なんでや!?何で今頃急に!
納得でけへん。不幸は個人に与えて、幸福は万人に与えなきゃならんなんて、ムシが良すぎるのと違うか?
別にワイは善人なわけやない。たった1人、たった1人だけを幸せにしてやりたいだけや。沢山の人間に崇められたいわけやないんや。
…………償いはしろやて?…………たった一度?…………行き交う人波。
カップル、夫婦、友達同士、多種多様な人達がデパートのショウウインドゥの前を歩きすぎていく。
まるで誰かとはぐれたかのように、三つ編みをした1人の少女だけがショウウインドゥを見つめていた。
ショウウインドゥに踊る『SALE』の文字。意味もなくカッコを付けるマネキン人形。
少女はある値札を見て一度だけ小さなため息をついた。
溜息なんてついてはいけないことだとは判っている。
でも………
少女はありきたりなセーラー服を着ているのに、なんとなく、そうなんとなく貧乏くささを感じさせた。
それはどうにもならないことだったかもしれない。
人には、どうしても生活の臭いが付きまとう。実際彼女の家は貧乏だった。
もっともそれは彼女のせいではなく、彼女の悪徳でもない。
悪徳だったのは彼女の曾祖父であり、彼女は完全な被害者と言えた。
しかし恐ろしく奇跡的に、彼女はそれを恨んだり、卑屈になったりする事はなかった。
前向きに、一生懸命に生きてきた。
でも溜息をつきたくなるときだってあった。それがまさに、今の状況であったろう。
《なんとか、なんとかしたい………》
少女はじっとショウウインドゥの奥を見つめていた。
「小鳩ちゃん?」
突然自分の名を呼ばれた少女は驚いて振り向いた。
「?どうしたの。こんなとこで………」
ウィンドゥショッピングにまるで関心のない横島は、不思議そうに尋ねた。
『美神除霊事務所は人類社会の裏側に暗躍する
悪霊妖怪を撃退すべく設立された民間企業である。
先進の除霊装備を駆使して敵に挑む
有給休暇なきゴーストスイーパーたち…………
社会に安寧と平和をもたらすため、彼らは今日も出勤する!!!』「……………美神さん、なんですか?これは………」
なにやら白い紙を前に悪戦苦闘していた美神に、紙をひょっこりとのぞきこんだおきぬが尋ねた。
「………『あおり文句』を考えていたのよ。シリーズも昔に戻ったことだし、ここは一つ新しいあおり文句で心機一転したいと思って」
「………新しいって…………これは露骨にぱくってませんか?」
「ジオブ〇ーダーズなんてマイナーな漫画、わかりゃしないわよ」
「…………………」
「……………前言撤回。忘れて頂戴」
美神は紙を丸めてごみ箱に放り込んだ。
横島が事務所に着いたのはまさにそんな頃だった。
珍しい、お客を連れて。「アルバイトがしたい?」
意外な、しかしありきたりな小鳩の頼みに、美神はやや面を喰らった。
おきぬは小鳩のために温かいミルクティーを差し出す。
小鳩はコックリと頷く。
「はい………今、ひどい不況で短期のアルバイトが見つからなくて困っているんです………一ヶ月間でよいですから、雇って貰えないでしょうか」
小鳩は真摯に美神を見つめ、ぺこりと頭を下げる。
「小鳩ちゃん………美神さんに頼みがあるからって連れてきてあげたけど………お金のことならまだカーネル〇ンダース人形に頭を下げた方が…………」
横島はすべての言葉をつむぎだす前に、美神のガゼルパンチによって床に倒れ伏した。
「………なにか事情がありそうね。それを聞きましょう」
「はい。………来月、私の誕生日なんですが、その日は貧ちゃんの誕生日でもあるんです。」
美神は一瞬、『貧ちゃん』の名に悪寒を覚えたが、表面には出さなかった。
「貧ちゃんって、あの貧乏神さんのことですよね?」
代わりにおきぬが問いかける。
小鳩はハイ、と頷いた。
「……貧ちゃんの本当の誕生日はわかりません。だから毎年私の誕生日と一緒に祝ってきたのですが、去年はあまりに家計が苦しくて、何もしてあげられなかったんです………」
「………………」
「だから今年は、なんとか貧ちゃんにプレゼントをしてあげたくて………でも、やっぱりお金がなくて…………」
「それでアルバイトがしたいわけ?」
美神はやれやれ、と言うように肩をすくめた。
「わからないわねえ……呪いが解けた、とは言っても根っからの貧乏神よ?そんな奴のためにそこまでしてやる必要はないんじゃない?」
小鳩は黙って首を振った。
「……私と貧ちゃんはずっと兄妹のように育ってきました。貧乏は貧ちゃんが原因だったかもしれないけど、貧ちゃんに悪気があったわけではないし………それに……」
「それに?」
「あ、いえ、たいしたことじゃないです……」
小鳩は照れくさそうにうつむいた。
「ウーン…………」
美神は腕を組んで考え込んだ。
聡明な頭脳はあらゆる可能性をめぐるましくシュミレーションしていく。
総じて『打算』と呼ぶ。
「いいでしょう。美神除霊事務所は短期アルバイトとしてあなたを雇うわ!」
即断の採用決定に小鳩は破顔した。
「ありがとうございます!一生懸命がんばります!………横島さん、おきぬちゃん、一月の間、よろしくお願いします!」
事の成りゆきに驚いたのは復活した横島とおきぬである。
驚き方はそれぞれ違うものだったが。
「美神さん……!美神さんはやっぱりやさしいんですね!………」
おきぬは感動しながら美神を讃えた。
《そんな馬鹿な……美神さんが金がらみでたやすく情を動かすのか?》
横島はややひきつりながら考えた。
2人の想像は外れていた。
《この子に恩を売ることは貧乏神に恩を売ることと同意義!貧乏神に恩を売っておくことは得策だわ》
それが美神の頭脳がはじき出した解答だった。バイト代など安いものである。もしかしたら横島より役に立つかもしれないし。
「じゃ、明日から来てね。バイト代はおきぬちゃんと同額にしといてあげるから」
「あ、ありがとうございます!」
「………そういえば今気がついたんだけど、今日は貧乏神と一緒じゃないのね」
とたんに小鳩の顔が少し曇った。
「はい………何か最近、誰かに会うと言って、ふっと消えてしまうんです………」
その時には、まだ誰も特に関心を払ったりしなかった。夜。
「貧ちゃーん、晩御飯できたわよー!………何処に行ったのかしら」
小鳩はアパートのドアを開けて周りを見回した。
「ここや。ここや小鳩」
貧乏神はトレードマークのメキシカンハットの鍔を押さえながら、屋根の上からひょっこりと顔を出した。
「月がきれいやで。小鳩も登らんか?」
小鳩は少しおかしそうに応じた。
「登れないわよ。………お味噌汁、冷めちゃうわよ」
「…………もう少し待ってくれへんか。もう少し月を見ていたいんや」
「???いいけど……風邪ひかないでね」
「ワイは神様の端くれや。心配いらんて」
小鳩は首を捻りつつもドアを閉じた。
貧乏神は屋根に座りなおすと、小鳩に向けた笑顔を捨てて、空を見上げながら憎々しげに呟いた。
「……たった一度………それだけで、どないせえ言うんや!!」
彼が誰に向かって悪態をついたのかまでは、わからなかった。
「交通情報です。埼京線は現在、大規模な電気系統の故障で全線ストップし、池袋ー赤羽間の駅舎は閉鎖されております。東北本線による振り替え輸送を…………」
今日は小鳩にとって除霊アルバイト初体験である。
最初の三日間は仕事はなく、事務所の片づけなどを手伝っていた。
もっとも、おきぬがいるので余り仕事はない。普通なら楽でありがたい、と思うところだが、せっかく雇って貰ったのに何も仕事をしないのでは良心が咎めた。
美神さんも何も文句を言わない。それがますます彼女の良心を痛めていた。
もっとも美神の思惑は他にあったので、小鳩が仕事をしてもしなくても別段気に留めたりしなかったのだが。
しかし遂に今日、除霊の依頼が舞い込んだ。彼女は自分が置いて行かれるのではないか、と危惧したが、美神は彼女についてくるように命じた。
《初仕事ね!……ゴーストスイーパーの仕事ってどんなかしら………!》
小鳩は横島の後ろをついて歩きながらいろいろと想像していた。
《………それに、横島さんと一緒にお仕事できるなんて………》
むろん美神もおきぬもいるのだが、ただそう考えただけで、顔を赤らめてうつむいたりしてしまう。小鳩は不思議そうに無人の池袋駅を見渡していた。
普段は馬鹿みたいに人がいるだろうこのホームに、自分しかいないというのはなんだか不思議な気分で、怖かった。
どこかに美神たちが隠れて見守っているのはわかっているのだが、それにしても………
彼女の役目は悪霊を誘い出す囮役だった。
それを聞いたとき、横島とおきぬは反対した。小鳩も正直顔が青ざめ、逃げたしたかったのだが、美神の『絶対安全』宣言を信じ、反対してくれた2人のためにもその役をやることにした。
念のため防御の札を持たされたのだが、美神は必要もないと言う。
なぜなら、今回の除霊はザコ中のザコで、生命に危険は及ばないらしい。
《でも、どんな悪霊なのかしら?……》
小鳩が少し迷いながらも再びホームを歩きだそうとしたとき、
首筋にフッと熱い風を感じた。
「キャアアアアア!!!!」
驚いて振り向くと彼女の背後に無数の悪霊が出現していた。
おぞましい光景だった。埼京線のホームが地獄へと変わったように見えた。
「な………なに???」
驚きと恐怖で小鳩は立ちすくんでしまった。気を失わなかったのは、彼女の気丈さだったに違いない。
【くっくっく………ネェちゃん】
この世の恐怖を姿に現したような悪霊の1匹が、地獄のそこから響くような声で彼女にささやいた。
【…………いいケツしてまんなー】
「…………………」
【じょお、じょしこおせえー(オヤヂモード)】
「キャアアアアアアアアア!!!!!」
小鳩の絶叫と同時に、その悪霊?は消し飛んだ。
「はい、ごくろー様、小鳩ちゃん」
神通棍の一閃で悪霊を薙祓った美神が、いつの間にか小鳩の前に現れる。
横島とおきぬも小鳩をガードする形で小鳩の側に来ていた。
《すごい………いつの間に………》
「効果絶大ね、気の弱そうな女子高生。こんな早く現れてくれるなんて」
「美神さん、なんなんです、こいつら?」
近接戦闘用に霊波刀を出しつつ、横島が尋ねた。
美神はばかばかしそうに肩をすくめた。
「『痴漢』に未練がある亡霊の集団よ。悪霊といえば悪霊だけど………悪霊が聞けば気を悪くするかも。この埼京線は痴漢のメッカなのよ。JLからの大掃除の依頼よ」
美神は神通棍を構えなおした。
「ただコソコソしてるから姿を現させるのが大変で………私やおきぬちゃんのような霊能者には姿を現さないのよね」
「……許せない奴等っすね。人として」
「………………あんたが言う?」
罠と知った悪霊たちはじりじりと怒りのボルテージを上げていった。
【………よくも、よくも俺達の純情を!】
「………………純情?」
【そうだぁ!じょしこおせえの香り!!やわらかさあ!!(オヤヂモードMax)】
大量の悪霊が騒ぎながら美神たちの頭上を飛び交った。
普通の人間なら卒倒するような光景だが、美神たちは何とも思わない。
美神はなにか汚物を見るような視線で飛び交う悪霊を見つめた。
「せめて地獄に送ってやろうと思ったけど………方針変更よ、横島君。文珠で盛大に吹っ飛ばして。かけらも残さないように」
「きゃあ!きゃあ!!きゃあ!!!きゃあ!!!!」
振り向いた美神が見たものは、恐怖でパニックを起こして横島に思いきり抱きつく小鳩の姿だった。
「こ、小鳩ちゃん、身動きとれない………でへへ」
なんとも緩んだ笑顔でたしなめたが、恐ろしく説得力に欠けている。
注意の削がれた2人めがけて悪霊が殺到しようとした瞬間、
唸る神通棍!!!
響くネクロマンサーの笛!!!
実にあっさりと悪霊たちは消し飛んだ。
「こいつらは大したことないから……………」
「もー少し離れてもらえます?」
美神とおきぬが小鳩ににっこりと微笑んだ。内心は笑っていないことを小鳩は敏感に感じて、恥ずかしがりながら横島から離れる。
「いつまでデレデレしてる!」
美神は神通棍で横島を殴り飛ばし、当たり所の悪かった横島はそのまま気絶してしまった。
「…………悪霊のせいで横島君の文珠が使えなくなってしまったわ(ウソ)!!おきぬちゃん、面倒だけど1匹づつ片づけるわよ!援護して!」
「はい!!」「………元気がないやな、小鳩………美神さんとこでバイトしてるそうやけど、なんぞイジメられたんか?」
うつむきながら帰宅した小鳩を案じて、貧は心配そうに声をかけた。
小鳩は首を振る。
「とんでもないわ………そんなのじゃないの………私ちっとも役に立てなくて……」
「………小鳩、小鳩はワイがいる、ということ以外は普通の女の子や………ゴーストスイーパーの仕事が、ほいほいできるわけないやないか。無理せんでええんや」
「ありがとう、貧ちゃん………でも、小鳩はがんばるわ!………あ、晩御飯の支度しなくちゃ!」
慌ただしくエプロンを付ける小鳩の後ろ姿を見ながら、貧は複雑そうな表情をしていた。
幼い少女には、実感がわかなかった。
小さな仏壇の前にちょこんと正座して、突然事故で死んでしまった父の遺影を呆然と見つめていた。
「小鳩…………」
幼い少女の隣に、貧乏神がたたずんでいた。小鳩と呼ばれた幼い少女は、今にも泣きそうな目で、貧を見つめた。
そのころの2人の身長は、余り変わらない。
「びんちゃん…………おとうさんしんじゃったって、うそだよね…………」
「…………………」
ワイのせいなのやろか、と貧は自問した。
それは違う。貧乏神はあくまで貧乏神で、死神ではない。彼の役目は花戸家にとりつき、貧乏にすること。その役目もあと、10年程度だ。
神の端くれたる貧乏神は、誰かを貧乏にしても、それによって命を奪うことなど認められていない。
だが、本当にそう言い切れるのか?貧乏に疲れて、注意を怠った、とは考えられないのか?
だが、死なら小鳩の先祖に喰らわしてやればよく、今更こんな形で呪いが現れるとは考えにくかった。
「…………小鳩…………父ちゃんは、もうこの世にいないんや………」
貧を見つめる大きな目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれた。
不条理や。
神の端くれたる彼が、呪った。彼を花戸家に縛り付けた人間に。人の怨念に。
この子の曾祖父がどんな酷いことをしたかは知らん。だがそのせいで、この子を不幸にして良いんか?
人間つー奴は、魔族より始末におえんかもしれん、と彼は思った。
「小鳩………泣いたらアカン、泣いたらアカンのや」
だが幼い小鳩は、ただ泣くばかりだった。
しかたない。あたりまえや、と貧は思った。
貧は小鳩が泣き飽きるまで、彼の胸で泣かせてやった。小鳩が泣き飽きて、ぐずり始めたときに、貧は小鳩の頭をなでながら、優しく、しかし決然と言った。
「小鳩………ワイは貧乏神や………だから貧乏はどうしようもないんや………けど、小鳩、それ以外の事は必ずワイが小鳩を幸せにしたる!ワイの年季が明けるまで10年程………小鳩が大きくなるまでや、小鳩が立派な大人になるまで、ワイは必ず小鳩のそばにいて、小鳩を守ってみせたる!………だから、だからもう泣くんやない……」
幼い小鳩は泣きはらした目で貧を見つめた。
「………ゆびきり、してくれる?」
「もちろんや!」
ゆーびきりげんまんうそついたら…………
幼い少女は、やっと泣き止んでくれた。「………やくそく………貧ちゃん…………」
16才になった小鳩は軽く寝返りをうった。
その枕元に小さな影が黙って立っている。
「夢、見とるんかな…………」
何故か眠っていなかった貧は、彼女の寝顔をじっと見つめていた。
彼女が貧乏に負けてひねくれたりしなかったのは、奇跡ではなかったのかもしれない。
しかし貧はまったく別の考えを持っていた。
《この子の『幸せ』は何や?………ワイにできることは、もう…………》
今日、小鳩は事務所で留守番である。
もう半月が過ぎた。除霊の仕事はなかなかうまく手伝えず、今日のように危険度の高い仕事には同行させて貰えない。
留守番だって立派な仕事だ。
しかしどうにも、美神さんに申し訳なくて仕方がない。
せめて事務所をピカピカにしておこう、と小鳩は掃除に励んでいた。
クスクス………
誰もいないはずの事務所に奇妙な笑い声が聞こえた。
だいぶ怪奇現象に慣れたとはいえ、完全に慣れるものではない。
「だ、だれ?」
返事は、彼女の頭上から聞こえた。
「こっちよ。灰かぶりのシンデレラさん♪」
「え………あなたは………」
小鳩は素直に驚いた。
彼女の目の前に、小さな、羽の生えた女性が現れたのだから。
妖精。童話や、メルヘンの世界の住人。…………もっとも、彼女の目の前にいる妖精は見るからに悪戯っぽい視線で、なんとなく大人っぽい感じがした。
「は、初めまして、妖精さん」
なんだかおかしな挨拶だ、と思いながらも、他に言葉が浮かばない。
妖精は大声で腹を抱えて笑いだした。その姿はメルヘンとは程遠い。
「おもしろい人ねぇ。私は鈴女。世界最後の妖精(かもしれない)で、最貴重種特別保護妖獣よ」
「え!?そ、そんなすごい方がこの事務所にいたんですか!?」
「そーよ。光栄に思いなさい」
もちろん小鳩は、鈴女のことはまったく知らない。
「あ………私は小鳩と申します。一ヶ月間、美神さんの事務所でアルバイトをさせていただいています」
それにしても、人工幽霊さんといい、事務所には意外と色々な人?がいることに小鳩は驚いた。
「あの………私もう半月ほど事務所でアルバイトしていたんですけど、鈴女さんはどこにいたんですか?」
なかなかきつい質問である。
「……半月どころかもう1年以上巣の中にこもっているわ」
「?なぜですか??」
「意外と人気があるのに作者が描かないから………ではなくて、私、今までの自分の半生記を書いていたの。生まれ故郷のドイツから、この極東の島国にたどり着くまでの、ね」
「ドイツから?!………ずっと、旅してきたんですか?」
「そう…………長い、長い旅だったわ」
鈴女は遠い目をして、窓の外を見つめた。なんとなくわざとらしい。
「私はね、その旅の道のりを本にして、沢山の人に感動を与えたいの…………」
この手の話にとても弱い小鳩は、瞳を潤ませた。
「………どんなタイトルなんですか?」
「ええ………『男を訪ねて三千里』よ」
「………………………」
「いい題でしょ?」
「あの………子供向けですよね?………」
「もちろんよ!空前の感動大作よ!『ロ〇オの青い空』よりメジャーになるわ!!」
あれはそんなにメジャーだったのかしら、と小鳩は考え込んだ。
「そして世界名〇劇場でアニメ化されて、スポンサー料をせしめるの」
飼い主、もとい事務所の主人の影響を多分に受けているのではないかしら、と小鳩は思った。
「…………でも世界〇作劇場は放送を打ち切りましたよ」
「ええ!?ホント!?」
「もうとっくに」
鈴女はへなへなと肩を落とした。
「ここまでがんばったのに…………」
小鳩はそんな鈴女の姿を見て、とても気の毒に思った。
「鈴女さん………そんなに気を落とさないで…………なにも世界名〇劇場がすべてではないですよ………良い本を書けば、きっと多くの人に感動を与えられますよ」
鈴女は顔を上げ、じっと小鳩の顔を見つめた。
「ありがとう、小鳩…………」
「ごめんなさい、生意気言っちゃって………」
小鳩は自分のセリフに照れてしまった。
「あなた………よく見るといい『男』ね」
「え………」
小鳩には鈴女が何を言っているのか理解できなかった。
「慰めから愛が始まることもあるわ」
「???」
「本当は私の『ダーリン』は美神さんなんだけど………あなたは罪深い人。私の心を盗むなんて」
「え??何を言っているんですか???」
小鳩は鈴女の事を何も知らない。もちろん、別名『変態妖精』と呼ばれていたりすることも。
「失楽園………これも愛の形なのね」
「いや、ですから…………」
小鳩の目の前で突然、鈴女は巨大化した。
巨大化、といっても普通の人間と同じ大きさになったに過ぎないのだが、小鳩を驚かせるには十分だった。
情熱的な唇。美神に負けないナイスバディ。人間にない魅力。
扇情的な瞳で、小鳩を見つめる。
「小鳩………私を抱いてぇ!!」
鈴女は突然小鳩に抱きついた。豊満な胸を小鳩の顔に押し当てる。
「キャァァァァァァァァアアアア!!!!ムゴッ」
「私、特訓で10分間も体を大きさを維持できるようになったの。だから大丈夫よ!」
「大丈夫って……うう……な……なにが……」
「決まってるじゃない…………♪♪♪」
鈴女は小鳩の耳の後ろに熱い息を吹きかけた。しなやかな指が彼女の首筋を………
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
…………小鳩は鈴女の腕を振りきると一目散に逃げ出した。「どうしたんや小鳩?!真っ青な顔をして!」
「だ、だいじょうぶよ貧ちゃん…………ちょっと、危なかったけど………」
逃げる小鳩に鈴女は追いすがったが、ちょうど事務所に帰ってきた『ダーリン』美神によって鈴女はしばき倒され、小鳩は事なきを得た。残念。
「なんや残念ってのは?」
えーと………小鳩は貧に心配をかけまいと気丈に言葉を続ける。
「大丈夫よ貧ちゃん。命に危険があるわけじゃないし………いろいろ刺激的で楽しいわよ」
小鳩は無理な笑顔を浮かべた。
景気さえ良ければ、彼女が無理なくこなせるバイトだってたくさんあったはずだ。
よりにもよって所長が魔物みたいな除霊事務所になど行かなくとも。
《この子がバイトできる年齢になったとたんに、世の中このざまや………》
『生まれついての貧乏神』。この言葉を彼は重く感じた。一ヶ月が過ぎた。今日で、長かったような短かったような美神除霊事務所でのアルバイトは終わった。
いろいろな事があった。でも、楽しかった。
美神はなにかとセクハラ的なバイトのお詫びとして、バイト代に少し色を付けてくれた。美神の荒稼ぎに比べればごくささやかなバイト代であったが、小鳩にはたまらなく嬉しかった。
《誕生日は明日だけど、今日の内に………》
小鳩は踊るような足どりで、あるデパートに向かった。「ただいま、貧ちゃん」
「おかえり。なんや?その大きな包み?」
小鳩は悪戯っぽい笑顔を浮かべると、赤いリボンをきれいに掛けた包みを貧に差し出した。
「一日早いけど、貧ちゃん、誕生日おめでとう……………!」
「…………小鳩、まさかこれのために、美神のねーちゃんのところでバイトしとったんか?」
小鳩は曖昧な照れ笑いを浮かべる。
《バカな子や…………なぜ自分のために使わへんのや………》
貧は心の中で呟いたが、もちろん怒ったわけでもバカにしたわけでもなかった。
「今、開けてもええんか?」
小鳩は黙って頷く。
包みから出てきたのは、真新しい、美しいメキシカンハットだった。
「…………どうかしら?貧ちゃん」
貧は自分のメキシカンハットを取ると、プレゼントされたばかりのハットを大切そうに被る。
「どうもなにも…………ありがとうな、小鳩…………どや、よく似合うやろ?」
小鳩は嬉しそうに頷いた。
「小鳩はいいセンスをしとる………あ、そうや、ワイからも一日早いが小鳩への誕生日プレゼントや」
貧は懐から封をしたきれいな封筒を取り出した。
「わあ…………ありがとう、貧ちゃん…………今、開けてもいい?」
「ごめんな、小鳩………それは明日まで開けないでおいてくれへんか。そして大事に持っていて欲しいんや」
「え?」
「明日の楽しみや」
「うん。わかったわ。………あ、もうこんな時間。ご飯の支度しなくちゃ…………貧ちゃん、明日はごちそうにするわ。お母さん、もうちょっと待っててね」
貧は忙しく食事の支度をする小鳩をじっと見つめた。
《小鳩、誕生日のごちそうは自分で作るもんやない………》
かと言って自分に金があるわけではない。
《なにが『神の端くれ』や…………お笑い草や…………》
ホテルの最上階のこの部屋からは、満天の星空のような新宿の夜景が一望できる。
「きれいね…………」
美しいドレスに着飾った美神令子は、彼の肩に軽く頭をよりかけ甘えるように囁いた。
「陳腐なセリフだけど………君の方がずっときれいさ………令子」
アルマーニのスーツをいやみなく着こなした青年が、静かに呟く。
「忠夫…………」
「横島君、でもいいよ」
美神は少しふくれたように呟いた。
「意地悪…………」
横島は困ったような笑顔を浮かべる。
美神は窓際のカーテンをサッと閉じてしまった。これからの2人の時間を、美しい夜景にすら邪魔されるのはイヤだと言うように。
室内にはほのかな明るさの間接照明しか点いていない。
美神は横島から離れた。横島はカーテン越しに滲んで見える都会の夜景を、まだ、見つめていた。
人々の息吹だ…………
多くの悪霊を相手に、美神たちと共に戦ってきた横島には感慨深いものがあった。
自分ただ1人が、この世界を守ってきたのだ、などとは思わない。
この明かりの元に生きている人々のほとんどが、彼の存在すら知らない。
だが、それでよいのだ、と横島は思った。
公園で遊ぶ子供の声。ドラマの話を熱心にしながら学校へ行く高校生。
そんななんでもない人々の姿を守るために、これからも戦い続けるのだろう。
そして、愛する人のために。
…………彼の背後で、衣擦れの音が聞こえた。
ゆっくりと横島が振り返ると、ドレスを脱ぎ、黒いレースの下着とガーターベルトだけを着けた美神が、頬を赤らめて立っている。
「あまり見ないで…………まだ、恥ずかしいわ…………」
美神は恥ずかしそうに俯いてしまった。
横島は少しおかしそうに首を傾けると、ゆっくりと美神に近づく。
「顔を上げて、令子…………愛してるよ………」
「僕もだよぉ、横島君!!!」
顔を上げた西条が、ニヤッと笑った。「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
人食い鰐に足をかじられたかのような絶叫を上げて、横島は目を覚ました。
時計は午前2時を指し示している。
「こ、殺す西条…………俺の幸せを踏みにじりやがって!」
いいがかりもこれ以上のものはない。
「あとちょっと、あとちょっとだったのに……………」
残念。
「それはもーええんや。…………長々と夢オチやりおって。ハイスクール奇〇組かいな」
横島は驚いて枕元を振り向いた。そこには、真新しいメキシカンハットを被った小さな人影が立っていた。
「なんだ、小鳩ちゃんのところの貧乏神じゃねーか。…………どうでもいいが、古いこと知ってるな」
「こー見えてもお前よりぜんぜん年上や」
そうだったな、と横島は妙に納得した。
「で、こんな時間になにか用か?」
「………横島、今日ワイはお前を男と見込んで頼み事に来たんや」
「金は貸せん」
「お前か美神のねーちゃんに借りるぐらいなら、ゴジラにでも借りに行くわい」
「じゃあ、何の用だ?」
「用と言ったら借金のことしかないんか?」
貧は呆れ、何を思ったか突然笑い出した。
「お前は本当に不思議な奴や。真面目なのか不真面目なのか、かっこいいのか悪いのか本当にわからん。スケベなくせに小鳩やおきぬちゃんには絶対に手を出そうとせん…………矛盾の固まりや。ようわからん」
「お前こそ、何を言っているんだ?」
その問いに貧は答えず、構わず話を続ける。
「だが、そんなことはどうでもええ。肝心なのはお前が理由もなく人を傷つけたりしない男だ、という点だけや」
「…………………」
「横島、小鳩が好きか?」
あまりに唐突な問いかけに、横島はすぐに答えることができなかった。
「愛してる、なんて返事が聞きたいんやない……友達としててでもなんでもええ……お前は小鳩が何か困っているときに、力を貸す気はあるか?」
「何を言い出すかと思えば………当たり前だろ、そんなの」
「その『当たり前』ができん奴が多いんや……ワイは沢山見てきたんや………貧乏というだけで迫害しようとする奴等をな。もっともそいつらにも、貧乏をプレゼントしてやったがな。………それで花戸家が裕福になりはせんかったが」
「………………」
「小鳩は、人が良すぎる。自分の幸せのために他人を犠牲にしたりは絶対にできん。美徳かもしれんが………ワイが望むのは小鳩の幸せや。小鳩はまだ一人前やない。もうすこしズルさや、色々な経験が必要や………小鳩が一人前になるためには、どうしても友達の助けが必要なんや。横島、頼むわ」
「おい、お前…………」
「お前が助けてくれるなら、他の人間も助けてくれる………文句を言いながらでもな。お前はそんな奴や。…………約束、してくれるか?」
「約束はともかく、お前は何を………」
「今日のことは小鳩には内緒や。………頼むで」
ふいに、貧はかき消えてしまった。
横島はキツネにつままれたように、枕元を見つめていた。「横島さん!」
わざわざ横島のクラスまでやってきた小鳩は、横島の姿を見かけると嬉しそうに声を掛けた。
「小鳩ちゃん……どうしたの?」
「今日家で私と貧ちゃんの誕生パーティをやろうと思うんです………あの、それで、横島さんにも、来て欲しいな、なんて………」
見るからに小鳩は恥ずかしそうにしていたが、横島はまったく違うことを考えていた。
「なあ、小鳩ちゃん………貧乏神、最近おかしなところないか?」
小鳩は質問の意味がすぐには判らず、キョトンとしていた。
「え?…………つい最近まで突然出かけてしまうことはあったけど………最近は別に……今朝もいつもと同じでしたよ。貧ちゃん、どうかしたんですか?」
「いや、なんでも………あ、パーティ、必ず行くよ。他に誰か誘う?」
本当は横島1人に来て欲しかったのだが、さすがにそこまで口にする勇気がなかった。
美神さんやおきぬちゃんも呼んで欲しい、と小鳩は横島に頼む。
美神さんは来るかどうか判らないけど、おきぬちゃんは来てくれるだろう、と横島は考えた。「ただいま……」
返事はなかった。居間を覗くと、小鳩の母が眠っている。
《貧ちゃん、何処に行ったのかしら?》
また誰かに会いに行ったのかしら、と少し漠然と不安を覚えた。
そういえば、誰に会いに行っていたのか、小鳩は知らない。
なんとなく話を逸らされ、触れてはいけないような雰囲気だったからだ。
?
テーブルの上に、封筒が置かれていた。
その封筒には、汚い字で【小鳩へ】とだけ書かれている。
《この字………貧ちゃんの?》
小鳩は封筒を手に取った。中には、貧が小鳩に宛てた手紙が収められていた。
…………………………
小鳩が手紙を読み終わった頃には、彼女の顔から血の気が失せ、足はガクガクと震えていた。
《ウソ…………そんなの嘘よ……》
小鳩は自分が泣き出す前に、手紙を掴んだまま外へ走り出した。
頼れるのは、あの人達しかいなかった。「サギ!サギだわ!これは国家の陰謀よ!!」
「どうしたんですか美神さん!」
珍しく新聞を真面目に読んでいた美神の絶叫に、おきぬと横島は緊張した。
「1000枚も買ったのに6等しかあたってないわ!大赤字よ!!」
「はあ?」
「グリーンサマー宝くじよ!当たりなんてないんじゃないの?」
「………珍しく新聞読んでると思ったら宝くじっスか?」
「なによそのバカにした態度は。少ない元手でがっぽり大金、当たればこんなおいしい話はないのよ」
「…………霊視とかできないんスか?」
「現在は『ラプラスの回転的』を使って、予知や霊視ができないよう対策を立てられているわ。………ダメねえ。宝くじは。地道に働くのが人間の正しい生き方かしら?」
この人に言われたくないものだ、と横島は思ったが、もちろん口に出しては言わなかった。
思いつめた顔をした小鳩が事務所に現れたのは、まさにそんなときだった。
今にも泣き出しそうな目をしていた。『 小鳩へ
突然ですまん。何の説明も、挨拶もできずに、ワイは小鳩の元を去らねばあかん。
許して欲しい。どうしても出来なかったんや。小鳩に別れを言うことも。約束を守ってやれなかったと言うことも。
今はもう、本当はワイが貧乏神でないことは知っているやろ。ワイは福の神になった。
はずやった。けど、ワイは福の神としての力をまったく発揮できず、今日に至った。
ワイは生まれつき、ワイは根っからの貧乏神やった。
そのことで、小鳩には長い苦労をかけた。
けど、それではダメやと思った。小鳩のために、福の神としての力を付けるように、実は、努力していたんや。ホンマやで。
そして、ようやっと福の神としての力が付いたと思ったとき………
この国を治める神から、天界へ帰るよう命じられたんや。
ワイが貧乏神でなくなった以上、花戸家にいる意味はない。それどころか、なんら徳を積んだわけでもない花戸家に福の神を置くわけにはイカン、と言うことらしい。
そして、どうもワイの力が必要らしい。
ワイは逆らった。けど、情けないが神の端くれたるワイには、上級神の指示は絶対や。
このまま小鳩の元にいても、ワイの福の神としての力は封印されてしまう。
呪いも解けた今、このまま小鳩の元にいるのは小鳩に迷惑をかけるだけや。
ワイは、天界に戻ることにした。
本当は、小鳩が一人前になるまで側にいてやりかった。
でももう小鳩は1人やない。呪いも解け、横島や美神のねーちゃん達もいる。
だから、お別れや。
最後に、神さんがな、先祖の罪を小鳩に被せた償いとして一度だけ、ワイの力を使うことを許してくれた。それで許してほしいそうや。
ワイが小鳩に絶対に与えることのできなかった幸せや。誕生日プレゼント、大切にしてほしい。
元気でな、小鳩。
貧 』美神はその書き置きを読み終わると、小鳩に視線を戻した。
「それだけ、それだけを置いて姿を消してしまったんです!」
「そうか、それでアイツ………」
「横島さん………そうだ、横島さん、貧ちゃんのこと何か言ってましたよね!?」
横島は小鳩の気迫に押されて、夜の出来事を話してしまった。
貧に口止めされていたが、横島は約束したわけでもない。
「そ、そんな………それじゃ」
小鳩の顔がますます青ざめた。
あからさまに狼狽えている小鳩に、美神は何も言わなかった。
「美神さん、どうしたら、どうしたらいいんですか!?」
「どうしたら?」
美神は腕を組んで、小鳩をジッと見つめる。
「どうしようもないわ。神の決定と貧乏神の決意よ。人間にどうしようと言うの?」
「そんな!………」
「………あなたにはわからないの?貧乏神の決断を。この誕生日プレゼントってやつ、今持ってる?」
「はい、大切に……」
小鳩は財布の中から貧から貰った封筒を取り出し、美神に渡した。
「封を開けるわよ。…………やっぱり、ね。」
「何ですか、美神さん?」
おきぬは封の中身をのぞき込んだ。
「宝、くじ………」
「貧乏神が絶対に与えられない幸せと言えばこれしかないわ。…………あたりよ。一等前後賞」
横島は息を呑んだ。
「一等前後賞って…………」
「1億円ね」
ひどくアッサリと言い、美神はその宝くじを小鳩に差し出した。
「あの貧乏神は本当に、あなたの側にいたかったんだと思うわ。でも、それができないばかりか、あなたをより不幸にしかねない。だからあなたの元を去ったのよ。…………この幸運と引き替えに」
「でも美神さん、宝くじはインチキできないんじゃ………」
横島は素朴な疑問を挟んだ。
「霊視と幸運は別物よ。幸運は人間にどうこうできるものではないわ」
差し出された宝くじを、しかし小鳩は受け取ろうとはしなかった。
「…………いや、そんなのいや、私は、私は、貧ちゃんに側にいて欲しかった…………そんな、そんなもの……」
ついに堪えきれなくなったのか、小鳩は泣き出した。
「甘えないで!!」
ピシャリと美神は言い放つ。
「あなたは甘えてるのよ。あの貧乏神に。もう一人立ちしなくてはいけないのよ!」
「甘えてません!!」
小鳩は普段の彼女からは信じられないような鋭い声を上げて、美神を睨んだ。
もしかしたら誰かを睨むことすら、生まれて初めてだったかもしれない。
「私は、私には………私にはいなかったんです………父は死に、母は病弱で、どんなに困っているとき、どんなに悲しい時、どんなに辛いとき、助けてくれた人は、守ってくれた人はたった1人しかいなかったんです………うまく言えないけど、私の、私の大切な家族に、もう少し、側にいて欲しかった………私を見届けてほしかった!!」
小鳩はそれだけ叫ぶと事務所から飛び出していった。
横島とおきぬは止めようとしたが、間に合わない。
美神は持ち主を失った宝くじをひらひらと振ってみた。
「………バカな子………素直に育て過ぎよ、貧乏神」
おきぬはその美神の口調から、怒りや侮蔑を感じなかった。
美神は宝くじを見つめながら、なにやらぶつぶつとつぶやき始める。
こんな時は、彼女の頭脳はめぐるましく算段をたてている。ゴーストスイーパーは力だけではやっていけないのだ。
「………一度だけ……………償い…………神の、『面子』……………」
瞬間、美神はニヤリと笑ったが、すぐに大きく溜息をついた。
学者が自分の計算どおりに実験がうまくいったものの、得られた答えにいまいち満足していない、そんな表情をしていた。
「あとはあの子の決断次第かしら………横島君、ちょっと」
美神は横島を呼び寄せると、何事か話し始めた。春の風が渡る。
まだ緑色の草が生え揃わない土手に座って、小鳩は、黙ったまま空を見上げていた。
《………小鳩が大きくなるまでや、小鳩が立派な大人になるまで……》
「約束、してくれたのに…………」
小鳩は自分の右手の小指を見つめる。幼い日の暖かさが、まだその指に残っているかのようだった。
頭では、わかっている。でも、心が納得してくれない。
出会いがあれば、別れもある。
言う方は妙に納得し、聞かされる方は詭弁にしか聞こえない言葉だ。
そんな言葉だけで割り切れるものなら、大切なものは何一つ得られない。
「………探したよ、小鳩ちゃん」
突然後ろから声をかけられた小鳩は、泣きはらした目で振り向く。
そこに、息を弾ませた横島が立っていた。どこかをかけずり回っていたようだ。
「横島さん………」
「悪かったね、小鳩ちゃん。美神さんはまあ、ああいう人だから………」
小鳩はゆっくりと首を振った。
「私、美神さんにとんでもないことを……わかっているんです。美神さんの言いたかったこと…………でも………」
「でも、まだ側にいて欲しい?」
無言で小鳩は頷いた。
「貧ちゃんは、約束してくれました。私が一人前になるまで側にいてくれるって………甘えたいんじゃないんです。口で言うのはむずかしいけど、もっと、たくさんのことを話したかった。もっとこれからのことを話したかった………」
「……………」
「今日までのことを話したかった………『ありがとう』と、言いたかった………小鳩を、見ていて欲しかった…………」
自分には、『あんな』親父とお袋だったけど、自分の側にいてくれた。今ははた迷惑なだけだが、本当にいなくなってしまったら、自分はまったく平静でいられるか。
ましてや、小鳩ちゃんの立場だったら、どうか。
茶化してはいけないことを茶化さないのが、横島の良いところだった。
横島は黙ったまま宝くじを小鳩に差し出す。
「いりません!そんなの!!」
一時的に静まっていた小鳩の心が波打ち立った。横島に怒鳴ったことなど一度もなかったのに。
もっとも、横島はまったく怒らなかった。
「こいつが貧乏神を呼び戻す切り札だとしても?」
「え………」
「けど、成功するかどうかはわからない。もし失敗したら、貧乏神の思いやりを無に帰してしまうことになる………と、美神さんが言っていた」
「………………」
「まあ、へそ曲がりな人だから………方法を、知りたい?」
「………ありがとう………横島さん、美神さん………」横島は手短に方法の理屈を説明する。
「…………そんな簡単なことでいいのなら、やります!」
「金は縁の力が強いから、こうする他ないらしいけど………でもなぁ、やっぱりもったいないよ」
「横島さん!」
小鳩は少しふくれて見せた。横島が本気で言っているのではないことはわかっている。
《どうしてこの人は、素直にカッコをつけられないのかしら?》
小鳩の胸の内までは判らず、横島はニッと笑った。
「1億円の、大バクチかな」「♪わたぁしが〜福の神なら〜〜いい〜のにぃ〜〜〜」
元歌は間違いなく國府田マリ子の『私が天使だったらいいのに』なのだが、貧のなかばヤケクソ的な歌からは元歌を連想することは難しかった。
《もう街も、あんなに小さく………》
彼はまだ天界にたどり着いてはいなかった。行こうと思えば、すぐにもたどり着く。
だが彼はとてもそんな気にはなれなかった。
引き返すことは許されない。
彼のせいぜいの反抗は、ゆっくりと天界にたどり着くことぐらいだった。
いずれ日本も小さくなって行くだろう。
《これでよかったんや》
貧は声に出さず、胸の中だけで呟いた。
《小鳩だって、遊びたい、おしゃれもしたい盛りの女の子や。ワイよりも、あのプレゼントの方がずっと役に立つ。横島や美神のねーちゃんがついていれば、誤った使い方もしないやろう》
貧はメキシカンハットをもう一度落ちないようにかぶり直すと、遠くなった街を見つめながら最後に一言だけ、呟いた。
「幸せにな………小鳩」
貧はもう迷わずに、ひたすら、天を目指した。
…………………………
あれ?
貧はただならない『異常』に気がついた。
《なんや………高度が落ちてる???》
貧がそう気がついた瞬間、彼の体がガクン、と『落ちた』。
ウヒヤァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!
貧は地球の重力に捕まった隕石のように、地表めがけて落下を開始した。ドコーン!!と派手な音と土煙を上げて、貧は地面にめり込んだ。幸いなことに、落ちたところは土手の盛り土のところだったようだ。
「うう………なんでや?」
貧は昔の漫画よろしく穴から這い出してきた。神の端くれはもちろん、傷一つつかない。
「オバQは似あわんぞ、貧乏神」
突然かけられた声に貧が驚いて顔を上げると、そこには横島と…………泣きそうな目でこちらを見つめる小鳩が、いた。
「小鳩、横島…………なんでや?」
その時になって初めて、貧は煙臭さを感じた。横島の足下で、何かが燃えていることに気がついた。
何が燃えているのかも。
「お、お前!!それはワイが小鳩に送った、た、たた」
「ああ、これか」
横島は燃えている紙切れを手に取ると、ヒラヒラと振って見せた。
「俺が奪って、燃しちゃた。一億パー♪」
「な、なにを…………」
「当たった宝くじを燃やすのがシュミなんだ。もったいないよなー。……まあ、そんなわけでお前の小鳩ちゃんへの償いは実行されていないわけだ。だからお前は戻ってきたんだろ?」
「お前………」
「いわれもなく不幸にした女の子への、たった一度の償いもできないんじゃ、神様の面子も丸つぶれだ」
「丸暗記なセリフやな………こんな強引な裏技、美神のねーちゃんの入れ知恵やろ」
その問いに横島は答えなかった。
「………正直、うまくいくかは半信半疑だったがな。こんな手二度は使えねーな」
「…………ワイはお前にたのんだハズや。小鳩を頼むと」
「約束した覚えはないぞ。それに『小鳩ちゃんが困っているときに』力を貸してあげたじゃねーか」
「小鳩………」
貧は気まずそうに小鳩に視線を移した。
小鳩は涙をためた目で貧を見つめている。
あかん。幾つになってもこの子の涙に勝てそうもない。
小鳩はそっと貧の手を取り、ゆっくりと話し出した。
「貧ちゃん………私はお金なんか絶対に受け取らない。だって、お金では私は幸せになれないもの」
「………………」
「私は、私が大好きな人達と生きて行きたい………お母さん、横島さん、美神さん、おきぬちゃん…………貧ちゃん。それだけが、私を幸せにしてくれる…………だから、貧ちゃん、まだ行かないで。貧ちゃんは私を幸せにしてくれなくてはいけないの。福の神の力なんて、いらない……………1億分の………幸せを…………」
小鳩には、そこまで言うのが精一杯だった。あとは涙に詰まって、声にならなかった。
貧はメキシカンハットを目深にかぶりなおした。
自分の表情を、見られたくはなかったから。
「…………バカな子や……………」
その声に、侮蔑は感じられなかった。
「……逆らってみるか、神さんに……………」
横島はそっぽを向いたまま、わざとらしい欠伸を一度だけした。
宝くじの燃えかすは、春の風に吹かれてどこかへと、消えていた。
「小竜姫様ァ!小竜姫様ァ!!」
「どうしましたか。左の」
妙神山。
特に修行者もおらず、のんびりとお茶にしようかと思っていた小竜姫は、声だけはデカイ左の鬼門に午後の静寂を破られた。
デカイ声はいつものことです。たいした用事でもないでしょう。
「手紙と届け物が届いております」
ほら。やっぱりたいした用事ではない。しかし小竜姫は手渡された手紙の送り主の名を見て、少なからず心を動かされた。
「珍しい、美神さんからだわ。………式神の速達で送ってくるなんて」
小竜姫は手紙の封を切り、たいして長くもない文面に素早く目を通した。
最初は無言だったが、読み終わった直後に思わず笑ってしまった。
「まあ珍しい。あの人が人のためにここまで手を回すなんて………」
手紙を封に戻しながら、小竜姫は呟いた。
「美神さんにはだいぶ借りを作ってしまったし………福の神が1人、地上に留まれるようにするぐらいの工作はしてあげましょう。福の神としての力は失うでしょうが」
小竜姫は左の鬼門に届け物を開けるように命じた。
「…………神族に頼み事をする届け物が、インスタントコーヒーのセットと台湾バナナですか………まあ、あの人らしいわ」
ズルはしても媚びを売らない姿勢に、何となく好感を覚えた。
《それにしても美神さん……………天界に福の神が戻らないんじゃ、日本はまだまだ不景気が続くわよ………フフッ、案外、バカな人かもね…………》
それは福の神が天界に戻らなかった結果を、美神がわからなかったことをバカにしたものではなかった。
たぶんわかっていた上でこんな頼み事をしてきた美神への、率直な評価だった。「ハーークション!!!!」
美神にコーヒーを差しだそうとしたおきぬは慌ててカップを引っ込めた。
「花粉症ですか、美神さん?」
「古典的ね………誰かが噂をしているのよ」
「それはきっと良い噂ですよ」
「なぜ判るのよ?」
美神の前にコトリとコーヒーカップが差し出される。
「小鳩ちゃんを助けてあげたじゃないですか」
「…………あの子の1億円が無駄になれば、次に宝くじを買ったとき私が当たりやすくなるわ」
「そーゆーものなんですか」
おきぬは美神の部屋を出るまでの間平静を装っていたが、廊下に出ると声を殺して笑ってしまった。
《どうしてあの人は、素直にカッコをつけられないのかしら?》
誰かが誰かに思ったことと同じことを、おきぬは思った。人それぞれの幸せの間を、春の風が吹き抜けていく。
『終』