投稿者 |
修羅魔破拳 |
質問タイトル |
Re: 時間移動について |
質問内容 |
〉だとすると、「情報」というものはどう説明しますか? 〉実体はないけど、「状況の変化」をつたえるし、 〉新たに生み出すこともありますが... 〉(情報子・ミームという概念もありますが...) 情報、即ち「記憶と記録」と捕らえていいのでしょうか。ならばそれは立派に物理的な事象(どちらも「電子」を媒体としています)だと思います。なお、ミームについては初耳でした。今後一層精進します。 〉「任意の観察対象の、指定された「時間経過後の」状況の変化」が 〉物理の「実験・観察」による「理論の検証」の大前提ですから、 〉大は重力(天体現象)、小は原子核の範囲まで、 〉「時間が不可逆」という定義の元での理論ですから... 〉「量子力学」の領域までいくと実証不能の観がするのですが... 〉「宇宙の年齢の何百倍の時間をかければ 〉あらゆる可能性の現象が観察出来る」という説など 〉「誰が確かめるんや!!」とツッコミ入れたくなります(笑) 「時間が不可逆」ということですが、これは「人間にとっては不可逆なもの」でいいんじゃないでしょうか。 これを空間的に考えると、我々は空間的2次元の「紙テープで作った輪」をそれ自体傷つけることなく表裏をひっくり返せます。それは「紙テープの輪」が我々より一つ次数の少ない存在だからです。紙テープは2次元的に見れば終わりが無く永久に続く閉鎖空間ですが、3次元的に見ればひっくり返せるくらいの大きな穴があります。同様にたとえばゴム毬にも4次元的に見ればひっくり返せるくらいの大きな穴があるのでしょう。ですから空間的4次元に存在する「何か」ならば、ゴム毬をそれ自体を傷付けずに表裏をひっくり返すことができるのでしょう。しかし、空間的3次元に存在する我々にはそんなことはできません。 問題を元に戻します。我々が時間的3次元(と呼ぶことにします。時間的2次元の構成要素については質問しないでください。現在考察中です)に存在する以上、我々が流れる時間をさかのぼることはできません。もっとも時間的4次元の世界に存在するものからすれば、(我々が直線状の3点を同時に認識できるように)過去も未来も現在と同じように扱えるはずなので、ゴム毬を裏返すように時間移動は可能(時間が可逆性を持つ)でしょう。 〉ここで見落している物が「干渉」と「線の断絶」です 〉「いのち」という現象は途絶えたら、「復活しない」というのが 〉我々の理解する物理現象です 〉破壊した建物は「誰かが直すまで」元には戻らないが、 〉「もとと似たような」建物を造る事は可能だが 〉完全にもとと同じ位置に(原子レベルで)再現は不可能です つまり、どういうことなのでしょう? 死んでしまったら時間軸が断絶してしまうという事でしょうか? 誰かが死んでも「その人が存命である」という「世界の構成要素のうちの一つ」が「その人は死亡している」に変わるだけで、時間の経過には何の支障もありません。 「干渉」についてはどのような状態をいう言葉なのか分からないので何とも言えません。具体例をあげていただけるとありがたいのですが。 〉数学的な存在としてあるなら「線の曲率」というのが 〉求められるのだが(2次元にせよ、3次元にせよ) 〉「曲線の曲率」を観察するには「世界の外」という視点が必要 〉ですが、それはもはや「神の視点」ですから、 〉「人には検証不可能」という結論になります No52で「ラプラスの悪魔」というパラドクスについて説明しました。確かに神の視点から見れば未来は予知可能でしょう。 〉たとえていうならば「破裂した花火の、火玉の前線」の様なもの 〉と、考えてよいのかな? 〉だけどこの場合は過去の時間線は「無限」ではないので 〉限定された領域でしかない。 〉花火製造工場から出荷された製品は、 〉打ち上げ現場に制限された領域内でしか 〉「事象の変数」は取り得ない(事故はあるにしても) 〉隅田川で打ち上げた花火が、大阪の通天閣まで 〉火の粉が飛んでくるのを観察するのは 〉「ほぼ不可能」と言っていいでしょう その領域が因果律です。因(=あらゆる事象)を通った時間軸は果(=因と関係を持つ事象)を必ず通ります。因の無い果は存在し得ず、果の無い因もまた存在し得ません。あらゆる事象はその過去に起きた何らかの事象と何らかの関係を持っている、ということです。隅田川で打ち上げられた花火はその近辺でなければ見れませんが、見れる場所にいればその火花は無限の方向に飛んでいるでしょう。因果律の許す範囲で無限の広がりを持つ、それが過去であり未来であります。 〉たとえが適切かどうかは自信無いのですが 〉「無限の可能性」を言い出したら、 〉それは議論の「収束」ではなく「放散」となってしまいますから... 〉「限定」ではないけど、ある程度の予想の枠くらいないと 〉「なんでもあり」はそれから先に進めないのですから No52でも書きましたので、詳しくはそちらを参照して頂くとして、未来とは「無限の広がりを持つが、無限の可能性を必ずしも含むものではない」のです。けしてなんでもありでは有りません。時間的4次元から見れば我々の「なんでもあり」が当たり前なのかもしれませんが、、、、 |