「ねっ、おキヌちゃんは決めた?」 ポン、とおキヌの肩を叩いたのは、同じクラスの若菜だった。 昼休みの教室、思い思いに過ごす生徒たちがお喋りに花を咲かせるひととき。 「え? 何が?」 きょとんとするおキヌに、若菜は意味深に微笑む。 「ふふん、トボけよーったって、そーはいかないわよ」 腕を組み、妙に偉そうに若菜はふんぞり返る。 「年に一度のこのチャンス! いいの捕まえなきゃ損よっ!」 拳を握って力説する若菜に、おキヌはとまどう。 「あ、あの〜〜、もしもし?」 「何なにー、どしたのー?」 「おおっ、燃えちゃってるワケねー、若菜ってば」 わらわらと、おキヌと若菜に元に駆け寄ってきたのは裕美と美智江である。 「ねー聞いてよ、おキヌちゃんってばさー、トボけるんだよ〜」 若菜が何を云いたいのか、瞬時に理解した裕美と美智江がのけぞる。 「んげっ、それはいかん!」 「おーまいがっ!」 おキヌはそれでもまだ、きょとんとしたままであった。 「・・・え〜っと、な、何?」 若菜と裕美と美智江は顔を見合わせ、意思の疎通を確認するや、三人同時に おキヌに向かってズイッと迫った。 『2月14日が何の日か、分かってるよねっ!』 ワンテンポ遅れて、おキヌはハタと手を打つ。 「あ、ああ、バレンタインデーね」 「やっと分かってくれたか、うんうん」 ポン、と裕美がおキヌの肩に手を置く。 「でだ、本題。 ズバリ、おキヌちゃんの本命は誰っ!」 若菜は何故か、手帳片手に瞳を輝かせて聞いた。 「本命って・・・そんなのまだ・・・・」 「ダメッ、そんな事じゃダメなワケっ!」 突然、叫んだのは美智江だった。 おキヌだけでなく、若菜と裕美もあっけに取られた。 「若い乙女がその胸に秘めた甘く蒼い清らかな想いを伝えるのに最適かつ最も ふさわしい聖なる日に向けて何も行動しないとゆーのは罪に値するほど許され ない事なワケっっ!!」 息を荒げて一気にまくしたてた美智江は、瞳まで血走っていた。 「きみ、コワいよ?」 裕美は我に返って冷静に美智江を見やる。 「ま、まぁそれは大げさにしても、そろそろ決めておいたほーがいいわよ?」 若菜は再びおキヌに問う。 「う〜ん、でも本当に何も考えてないしー・・・」 「ふっ、この際、静粛な大和撫子の仮面はかなぐり捨てるべきよっ!」 「きゃっ、美智江ってばコワい〜〜」 キレた美智江がおキヌにズズイッと迫る。 「こらこら、おキヌちゃんはあんたと違うんだから!」 「何よ裕美、どういうワケ?」 美智江が片眉を上げて裕美をにらむ。 「ほら、あんたはそれこそイケイケドンドンだけど、おキヌちゃんって清純な イメージあるからねぇ」 にやりと笑う裕美。 「こらまて、何よ、私だって喋らなきゃ『おとなしいお嬢様ね』で通るのよ? イケイケドンドンなんて失礼なっ!」 「って、それじゃ何のフォローにもなってないって! あんたってほら、毎月 ごとに好みが変わるじゃない、それを言ってるのよ!」 「うっさいわねぇ、好きになるのは仕方ないでしょっ! 恋なんて場数踏まな きゃ洗練されないってワケ!」 「極端な理論ねぇ、ま、あんたにゃ『一途』とかって言葉の意味、分からない でしょーけど!」 裕美の言葉に、ふっ、と美智江が意味深に笑った。 「なるほど、自分のお気に入りが年下で、今さら格好つかないものだから、そ う云って誤魔化しちゃうワケね・・・」 「み〜〜ち〜〜え〜〜〜〜っ! 貴様! 云ってはならん事を〜〜っ!」 どうやら図星をつかれたらしい裕美が、真っ赤になって美智江につかみ掛か ろうとした。が、するりと逃げた美智江は教室の入り口で振り返り、あかんべ をかます。 「や〜い、ラブコメ女〜!」 「うるさいっ! 紫外線バカ女っ!」 裕美と美智江が飛び出して行った後、残されたおキヌと若菜はしばし呆然と する他なかった。 「・・・え〜〜〜っと、何の話だったっけ?」 「・・・さ、さあ?」 「あの二人、あれで仲いいってのが不思議なのよねぇ・・・あ、そうそう!」 ふと、つぶやいた若菜だが、何か思い出したのか、おキヌに向き直る。 「ま、本命は当日までに決めるとしても、今度の土曜に私たち市内のデパート までチョコ買いに行くからさ、まだ買ってないでしょうし、一緒にどう?」 「う〜、どーしよう、お義姉ちゃんに聞いてみる・・・」 おキヌの答えに若菜はウインクを返した。 「おっけー、じゃ、行くなら行くでよろしくねっ!」 と、云うやいなや、若菜も教室から飛び出して行った。 「・・・そか、こないだ節分終ったから、もうすぐバレンタインか・・・」 おキヌは、ぽつりとつぶやいた。 「ただいま〜〜!」 自宅に帰ったおキヌは、玄関口まで漂っていた甘い香りに誘われてキッチン をひょいっ、と覗く。 「あ、おかえり〜、おキヌちゃん」 「・・・お義姉ちゃん、何してんの?」 部屋着のスゥエットの上からエプロンをした早苗が、コンロにかけた鍋の前 で何かを作っていた。 「ふふふ、チョコレートよ、バレンタインの」 早苗はにこやかに笑って答えた。 「手作りするの?」 「そ、節分の前に作ろうと思ってたけど、結局忙しくてムリだったしね」 おキヌが寄ってみると、早苗はチョコレートを湯せんしている最中だった。 「・・・これって、ビター?」 「いや、ミルクチョコ」 「なるほど、山田先輩の好みなのね?」 おキヌの一言に、早苗の頬が染まった。 「コラ、おキヌちゃん、からかうんじゃないっ!」 「えへへー、でもそおなんでしょ?」 「う、そーよ、あいつって意外と甘党なのよね・・・」 早苗の照れた表情を見て、おキヌは少しだけうらやましいな、と思った。 「ところでお義姉ちゃん、うちって神社なのに、こんな事してて・・・」 「いいのよ、日本の神様は『やおろずの神』って云うほど懐が広いんだから。 それに、今回使う材料は全部、父っちゃに内緒で清めたしー」 「ひゃー、いつの間にっ!」 「ふふふ、『氷室神社謹製・ご利益満点ハンドメイドチョコ』って事!」 「山田先輩がうらやましいなー・・・」 「おキヌちゃんも作ってみたら? 材料は充分あるわよ?」 「でも、渡す人っていないよ?」 顔を伏せたおキヌに早苗は優しく言う。 「大丈夫だって、そのうちいい人が現われます様にって願かけるつもりにして、 神棚に供えてもいいんじゃない?」 「う〜、そーかー、そーしてもいいんなら作ろっかな?」 「はいっ、じゃあすぐに着替えてくるっ、夕飯の支度の前に片付けたいしね」 きびきびと命令する早苗に、おキヌは素直に応じた。 「は〜い、そーしまーすっ!」 と、ばたばた自室に向かったおキヌの足音を耳に、早苗はくすっと微笑む。 「まぁ、ウチの神様って元々はあなたなんだけどね・・・」 なんだかんだと格闘の末に、早苗とおキヌはハート型のチョコを作り上げ、 父親の為にもと、星の形をした一口サイズの物を残ったチョコで作った。 そして、バレンタインデーが間近に迫ったある日・・・ 日を追うごとに、何やら奇妙な緊張感が校内に漂い始めていた。 男子生徒はやたらと身だしなみに気を使いはじめ、女子生徒も互いを探る様 な行動や言動が目立ちはじめていた。 そして、それとは別に女子生徒の中で「ある動き」が静かに流れていた。 「で、おキヌちゃん、本命は結局どーすんの?」 三時間目が終った直後、つつつ、と若菜がおキヌのそばに寄ってきた。 「うーん、やっぱりいないのよねー」 苦笑するおキヌにしつこく若菜が聞く。 「じゃ、チョコどーする? 買いに行くなら明日っきゃないよ?」 「あ、ごめん、チョコはお義姉ちゃんと一緒に作っちゃったの」 「えっ!」 ざわっ。 おキヌがそう云った途端、若菜は凍りつき、教室内の一部の女子生徒が一瞬 ざわめいた。 「そ、それは予定外な・・・・」 「は? 予定って・・・?」 思わずこぼれたつぶやきを聞かれた若菜は、あわてて両手を振った。 「あ、いやいやなんでもない、こっちの事ね、あははははははは」 「?」 「じ、じゃ、また後でねっ」 「あっ、若菜ってば・・・」 奇妙に後ずさった若菜は、そのままバタバタと教室を飛び出して行く。 「・・・何なんだろ・・・?」 取り残されたおキヌは、昼休みに若菜をつかまえようとしたが、終鈴が鳴る と同時に逃げる様に走り去ってしまい、どこに行ったのか分からなくなった。 「・・・何か、妙ねぇ?」 裕美か美智江に尋ねようと思ったが、その二人の姿も教室内になかった。 「とにかくさ・・・配当の設定が狂ってくるんじゃない?」 「今さら・・・変えるって出来るワケ?」 「しまったー、姉貴の方の情報収集を忘れていたー」 図書室の隣、書庫の片隅で頭を寄せ合っている女子生徒。 言わずものがな、若菜、裕美、美智江の三人である。 図書委員の若菜が、昼休みに残り二人を引き入れて密談をしていた。 「まさかなー、手作りでくるとは全くの予定外だわ・・・」 「うーん、本命はいないって段階で、枠を切ったのが間違いだったワケね」 「うかつだったわ、氷室先輩には山田先輩がいるからって、ネタ集めしなかっ たのが響いたのね・・・」 「・・・俺と氷室がどうかしたってか?」 突然、三人の頭上から、男の声が降ってきた。 びくりっ、と三人の動きが固まる。 本棚の間から姿を見せたのは、早苗の彼氏である山田その人だった。 「う、うはは、山田先輩こんにちわ〜〜」 ひくついた愛想笑いを返す三人だが、山田の表情は心なしか厳しい。 「森川の奴が、本は自分で探せって、ここに押し込めやがったが・・・面白そ うな話だなや、ちっと聞かせてくれんか?」 山田の言葉に三人は、がっくりと首をうなだれる。 「もはや、これまでか・・・」 「トトカルチョ?」 「・・・そうらしい」 放課後の校舎の屋上。 山田と、事を聞かされた早苗が若菜たちに事情を聞いていた。 「なんでも、一年の男子に女子の好感度アンケートを取って、その上位三人の 女子が今年のバレンタインに、幾らぐらいのチョコを誰に渡すのかって事を賭 けてたんだと」 「あっきれた〜」 山田の説明に、早苗は心底から驚き、しゅんとした若菜たちを見やる。 「とりあえずイベントは中止ね、そして賭けに参加した人に必ず返金する事」 こくこくと、三人とも素直に頷く。 「嫌な事聞くけど・・・いくら集めたの?」 早苗の問いには、若菜が答えた。 「あ、賭けはお金じゃなくて、食券でやりとりしたんです」 「食券?」 「そうなんです、食堂のAランチ券を使うって事にして・・・」 「・・・・まったく、あんたたちってば・・・」 頭を抱えた早苗に代り、山田が凜と告げる。 「とにかく、悪気はなかったとは云うが、おまえらのやった事は決して許され ない、それは分かってるな?」 山田の語気に厳しいものを感じ、若菜たちは泣きそうになりながら頷く。 「ったく、おキヌちゃんが知ったらどんなに悲しむ事やら・・・」 早苗の言葉に、何も云えない若菜たち。 しばらく、風の音だけが辺りに聞こえた。 「どうする? 氷室」 「そうね、あんまり事を大きくしたくないし・・・」 山田に促され、早苗は三人を見やった。 「とにかく、今回の件はおキヌちゃんにも内緒にしとくし、今後こんなバカな 事しないって約束するなら許してあげる、分かった?」 「はい・・・ごめんなさい・・・」 萎縮しながら三人は頭を下げた。 ふぅ、と早苗がため息をつき、山田もやや苦笑ぎみに頭を掻く。 「それで・・・あのぅ・・・先輩・・・」 裕美が早苗の表情を伺いながら、おずおずと聞いた。 「何?」 「・・・おキヌちゃんって本当に好きな人、いないんですか?」 「こら、まだ懲りないのかっ!」 ぺしっ、と早苗は裕美の額をはたいた。 「きゃっ、ご、ごめんなさいっっ」 あわてて後ずさる裕美の姿が滑稽だったので、早苗はおもわず吹き出した。 「ぷっ、あんたたちって全く・・・もうっ!」 怒りを通り越してバカバカしくなった早苗は、肩をすくめた。 「ま、あの子に好きな人がいるかどーかは分からないけど、チョコの行き先だ けは教えてあげるわ」 「えっ!」 思いがけない早苗の言葉に、若菜たちは顔を見合わせた。 「だ、誰なワケ?」 勢い余った美智江を、若菜と裕美があわてて押さえ込む。 「チョコはね、あの子自身のものになるのよ、それが真実」 「ほへ?」 気抜けた表情の三人に早苗は笑った。 「ま、そーゆー事だから、どう考えても賭けは成立しないわね、ご苦労様」 「そ、それってどーゆー・・・?」 若菜が言葉の意味を聞こうとしたが、早苗はそれをさえぎる。 「はい、言えるのはここまでね、さて、さっさと教室に戻りなさい、もうすぐ 昼休みが終るわよ?」 早苗の雰囲気から、それ以上何も聞き出せないと察知した三人は、いまいち 納得できない表情をしながらも、すごすごと教室へと戻って行った。 「まったく、とんでもない事を考える子たちね」 「そうだな、しかし氷室、さっき言ったおキヌちゃんのチョコの行方って?」 「さあ? 本当の所は私にも分からないわ」 いぶかしがる山田にも、早苗は言葉を濁す。 「ま、いいか・・・で、氷室」 「何?」 「少しぐらいチョコの形が崩れてても、俺は気にしないからな」 「・・どーゆー意味よ、それ! 何も私のは貴方に渡すって限らないわよ!」 ぷん、とふくれた早苗がそっぽを向いた。 「そ、そんなぁ、しくしく」 わざとらしくすねる山田。 「・・・バカね、貴方以外の誰に渡すってのよ・・・」 頬を赤らめた早苗のつぶやきを聞き、山田はそっと早苗のそばに寄った。 「・・・早苗、だから好きだや・・・」 耳元で囁かれ、顔が真っ赤に染まる早苗だが、それでも嬉しそうだった。 「・・・バカッ・・・」 そしてバレンタインデー当日。 早朝の氷室神社の正殿に、おキヌはいた。 張り詰めた冷気は残るものの、柔らかな日差しが差し込み、掃除を終えたば かりの檜の廻廊を照らしている。 「さてと、こんなものかな?」 制服に着替えたおキヌは、学校に行く前に用意した三方にチョコレートの包 みを乗せ、神前に供えた。そして正座をして、そっと両手を合わせて祈る。 「神様、どうか夢の中のあの人に、想いが届きます様に・・・」 祈りを終えたおキヌの鼻元を、急に冷たい風が撫でる。 「・・・っくしゅんっ! みゅう、びっくりしたっ」 鼻をこすったおキヌはふわりとスカートをなびかせて立ち上がり、学校へと 急いだ。 「うわあっ!」 山田の叫び声がロッカー室に響く。 「どしたのっ!山田クン!」 似たような時間に登校してきた早苗が、その声を聞いて駆けつけてきた。 「げっ、何これっ!」 途方にくれた表情をしている山田のロッカーの中には、これでもかと言わん ばかりに市販の「お得用一口チョコ」がぎっしりと詰め込まれていた。 「・・・靴が出せん・・・」 「ありがた迷惑ってより・・・これは明らかに嫌がらせねっ!」 憤慨した早苗が、ふと辺りを見回した時、とある複数の視線に気がついた。 「・・・ああっ! あんたたちねっ、こんな事したのわっっ!」 「きゃあっ、さっそくバレた〜〜〜っ!」 バタバタと逃げるのは紛れもなく若菜、裕美、美智江だった。 「待てっ、こら〜〜〜っ!!」 早苗は腕をまくり、ダッシュで三人を追いかけて行った。 < Fin >