投稿者 |
ホーエンハイム |
質問タイトル |
Re: 時間移動について |
質問内容 |
たびたび失礼します。ホーエンハイムです。一つだけ付け加えておきたいの でもうしばらくお付き合い下さい。 〉ある瞬間において、この宇宙には無限の事象が起こっています。その一つの起こりかたの違いで無数に広がるという事です。たとえば、今この瞬間に1万人の人間が歩いているとして、次の瞬間に彼らの取れる選択肢が「歩く」と「止まる」の2つだけだとして、未来は単純に2の10000乗となります。実際には、もっと多くの事象が起こっているし、とれる選択肢は無限になるので、「無限の時間軸」で間違いはないと思います。 〉 ここで一つ。個々人それぞれにまで着目し、際限漏らさず未来の事象の選択 肢を考えた場合、確かに2の10000乗の選択肢が発生するわけですが、大きな流 れにおいてや、人間一人一人に着目しなかった場合、一体どれほどの選択肢が あるのでしょう。単純に確率で考えたとしても、「半数の人間が立ち止まった」 と言うただ一つの事象が生じるという考えもできるのです。更には、立ち止ま るか否か、その決定に於いては人間の意志の他にもこの状態に至るまでの過程 が重要になってきます(それによって立ち止まるか進むか決める人もいるはず です)。それを考慮したとき、選択肢が大幅に狭められることは確実です。そ れに加えて、かの有名な「運命」なるものが本当に存在するとすれば、結果的 に、全世界的(宇宙的)には結果は一つとしてただ一つの選択を続けていくと いう事にもなるわけです。実際に、古典物理では初期条件によって以後の事象 は完全に予測できるという立場に立っていますし、「神(造物主)」の視点で は「宇宙は始まったときにその結果が決まっている」としてもそれを否定する 根拠はありません。 長くなりましたが、要は「それまで一本で進んできた時間軸なら、その後も 無制限に分岐するとは限らない」と言うだけなんですけどね(で、その制限す る要素が「因果律」なんじゃないかなあ、と言うわけで)。 まあ以上が、「時間軸は大筋で一つ」と言う内訳です。別に一つというのに こだわるわけではありません。この論法では「個人の行く末」についてはある いは無限に近い可能性があると考えても良いわけですしね。如何でしょう? |