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修羅魔破拳 |
質問タイトル |
Re: 時間移動について |
質問内容 |
たしかにケリをつけたいですね。そろそろ。 〉 まず「ラプラスの悪魔」ですが、私が前回申し上げた事も、まあこの考えが裏にあってのことです。これはパラドクスとして一応有名ですが、これは本当にパラドクスなんでしょうか?この逆説のミソは、「すべてを測定するのが不可能」と言うことにあるわけですが(実際不可能なんですけどね。不確定性原理か何かで証明されているんじゃなかったでしょうか?) 確か、対象とする世界がミクロになればなるほど、密度が高ければ高いほど、物理法則が成立しなくなっていったと思います(自信無い)。ビッグバン以前は世界の密度が∞だったために物理法則の不確定性も∞となり、時間の流れ(物理法則)も存在しなかったとかなんとか、、、、(^^) 〉これがご指摘の「より高次の存在」にとっても不可能とは限らないわけです。その存在」自体、存在するかどうか分からないわけですが、まあ存在を仮定するだけで、理論としては十分です。ただこの「存在」はGSの中の神や悪魔ではありません。そう言う高次の存在は今まで登場していませんが、アシュタロスが口にはしていたでしょう、「造物主」と。私はこの「造物主」なら「ラプラスの魔」ぐらいのことはできるのでは、と思っています。 何しろ造物主ですからねぇ。世界を作った存在である以上、世界の内側にいることはできませんからね。きっとビッグバン以前にすでに存在していたのでしょう。 〉それから、私は「限定」という言葉を多用し、貴方は「無限」ということにこだわっておられましたが、ここで私はうっかりしていました。確かにいくら限定しても、無限であることは損ないません(どんな小さな限定した面上にも、点は無限に存在する)。多分、一番の食い違いはここでしょう。 で、それをふまえた上で、最後の「時間軸の形状」(こういう言い方をして良いものかは分かりませんが)についてですが、「ラグビーボール」もうんと引き延ばせば線のようになってしまいますよね?私の考えるものは、「電線のようなもの」です。例え針金のようなものでも断面は面であり、その中には無数の点が存在するわけです。そして、太さを持ったものでも、十分遠方からみれば線になるわけで、「何処にいるか分からないエライ人」にとってはこれは単一の時間軸と考えて良いはずです。我々にとっては十分無限なわけですが、もしこの電線の太さからはみ出るような行いをしようとしたとき(アシュみたいにとか、時間移動して世界を大幅にかえるとか)、何らかの歪みがでるのかもしれませんね。 電線、、、、実に当を得た譬えだと思います。瞬間を電線内の自由電子とすれば、−極(過去)から+極(未来)に逆戻りすることなく、しかし自由に進んでいく電子(現在) 、これは私の考えそのままです。 〉ただ、過去は一つしかありませんよ。無数の人間が過去を経験しているとは言え、それらを全部ひっくるめてただ一つの結果だけを残し続けてきたはずです。(でも時間移動があると一つとは限らなくなってしまうんですよね。どうしたもんだか。) 我々にとって、過去は一つです。これは、我々にとって未来は一つ(可能性があるったって、KO大学に現役合格している自分と同大学にすべった自分は同時に体験できないでしょう)なのと同じです。無限の過去は「我々よりも時間的に高次の存在」にのみ感知できることであって、我々には解りません。パラレルワールドが存在する以上、当然捻れの位置に存在する時間軸同士が存在するのであって、たとえばその二つの時間軸においてある瞬間(世界の始まりからある一定の時間的距離を経た時間的位置)はまったく別の過去を持つわけですね。この時間軸が未来のどこかで交わったとして、その交点となる瞬間には少なくとも2つの過去が存在するわけです。無限の軸が存在する以上無限の瞬間がその交点となります。しかし、これを読んだ貴方は思います。「僕の小学校時代はただ一つであり、2つまたはそれ以上存在なんかしない!!」まったくです。その通りです。それは、貴方がある特定の時間軸上を律義に進んできているからです。無限の過去というのは「現在の貴方を構成する小学校時代がある」という事実に対し「その小学校時代が無限に考えられる」という「客観的推論」でしかありません。今この瞬間に貴方と同時に存在している私は貴方と同じ時間軸をたどってきている私であり(人によって時間軸が異なるのではなく、世界によって異なる)、それ以外の過去は私にも知りようがありません。ただ(例えば)陽気で明るい貴方の性格が「みんなの人気者としてすごした小学校時代」のおかげか「陰気だった小学校生活に自ら終止符を打った」ためか、実際には(貴方のたどってきた時間軸が)前者だとしてもこのまったく同じ瞬間の存在する別(違う時間軸上)の世界では後者かも知れないのです。実際大昔のことは解ってないじゃないですか。そこに人間が空想を遊ばせる余地がある以上、そこ(過去)には無限の可能性(正しくは「因果律を超えない範囲での無限の可能性」)が隠れていると思いませんか? 〉余談になりますが、太さに余裕のある未来の時間軸に対して過去は一つというので、「金太郎飴」を後ろから引っ張って細くしていくのを思い浮かべてしまった。情緒もへったくれも無いですね。お粗末でした。 その飴は「一<二」といったかたちになるんですかねぇ、、、、 |