奏でよ孤独〜『アナザー』〜




 真っ赤な外車が首都高を走行している。車には三人の女性が乗っていた。
「ったく、人を自分のとこに呼びつけといて、これでもしなんでもなかったら、地獄に落とすだけじゃ済まさないわよ、あのクソ女〜!」
「まあまあエミさんだってプロのGSなんですから、早々、勘違いはしないですよ」
「わかってないわね、おキヌちゃんたら」
「それよりも美神さん、さっきから『ぱとかぁ』が付いてきてきますけど」
「検問、無理やり突破したのがまずかったか。180キロ程度でうるさいんだから、どーせ付いてこれないくせに」
「そんなことより急いでください! 何が起こるか予想できませんから!」
「小竜姫様、これ以上あおらないでください! もう200キロ以上既に出ているんですから!」
「神様公認よ、おキヌちゃん。とばすわ。吹き飛ばされないようにどっかつかまってなさい」 ちなみに他のメンバーは冥子の手配したヘリで来る。
「美神さん、前! トラック!」
「分かってる!」
「もっとスピードでないんですか!」
「言うね、小竜姫様ったら!」
「やめて〜〜!!」
しつこいようだがちなみに、他のメンバーは冥子の手配したヘリで来る。






 大きい。それがメドーサのヤマタノオロチに対する第一印象だった。
 そんなメドーサの意をよそにヤマタノオロチは八つの首をぐるぐると回し、やがてそのうちの一つがメドーサを捕らえた。
「誰だ? お前は」
「メドーサ、竜族だよ」
ぶっきらぼうにメドーサは応える。
「そうか」
特に気にした風もなく、ヤマタノオロチは再び頭をめぐらした。
「ここはどこだ?」
「東京港のコンテナターミナル。といって分かるか」
「わからない。が、まあとにかく東京湾あたりだろ」
「まあ、な」
「お前が俺を出してくれたのか」
「そうだ」
しばらくの間、沈黙が降りた。
「なんのために?」
また、しばしの沈黙。
「一つだけ聞きたいことがあった。どうしても聞きたかった」
ヤマタノオロチはその答えを聞くと不思議そうな表情を浮かべた。
「それだけか?」
「それだけだ」
「……そうか」
「………」
「まあ、いい。何が聞きたいんだ。ここまでして」
「理由が……」
メドーサはそこでいったん息を止めた。
「あなたが竜族戦争を引き起こした理由が知りたい」
月は半月。
「かつて竜族ただ一人の王であったあなたに」
風は無い。






「結構しつこく追っかけてくるわね」
「どうするんですか?」
「気にするこた無いわよ」
「美神さん、前にもいます」
小竜姫が前方を指差しながらそういう。
「見えないけど」
「一キロほど先です」
「ったく、こんなところで時間とりたくないのに。小竜姫様、悪いけど足元にある手榴弾、とってくれる?」
「これですか?」
「ありがとう」
「美神さん、何でこんなものを……」
「女の身だしなみよ」
言いながら口でピンを抜く。
「小竜姫様、思いっきり投げて」
かっちり五秒後に警察車両に飛び込んだ手榴弾は大爆発をおこした。が……
「まずい、火薬たんなかったか!」
中途半端に残ったパトカーの残骸が行く手をふさぐ。
「南無三!」
急激にハンドルを回してそれらをかわす。一つ、二つ……
「よし、かわした!」
「美神さん、まだです、もう一個!」
「! 二人とも、ショックに備えて!!」
多少減速されていたとはいえ、時速150キロで物体が突っ込む時の衝撃は尋常ではない。
「このっ!」
それでも美神はあきらめず、正面衝突だけは避けようとする。
「美神さん!」
「話しかけないで!」
小竜姫はそれを無視して再び叫んだ。
「私はメドーサの気配を掴んだので先に行きます!!」
「なっ! ちょっ!」
美神が文句を言おうとするよりも早く、小竜姫は車から飛び出すと、一瞬で消え去った。直後、
「きゃあああっ!」
「やばっ!」
どがっ! ががががっ!
「いった〜〜、平気? おキヌちゃん」
「私、幽霊ですから平気ですけど」
「ちっ、今のでだいぶ差を詰められたわね」
「車、大丈夫ですか?」
「そんなやわなつくりしてないわよ」
言いつつ、足元にある手榴弾を拾い上げる。
「ちょ。みか……」
おキヌの静止も聞かずピンを抜いてそれを後方に投げつける。同時にアクセルを踏み込む。
「ったく、人をあおるだけあおっといて〜〜、あのクソ竜神は〜〜!」
「のるほうが悪いんでしょ〜〜!」
本当にしつこいが、残りのメンバーは冥子の手配したヘリで来る。






 竜族が始めて歴史に登場するのは、エンプラーバの書、あるいはエンプラーバの旅行書と呼ばれる神族の記した書物の中においてである(当時、竜族はまだ文字を持っていなかった)。これによると、神族の旅行家であるエンプラーバは竜族の国に立ち寄り、その際に神族としては初めて竜族の王、ヤマタノオロチに謁見しその際に竜族に対し、神族側に味方するように説いたと言う。最もこのような記録は竜族側には伝わっておらず、また彼の旅には同行者がいなかったので彼の記述に関する証拠はない。
 だが結局、この説得があったにせよなかったよ、それより約百年後、ヤマタノオロチは魔族の仲間入りをすることを表明したのである。当然、自分の上に他のものがたつことを良しとしない竜族特有の性格により内部からは激しい反発が起きた。そもそも無理だったはずなのである。
 もともとヤマタノオロチは王とは言っても、むしろそれは対外勢力に対する代表という意味合いが強かった。『王』ではなく単なる外交官に過ぎなかったとする研究者までいるほどである。竜族は束縛を拒まない。それがヤマタノオロチであっても自分に有益でなければ決して命令を受け入れない。さらに当時は魔族は神族に対して劣勢だった。ヤマタノオロチは従われるはずの無い命令を出し、あっけなく竜族を崩壊させたのだ。これにより、竜族の力は大幅に減ることになり、誰の下につかないと宣言した彼らも大半は神族の配下とならざるを得なかった。
 さらに性質(たち)の悪いことにヤマタノオロチはこの戦争の最中にいずれともなく姿を消してしまった。戦争の責任追及はうやむやとなり、お互いに交渉のもてないまま、戦争は自然的に終わってしまうという結果となった。現在、神族と魔族は休戦状態にあるが、竜族間においては休戦状態にすら持ち込まれていないのだ。つまり、実質的にはともかく形の上では竜族戦争はまだ終わっていないのだ。
「もっと言えば、私が聞きたいのは何故、あなたは魔族に味方するといったのか、ということだ。当時の資料を見れば分かる。大規模な反対が起こるのはわかりきっていたはずだ。それなのに……なぜだ……? なぜ光より闇を選んだのだ!? なぜ竜族をばらばらにした!?」
一息にメドーサは言葉を放つ。そにたいし、ややあってからヤマタノオロチは口を開きかけた。だがその瞬間、

 どぉぉぉぉんんん!

 二人のいる倉庫の屋根が爆砕した。屋根は砂よりも細かくなり、あるいは燃え上がり、あたりには埃がもうもうと舞った。
「!」
「!」
同時に声が響き渡る。
「メドーサ!! ここにいるのは分かってます!! 出てきなさい!! 今度という今度こそ逃がしません!!」
「小竜姫……か」
メドーサはギリリと歯をかんだ。上を見上げると確かにそこには小竜姫がいた。彼女はメドーサを見据えると再び叫ぶ。
「武藤さんはどこです!?」
「教える義理は、無い!!」
言いつつ虚空からさすまたを取り出す。そして一気に飛翔した。小竜姫が拡大する。彼女も神剣を構えるとこちらに落ちてくる。
「おおおおおっ!」
「はああああっ!」
だが、二人がぶつかるはずの空間に飛び込んできたのは強大な炎の塊だった。
「!?」
「!?」
「武藤玄也なら死んだぜ」
ヤマタノオロチだった。そのうちの一つがこちらに向けて口をあけておりその口内にはまだちりちりと炎が燃えていた。そしてそれとはまた別の頭がしゃべっている。
「オレが殺した」
「なっ……うそ……」
「うそじゃないさ」
「……このっ!」
小竜姫は標的をメドーサからヤマタノオロチに変更し、一気に近付こうとしたが、
「おっと待ちな。相手は私だろ」
メドーサによって阻められる。
「どけぇぇっ!」
小竜姫は進行方向をさえぎるさすまたを乱暴に薙ぐとそのまま眼下のヤマタノオロチへと突っ込んだ。だが、
 ガキイイイイィィィィンン。
 小竜姫の渾身の一撃。それはヤマタノオロチの歯によって止められていた。彼女の剣を白刃取りの要領であごで止めている。
 そしてそれとは別の口が言った。
「何だってんだ……」
いや、叫んだ。今までほとんど表情をあらわにしなかったヤマタノオロチが始めて激昂した。
「一体なんだってんだ! あいつが一体何なんだ! ふざけるな!! いい加減にしやがれ!!」
他の首が小竜姫に向かって炎を吐く。
「くっ!」
慌てて剣を手放し、後方に飛び退る小竜姫。それを追うようにして剣をかんでいた首がふっと剣を小竜姫に向かってつばを吐くように飛ばす。狙いは小竜姫の左胸。
「縛!」
思念の糸をイメージ。その糸が剣に絡みつき捕らえると、引き戻す。すると、神剣は小竜姫の手元に戻った。だが、その間にヤマタノオロチは一気に間合いを詰める。
「遅えっ!」
八方から繰り出される炎。だが小竜姫はそれをことごとくよける、そのまま相手の右側に回りこむ。
「甘ぇんだよ!」
だが、ヤマタノオロチの狙いは別にあった。十分勢いのついた彼の尻尾が小竜姫を強襲する。小竜姫は慌てて剣でいなすが勢いは完全には殺せず、地面にたたきつけられた。
「死になっ!」
その時、爆音と共に一台の車が滑り込んできた。
「ちょっと待ったぁ!」
「小竜姫様、速く!」
おキヌが車上から小竜姫を引っ張りあげる。
「おキヌちゃん、運転変わって!」
「え? え? え?」
そして美神は返事も聞かずに飛び降りると神通棍を伸ばし、ヤマタノオロチに切りかかる。
「目を覚まさんかーーー!! この大馬鹿もんが!!」
だが、ヤマタノオロチの鱗に切りかかった神通棍は途中からぽっきりと折れてしまった。
「え? あれ?」
「それでお前も一体何なんだ!」
ヤマタノオロチは再び猛り狂う。
「ま、まずっ! おキヌちゃん、一時撤退よ!」
そういうとダッシュで自分の車へと戻る。
「は、はい! え、えーと確かこれをこうやって……」
「遅い! どいて! あたしが運転するわ!」
「ううっ……」
幽体のおキヌの体を無視して運転席に座り込むと、乱暴にアクセルを踏み、ハンドルを回して脱出する。
「逃がすかっ!」






 まるで映画のセットのように儚く倉庫が崩れ落ちる。そして底から駆け出す一台の車。さらにそれを追う一匹の魔獣。
「追ってきたわね……当然といえば当然だけど……」
「ど、どうするんですか?」
「おキヌちゃん、落ち着いて。とりあえず、西条さんたちと合流するわ」
美神はそういうと懐から携帯電話を取り出し、ダイアルを回した。
「もしもし、西条さん」
「令子ちゃんか、今どこにいるんだ?」
「適当に走ってきちゃったからわかんないわ。とにかくどっか倉庫がたくさん並んでるところ」
「おいおい」
「悪いんだけど自力で見つけて。それよりこっちがとんでもないことになってるの」
「何が起こった?」
「玄也は既にヤマタノオロチになってる。さらにこれは推測なんだけど、魂が中途半端な状態で壊れてるのよ。人格は別人、理性はあるけど基本的には魔族の思考回路と見て、間違いないわ。ちなみにあたしのことは覚えてなかった」
「まずいな」
「まずいわよ」
「しかしとにかくそちらの場所が確認できないと……む、ちょっと待てくれ。……タイガー君が今、大きな魔族の霊波を補足したらしい。おそらくヤマタノオロチに間違いない」
「タイガー? 今そこにいるの、てことはエミも回収済みね」
「ああ、そうだ。ちなみにそこまでは五分ほどで着く距離らしい」
「三分で来てちょうだい。今、追いかけられてんのよ。当の本人に」
美神はそれだけ言って一方的に電話を切った。ちらりとミラーを見ると相変わらずヤマタノオロチが追いかけてきている先ほどよりも若干その距離は縮まっているようだ。距離にして約50メートル。
「美神さん、前!」
「分かってるわよ」
そうはいってもフルピードでカーブに突っ込まれれば誰だって不安になる。おキヌは思わず頭を抑えた。
「捕まってなさい!」
最小限のブレーキを踏むと同時にハンドルをすばやく回す。車体が軽く浮き上がりながらもすれすれでカーブを右に曲がった。すぐさまクラッチを踏んでギアを落とし、今度はアクセルを踏んで再び加速。
「小竜姫様。一応確認を取るけど、あたしたちはあいつを除霊す……」
話しかけた美神はそこで会話を中止せざるを得なかった。
 ゴッ!
 轟音と共に右にあった倉庫の壁が崩れる。
「なっ!」
そしてそこから姿を現したのはヤマタノオロチ。
「そんな! 建物の壁を破壊しながら進んでくるなんてどこまで無茶苦茶なのよ!」
距離は縮まり、ヤマタノオロチの顔が迫る。
「きゃああああっ!」
「このっ!」
美神はけん制するように精霊石を放つ。それは確かに頭のうちの一つにヒットしたが、残りの首はお構いなしに突き進む。そしてついにそのうちの一つが車の最後部に噛み付いた。
「あたしの車に何すんのよー!」
言い放ちながら美神はもう一度精霊石を投げつける。もともとそれほど強く噛み付いていなかったのか、それによって車は辛くも逃れた。ただし、車の一部、トランクのふたの部分はもぎ取られたが。
「ぎゃーっ!」
「あら、横島くん?」
「えっ!?」
そしてその下から横島が出てきた。これにはさすがに小竜姫もびっくりしたらしい。
「どーりで見かけないと思ってたらそんなところにいたのね」
「自分で押し込んどいて何言ってんですかーーー!! これ、中から開けられないし、外で爆発音は聞こえるし、あっちにゆれたりこっちにゆれたり……極め付けになんなんすかあいつは!!」
「あれは武藤さんですよ」
小竜姫がそう言う。
「……ずいぶんイメチェンしましたね」
「ぼけるのは後にしなさい。ちょうど良いわ。迎撃してなさい」
「りょーかい。破魔札使いますよ」
「仕方ないわね。なるべく安いのよ」
「ういっす!」
ヤマタノオロチが炎を吐く。横島が破魔札を投げつける。
「くらえっ! 正義の破魔札クラーッシュ!! ……ってあれ?」
破魔札は爆発するより早くヤマタノオロチの炎に飲み込まれて消えた。
「バカッ!」
美神はそれだけ言うとギアを上げてアクセルを思いっきり踏む。
「ハ、ハンズ・オブ・グローリー!」
横島は手に集まった霊気を盾のように拡散させて炎を防ぐ。だが当然そんなものでは当然全ては防ぎきれない。
「えいっ!」
そこをおキヌが値段の高い破魔札を投げつけて辛くも難を逃れた。
「この役立たず! 霊力の充填が足りないから爆発するまでのタイムラグが生まれんのよ!」
「す、すいませーん」
「ほら、又来るわよ!」
「こ、このっ!」
今度は横島もミスることなく破魔札を爆発させた。
「効くかよ!」
だが、ヤマタノオロチはお構いなしにこちらに向かう。距離は再び縮まり、
「ばかっ! 威力が足らな……」
美神がもう一度怒鳴りつけようとしたその瞬間、
「サイキックねこだまし!!」
横島の手のひらが爆発するように光った。
「ぐっ、くそっ!」
「ふはははは、これぞ天才・横島の頭脳プレイ! 一昨日きやがれってんだ!」
「よ、横島さんすごい!」
おキヌは素直に彼を賞賛した。
「ふはははははっ!」
「いつまでもバカみたいに笑ってんじゃないわよ。二度同じ手は通用しないんだからね!」
「は、はい」
だが、それでも距離と時間が稼げたのは事実である。
「ところで、何で追いかけられてるんすか、俺たち」
「知らないわよ」
憮然として美神は言う。
「大体、あれはもとをただせば武藤でしょ」
「そうよ、だから私もそんなに心配してなかったの」
「? どういうことですか?」
「あのね、どんなに形が変わろうが魂のベースは武藤玄也なわけよ。魔族の力が封じられてて、それが開放されただけなら基本的に道筋は二つしかないの。高すぎる霊圧に体が耐えかねて死んでしまうか、あるいはその霊圧に対抗するために肉体の一部、全部が魔族に変わるだけ。この場合は死んでないんだから後者よね」
「ええと、つまり……」
「さっきあんたが言ったとおりちょっとしたイメチェンで終わるはずなの。変わるのは外見だけなんだから」
「それが何でこんな風に追っかけられてるんすか? 怒らせでもしたんすか?」
「それがわかんないのよ。多分、何かが原因で──メドーサが何かしたのかもね──魂の一部が吹っ飛んでそこを魔族の魔力で補ったから、あんなふうになっちゃたんだと思うんだけど……。まあ、それにしては言動が支離滅裂じゃないのが気になるけどね。でも、他にちょっと考えようないもの。他にこんなふうに敵対される可能性なんて……」
「えっと、日頃の恨み……とか」
ぼそりとおキヌがつぶやいた。
「………」
「………」
「………」
「………」
「……有り得るわね」
さすがに引きつった顔で美神が言う。
「あんたが原因かー!」
「ま、冗談はさておき……」
「本当に冗談なんでしょうね?」
「……当たり前でしょ」
「なんなんすか、今の間は!?」
「でも、それなら話は簡単なのよ。エミに会ったらあいつの足を引っ掛けて転ばすだけでいいんだから」
「畜生ですか、あんたは」
「あ、美神さん!」
おキヌが上空に向かって指を差す。そこにはヘリコプターが一台。






 時は少しだけさかのぼる。
「令子のやつ、何だって?」
ヘリの中で受話器を離した西条に向かって小笠原エミは尋ねる。西条はパイロットに急ぐように指示を出してからエミ、さらに他のメンバーに視線を移した。
「非常に厄介なことになった。武藤君の封印は既にとかれ、さらに見境をなくしているらしい」
「えっと〜〜、それってつまり〜〜、東京に丸々一匹凶悪な魔族が出てきたってこと〜〜?」
「実物を見ないとなんとも言えんがおそらくはそうだろう。これは令子ちゃんの推測だが魂が中途半端なバランスで壊れたらしい」
「なんてことだ」
いいながら十字を切るピート。
「まだ十字を切るには早くないかね、ピート君」
「いえ、はやくはありません」
唐巣のたしなめを否定したのは西条だった。
「これより、ICPO超常犯罪課は僕の権限において彼……いえ、ヤマタノオロチを第一種危険霊子生物とみなします。あなたたちには小竜姫様からの依頼の破棄及び対象の殲滅の協力を依頼します」
「武藤君を殺すのに協力しろと?」
唐巣の目がにらみつけるように光る。
「人間社会に精神的、物質的に害悪を及ぼす存在である以上は」
だが、西条はその眼光を正面から受け止めた。しばし、二人でにらみ合う。
「ちょっと〜〜、仲間割れしている場合じゃないでしょう〜〜」
「冥子の言うとおりよ、二人とも。西条さん、実物を見てから決断したって遅くはないわよ。見てからさっきの要請をすればいいじゃない。そのかわり、唐巣神父ももし本当に西条さんや令子の言うとおり危険だと思ったら協力することね。分かった?」
「いや、すまない。少し熱くなりすぎた」
「私もだ、申し訳ないね」
ふっと、室内の空気が緩む。そして沈黙が舞い降りた。
 ここに来てはじめて全員が理解したのだ。最悪の場合、今から自分たちは『殺人』を犯すのだ、と。
 それからしばらくしてずっと霊波を拾うために精神集中していたタイガーの声が響いた。
「そろそろ近くなってきましたけん、判断したらいかがですかいのー」
その言葉を合図に全員の意識が眼下に注がれた。
「……何、あれ?」






 ヤマタノオロチが視力を回復させた時、既に先ほどの人間たちの車はなかった。
「くそっ!」
とはいうものの、霊波は簡単に補足できた。500メートルほど先。ヘリが空に向かって逃げるように飛び立つのが見える。
 ひどくイライラする。だがそれは逃げられてしまったことに対してではない。もっと何か違うところでだ。ヤマタノオロチは考えをまとめようとして、やめた。それをするには今は忙しすぎる。とにかく落ち着かない。
 シンプルに行こうぜ。
 自分に言い聞かせる。オレは魔族だ。生粋の。殺戮と破壊の欲望を備え、かつその欲を満たすことを運命と本能に約束された存在。悪であり、邪であり、凶であるもの。
 何も悩むことはない。奴らはオレにとって不快なのだ。ならば殺せばいい。
 オレは魔族なのだ。






 西条は苦虫をつぶしたような顔で言った。
「思ったとおりだな。どうにか捕獲でもできればまだ選択の余地があったのだが、ここまで危険性が高いとなると……」
「さすがに気がめいるわね。やるしかないってワケ?」
こちらも多少げんなりした顔つきでエミが言う。
「そんな〜」
「なんとかならないのかね?」
「それなりの時間があればいくつか手段を打てたのですが……今となってはどうにもなりませんね。なにより、武藤君の現状が全く把握できない。杓子定規に考えるならあの魔族の迅速な殲滅が基本です」
「あたしもそう思うわ。なにより、あれは一度私に敵対する意思を見せたんだから、それなりの覚悟はあるんでしょう」
「令子ちゃんまで〜〜」
「……別に帰っても大丈夫よ、冥子。今度ばかりは誰もあなたを攻められないわ。実際のところなんだかんだ言っても、私たちは汚いんだから」
「令子ちゃん……ううん、私逃げないわ〜〜、私、やる! 一緒に戦う!」
「そう……ありがと、冥子」
「わぷっ、れ、令子ちゃん。苦しい……」
そんな二人の様子を見て横島も言う。
「美神さん、俺だって逃げませんよ」
「何言ってんの、あたり前でしょうが、逃げようものなら市中引き回しの上で八つ裂きだからね」
「ひ、ひどい……」
「ま、まーまー、そう気を落とさないでください、横島さん」
「タイガー、あんたも逃げたら……」
「わ、わっしだって逃げませんよ……」
「別にいいわよ。解雇するだけだから。むしろ戦力にならないようならとっとと帰らないと足手まといだし」
「う、うううう……」
「哀れな……」
唐巣は耐え切れずに十字を切った。
「皆さん、向こうが動き始めました。来ますよ」
それまで黙っていた小竜姫がそこで初めて口を開く。同時に全員の表情が一変した。各自それぞれ武器を構える。
「こっちは小竜姫様も入れて九人か。丁度いいわ。各自それぞれ顔一つ担当しましょ。取り敢えず最初は時間を稼いで、小竜姫様はころあいになったら、どれでもいいから首を一つ撃ち落としてちょうだい」
「わ、私がやるんですか?」
「さっき私が神通棍で叩いたくらいじゃびくともしなかったもの。たぶん小竜姫様ぐらいじゃないとあの鱗を貫通するのは無理ね。お願いできるでしょ」
「………」
小竜姫は無言だったが美神はそれを肯定と受け取ることにした。
「おキヌちゃんは横島君のサポートについてあげて」
「はい」
「見えました。真っ直ぐこちらに向かってきます」
「ごくろうさん、ピート君」
「やはり僕たちが狙いなのかな」
「なんとも言えないワケ」
「! 何かやる気だ!」
横島がそう叫んだ瞬間、八つの首のうち、三つの口内で何かが揺らめき、
「炎か!」
「みんな、散って!!」

ごぉぉぉぉんんん!!





 どこまでもどこまでも、暗い水の中にただ沈んでゆく。それはおそらく底無しで。きっともう一度眠ってしまったらそこから先は何も起こらないのだ。
 これが、死。
 武藤玄也はそう思った。そうか自分は死んだんだ。
「これがあの世ってやつ?」
思わず口に出してつぶやく。そうすることでいくらか余裕が生まれた。声以外には自分の存在の証拠は何も分からないのだ。自分の指先さえ見えない。
「あの世ならお花畑ぐらいサービスしてくれてもよさそうなものだけどな」
「悪いけど、そういう余裕はちょっとなかった。しかしまあ、本当に花を愛でたいわけじゃないんだろ、第一ここは天国でもなんでもないしな」
「!」
予期せぬ返事。声は続けて言う。
「しかしまあ、明かりぐらいはあったほうがいいな」
ぱちんと指を鳴らす音がした。すると武藤の足元より少し前方に光が出現する。思わず身体を緊張させた。と、不意に頭がくるりと浮き上がる。どうやらいままでは頭を下にして落ちていたらしい。
「どちらさん?」
多少身構えながら相手、明かりから少し離れた位置に立つ人影、に声を掛ける。
「それは単に俺の名前を聞いているのかい? それとももっと広範囲的な、俺が一体何者なのか、ということかな?」
「……両方答えてくれるとありがたいな」
「……やっぱり、後ろの問いに関しては勘弁してくれ。説明がめんどくさいからな。時間も限られてるし。名前に関してはそうだな、……『アナザー』というのはどうかな?」
 アナザー。もうひとつの、という意味だ。
「『どうかな?』と聞かれても困るよ」
「多分、お前にとってはその方が分かりやすいと思ってな。俺の姿を見た時に」
そういうと相手はもう一度指を鳴らす。すると明かりの光量が増した。そして相手の顔がはっきりと見え、武藤はただ驚愕するしかなかった。
「………」
「……わかったろ。ちなみに言っておくとこれは変装じゃない」
「……なるほどね。『アナザー』。もう一人の横島忠雄、というわけだ」
「まあ……そんなとこだ」
そう言って『アナザー』は、横島忠雄と瓜二つのその男は、にやりと笑った。

※この作品は、ジャン・バルジャンさんによる C-WWW への投稿作品です。
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