すうっとカオスのそばに寄った。 「ワシも人間じゃ、いかに不死とはいえど、人間じゃ、昔も今もありゃせん、赤ん坊の時 から、術を学んだ時も、魔王の時も、今現在も、そして未来も・・ワシゃ、カオスじゃ、 Dr・カオスなのじゃ・・天才でもあり、錬金術師であり、阿呆であり愚かなる英雄のな ・・・」 「じゃがワシは、Dr・カオスである前に、ただの人間なんじゃ・・・」 「マリア・・・」 不意にカオスはマリアを見やる。 「おまえは、人間が好きか?」 マリアは、カオスの目をしっかりと見た。 「イエス!ドクター・カオス!」 マリアのはっきりとした答えは、カオスの心に染みた。 「ありがとう、マリア・・・」 急にそっぽを向いたカオス、その表情をマリアは窺えなかったが、少し、目の辺りに何 かが光ったのには気付いた。 しばらく、無言の時が続いた。 ひゅ、風が舞い込んだ。 カオスの肩が動く。 「おお、寒い」 立ち上がって窓を閉めたカオスは、ぽん、と手を叩く。 「さて、何か温かいものでも食わしてもらおうか、肴はワシの昔話でな!」 いつもの表情に戻ったカオスにマリアは大きく答える。 「イエス!ドクター・カオス!!」 その夜。 その夜、不審な男の声で「公園の電話ボックスに女の子がいる」との通報を受けた警官 が駆けつけると、確かに指定のボックスの中に少女の姿があった。 と、遠目に様子を窺う素振りをしていた大柄な男を、発見した警官が追うが、すぐに見 失ってしまった。すぐに緊急配備をしたが、何も得られなかった。 保護された少女は、夕刻より捜索願いが出されていた盲目の少女と判明した。 連絡を受けて駆けつけた両親と教師は、少女のそばにあった血染めのシャツを見て、驚い たが、少女に外傷はなく、病院の検査でも異常はないと聞いて胸を撫でおろす事になる、 ただ、眼科の検査で、涙腺付近から血液の痕跡が発見されたが、これも傷などではなく、 また、異常と判断できるほどのものではないとされた。 女性の刑事による事情聴取に少女は「サンタに逢った」と言い張り、結局何も捜査の役 に立たなかった。くだんのシャツも鑑識に回された時に白い炎を上げ、燃え尽きていた。 そして、実質的な被害がなかった事もあり、年末年始に忙殺された関係者達はこの摩訶不 思議な事件を記憶に留めようとはしなかった。 そして・・・ 春となり、夏がきて、秋となり、再び冬に・・・ いくつもの季節が過ぎ、いくつもの星が廻った・・・・ 時は春。 うららかな春。 とある小学校。 きゃあきゃあと、子供達の歓声が響く。 お昼休み。 廊下を小走りに来た女の子のグループが、ひょい、と職員室を覗き込む。 『は〜せ〜が〜わ〜せんせっ!』 ハモッた声が、入り口に近い机にいた女性教師を振り向かせた。 「あら?なあに?」 メタルフレームの眼鏡の奥の優しい視線に、女の子達は安心する。 「どうしたの?」 パタとノートを閉じた教師が、入り口に向かった。 「なあに?遠慮しないでね?」 「えとお〜・・・」 グループの中の一人の少女がおずおずと話しはじめる。 「えとお、2年生のゆうちゃんが、せんせのサンタの話聞きたいって・・・」 「あらあら!」 見ると一番小柄な少女が恥ずかしそうにうつむいている。 「あら、なあに? そんな事ね、いいわよ、ちょっと季節外れだけど」 にっこりと笑った教師は、放課後にもう一度、職員室に来るように伝えると、下級生を ちゃんと教室に送り届けるように、自分のクラスの少女たちに命じた。 「長谷川先生、春でもサンタの話ですかぁ?」 机に戻ると、隣のクラスの担任教師が半分ひやかしながら声をかけてきた。 「あら、わたし、一年中しますわよ? このサンタの話は」 「そおそお、この学校にきた子たちは全員、サンタの話を聞くことになるんだからねぇ、 特に長谷川センセのクラスにならずとも」 一人の女性教師が、コピーの束を抱えながら話しかけてくる。 「わはは、そりゃすごいわ!」 担任に教師は軽く微笑む。 「う〜ん、それが事実に近いってのは笑えないわねぇ」 「なんとまぁ、いやはや・・・」 「でさ、でさ、長谷川センセ?」 「はい?」 コピーを担任におしつけた女性教師が割り込んで腰をかがめた。 「長谷川センセの目が、サンタのおかげで見える様になったっての、ほら、TVとか雑誌 の不思議体験特集なんかに応募とかしてみない?」 「う〜ん、以前、クラスの子が何かの雑誌に出して、原稿依頼が来たんだけど」 「へ〜え」 「断わっちゃった」 「あらら、どして?」 「うーん、なんでっても・・こう、私が直接お話ししないとね、ダメなんじゃないかとね ・・・」 「何がダメなの?」 「うーん、なんとゆーか・・・私が受けた幸せだから、それを伝えられるのも、私だけな んじゃないかと・・・媒体を通じちゃうと、何か・・・想いがちゃんと伝わらない気がす るのよ・・・」 「う? なんだか良く分かんないんだけど・・・」 「ごめんなさい、私も、うまく言えないんですよ・・・」 「あ、もしかしてさ、サンタって、長谷川センセの初恋の人なんじゃないの?」 担任の言葉に、二人は目が点になった。 「あのさ、なんでそーなるワケ?」 預けていたコピーを引ったくった女性教師は担任をふざけて斜めに睨む。 「いや、あのね、そーだから何かのはずみで捜査されるのいやだからとか・・」 「 先 生 わ 、人の話をちゃんと聞いてましたあ?」 「サンタに逢った時の私は、まだ目がみえてないんですのよ?」 二人の女性教師に詰め寄られ、担任はかたわらのメモ用紙をひらひらさせた。 「し〜ましぇん、聞いてましぇんでしたあ」 『おおばかものお!』 くすくす笑いながらコピーを抱えた女性教師は立ち去り、自分の仕事に入った。 「さてと・・・仕事仕事っと」 「ねね、長谷川センセ?」 また、担任が話しかけてきた。 「はい?」 「その・・・サンタの姿って、本当に見えなかったんですか?」 「う〜ん・・・」 教師・長谷川まきは、昨日の事の様に鮮明で、忘れ得ぬ光景を想い浮かべた。 細かく散った水しぶき、虹色に渦巻いた光、舞い落ちる雪粒・・・ そして・・・その前に立った影。サンタの影。 すると・・・ 不意に、まきの記憶の奥底から、ひとつの映像が浮かび上がってきた。 あれ・・・? サンタさん・・・? 両手を掲げて、自分に優しく微笑みかけてくれるサンタ。 なんで今になって・・・? どうして? サンタの顔は、影になってて全然見えなかったのに・・・? しかし、その笑顔は、すぐに、ふぅ、と消えてしまった。 記憶に留める隙もないままに。 「長谷川センセ? どうしました?」 担任が、肩をゆすったので、まきは、やっと我に返った。 「あ・・あら、ごめんなさい・・・」 あわてて、まきは取り繕う。 「ちょっと、急にあの時の事を思い出したので・・・」 担任は、まきに少し、頭を下げた。 「すみません、先生、サンタの事をからかってしまって・・・」 「あら、急になんです? 別にかまいませんよ?」 「いや、本当に長谷川先生は、サンタが好きなんですね」 「まあ、ええ、やはり恩人ですから・・・」 まきも、なんだか照れ臭そうに答える。 すると、担任は、何やら周りを気にするかの仕草をした後、ぽつりと言った。 「私は、長谷川さんのサンタになれますか?」 ★********* << END >> *********☆