時の道化たち
第一部ゴーストスイーパー武藤玄也
舞えよ竜〜アルカディアの幻影〜
小竜姫の記憶が確かなら、目の前にいるこの老竜神は齢八千を超えているはずだった。確かに白髪の頭やしわくちゃの手などは数千年生きてきた証をはっきりと示していた。だが、それと裏腹に眼光は鋭い。
「小竜姫」
その老竜神──摩那斯(まなし)──はつぶやくような声音でこちらを呼んだ。
「最近、年のせいかわしはぼけてきた。だから、わしは今から妙なことを言うかもしれないがすべて気にしないように」
それはつまり、彼がこれから暗に出す命令に小竜姫が失敗しても助けはしないし責任もとらない、という意味だった。
「わかりました」
不安はあったが不満はなかった。彼は実質、竜神王に次ぐ政治権力の持ち主であり、あの計画を実行するために『反対派』と対等に争えるのは彼ぐらいのものだった。つまるところ、彼を失うことはできない。100%成功するという場面でしか彼は表舞台に立つことを許されないし、自ら立つこともなかった。
「先日竜神王のご子息である天龍童子の命を狙った、暗殺事件が起こった。結局、未遂に終わったがね」
彼はそこでちらりと小竜姫を見た。見た後いすを回し、そっぽを向いて話し始める。
「わしはこの事件に直接かかわったある竜神の報告書を先日読ませてもらった」
摩那斯はわざわざ、そんな言い方をした。無論、『ある竜神』とは小竜姫の事をさす。
「そこで私は、二つ奇妙な、というより納得のいかない点を見つけた。一つ目は天龍童子の持ち出した結界破りの札だ。王子は竜神王様の武器庫から持ち出した、といってるし、事実武器庫からひとつ札がなくなっている」
小竜姫は摩那斯のことをじっと見続けた。
「だが、竜神王様の武器庫にはほかにも多数の兵器や武器が置かれている。いくら王子とはいえ勝手にそこから品物を持ち出すことは可能なのか? 答えは否だ。調べてみたところ、武器庫の常駐警備員がその日は風邪で休みだったと記録には残っているが、彼自身を詳しく取り調べたところ、記憶操作の跡が認められた。とはいえ、時期については特定できなかったがな」
摩那斯はそこでいったふう、と息をついた。
「二つ目の奇妙な点は事件に対する犯人側の対応だ。そもそも事件の発端は天龍童子が人間界に逃げ出すという『アクシデント』から始まったはずのものだ。だが、犯人が殿下と直接接触したのはその脱走から半日足らず。あまりにも早すぎる。まるで最初からこの事態を想定していたかのようだ」
小竜姫は必死で考えをめぐらした。つまり、竜神の誰かが意図的に殿下の脱走を仕組んだということだろうか。小竜姫は静かに彼の次の言葉を待った。が、
「もう言っていいぞ、小竜姫」
彼はそういっただけだった。おそらく、おそらくこれ以上は彼も知らないのだろう。小竜姫は一礼すると彼の執務室のドアへと向かった。
「小竜姫」
その背中に摩那斯が呼びかける。
「なんでしょうか?」
「そこにある書類を、保管庫に移しておいてくれ、ただし急がなくてもいい」
要はそこに他の情報が書いてあるから、好きに使え、ということだった。
「わかりました」
小竜姫はもう一度深々と礼をして部屋を出て、後ろ手にドアを閉めた。
だから彼女は扉の向こうであの老竜神がどんな表情をしていたか知る由もなかった。
海底火山の噴火。それが最初にメドーサの頭に浮かんだ単語であった。
(けど、この辺にそんなものあったかねぇ?)
メドーサはこの点に関しては何も知らなかった。ただ、あのプロフェッサー・ヌルが海底火山の近くに拠点を作るかどうかを考えた場合、これには疑問が残る。
メドーサは改めて爆発が起こったと思われる方向を見あげた。
(それとも武器庫で何か爆発でもしたのか?)
先ほどよりは、多少現実的な選択肢ではあったがそれだと、最初のあの不気味な振動の説明がつかない。
(ん?)
彼女たちの格納庫には大型機械の整備等のため、空中に通路が設置されている。そのうちのひとつがゆっくりとこちらに落ちてきていた。視界の隅で小竜姫が慌てて後方に跳躍するのが見えた。巨大な鉄の塊が二人の中間に落ちてくる。メドーサのほうにバスケットボールほどの大きさの塊が飛んできた。
「ちっ」
メドーサはその障害物をさすまたで打ち払い、鉄の残骸を飛び越えるようにして小竜姫を追った。さすまたの先端を繰り出す。剣で受け止められる。石突を下から跳ね上げる。虚空の感触。小竜姫が右に体をずらし、そのまま遠心力を乗せるように回転しながらこちらをなぎ払う。だが、それをくらうほどメドーサもおろかではない。さすまたで受け止め、蹴りを放つ。小竜姫も足で受け止めた。
「くっ……」
小竜姫の口から息が漏れる。
小竜姫がいったん後ろへ下がる。メドーサは休まず追撃。
「はっ!」
短く息を吐き出し、小竜姫は跳躍した。
「逃がさないよ!」
次いでメドーサも。それを見ると小竜姫は今度は逆に急降下を開始した。大上段の唐竹。速い。
(受け流すのは無理か!)
即座に判断しメドーサは小竜姫の斬撃を受け止めた。互いのエネルギーがぶつかり合い、二人の武器の接点でスパークが起こる。
「っあ……!」
腕が、しびれる。
「こ……のおおぉぉっ!」
メドーサは意地になって小竜姫の剣を押し戻した。
「おいでっ!」
短く叫ぶと彼女の髪の毛がビッグ・イーターへと変化する。
「甘い!」
小竜姫は後ろへ一歩引くと大きめの霊波砲を発射した。瞬時にビッグ・イーターが飲まれる。メドーサはさすまたを一振りしてそれを防いだ。
「終わりにしてやる!!」
メドーサは小竜姫から距離をとり高度もさらに上げた。右手を相手に向かって差し出し、そこに全力を込める。
退くか? それとも行くか? 小竜姫は一瞬迷った。
「死ねぇぇ!」
メドーサが吼えた。
「くっ!」
小竜姫が退……
「遅い!」
さらにいっそう力を込める。
「爆ぜろぉぉ!!」
光が両者の視界を埋め尽くした。
寒い。
武藤が最初に知覚したのはそのことだった。原因は彼が寝転がっている床の冷たさのせいだったがそのことを究明するにはある程度の時間を必要とした。
(床のせいか……)
それがわかって武藤は体を動かして立ち上がろうとした、が……
「いてっ!」
体を少し動かしただけで全身の筋肉とチャクラが悲鳴を上げた。その代わり、自分の声で完全に目が覚める。亀裂の入った天井が最初に見えた。
(どこだろ……ここ?)
先ほどと同じ場所だろうか、それとも全然別の場所か、あるいは天国という奴かもしれない。だとしたらサービスが悪すぎだったが。
「………」
ようやく、先ほどと同じ場所であることを理解して、とりあえず、武藤は立ち上がることにした。ゆっくりと、注意を払いながら起き上がり、どうにか座る体勢にまで体を持っていった。そして、
「……何、これ?」
辺りを見回し愕然とする。ドーム状の空間はひどいものだった。
床には端からはしに至るまでひびが入っており、彼の近くには大きな穴まで開いていた。壁にも何かが叩きつけられたような跡が無数に残っており、所々は壁が完全に崩壊して向こう側の部屋が見え隠れしているものもある。天井は比較的被害が少なかったがそれでも表面の部分がはがれたような後があちこちにあり、そのはがれた部分が床に散在していて不気味な雰囲気をかもし出していた。
「クサナギ、クサナギ!」
武藤は大慌てで唯一事情を知ってそうな可能性のある自分の相棒を呼び出した。と、同時にどこかにいるはずのヌルの気配を必死に探る。
「何か?」
「もったいぶらないで状況を説明してくれよ」
クサナギはちょっと沈黙した後、こう言った。
「正直なところ、原因については良くわかりません」
「わからない? 僕が気絶した後、君はどこにいたの?」
「無論。ずっと腕輪の中に」
「……まあ、いいや考えるのは後にして、とりあえず、現在の問題に対処しないと。とりあえずはあのはげ親父だ」
「プロフェッサー・ヌルについてはその存在の消滅を確認しています」
間髪いれずにクサナギはそういった。
「本当?」
一瞬、信じきれずに武藤は聞き返す。だがそのせりふを言った直後にクサナギがうそをつく理由がないと考えた。
「肯定です」
少々小さめの声でクサナギはそうつぶやいた。
「そうか……」
そのとき、ずんと建物が振動した。
(小竜姫様か……)
おそらくはあの藤色の髪の魔族と戦っているのだろう。武藤はそんな風に考え、だからどうしたというわけでもないがゆっくりと立ち上がった。体の痛みは徐々に薄れてきている。とはいえ、無視はできないが。
「ふう……」
武藤は一息ついてから歩き出した。とりあえず、床にできていた大穴を覗き込む。この破壊の爪あとのヒントがそこにあることを期待したからだった。
「クサナギ」
危険はなさそうだと判断し、武藤は暗い穴の底へ入ることにした。あの特有の感触が下半身に生まれ、穴に飛び込む。
そこはどうやら倉庫のようだった。穴の真下はもとは棚だったらしく、瓦礫の破片でつぶれたい倒れたりしていていろいろなものがあちこちに散乱している。武藤は何気なく近く似合ったダンボール箱を開けてみた。
「へぇ……」
箱の中身は弾薬だった。12ミリの精霊石弾。魔族正規軍士官用の護身用のものである。
「とするとここは武器庫かな?」
隣にあった長方形の棚をさらに物色。そこには銃口に蛇のあざとを模したライフルがあった。
「──玄也様」
「なに?」
「先ほどの現象に関して一つの仮説がございます」
「………」
「大まかに申し上げますと、ここにあった何らかの兵器が暴走したのではないのでしょうか」
「……お前にしてはいやに端的な解説だな」
「そうでしょうか?」
「……まあ、いいや。それより、これからどう行動するかが問題だね」
「……小竜姫様をお助けに?」
「それも選択肢の一つではある。でも、その前にやらなきゃいけないことがあるからそっちが先」
小竜姫様を助けてから協力してもらう、という選択肢には玄也は真っ向から拒否した。武藤はしばらくの間、そこらじゅうの棚を物色してから結論づけた。
「とりあえず……このピストルとライフルを持っていくか、後はとりあえずいいや」
邪魔なのでポケットに入っていた破魔札や神通棍は捨てていくことにした。代わりに弾薬をそこに詰め込み、武藤はドアから外に……
「あれ、鍵がかかってる」
「──当然だと思いますが……」
武藤は鍵を開け、ドアから外に出た。
廊下は左右に分かれていた。どちらにもたいした違いはない。勘で右に。しばらく歩くとすぐに曲がる角があり、従順にそこを曲がる。行き止まり……ではなかった。はしごがあって下に続いている。だが、武藤は再び、勘で引き返すことにした。ところがせっかく戻ったというのに左側は正真正銘行き止まりだった。正確には生活用品の置かれた倉庫だったが、その先には何もなかった。武藤は仕方なく先ほどのはしごを降りた。
降りてからまた歩く。今度は左右にドアがあった。とりあえずまた右。今度のドアは鍵がかかってないことを武藤は確認し、ノブを回した。
まず目に飛び込んできたのはやたらと大きいディスプレイである。それはちょうど扉を開けた武藤の正面に鎮座していた。移っているのはどうやらこの施設を簡略に図面化したものらしく、そこに他の雑多な情報が付け加えられる形で周りの小窓に映っていた。ディスプレイは壁に張り付いていて、武藤からは見上げるかたちになる。見上げずに正面を向くとそこには数々のボタンや小型のディスプレイが設置されていた。安っぽい椅子もいくつかある。総じて言うならテレビで見た宇宙飛行士たちの様子を伺うあのNASAの部屋の小型版といった具合だった。ただし、人影は皆無だが。
武藤は真ん中にあった小型のディスプレイを操作してみた。内容は主に魔族の言葉で書かれていたが、読むだけならさして苦労はない。画面を少しずつスクロールさせ、目的のものがないかと探す。五分ほどで彼は発見した。
無理やり日本語の表記に直すなら『サグラナ』とかかれている。訳すとシャチ。あの海洋哺乳類のシャチだ。武藤は『サグラナ』についてさらに詳しい情報を取り出した。そしてうれしそうに言う。
「ビンゴ」
画面は親切にも『サグラナ』とやらの画像まで表記してくれた。それは先ほど武藤が海で見た鮫だと思っていたものだった。
「しかし、呼称がわかったからといっても……」
「いや、ここには多分こいつのほぼすべてが載っているはずさ」
クサナギの声を武藤はそのようにさえぎった。
「なぜ、そう思いに?」
「『サグラナ』はこの島の周りにたくさん配置されていた。だが、あれだけの数が量産されておきながら、僕たち人間に対してその情報がほとんど伝わってきてない。不自然なんだよ。あれだけの数があるならどこか別の場所で目撃証言なり何なりがあっていいはずなんだ。でもない。はっきり断言できるよ。ピートのレポートを読んでから一応調べたからね。結論としてはあれが試作品という判断が一番正しいと僕は思う」
「それならあれだけ大量に作られているはずはありません。試作品である以上、作られるのはせいぜいが数体で十分のはずです」
「あれが数体なんだろう。いや、正確には数ユニット、というべきかな。思い出してみなよ。僕らがあいつらの第一波を撃退した後にあいつらが仲間を呼ぶのがものすごく早かっただろう。多分、どこかで何かが連結されてるんじゃないかな。それの実験だったんじゃないかと思う。となれば、おそらくこいつの詳しいデータがどこかにあるはずだと僕は思った。で、そいつが今ここにある」
武藤は多弁にそう語ると、近くにあった椅子を引き寄せて本格的に電子の塊と向き合った。
数分ほど文字の羅列とにらめっこをする。専門的な用語もいくつかあって、解読は困難だったが、武藤はどうにか大体のシステムを見抜いた。
配置された『シャチ』は全部で八十一体。今は武藤が壊してしまったので七十九体だった。彼らは三体を持って一つの組を作り上げ、そしてここからが面白いのだが、彼らの頭脳はある程度共有される。つまり、体は三つだが心は一つしかない。とはいっても完全に一致しているわけではなく、ある程度の判断は個々にゆだねられるらしかった。本格的に配備されていないのはそのあたりの調整がまだ不十分であるかららしい。
「ま、所詮は機械だね」
「どうなさるおつもりです?」
「簡単、簡単。えーと、まずは……」
いいながら武藤は卓上のキーを操作した。やがて、画面上に『0%』という文字が現れる。
「何を……?」
「本来共有されるはずの意思を完全に遮断しただけだよ。んで、活動範囲を深海のごく一部分に限定して……」
そのまま、しばらく武藤は動かずにじっと画面をにらんでいた。それから立ち上がると部屋の中を何かを探すように歩き回り、やがて壁にあった赤いボタンをかちりと押した。と、とたんにけたたましい警報が鳴り響く。だが、武藤の様子には特に変わったふうもなく、またふらりと元の場所へと戻ってきた。
再び、ボーっと画面を眺める。次々と入ってくる情報はヌルによって作り出された新兵器の数がどんどん少なくなっていることをはっきり示していた。
(そうか……)
クサナギは不意に悟った。
(仲間割れ……か……)
互いの通信機能を殺したあとで、(彼らが霊波でものを見るにせよ、肉眼でものを見るにせよ)相手の判別がつきにくい深海に移動させ、警戒を最高レベルにまで引き上げる。
武藤は自分が思っている以上に簡単にことが進んで素直に喜んでいるようだった。『鮫』が最後の一匹になったところで、彼は警報装置を再び止めると、近くの椅子に深々と腰を下ろした。そして、
「さて……どうするかな」
と、誰に言うでもなくつぶやいた。
「帰るべきでしょう」
ところがその言葉にクサナギが間髪いれずに反応した。クサナギはそのまま続ける。
「神族と魔族の争いに口を出すべきではありません。まして、彼女は竜です」
「でもね、ここにいる魔族を殲滅するのが僕らの目的だよ。もし、小竜姫様が負けてたら僕らがあの紫髪の魔族と戦わなくちゃいけない」
「仕事に失敗はつきものです。失敗することは恥ではありません」
「クサナギ、それは全力を尽くした後でなら、の話だよ。それにそうだとしても、やっぱり失敗は失敗なんだ。経過がどうであれ、ね」
「ですが……」
「それにこちらは先ほどよりは多少はましだよ。こんな魔族の武器も手に入ったし、相手は多少なりとも疲れているはずだし。……まあ、勝っても後味は悪いけど」
「ですが、あの女竜神は単身でここに乗り込んできました。ここに何があるか理解した上で、です。当然、死ぬ覚悟か、あるいは勝つ自信があるはずです」
「それはわかってる。でも話がずれてるよ、クサナギ。問題の中心は小竜姫様ではなく僕らだ」
「………」
武藤はすっくと立ち上がった。
「予想されている事態は三つ。まず、小竜姫様がすでに勝っていた場合。この場合は問題ない。彼女と合流するかどうかは未決定だけど、僕は帰るだけだ」
言いながら武藤は歩いて部屋を出た。クサナギが続く。
「次のパターンは小竜姫様が負けていた場合。それなら相手を待ち伏せして攻撃する。それならなるべく早く相手を見つけられたほうがいい。少しめんどくさいのはまだ交戦中だった場合。ま、この場合はその場で適宜判断するしかないね。行こうか」
クサナギは仕方なく黙って従った。
鳴り響くうるさい警報の音に耐えかねて小竜姫は目を覚ました。どうやら、しばらくの間、気を失っていたらしい。
(……メドーサはっ!?)
頼りない足でよろよろと立ち上がり、辺りを見回す。目標は……彼女の目の前で得物を振りかぶっていた。
(!!)
横っ飛びに飛んでよける。振り下ろされた鉄塊は──おそらくはメドーサによって意識的に──床にあたって小竜姫のほうに跳ね返る。
小竜姫は腰にある神剣に手を伸ばし……
(ない!?)
顔面を打たれて吹っ飛ばされた。口内を切ったらしく、口から血が出る。そして、これは意外だったがメドーサは追撃してこなかった。さすまたはこちらに向けているが、その位置は先ほど小竜姫を吹き飛ばしたままであり視線はそこだけ時間の流れが違うように小竜姫のいた空間をじっと見据えている。
ただ、それは過去の小竜姫を見ているというより、むしろ、首を動かすのがひどく億劫だからにも見えた。やがて警報がぴたりと鳴りやむ。
一方、小竜姫は急いで自分の神剣を探し、すぐに見つけた。それはちょうどメドーサをはさんで反対側の床に転がっていた。ひょっとしたらメドーサは小竜姫がその事実を確認するのを待っていたのかもしれない。その神剣を隠すように小竜姫に体を向けた。
「はっきり言ってお前には吐き気がするよ。そのしぶとさも、ロマンチストなとこも全部ね」
唐突にそして淡々と、メドーサは告げてきた。
「それはどうも」
小竜姫も立ち上がりながら応えた。神剣がないのは痛いが、勝てないというわけではない。メドーサは正面からゆっくりと歩いてこちらに近づいてくる。
小竜姫は構えをとった。メドーサは歩調をまったく緩めずに近づく。だが、小竜姫の間合いから三歩ほど離れたところでメドーサはとまった。
「お前は現実というものをまるでわかっちゃいない」
「………」
「小竜姫、私もお前も『戦争』とは無縁の時代を生きてきた存在だ。だが時間的に無縁であっても、思想的、人格的に無縁な存在などありはしない。お前が考えている以上に我々、竜の溝は深いんだ。それでなくとも、もともと竜は群れることを好まぬ生き物……。お前の計画はそういった意味でも愚かだった」
「群れないことと戦うことは違います!」
「だが、群れないことと集まらないことは一緒だ。所詮はお前の話は夢物語に過ぎない」
ゆっくりとメドーサは言った。
「夢ではありません!」
「夢さ、争いや戦争というのはあってしかるべきなんだ。いいか、異なった個体が存在する限り争いはなくならない」
「あなたたちのような考えの存在がいるから、いつまでたっても争いが終わらないんです!」
メドーサは激昂し、負けずに怒鳴り返した。
「そういう物言いが一番癇に障るんだ!!」
メドーサは小竜姫をにらみつけながら続けた。
「覚えておけ、小竜姫。争いが不要だ、なんでも話し合いで解決する、などと考えるのは現状に満足しきっているやつらの言い分に過ぎない。逆説的だが争いを好まないのは何も持たない弱者ではなく何かを持った強者なのだ。虐げられたものは違う。虐げられたものは力を得なければ生きてはいけない。争いを起こし混乱の中で自分を上にあげていくしかないんだ」
「だからといって今、幸せを感じている人たちの生活を破壊していいわけはないでしょう」
「それが、強者の論理だって言うんだ。それならば、どうする。虐げられたものはどうすればいい。ずっとそのままでいろっていうのか。冗談じゃない!」
「だから、私は……」
「あんなものが本質的な解決につながるか!」
「つながります!」
「いいや、つながんないね! だからお前は何もわかっちゃいないっていうんだ! お前は魔族という名に課せられた鎖の重みと傷をまるで理解していない!」
「その鎖を選び取ったのはあなたたち自身でしょう」
「我々の先祖だ! 私ではない!」
メドーサはもう一度怒鳴り、肩ではあはあと息をした。その様子を見て、小竜姫はかんづいた。
向こうも限界が近いのだ、と。
しばらくの間、二人は沈黙した。やがてメドーサが言う。
「私はお前のすべてを認めない。認めることはできない」
その言葉が合図だったかのように二人は本格的に沈黙し、相手の隙を狙ってじりじりと近づいた。先に動いたのは……小竜姫。
軽く踏み込む。振り回されるさすまた。すぐに後ろにバックステップし、またも突進。拳を突き出す小竜姫。掌で受け止めるメドーサ。今度はメドーサから仕掛けた。さすまたをにぎったままの右手でボディブローを放つ。小竜姫は足に力を込めると飛び跳ねた。そのまま上空に浮き上がり、霊弾を放つ。
メドーサは小竜姫の放った霊弾を見据えると、不意に飛び上がった。衝撃と抵抗が彼女の手にさすまたを通して伝わるがメドーサはそれにかまわず、その霊弾を打ち払った。だがそれと同時。目前に二つ目。衝突。光。爆発。
だが視界は遮られたものの、幸いにしてその霊弾の威力はさほどなかった。
「ちっ!」
それでも彼女は舌打ちをすると霊弾をかっきり三発打った。狙う方向は小竜姫の神剣があった場所。それと同時に自分もそちらに向かって突進する。それは一種の賭けだったが、運命はメドーサに味方した。目の前には神剣を拾って体制が不十分な小竜姫がいる。
「くっ!」
小竜姫がこぶしを放つ。だがメドーサはそれをビッグ・イーターに変化させた髪の毛に迎撃させた。小竜姫の集中力がそがれたその一瞬をメドーサは見逃さなかった。相手のあごを跳ね上げるようにブーツを突き出す。小竜姫はそれをどうにかかわすことができた。身側の地面を転がり、立……
まるで編集された映像のように唐突に景色が変わった。一瞬前まで床と遠くにある壁のはずだったのに、今は天井と、メドーサの顔面が自分の視界を占領している。
(超加速……!)
最初の一回以来、ずっと使わなかったので油断した。小竜姫は反射的に起き上がろうとしたができなかった。原因は簡単で彼女の首がメドーサのさすまたによって固定されていたからだ。彼女の首のすぐ両脇の床にさすまたがささっている。それから不意にメドーサの片足が小竜姫の胸を容赦なく踏みつけた。そして彼女は告げる。
「チェック・メイトだ」
「………」
小竜姫は無言でメドーサをにらみつけた。そしておもむろに右腕に力を込めるとメドーサの片足を殴りつけた。
「な!」
メドーサにとってはこの行動は意外だったらしく攻撃はまともに当たった。ごんと鈍い音がし、メドーサの体が浮き上がるようにして跳ね飛ぶ。小竜姫は寝転がったまま霊弾でメドーサを追いかけた。が、メドーサはそれを弾き飛ばす。
(まだ動けるのか……!)
小竜姫の意志の強さが尋常ではない。メドーサはそう感じた。その証拠に小竜姫はもうすでに立ち上がっている。
メドーサは改めてさすまたを構えなおした。小竜姫は飛ぶために足に力を込める。だが膝の力が急にがくりとなくなった。
「!」
「!」
メドーサはとっさに手に持ったさすまたを投げつけた。小竜姫の回避運動は少ししか効をなさなかった。さすまたは小竜姫を逃がしはしなかった。投擲されたさすまたは小竜姫の右のわき腹をえぐると反対側の壁に衝突し、派手な音を立ててそこにだらしなく転がった。
小竜姫は今度こそ完全に床に崩れ落ちた。メドーサは自分が勝ったことを悟り、次の瞬間吹き飛ばされた。
(何だと!?)
わけの分からぬまま空中で体勢を立て直す。そして見た。魔族の最新型のライフルの銃口が自分の事をしっかり狙っているのを。あわててとりあえずめくらめっぽうに動く。二発の銃弾は彼女のすぐそばを通過した。
「誰だっ!」
そしておもわず叫ぶ。返事は銃弾だった。今度は難なくそれをよける。しかし動くととたんに右の上腕部で痛みが爆発した。しかも二箇所。その痛みにメドーサは反射的に上腕部を抑えた。そして今度はじっくりと相手を見やる。
それは先ほど少しだけ戦った人間の男だった。メドーサはヌルの情報を信じた自分のおろかさを呪い、それから武藤玄也をにらみつけた。
「なんだい、お前は」
「GS」
武藤は簡潔にそうとだけ答えた。
「あなたがメドーサ?」
今度は武藤がそう聞いた。
「小竜姫に聞いたのかい」
メドーサは腕を押さえたまま答えた。すると武藤は倒れている小竜姫をちらりと見やった。
「彼女、まだ生きてる?」
「気になるかい?」
「まあね、でも重要な用件は別にあるんだよ、メドーサ」
「へぇ」
武藤は一度深く呼吸をし、メドーサに告げた。
「ここにくる途中で全部分かった。あなたのことも、小竜姫様のことも。勝負はすでについている。あなたの負けだ、メドーサ。たとえ、ここで僕らを殺しても、あなたはすでに負けてるんだ」
一言一言はっきり区切るように武藤玄也は言った。