時の道化たち

第一部ゴーストスイーパー武藤玄也
奏でよ孤独〜武藤の半身〜





 メドーサが東京で不穏な活動をしている。その情報が竜族の上層部から小竜姫のもとにもたらされたのは今朝のことだった。
(はぁ……)
そのことが書かれた文書を目の前にして小竜姫は嘆息した。一体今度は上層部は自分に何をやらせようというのだろう。
 具体的な指示はなにも書かれていないただ注意するようにと書かれているだけだった。だが傍観しろといってるわけではないし何より魔族が人間界にいるのなら何らかの措置をとらなくてはいけない。以前なら迷うことなく自分が出向いたのだが小笠原諸島の一件以来、小竜姫にはそんなことはもうできなくなってしまった。
(やっぱり誰かに動いてもらおうかしら?)
小一時間ほど悩んだ末に小竜姫が出した結論がこれだった。いや、悩んだというのは正確ではない。言葉を選ぶなら一時間ほど他に取れる手段がないか探していた、というのが正しい。結局時間を掛けた分だけ、これが一番現実的な手段である事がいっそう深くわかっただけだった。本来なら竜族のごたごたに人間を巻き込むのは気が引けるのだが……
(とすると……)
次に問題なのは誰に頼むのかということだ。幸か不幸かこういう複雑な仕事を頼める人間の知り合いは小竜姫にはあまりいなかった。
 まず、冥子と雪之丞は除外する。彼らはあまりこういう仕事には向いてないし、更に言うなら雪之丞とは連絡が取れない。とすると、残りは美神、唐巣、エミ、武藤の四人になる。
 しばし考えたあと、結局小竜姫は武藤に依頼することにした。理由は単純で、彼ならば自分の立場や状況について他の三人に比べ詳しく知っているからである。まずは武藤に話をして、もし彼が一人で出来ないと言い出せば、残りの三人の誰かを応援に引っ張ってくればいいだろう。結論を出してからの小竜姫の行動は素早かった。衣服を着替え、神剣を目立たない形で持ち運びできるようにする。
「それじゃ、人間界にちょっといってきます」
「お気をつけて」
鬼門の二人と短い挨拶を交わし(彼らは何も聞かない)、小竜姫は飛び立った。やがてごつごつとした岩肌が消え去り、深緑色の森に、そして、灰色の街へと風景は変わっていく。
「大体この辺りかなっと」
人気のないビルの屋上へと飛び降り、住所の書かれたメモ帳を見やる。お昼前には着けるだろう。







 六道冥子の朝は遅い。はずなのだが今朝は少しばかり勝手が違った。
「冥子っ! いー加減に起きなさい!!」
「う〜〜〜〜〜ん。あと五分」
「それを言うのは何度目だと思ってるの!!」
「七回目〜〜〜〜〜」
即答する冥子。
「数えられる余裕があった起きなさい!」
「しばらく〜〜外国にいたから〜〜時差ぼけなの〜〜」
「帰ってきてからもう二週間にもなるでしょ!! とにかく11時までに着替えて、顔洗って、歯を磨いて、朝御飯食べなさい!」
「は〜〜い……」
返事を聞いてからドアを後ろ手に閉める。
「全く〜〜〜〜、どこで育て方を間違えたのかしら〜〜〜〜」
娘以上にのたらくたらした独り言と歩き方で彼女は自分の書斎へと戻った。ついでにため息をひとつ。
 今日は久しぶりに書類の整理をしようと思った。学園の予算計画書。GS理事会の議事録。それから脱ぜ……もとい、帳簿。そして、そんな細々とした紙の一番下から出てきたものは……
「あら……」
半分忘れかけていたものがそこにあった。
 思わずため息をつく。そういえば、あの日もこんなふうな日だった気がする。残暑で台風一過の抜けるように青い空。
 記憶はちっともさわやかでもなんでもないのだが。







 わけが分からなかった。昨日の仕事が夜遅かったので自分はいつもより遅めに起き、そして朝食を作っていたはずではなかったのか? いや、確かにそのはずだ。事実、自分の右手にあるのはフライパンである。右目でちらりと見るとガスのコンロはつけっぱなしだ。
 そう、確かに自分は朝食を作ろうとしていたはずだ。多分、メニューは目玉焼き。殻を割った卵が一個だけ小鉢の中にある。それが一体なんだってメドーサのさすまたで首をはさまれて壁に固定されてなきゃいけないんだろう?
「いつの間に出てきたのかわかんない、ってつらしてるねぇ」
「ひょっとして割った卵から出てきたのかい」
「……お前、私をなんだと思ってるんだ?」
「年増」
「……くびり殺して欲しいようだね」
「どうせ、死ぬなら言いたいことは言っておきたいからね」
「ふん、まあいい」
いいながら、メドーサは壁からさすまたを引き抜いた。やっと解放されたか、と思い首をさする。
「とりあえず、座って話でもしようじゃないか、茶はいらないよ」
言うなりメドーサは消え、次の瞬間リビングにあるソファーにどかっと座り込んでいた。
 逃げられない。
 武藤も対面する形で座るしかなかった。
「さて、どこから話したものかな……」
「………」
「そう、怖い顔をするなよ。別に取って喰いに来た訳じゃない」
「でも年増」
「本気で殺すぞ」
身を乗り出して歯をむき出しにしながらメドーサはそう言ったがすぐに、また深くソファーに沈み込むと顔を押さえて笑い出した。
「くっくっく。まあ、さすがは肝が据わってるよ」
そして彼女は顔から手を離す。
「さすがは半人半魔のことだけはある」
「誰が?」
「お前が、さ」
「僕が?」
「そうだよ」
メドーサは一呼吸置いた。
「最初ヌルから……正確にはやつの伝言だが、聞いたときは私も信じられなかったよ。何しろお前の霊力は人間そのものだ。この一週間お前をずっと監視し続けていたが……」
「それは気付かなかったな」
「私が本気になれば造作もないことだ。とにかく、一週間監視し続けたがお前の霊力が半魔である証拠は全く見られなかった」
「それならそのとおりなんだろう」
「だがヌルはお前は半魔だと言い切った」
武藤はヌルのことを思い出してみた。豊かな口ひげ、禿げ上がった頭、冷徹な瞳、落ち窪んだオーラ。
「だから、お前は半魔だよ」
「ずいぶんと信用しているんだな」
「まあな」
「だが、実際に俺が半魔である証拠はなかった。そのことは認めざるを得ないだろう?」
「そのとおりだ、となると選択肢はあまり多くはない」
「?」
「封印だよ。完全な封印を魔族の部分にだけ施すことができれば、お前の霊波は人間と変わらなくなる」
「冗談もほどほどにしてくれ。そんなことをされた覚えはない」
「単に覚えてないと言うこともありうる。あるいはそのときの記憶ごと封印されたかな?」
「さあ?」
「すっとぼけてんのか、本当に知らないのかは私にとってどっちでもいいことなんだぞ、武藤玄也。私にとって重要なのはだ……どうしたら、その封印が解けるかということだ」
その時、不意に武藤の腕輪からクサナギが飛び出し、メドーサに襲いかかった。
「クサナギ!? よせ!」
武藤は静止の声を上げたがクサナギはそれを無視した。
「馬鹿だね」
メドーサはクサナギの肉体である球体の中心を打ち据えるようにして横なぎに手刀を放つ。が、その衝突と同時にクサナギはくの字型に変形して衝撃をやり過ごす。
「へぇ……」
メドーサは一瞬驚いた顔つきになるものの、すぐに不敵に笑う。その間にクサナギの上端と下端が変形し鋭くメドーサの眼球に向かって伸びた。メドーサはそれらを難なく払う。
「ちっ!」
ここまで来ては武藤も黙っているわけにはいかなかった。
「走れよ斬撃!!」
クサナギの体の隙間を縫うようにして空気の断絶がメドーサに襲い掛かる。入れ替わりにクサナギはこちらに戻る。
「はっ!!」
メドーサがそう叫ぶとそれだけで真空波はかき消されてしまった。同時に部屋の中の家財道具が吹き飛ぶ。
武藤は飛んできた木製のテーブルを慌ててよけると後方に飛び退った。と、
「落ち着きな。まだ話は終わっちゃいないよ」
背後にメドーサがいた。先ほどまで眼前にいたはずなのに」
「お前を捕まえることはさして苦ではないが……何度もこの技を使わせるな。超加速は結構疲れるんでね」
「超加速……?」
「知らんなら知らんでいいさ。とにかくお前は私から逃げら……」
メドーサの言葉が終わる前に武藤は玄関に向かって走り出した。
「分からないやつだね!」
そして当然のようにメドーサが玄関のドアに立ちはだかる。だが、武藤は部屋の出口でバックステップを踏むと部屋の中に戻り玄関へと通じる扉を閉める。
「クサナギ!」
叫ぶと同時に今度は玄関と反対側にあるベランダに向かって駆け出す。幸いかぎは開いていた。扉を乱暴に開けるとそのまま外へ飛び出す。ここは八階だがかまわない。クサナギはすでに自分の下半身にまとわりついている。空が、飛べる。
「だから、無理だって言ってるだろう」
だが、手すりを越える直前で武藤は襟首をつかまれた。確認するまでもないメドーサだ。
「どうやら、大人しくついてきてくれるわけでもなさそうだねぇ」
声と同時にずんと腹に鈍い衝撃が来た。そして意識は消えていく。
「玄也様!!」
「お黙り!」 すぐさまビッグ・イーターがクサナギに襲いかかり、はねとばす。その隙にメドーサは別のビッグ・イーターに武藤を抱えさせてベランダから飛び出した。
「……とりあえず、アジトにもどるか。封印の解除にはけっこう時間がかかりそうだしな」
メドーサがそうひとりごちた瞬間だった。
 力が、現れた。
「ちっ!」
飛んでくる霊波砲をさすまたで打ち落とし、素早く後退する。剣閃。
「小竜姫か!」
「今度は何をたくらんでいるのか知りませんが、ここで終わりにしてもらいますよ!」
言うなり右薙ぎ。メドーサはかがんでやり過ごした。
「悪いが今回ばかりはそういうわけにもいかないんでね」
「黙りなさい!」
「おっと、動くなよ。あんたのお友達がどうなっても知らないぜ?」
「!?」
そこで初めて小竜姫はビッグ・イーターにのせられた武藤の存在に気付いたようだった。
「相変わらず視野が狭いね、小竜姫」
「くっ……。武藤さんをどうするつもりです」
「それは教えられない。まあ、いずれ知ることになるだろうよ、焦りなさんな」
「……ふざけたことを」
「好きに言うがいいさ。でも、とりあえずこの場は見逃さしてもらうよ」
そういうとメドーサはその場で霊力球を爆発させた。閃光と爆炎が空を蹂躙する。
「っ……!」
顔の前面を両手で隠しながらも小竜姫はその腕の間から様子を探った。影が三つ、別々の方角に飛び出すのが見えた。
(どれ、どれが本物?)
「取った!」
声は後ろから。
(しまった。あの三つの影はでれも偽物……)
即座に遠心力を付けて剣を振る。が……
 どん!!!
衝撃は上から。斬撃自体は剣で防げたものの勢いまでは殺せず、小竜姫は地面に向かった墜落していく。
(まずい!)
真下には人混みがある。今あそこに自分がこんな速度でつっこんだら……。小竜姫はどうにか体制を整えようとしたがうまくいかない。だが、途中で自分の周りの気流の流れが変化したのを感じた。すなわち地面に対して垂直から平行へ。同時に横向きのGがかかる。
「クサナギさん!?」
クサナギが自分をのせて、地面と平行に滑っていた。
「ぎりぎりでしたね。メドーサと玄也様は?」
いわれて慌てて空を見上げる。ところがそこにはすでに誰にもいなかった。
「はぁ……」
思わず嘆息する。
「……本日はどうしてこちらへ?」
その一瞬出来た空白を埋めるようにクサナギは訪ねた。
「……メドーサが東京で怪しげな動きをしているので、武藤さんに調査を頼もうと思ったんですけど……一足遅かったようですね。まさかそのターゲットが武藤さんだったとは……。
「……なるほど。で、どうします?」
「とりあえず、ここから一番近くて頼りになる人の所へ案内していただけますか?」
「承知いたしました」







「大体のお話はわかりました」
唐巣和宏はそういってことりと湯飲みを礼拝堂の机に置いた。横には彼の弟子のピートもいる。
「とりあえず、武藤君が連れさらわれた原因については心当たりはないのですか」
「さあ、私にはさっぱり……」
「……私にもわかりません」
小竜姫とクサナギは唐巣の質問に否定で応じる。
「ふむ……どう思う、ピート君」
「そうですね……」
ピートは少しだけ考えるしぐさを見せた後こういった。
「皆目見当がつきません……正直言って情報が少なすぎると思います。とりあえず、目的を探るよりもメドーサの行方を捜すほうが有益ではないでしょうか」
「ふむ……」
沈黙が訪れた。しばらくして唐巣がその沈黙を破る。
「……ちょっと私たちだけでは手に負いかねるようだね、ピート君、西条君に連絡を入れくれないか?」
「え、あ、はい」
ピートはそう言って建物の奥の方へ向かっていった。唐巣はそれを見届けるとクサナギたちに向きなおった。
「さて、クサナギ君。ここには私と小竜姫様しかいない。今度こそ君の知ってることを話してもらおうか」
「え?」
きょとんとした声を小竜姫が出す。
「………」
「たとえ人間でなくても君ほどわかりやすければウソを付いてることはわかる。こう見えても伊達に長生きはしてない」
「どういうことです? クサナギさん」
「………」
「君にとって隠したいことなのは我々も承知している。だが、相手が相手だけに何が起きるかわからない。何かが起こってしまってからでは遅いんだ」
「………」
「神の名にかけて誓おう。君がここで言ったことはたとえ誰であろうと決して話さないと」
「……誓う必要はありません。よくよく考えてみればこうなった以上、どうせすぐに知れ渡ることになります。面倒くさいですからピートさんが戻ってきてから話しましょう」
ピートはすぐに戻ってきた。彼は周囲の微妙に緊張をはらんだ空気を見て何事かといぶかった。
「どうしたんですか?」
「今からクサナギ君が話してくれるそうだ。武藤君が連れさらわれた原因をね。まあ、とりあえず座りたまえ」
「ピートが近くの適当ないすに座るのを見てクサナギは話し始めた。
「実は……玄也様は半人半魔……玄也様の母親は人間でなく魔族なのです」
「な!?」
多少のことでは驚かないと覚悟していた唐巣もこれには驚いた。
「馬鹿な! GSは試験の合格後に親戚関係や霊波について厳重な検査がなされるはず! 私たちが知らないはずは……」
「こう申しては何ですが、所詮は人間のやること。高位の魔族が本気になれば欺くことは不可能ではありません。それに玄也様の魔族の部分は、これは本人も知らなかったことですが、封印が施されております」
「それで、メドーサはいったい何をしようとしているの?」
唐巣神父に比べると小竜姫は比較的落ち着いていた。
「おそらくは魔族の人格の開放です」
「一体何者なんですか? 武藤さんの母親って……」
「それを言い忘れてましたね。あの方の名前は……」







 メドーサはコンテナが積まれた倉庫の扉を開けた。ガコォンと大仰な音がして暗闇の空間に光が差し込まれる。光自体はそんなに強くなく内部をすべて見渡せる状況ではないが、別にメドーサは気にしない、おそらく誰も気にしないだろう。入り口に入ってすぐの空間は大きくあいている。そのほぼ中心に、メドーサはまだ気絶している武藤玄也を投げ捨てた。
「がっ!」
うつぶせに落ちた武藤の肺から無理やり空気が吐き出される。メドーサがそのまましばらく見ていると、やがて武藤はゆっくりと身を起こした。そして不意にメドーサと目が合う、と次の瞬間。
「無駄なことはよすんだね」
メドーサは一足飛びに武藤に襲い掛かると右腕をひねり上げて床に押し倒した。すると武藤の指先に集まっていた光がすっと消える。
「くっ……」
「起きていてもらっててもいいと思っていたが、やはり面倒だな。眠れ」
そのまま開いた片手で首筋に手刀を叩き込むと、武藤は再びがっくりと倒れた。
「ふむ……最近いろいろと動き回って何をやっているのかと思えば……」
声は倉庫の暗がりから聞こえた。声の主はどうも最初からいたらしい。メドーサが顔をそちらに向けるとそこにいたのは幼い少年だった。声のトーンは少年のそれと変わらないがそこに秘められた落ち着きはあまりにも不自然だった。
「男漁りか? メドーサ」
「下らん冗談をいうために来たのなら消えろ、デミアン」
「そう言うな、こっちだって好きで人間界に来たわけじゃない。アシュタロスに頼まれて来ているんだ。ああ、お前の行動とはまったく関係ない。そう警戒するな」
と、デミアンはメドーサからその横で気を失っている武藤に目を移した。
「ところで、真面目な話、何だ、そいつは?」
「人間だ」
「見れば分かる。私が聞きたいのはどうしてここに掻っ攫ってきたのかと言うことだ」
「……ちょっとした私用だ」
メドーサは自虐的な笑みを浮かべながら言った。そして改めて視線を武藤玄也に定めるとぶつぶつと何事かを唱える。すると武藤を中心に赤紫色に輝く巨大な魔法陣が展開された。
「見たことのない型だな……一体なんだこれは?」
「聞きたいんなら後で説明してやる。今は黙ってろ」
メドーサはぶっきらぼうに返事をすると懐から紐のようなものを取り出し自分の手首に巻きつけた。そして念じる。と、紐の反対側がすばやく武藤の手首にひとりでに巻きついた。
「よし」
そこまで来てようやくメドーサは一息ついた。
「説明してくれるのか?」
間髪いれずにデミアンがたずねる。意外と好奇心旺盛なやつだとメドーサは思った。
「こいつは半魔だ」
「何だと?」
「聞こえなかったのか?コイツは半人半魔だと言ったんだ」
「本当に半魔か? 匂いが全然せんぞ」
「封印されてるからな」
「ひょっとして、この魔法陣はその封印をとくためものか」
「……そうだ」
厳密には違うのだがメドーサはいちいち説明するのが面倒なのでそう答えた。
「そんなことしてどうするつもりだ?」
「言っただろう。私用だと」
デミアンは嘆息する。
「何をするつもりなのか知らんが、メドーサ。お前はそのためにこんなところまでやってきたのか?」
「愚かだと思うかい?」
「率直に言ってそう思う。お前にとってそのことがどんな意味を持ったとしても、こんな時期に軽々しく動くべきではない。しかもたかだか半魔程度のために」
「実は私も愚かだと思っている。ただし、お前とは別の意味でだが……」
「?」
「まあ、あまり穿ったことは聞かないでくれ。私自身分からないんだ」
「……まあ、いいだろう。フォローはせんぞ」
「もとより期待などしていない」
「なら、いいが……」
デミアンはここで一泊置く。
「一体誰の子供なんだ? そいつは。それぐらい教えてくれてもいいだろう?」
「ん、ああ。そいつの親の名前はね……」







 自分を包む一切は暗黒で。どこからも光が当たっていなくて。それにもかかわらず自分の姿がはっきり見えるとは妙なものだった。
「なんだ、ここ……?」
思わず武藤玄也は声に出して言った。その際無意識的に足の位置を少しずらす。と……
 波紋が広がった。
「?」
驚いて更に足を動かす。また波紋が今度はより一層複雑に広がっていく。それらはどこまでも際限なく広がってゆき、やがて見えなくなった。
「………」
今度はゆっくりと足を一歩前に踏み出す。波紋。
 奇妙だった。波があるはずなのに足は全く濡れてない。なにより波は自分の足の下から発生しているのだ。武藤は自分が水の上を歩いているような錯覚を受けた。
「で、なんなんだ、ここ?」
それからまたとりあえず振り出しに戻る。周りを見回すが目に付くものはない。……いや、ひとつだけあった。
 それはちょうど洞窟のようなものだった。武藤の周りを包む色よりも尚いっそう暗い漆黒がそこを塗りつぶしている。よくよく見ると、そこにはさらに鉄の棒のようなものがはめ込まれていた。
 武藤はとりあえず、好奇心の赴くままそれに近づく。
「よお」
唐突にその洞窟の中から声がした。そして光る赤い光。夕暮れよりも暗く、血よりも鮮やかな赤。
「よお」
とりあえず、一定の距離を置いて武藤も答える。それから当然の疑問を口にする。
「誰なんだ、お前」
「ったく。俺の名前も忘れたのか。まあしょうがねえっちゃあしょうがねえけどな」
「?」
「俺はな、お前の半身だ」
「半身? お前がメドーサの言っていた魔族か?」
「答えようがねえよ。メドーサってのが誰だか知らないし、どんな話をしたかも知らないからな」
「メドーサは僕に向かってお前は半魔だといった。そして、魔族の部分が封印されてると言った」
「そのとおりだよ、ガキ。十数年前に俺とお前は一つの存在から分離したのさ.もっと正確に言うならお前の人格と俺の力が、だ。詳しいいきさつは省くが……」
そこで声はぴたりとやんだ。何かを探っているらしい、というのは武藤にもわかった。
「どうやら外で儀式が始まったらしいな」
「儀式?」
「俺をここから出してくれるためのさ。理由はわからねえがとにかくありがたいこった。まあ、封印が解ければ、全部わかる。それまでは一人で悶々としてな」
「ちょっと待……」
「待たんね。俺はお前が思い悩むさまを見物しているよ。俺は何もしゃべらんぜ」
それっきり声はしなくなった。
 武藤は改めて困惑した。とりあえず今一体どのような状況になっているのだろう?
 最後に覚えているのはどこかの部屋らしき場所でメドーサに右腕をひねり上げられていた自分だった。いや、それとも左腕だったか? たいした差があるわけでもないが武藤は少しその点が気になった。
 ……待ち時間は案外短かった。だがしばらくすると、一番端の鉄棒がパキリと消える。すると洞窟の奥からさっと風が吹き込んできた。
(!)
そして風が吹き止んだとき武藤は少しだけ思い出した。
「そうか……」
「少しだけ、思い出したようだな」
少しよろめきながらも洞窟の奥を見据える。
「そうか……お前は……」







「ヤマタノオロチ」





※この作品は、ジャン・バルジャンさんによる C-WWW への投稿作品です。
[ 続く ][ 煩悩の部屋に戻る ]