投稿者 |
修羅魔破拳 |
質問タイトル |
Re: 時間移動について |
質問内容 |
私の貧弱な文系脳ミソにはそろそろ限界が、、、、 頑張りますのでお付き合いください。 〉個々人それぞれにまで着目し、際限漏らさず未来の事象の選択肢を考えた場合、確かに2の10000乗の選択肢が発生するわけですが、大きな流れにおいてや、人間一人一人に着目しなかった場合、一体どれほどの選択肢があるのでしょう。 「世界は広い」とはいっても、私がこの文章を打ちながら今この瞬間「8.3秒迷う世界」と「8.31秒迷う世界」は「別々の限りなく近い時間軸」上の点である、ということです。正しくは8.3秒迷った後に「結論を出す世界」と「さらに悩む世界」が違う世界ということです。ホーエンハイムさんは「着目しなかった場合」と書かれましたが、着目しようとしまいと「違う世界あることには変わりない」のです。全知全能の神にとって「のび太がジャイ子と結婚しようが静香と結婚しようがどうでもいいこと」なのです。神としては「セワシが生まれてくれさえすればいい」のです。しかし、明らかにこの二つは違う世界ですよね。 〉単純に確率で考えたとしても、「半数の人間が立ち止まった」と言うただ一つの事象が生じるという考えもできるのです。更には、立ち止まるか否か、その決定に於いては人間の意志の他にもこの状態に至るまでの過程が重要になってきます(それによって立ち止まるか進むか決める人もいるはずです)。それを考慮したとき、選択肢が大幅に狭められることは確実です。 過程、即ち過去ですね。過去もまた無数に存在するので、立ち止まる一瞬前に戻って「立ち止まろうと考えるか否か」の選択肢、さらに「立ち止まろうと考えさせる何かを考えるか否か」、さらに「立ち止まろうと考えさせる何かを考えさせる何かを考えるか否か」、という様に「人の心も瞬間の事象」と考えれば(どの神経にどのような電気信号が送られているかは立派に物理的な事象ではないでしょうか?)、現在にいたるまでの現在(即ち過去)が無限の広がりを持っているということになります。現在が無限の過去の上に存在する以上、現在も無限であり、その上に存在する未来もまた無限です。 〉それに加えて、かの有名な「運命」なるものが本当に存在するとすれば、結果的に、全世界的(宇宙的)には結果は一つとしてただ一つの選択を続けていくという事にもなるわけです。実際に、古典物理では初期条件によって以後の事象は完全に予測できるという立場に立っていますし、「神(造物主)」の視点では「宇宙は始まったときにその結果が決まっている」としてもそれを否定する根拠はありません。 「運命とは命を運ぶものであって命を定めうるものではない」などというどっかの作詞家の意見はさて置き、確かに初期条件によって以後の事象は完全に予測できます。しかし「ラプラスの悪魔」というパラドクスがあります。これは 「ある瞬間におけるすべての粒子のベクトルの向きと大きさを測定することができれ ば、未来は計算でただ一つに導き出せる。この測定者のことをラプラスの悪魔と名 付ける。しかし、ある瞬間におけるすべての粒子のベクトルの向きと大きさを定す ることは不可能である。従ってラプラスの悪魔は存在せず、未来は不確定なものと なる」 というものです。もっとも「ラプラスの悪魔なる存在」が我々の理解を超えた遥かに高次の存在であれば未来はただ一つなのかもしれません。しかし「GS美神」に出てくる神と魔の最高指導者(だったっけ?)が和平会議やら何やらをしたりしている以上この世界の神魔が「ラプラスの悪魔」より高次の存在ということはおそらくないでしょう。 〉 長くなりましたが、要は「それまで一本で進んできた時間軸なら、その後も 〉無制限に分岐するとは限らない」と言うだけなんですけどね(で、その制限す 〉る要素が「因果律」なんじゃないかなあ、と言うわけで)。 同様に、「ラプラスの逆悪魔」というパラドクスもあり、こちらは 「ラプラスの悪魔が存在しない以上、過去も未来と同様に計算でただ一つに導き出せ るものではない。従って過去もまた未来と同様不確定なものとなる」 というものです。 つまり明日の天気を予想すれば、予想する人によって様々な結果が得られます。同様に昨日の天気を「予想」すれば予想する人によって様々な結果が得られるということです。もっとも誰に聞いても「昨日の午後、大阪は晴れていた」と答えるでしょう。これは彼らが過去を「主観的に経験したから」です。しかし予想とは客観的なものです。 客観性の中に主観を持ち出すから「過去は確定、未来は不確定」となるのです。その証拠にある瞬間の天気図からその24時間前と24時間後の天気を予想すればその正当率は変わらないはずです。 要するに、「過去の時間軸は1本ではなく無数にある。ただ、我々個人の辿る時間軸は一本なので過去は確定されていると感じる」ということです。 また「因果律」とは「時間軸がある因を通れば、それに対応する果を必ず通る」というもので、因が無限にあれば果もまた無限に有り、時間軸はやはり無限なのではないでしょうか? もっとも「因」とは即ちあらゆる事象を表すので、すべての瞬間は何らかの法則で関係を持つものであるということはいえるし、となれば、空間から突然美女が降って湧いてくるようなことは(横島クンには悪いが)ありえません。これを「無限の可能性を否定するもの」といえばまさしくそうでしょう。 結論「未来は無限の広がりを持つ。しかしそれは無限の可能性を必ずしも含まない」 〉 まあ以上が、「時間軸は大筋で一つ」と言う内訳です。別に一つというのに 〉こだわるわけではありません。この論法では「個人の行く末」についてはある 〉いは無限に近い可能性があると考えても良いわけですしね。如何でしょう? たしかに、大筋では一つだと思います。因果律の最たるものは「命あるもの必ず死す、形あるもの必ず滅す」だと思います。従って、現在「世界」が存在する以上いつか必ず「世界の滅び」が来るのでしょう。「世界が始まって終わる」という時間軸の中に「太陽が生まれて滅ぶ」「地球が生まれて滅ぶ」「月が(以下同文)」という時間軸は間違いなくただ一つ存在すると思います。ただその時間軸の中には無限の分岐点が無限の分岐路を携えて充満しているのでしょう。恐らく時間というのは3次元の模型に表すと、ラグビーボールのような形の中を一方の頂点からもう一方の頂点へと勝手に泳ぐようなもの(始点と終点はただ一つに決まっているが無限の道程がある)なのでしょうか。 えーっと、他人様の意見に真っ向対立するのは気分を悪くされると嫌だなぁなどと思いつつ個人的にすごく楽しいので、とても嬉しいです。人に指摘されないと自分の意見なんて育たないし、相手の反論を論破してこそ自分の意見に自信がもてるというものでしょう。「時間の概念」は自作小説のネタに使おうと思っているので、自分の中で磨かれていくのはとても幸せなことだと思います。ありがとうございます。 |