<< GHOST SWEEPER MIKAMI Fan Fiction Special Presents >>


「・・・・・儂は、自分の運命の最期に出会った、彼らの事を忘れえないだろう。・・・
・・・・・・それが、許される事であるのならば・・・・・・・」

 風が吹く・・・街の上を・・・「彼」の想いをのせながら・・・


『 G S 美 神 ・ 外 伝 』

『 天 に 舞 う 律 』



「ふぅ・・・・」
 一日の仕事が終了したことを宣言する溜息が、美神の口から洩れた。
「はい、お疲れさまですぅ」
 タイミングよくおキヌが、温かい紅茶をすいっと差し出す。
「あ、ありがと、おキヌちゃん」
 一口含んだ美神は、いつもと違う紅茶の味と香りの変化に気づいた。
「あら・・これ?・・」
 へへへ、とおキヌは照れた。
「ブランデーを少し入れてみたんです」
 と、にこやかに笑う。
「へぇ・・やるわねぇ、おいしいわ、これ。どこで覚えたの?」
 満足そうに、美神はもう一口含む。
「雑誌に載ってたんですよ」
 あっさりとタネを明かすおキヌ。
「ふぅん、そうなの・・・じゃあさ、おキヌちゃん、これ今度から寝る前にお願いね」
 カップをくいと上げ、軽くウィンクする美神。
「はいっ、分かりましたぁ」
 トレイを胸に抱え、おキヌはにっこり微笑んだ。

 ・・・やがて、紅茶を飲み干すと、美神はぐいと背を伸ばした。
「さぁてと、シャワーはさっき入ったし、もう寝るわね」
「はぁい、用意は済んでますのでどうぞ」
 カップを片付けながら、おキヌはくるりと美神に振り向く。
「結界は私が見ておきますので、どうぞお休みになってて下さい」
「あ、助かるわぁ、じゃあお願いね。おやすみ、おキヌちゃん」
「おやすみなさい、美神さん」
 ぺこりと頭を下げ、すぅっとおキヌはキッチンへと向かった。
 美神は、その後ろ姿を見送った後、背後の窓ぎわに寄ってみる。
 大きな月の輝く澄んだ夜空だ。
「いい夜ねぇ・・・」
 満足感ある微笑みが、窓ガラスに映り込んだ。

                    *

「るんたった〜るんたった〜、ら〜らららら〜〜」
 何やらメロディを口ずさみながら、片付けを終えたおキヌは美神屋敷の内外を見回る。
 本来、霊の侵入を防ぐ為の「結界」だが、ここでは「防犯」の役目をも兼ねていた。
 おキヌは結界の全てに異常がない事を確認すると、そぉっと美神の寝室を覗く。
 照明の落ちた部屋、ベッドの中でもぞと動く美神を見て、おキヌはくすっと微笑む。
 そして、自分の「部屋」へと戻る。
 おキヌ自身は幽霊ゆえ、「部屋」など必要ないのだが、美神はおキヌの為に屋敷の一室
をあてがっていた。ベッドとクロゼットが用意された部屋には、常に安定した霊波が流れ
る様に手が加えられており、おキヌはここで、霊体を休め、その波動を整えるのである。
 美神のおキヌに対する感謝の気持ちの現われでもあった。
 部屋に戻ったおキヌは、カーテンが開かれていた窓から、こうこうと月あかりが差し込
んでいる様子を素直に奇麗と思った。
 そして窓に寄り、月を仰ぐ。
 神秘的な紋様がくっきりと見える輝く月を・・・。

「さぁてと」
 しばらくぼんやりしていたおキヌは、すうっとカーテンを閉めた。
 そして、ゆっくりと自分の気配を消す。これは美神に気を使っての事である。
 霊能者は霊波を敏感に感じる特性を持っている。いかにおキヌといえども霊体であるに
は違いない。美神はおキヌに対する免疫があるとはいえ、精神を休める睡眠中に常に霊波
を感じ続けるのは良くないだろう。
 美神は「気にしないでいいわよ」とは言っていたが、おキヌは自発的に気配を消してい
た。自分にとって負担にならない事であるがゆえに。

 おキヌは「眠り」につこうと、ぽそっとベッドに横になった。
 何度か目を閉じるが、カーテンのすきまから洩れる月の光がどうにも気になるらしい。
 むっくりと起きた。
「ちょっと、お散歩してこよかな?」
 つぶやいたおキヌは、身体を浮かせ、しゅるりと結界から抜け出た。
 屋敷をとりまく結界は、おキヌには反応しない。おキヌが自分の「時間」を持てる様に
との美神の配慮からである。
 ふわりとおキヌが美神屋敷の上空に浮かぶ。そして、ちらと美神の部屋を見やり、
「いってきまぁす」と、誰ともなしに小さくつぶやいた。

                   *

 さわ、と通る風がおキヌの髪を泳がせる。
 街はほとんど眠りについていた。しかし、街灯や一部の家並みから洩れるあかりが大地
の星のごとく散らばり、きらきら光る。
 通りゆく車のライトはさしずめ流れ星だろうか。
 月明かりのせいで、天空の星ぼしはかなり見えにくくなっている。
 それでも幾万光年を超えて届くまたたきは、ロマンティックである。
「横島さん、もう寝たかなぁ・・・」
 とりとめもなく、ぼんやり考えるおキヌ。
 行ってみようかな、とも思ったが、用もないのに変だな。と、自己完結し、一人で照れ
笑いを浮かべた。

 しばらく、ふわふわ〜と風にまかせて漂っていたおキヌだが、不意に月を見上げ、勢い
づけて跳んだ。くるりと輪を描いて。

 衣のすそをはたはたなびかせ、気ままに跳び回るおキヌ。

 宙返り。急降下。急上昇。夜空を縦横無尽に、その身体を弾ませる。
 しゅう、と、月を横切るその影は「妖精」かと見紛うほどだった。

「ふふふっ!・・・あははっ!・・・」

 楽しそうに笑いながら、おキヌは夜空に舞った。
 くるり、くるりと、いつまでも・・・・・・

「ふわぁ〜・・・」
 いくばくかの時が過ぎ、おキヌはぴたと宙に止まり、一息ついた。
 そして辺りをきょろきょろ見渡す。

「あら?・・・」

 調子にのっているうちに、少し離れた場所に来たようである。
 河川敷公園のある、大きな川が見えた。
 眼下には、小規模な工場が立ち並び、向こうには団地がある。
 さえぎる物のない風だけが、ひゅうと鳴る。
「川か・・・行ってみよう・・・」
 ぽつとつぶやき、おキヌは再び跳んだ。

 静かに水の流れる音がする。広い川の真ん中まで来ると、おキヌは水面に近づく。
 暗やみの中、くろぐろと流れ続けるその水が、薄汚れている事をおキヌは知っている。
 自分が生きていた頃の記憶をかすかに思いだした。
 昔、豊かにあふれる清らかな水辺で遊んでいた時の事を。
 川で遊ぶ事が、ごくごく自然なことだったのである。  
 水に触れ、水を知るよろこびがあったのである。
 それが今や、無粋な看板でそれを阻止され、あまつさえその自然さえもコンクリートで
塗り固められようとされている。
 正直、あまり良い気持ちではないおキヌであった。

 水面から離れ、河川敷公園の真上を抜けようとしたおキヌはふと「何か」に気づいた。
照明のない、真っ暗闇の公園の中の「何か」に。
 おキヌはゆっくりと公園に降り立った。
 おざなりの整備しかされていない公園は、荒れ草が生え、グラウンドの金網は破れ、放
置された廃車が無残に転がっている。
 風が、びゅうと吹く。舞い上がるほこりの向こうに「何か」がある。
 それは、荒れた土手にぽつんと放置された一台の「ピアノ」だった。

                 *

 おキヌは不思議だった。あちこち散らばる他の物には何とも思わないのに、
その「ピアノ」だけには「何か」を感じる。
 そおっと、近づいた。
 永い間、風雨にさらされているのがありありと分かる。
 外装はとっくに艶も失せ、いくばくか腐っているらしく、穿たれた穴がある。
鍵盤の上蓋は閉まっているが、内部の悲惨さもうかがい知れた。
 ペダルは曲がって今にも落ちそうだし、地に付いた部分は土の色が染み込んでいた。
 ぐるりと一通り見渡したおキヌは、こくっと首をかしげる。

「ピアノ・・・よね?・・・どう見ても・・・?」

 自分でも何がどう気になるのか分からない。
 ただ、「かすかな『気』」を感じるのである。
 しばらくじぃっとピアノを見ていたおキヌだが、とうとう意を決したのか、そぅっと手
を延ばしピアノに触れた。

「ぱちん!」

 とたんに何かがはじけた。
 痛いのではなく、ただびっくりしたおキヌが「きゃっ!」と声を上げる。
 あわてて引っ込めた手を胸の前にかばう。
 ざわ・・・と、雑草が不自然に揺れた。
 辺りの気が変わったのがおキヌにも分かった。
 ぐら・・・と、暗やみの中、ピアノが動いた様に見えた。
 実際は1ミリたりとも動いていないが、わき出た「波動」がそう感じさせたのだった。
 おキヌは息を潜めるかのごとく、じっとピアノに見入る。
 何が起こるのか、期待と不安にかられながら・・・。

 ぼぅ・・・と、ピアノ全体が淡く光り始めた。
 暗やみの中の不気味な光は、自然の「光」ではなく、
「何か別の力が、『光』という形を借りて現われている」
 に過ぎない事をおキヌはおぼろげながら悟った。
 光はだんだんと強さを増す。
 そして、ある程度の明るさまでになるとそれがピークだったらしく、また、ゆっくりと
弱くなっていった。

「・・・・・む・・・・・む・・・・・・・」

 音が鳴った。
 おキヌはどきりと辺りを見回す。
 人っこひとりいるはずのない深夜の公園である。
 ゆっくりと視線をピアノに戻した。

「・・・む・・・う・・・・」

 音がする度にピアノの光が増減し、それが「声」である事を知る。
 間違いない。ピアノがしゃべっているのだ。

「ツクモガミ・・・」

 以前、美神から聞いた言葉が思い出された。
 長年の間、人や動物が常に接した「物」につく霊。
 そんな説明を受けた覚えがある。
 おキヌは、聞き取りにくかったピアノの声が次第に整ってきているのに気付いた。

 そして・・・・

「・・・・ふぅ・・・・・」

 ピアノがため息らしきものを出した。
 ただただじっと見入るおキヌ。

「だれじゃ、わしを起こすのは?」

 突然、ピアノがはっきりと語りかけてきた。
 びくっとするおキヌ。
「あ・あの、ごめんなさいっ! 起こすつもりじゃなかったんですぅ」
 しどろもどろの答えを返す。

 間が空いた。

 ピアノの光が何度か増減を繰り返す、何かを考えるかの様に。
「む・・ん?あんたは人間じゃないな?」
 さして怒った風でなく、淡々とピアノが問いかける。
「あ・はいっ、私、幽霊でキヌといいます」
 はきはきと答えるおキヌ。
「ほう、珍しい、あんたはかなり地に付いた霊の様じゃな。まるで人間の様に感じるぞ、
ほっほっ」
 ピアノは笑った。
「感じる?」
 おキヌは首をかしげる。
「そう、感じる・・じゃ、わしは『目』というものを持っておらんでのう、感じることで
相手を知るのじゃ」
「あ、そうなんですか〜〜」
「して・・おキヌとやら、このわしに何か用かな?」
 はっ、とするおキヌ。
「ごめんなさいっ!用なんてないんですぅ、ただちょっと気になっただけで・・・・・・
ごめんなさいっ!起こしてしまって・・・」
 あわてて何度も頭をさげるおキヌにピアノが笑う。
「ほっほっほっ、それなら別に良い、何もあやまる事でもないぞ」
「でも・・・」
「ほっほっ、たとえ用を言われたとてわしには何も出来んでのぅ・・ほっほっほっ」
「は、はぁ・・・」
 困惑するおキヌを知ってか知らずか、ピアノが語りはじめた。
「わしはな、もう何年もここに置かれておる」
「えっ!?」
「人の家に置かれるはずのピアノじゃがの、こうやって外におるのも中々おつなものじゃ
て、ほっほっ」
「でも、それじゃあ雨とか降ってきたら・・」
「まぁ普通のピアノなら一年もたずに朽ちるがのぅ、わしはなんとか元の型を保っておる
でな、ほっほっ」
「は・はぁ・・・」
 おキヌはもう一度埃まみれのピアノをゆっくり見回した。

「わしはな・・」
「はいっ?」
 おキヌはあわてて取り繕う。
「わしはな、数奇な運命でのぅ、かなりの人間の間を行き来したんじゃ・・・そのうちに
の、こう・・生まれてきたんじゃ、『わし』がな。ここに来てからわしは『感動』という
のを覚えた、『自然』に対してのな。風が舞い、雨が降り、日が照り、雪が積もる・・・
人の家の中では決して得ることのなかった出来事じゃ・・わしはうれしかった」
「うれしかった?」
「そう、うれしい・・じゃ、小鳥のさえずり、水の流れ、子供らの声、風の音、雨の音、
あらゆる事がわしにはうれしく、楽しかった・・」
 ひゅう、と風が鳴る。
「少なくとも、暗い倉庫なんぞに押し込められるよりはな・・・」
 声がかげった。じょうぜつなピアノが押し黙ってしまった。

 間が空いた。

「え・・・と・・・?」
 おキヌはどうしてよいか分からずとまどった。
「じゃが・・・」
 先より重い声でピアノは語る。
「それも・・・最初のうちだった・・ここ最近、どうにも億劫になって来ての、眠りにつ
くことの方が多くなった。 ちょっかいをかけてくる人間達もおらんようになったしのぅ
・・・・」
 嘆く口調のピアノをおキヌは黙って見るしかなかった。

「ま、それはわしが最初のうち人間達を脅かしたってのがあるじゃろうけどな、ほっほっ
ほっ・・・」
 ころりと変わった口調のピアノにおキヌはかくっとヒザを崩す。
「あっ・・あのぉ・・・」
「ほっほっ、久しぶりに起きたと思うたら、ちとしゃべり過ぎたかの」
 いまいち性格の掴みきれないピアノのツクモガミにおキヌは、はははと乾いた笑いを返
すほかなかった。
「のう・・・おキヌとやら」
「はい?」
 神妙なピアノの声におキヌは襟を正す。
「また・・時間が空いた時でよい、わしの話を聞いてはくれんか?」
 おキヌは、ぱあっと満面に笑みをたたえてはっきりと答えた。
「はいっ!喜んでっ!」
 ピアノの光の波動が揺れた。喜びを表わしているのだろう。
「そうか・・・そうか・・・ああ・・・うれしいのう・・・」
 ピアノは、ほっと安心した様にぽつりつぶやいた。
 そして、にこにこ微笑むおキヌの気配を感じている。
 おキヌもまた、この新しい友達の話をたくさん聞きたいと思った。
 空に大きな月が輝く、澄んだ夜空の下の出来事であった。

                    *

 その次の夜から、おキヌは度々ピアノのツクモガミに会いに行った。
 300年間、現世にいるとはいえ、ほとんど山の中で過ごしてきたおキヌにとっては、
ピアノの語る人や街の話は非常に興味深いものであるのだろう。
 毎回、わくわくしながら聞いている。ピアノもまた、自分の話を真剣に聞いてくれるお
キヌに自分が感じ、知ったことを全て伝えようと語り続ける。
 自らを包む光の増減を繰り返しながら・・・

 そして、いくばくかの夜が過ぎて行った。

「おキヌちゃぁ〜ん!」
「はぁ〜いっ!」
 ある晴れた日の午後。美神屋敷。
 庭に水をまいていたおキヌを美神が呼んだ。
「はぁい、何ですかぁ〜?」
「あ、ちょっと買い出しに行ってくれる〜?」
 メモをひらひらさせる美神。
「はいっ!分かりました〜」
 ふわりとおキヌは美神の手からメモと財布入りのポーチを受け取り、
「行ってきま〜す」
 と、商店街へと向かった。
「行ってらっしゃ〜い・・・さてと」
 おキヌを見送った美神はくるりと巻いた雑誌を持ち、事務室のソファへと近づいた。

 ぽかりっ!

「いてっ!な、何すんですかぁ、美神さぁん!」
 ソファに寝っころがり、マンガを読んでいた横島がぶうたれる。
 美神は一瞬、冷たい視線を投げ掛けた。
「な・・何スか?」
 びくついた横島が後ずさる。
「仕事のある時以外、来ちゃダメなんスかぁ〜〜〜」
 情けない声で横島が訴える。
 今日、明日と予定されている仕事はない。ゆえに横島は単に遊びに来ているに過ぎず、
急な仕事への待機といった気の回し方ではないのは確かであった。
 しばらく、じとっと横島を睨んでいた美神だが、「はぁ・・・」と一息ついて向かいの
ソファにどさっと座る。横島もあわてて座り直す。
 今日の美神はボディコンでなく、ラフなスゥエットとジーンズ姿だ。
 「ちっ!見えねぇな」とかなんとか横島がぼんやり考えていると、美神が真剣なまなざ
しでゆっくりと口火を切った。

「あんた、今夜ヒマでしょ? ちょっと付き合ってくれる?」

 こちこちと時計の音が部屋に響く。

「・・・・今、何と?」

 静かに横島が確認する。

「今夜、付き合えって言ったの」

 意味深にはっきりと美神が念を押す。

 一秒、二秒、三秒、四秒、五秒、・・・・きっかり五秒後。

 横島の背後にめらめらと炎が沸き上がる。ゴゴゴゴゴゴゴ!!
「ぅ横島忠夫っ!至上最高、千載一遇、空前絶後、生涯一度、純情一路!の大チャ〜ンス
!!その言葉を待っていましたぁぁっっ!!」
 ガッツポーズを繰り出す。
「不肖、横島忠夫っ!美神さんのお相手勤めさせていただきまぁ〜〜〜すっ!! でわ、
軽くウォーミング・アップををっ!!」
 がばぁと美神に覆い被さる横島。
 しかし、あっという間に床に転がる運命なのはいつもの通りだった。
 美神もとっくに横島の反応など読んでいた。
(というより、美神もわざとそうなる様に仕組んでいるふしが見受けられるのだが(笑))
「何のウォーミング・アップよ・・」
 神通棍をたたみ、見下す美神。
「ち、違うんスかぁ〜〜〜」
 突っぷしたまま、嘆く横島。
「なワケないでしょう・・・」
 あきれてソファに座る美神、窓の外に目を向ける。

 鳩が二羽、横切った。

「おキヌちゃんよ・・・」
 ぽつりとつぶやく美神。
「はっ?えっ?おキヌちゃんがどうか?」
 復活した横島が行儀よくソファに座った。

「あの子、ここ最近しょっちゅう夜中に出掛けるのよ」
 視線を横島に戻し、美神は両手を組む。
「散歩・・・でしょ?」
 横島もおキヌが夜に散歩をする事を知っていた。時々おキヌから色々な出来事を聞いて
いたからである。
「そうなんだけどね・・まぁ、朝までには帰ってくるし、仕事上も別に不都合はないんだ
けど・・・」
「だけど?」
 ぐいと身を乗り出す横島。
「ちょっと気になるのよね」
「おキヌちゃんは幽霊だから、危険だとかゆ〜事はないでしょう?」
 横島の問いに美神はゆっくりかぶりを振る。
「そうじゃなくて」
「は?」
「異なる霊波をこびりつけて帰ってくるのよ、あの子」
「異なる霊波?」
「そう、あの子の幽霊仲間のじゃない霊波をね」
 きょとんとする横島に美神は説明を続ける。
「あの子の仲間の幽体の霊波はごく微弱なものだから、そばにいたとしても彼女には何の
影響もないの、そして、そのこびりついた霊波自体もそう強力な物じゃなくて、少なくと
も午前中には消えてしまうから別に気にしなくてもいいとは思うんだけど・・・」
「だけど?」
「人間や動物のものとは違う霊波だから気になるのよね」
「とはどういう事なんスか?」
 ぐっと腕に力が入る美神。
「予測不可能なのよ」
「はぁ?・・」
「あの子、ああ見えてもかなり強力な霊体なのよ、そこら辺の霊なんててんで目じゃない
力持ってるけど・・・相手が非人間だとどんな影響があるのか分からないわ」
 ふっと天井を見上げる美神。
「最悪、あの子がその霊体に取り込まれてしまうか、乗り移られてしまうか・・非有機体
の霊ってやっかいなのよね・・・」
「げげ!!」
 本気で驚く横島。
 眉をひそめ、ソフアに身体をもたげた美神がはあっと息をつく。
「人間や動物の霊のやっかいさって、相手の霊力が増加してくるって事があるの。でも、
ほとんどの場合、増える前に片づけちゃえば問題ないし何らかの形で逃げ道はあるわ。
それが非有機体・・たとえばツクモガミなんてのがあるけど、その場合、霊力は本来それ
が持ってる範囲内なんだけど、どこまでその範囲が見えてるのか?ってのが計り知れない
ワケなのよ」
「はぁ・・・」
 惚けた生返事の横島をちらと見た美神は重く語りはじめた。
「前例を聞いたわ、ある鏡に取りついたツクモガミをはらおうとしたGSが6人もその鏡
に取り込まれたの」
「うっ」
 おもわず身を引く横島。
「その鏡から出てたのはごくごく単純な霊波だったらしく、簡単だってタカをくくったみ
たいでね・・・・」
「・・じゃあその鏡って今でも・・・」
「結局、7人目の除霊が成功したわ。そのツクモガミは、6人の人間を取り込む霊力を持
っていたというわけね。それが最初に分かっていれば、犠牲者を出さずに済んだんだけど
・・・」
「その7人目の人はどうしてそれが分かったんです?」
「・・・そんなの分かってはいなかったわ、除霊が成功したから結果として知りえただけ
で・・・」
「そ、それじゃあ・・・・」
「彼は運が良かったって事ね」
「えっ?知り合いっスか?その人?」
「唐巣神父よ」
 美神がぽつりと告げる。
 静かな空気が二人の間を流れる。
「ふ・・うん・・」
 横島が唸ってソファにもたれる。
 美神は再び窓の外に目を向ける
 白い雲がぽかり浮いているのが見えた。

                    *

「じゃあ、おやすみ。おキヌちゃん」
「はい、おやすみなさい。美神さん」
 後ろ手を掲げ、寝室に向かった美神に一礼したおキヌは、静かに事務所やキッチンの後
片付けを始める。小さくハミングしながら。
「る〜るるる〜、るるる〜る〜」
 そして、夜を楽しみにしている自分に気付く。
 さすがに毎夜というわけにはいかないが、興味深いピアノの話に胸躍らされて、しょっ
ちゅう逢いに行っている。もちろん、仕事に影響のない様に充分注意しながらなのは言う
までもない。ちゃんと自分の役目をわきまえているのが、おキヌの性格の良さである。
「さぁて、と」
 全ての仕事を終え、おキヌはそっと外に出た。
 少々雲があるものの月が明るく輝く夜である。
 おキヌは目をつむり、ゆっくりと気配を消した。
 そして、すぅっと結界の外に移動し、ちらと美神の寝室を見やり、
「いってきま〜す」
 と、小声でささやいて、公園へと跳んだ。
 その様子を薄く開けたカーテン越しに確認した美神は、手元の携帯電話を操作する。
 トゥルル・・カチャ。
「あ、横島クン?今、おキヌちゃんが出てったわ、すぐにそっちに行くわね」 



「・・・何スか?これ?」
 コブラの狭い助手席にもぐり込んだ横島は、美神から手渡されたアルミケースにとまど
った。
「開けてみて」
 美神に言われるまま、無骨なロックを外し、中を見る。
 何かの入力用らしいキィボードが並び、蓋の裏には液晶ディスプレイがはめ込まれてい
た。
「?」
「霊体用・ナビゲーション・システムよ」
「はぁ?」
「広範囲に特定の霊体を探るのに都合がいいの、こっちの居場所も分かるしね、レーダー
は街中では効かないし、見鬼くんは霊体すべてに反応してしまうから厄珍に言って造らせ
たのよ」
「道は星に聞くって奴ですかぁ〜?」
「原理は同じよ、さぁ行くわよっ!」
「わっ、ちょっとっ!」

 大通りを疾走するコブラ。太いエキゾースト・ノートがこだまする。
「いいっ私たちがこの矢印、赤い点が見えたらおキヌちゃんよ、うまく誘導してねっ!」
「この青い点は何ですか?」
 風に言葉が飛ばされない様、つい声が大きくなる。
「他の霊体よ、今日は関係ないわ」
「ひえっ、結構いるんスねぇ、霊って・・・」
「まあ、雑魚ばっかりよ、この辺は」
「そ〜かぁ、霊って身近にいるモンすねぇ・・ああっ!赤い点!おキヌちゃんだっ!」
「どこにっ?」
「これは・・・河川敷かな?公園みたいっス」
「近道をっ!」
「えぇっと・・次の信号左折っ!」
「オーライッ!!」
 グォンとエンジンが吠え、タイアを鳴らしたコブラは、河川敷を目指した。


 美神は小高い堤防の外側にコブラを停めた。
「ここから歩いて行くわよ」
「へ〜い」
 それぞれ、マグライトを手にした美神と横島がつらつら歩く。
「・・・こっちね」
 時々立ち止まっておキヌの気配を探っていた美神が公園の方を示す。
 その向こうに、ぼうと何かが光っているのを見つけた。
「あ・あれ?」
「行くわよ」
 美神と横島が草を踏む音がさくさく鳴る。
「ここら辺りね・・・」
 美神が土手から堤防へと上がる。ちょうど放置されたワゴンがある。
 横島を手招いてその陰に隠れ、眼下をうかがった。
「あ・・・・」
「・・・ピアノ?」
 美神はぼうと光るピアノのそばに影を見つけた。
 暗闇ではっきりしないが、確かにおキヌである。
 ピアノの光が増減し、おキヌは身振り手振り動いている。
「ツクモガミ・・・って奴ですか?」
「そうね・・・・」
 美神はすいっと霊視ゴーグルを取り出す。
「ちょっと、見てみるわ・・・」
 しばらくゴーグル越しにピアノを見ていた美神が、ふっと息を洩らした。
「どうです?」
 横島が不安げに聞く。
「う〜ん・・・」
 ゴーグルを外し、美神は道にしゃがみ込んだ。
「ま、別に悪い霊波は出てないけど・・・」
「なんだ〜」
 横島はほっと胸をなで下ろす。
 美神はもう一度、おキヌとピアノの様子を探る。
 楽しげな声が少し届いた。

「・・・じゃ、帰るわよ」
「えっ?」
「相手が分かっただけでいいのよ、ほらぁ」
「は、はいっ」
 さっさと土手を降りる美神に横島があわてて付いていく。
「おキヌちゃんには私から少し言っておくから、あんたは黙ってるのよ、分かった?」
「へいへい、分かってますって」

 横島を送り、帰途についた美神はぼんやりと考える。
 口では横島にああ言ったものの、この件をおキヌに問うつもりは毛頭なかった。
 おキヌ自身のプライバシーに立ち入る権限は自分には無い。
 美神はそう結論づけた。ただ・・・・
「あんまり深入りしなきゃいいけど・・・あの子・・・」
 と、なにげなく感じた。
 吹きつける夜風に長い髪がなびく。
 空にコブラのエギゾースト・ノートが溶けていった。

                 * 

 ざわざわと、生徒たちの喧騒が校内に蔓延する昼休み。
 昼食を終えた横島たちが教室に戻ってきた。
 横島は、はたと思いつき、同級生の一人を捕まえる。
 彼はあの河川敷公園の近くに住んでいるはずだった。
 ピアノの事を聞いてみる。
「ああ、あれかぁ?」
 彼は知っていた。
「あの「お化けピアノ」だろ?」
「お化けピアノぉ?」
「なんだ?知らないのか?結構有名だぜぇ、あれ」
 大げさにポーズを付けて彼は話しはじめる。
「いわく、そばを通ったネズミが喰われた、散歩の犬が怯える、夜中に急に鳴りだす・・
・・他、もろもろ」
「ぼおっと光る・・とかは?」
 横島の問いに彼はうんうん、とうなずく。
「そういうのもある」
「はぁ?」
 きょとん、とする横島に彼はにやりと笑う。
「世の常でこういった話にはでたらめな尾ヒレが付くこともあるが、あれに関しちゃかな
り信憑性が高い。事実、あれが有る様になってからあの公園はさびれた。誰も寄りつきに
くくなったんだ」
「むぅ・・・・」
 難しい顔で腕組みして考える横島に彼は、はははと笑いかける。
「とは言ってもだ、あのピアノの命運も尽きたな、もうすぐ壊されるぜ」
「えっ!なんだって!どうしてっ!」
 詰め寄る横島に彼は目を丸くして答えた。
「あの公園が再整備されるんだよ、来週中にも・・・」


 パァァンと、遠く鉄橋を渡る電車の警笛がかすかに聞こえる。夕刻。
 横島はつい、ふらりと例の公園を訪れた。陽は落ちきってないが、人気がなく不気味な
雰囲気がやはり、異様である。粗大ゴミがやたら目につく。
 横島とて別に来るつもりはなかったが、自然、足が向いた。
「えっと・・・・?」
 ふわりと風がそよぐ。
 周りを見渡した横島は、ピアノを見つけた。
 土手を滑り降り、そっと薄汚れたピアノに近づく。
 腕を組んでじいっと睨んでみる。
「・・・・なんかなぁ・・・・」
 独り言をつぶやき、大きく息をつく。
「ふぅ・・・帰ろ・・・」
 くるりと踵を返し、歩きはじめた横島の耳に声が届いた。
「だれじゃ?・・・」
 びくっと立ち止まり、辺りを見る。誰もいない・・・。
 そっと振り返る。
「おぬしは、だれじゃ?」
 淡い光に包まれたピアノの姿があった。
 しかし、不思議と「恐さ」は感じなかった。普通だったらとうに走って逃げてもおかし
くない状況であるのに、横島は落ちついていた。
「あんた・・・ツクモガミ・・・か?」
「そうじゃ・・」
 横島の問いにピアノが答える。
 再び向き直り、ピアノのそばに寄った。
「・・・お化けピアノ・・・なんだな?」
「・・ほっほっほっ!」
 突然笑ったピアノに横島は少し身を引く。
「確かにそう呼ばれてはおるがな・・・昔、ネズミを喰った事がある」
「げげっ!やっぱり!」
 横島はすぐにでも逃げだせる体制を作った。
「ほっほっ、心配するな、動物を喰ったとてわしには何もなかったし、無用な事じゃわ」

 遠くでカラスが鳴いた。

「あんた・・・おキヌの友人じゃな?」
「えっ!?」
 ピアノの言葉に横島はとまどった。
「ほっほっ、あんたからおキヌの気を感じるしの、それにおキヌから聞いておる、とても
良い友人がいるとな。おキヌはいい娘じゃ、わしの話を良くきいてくれる、わしに話を良
くしてくれる・・・」
 しみじみと語るピアノに横島がつい、口をすべらす。
「おキヌちゃんに何かするつもりは無いだろうな!」

「・・・ほっほっほっ・・・」
 遅れてピアノが笑う。そして・・・沈黙。
「わしにはもう・・・」
 心なしか声が沈む。
「もう、あまり力が残っとらん、あの娘に何かする前にわしの方がくたばるじゃろう・・
・・それに・・・」
「それに?」
「時間がない、わしももう潮時じゃ・・・」
「えっ?」
「周りに囲いがあるじゃろぅ?」
 横島は辺りを見る。工事用のフェンスが立て掛けられているのに気付いた。
「昨日辺りから立ちはじめた、ここを新しく作り替えるためにな」
「!!」
 ピアノは自分の命運を悟っていた。
 横島は静かに聞く。
「おキヌちゃんにその事は・・・」
「何も言うとらん」
 ピアノはあっさりと答える。
「言うたとて、何もならん・・・」
 つぶやく様に嘆いた。
「どこか別の場所に・・・?」
 横島の提案もピアノは拒否する。
「無理じゃ、わしはここの地脈から波動をもろうておる、他の場所の波動を馴染ませる力
はわしにはもう無い」
 しばしの沈黙が横島には重く感じられた。
「おぬし・・・何故わしの心配をする?」
 横島が、はっと頭を上げる。
「え・・・・なんか・・・・なんとなく・・・」
「甘いのう」
 ぴしゃりとピアノが言い切る。
「おぬし、もし、わしが強力な霊だったらどうする?」
「え・・・あ・・・」
 ピアノの言葉に二の句が継げない横島。
「除霊を生業とする者がそんなに甘くてどうする・・」
 ピアノの言葉は深く横島の心に入り込む。
「・・・はい・・・」
「あんまり霊の言う事を信用するな」
「・・・はいっ!」
 自然、横島は一礼を返す。
「・・ほっ・・ほっほっほっ、ほっほっほっほっ・・」
 突然、ピアノが笑いだす。真剣な横島がきょとんとする。
「面白いのぅ、おぬしは・・・ほっほっほっ・・・面白い人間に出会えたもんじゃ、わし
の命運も捨てたもんじゃないな・・・ほっほっほっ・・・」
 すでに陽は沈み、薄暗くなった公園の片隅。
 横島は、光を震わせて笑うピアノの中に確かに笑顔を見た。
 ひゅうと風が、横島の頬を撫でた。


 その数時間後、おキヌがピアノの元を訪れ、しばしの語らいが続いた。

「わしが、最後に人の家に居たときじゃがな・・・」
 ピアノは努めてさり気なく語りはじめた。
 ちょこんとおキヌは傍らに座り、ピアノの話に耳を傾ける。
「小っちゃな女の子がいての、その子の練習用にとわしが引き取られたんじゃ、全くピア
ノは初めての子じゃったが・・・・ぎこちなかった指使いもみるみる良くなってきての、
父親、母親、先生、そしてその子自身、わしもとても喜んだ」
「まぁっ」
 おキヌはその楽しそうな情景を思い浮かべた。
「そのうち、先生の薦めで演奏会に出ることになっての、その子はくる日もくる日も練習
した、厳しい指導にもめげずその子はがんばった・・・・・・・・・・・じゃが・・・」
 おキヌは口調の変化に気付いた。
「?」
「じゃが、その演奏会を控えたある日・・・無情にもその子の父親が亡くなった・・・・
交通事故じゃった・・・」
「えっ!・・・」
 おキヌは口許を押さえた。
「おろかにも、人が人の命を奪ったのだ」
 想像難くないその一家の悲劇をおキヌはその胸にじんと感じる。
「わしは人のもろさを知った。支えを失った者がどんなにもろいのかをな、その子はわし
の前で泣いた。幾日か泣きつづけた。 そして、ようやく落ち着いたかに思えたある日、
その子はとうに過ぎた演奏会で弾くはずだった歌を、歌おうとわしの前に座った、父親が
好きだったその歌を・・・・・手向けのつもりだったのじゃろう・・・」
 おキヌは涙ぐむ自分を抑えた。
「つらかったでしょうね・・・・その子」
「・・・・歌えなかった」
 ためた言葉をピアノは吐く。
「声が出なかった・・・その歌を歌えなかった・・・」
 おキヌは呆然とピアノを見た。
「かわいそうに・・・・」
 やっと絞り出した声は枯れていた。
「その日以来、その子はわしの前に座らなくなった、そしてわしも、歌を歌わなくなった
・・・」

 静かな時間が流れる。川の水音が聞こえるほどの・・・
「今頃は・・おキヌぐらいの年格好になってるかのぅ・その子は・・」
 ピアノのつぶやきにおキヌは答えられない。
 ただじっと空を見上げる。
 今日は雲が多いな・・・ふっとそんな事を思った。

「のぅ・・・おキヌ・・・」
「はい?」
 神妙なピアノにおキヌは振り向く。
「わしは・・わしは・・もう一度歌おうと思う、歌を歌おうと思う・・」
「ええ、私も聞きたいですっ!聞かせてくださいっ!」
 胸の前に手を組み、ふわりとピアノの前に浮かぶおキヌ。
「明日じゃ・・明日の夜、来て欲しい・・・おおっ!そうじゃ!」
 ピアノは何かを思いついた。
「その時にな、おキヌ、おまえさんが一緒に歌を聞きたいと思う者を連れてこい。わしの
歌を聞かせたいのじゃ」
「はいっ!」
 おキヌは元気良く返事をする。
「必ず、必ず連れてきますっ!!」

                    *

 翌日は、土曜日だった。午前中からどんよりとした雲が空を覆っていて、ついに昼前か
らぽつりぽつりと雨が降りはじめた。
 おキヌは、事務所の窓から外をうかがう。雨に濡れた景色は歪んでいた。
「どうしたの?」
 憂いた表情のおキヌを見かねて美神が声をかける。
「えっ・・あっ・・いや、何でもありません」
「?」
 ガチャ!バタン!
「んちゃ〜すっ!」
 玄関で物音がし、半どんの横島がのっそり現れる。
「あ、おキヌちゃん、私と横島クンにお茶ちょうだいね」
「あ、は〜い」
 おキヌがすっとキッチンへと向かう。
 おキヌは心持ち落ちつかなかった。雨が降っているからと思った。
 ピアノとの約束がある。今日の夜だ。
 雨よ止んで、お願いだから・・・おキヌは天に念じた。
 そしてそれが通じたかの様に夕刻近くに雨は弱くなり、やがて霧へと変わっていった。

「んじゃ、俺、失礼しま〜す」
 結局、今日は事務所や書庫の片付けに終始した横島が、傘を振りながら玄関を出る。
 その後ろ姿におキヌが近づいた。
「あ、あのぅ、横島さん・・」
「ん?なんだよ?おキヌちゃん?」
 何か言いにくそうなおキヌ。
「どしたの?」
「き、今日の夜、時間空いてます?」
 ずずいっと迫るおキヌ。
「そりゃぁ・・空いてるけど?」
「今日、一緒に来てほしい所があるんですけど・・」
「どこに?」
 横島の問いにおキヌはにっこり微笑んだ。
「ひ・み・つ・です」
「なんだぁ?そりゃ?」
 横島はワケが分からず、肩をすくめた。


「おキヌちゃ〜ん、今日はもういいわよ〜」
 濡れた髪を大きなタオルで拭きながら美神はこともなげに言った。
「えっ?」
 着替えを手にしたおキヌがきょとんとする。
「えっ・・と?・・」
 美神の言葉の意味を考える。
 とまどうおキヌを見て、美神はくすっと笑った。
「どっか行くとこあるんでしょ?」
「えっ?どうしてそれを・・・?」
「どうして・・って、あれだけソワソワしてたら誰だって分かるわよ」
 美神は冷蔵庫から出したクァーズをぷしっと開け、ごくっと飲む。
「ぷはっ!!」
「えっ?えっ!えっ?えっ!」
 おキヌはまだとまどったままである。
 美神はそんなおキヌに軽くウィンクする。
「おキヌちゃんは、おキヌちゃんの時間を持っていいのよ、どうせ今日はもう大した用事
なんて無いから、遠慮しないで行ってらっしゃい」
「あ、ありがとうございますっ!!」
 おキヌは深々とおじぎを返した。

「あんまり遅くならない様にね〜」
「はぁ〜い、いってきまぁ〜す!」
 バスローブ姿の美神に見送られ、おキヌは公園に向かった。
 おキヌの心の中は騒いでいた。
 ピアノの元へ行けるから、ピアノの歌が聞けるから、一緒にピアノの歌を聞く人がいる
から、おキヌの胸の中は期待感でいっぱいだった。
 だからおキヌは気付かなかったのかもしれない・・・
 その期待感に騒ぐなかの、一抹の不安感を・・・・・

                 *
 
 公園に近づいたおキヌは「気」が変わっているのを知った。
「えっ!何?何があったの・・・?」
 期待感は不安感にとって変わった。
 公園は一変していた。
 昨日までの公園ではなかった。
 工事用フェンスが張りめぐらされ、あちこちで草や土が掘り返され、放置されていた車
が一か所に集められていた。
「何?どうしたの?」
 おキヌは焦った。ピアノを探す。
「ピアノさぁ〜ん!ピアノさぁ〜ん!」
 叫びながら、そして、何かを燃やした後を見つけた。
「!?」
 一瞬、おキヌは凍りついた。そぉっと寄ってみる。
 違った。ピアノではない別の廃材だった。
「ピアノさぁ〜ん!ピアノさぁ〜ん!ピアノさぁ・・・!!」
 見つけた。ピアノの「気」を見つけた。
 あわてて駆けつける。
「!!」
 ピアノは確かにあった。まだ・・あった。
 しかし、無惨にも仰向けに倒され、土にまみれ、一部が壊されていた。
「ピアノさん!!」
 おキヌの呼びかけにピアノの気が揺らいだ。
「・・・お・・・おお・・・・おキヌか・・・」
 ようやく出た声は弱く、かすかに聞き取れる程度だった。
「ピアノさん!どうしたのっ?何があったの!」
「・・・おお・・・」
 ピアノはうめいた。
「・・今日からとは思わなかった・・今日からとはな・・・」
 おキヌには意味が分からない。必死に呼びかける。
「ピアノさん!大丈夫?」
 そして、土にめり込んだ部分をほじり、立て直そうと奮起する。
「うんんっしょっ!」
 おキヌの力では無理だ、ほんの少しぐらと動くだけで立ち上がりそうにない。
「ピアノさんっ!待っててっ!今、助けを呼んでくるっ!」
 叫ぶやいなや、おキヌは跳び上がった。
「・お・・おキヌ・・・・」
 ピアノはかすかにうめく。


 おキヌは跳んだ。速く速く跳んだ。一刻も早くと、跳んだ。
 もやの残る街の上をびゅうっと跳ぶ。
 懸命に涙をこらえながら、髪をなびかせながら。
 目的のアパートを見つけた。
 その部屋の明かりの中に飛び込んだ。
 窓を開けるも、もどかしく、そのまましゅうっと飛び込んだ。
「おキヌちゃん!?」
 横島は、突然現れたおキヌに面食らった。その尋常じゃない勢いに。
「横島さん!お願いっ!助けてっ!ピアノさんを助けてっ!」
 一気にまくし立てるおキヌ。
「ピ、ピアノって?」
「公園のっ!私の友達のっ!倒されてっ!壊されてっ!・・ああっ!・」
 髪を振り乱して混乱するおキヌの肩を横島は掴んだ。
「落ちついてっ!おキヌちゃんっ!何があったんだっ!」
 はっと横島を見るおキヌ。その瞳に涙がにじむ。
「よ、横島さぁん!!」

                 *                         

 おキヌから事の次第を聞いた横島は、大家から自転車を借りて河川敷を目指す。
 先を飛ぶおキヌの胸中を察しながら・・・
 横島がフェンスをよじ登り、ぬかるんだ道をびしゃびしゃ走ってピアノの元にたどり着
いた時、ピアノは光を取り戻していた。ほんのかすかだが・・・。
「ピアノさんっ助けが来ましたよっ!」
 おキヌの声にピアノが反応する。
「おお・・・ありがたい・・・」
 そして気付く。
「おお・・・やはり、おぬしか・・・少年よ・・・」
「えっ?」
 おキヌは横島に振り返る。
 横島は泥にまみれたピアノに近づく。
「・・・話は後だ・・先に起こしてあげよう」
「えっ・・ええ・・・」
 おキヌはいぶかしながらも、その意見に従った。


 服を泥だらけに、ずるずる滑る地面にてこずりながら、ようやくピアノは起こされた。
「すまぬ・・少年、服を汚したな・・・」
「別に構わないよ・・洗えば済む」
「横島さん、どうしてピアノさんの事を・・・」
 おキヌの問いにはピアノが答えた。
「ほっ、おキヌ、この少年はな、おぬしの事が心配でわしを探りに来たんじゃ・・わしが
おぬしに何か悪さをするんじゃないかとな・・・」
「えっ?」
 とまどったおキヌが横島を見る。
「来週からじゃなかったのか?」
 横島はわざと話題を変えた。
「ほっ、わしもそう思とった、じゃが、今朝から始まりよっての、てきぱきとゴミを片し
よったわ・・・」
「えっと・・?何の話ですか?」
 話の見えないおキヌが問いかける。
「こうなっては仕方がない、おキヌ、実はわしはもう、ここにはおれん様になるんじゃ、
ここだけでなく他の場所にも移れない、わしはいなくなる・・・」
「えっ・・・」
 おキヌはよろっと揺れる。
「来週から工事が始まる。この公園を再整備するんだ・・・」
 横島が言葉を繋ぐ。
「そん・・・な・・・」
 おキヌは愕然とした。何も考えられない。
 横島がピアノに触れる。昨日にはなかった新しい傷がある。
「よく、これだけで済んだな・・・」
「ほ、連中、なんとかわしを動かそうとしとったがな、わしも必死で抵抗した。そのうち
雨が降ってきて作業は中止、いらついたのか、帰り際に数人がかりでわしを引き倒しよっ
た」
「ひどいことをするなぁ・・・」
「動くわけにはいかなかった。この夜までは。なにせ約束があったからの」
 おキヌがその言葉にびくと反応する。
「約束?」
「そう、約束。おキヌとその友人に歌を聞かせる約束じゃ・・・」
 横島は夕刻、おキヌが言った「来てほしい場所」の意味を知った。
「おキヌちゃん?」
 おキヌは振り向いた横島の目をじっと見、静かにうなずいた。
「そうか・・・それで・・・・」
「じゃが・・・」
 ピアノの声が暗く沈む。
「すまぬ・・おキヌ、実はわしは今、こうやって喋るので精一杯となっておる・・動かさ
れまいと必死に抵抗しとるうちに残ってた力のほとんどを使い切ってしもうた・・・」
 辛い事実をピアノは告げた。

「もう・・・歌えん・・・・」

 おキヌはうつむいてかぶりを振る。
「・・・いや・・・そんなの・・いやだぁ・・・」
「おキヌちゃん!」
 横島が駆け寄る。
「仕方ないだろう・・・」
「だってぇ・・・・・・」
 おキヌはうつむいたまま肩を震わせる。
「・・・おキヌや・・・」
 ピアノが静かに語りかける。
「重ね重ねすまぬが・・・おぬしの力を借りたい・・・・さすればわしも歌えるはずじゃ
・・・」
 おキヌはそっと頭を上げる。
「・・・ホント?・・・」
 幼な子が甘えてすがる様に確認する。
「ああ・・ほんの少しで良い、ほんの少しで・・・」
 おキヌは横島の目を見た。横島もおキヌの目を見る。
 二人、互いにゆっくりとうなずきあった。

                    *

 おキヌは目を閉じ、空に浮かんでその霊波を整えた。
 風に身をゆだね、静かに静かに気を集中した。
 しばらく、そうした後ゆっくりとピアノの前に降り立った。
「良いか?・・・」
「はい・・・」
 しっかりとおキヌは答えた。
 横島も拾ってきたビール・ケースに腰掛け、その様子を見守る。
「では、まず、わしに触れるが良い」
 おキヌは言われるまま、そっとピアノに触る。
 かすかだった光がみるみるうちに輝きを増す。
 眩しくはない、不思議な光だった。
 やがて、光はピアノ自身、そしておキヌを包み込んだ。
 ぱぁっと輝きながら、光の中でピアノが変化した。
 朽ち褪せた外装につやが戻り、傷ついた部位も直った。
 ピアノが、一番輝いていた頃の本来の姿に戻る。
 おキヌはいつもの巫女衣装から、いつの間にか淡いピンクのドレスへとその衣を変えて
いた。
 それが、ピアノの記憶にあった物だとは横島とおキヌは知る由もない。
 だんだんと光は収束したが、一部がまるでスポット・ライトの様にピアノとおキヌを包
んで残った。
 光の中に現れた椅子におキヌはすっと腰掛ける。

「おキヌ・・そして少年、聞いてくれ、わしの音を、わしの歌を・・わしの全ての思い出
を・・・」

 おキヌが鍵盤の蓋に手を添え、開ける。長年の間決して開かれることのなかった蓋は、
なんのさえぎりもなく簡単に開いた。
 鮮明な白と黒のコントラストを見せる鍵盤にとまどう事なく、おキヌの白く細い指が触
れる。

 そして・・・鳴った。
 空気が震えた。
 永い間、沈黙せざるを得なかったピアノの音が、柔らかくも、優しくもあるメロディを
奏でる。
 おキヌは自身の力ではなく、動く手足をピアノに任せる。
 心地よい脈動を感じながら・・・
 横島も心に染み入るピアノの音に耳を傾ける。
 ここしばらく得る事のなかった感情に身を震わせながら・・・

 だんだんとピアノは奏でつづける。
 自分が知りえたメロディを全て聞かせようと。
 自分が感じた全てを伝えようと。
 ツクモガミとなった自分が、人間たちと共に感じた、

 喜び、笑い、嬉しさ、悲しさ、辛さ、涙、怒り、嘆き、絶望、
 そして、希望、夢、愛、温もり、過去、現在、未来・・・・・

 ここに来て知りえた感動、
 自然、大地、太陽、風、雨、雷、雪、季節、春、夏、秋、冬、
 月、星、雲、見ることは出来なかったが、感じた全ての物事を・・・

 ツクモガミはこの新しい最後の友人に全てを託した。
 心優しき友人に。
 自らが残す事の出来ない感動を、その心の中に留めてもらおうと願いを奏でる。
 滑らかに沸き上がるメロディにそれを乗せて・・・

 それは、風に流れ、街へも届く。美しい旋律となって。

 もやにけぶる夜が不安な犬に音が届く。ぴくと耳を立て、吠えるのを止めた。
 じっと座り込み、柔らかいその音を聞く・・・
 すでに眠っていた猫も耳だけは反応する。まどろみの中、優しいその音に身体を預ける
・・・・
 鳥たちに届いたのは、大空に羽ばたく自分たちを讃える様な、自由な音だった。
 ゆったりと羽根を震わせて聞きほれる・・・

 そして、美神の耳にも届いた。
 ペーパーバックを手に、寝室でくつろいでいた美神はふと頭を上げる。
 遠く、温かい調べが聞こえてきた。
「?」
 窓ぎわに寄り、窓を開けた。
 ふわりとカーテンを揺らし、夜風が舞い込む。
 ぼんやりとした景色の彼方から流れてくる、その温かくやさしい旋律を耳にして美神は
そっと目を閉じた。
 ふと、母の腕の中で眠る、幼い自分が思い出された・・・

 街に流れ、天に舞う、旋律は深く深く、染み通る。

 霧に溶け、闇に溶け、淀みなくとうとうと続く・・・・・

 そして・・・・

 【 空の青さに負けぬよに 綺麗な心を持って 】

 音は歌に変わった。おキヌが歌い始めた。
 しかし、その声はおキヌ自身のものではなく、透明な、それでいて厚みのある澄んだ歌
声だった。

 【 雨の冷たさ弾くよに 温かい心を抱く 】

 【 夢は光に姿を変えて ぼくたちの周りを包む 】

 その美しい歌声は、川に流れる魚にも届く。
 彼らはその声を清らかなせせらぎに例えた。
 街に植えられた樹や花に届いた歌声は、その葉や蕾を優しく撫でる妖精の声とされた。

 【 遠く 思いは流れ往く はるかなる大地を越えて 】
 【 時間の波に身をゆだね 生きてゆく者の運命   】

 街の中の全ての人や動物や植物、そして風に至るまでが美しい歌声に包まれた。
 おそらく、雲をも越え隠れている月や星にまで届いただろう。

 そして・・・
 公園からかなり離れた住宅街。
 とあるマンションの一室にもその音はかすかに届いた。
 就寝間もない少女が部屋にいた。
「?」
 ふと起き上がった少女は、何かに誘われる様に自然とベランダに出る。
 その長い髪をさあっと撫でた風に歌が聞こえる。
 遠い記憶にある、懐かしい歌が・・・・
 少女の心が揺らぐ。

 【 山の険しさに負けぬよに 研がれた心を持って 】

 少女は、歌を心の耳で聞いた。
 はっきりと聞いた。
 覚えていた歌詞が、脳裏に浮かぶ・・・
 そして・・・

 【 雪の白さに並ぶよに 優しい心を抱く 】
 【 雪の白さに並ぶよに 優しい心を抱く 】

 歌った。声が出た。あの歌を歌えた。
 少女の瞳にみるみる涙が溢れ、頬を濡らす。

「うた・・・えた・・・・」

 長年胸の中にあった、わだかまりがすぅっと消えた。
 少女は誰ともなくつぶやいた。
「あり・・・が・とう・・・」
 ぽろぽろとこぼれる涙を拭おうともせず、少女は歌った。
 その懐かしい歌を・・・

 【 夢は炎に姿を変えて ぼくたちを守ってくれる 】

 【 土を蹴って走りだして 自由の風に乗った 】
 【 星の輝き永遠に 続くことを願いながら  】

 【 星の輝き永遠に 続くことを願いながら・・・・・ 】

 ついに・・・歌が終わった。
 余韻のごとく、ピアノはまだメロディを刻んではいるが、明らかにその波動は弱まって
いた。
 おキヌ、横島もそれを感じている。
 横島が閉じていた目を開ける。
 光の中のおキヌが口を真一文字に結び、涙に耐えていた。
 その目をしばたたかせながら。

 やがて・・・
 最後の小節、最後の一音を打ち終えたおキヌの指が鍵盤から離れる。
 ・・・音も、終わった。

 誰も、何も言えない。言葉が出ない。
 風だけがひゅうと鳴る。
 ざわっと雑草がざわめく。

「おキヌや・・ありがとう・・・もう、良いぞ」

 ピアノの言葉におキヌは反応しない。
 ここを離れたらどうなるか、分かっていたから。
 「それ」を少しでも引き延ばしたい。けなげに思った。
「ほ・・・やれやれ・・・」
 不意におキヌの身体が浮いた。
「きゃ!!」
 おキヌは横島の傍にすとんと降ろされた。
 ツクモガミが強引に離れさせたのだった。
「ピアノ・・・さん?」
 おキヌの周りの光がだんだん消えてゆく。
 それに合わせてドレスも消え、巫女姿に戻っていった。
 最後の時間が近づく・・・・
 事実だ、もう、どうしようもないのか?
 ただその時間を待つほかに・・・
「ピアノさん・・・」
「・・・ありがとう、おキヌ・・・そして少年よ・・・楽しかった・・・うれしかった・
・・わしは、良い友人を持ったな・・・」
「おまえ・・・本当に・・・」
 横島は光の消えかかるピアノをなんとかしたいと思った。
「ああ、残念だが、時間が来た様じゃ・・・」

 雲が流れた。月が姿を見せた。あの時の夜と同じ輝きと共に。
 そして、ピアノを照らす。
「おキヌ・・・」
 ピアノの言葉におキヌはびくっと震え、とっさに横島にしがみつく。
 支えが欲しかった。
「おキヌ・・・わしはおぬしに出会えて本当に良かったと思うとる。おぬしに見取られて
成仏出来るのじゃ、こんなにうれしい事はない・・・」
 横島のGジャンをぎゅっと握り、おキヌは耐えた。
「そして少年・・・おぬしもまた、良い人間じゃ。生きる者として、これから幾多の困難
を乗り越えねばならぬが、おぬしはそれが出来る強い心を持っておる。それに、優しい心
も持っておる。それを大事にするのじゃぞ・・・」
 横島は黙ってうなずく。

 パキン!

 ピアノの外装がひび割れた。

「あ・・・」
 おキヌがかすかにつぶやき、横島の顔を見上げる。
 横島はピアノを見据え、おキヌの肩に手を置いた。

 パキン! パキン!・・・・・・パチッパキン!

 ひび割れはみるみる拡がってゆく。
 おキヌの瞳に涙が溜まる。
「おキヌ・・泣くでない。わしはもう何も思い残す事なく消える、わしは喜んどるんじゃ
・・・涙で送ってくれるな・・・」
 ピアノの言葉におキヌはうなずけない。 
 少しでも動けば涙がこぼれ落ちるから・・・

 パキン! ビン!ビン!ビィン!

 内部で錆びたピアノ線がちぎれる音がする。
 月に照らされ、朽ちてゆくピアノを二人はただ、見守るほかなかった。

「さようなら・・・我が良き友人たちよ・・・さようなら・・・」

 ピアノの最後の言葉だった。

「ああ、さようなら・・・」
 横島の声は少し震えた。
 おキヌは無理に笑顔をつくった。
「さようなら・・・ピアノさん・・・」

 ふっとピアノの光が消える。

「あ・・・」
 二人同時に身が固まった。

 やがて・・・ピアノのあちこちから薄い薄い燐光がしゅうと染み出た。
 それは一つにまとまって小さな尾をひく球体となった。
 しばらく、脱け殻となった自分のそばに漂っていたが、すぅっと飛んできて、おキヌと
横島の周りを二度三度くるくる廻った。
 そして・・・飛んでいった。
 闇にまぎれ、天空へと溶けた・・・・・

「う・・・・う・・・・」
 おキヌはしがみついた横島の胸に顔をうずめ、泣いた。
 こらえていた分の涙をぼろぼろ流して泣いた。
「う・・・・う・・・・」
 細い肩を震わせ、しゃくり上げる。
 横島は黙っておキヌをそっと抱き寄せる。
 嗚咽を洩らし泣きじゃくるおキヌは、その温かさを感じていた。

 既にもやは晴れ、月が二人を見おろしていた。

                    *

 翌朝、おキヌと横島は再び公園に出向いた。
 最後まで、関わるべきだと思ったから。

 ぱちぱちと炎に包まれるピアノの前に二人は佇む。
 もう、主のいない乾いたピアノはごうごうと燃えた。

「このピアノ・・・ツクモガミは幸せだったはずだよ・・・」
 横島の不意の言葉にぼんやりしていたおキヌが振り向く。
「えっ?」
「いろんな人たちと出会って、いろんな人たちを楽しませて、きっと辛いこともあったろ
うけど最後におキヌちゃんと出会って、自分が存在していた事の意味を知り得たのだから
・・・」
「ええ・・・」
 おキヌはにっこり笑った。横島が自分を慰めようとしてくれているのが分かったから。
「音楽を通して人の心に感動を与えるという意味のね・・・」
 横島は昨晩、自分の心に深く染みた歌を思い浮かべた。

 ぱち・・・
 炎が弾ける。

「あ・・歌といえば・・・」
 おキヌはふと思い出した「少女」の話をする。
 ピアノから聞いた、父親を亡くし、歌を失った少女の話を・・・

「届いたよ」
 その話をじっと聞いていた横島は、あっさりと断言した。
「えっ?」
「昨日、その子にも音と歌は届いた。そして、歌えた」
 自信ありげに胸を張って言い切る横島。にこりと微笑む。
「そうね・・・届いたわよね・・・きっと・・・」
 おキヌは良く晴れた空を仰ぐ。

 さわやかな風が二人の頬を撫で、炎の陽炎の向こうに溶けていった。

                               
 ★*********     << END >>     *********☆


 【 GS美神・外伝 『天に舞う律』 】
 < GS-MIKAMI Fan Fiction (C-WWW Edition) Vol'1 >
 Presented by < GOKURAKU・Creation > *1993-1995*
 Prodused by 松楠☆御堂 [MID-MAX KFF02336@niftyserve.or.jp]

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