朝。
部屋の窓から差し込む光は暖かく、小鳥たちの囀りは穏やか。
布団の中でまどろむ彼女に、それらは目覚めを催促する。
「……ん…………おはよう」
むくりと起き上がった彼女は、誰にともなく呟いた。
顔を洗い、寝癖を整え、着替え、大きく伸びをする。
「ん〜………っと」
ふと、彼女は窓から空を見た。そこは蒼く、憎たらしいほどに晴れあがっている。
「今日も、良い天気になりそうね」
それはすべてが終わったことへの、まるで祝いのように、彼女には思えた。
人魔 終幕
エピローグ
一週間が過ぎていた。
あの事件から、すべてが終わってから、一週間が過ぎていた。
横島忠夫は、白井総合病院へ戻っていた。
彼女たちは、戻っていた。自分たちの居るべき、日常へ。
「ご起床の時間です、お嬢さま」
AM7:00。冥子はいつも通り、フミに起こされた。
「ん〜…………おふぁよふ」
「おはようございます。朝食をお持ちしました」
朝食を食べ、着替え始める。
「今日はお仕事は午後からなのに〜」
「甘えるんじゃありません〜〜!」
盗み聞きしていたとでもいうのだろうか、あまりにもよすぎるタイミングで、冥子の母親が入ってきた。
「常日頃から言ってるじゃありませんか〜。式神を使うには、規則正しい生活をして、心身ともによい状態にしておかねばならないと〜!」
「でも、おかあさま〜。私、退院したばかりなのよ〜。もう少しゆっくりさせてくれても〜」
「ゆっくりするのとだらけるのとは違いますよ、冥子〜」
言葉と共に、12の式神が冥子を取り囲む。
「あああ〜。ごめんなさい〜! おかあさま〜〜〜!!」
「ほら〜! いい天気なんですから、散歩にでも行きなさい〜〜〜!」
「はい〜〜〜〜〜!」
冥子にしてみれば神速の速さで、彼女は部屋を出て行った。
「…………ふう。フミさん、私もう一度寝ますね〜。おやすみなさい〜」
自身もだらけきっている母であった。
がつがつがつがつがつがつがつがつ
ガツガツガツガツガツガツガツガツ
がつがつがつがつガツガツガツガツ
「……よく食べるの〜、雪之丞さん」
牛丼特盛二杯目に挑戦している雪之丞を見て、タイガーは呆れ声で呟いた。
「Gメンからの報酬が入ったしな。今んとこ、金には困ってねえんだ」
言って、またがっつき始める雪之丞。
「はぁ〜。ワッシはエミさんに全部取られてしまったけんの〜」
涙ながらに語るタイガーは並である。両者の体格からすれば逆だろうに。
「それで、その後どうなったんですカイノー?」
「さあな。ホントのとこは俺にもよくわからん。あの女がなにかしでかして、それであいつは元に戻って、すべては終わった。
ま、それで良いだろ。結果オーライさ」
「……ま、そうじゃノー。結果オーライじゃ」
頷いて、タイガーも箸を進める。
「うし! おっちゃん、特盛お代わり! 味噌汁つけてな!」
「まだ食べるんかい!?」
突っ込まずにはいられないタイガーだった。
小笠原エミは、自身の消費した霊力を一刻も早く回復させるために、そのレストランで食事をしていた。
「やっぱり、霊力回復にはここの店なワケ」
「うふふ。そう言って頂けて嬉しいです、エミさん」
店主兼シェフ兼給仕の魔鈴が、盆を胸に抱いて笑う。
「ええ、とってもうれしいです。本当に、もう――――」
「ちょ、ちょっと。そんな、泣くほどのことでも……」
「いえ。最後の最後とはいえ、ようやく本編に出れたんで。感極まって、うう……」
「……………………不憫な娘」
同情せずにはいられないエミだった。
美神美知恵は国際電話をかけていた。
「あ、あなた〜? そう、私。うん、そう。え? わかる? そうなのよ、ここしばらくの胸のつかえが取れてすっきりしたの。
うん? そうそう、横島クン。詳しいことは言えないけど、おかげで心置きなく買い物ができるわ。
え? 事後処理? や〜ねぇ、あなたってば。そんなの、とうの昔に終わらせてるわよ。
あ、そうだ。ちょっと待ってて、ひのめに替わるから」
彼女の声は、はずんでいた。
その頃の西条輝彦。
「せんせぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
ぺったん ぺったん かきかき
ぺったん ぺったん かきかき
ぺったん ぺったん かきかき
ぺったん ぺったん かきかき
「うう。せんせぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
見るも無惨にやつれていた。
ドクター・カオスは相変わらず道路工事に精を出していた。
「くうう〜。あそこで2‐5が出ていれば〜」
「イエス。ドクター・カオス」
「こら、そこ! サボるな!」
「く。今に見ておれ。いつの日か、ワシの頭脳で世界を席巻してやるんじゃ!!」
「イエス。ドクター・カオス」
人生の成功まで、後、199年。
がんばれ、カオス。
脱衣場から続く異空間で、戦闘が繰り広げられている。
「ほれほれ、どうした? 青いのう」
「く。なんてジジィだ」
「あの巨体で、あの素早さ!」
「おまけに如意棒なんて反則よ!」
「来ぬならこっちから行くぞ!」
「………よくやるわね〜」
妙神山管理人代理・斉天大聖と弓かおり、峰鏡華、一文字魔理の模擬試合を見ながら、神楽はポツリと呟いた。その手には湯のみが握られ、左にはお茶請けがある。
「そうなのねー。ところであなたたち、学校はどうしたのー?」
お茶請けを挟んだ隣で、ヒャクメが言った。こちらもまた、ずずっと茶をすすっている。
「あ、大丈夫です。ここで修行するって言ったら、理事長、快諾してくれました」
「修行って、あなたは?」
「私はいいんです、マイペースでいきますから。それに、あの三人にはついて行けません」
「弓さんも峰さんも、結構やるものねー。一文字さんも根性でついていってるし」
「元ヤンキーですから、彼女は。ヒャクメさまはどうなんです? 神界でお仕事があるんじゃないですか?」
「有休取ったから大丈夫なのねー。久しぶりに、こっちでゆっくりするわ」
二人して、湯のみを傾ける。
「「ふう。お茶がおいしい」」
「「「むっきー! このクソザルがー!!」」」
「うき〜っききききき!」
爆音が響くなか、お茶請けを食べる二人の姿があった。
「つまんないでちゅ」
布団に横たわり、パピリオは不機嫌に呟いた。本日19回目の「つまんない」だった。
「あ〜、もう! つまんない、つまんない、つまんないでちゅ〜!」
20、21、22。
「つまんな〜い!!」
「うるさい! 静かになさい、パピリオ!」
23回目の「つまんない」に、隣で寝ていた小竜姫が見かねて言った。
「私もあなたも、傷がひどいんですからね。あなたの場合、さらに妖毒まで受けていたのですから、しばらくは絶対安静です」
「絶対安静って、どれくらいでちゅか?」
「そうねぇ。傷が癒えるまでだから、まだまだかかると思いますよ」
「それまでずっと寝とくの? そんなの嫌でちゅ、つまんない!」
24回目である。
「つまらないなら、眠っとけば? 時間がたつの、早いわよ?」
入り口から響いてきたその声に、びくりと、パピリオは震えた。
「よ、陽蘭…………」
「今度脱走したら、お仕置きスペシャルフルコース十セット。覚えてるわよね?」
にこやかにのたまう陽蘭。壊れた人形のように、パピリオはこくこくと頷く。
「ほら見なさい。おとなしく寝とくんですよ、パピリオ」
「逃げ出したら連帯責任で、小竜姫も十セット」
「なんで!?」
不条理に抗議する小竜姫。しかし陽蘭は聞く耳持たなかった。
「いい子にしててね、二人とも。さて、包帯を替えましょうねぇ」
甲斐甲斐しく世話をしてくれている陽蘭に、なぜか二人は、冷や汗を流すのだった。
妙神山の一角。道場が一望できるその崖に、大竜姫は座っていた。
微動だにせず、周りに広がる山々を見つめる。所々低い雲で隠れているが、それでも、見晴しはとてもいい。
「なに見てるんだい?」
届いた声に、振りかえる。右腕を包帯で吊ったベスパが、そこに立っていた。
「別に……」
「そうかい」
短く言葉を交わし、大竜姫は視線を景色に戻した。ベスパが、その隣に座る。
「…………傷は、どうじゃ?」
しばらくして、視線を動かさずに大竜姫が聞いてきた。
「そりゃあもう痛い痛い。ヨコシマにやられたのに加えてどっかの誰かがボッコボコにしてくれたから痛みと熱で食事も喉を通らなければ夜も眠れない」
吊られた腕で、ベスパは器用に肩をすくめた。
「……すまなんだな」
「べつにいいさ。そのかわり、治ったら一発入れさせなよ」
クスリと、大竜姫は笑った。
「ま、そのくらいならな。本当は、殺しても飽き足らぬじゃろうし」
「最初はそうだったけどね。でも、ま、老師に聞いちゃったからね、あんたのコト」
爽やかに、風が吹きぬける。
「…………老師も、人が悪い」
視線を顔ごと、上へと向けた。青く、青く、空は晴れて、白く、白く、雲は流れている。
「…………ワシは、妹に会いたかった」
晴天を眺め、大竜姫は独白する。
「良き姉に、なりたかったんじゃ」
ベスパは上半身を倒し、寝転がった。
「姉さん、か。アタシは、悪い妹だった」
姉の姿を思い出す。彼女との最後の思い出は、殺し合いだった。
(アタシは、どうだろう。パピリオにとって、いい姉になれてるかな。
………………………………ねえ、姉さん?)
空を見上げ、ベスパは思った。
小鳥の囀りが聞こえる。陽光が木々を照らし出す。
山は緑で、空は青く、雲は白い。
「……いい、天気だね」
「ああ……いい、天気じゃ」
言葉は、それで途切れた。
二人はなにも言わず、ただ、ただ、空を見上げていた。
白い部屋だった。
白い壁紙、白いレースのカーテン、白い衣裳入れの上にある白い花瓶、生けてある白い花。
何から何まで白かった。日のあたるベッドも、レースのひるがえる窓枠すら。
ベッドに横たわっている少年もまた、例外ではなかった。白い服に身を包み、左手には白い包帯が巻かれている。髪の色まで、白だ。
その、白い部屋に、白い狼が飛び込んできた。
「ごぶさたしております、せんせぶぅ!?」
扉を開けて横島に跳びかかったシロは、横島の隣にいた千春のコークスクリューをまともに食らった。
「まったく。病院では騒ぐなと、何度言ったらわかるのかしら、シロちゃん?」
「ち、千春どの。それにしても、メリケンサックはやり過ぎではござらんか!?」
「犬のしつけは、賞罰が一番なのよ」
「犬じゃないもん!」
「はいはい。どいたどいた、バカ犬」
「なんだと、アホ狐!」
「こんにちは、千春さん。横島、元気?」
「こんにちは、タマモちゃん」
シロのときとは違い、にこやかに笑顔を返す千春。
「うう。この差は一体………」
むせび泣くシロ。まあ、諦めろ。筆者の中で、お前はそういうキャラだ。
「うううううううおおお〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!」
「「吠えるな!!」」
千春とタマモのダブルラリアットが決まった。KOされるシロ。
黙祷。
「まったく。横島のこととなると見境ないんだから、バカ犬が。
で、千春さん。横島は?」
「ごめんなさい。今さっき眠ったばかりなの。しばらくおきないわ。目覚めたとしても、ほたるちゃんだと思う」
「そ、そう……」
明らかにがっかりしたタマモを見て、千春が笑った。
「なに?」
「ううん。シロちゃんもそうだけど、タマモちゃんも、ずいぶんと忠夫クンにご執心だな、って」
「わ、わたしが? 冗談やめてよ!」
慌てて言うが、その言葉に説得力はない。
「顔が赤いわよ、タマモちゃん?」
「こ、これは、その、つまり――――」
「つまり、なに?」
「ええ〜と…………と、とにかく、なんでもないの。
それじゃ、今日はもう帰るわ、バイバイ! ほら、行くわよ、シロ!」
シロを引きずり出て行くタマモを見て、千春は笑う。
「さよなら。また来てね」
ドアが閉じられ、再び、白い部屋には横島と千春きりになった。
「あなたって、ホントに好かれてるわよね」
眠る横島の髪を撫で、千春は溜息をついた。
「あ〜あ。ライバル多くて、やんなっちゃう」
呟いた千春の顔は、しかし、幸せそうだった。
「やれやれ。上はにぎやかだねぇ」
起こしたベッドにもたれながら、唐巣は微苦笑して呟いた。
「そうですね。きっと、みんな嬉しいんですよ」
「そうだねえ」
ピートの言葉に、相槌を打つ。そう言う彼らもまた、どこか、嬉しそうだった。
「いい天気だね、ピート君」
「はい。本当に、いい天気です」
晴れ渡る空を見上げる。心地よい陽気に、二人は笑顔を見せた。
「いいのか、会わなくて?」
遠い空からその病室を眺め、ワルキューレは問うた。
「………会えば、別れられなくなりますから」
寂しげに答えるマリー。その両手には、手錠がはめられている。
「わたし、どうなるんでしょうか?」
「三界をあれだけ騒がせたのだからな。極刑もやむをえまい」
非情にも、ジークが言った。
「そう……ですか………………………」
俯くマリー。わかっていたとはいえ、やはり、つらい。
「……しかしまあ、お前が事件解決に大いに貢献したことは事実だ」
はじかれたように、マリーは顔を上げる。
「加えて、お前の血統から来る情状酌量、及び、当事者たちの口添えもある」
「神魔界にしても、今回は武闘派と一戦やらかしてしまったのだ。事をあまり荒立てたくはないはず」
「それは、どういう――――」
「つまり、だな」
片目を閉じ、ワルキューレは告げた。
「どうなるかはわからんが、少なくとも、極刑にはなるまいということさ」
マリーの目から、涙がこぼれた。
「じゃあ。じゃあ、また、横島さまに会えるの!?」
「それはわからん。神界あるいは魔界にて拘留されるかもしれないし、そうすれば、横島が生きている間には戻れぬだろう」
「でも、可能性はあるわけですよね!?」
「ああ。低くはないだろうよ」
「そう……! そう…………………!」
感極まり、マリーは震える。
「では、行くとするか」
「はい!」
最後に振りかえり、マリーは病室を見た。
「…………横島さま、ほたる。わたし、帰ってきますからね。
きっと、きっと! 戻ってきますから!」
笑顔で、マリーは裁きを受ける。
三つの影は、晴天より消え去った。
一月後
「やっほー、横島クン。生きてるー?」
「横島さん、こんにちは」
美神とキヌが、病室に入ってきた。
「いらっしゃい、二人とも」
笑顔で、横島は二人を出迎えた。
「調子はどう?」
「ええ、悪くないっす。来月には退院できるって言われました」
「よかったですね!」
「あの怪我が二ヶ月で? 相変わらずの不死身ぶりねぇ、あんた」
素直なキヌと、素直でない美神。だが、両者の顔には、笑みが張り付いている。
「あ、そうそう。小鳩さんが言ってたんですけど、横島さん、学校の進級試験受けるんですって?」
「うん、そう。合格すれば、3年に上がれる。最も、それでも一年遅いけどね」
「そうしたら、同級生ですね!」
「あは。そういやそうだね」
「あんたが高三か。大学は受けるの?」
「どうっすかね。先のことはまだ、考えられませんよ。
ま、当分は、美神さんとこでバイトしたいと思ってます。退院したら、また雇ってもらえますか?」
「ええ、いいわよ。時給250円でよければね」
「………なんか、下がってませんか、オレの時給?」
「なに言ってんの。これが初任給でしょう?」
「そりゃないっすよ、美神さ〜ん」
涙声で言い、横島は笑った。
つられて、美神たちも笑った。
白い部屋の中。
青い、青い、空の下。
白い、白い、雲の下。
三人は、久しぶりに、心より笑いあっていた。
ふと。
「ああ――――」
横島は、空を見上げた。
一人の少年がいた。
伝説となった少年がいた。
運命の輪の繋ぎ手。激動の渦の中心。
少年の名は、横島忠夫。
「いい、天気だ」
かつて、人魔とよばれた存在だった。
〜 FIN 〜