「―――こんなモンでどうでしょう、小竜姫さま」
「う〜〜ん」
横島の問いに、小竜姫は腕を組んで考え込んだ。
「……もう少し右にずらした方が納まりがいいんじゃないかしら?」
「あら、でもその位置だと窓からの光でディスプレイが見にくくなっちゃいますよー」
横からヒャクメが口をはさんできた。
「そうかしら? じゃあ……」
「は、早く決めてくださいよ! もう腕が限界っす!!」
巨大なパソコン用ディスプレイを抱えて、さっきから言われるままに部屋の中を右往左往させられていた横島が泣き言を言う。
「―――とりあえず、その辺に置いておけばいいんじゃない? 気に入らないなら後で置き直せばいいんだし……」
壁に寄りかかってそんな彼らの様子を眺めていた美神が、あきれ声で横島に助け舟を出した。
「それもそうですね」
美神の提案にあっさり小竜姫がうなづく。
「じゃ、とりあえずそこの机に置いてください、横島さん」
「ふぁ〜い」
壁に据え付けられた文机の上に、やれやれといった様子で横島は真新しいディスプレーを降ろした。
「ご苦労さまです。それじゃあ、後の接続は私がやっておきますから、皆さんは休んでて下さいな」
さっきまでディスプレーやパソコン本体が入っていた段ボールの中から、うねうねと渦巻くケーブルを取り出しながらヒャクメが言った。
「ええ。よろしくね、ヒャクメ」
小竜姫もにっこり笑ってその場にいた全員を振り返った。
「お茶入れてきますから、みんな適当にその辺に座ってて下さい」
「わーい!! ポチ、遊ぼう!」
それまで邪魔にならないよう部屋の隅で小さくなっていたパピリオが横島に抱きついた。
「後でな、後で。オレ、ちょっと疲れてんだよ」
「ちぇーっっ」
横島に面倒くさそうにあしらわれて、パピリオは唇を尖らす。
「そうそう。とにかく休みましょ」
と、美神がどっこらしょといの一番に椅子に腰を降ろした。
「―――あんた別に何もしてないでしょーが……」
ボヤきながらも、横島も近くの椅子に身を沈める。
「はー、マジ疲れた! たかがパソコンを設置するくらいで、こんなにコキ使われるとは思わなかったぜ」
「―――すみません、面倒ばかりかけてしまって……」
独り言のつもりだったのに、ちょうどお盆にお茶を乗せて部屋に戻ってきた小竜姫に謝られて、横島は慌てた。
「め、面倒なんてとんでもないっスよ! 小竜姫さまのためならこんなこと何でもないっス!」
「でも、今回は本当に助かりました」
小竜姫は横島や美神、そしてパピリオにお茶とお茶菓子を配りながらため息をもらした。
「―――魔界との科学力の差を少しでも埋めるために、現場でのコンピュータの導入予算が認められたのはいいんですけど……私、この手の機械はまったくダメで。ヒャクメや美神さんたちがいてくれて本当に助かりました」
「まったくよ。まさかパソコン一式を買いに行かされて、妙神山まで運ばされるとは思わなかったわ。まぁ、この辺りも道路が開通したおかげで、昔より来やすくなったからいいようなものの……」
車を運転した以外指一本動かしていないくせに、美神は恩着せがましく言う。
「すみませんね、お礼はいつものように金塊でお支払いしますから」
小竜姫が苦笑する。
金の話になって美神の目がキラーンと輝いた時、一人で黙々とパソコンのセットアップをしていたヒャクメが顔を上げた。
「終わりましたよー! これでインターネットにも接続できるし、天界のメインコンピュータともデータやメールのやりとりが可能です」
「で、でーた……めーる……?」
知らない単語に、機械に疎い小竜姫はオロオロしだした。
「大丈夫よ、今時パソコンぐらい幼児だって使えるんだし」
美神が無責任に小竜姫の肩をどやしつける。
「そうそう。習うより慣れよ、ですよ。さぁ、触ってみて!」
ヒャクメは小竜姫を無理矢理パソコンの前に座らせた。
「ほら、これがマウス。それでここをクリックして……」
「く、くりっく……?」
不安いっぱいの様子の小竜姫相手にヒャクメのパソコン講座が始まった。
そして小一時間もすると小竜姫もどうにか基本操作を身につけることができた。
「それじゃあ、プロバイダにアクセスしてみましょうか。設定はもうしてあるからつながるはずですよ」
「は、はい……」
限界以上に脳に知識を詰め込まれて、すでに泣きそうな顔で小竜姫は返事をした。
「天界にアドレスは伝えてあるんでしょ? もしかしたら何かメールが届いてるかもしれませんね」
「そ、そうでしょうか……?」
たどたどしいマウス操作で、メールソフトが立ち上げられ、メールチェックのボタンがクリックされる。
ピポポポッ、という軽快な音の後、画面の隅に文字が点滅した。
『You've got mail!』
「あ、来てる来てる!」
ヒャクメが歓声を上げて小竜姫の肩を揺さぶる。
「へぇ〜、どれどれ」
美神たちも興味を覚えて、背後に集まってきた。
「誰からでしょうね? ほら、早く開いて下さいよ!」
ヒャクメにせっつかれて、小竜姫は慌てて受け取ったばかりのメールを開いた。
「―――ん?」
その内容に全員が顔をしかめた。
妙神山の記念すべき初メールはたった一行のそっけない文章だった。
『本日午後、妙神山に参る。』
「参るって……誰なんです、この人?」
「下の方に署名があるはずですよ」
横島の声に我に返ったヒャクメが、小竜姫からマウスを奪うとメールの表示を下方にスクロールさせた。
『☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
大 竜 姫
dai@tenkai-XX.XX.XX
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★』
最後の行に打たれた発信者のアドレスと名前が5人の前に現われた。
「大……竜姫?」
「誰……これ?」
美神と横島が小竜姫の顔を窺うようにのぞきこんだが―――。
「ま……ま、ま、まさか……そんな……」
そこに度を失った真っ青な小竜姫の表情を見つけて、嵐の予感と、そしてとてつもない不安を覚えた……。
「そーいえば、そろそろ午後でちゅよ?」
パピリオの言葉に、凍りついていた小竜姫の肩がビクンとゆれた。
「ホントだ。て、ことはこのメールの人物がここに訪ねて来るってことっスね?」
横島も何げなしに近くの窓から門の方を窺った。
「で、誰なの大竜姫って? 小竜姫さまの関係者?」
小竜姫が答えてくれそうにないので、美神は質問をヒャクメに移した。
「えーと、それはその〜……」
天界のことで彼女に知らないことがあるはずはなかったが、ヒャクメは何故か言いにくそうに、チラチラと困ったように小竜姫とパソコン画面を見比べる。
―――ピンポーン!
その時、門の方からインターホンが鳴る音がした。
続いて、「頼もう―――!」という女性の声。
「ひっ!」
その声が聞こえた途端、小竜姫は両耳を手でふさいで悲鳴を上げた。
「……お客さんじゃないんでちゅか?」
わかりきったことをわざわざパピリオは言ったが、小竜姫は一向に動く気配を見せない。
「小竜姫さまがこんなに怖れる相手って……妖怪かなんかっスか?」
「なんでもいいけど、早く迎えに出た方がいいんじゃないの?」
美神の心配ももっともで、そうこうしている間に呼び鈴が待ちくたびれて苛立ったように続けざまに鳴る。
―――ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン……!
「わ、わわわ、私はいません! いないんです!!」
その音にパニックを起こし、とうとう小竜姫は狭い文机の下にもぐりこんでブルブルと震えだした。
「ダ……ダメだこりゃ……」
一同が途方にくれた瞬間だった。
「小竜姫っ!! いつまで客を待たせる気ですか!?」
澄んだ怒声とともに、門が撃破されるけたたましい音が妙神山中に響きわたった。
「―――だ、大竜姫さま、落ち着いて下さいっっ!」
続いて門番たちが追いすがってなだめる声。
「あちゃー、勝手に入ってきちゃったわ」
予想通りと言わんばかりに、ヒャクメが額を押さえた。
けれど門番たちもあっさり蹴散らかされたらしい。ザクザクとこっちに向かってくる足音がして、小竜姫や美神たちがいる建物のドアを叩く音がした。
「―――小竜姫、ここにいるのですか?」
返事を待たず、大きな音をたててドアが開け放たれる。
「――――!」
美神たちは一斉に息を飲んだ。
どんな人物が現われるのかと思いきや、そこに立っていたのは妙齢の絶世の美女だった。
流れるような艶やかな髪に、匂いたつような美貌。
古風な服装といい、頭に同じ竜神の角があるうえ、どことなく面差しが小竜姫に似ているが、ボリューム感あふれるプロポーションとその威厳ある雰囲気には小竜姫にはない大人の色香が漂っていた。
机の下に隠していた頭をちらっとだけ巡らせてその姿を確認した途端、小竜姫はますますひどいパニックに襲われた。
「あ、あ、あ、あ、あね、あね……姉上!!」
一声叫ぶと、彼女はこれ以上逃げ場のない机の下にさらにもぐりこもうと、じたばたと暴れだした。
「……それで隠れているつもりですか、小竜姫」
机からお尻だけ出してじたばたしている小竜姫を見つけて、大竜姫と呼ばれたその女性は呆れたようにつぶやいた。
「姉……上ぇ――!?」
美神と横島が同時に叫んだ。
小竜姫に姉がいたこと自体初耳だったが、姉が訪ねてきたくらいでこの小竜姫の取り乱しようはなんなのか。
「いったいどんな姉妹なのよ……て、あれ?」
隣にいたはずの横島の姿が消えていることに気づいて、美神はハッとした。
「大竜姫さま―――っっ! ずっと前から愛してました―――っっ!!」
「な、何だっ!?」
突然飛びついてきた男に、大竜姫がぎょっとする。
「や、やめてください、横島さん!」
「やめんか、アホ――ッッ!!」
ヒャクメと美神の怒声と、横島がしばき倒される音が重なって、妙神山はしばし激しい喧騒にさらされたのだった。
「―――いいかげんにそこから出て来ぬか、小竜姫!!」
一通り騒ぎがおさまると(つまり、横島が床に撃沈させられた後)、大竜姫と呼ばれた美女はつかつかと部屋を横切って、小竜姫の隠れている机の前に立った。
「―――は…はぃ、姉上……」
とうとう観念したらしい、消え入りそうな声で返事をすると、おそるおそる小竜姫が机の下から這い出してきた。
「妙神山の管理人ともあろう者が、なんたる姿ですか。たるんでおるぞ、小竜姫!」
腰に手をあてて、大竜姫がよく通る威厳のある声で小竜姫を一喝した。
「も、も、申し訳ありません!」
小竜姫は泣きそうな顔であわてて立ち上がった。
「そ、その、姉上がいらっしゃるとはさっきまで知らなかったもので…その…」
「言い訳は見苦しい!」
「は、はいぃっ!!」
ぴしゃりと叱りつけられて、小竜姫はしゃほこばって口を閉ざした。
「―――ちょっとちょっと、これどういうこと?」
その場の雰囲気が読めずに、美神はヒャクメにひそひそと尋ねた。
「……大竜姫さまは小竜姫の少し歳の離れた姉君で、とにかく才色兼備のすごい人なんですがね……。小竜姫が幼い頃には忙しい両親に代わって彼女の教育を受け持っていたらしいんですが……それが神界でも有名なぐらいのスパルタ教育で……」
ヒャクメもひそひそと言葉を返す。
「なーる…。それで未だに姉には頭が上がらないけね」
「そうらしいです。その上、大竜姫さまは竜神王陛下の側近の一人で、神界の超エリート。だからか、才能は認められているのにどこか要領が悪くてなかなか出世しない小竜姫がもどかしくて仕方ないらしくて……」
「それはそれは……」
事情がわかってきて、美神は気の毒そうに顔をゆがめた。
「そ、それで姉上、今日はどのようなご用件で……?」
「姉が妹に会いにくるのにいちいち理由がいるのですか?」
大竜姫の怒りを含んだ冷ややかな言葉に、
「い、いーえ、とんでもありません!」
小竜姫は可哀相なほど萎縮して、ぶるぶると頭を振った。
「―――どんなスパルタだったのか知らないけど……あれは完全にトラウマを負ってるわね」
「……ですよねぇ」
見てはならないものを見てしまった気がして、美神とヒャクメは同時にため息をもらした。
「―――誰です、この者たちは」
一通り小竜姫をびびらすと満足したように、大竜姫は初めて美神たちに目を向けた。
「あ、彼女は美神令子さんといって、例のアシュタロス戦で世界を救ったGSです。床にへばっているのは彼女のパートナーで、同じくGSの横島さん。ヒャクメは……知ってますよね。それから、そこにいるのが魔界から預かって、今私の元で修業中のパピリオです」
姉の怒りがおさまって心底ホッとした様子で、小竜姫は美神たちを大竜姫に紹介した。
「―――そうか。名前だけは聞いています。わたくしは大竜姫、ここにいる不肖の妹・小竜姫の姉です。……かの時には頼りない地上の神族に代わって、不逞の輩を倒してくれたそうですね。神族として改めて礼を言います」
そう言って大竜姫は美神に丁寧に頭を下げた。
「へ? あ、いや、それほどでも……」
第一印象とはうってかわった腰の低さに、美神はうろたえてしまった。
「謙遜せずともよい。あなたがたのお陰で世界は救われました。どれほど礼を言っても足りません。―――それにつけても……」
ふっと大竜姫の表情が曇った。
一度おさまった怒りが再び噴き出してきたらしい。小竜姫を振り返った時、その声のトーンは思いっきり下がっていた。
「本来、三界のバランスを守るためにここにいるはずのそなたのていたらくどうです? 肝心な時に戦力にもなれず、おめおめと魔族に蹴散らかされるとは……。冥界と音信不通だったとはいえ、事後にそなたの様子を聞いてわたくし
がどんな情けない思いをしたのかわかりますか?」
「で、ですが姉上、あの時は敵との間にあまりに装備の違いが……」
迫りくる嵐の予感に、小竜姫はもう逃げ腰だ。
「言い訳はもうよいと言ったはずです。なにが装備ですか、要は気合いの問題です! そもそもそなたにはいざという時の気構えが足りないのです。だから昔から、事あるごとに最後は必ず他者の手助けを受けるハメになってしまうのですよ!」
再び始まった言葉のムチを止められるものはその場に誰もいなかった。
「そんなことだから、いつまでたっても妙神山の管理人などをやらされているのです。私がそなたくらいの歳には……」
その後、延々10分ほど大竜姫の説教は続いた。
さすがに喉が渇れたらしく、側にあった茶で喉を潤すと、大竜姫は咳払いをした。
「―――とにかくいい機会ですから、わたくし自らがもう一度そなたを鍛え直してあげます!」
「……は?」
嵐をやりすごすためそれまでじっとうなだれていた小竜姫が思わず顔を上げた。
「何か不服ですか?」
「い、いいえ! とんでもありません」
ジロリと睨まれて、反抗の言葉など一瞬で消えてしまう。
「ですが、あの……姉上は何かとお忙しい身なのでは……」
「心配せずとも、陛下から休暇をいただきました。久しぶりに姉妹でゆっくり過ごすがよい、というありがたい仰せです」
「そ、そうですか……」
にっこり微笑まれ、小竜姫は生まれて初めて竜神王を心の底から恨んだ……。
「な……なーんか、大変なことになっきましたねぇ」
ヒャクメが同情を禁じ得ない様子でつぶないた。
「そうね、私たちも帰った方がいいかも……」
巻きぞえになるのはごめんと、美神はそそくさと立ち上がった。
「ほら、行くわよ、横島クン!」
床に倒れたままの横島を、ヒールの爪先で蹴っ飛ばして起こす。
「大竜姫さま〜、小竜姫さま〜、両手に花やぁ〜!!」
「正気に返れっっ!! 死にたくなきゃ、帰るのよ!」
「えー、ポチもう帰っちゃうんでちゅかー?」
あまり状況がわかってないらしいパピリオが不満そうにダダをこねだすのを無視して、美神はさっさと帰り支度を始める。
それを見て、小竜姫が顔色を変えた。
「み、美神さん!」
美神の腕をつかみ、姉に聞かれないように部屋の隅に引きずっていく。
「美神さん、お願い! 帰らないで下さいよ!」
「な、何言ってんのよ!」
「お願いですから〜! 姉上と二人っきりにしないで下さい。私、私……殺されますっっ!!」
「まさか、実の姉でしょ? いくらなんでも……」
「姉上にそんな常識通用しません!」
真剣な眼差しで、小竜姫はきっぱりと断言した。
「し、知らないわよ! なんで私が…それにパピリオだっているじゃないの」
巻き込まれてなるものかと、美神も必死だ。
「お願いです、恩にきますからっ!」
小竜姫が美神にすがりつく。
「―――なにをごちゃごちゃ言っておる」
大竜姫がいらいらしたように声を荒げた。
小竜姫はぱっと姉に向き直ると、
「姉上、美神さんも姉上のご指導を仰ぎたいそうです」
と、とんでもないことを口走った。
「ちょっ……!? 冗談じゃ―――」
「ほう、それは殊勝な心がけです。そう、いくら人として力を極めたつもりでも、人生つねに精進あるのみ。よろしい、この際ここにいる全員の修業をわたくしがまとめて引き受けましょう!」
大竜姫は嬉々として言った。
「―――え゛!?」
美神だけでなく、ヒャクメもパピリオもそして横島までも顔をひきつらせた。
「ぜ、全員って―――もしかして、私もですかぁ?」
「パピリオも……でちゅか?」
「て、ことはオレも!?」
大竜姫を除く全員がその場に凍りついた。
「―――何か不都合でも?」
あくまで花のような美貌で、悪魔のように無邪気に大竜姫が微笑む。
「――――。」
もちろん不平不満を口にできる者などその場にいなかった。
―――こうして、嵐は周りを巻き込んで、妙神山にしばらく居座ることになったのだ……。
つづく(←ウソ)