奏でよ孤独〜ペルソナの叛乱〜


 おぎゃあああぁぁぁーーーーー!!!!
 竜となった小竜姫が咆哮をあげる。そしてそのまま上空へ駆け上がると上からヤマタノオロチを睥睨した。その口元にはうっすらと光が燃えている。
「へっ」
ヤマタノオロチが小さく笑う。その笑いに反応して、というわけではなかろうが、小竜姫はヤマタノオロチが笑ったその直後に火を吐き出した。

 ごっ!

 ヤマタノオロチはその火を避けつつこちらも小竜姫に向かって火を吐く。数条の炎が小竜姫を襲った。だが小竜姫もその炎を軽々とかわす。そして自らの尾を乱暴に振り、ヤマタノオロチに大量の風圧をたたきつけた。
「うおっ」
ヤマタノオロチが一瞬、ひるむ。小竜姫のその期を見逃さない。炎のブレスをヤマタノオロチに向かって思いっきり放った。直撃。

 ずぅぅぅぅん……

 小竜姫は追撃をやめない。更に火を吐きつつヤマタノオロチに接近した。

 バン!

 又も直撃。
 二匹の距離はもうかなり近い。小竜姫は止めを刺しにいった。だが、大きくあざとを開け相手の首に噛み付こうとしたその時、ヤマタノオロチの尻尾が横っ面を叩いた。

 ぱん!

「よくもやってくれたなぁぁぁ!」
まるで子供のようにヤマタノオロチは叫ぶ。そして今度はヤマタノオロチのほうから小竜姫に噛み付いた。

 ガン! ガジ! ガブ!

一度に三つ。途端に小竜姫が悲痛とも怒声とも取れるような雄叫びを撒き散らす。そしてヤマタノオロチの顔面で又も炎を吐き出した。
 さすがのヤマタノオロチもこれにはたまらない。慌てて、噛み付いた牙をはずすと後ろへ逃れた。だが、今度は小竜姫がそれを許さない。短い腕の先についた三本の爪で頑丈にヤマタノオロチに吸い付く。そして先ほどのお返しとばかりに尻尾で相手の顔をはたく。そしてそのまま相手の首に自らの身体を巻きつけ、ぎりぎりと締め上げた。
「がっ! あっ! このっ!」
ヤマタノオロチはそれを慌てて振りほどこうとする。だが小竜姫は逃がさない。ごぱっとヤマタノオロチの口から血のようなものがはき出た。
 今度は別の首が小竜姫に噛み付く。だが自分の一部と小竜姫が隙間なく接しているせいでなかなか思うようにいかない。だが一つの首が小竜姫の角にかみつき、それを引っ張った。するとようやく小竜姫の力が弱まる。それの逃さず、ようやくヤマタノオロチは小竜姫を振り払うことに成功した。
「このっ……!」
ヤマタノオロチは今度は遠慮なく炎を吐く。小竜姫の体勢はまだ立ち直ってはいない。そこで小竜姫は自らも火を吐き出してこれを迎撃。するとヤマタノオロチは別の首を使って小竜姫に火を放った。残りの七条の炎は全て小竜姫の身を焼く。

 ぎゃあああぁぁぁぁぁ!!

 今度は間違いなく痛みから逃れるための叫びだった。どうにか、地面に転がって火を消し止める。
 だが、そのときヤマタノオロチは既に動いていた。霊気を身にまとい、足に力を込める。と、中空にとんだ。足元には小竜姫の体。彼はそれを思いっきり踏みつけた。
 小竜姫は一旦ダメージを食らったものの、すばやくそこから逃れた。そして再び、痛々しいながらもヤマタノオロチと相対した。
 だが、そこまでだった。小竜姫の体が一旦光の固まりになったかと思うとそれが徐々に、徐々に小さくなってゆき最後には元通り、人型の小竜姫へと戻ってしまった。服装は妙神山にいるときの和装へと戻っているが、先ほどの激闘を証明するかのように服は汚れ、傷ついていた。身体や顔にも疲弊の跡が色濃く残っている。息も荒い。
「死ねぇぇっっ!!」
そこにヤマタノオロチが襲い掛かる。
「霊体貫通光!!」
その攻撃は通じることはなくとも場しのぎ程度にはなった。小竜姫の元に二つの影が走りよる。
「西条さんは小竜姫様を連れて一旦逃げて! 私もすぐあとから行く!」
「しかし、令子ちゃん!」
「私には人一人負ぶって走るなんて芸当できないから! 頼んだわよ!」
そして美神令子は小竜姫を庇うように、ヤマタノオロチに立ちふさがった。
「応えて、精霊石!」
狙いは誤らず、精霊石はヤマタノオロチの妨害をしてくれる。後ろを振り向くと、丁度西条が小竜姫が逃げるのを嫌がる小竜姫を無理やり抱き上げたところだった。
「OK! 逃げる……ぶべっ!」
『逃げるわよ』と言おうとして美神は足元にある何かに躓いてアタマから地面に突っ込んだ。
「何やってんのよ! どじね!」
エミが容赦なく罵声を浴びせかけた。
「っつー……」
と足を押さえながら自分をつまずかせた正体を見やる。
 竹筒。
 ピン、と来るものがあった。
「小竜姫様、こんなところで服なんか脱ぎださないで!」
「何だとーーーーーーー!!!」
小竜姫の『私、そんなことやってません』と言う抗議の言葉を完璧に打ち消してその声の主は現れた。横島忠雄。
「あ……」
「あ・ん・た・わ・ね〜、なに隠れてんのよ〜!!!!!」
「すんませんすんませんすんませんすんまぴぎょおぶべはっ! だ、だって俺すごい怖くあぼっ!」
「よっぽど元素記号の塊になりたいようね、え?」
「令子! そんなのは後にしなさい!」
「いや、今やっちゃうべきだぞ、令子ちゃん!」
「ちょっと皆さん、そんなことやってる場合じゃないでしょー!」
と叫んでから小竜姫は奇妙なことに気が付いた。美神令子の精霊石によって生まれた土煙。その向こう側がやけに静かではないだろうか。
 小竜姫は最上の腕から飛び降りると剣を一閃させた。直ちに土煙が晴れる。その向こう側には思いもよらぬ光景が広がっていた。
 そこにはヤマタノオロチが確かにいた。ただし、微動もせず。目もうつろになって。






「てめぇ……」
「そんな顔するなよ」
「うるせぇよ。大体、まだ生きてたこと自体、心底うざってぇのにこんなふうにまたここにひきずりこみやがって。クソが」
というわけで二人は再びあのくらい空間でお互いに向き合っている。
「まぁいい、いなくなれよ。とっとと」
言うなり、八つの首を持った竜は駆け出した。そして、目の前にいる青年の身体に食いつくと一気に彼の身体を引きちぎった。
「残念だけど、そういうわけにはいかない」
竜は驚いた。声が後ろから聞こえてくる。慌てて見やるとそこにいたのは確かに今時分が引きちぎったはずの男だった。
 幻術だったのだろうか?
「不死身といったらかなりの誇張だけど、とりあえずこの場所では君は僕を殺して無事に外に出て行くなんてことはもう出来ない。僕がいろいろなことを知ってしまったからね」
「いろいろなことだと?」
「それはしらばっくれているのかい? それとも忘れてしまったのかな? いや、最初から自覚していないと言う可能性もあるな」
「癇にさわる様な話し方しか出来ねぇのか」
「もちろん意図してやっていることだ。言っておくが君に一旦、いや二度か『殺された』ことを僕が忘れていると思ったらそれは大きな間違いだ」
「んだとぉ」
「無駄だと分かっていることをやるつもりかい? 繰り返して欲しいのか? 『この場所では君は僕を殺して無事に外に出て行くなんてことはもう出来ない』」
「うるせぇっ!」
「やれやれ……」
そして先ほどと同じことが繰り返された。
「てっめぇ……」
「戒めよ鎖」
魔法陣は無言で竜の足元に現れると鎖を吐き出し、そして一気に竜を縛りつける。
「何の真似だ?」
竜はせせら笑う。
「こんなものでどうにかなるとでも思っているのか?」
「思うからやるんだ。お前と一緒にするな」
男はつまらなそうにぽつりと言った。そして再び霊力を集中させる。ふっと何の前触れもなく男の周りにいくつかの青白い魔法陣が描かれた。
 竜はさすがに不気味に思ったのか自身に科せられた戒めを取り除こうとした。が、
(!?)
動かない。先ほどとは格段に術の強さが違う。
「其は王、其は時空、其は標、踊れよ太陽」
男が呪文を唱えた。無数の光球が瞬時に現れ、不規則な軌道を描きながらばっと四方に飛び散る。そのうちのいくつかが竜のほうにも向かって飛んできた。
(不味い!)
竜はとっさに避けようとしたが何しろ鎖ががんじがらめに自分の身体を縛り付けて動けない。だが、

 ひゅんっ……

 それらは竜を避けるようにかすめて後方へととんでいった。
「なんのつも……」

 ずどぉぉぉぉおおんん……

 音は案外近くから聞こえてきた。ついで弱弱しいながらも熱い風が顔に当たる。そして、
(!?)
胸に鋭い痛みが走った。
「なっ……」
思わず崩れ落ちそうになるところを気力で支える。
「がっ……てめぇ、一体何しやがった……」
ぎりっ、と男をにらみつけながら竜はうなった。
「君が僕を殺せない理由を知ってるかい?」
「は?」
「『君が僕を殺せない理由を知ってるかい?』と言ったんだよ」
「………」
「本当に何も知らないんだね」
男ははぁとため息をついた。それからすっと右の手のひらを広げて自分の胸へと持っていく。
「僕には魂というものがないからだよ」
「何だと?」
「言葉どおりさ」
「嘘をつくな! お前と俺は『武藤玄也』の魂を二つに割った片割れ同士! お前に魂がないはずが……」
「だから」
その声はとても静かだった。しかし、竜はその先を続けることは出来ない。
「その認識がそもそも間違いなんだよ」
男はゆっくりと続ける。
「ぼくは『武藤玄也』の片割れなんかじゃない。『アナザー』という男が言ってくれた。魂をその霊子の種類で完全に二つに分けることは出来ない。ミルクティーがあるだろ。ポットに入ったミルクティーを二つのカップに注ぐことは出来る。でもミルクティーからミルクだけを取り出して、残りをカップに注ぐことは出来ない」
「嘘だ!」
「なぜ、そこまで強く否定する?」
ぴたりと沈黙が降り立った。しかし、男はその沈黙をすぐに排除する。
「僕を生み出したのは母さんじゃない。君だ。武藤玄也」
「………」
竜は、いや、武藤玄也は、何も応えない。
「なぜ、君は僕を生み出したのかな」
男は奇妙なものだと思った。昨日までは間違いなくその名で呼ばれていたのは自分だったはずなのに。
「そうそう、君が最初に出した質問に答えるのを忘れていたよ」
男はそういって膝を曲げ、地面にとんとんと触れた。黒い波紋が広がる。
「これが僕らの魂さ、魂に直接攻撃ぶち当てられれば、そりゃ、胸も痛くなるわな」
男は再び立ち上がる。
「つまり、僕らは武藤玄也の魂の内側にいるんだ。さて、魂の内側にいる僕らは一体何者なんだろうね」
相手は相変わらず、何も応えない。
「うすうす感づいているだろう。これが俗に言う多重人格だ。正式には解離性同一性障害、と呼ばれるけどね」
男はそこで一息入れると息を吸い込んだ。
「武藤宗太郎」
沈黙を始めて以来、その名に初めて相手は反応した。とはいってもびくりと動いただけであったが。
「君の祖父の名だ。そして十六年前……」
「やめろ!!」
竜──武藤玄也──は悲鳴を上げた。まとわりついた鎖をジャラジャラといわせ、今すぐに男に飛び掛らんばかりに猛り狂う。だが、男はかまわず続けた。
「十六年前、武藤玄也を殺そうとした男の名でもある」
「やめろぉぉぉぉ!!!!」
ついに竜は鎖を引きちぎると男に飛び掛った。だが、男もすばやく反応する。一瞬のうちに数個の魔法陣を展開。更に呪文もなくそれらを一斉に発動させた。

 ぼずどぉっ!

 無理やり言葉にするならそんな感じの音だった。男は一瞬、竜から目をくらますと後ろにすばやく回りこんだ。
「穿てよ魔弾!」
ばんっと粒子が打ち出される。術は竜にモロに当たるが相手はひるまずに突進してくる。
「くっ! 太古にうまれし煩悶よ、永劫に続く矛盾の結晶よ、其は無限、其は星、其は楔、歪めよ時空!」
途端に竜の動きが遅くなった。がっと上から押さえつけられるような感覚。発生した重力場は竜を捕らえ地面へと容赦なく押し付ける。その間に男は更に後方へと逃げた。
「戒めよ鎖!」
そして、改めて相手の動きを封じた。
「残念だったな。今は僕の霊力を君の魂に接続してある。僕らの力はほぼ同等だ」
「うるせぇっ!」
「ふん、それにしてもいまだに現実が見据えられないのか?」
「うるせぇっていってんだよぉ!」
「やっぱり、その十六年前の一件か」
「何がだ!」
「君が僕を生み出した理由だ」
「何を根拠に……!」
男は竜に憐憫のまなざしを向ける。
「多重人格によって生み出される人格には必ず役割がある。だとすれば僕の役割は何なのか」
男の目が少し細くなった。
「君は他の人たちに嫌われるのが嫌だったんだ。魔族であるというだけの理由で。だから僕を作った。魔族でない人格。僕は君が嫌われずに人間社会で無事過ごしていくための道具だったんだ」
「はっ、嫌われないためだと? 何で俺がそんなことを気にしなきゃいけないんだ?」
「いくら強大な力を持ってたとしてもまだ君は子供だった。そこは素直に同情するよ。家族が全体の半分以上を占める子供の世界で、その半分以上に否定されちゃあそうするしかなかったろうよ」
「………」
「また、だまったね。悪いくせだ。君は傷つくことを恐れて十六年前からずっと檻の中で黙りっぱなしだった。あの檻も母さんが作ったものじゃない。自分で作って自分で中に入ってたんだろ」
「違う!」
「よっぽど自分がそうした選択をしたことを認めたくないらしいね。あくまで他者からの強制力によるものとしたいわけだ」
「だまれよっ!」
「いいや、黙らない。僕は一言君に文句を言いたいんだ。君は一体何なんだ。勝手に僕という人格を作っておいて、自分は逃げ出して、それで適当な時期になったら、僕をなかったものにしようというのか? あまりに虫が良すぎやしないか、僕だって『武藤玄也』だ」
「違う! 『武藤玄也』は俺一人だ! お前は違う! えらそうな口をきくな!」
「違わない!」 男は始めて声を荒げた。 「お前こそ『武藤玄也』と名乗る資格はない! こんな薄暗い場所に人生の半分以上を過ごしていたお前を誰も『武藤玄也』とは認めない!」
「はっ、それがなんだってんだ! 誰に認められなくても俺が認めればそれで十分だ!」
「たかが、数人の人間に認められなかったからといって引きこもりをしてたお前の言い草とは思えんな」
男は冷ややかに言い放った。
「あの頃の俺とは違う!」
「大差ないさ。君は相変わらず臆病で、初対面の相手には威嚇することしか知らない。まあ、そんなことは今はどうでもいい」
ぐんっと、又も男の周りに魔法陣が生まれる。ただしこんどはひとつだけ。
「僕はもう君に言いたいことは全部言った。君はどうしようもなく身勝手で、どうしようもなく臆病で、どうしようもなく愚かで、そして少しだけ哀れだ」
「ごちゃごちゃと偉そうに……」
「あとは後始末だけ」
「ふん、俺を始末しようってのか。それこそ無理だ。俺がお前を殺せないようにお前も俺を殺せない」
「おや、初めて僕が言ったことを認めたね。でもそれは違う。殺すだけならお互いとも出来るさ。僕はさっきは殺して『無事に外に出ることは出来ない』と言ったんだよ」
魔法陣の輝きが増した。
「てめぇ、まさか!」
「父さんがこの術を教えてくれた理由がようやく分かった。魔導術は僕達の霊気を直接行使しない。だから威力は術者の霊力に比例して上がり続け、上限がない。さっきのとは違って今度は本気だ。愚痴や文句なら地獄で聞いてあげるよ」
「させるかよぉっ!」
竜が鎖を引きちぎる。
「混沌より生まれし楽園よ、全ての創造の内包者よ、其は至高、其は福音、其は久遠……」
男が呪文を唱える。
「このっ!」
竜が走る。
「今、汝、我の力を代償にその大いなる力を再びこの世界に現出させ我が眼前の敵を再び混沌へ追放せよ……」
男が薄く笑う。
「残念。ちょっと遅かった」
「まだだ!」
竜は火を吐く。
「砕けよ世界」
魔法陣から光がほとばしった。それはヤマタノオロチの炎の横を通り過ぎるとはるか遠くにあるこの世界の境界で爆発した。男と竜、二人は同時に激痛に襲われると床に膝を着く。
 波紋が広がった。






 小笠原エミは200メートルほど先にいるぐったりとうなだれたような竜を見やった後、今度は手元の時計に目を落とした。
「あいつが眠り始めてから既に五分経ったわ。どうすればいいと思う?」
「このまま、見てればいいんじゃないの? もし起き上がって暴れたら叩きのめすだけよ」
美神令子は特に気負う様子もなくそういった。
「おたく、ずいぶんと楽観的ね」
「自分でもそう思う」
「何か根拠でもあるのかい」
と、第三の声。
「あら西条さん、あっちはもう平気なの?」
「ああ、六道君が目覚めたから、ショウトラでみんなの傷を癒してる。タイガー君と神父もまだ動けるから僕はこっちに来た」
「そう、よかった」
「あいつは?」
「相変わらずなわけ」
エミは視線だけで目標を指し示した。
「未だ、動かずか……。しかし格好のチャンスだと言うにわれわれは一体何をやってるんだろうな」
責めるような口調ではなく苦笑するように西条は言った。
「なんとなく、どうにかなると思っちゃうのよね」
「信頼というやつではないかね」
後ろから更に声。美神が振り向くとそこには唐巣を先頭に複数の人影がいた。
「先生まで来たの? っていうかみんな来たのね」
唐巣神父は美神の言葉に注意を向けず言葉を続ける。
「武藤君ならどうにかしてくれるんじゃないか、と思ってるんじゃないかな」
「そんなきれいな感情じゃないわよ」
「私もそう思うわ」
だは、美神とエミは唐巣の言葉を否定する。
「じゃあ、なんなんですか?」
と、小竜姫。
「それはきっと想像できないからよ〜〜」
「何を?」
「えっと〜〜、う〜〜ん、なんていったらいいのかな〜〜? そうねえ、『失敗してうろたえてる玄也君』でいうのがかしら〜〜」
「確かにそうかもしれないわね」
美神はうなずく。
「それは信頼とは違うのですか?」
「違うわ。それは単にあいつは失敗した時にうろたえたりしない、というだけ。玄也は取り繕うのが上手いのよ」
「はあ……」
と、小竜姫があいまいにうなずいたその時、
「静かに!」
西条の小さな、しかし鋭い声が響きわたる。
「変化がおきてる」
「どこにだね?」
「わかりません? でも、感じます」
その変化はすぐに明確な形に現れた。
 ただ、それはあまりにも唐突だった。

 どさり

 と、音がしたかと思うとヤマタノオロチの体は砂の山になってしまった。
「ほへ?」
おキヌが少々間の抜けた声を出した。






 二人を揺るがす震動は徐々に大きくなっていた。『武藤玄也』の魂は完全に壊れた。もうどうすることも出来ない。それが分かっているのか、竜も男を目の前にして何もしない。
「てめぇ、こんな結末でいいのかよ」
「もちろん不満はあるさ、でもね……」
男はそこで言葉を区切ると自分の右腕を見つめた。手首から先は既にない。虚無の侵食は段々とひじへ這い上がって行く。
「今更、どんな顔して生きていいのかわからなくなったんだ」






「冥子!」
「うん、わかってるわ〜〜クビラちゃん、出てきて〜〜」
ネズミの式神は甲高い叫びを上げるとその一つ目で砂の山を照らした。
「特に〜〜危険なものはない見たいだけど〜〜」
「近くに行って調べてみましょう」
一番行動が速かったのは小竜姫だった。彼女は空を真っ直ぐに渡るとヤマタノオロチだった砂におずおずと触れた。
「これは……?」
「霊子の抜け殻……でしょうな」
小竜姫が発した呟きを西条が返す。
「霊子の抜け殻ってことは……えーと、なんだ?」
「つまり、あの体が維持できる霊子が供給できなくなったってこと、あんた、本当に少しは勉強しなさい」
「ということはつまり、死んでしまったということですかのー」
「違うと思う。そういう状況に陥ったら、体の体積を小さくして生命を維持するのが普通なわけ」
「皆さん、そこをどいて」
美神とエミが弟子に解説するのを中断させると、小竜姫は気合を破裂させて砂を吹き飛ばした。
「あ、あれ!」
そこにあったのは一つの体。
「武藤さん!?」
「待った!」
即座に近付こうとする小竜姫をエミが抑えた。
「あいつがどんな状況にあるかわからないわ。むやみに近付くのは危険よ」
「でも……」
「でもも何もないでしょう。クサナギ、おたく何が起きてるか分からない?」
「さあ、なんとも」
「じゃあ冥子、クビラでもう一回調べられる?」
「うん、大丈夫よ〜〜じゃあ、クビラちゃん、お願い〜〜」
ギィッとうなり声を上げてクビラは武藤の身体を透視する。
「あ、あれ〜〜」
「どうしたの?」
「え、えっと〜〜おかしいな〜〜」
「何が?」
「何も映らないのよ〜〜」
美神の横でぺたりと音がした。小竜姫だ。彼女が地面にへたり込んでいた。
「ど、どうしたんすか」
横島が慌てて声をかける。その肩を唐巣が掴んだ。
「霊視してということ何も映らないということは……彼の中に霊気がないということだ」
その唐巣の言葉で冥子は何かに気付いたようだった。あ、と小さく声を上げると彼女はふっと後ろに倒れた。その身体をエミが受け止める。
「霊気がないということは、つまり彼の中に命がないということだ。わかるね」
「そんな、だって……」
だが、唐巣は力なく首を横に振った。
 気まずすぎる沈黙。
「とにかくだ」
しかし西条がそれを終わらせる。
「野ざらしにしておくのもあんまりだ。とりあえず、彼の体を運んで……」
 霊気。それが西条の言葉を中断させた。  その霊気が特に猛々しいとか、殺意がこちらに向いているというわけではない。ただそこにあるだけ。しかしそれでも西条はそちらを注視せざるを得なかった。
「メドーサッ!」
ピートが叫ぶ。
 メドーサは雰囲気で大体の状況を察したらしい。
「死んじまったのかい……」
抑揚も感情もない言葉だった。
 瞬間、美神の横で風が巻き起こった。
「え?」
思わずそちらに注意を向ける。彼女が消えていた。
「メ」
小竜姫が、
「ドォォォォサアアアッッ」
吼えた。

 ガキィィン!

 剣戟の音。だがそれは美神たちの後ろで起こった。
(超加速!?)
そちらを向くと二人が視認できる。小竜姫の剣をメドーサがさすまたで受け止めていた。ぐおっと風が二人を中心に生まれた。
「はっ、『本性』を人間界で出した後のあんたがあたしに敵うわけないだろう!」
メドーサはそう言い放つと小竜姫を弾き飛ばす。
「くっ」
小竜姫は慌てて体勢を立て直すが、
「遅い」
遅い。
 メドーサの拳が小竜姫の身体をくの字に折る。
「がっ」
メドーサは容赦しない。片手で小竜姫の肩を掴むと、開いたもう片方の手で同じ場所に何発も打撃を加えた。
「まずいっ!」
慌てて美神たちが飛び出す。が、
「近付くんじゃないよぉ!」
メドーサの放った衝撃波に吹き飛ばされる。その隙に小竜姫がメドーサに拳を繰り出す。だがその拳をメドーサはやすやすと受け止めた。
「!」
「まだそんな元気があったのかい」
あごを打ち抜くアッパー。更に霊気を収束させた球体を小竜姫の腹部に押し付ける。

 どんっ!!

小竜姫は鞠のように軽々と飛んだ。地面に一回バウンドした後、更に飛び、五メートルほど地面を滑った。偶然だろうか、メドーサの故意だろうか、武藤の体の近くへ。
「終わりだ!」
メドーサは最後に特大の霊波砲を打ち出した。
「う……」
小竜姫はよろよろと起き上がる。だが既に避けられる距離ではない。
「小竜姫様ーー!!」
誰かが叫んだ、だが誰の声だろう。小竜姫には分からない。
 衝撃が地面を揺るがした。

※この作品は、ジャン・バルジャンさんによる C-WWW への投稿作品です。
[ 続きはジャン・バルジャンのサイトで公開されます ]
[ 続く ][ 煩悩の部屋に戻る ]