投稿者 |
ゴットハード |
質問タイトル |
Re: 私は何も見なかったーーーッ!! |
質問内容 |
私は宗教に関してはまったく無知なので、今から書くことは完全な「私見」なのですが、もしかすると神の姿を見てしまったと言う行為が偶像崇拝につながる可能性があるからではないでしょうか? キリスト教においては、「父なる神」は唯一絶対のものです。 全知全能である神は、およそ人間の創造し得るような姿では存在しない、と言うことらしいです。もちろん、神の名前と言うのも存在してはならず、現在いろんな宗教において言われている「ヤーヴェ」やら、「エホバ」というのは、古い文献に記述される際にも意図的に母音を省いて記号化し、発音できなくした文字を便宜上(無理矢理)読んでいるものだと聞いた事があります。 つまりは、無限に信仰されるべき「神」の姿を、たとえ擬似的にしろ実体化させてしまっては都合が悪い、というわけでしょう。 それでも実際布教活動する上では、礼拝の対象となるものがないと具合が悪いので、「父の子」たるイエスや、『「父の子」たるイエスの母たるマリア』(あー、ややこしい)の象を利用したわけです。 これが、神の具像崇拝の禁止ですね。 唐巣神父は、当然宗教的な教養があるわけですから、人知を超えた存在であるはずの「神」のすがたをみてしまったこと(ついでに悪魔も!!!)の重大性を認識すると、唐巣神父の心中は察するに余りある、と言ったところでしょう。 そりゃあ、見てないことにするしかないでしょう。 ここに書いたことは、あくまでも原理的なことであって、各宗教、各宗派によって、神の存在の捕らえ方もさまざまでしょうから、異論反論があることとは思いますが、私個人はいかなる宗教も非難するつもりはありませんので。念のため。 |