南米某国
アマゾン川流域にある公彦の研究施設、施設とは名ばかりの丸太小屋に研究機材が所狭しと並んでいる。僅かな生活空間、発電機による電気はあるもののガスも水道もない不便な生活、そんな環境にあってさえ美神美智恵は満ち足りた日々を送っていた。
熱帯独特の緩やかな時間、公彦との夫婦水入らずの生活が、戦いの日々にはない安らぎを与えてくれる。
周囲20kmに集落のない、外界と遮断された環境が、自分にはお似合いだと美智恵は思っていた。
掃除の手を休め、公彦の机にある写真立てを手に取る。
中学生の令子、素顔の公彦、美智恵が写真の中で微笑んでいた。
ちょっとだけ複雑な家族、しかし、少なくともあの頃は家族そろって笑うこともできた。
令子を独りにしてしまっている事に心が痛む。
「自分の死が、どれほど令子の心に暗い陰を落としたことか・・・・・」
このことを考えると、美智恵はいつも暗い気持ちになってしまう。
気持ちを切り替えるように頭を振ると、美智恵は再び雑巾がけを始める。
「荒れた時期もあったけど、令子は無事に成長している。」
現在の令子は、都内に除霊事務所を開いたばかりだった。
多分、今頃はあの男の子と出会っていることだろう。美智恵は思わずクスリと笑ってしまった。
令子のわがままに唯一耐えられる男の子、今はただのセクハラ小僧かもしれないけど、彼はこれから先、令子を支え続けてくれるはずだった。
そしてそう遠くない未来、成長した彼は世界の危機を救う。
ガー、ガガッ
無線の受信音が、美智恵を現実に呼び戻した。
研究報告のために帰国していた、公彦からの連絡だった。
「今、空港に着いた。明後日にはそちらに着けると思う。」
「久しぶりの日本はどうだった。」
「日本中が好景気に浮かれ建築ラッシュさ。町並みがまるっきり変わってしまっていたよ。
君は知っているだろうけど、僕は多少面くらってしまった。」
危険を最小限に抑えるため、美智恵は公彦に未来のことは話していない。
公彦は最後まで令子を独りにすることに反対していたが、未来の令子は幸せになるという言葉を信じ、
美智恵の隠遁生活に協力していたのだった。
「令子には会えた?」
美智恵は、令子の事務所へ顔を出すように頼んでいた。
実の娘とその助手のあけすけな男の子、公彦の能力を気にする必要は無いと思っていた。
「相変わらず、会ってはもらえなかった。仕方ないと思ってはいるものの、正直堪える。」
公彦は自嘲気味にそう言うと、人伝いに聞いた評判を話し始める。
「近所の評判だと、独りでよくやっているらしい。バイトの助手が長続きしないのと、お金に汚いのが玉にキズだそうだ。」
公彦の何気ない報告に、美智恵は戦慄する。
令子が出会うべき人物に出会えていない。この事実は来るべき戦いでの敗北を意味していた。
「あなた・・・・・・、急いで調べてほしいことがあるの。」
美智恵は、動揺を隠せずにいた。ただならぬ雰囲気に公彦も緊張する。
「人を捜してほしいの。現在の住所はわからないけど、小学校までは大阪にいた男の子で今は高校生になっているはずよ。名前は横島、そう、横島忠夫・・・・・」
青ざめた表情で、美智恵は横島の名前を口にした。
数日後
公彦のもたらした事実に美智恵は打ちのめされていた。美智恵の手に、日本からFAXされた当時の新聞が握られている。
横島忠夫は、小学6年の春休みに死亡していた。
デパートで行われたミニ四駆大会の帰り道、何者かによって殺害されたと新聞に書いてある。
美智恵はテーブルに両肘をついた姿勢で手を組む。考え事をするときの癖であった。
「妖物による犯行の可能性も高く、犯人は未だに捕まっていないそうだ。」
出張の荷物を片付けながら、公彦はついでに調べてきた情報を口にする。
「当時としてはかなり騒がれた事件のようだね。僕も何となく覚えがある。」
仕事柄、妖物の仕業と思われる事件は全て耳にしているにも関わらず、美智恵はこの事件を記憶していなかった。
「(何者かによって、歴史が変えられている。)」
状況を整理しようと試みるが、動揺のせいでうまく考えがまとまらない。
妻のただならない様子に、公彦はコーヒーを入れると美智恵の肩に手を置く。
美智恵が顔をあげると、素顔の公彦と目が合った。公彦は微笑んでいた。
テレパシーによるストレスのためか、公彦は年齢よりも老けて見える。
目尻に刻まれた深い皺が、彼の生きてきた人生が苦悩の連続であったことを物語っていた。
公彦の無言の励ましに、美智恵は徐々に落ち着きを取り戻していく。
先ほどから感じていた違和感が、徐々に形をあらわし始めた。
「(もし、横島君がいないのなら平安時代にアシュタロスの計画は成功していたはず。
しかし現在、横島君の死を除いて歴史は変わりなく進んでいる・・・・。)」
美智恵の頭にある考えが浮かんだ。
「(私による復元の可能性。そのせいで歴史の修正が行われていないとしたら・・・・・・。まだ、状況は変えられる!)」
美智恵は覚悟を決め、肩に置かれた公彦の手に自分の手を重ねる。
「詳しい事情は説明できません。おねがい、未来のために力を貸して。」
公彦は黙ってうなずいた。美智恵は立ち上がると、机の引き出しから一冊の手帳を取り出す。
手帳には、緊急時用に未来から持ち込んだ唯一の記録、これから起こるはずの落雷の記録が書き込まれていた。
数日後、美智恵は公彦と共に時間移動可能な地点へ向かう。
横島忠夫を救出するために。
199×年大阪
子供達で賑わうデパートのイベント会場、倉庫兼控え室へ通じる通路に美智恵と公彦はいた。イベント会場ではミニ四駆大会の決勝が行われており、それなりの盛り上がりをみせていた。
「今のところ、不審な思考の持ち主はいない。」
マスクをつけていない公彦が、青ざめた顔で言った。
先ほどから、少年時代の横島に殺意を抱いた人物がいないか、周囲全ての思考を読んでいるのだった。
大量に流れ込む思考の渦が、公彦の精神を確実に消耗させてゆく。
「ごめんなさい、辛い仕事を頼んじゃって・・・・・・。」
美智恵は、公彦を気づかうように額の汗を拭く。
「子供ばかりなのが唯一の救いだな。店員の思考意外はほとんどが可愛いものだ。
玩具に夢中な子供と、それを見守る親、僕はこんな風に令子と接することが出来なかった。」
公彦は、優勝を決め表彰台に昇った横島を見つめていた。
幸せのかたちが一つとは限らないわ、と美智恵が言いかけたとき、公彦の表情に緊張が走る。
「来た!観客の中!」
公彦が叫んだ瞬間、観客の一人が急速に膨張を始める。それは、たちまち直径3mの球体に姿を変えていた。
正面に開いた目の下に大魔球3号とかいてあるそれは、周囲に電撃を発し始める。
「行動が早すぎる。こんな事、新聞には書いていなかった!」
美智恵はすぐに飛び出すことができなかった。今回の作戦はあくまでも隠密行動でなくてはならない。
観客の中に、一人でもカメラをもっている者がいれば、この時代の人間に自分の存在を気づかれてしまう。
どうすれば・・・・美智恵は周囲を見回し、ある物を見つけた。
予想に反して会場はパニックにならなかった。
何人かが逃げ出したものの、多くの子供はヒーロ物のアトラクションと勘違いしている。
最初の電撃で、大やけどを負った店員が運び出されたのも演出と思ったらしく、呑気に歓声を上げている親子連れもあった。
横島も、接近する大魔球3号から逃げる様子はない。
ゆっくりとしたスピードで横島に近づく大魔球3号。
突如、横島との間に人影が割り込んだ。放送中の戦隊ヒーロもの、ゴーレンジャーの着ぐるみを着込んだ美智恵であった。色はもちろん隊長色のレッド。
会場から上がった歓声を背に受け、美智恵は神通棍で大魔球3号に斬りかかる。
大魔球3号は、ぎりぎりの所で美智恵の斬撃をかわすと電撃を返した。
美智恵は、間一髪で電撃をかわしと次々に斬りかかる。大魔球3号はその全てをことごとくかわした。
ハイレベルな攻防に、観客が歓声をあげる。
横島もいつしか歓声をあげていたが、その体が突然押し倒される。
横島にかぶさるように倒れ込んだのは、青色のコスチュームに身をかためた公彦であった。
公彦の左上腕部より血が滴っている。敵は二組いたのだった。
「大魔球は陽動だったのか。」
公彦はこちらに向かってくる人影の思考を読む。人影は明らかな殺気を持っていた。
「このままじゃ無差別殺人をやりかねん。人気のない場所まで逃げるぞ。」
こう言って公彦は、横島の手を取って走り出す。
途中、大魔球に苦戦中の美智恵に向かいこう叫んだ。
「ゆっくりとしたスイングで!大魔球3号に強振してはだめだ。」
テレパスで相手の弱点を読む、公彦ならではの援護だった。
公彦と横島はデパートの駐車場に隠れていた。思考を読み、相手の死角へ死角へと逃げてきた結果である。
横島も、ようやく自分の置かれている状況に気付き息を潜めていた。
手には先ほど優勝したミニ四駆の収納BOXが握られている。
「レッド大丈夫かな。」
横島が心配そうにつぶやく。同時に横島の不安な感情が公彦に流れ込んだ。
「心配ない、彼女はあれでものすごく強いんだ。」
「彼女?レッドは男だよ。」
公彦は頭を抱えた。横島の不安を解消しようと力づけるつもりが、逆に不信感をあたえてしまったのだ。南米在住の公彦が日本の子供番組を知るわけがない。
慣れないことはするものではない。今までゴーブルーということで得ていた信頼が、急速に無くなっていくのを公彦は感じた。
「ま、まあ、大人の世界は複雑なんだ。」
苦しい言い訳をしながら、公彦は横島の頭を帽子越しになでる。
「これだけは信じてほしい。僕たちは味方だ、君を助けに来た。」
公彦は仮面越しに横島の目をまっすぐ見つめる。
無言でうなずいた横島からは、もう疑念は感じられなかった。
息子がいれば、こんな感じだったのだろうか・・・。そんなことを考えていた公彦に突然殺意がつきささる。駐車場の入り口に人影があった。
二人を追ってきたのは、何処にでもいるような中年男だった。
誰が見ても、買い物に来たサラリーマンと思うだろう・・・・頭に生えた角を見るまでは。
「だいじょうぶなの?追いつかれちゃったけど。」
「もうすぐレッドが助けに来てくれる。」
不安がる横島を後ろにかばいながら、公彦が言う。
「でも、僕たちがここにいるってレッドは知らないんじゃ。」
「夫婦の間に、言葉は必要ないのさ。」
公彦がこう言ったとき、駐車しているトラックの上から美智恵が男に飛びかかった。
相手は完全な無防備、真上から美智恵の手に持ったお札と神通棍の直撃をうけるはずだった。
しかし、美智恵の攻撃が男に当たる直前、男の周囲をエネルギーの壁が包む。
エネルギーの障壁は、男の持っていた玉から生じていた。
「ケケケ、本当に便利なもんだなー、この文珠ってヤツは。」
はじき飛ばされた美智恵に、男の攻撃が容赦なく浴びせられた。
一つ一つの攻撃はそれほどの威力を持っていない、しかし、文珠を使われたという動揺が美智恵の動からいつもの鋭さを奪っていた。
そうでなければ、美智恵がこれほど一方的に攻撃されることはない。
精霊石の閃光で辛くも逃れた美智恵に、公彦と横島が走り寄る。
「馬鹿な・・・・何で敵が文珠を・・・・・・・」
「しっかりするんだ。弱音なんて君らしくない。」
絶望した声でつぶやく美智恵を無理矢理引き起こし、公彦はその場を離れようとする。
公彦の反対側では、横島が必死に美智恵を支えようとしていた。
横島少年の姿が、美智恵の闘志に再び火をつける。
「そうね、世界の・・・いえ、横島君と令子の未来のために、あいつの好きにはさせない。」
美智恵はレッドのマスクを外すと、ブルーのマスク越しにキスをした。
「あなたは横島君をつれて逃げて。あいつは差し違えても私が倒します。」
そう言って、美智恵は再び男に立ち向かっていった。
公彦は急いで横島の手を引き、その場を離れようとする。
「だめだよブルー。」
横島は、その場から離れようとしなかった。
「レッドが女の人だったなんて・・・・。オヤジが言ってた、女の人は大切にしろって。」
横島は、先ほど美智恵が落とした破魔札を手にしていた。
「これをぶつければいいんでしょう。」
公彦に横島の思考が伝わってくる。
「馬鹿な、そんなにうまくいくわけがない。しかし・・・、」
そう遠くない未来、成長したこの少年が起こす数々の奇跡を公彦は何一つ知らない。
しかし、公彦はこの少年に賭ける気になっていた。
口紅がこびりついたブルーのマスクを外すと、公彦は横島の目を真っ直ぐ見つめ