ちゅちゅちゅん・・・ 森の雀たちの鳴き声が聞こえ、おキヌは目覚めた。 部屋に流れる肌寒い山の空気は、布団の温もりに未練を残す絶好の理由になる。 が、今日の掃除当番は確か自分のはず、いつまでもうだうだしていられない。 「んん〜〜〜っん、ふわぁぁぁっ!」 起き上がると同時にあくびが洩れ、それを振り払う様に両腕を上げ大きく背伸び。 そしてぱちんと軽く頬を叩いて気合いを入れた。 「よしっ、今日も頑張ろうっ!」 そう云ってからおキヌは首をかしげる。 「あれ? 今の言葉・・・なんか、さっき聞いた様な、云った様な・・・??」 二度三度、その大きな瞳をぱちくりさせるおキヌ。 「・・・ま、いっか」 深く考えるのをやめたおキヌは、急いでパジャマからスゥエットの上下に着替える や、軽やかな足取りで氷室神社の境内へと向かう。 朝の爽やかな風が、おキヌの長い髪を泳がせていた。 「わ〜ん、ギリギリだーっ!」 おキヌが義姉の早苗と共に高校の門をくぐった時、始業までに時間の猶予があまり なかった。支度に時間がかかるのは年頃の女の子の場合、仕方ないのだろう。 そして自転車置き場に、おキヌがあわてて自分の自転車を止めようとした時、スカ ートの裾が何かに引っかかったらしく、隣の自転車が大きく傾いた。 「あっ!!」 がしゃん、と大きな音を立て、次々と自転車がなぎ倒された。 「おキヌちゃんってば、ドジ〜〜っ!!」 早苗のあきれた顔に、おキヌはうすら涙で不運を嘆く。 「ふええええんっ!」 その時、無情にも予鈴が校内に響き渡った。 「あぅあぅ、どおしよお・・・」 「と、とにかく起こすしかないわ、手伝ってあげるからっ!」 「おねえちゃん、ごめんっ!」 おキヌと早苗は二人してよいせよいせと倒れた自転車を起こして廻るが、その数が 多い上、意外に重い重量にてこずっていた。 「あ〜〜んっ、これじゃ本鈴鳴っちゃうよおっ!」 「えぐえぐっ!」 「・・・・何やってんだ? おまえら」 突然、背後から声がした。 おキヌが振り向くと、MTBに跨った男子生徒があきれ顔で二人を見ていた。 「あら、堀川クン、あのねぇこの子がねぇ、自転車倒しちゃったのよ」 早苗がおキヌを指し、肩をすくめて説明する。 笑うでもなく、妙に落ち着いた表情で堀川と呼ばれた男子生徒は周りを見やる。 「ほらほら、早く直さないと本鈴鳴るってばっ!」 「あ、そうだそうだ!」 おキヌと早苗が再び自転車の群れと格闘し始めると、堀川はゆっくりと二人の間に しゃがみ込んで、やおらぶっきらぼうに告げた。 「・・・・俺が、やっとく」 「えっ?」 おキヌと早苗は顔を見合わせた。 「ちょっと、あなたに迷惑かけるわけにはいかないわ、元はと云えばこの子が・・」 「 い い か ら 行 け っ !」 堀川は強い口調で早苗の言葉をさえぎり、二人を見やった、そして。 「おまえらじゃ、一時間かかる、俺なら5分だ」 そう云うなり、ずかずかと自転車の群れに入り込み、がしがしと片付け始めた。 「ありゃあ・・・」 「すごい・・・」 呆然としている二人を尻目に、堀川はあっという間に半分程を片付けた。 「あ、あのぉ・・・」 おずおずとおキヌが話かけようとする。 「・・・何やってんだ、早く行けよっ!」 堀川は腕を振り上げて怒鳴った。 「うわっ、は、はいっ、そうしますっ! ご、ごめんなさいっ!」 「じゃ、ごめんね堀川クン、お願いするわっ!」 ぺこりと頭を下げ、駆けゆくおキヌと早苗の後ろ姿を堀川はしばらく見ていたが、 不意に小さくため息をつき、こめかみの辺りをぽりぽり掻いた。 「おねえちゃん、さっきの人・・・知ってるの?」 玄関口のロッカー室で靴を履き替えながら、おキヌは早苗に尋ねた。 「うん、隣のクラスの堀川っつってね、野球部のキャプテンだったかな?」 「へぇ、すごい人なんだ」 「ま、ウチの野球部はそんな大した事ないから、すごくはないけどね」 と、けらけら笑う早苗の頭上のスピーカーから、本鈴が鳴り出した。 「うわっ、鳴ったっ!」 「きゃあっ! 大変!」 あわててそれぞれの教室へと走り出すおキヌと早苗だった。 「あの・・・今朝はごめんなさい・・・」 「・・・ああ、別に・・・いいよ・・・」 放課後、おキヌは早苗と共にグラウンドへ出向き、野球部の練習場を訪ねた。 そして汗を拭いに戻って来た堀川を見つけ、今朝の事を詫びる。 しかし、堀川はおキヌと早苗から視線を外したまま、興味なさげに応えるのみで、 それ以上何も云わずに再びグラウンドへと飛び出していった。 「・・・嫌われちゃったのかな?」 おキヌは堀川の態度に、少々心細くなっていた。 「いや、あいつはずっとあんな調子だよ、一応礼はしたって事で帰ろっか」 早苗はおキヌを促して練習場を後にする。 その後ろ姿を、堀川が眺めていた。 「お〜いっ、そっち行ったぞ〜〜っ!!」 がつんっ! 注意も空しく流れ球が頭を直撃し、昏倒しても尚、堀川の視線は動かなかった。 『 元気出してください! 心はいつも一緒ですよ。 』 朝になり、ぱちりと目覚めたおキヌは布団の中で、じっと考える。 また、あの夢だ・・・。 はっきりとは覚えていないが、誰かに向かって語りかけている自分がいる。 そしてその誰かが、とても、とても喜んでいる。そんな感じだった。 おキヌもこの夢を見た後は必ず、なんだか嬉しい気分になっていた。 そういう意味で、この夢は好きだった。 「おはよ〜っ!」 おキヌと早苗はその日、かなり時間の余裕をもって登校した。 自然に出る生あくびをからかい合いながら、おキヌと分かれた早苗が教室に向かう と、なぜか戸口に堀川が所在なさげに突っ立っていた。 それを気にせず教室に入ろうとした早苗の肩を突然、堀川はむんずと掴んだ。 「きゃっ!」 堀川は何もいわずに、早苗を引きずってずかずか歩き出す。 「ち、ちょっとっ!」 早苗の抗議など、聞く耳を持ってなさそうな素振りだった。 「な、なによおっ!」 堀川は早苗を、社会資料室へと押し入れた。 がたたんっ、とスチール机に倒れ込んだ早苗に、堀川はずずいっと迫った。 「わああっ!何するだ、わたスには山田クンっつー、将来を誓い合った大切な人がい るだ〜〜っ! こんな、こんなしちゅえ〜しょんは慣れてないだ〜〜っ!」 「・・・おい、違うって・・・」 「いやだいやだ、こんな所ではいやだ〜〜、もっとろまんちっくな場所の方が・・」 「違うっつっとろ〜がっっ!!」 「・・・へっ?」 ようやく我に返った早苗は、真っ赤になって肩を震わせる堀川をじっと見る。 「・・・すまん、こんな事をして・・・実は・・・これを渡して欲しい・・・」 そっぽを向いた堀川は、学生服の内ポケットから一通の手紙を取り出した。 それは、滑稽なほど可愛くパンダのイラストが描かれた少女趣味のものだった。 「・・これは・・まさか、ラブレタァ!? いや、だから私には山田クンが・・・」 「だから、おまえにじゃないっ!」 「・・・じゃ、誰に?」 堀川は一層その顔を赤らめ、目をつぶって・・・小さく答えた。 「・・・おまえの・・・・妹にだ」 昼休み、早苗はおキヌの教室へと出向いた。 「・・・まぁ、真面目は真面目な奴だからねぇ・・・」 早苗は、今朝の堀川とのいきさつを笑いながらおキヌに話す。 「・・・でも・・・おねえちゃん・・・急にこんなの貰っても・・・」 困った様な表情のおキヌは、渡された手紙にとまどっていた。 「ま、そうすぐに決めないで、あなた自身でゆっくり考えたら? じゃねっ!」 と、早苗は後ろ手を振りながらさっさと戻っていった。 「あっ、おねえちゃんっ! んもぅっ!」 それでもおキヌはしっかりと手紙の感触を確かめていた。 5時限目の授業の合間、こっそりとおキヌは手紙を読んだ。 朴訥で純情な堀川の人柄が忍ばれる文章だった。 不器用ながらもその手紙に託された想いは、きちんとおキヌの胸に届いた。 「こら、氷室、何がおかしい?」 無意識に現われた微笑みを教師に見咎められ、おキヌはあわてて手紙を閉じる。 「いえっ、なっ、なんでもありませんっっ!!」 クスクスと、教室のあちこちから笑いが洩れた。 次の日曜日、おキヌと堀川は手紙に示されていた町の公園にいた。 そしておキヌは、堀川の前で深く、長く、静かに頭を下げ続けていた。 「おキヌ・・・ちゃん、ごめん、もう分かっただ・・・」 寂しそうに堀川は首を振り、ふらふらと傍のベンチに座り込んだ。 「・・・本当に、ごめんなさい・・・」 おキヌは、ゆっくりと頭を上げ、堀川の隣にちょこんと座った。 「お手紙は、ちゃんと読みました・・・」 堀川は、気抜けた表情でおキヌを見やる。 「堀川さんが・・・私を大切に想ってくださっていた事は、とても嬉しいです」 おキヌは、不意に振り向くと、しっかりと堀川の瞳を見た。 「だから、私もきちんと返事をしようと、そう・・・思いました」 おキヌに見つめられ、堀川の顔はまた真っ赤に染まる。 「・・・・誰か、他に好きな奴でも・・・いるだか?」 「はい」 堀川は、そのはっきりした答えを聞いて、逆に何か吹っ切れた気分になった。 「じゃ、しょうがねぇなや、うん」 「・・・ごめんなさい・・・」 「謝ることはないべ・・・んで、誰だ? おキヌちゃんが好きな奴って?」 おキヌは、堀川の言葉にすぅっと遠くを見つめて話し始める。 「うん、私が好きな人はね、中々そう簡単には逢えないけど・・・・それでも遠くで いつも、私を必要としているの。 そして私も、その人を必要としている・・・・・ そんな感じで恋とか愛とかじゃなくて、もっと自然に『好き』って感覚なの」 「う、うん? 何か難しいな?」 おキヌの話に堀川は唸る。 「そお? すごく大切な感じだと思うけど・・人を好きになるって理屈とかじゃない し、必ずしもそばにいなくても、好き同士なら絶対、心は繋がっているはずよ」 「そうか、ちくしょう、俺そいつに負けてるって事だな?」 堀川の言葉におキヌはクスクス笑う。 「勝つとか、負けるとかって変!」 「いや、男としては重要な問題だ! 俺、そいつに勝てる可能性あるのか?」 必死に問う堀川を置いて、おキヌは急に駆け出すや、くるりと振り向いて笑った。 「・・・・・夢で逢えたら・・・ねっ!」 「・・・・・夢・・・・って?」 ふわりと風に髪をなびかせたおキヌは、悪戯っぽく笑ってもう一度くるりと舞った。 < Fin >