「そこが好きッッ」
byニコのり。
あれから半年経った。
「好き」と言われてうなずいたあの日からもう半年。
美神令子は小さくため息をついた。
右手にアイスレモンティー、左手には次の仕事の資料を持って。
資料を見ているようでも、実は心は上の空だった。
最近、ある大きな悩みができたのだ。
美神がもう一度ため息をついたとき、突然ドアが開いた。
「美神さぁん」
「……ッ。いきなり開けないでよッッ!」
美神は顔を真っ赤にして、椅子から飛び上がるように立ち上がって、机にバシンッと勢いよく手をついた。
レモンティーのコップが地面に落ちるのとともに、コップが砕け散った。
「ああスンマセン!スンマセン!!」
咄嗟に防御体制をとった横島を見て、美神は少し膨れた。
「いくら私でも殴ったりしないわよ…。それより何?」
椅子に座りなおすと横島を見上げた。
「あ、いやこの資料が……」
資料を手渡すと割れたコップを片付けはじめる横島。
その姿を見ながら、美神は小さくため息をついた。
美神の悩みのタネはこの男、横島忠夫だった。
2人が出逢ったのはもう7年も前のこと。
美神の除霊事務所の助手としてアルバイトをしていた横島も、今となってはすっかり一流のゴーストスイーパーだ。
そんな横島の霊力の源は煩悩パワーだった。
さすがに今はそればかりではないのだが。
しょうもないドスケベで、美神はいつもセクハラを受けてて…それでも美神は横島を愛してしまったのだ。
半年前に横島から愛を告白されるまでは、なんとか自分の気持ちに意地をはっていたけれど。
「美神さん?どうかしたんスか?」
ぼーっとしていた美神の顔を横島が覗き込む。
その覗き込んだ横島の口唇がなぜか近づいてきた。
バキッッ
威勢のいい音が響いた。
横島は右頬をグーで殴られて、床に倒れこんだ。
「あ…」
「なんでなんスかッ!俺ら恋人同士ッスよねッ?」
美神は首までも赤くして俯いた。
「恋人…だけど……」
ためらう美神。
「…俺、仕事行ってきます」
横島は部屋を出て行った。
俯いたまま口を抑える美神。
美神の悩み。
それは――――。
2人は未だにキスもしていない。
横島のアプローチがないはずもない。
美神は横島をちゃんと愛している。
なのにしたくない。
というより、できないのだ。
美神はその場に崩れ落ちるように座り込んで、ため息をまた一つ。
今日、何回目のため息をついたんだろう…?
しばらく経って、夕飯の買い物を…と、美神は商店街に繰り出した。
「美神さんッ!?お久しぶりです!!」
背後から懐かしい声がして、振り向くとそこにはおキヌが立っていた。
「おキヌちゃん!!」
一瞬目を疑ったが、すぐに再会の嬉しさに変わった。
「お買い物ですか?」
「あ、うん。最近は仕事は横島クンにまかせっきりだからね…」
「横島さんかぁ、もう半年ですよね。わたしが美神さんの事務所を卒業して…横島さんと美神さんが恋人同士になってv」
キラキラとつぶらな瞳を輝かせながら問うおキヌ。
すっかり恋愛話に興味津々な女の子だ。
「うまくいってます?」
その言葉に美神の表情は一瞬で暗くなった。
「うーーーん……。私たち、まだキスもしてない…っていうか…その…」
俯き加減に顔を赤らめて美神は呟いた。
「…………。え、えーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!???」
周囲の人たちがみんな振り向くくらいの驚き方をしたおキヌの顔は、目を丸くして、信じられないという表情一色だった。
「しーーーーッ声がでかいってば!」
「ああ、スイマセン…。それにしても、なんでです??あの横島さんが…!?」
「うん…。なんていうか…横島クンは、私の体だけが好きなんじゃないかって思っちゃって…」
俯いたままの美神を見て、おキヌも小さくため息をついた。
「横島さんに、聞いてみたらいいじゃないですか」
ニコっと優しく笑うおキヌ。
「そんなこと私ができるわけないでしょ!!」
「私も…今、恋してるんですけど…やっぱり、相手を信じてあげるのが一番ですよ。ねっ」
おキヌは小さくガッツポーズをして見せた。
「え、おキヌちゃんに?」
仕事から帰ってきたばかりの横島にのようにおキヌとの再会の話をする美神。
すっかり定着した一緒に夕飯。
「そっかぁ…おキヌちゃんが恋を…ちくしょお…」
嬉しいような悲しいようなという顔で箸をギュッと握り締める。
そのおキヌへの冗談にも少しやきもちを焼きながら
「元気そうだったわよ。アンタにも逢いたがってたし」
食べ終わった茶碗を机の上に置いて、腕時計をちらりと見た。
デジタル時計の数字はすでに19時をさしている。
「ああっと、早く帰らなきゃ」
すぐ横の椅子に置いてあったカバンを持って、いつものように部屋を出ようとした。
「帰るの?」
ドキドキしつつもすました顔でふと言ってみる。
「帰るのって、え??」
「あしたの仕事は朝早いから泊まってっちゃえばってことよ」
美神の顔は真っ赤に染まっている。
「え、あ、じゃあ早速…」
横島も顔を赤らめて咄嗟に美神に跳びかかった。
「なにするのよッッ」
美神のパンチが横島の下腹部に見事に決まった。
横島はお腹を押さえつつ
「…そーゆーことじゃなかったんスか…」
「そーゆーことじゃないわよッッッ」
突然美神の頬を涙が流れた。
「…えッえッ!?ど、どどどどどどうしたんッスかッ。ケガでも…」
「横島クンは、私のどこが好きなの?」
美神が潤んだ瞳で横島をまっすぐ見つめる。
横島はその表情にドキッとした。
「どこって…いきなりなにを…」
「…私の体がなかったら、横島クンどっか行っちゃう?」
いつもと違う美神の表情に戸惑いつつ、
「…敢えて言えば、全部ッスよ?意地っ張りなトコとか、照れ屋なトコとか…お金にはうるさいけど、そこもまたかわいいかなって感じで…」
ポリポリと右手の人差し指で右頬を掻いて、横島は照れ笑いをした。
美神は胸がぐっと熱くなって、横島の胸に額を当てて寄りかかった。
「…美神さ…?」
横島も美神の細い体を抱きしめる。
泣いている美神を支えるようにそっと。
「俺、美神さんのこと大好きッスよ。うん。愛しちゃってます」
横島の胸に顔をうずめる美神の頭に、軽く顎をのせながら自分に確認する。
美神の耳に横島の心音がクリアに伝わる。
ドキドキしているせいか、心拍数はすごく早かった。
「体だけなんて、そんなら美神さんである必要ないじゃないッスか」
美神の頭をポンポンと軽く叩く。
頭に横島の優しい吐息を感じて、涙が次々と流れ落ちる。
横島はそんな美神をただただ優しく抱きしめていた。
翌日。
「ん…」
差し込んでくる日の光の眩しさに目がさめて、気がつくと自室のベッドの上。
「…横島クン?」
横島はいない。
そうだ。
泣きつかれた美神を横島がベッドまで運んでくれたんだった。
そしてそのまま眠りにつくまで、ずっと手を握ってくれていたんだ。
昨日のことを思い出し、にやけながら服を着替えてキッチンに向かった。
近づくにつれてだんだん大きく聞こえてくるテレビの音と、横島の気配。
「あ、おはようございます」
「…もう行くの?」
「そうッスね。もう…。お昼くらいには終わると思いますけど」
ネクタイをぎゅっとしめて腕時計を見る。
美神は軽く微笑んでせっかくしめた横島のネクタイをぐいっと引っ張ると、近づけた横島の口唇にそっとキスをした。
「…………!?」
「お風呂はいって待ってるから。体力たくさん残して、早めに帰ってきてよね」
顔を真っ赤にしてコク、コクっと頷く横島。
「ほら、行ってらっしゃい」
横島の背中をポンっと押して、笑顔で横島を見送った。