「ふう」

 小竜姫は、周囲の変化に戸惑いを隠せなかった。

 姉が敵の一人と切り結んで、離れたその瞬間。

 三人のうち、老いた魔族が、自分へと向かってきた。同じく、少年がパピリオに向かうのが。ワルキューレや人間たちには、少年が投げた人型の何かがあたるのが、見えた。

 次の瞬間、周りには誰もいなくなっていた。

 変化はない。相変わらず、ここは妙神山だ。自分以外、誰もいないが。

 ほかの連中が消えたのか。それとも、自分が切り離されたのか。

 恐らくは、その両方だろう。

 周囲を見回す。あの老いた魔族が、どこかにいるはずだ。状況から考えて、現状をもたらしたのは、あの老人なのだから。

 六感すべてを開放して、あたりを探る。だが、自分以外のいかなる気配も、小竜姫は捉えることができなかった。

 だから、小竜姫は恐怖した。

 なにも感じなかったのだ。確かに自分以外、誰もいなかったはずなのだ。

 なのに。それなのに。

 今のため息だ。自分のではない。

 誰だ? どこだ? どこにいる? なぜ捉えられなかった? いったい何者だ?

 さまざまな疑問が小竜姫の中を駆け巡る。混乱。そう呼ぶにふさわしい状態。

「まったく、なぜわしがこんな小娘の相手など……」

 背後から、声が聞こえた。

 なんの気配もなかったはずなのに……!

 得体の知れない恐怖を感じながら、小竜姫は振り向いた。彼女の視線の先に、そいつはいた。

 小さな体格。伸ばしたあごひげ。それにまったく不釣合いな、アロハのシャツ。

 あの、老人の魔族だ。

 即座に剣を抜き、小竜姫は構えた。じゃんけん云々となにやら言っているだけのその老人が、恐ろしかったゆえに。

「な、何者です!?」

 なんとか。なんとか、声を震えるのだけは押さえることができた。だが、剣先が震えているのなら、その効果はいかほどか心許ない。

「ああ、そうじゃったそうじゃった。まだ自己紹介もすんでおらなんだな」

 恐怖に駆られた小竜姫に対し、緊張感の欠片もない声で、その老人は言う。

「わしの名は、サミュエルという。まあ、覚えても覚えなくても、別段かまわぬがな。ここにはわしら二人しかおらぬゆえ、『自分』と『おまえ』で事足りる」

 あごひげを撫で付けながら、老人――サミュエルは続ける。

「もう始めようというのか? わしはそれでもよいが、おぬしはいいのか? いろいろとわしに、聞きたいことがあるのではないか?」

 振るえながら剣を構える小竜姫を見て、サミュエルは嗤う。

 いやな笑みだ。小竜姫は思う。自分の絶対的優位を確信している笑み。

 だが、たしかに、自分には情報が必要だ。

「…………そうですね」

 いくらか落ち着きを取り戻し、小竜姫は剣を収めた。

「聞きたいことは三つあります」

 声は、震えていなかった。

「ひとつ。ここはどこか?

 ふたつ。ほかの人たちはどうなったのか?

 みっつ。どうやれば帰れるのか?」

「なるほど。必要最低限だが、的確な質問じゃな」

 少々驚いた風に、サミュエルは小竜姫を見つめた。その顔には、先ほどまでの見下した感はない。

「さすがに、大竜姫の妹じゃ。正直、見くびっておったわ」

「質問に、答えてません」

 詰問に、サミュエルは苦笑する。

「確かに。では、答えよう。ひとつ」

 三本立てた指のひとつを折り、サミュエルは言う。

「ここはどこでもない。魔力で隔てた異空間。思った場所に、ここはなる」

 なるほど。

 小竜姫は理解した。

 先ほどまで、自分は妙神山にいた。無意識下でのその認識が、空間に投影されたのだ。

 理解すると、そこは妙神山ではなくなった。黒い、ただ、ただ、黒い。それだけの、空間だった。

「うそではないようですね」

「ほらを吹いてどうなるものでもあるまい」

「そうね」

 もうひとつ、小竜姫は理解した。自分が、サミュエルの気配を捉えられなかった理由を。

 ここは魔族が敷いた特殊空間。つまり、魔族の領域。神族である自分は、その力を著しく制限される。

 苦しい戦いになりそうだ。小竜姫は、心の中で冷や汗をかいた。

「ふたつ」

 またひとつ指を折り、サミュエルが、続ける。

「ほかの奴らもまあ、同じ状態じゃ。それぞれの空間に、それぞれの相手がおる。パピリオにはリュックが。ほかにはわしら謹製の人形が」

「人形?」

 いぶかしんだが、小竜姫は詮索しなかった。それを知っても、自分にすることはないと判断したからだ。

「みっつ。ここから出る方法じゃが……」

 さらにもうひとつの指を折り、サミュエルは語る。

「なに、簡単なことじゃ。戦って、勝ったほうが出られる。わかりやすいじゃろう?」

 言って片目を瞑ってみせるサミュエル。

 ぜんぜん似合っていないと、小竜姫は場違いにも思った。
















人魔 第九幕

小竜姫の死闘

















 一、


 小竜姫は、剣を握り、構えた。

 サミュエルも、虚空から杖を取り出し、構える。

「まずは――――お手並み拝見と、いこうかの」

 サミュエルが、走る。

 瞬時に間合いを詰め、下から杖を振り上げる。上体をそらし、避ける小竜姫。

「ふ!」

 勢いを止めず、杖を回転させ、さらに下から柄を振る。剣の腹で受け止め、小竜姫はそのまま力の方向をずらす。

 バランスが崩れるサミュエル。

 がらあきの腹に、小竜姫は剣を薙ぐ。横に飛び、サミュエルはなんとか剣をかわした。

「甘いです!」

 追う小竜姫。袈裟懸けに切り込む。

 受け流し、サミュエルは杖を突いた。

 掌底を打ち、その軌道をずらす小竜姫。サミュエルを蹴り上げる。

 小竜姫よりもサミュエルは小柄だ。身体が、一瞬、浮く。

 蹴り足を利用し高く飛び、サミュエルは追撃を逃れた。

 落下の加速度を加え、サミュエルは杖を薙ぐ。

 軌道を合わせ、小竜姫も剣を振るった。



 ガギィン!



 金属音が響き、二人の距離が、開いた。

「――――どうですか?」

「なるほど。よくわかった」

 額の汗をぬぐい、悠然と構える小竜姫の問いに、サミュエルは答える。

「強い。さすがに、大竜姫の妹だけはある」

 呟くサミュエルの右手は、小竜姫の剣により、杖ごと真っ二つに裂かれていた。

「こちらは拍子抜けです。その程度の杖術で、私に挑むなどと」

 憎まれ口をたたきながらも、小竜姫は警戒を怠らなかった。たとえ力を制限されていようと、この程度がすべての相手に、あそこまでの恐怖は抱かない。

 まだ、なにかある。小竜姫は、確信していた。

「この杖をいとも簡単に切り裂きおった。銘は知らぬが、かなりよい剣じゃな」

「竜神族の神剣は、神鉄に己の牙と爪を混ぜて鍛えます。握りには、髪を使用する。

 私が振るう時、私の剣は、最大の威力を発揮するのです」

 律儀にも、小竜姫は応えた。

 それに対するサミュエルの反応は、いささか特異なものだった。

 小竜姫の言葉に、サミュエルは一瞬、呆けたような顔をし、次に――――笑い出したのだ。

「は! あは! あはは、あは、はーっははははは!!」

 サミュエルは笑う。腹を抱え、口をバカみたく開け、身体の底から声を出し、笑う。

 ひとしきり笑った後、涙を拭いながら、サミュエルは言った。

「いや。すまん、すまん。まさか、こんなところで付与魔術に出会えるとは、思わなんだのでな」

 くっくと笑いながら、サミュエルは右手を持ち上げた。肘から先がぱくりと割れ、地面に大量の血溜まりを創っている。

「小竜姫。わしは魔界では研究者じゃった」

 右手に、変化が起こった。右手からあふれ出る、血に。

「わしが研究していたもの、それは付与魔術」

 紫の血は揺れ、蠢き。血溜まりは上昇し、右腕へと還える。

「その成果が、これじゃ」

 血は形を変え、凝固し、一本の、紫色の剣を作り上げた。

「さて」

 剣を掲げ、サミュエルは嗤う。

「死合い第二編、開始といくか」

















 二、


「アシュタロス様に、人間界へ行けと命ぜられました」

「ほう」

 タコの怪人――その形容が一番しっくりくる――は、出会い頭、サミュエルに言った。

「左遷か」

「違います!」

 サミュエルの言葉に、タコは真っ赤になっていきり立った。

「アシュタロスさまは、神・魔界のみでなく、人間界をも支配なさるおつもり。

 そのための先駆けとして、人間界を魔物で混乱させ、ひいては神・魔の戦争を引き起こす。

 その大任を、私に任されたのです。あなたではなく、この私にね」

 勝ち誇り、タコは言う。

「しかし、人間界ではろくな研究ができまいて」

「そうでもありませんよ。設備こそ段違いですが、あちらでしか入手できない材料もあります」

「たとえば?」

「人間です」

 タコは興奮気味に語った。

「あちらではいろいろと特殊な能力を持った人間がいると聞きます。

 あんな脆弱な身体のどこにそんな力があるのか! ああ、身体を引き裂いて直に調べられると思うとそれはもうウフフフフフフフフ」

「……相変わらずじゃな、その性癖」

「失礼な。知的好奇心と言ってほしいですね」

 八本の足をウジュルウジュルうねらせて、タコは言う。

「あなたも、いつまでもエンチャントなどにかまっていないで、もっと実践的な研究をすればいいのですよ。そうすれば――――」

「付与魔術じゃ。

 軽々しくものを言うでないわ。この術は、奥が深いのじゃぞ」

「役に立たなければ、知識など、宝の持ち腐れですよ。そこまでのめりこむ価値も、ないと思いますがね」

「ある」

「理由は?」

「わしの勘じゃ」

 その言葉に、タコは噴き出した。余談だが、タコの口は足の付け根にあるらしい。だからどうしたわけでもないが。

「勘とはまた面白いことを言う。あなたもとうとう、耄碌しましたか」

「わしの頭ははっきりしておる。

 勘は重要じゃよ。それが最大の決め手となる時もある」

「私には、そうは思えませんがね。ま、いいでしょう。

 ――――そろそろ、おいとましましょう。お邪魔しましたね」

「ああ、ちょっと待て、ヌル」

 去ろうとするタコを、サミュエルは呼び止めた。

「持って行け。餞別じゃ」

 一本の杖を、タコに放り投げる。

「これは?」

「ただの杖じゃよ。『変化』の特性を付与しておるがな」

「なるほど。変化の杖というわけですか」

「自分用に改良するくらい、お主なら容易いじゃろう」

「面白そうですね。もらっておきましょう。

 一応、礼は言っておきますが、やはり、エンチャントは限界だと思いますよ」

 捨て台詞を残して、タコは去っていった。

「付与魔術だというに」

 タコの閉めた扉に向かって、サミュエルはそう呟いた。

















 三、


「…………付与魔術について、どれほど知っておる?」

 サミュエルは問う。

「え、小竜姫?」

「…………何らかの物体に魔力を与え、特性を持たせる術。エンチャントとも呼びますね」

 戸惑いながらも、小竜姫は答えた。

「付与魔術といってもらいたい。横文字は好かぬのでな」

「あら。自分の名前も横文字でしょうに」

「固有名詞までこだわりはせぬ。

 ――――さて、付与魔術は、戦闘に有効なものとは決して言えぬ。なぜかわかるか?」

「相性があるから」

「正解じゃ」

 サミュエルは破顔した。

「相性。それが付与魔術にとって最も重要なもの。

 自分との相性。武具との相性。特性との相性。

 自分と相性のよい道具を選び、自分と相性のよい特性を持たせる。

 さすれば、威力は絶大」

「でも、一度道具を失えば、戦闘力は極端に下がる」

「そう。だからこそ、付与魔術は戦闘において有効足りえない。

 ならば、その弱点を排除すればよい」

「排除できないからこそ、有効ではないのです」

「できる。このようにな」

 紫の剣を、サミュエルは掲げて見せた。

「自らの血に、付与魔術を施す。

 体外に出た血は、自分の一部ではない。しかし、血は自分のもの。これ以上の相性はあるまい」

 語るサミュエルの右手で、血はナイフから、斧へと形を変える。

「おもしろいじゃろう?」

「……あまり、面白くありませんね。魔族といえども血の量には限りがあります。一定以上を出せば、死にますよ?」

「それまでに、終わらせる。なあに、すぐじゃよ、すぐ」

「笑えない冗談です」

 構え、小竜姫は言う。

「自らの能力を明かしての攻撃、痛み入ります。

 本当なら丁重におもてなししたいところですが、時間がありません。早々においとましていただきます」

「気にするな。知ったからとて、どうなるものでもない。わしの――わしらの能力は、そのようになっておる。

 お主ごときには、勝てぬよ」

 嗤い、サミュエルは血を――刃と化した血を。

「では――――殺るとするか」

 小竜姫へと打ち放った。

















 四、


「疾っ!」

 サミュエルが剣を振るう。軌道から生じた紫刃が、小竜姫に迫る。

 難なくかわす小竜姫。さらに三本の紫刃が飛来するが、これもかわした。

「かかかか! やるのう。そうでなくては面白くない!」

 五本の紫刃が飛ぶ。

 三本をかわし、小竜姫は距離を詰め始めた。

 四本目をかわし、五本目を剣で薙ぐ。

 が――――

「あぐっ!?」

 刃は小竜姫の剣に切られることなく、彼女の肩を裂いた。

「愚か者め! 血は液体! 液体が剣で切れるかよ!!」

 小竜姫を嘲笑い、サミュエルはさらに刃を飛ばす。

 今度は受けることなく、小竜姫はすべてを避けた。

 そのまま、間合いを詰める。サミュエルを、右肩から袈裟懸けに斬る。

 しかし斬撃は、血の盾により阻まれた。

「血は液体。が、凝固すれば、強固な盾となる。そして――――」

 盾の一部が、鋭い突起と化し、小竜姫へと迫る。

 頬を浅く切られるだけですんだのは、ひとえに、彼女の卓越した反射神経の賜物だろう。

「このように、一部分だけ液体に戻すことも、また可能じゃ」

 間合いを取った小竜姫に対し、サミュエルは言った。

 ほんの二、三の攻防。しかし小竜姫は、自分の圧倒的不利を悟っていた。

 魔族の空間。自分の能力は制限される。

 相手の能力は攻防一体。攻略は、とてつもなく難しい。

 まずい。

 小竜姫は焦った。この空間ではエネルギー消費が大きすぎる。超加速は使えない。

「先ほども言ったが、もう一度言ってやろうか」

 小竜姫の焦りを知り、サミュエルは嗤う。

「お主ごときでは、勝てぬよ」

 再び、刃が小竜姫を襲った。

















 五、


 小竜姫は、自分の師――――斉天大聖老師とお茶を飲んでいた。

「老師。私は、弱いですか?」

 茶を一口のみ、小竜姫は尋ねた。

「なにを藪から棒に――――」

「お答えください。私は――――弱いの、ですか?」

「お前は強い。卓越した剣技に加え、超加速という特殊能力も有しておる。

 もっと、自分に自信を持て」

 励まされた小竜姫の、しかし、表情は晴れない。

「……何を気にしておる?」

「………………私は、メドーサと三度、対峙しました。王子が人間界にいらした時と、GS試験、そして香港。うち、二回は剣も交えました。

 …………いずれも、私は、勝てませんでした」

「なるほど」

 湯のみを一気に傾け、斉天大聖は大きく息をついた。即座に小竜姫が、お代わりを注ぐ。

「例えば、お前と美神令子が戦えば、どちらが勝つと思う?」

 その問いに、小竜姫はいぶかしんだ。

 一体、老師はなにを聞いているのだろう。私と美神さんと、どちらが強いかですって? そんなの、私に決まってるじゃない。

「道場で仕合えば、まず間違いなく、お前が勝つ。

 ……ん? どうした?」

「い、いえ……ちょっと……」

 道場で仕合い、結果道場を全壊させてしまった過去を思い出した小竜姫であった。

「続けるぞ。道場での仕合は、お前の勝ちじゃ。

 が、ただ戦うというならば、勝つのは美神令子よ」

「そ、それはどういうことですか!?」

 身を乗り出し、小竜姫は声を荒げる。自分が、人間に――――美神さんの実力は認めているとはいえ、それでも――――負ける!?

「落ち着け、小竜姫。あたりまえじゃが、美神令子とお前では、お前のほうが強い。霊力も、剣術もな。

 しかし、お前は素直すぎる。その性格を儂は嫌いではないが、戦いとなると、不利と言わざるをえない。お前は、先が読みやすいからな」

 茶を、斉天大聖は再びあおる。

「美神令子はお前の先を読み、裏をかき、罠を張る。お前は消耗し、いずれやられる。

 まして相手がメドーサであれば、お前に勝てる見込みはない」

「…………」

 沈黙。小竜姫は、なにも言わなかった。なにも言えなかった。

 メドーサはおろか、美神令子にすら敵わない。それはすなわち、弱いということではないか!

「……………………………………………………………強く、なりたい」

「お前は充分に強い」

「嘘です!」

「本当じゃ。ただ、戦い方がなっていないだけじゃ」

「戦い方?」

 斉天大聖が湯のみを揺らす。慌てて、小竜姫はお代わりを注いだ。

「そう。戦い方じゃ。駆け引きともいえる。

 周りにあるもの、状況、相手の心理。それらをいかにして利用し、こちらの有利に働かせるか。いかにして相手の力を抑え、自分の能力を全開にするか。

 そこが、お前はなっておらん」

 思い当たることは、小竜姫にもいくつかあった。GS試験場で。香港で。

「…………それを鍛えるには、どうしたらよいのでしょうか?」

「経験じゃな。どれだけの場数を踏んできたか、それに依る」

 三杯目のお茶を、斉天大聖は空ける。

「しかしまあ、助言くらいなら、してやってもよい」

「ぜひ!!」

「知ったからとて、どうなるものでもないがな。戦いの中で、己の血肉としなければ。

 まあ、よかろう。よいか。まず、一つ――――」

















 六、


(まず、一つ。よく観察すること)

 迫りくる紫刃を避けつづけながら、小竜姫は思う。

(相手の長所。短所。何ができるか。何ができないか。観察し、それを知れ)

 逃げの一手に甘んじながら、小竜姫は整理する。

(この男の能力は、血を操ること。

 血に『斬る』特性を与え、刃にする。凝固させて『盾』にする。

 攻防一体の技。でも――――)

 大きく跳び、距離をとる。直後、一気に詰める。

(はっきり別れている。液体は攻。固体は防。その中間は存在しない!)

 袈裟懸けの一撃。血の盾により防がれる。

「無駄というのが、わからんのか!」

 盾の一部が、鋭い突起と化し、小竜姫に迫る。

(ここ!)

 その突起の一つを、小竜姫は突いた。

「がっ!?」

 剣は易々と血――液体の血――を貫き、サミュエルの肩に食い込んだ。

(よし!)

 ひねり、ちぎる。サミュエルの右腕が飛んだ。

 膝をつくサミュエル。即座に、小竜姫は距離を取った。血の攻撃を食らうわけにはいかない。

「……………………まさか」

 先の無い右肩を押さえながら、サミュエルが言う。

「まさか、こんな攻撃方法があったとはな」

 脂汗を滲ませながらも、サミュエルは笑う。それは余裕か、はたまた意地か。

 小竜姫は、剣を突き付けて、告げる。

「勝負ありました。これ以上の戦いは無意味です。私を、元の世界に戻しなさい。そうすれば、命までは取りません」

「そういうセリフは、勝っているほうが言うものじゃ」

 左手を離すサミュエル。右肩の血は固まり、止血が完了していた。

「…………あなたは、血を流しすぎた。たとえ止血していても、これ以上戦えば、失血死は免れません。私の勝ちです」

「そこが間違いだと言うのじゃ、阿呆が」

 サミュエルの右肩に、それは集まる。

 右肩の下の血溜まりから。小竜姫の背後から。

 今まで放った血が、今まで流した血が。意思を持っているかのように、サミュエルの右肩へ、吸われていった。

「な…………」

「回収完了。血液の量には限りがある。その弱点を、わしが克服していないとでも思ったか?」

 全ての血を取り戻し、サミュエルは言う。

「わしの能力に、弱点は無い。

 しかし、無いはずの弱点を突いて攻撃してきたお主に、その驕りは持つべきではない。

 わしは、わしの持てる最大の力で、お主を葬ろう」

 サミュエルの言葉を聞きながら、小竜姫は、師の言葉を思い出していた。

(次に、二つ。相手の立場になって考えろ。

 血の防御は破られた。量的限界は無いものの、今までと同じではだめだ。

 攻撃と防御が同じに出来る、そんな扱い方。それは、つまり――――)

 目の前に、小竜姫の想像した通りの光景が広がりつつあった。

 サミュエルに血が降り注ぎ、それが球体を作り上げる。サミュエルを中心に、彼を守るように。

 その半径は、小竜姫の剣よりも長い。

「今度こそ、お主に勝ち目は無い」

 くぐもった声が、小竜姫に届く。

 言われなくとも、小竜姫には解っていた。あれだけの血を越えてサミュエルにダメージを与えるには、突くしかない。しかし、刃がサミュエルに届く前に血は凝固し、剣を止めてしまうだろう。そして、あの状態から全方位に紫刃を放てば、小竜姫といえども避けきれるものではない。

 勝ち目は無い。ただ一つを除いては。

「その言葉は、最初に聞きました。でも、あなたは右手を失いましたよ」

「それは油断からじゃ。今のわしにはもう、それはない」

「勝ち目は無いと断言している時点で、すでに油断しているのです」

 構え、小竜姫は言う。

「あなたのその自信、打ち砕いて差し上げましょう」

 戦いは、最終段階へと突入した。

















 七、


 自分はひねくれた性格だ、と、サミュエルは自覚している。

 ひねくれて生まれたのか。生まれてからひねくれたのか。どちらかは定かではない。興味もなかった。

 彼の霊力は低かった。すなわち、彼は弱かった。

 弱肉強食。彼が生まれた頃の魔界は、それが唯一の法であった。

 彼は弱かった。しかし、不幸中の幸いか、彼は頭が切れた。

 弱かったが、強者に食われる事なく、生き延びた。逃げ延びた。

 しかし、彼は不服だった。

 彼はひねくれていた。自分の弱さ故に、その運命を受け入れる。そんな殊勝なことはしなかった。

 強くなりたいとは思わなかった。自分の強さがどれほどのものか、彼はよく知っていたから。

 代わりに、負けない方法を得たい。そう思った。

 彼は頭が良かった。彼は研究した。追い、求めた。弱者が強者に勝る方法を。

 そのうちに、彼の頭脳は、アシュタロスの目に止まることとなった。

 彼は相応の設備を与えられ、より研究に没頭することが出来た。

 彼が研究していたのは、付与魔術であった。

 他に誰一人として研究しようとしない、戦闘において、もっとも役立たずといわれる魔術だった。

 彼は、それを研究した。ひねくれた精神構造を持つ彼は、付与魔術に一番の魅力を感じたのだ。

 付与魔術に没頭する彼を、他の研究者は嘲笑った。頭がおかしいと言った。

 彼を認めてくれたのは、アシュタロスと、同僚の研究者一人だけだった。

 研究者の名は、ヌルと言った。

 ヌルは、彼が付与魔術をやることを、快く思っていなかった。彼の頭脳を認めていたからだ。認めていたからこそ、付与魔術などを研究することが許せなかった。もっと他の研究をすればいい。再三、ヌルは彼に説得を試みた。

 しかし、彼は首を縦には振らなかった。ヌルの心遣いは嬉しいものだったが、付与魔術は、彼にとってそれほどまでに魅力的だったのだ。

 あるとき、彼は、ヌルが人間に滅ぼされたことを知った。

 彼はしばし、ヌルに対して、哀悼の意を表した。他人の死を悼むなど、初めてのことだった。

 しばらくして、彼は、己の研究を大成させる。

 彼は、液体に対する付与魔術論を確立させた。一定の形を持たない液体に、付与魔術を施すことを、可能にしたのだ。

 さらに彼は、与える特性を、概念的なものにまで広げた。形ある武器の性質を更に伸ばす従来の付与魔術と違い、形なき液体に、『切る』、『防ぐ』など、本来持つはずのない特性を与えることに、成功したのだ。

 これは画期的なことだった。付与魔術の非有効性の要因を、解決させたのだから。

 しかし、時既に遅かった。

 彼の主。アシュタロスが滅んだとの報が入ったのは、彼が研究を大成させたすぐ後のことだった。

 彼の研究は、その威を発することなく終わった。
















 八、


 紫刃を放ち、血が少なくなれば回収する。

 その行動を、何度もサミュエルは繰り返した。

 単純な攻撃パターンだが、それ故に破りにくい。

「わしは負けぬ! 負けるわけにはいかぬ! 我が付与魔術は最強! 我が理論は、何者にも負けはせぬ!!

 それを証明するために! お主如きに負けるわけにはいかぬのじゃ!!」

 紫刃を回避しながら、小竜姫はサミュエルの叫びを聞いていた。

「負けるわけにはいかないのは、こちらも同じです!」

 同じく、小竜姫も叫んだ。

 唯一勝てる可能性を持つ手段。

 それを使うことを、小竜姫は決心した。
















 九、

 横島忠夫に対して、小竜姫は奇妙な感情を抱いていた。

 横島忠夫を、小竜姫は自らの誇りに思っていた。

 彼の才能を最初に見出したのは自分だという、誇り。美神令子でも、唐巣神父でもなく。姉でもなく。この自分なのだという、自負があった。

 彼の成長を、彼女は誇らしく思った。その第一歩を与えたのは、自分だから。

 彼は強くなり、ついには文珠という能力まで身につけた。

 嬉しかった。彼が成長するのが。

 誇れた。そんな彼を見出したことを。

 まるで息子のような。弟のような。奇妙な感情を、小竜姫は、横島忠夫に対して抱くようになっていた。

 大戦が終わった後。

 彼は、泣いていた。愛しい人を失ったと、泣いていた。

 悲しかった。

 自分の誇りであった彼。その彼の心がズタズタに引き裂かれたというのに、自分はその時、何も知らず、土の中で眠っていたのだ。

 彼は自分の息子だった。彼は自分の弟だった。自分の可愛い、守りたい存在だった。

 守れなかった。

 自分の力の無さが、彼女は無性に悔しかった。

 自分に、アシュタロスを滅ぼせる力があれば。

 自分に、あの機動兵鬼を墜とせる力があれば。

 自分に、もっともっと、もっと、力があれば。

 力があれば。

 彼女は、己の無力を嘆いた。

 力を欲した。

 もう、誰にも負けたくなかった。

 彼を守りたいから。彼を誇りたいから。その資格を得たいから。

 彼女の心は、一つの決心で塗りつぶされる。

 負けたくない。負けてたまるか。もう二度と。

 たとえ、相手が誰であろうとも。

 二度と、負けてなるものか。

















 十、


 超加速。

 魔族の空間での使用は、エネルギーを著しく消費する。

 その技を、小竜姫は発動させた。

「ぐ……重い……」

 時間の流れが遅くなる。しかし、小竜姫の消費も激しかった。

 長くは続かないと、小竜姫は判断した。

 剣を取り、サミュエルへと駆け出す。紫刃は、その進路を止められない。

 剣を突き出す。小竜姫の二の腕まで、紫の球体に飲み込まれた。

 しかし、『血』は凝固しない。液体の『血』では、小竜姫の剣を防ぐことは出来ない。

 剣は、サミュエルの左胸に、深々と突き刺さった。

 限界だ。しかし、十分だった。

 小竜姫は、超加速を解いた。

「がばっ!?」

 サミュエルが血を吐き、球体から、力が抜ける。珠を形作っていた血が崩れ、サミュエルと小竜姫を、紫に彩った。

 剣を捻り、空気を入れ、さらに出血を促す。すでにサミュエルに、血液を操る余力は無かった。

 勝った。

 小竜姫は確信し、笑みを浮かべた。勝利の笑みを。

 ちらりと、サミュエルの顔を見る。

 サミュエルもまた、笑っていた。

 小竜姫と同じく、勝利の笑みを。

(そして、三つ)

 不意に、師の言葉の続きを、小竜姫は思い出した。

(勝ったからとて、決して油断はするな)

 サミュエルの体が、紫に変わる。

(油断した時、勝利は敗北に変わる)

 サミュエルの身体が、その形を崩す。

(努々、忘れるな)

 小竜姫が見詰める目の前で。

 サミュエルをかたどった血の人形は、爆発・四散した。
















 十一、


「どうしたい、大竜姫?」

 虚空を見詰める大竜姫をいぶかしみ、ベスパは尋ねた。

「…………いや……なんでもない」

 宙を見詰めていた大竜姫は、しばらくして、そう答えた。

 怪訝に思いながらも、ベスパは言う。

「悪いけど、物思いにふけってる暇は無いんだよ」

「分かっておる。まずは、こやつらをどうにかせねばな」

 視線を前方に直す大竜姫。その先には、ぞろぞろと、ポリゴンで作った人形の出来そこないのようなものが並んでいた。

 人形は、馬の首を持ったものや、『歩』という文字が胸に書かれたものなど、様々だった。

「時間稼ぎか」

「だろうな」

 侵入した魔族を追い、廊下を曲がった二人は、気付かぬうちに異空間へと足を踏み入れていたのだ。

「まったく。有象無象どもが、わらわらと」

「ここで時間を消費している暇はない。一気にいくぞ!」

「おうさ!」

 二人は、群がるポリゴン人形どもに跳びかかった。
















 十二、


 血まみれで横たわる小竜姫。ピクリとも、動かない。

 衣服は爆圧により引き裂かれ、身体もまた、多大なダメージを負っていた。手に持っていた剣も、何処かに吹き飛んでしまった。

 瀕死。そう呼ぶにふさわしい状態。

 そんな小竜姫を見下ろし、サミュエルは言う。

「切り札は、最後まで取っておくものじゃよ」

 その身体は、傷一つなかった。

「お主では勝てぬ。何度も言ったのう」

 手の平を噛み、血の刃を作り上げる。

「わしは慈悲深い。最期の言葉くらい、聞いてやろう。なにかないか? ん?」

 余裕の笑みを浮かべ、サミュエルは小竜姫に問う。

 小竜姫は答えない。ただ、口をパクパクと開閉させるだけ。言葉を発することすら、今の小竜姫にはままならなかった。

「どうした? なにもないのか?」

 それをわかっていながら、サミュエルはさらに問う。

「ん? 小竜姫?」

 嗤い、サミュエルは血まみれの女を嬲る。

 サミュエルは、気付かなかった。己の勝利を確信していたがゆえに。

 小竜姫の剣は、一体どこに行ったのか。

 些細とも思えることだった。しかし、注意深く見まわせば分かる。小竜姫の剣は、どこにも落ちてはいないのだ。

「なにもないのか?」

 小竜姫が何故、何も言わないのか。その理由を、サミュエルは考えるべきだった。

 しかし、既に勝利を確信していたサミュエルは、それが傷のせいだと、安易に解釈した。

 小竜姫の剣は、どこに行ったのか。

 果たして、剣は、未だに中空にあった。

 サミュエルは、気付かなかった。付与魔術を極めた彼は、付与魔術で解らぬ事など何も無かった。付与魔術を施された物が、施した者の意のままに操れる事も、当然、知っていた。ただ、気付かなかっただけだ。

 剣は、空にぴたりと止まる。

 切っ先を、サミュエルに向けて。

 わずかな停滞の後、それはためらうことなく、重力に引かれ、一気に落ちた。

「どうした? 小竜――――」

 剣は、サミュエルの左胸を貫いた。

「な…………」

 何が起こったの解からず、サミュエルは呆然とした。流れ出る血を操ることすら、忘れていた。

 その隙を、小竜姫は逃さなかった。

 溜めていた残りわずかな力を、一気に解放する。

 剣先を掴み、引き上げる。サミュエルの左肩が裂かれた。

 追撃。血を操る暇は与えない。

 渾身の力をこめて、剣を、真一文字に薙ぐ。

 サミュエルの首が、胴から離れた。

 首は地面をポンポンと跳ね、ころころと転がった。

 胴体は倒れ、黒い空間に、紫の池を作り上げる。

 その血が、蠢くことはなかった。単なる液体は、ただ、池の面積を広げるだけだった。

「切り札は、最後まで見せるな」

 横たわる身体に、小竜姫は語りかける。

「見せるなら、奥の手を持て。その四です」

 そして。

 まるで、操り人形の糸が切れたかのように。

 小竜姫は、紫の池に倒れ伏した。

 全ての力を使い果たした。

 もう、指一本動かない。

 でも、まあ、いいや。

 遠ざかる意識で、小竜姫は思う。

 なにはともあれ、勝てたのだから。

 負けなかったのだから。

 今度は…………

 今度は……………………

























 今度は、横島さんの役に、たてたかな……………………?








































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