No.1 | 2000/07/14 01:05 | 中村 守博(task17@mocha.ocn.ne.jp) |
No.2 | 2000/07/14 21:37 | かいな |
面白かったです〜!(汗)
文章のプロのような、、、うらやましい、、、。
〉 さて、三河での闘いの想を練っていたと思われる信長は、日吉に
〉 「ヒナタと一旦さよならしてこい」ってこれまた、お約束的なセリフが登場しますが、
あ、、そういう意味かぁ、、、納得、、(←気付よ馬鹿、、T.T)
初陣前に男の初陣済ませて覚悟決めてこいみたいな、、?、、違うか。
(私の予測とか読みはマトモに当たった事がない、、、ま、いいけど^^;)
、、あの、ところで『やおいの要素』というのは作品自身に意図的に含めてある、という事でしょうか?
それとも女性読者が勝手に色々と楽しめる余地、、という事でしょうか?
No.3 | 2000/07/15 01:53 | 笹蒲鉾(hayakawa@kamab.net) |
〉、、あの、ところで『やおいの要素』というのは作品自身に意図的に含めてある、という事でしょうか?
〉それとも女性読者が勝手に色々と楽しめる余地、、という事でしょうか?
意図的に演出してるのではないか、これが現在サイト上での主流な意見ですね。
もちろん、完全に見せ付けてないあたりが上手いとこです。
No.4 | 2000/07/15 03:40 | 沼津市民 |
〉
〉〉、、あの、ところで『やおいの要素』というのは作品自身に意図的に含めてある、という事でしょうか?
〉〉それとも女性読者が勝手に色々と楽しめる余地、、という事でしょうか?
〉
〉 意図的に演出してるのではないか、これが現在サイト上での主流な意見ですね。
〉もちろん、完全に見せ付けてないあたりが上手いとこです。
だから、興味ない人も振り回されなくてよくって助かります。
紺種はあえて否定してもらってよかったです。
横島のイメージだってくずれちゃうしね(笑
No.5 | 2000/07/15 02:14 | 笹蒲鉾(hayakawa@kamab.net) |
〉 なんせ『修羅場』ですからなー、信長の遊び場って・・・。
〉 蜂須賀村の決闘でも、火薬庫で火遊びするって荒行を為すお人ですので
〉 ぷーーーーと、ふくれっ面している濃姫には知る由もないですが
〉 この場所こそが「過去信長が遊び場」にした場所ですから
〉 『いつも』ってニュアンスを外せば、当たらずとも遠からずですから
〉 そんなに怒らないでください。>濃姫さん
いやもっと怒って信長の暴走を止めるべし。
〉 ジパングでの 信長&ヒヨシ 濃姫&ヒナタ 仲良し漫才4人って構図を思い浮かんでしまった
〉 私はダメなんでしょうか。
基本的に椎名作品は「笑い」ですから結構ではないでしょうか。まあ漫才というなら
どっちがボケでどちらが突っ込みでしょうかね。日吉なんぞ信長に突っ込み入れられるのかしら。
〉 その一瞬の平和が実は脆く儚いものと達観する信長がついにあのセリフを呟きます。
〉
〉 『天下布武』
天下ですか、少年は大志を抱くですね。そういや天下への意欲といや大河ドラマ「毛利元就」
を思い出しましたよ。あれでも、厳島参拝の折ですか、少年元就が天下を目指すとか言って
ました。最も大人になったら、守勢に入ってしまったけどね。大人は擦れてやだなあ(笑)
〉 よく、守護大名と戦国大名の違いって質問がありますが、これは単純明快です。
〉 『荘園制を認めず大名自体が直接その地を支配する土地管理体制』が戦国大名であり
〉 これ以外は全て守護大名です。
守護大名ですか・・・。下地中分⇒守護による地頭の支配⇒半済令 な感じで
守護大名が誕生したのかな。戦国大名の先駆けが北条早雲な訳ね。
〉 つーか、難しい話は置いといてっ・・・ 「馬上で天下を語る」ってのは
〉 過去の歴史では何度も行われる「好例儀式」であり、特に将来天下を争う覇者が
〉 夕陽に染まる空を見上げて「オレの天下は・・・」と、こられた場合は
〉 歴史マニアとしては、自動的に溜飲を下げてしまう現象が報告されています。(業)
どうかな(笑)。この場面の場合、日吉と信長の立場の差が激しいですからね。もう少しの
日吉の成長を望みます。でも馬上で天下を語るエピソードって実はあまり知らなかったりします。
せいぜい、皮肉の嘆とか、三顧の礼での帰城場面とか(結局三国志)。
〉 でも、日吉は足軽とは言えない身分になっており、改方奉行って感じで
〉 信長の側で修羅場をくぐるんではないかなとは思います。
私の推測では、日吉は竹千代もろとも今川サイドに移るのではないでしょうか。
だから、ヒナタが嫌な予感だと。
〉 現在の日本は平和ですが、価値観や既成秩序や風習が次々と壊れて流動化しています。
〉 この濁流の様な状態は、実は信長達が生きた戦国時代に似ていませんか?
〉 この混沌とした世界・・と、地理的な規模はデカくなりましたが、
〉 その他の技術で、その「かたまり」は、あまり変わらないようです。
まだまだ、過去に囚われている人間が政界・財界に多いですよ。混沌のレベルには達していない
のではないでしょうか。
笹蒲鉾/試験は近い
第二部。
「だって・・・いつも遊んでる場所に行きたいのっ!!」
って、キツイ眼でにらみ返す濃姫さんですが、しかし、少年誌で
「遊びどころのきれいどころ」ってセリフを濃ちゃんに言わせますか!>椎名先生
まあ、信長としてもマジで遊び場に連れていた場合は、濃姫さんはフル装備で
出かけねば危ない気がしますが。
なんせ『修羅場』ですからなー、信長の遊び場って・・・。
蜂須賀村の決闘でも、火薬庫で火遊びするって荒行を為すお人ですので
ぷーーーーと、ふくれっ面している濃姫には知る由もないですが
この場所こそが「過去信長が遊び場」にした場所ですから
『いつも』ってニュアンスを外せば、当たらずとも遠からずですから
そんなに怒らないでください。>濃姫さん
さて、障子越しに「インケツーきゃー総取りよ〜」とこだまする
描写は、なんか過去の関西の市井娘風情の大作「ジャリんこチエ」を
彷彿とさせるのはやはり、気のせいでしょうか。
『今はまだ』と、雑音を遮って小六が信長に、お仕事向きの水を向け、
『もうすぐだ』から、心構えは要るがどうか?って話しますが、
信長は、呑気に壺振りに興じる「濃姫」を思いながらも
「もうちょっと、遊んでいたい」と、さらりとかわします。
ここで、一服。
姫の影武者の任を遂行しつつある女華姫を案じたヒヨシが
「そろそろ帰りましょう?」と投げると。
マムシの濃姫がウワバミになってメロメロ状態を抱えた、ヒナタが
「あ、だいじょーぶ、帰るまでに抜けます〜(酒が)」と、返すテンポの描写で
ジパングでの 信長&ヒヨシ 濃姫&ヒナタ 仲良し漫才4人って構図を思い浮かんでしまった
私はダメなんでしょうか。
しかし、「ふにゃー?のびゅなぎゃさま〜〜」と酔った濃姫って
先週の何とも言えない濃姫との目眩のする落差を感じて面白いですね。
これこそ、燃え!って感じですね。(戦国時代風にアレンジ)
しかし、この頃のお酒は大量に飲まねば酩酊しないと聞きましたが
一体何を飲ませたのでしょうか? 以外とブランデーとかワインとかだったら
蜂須賀党には堺方面との関係が疑われて愉しいのですが。(オレが)
一服終わり。
闘い済んで日が暮れる濃尾平野の田園街道を、白馬の王子様に抱かれて
スヤスヤお寝むの姫さま(ひいさまとも言う)ですが、当の王子様は
あまり面白くはないものの満更でもない様です。
その一瞬の平和が実は脆く儚いものと達観する信長がついにあのセリフを呟きます。
『天下布武』
それに理解を示す日吉さんですが、信長の言うソレと日吉のソレとは
その考えの趣が違うようです。
信長が続いて喋った話は、その時代までの支配体制を実にダイレクトに言い当てています。
鎌倉氏にせよ、足利氏にせよ、やはりその支配根拠は荘園体制の維持管理と言う中世世界の
既得権の守護者が天下人になったってことです。
よく、守護大名と戦国大名の違いって質問がありますが、これは単純明快です。
『荘園制を認めず大名自体が直接その地を支配する土地管理体制』が戦国大名であり
これ以外は全て守護大名です。
つーか、難しい話は置いといてっ・・・ 「馬上で天下を語る」ってのは
過去の歴史では何度も行われる「好例儀式」であり、特に将来天下を争う覇者が
夕陽に染まる空を見上げて「オレの天下は・・・」と、こられた場合は
歴史マニアとしては、自動的に溜飲を下げてしまう現象が報告されています。(業)
さて、三河での闘いの想を練っていたと思われる信長は、日吉に
「ヒナタと一旦さよならしてこい」ってこれまた、お約束的なセリフが登場しますが、
それと同時に、ヒナタの方でも壺が割れるって返しがくる描写は、最初の三ページとの
つじつまを合わせて「今日の愉しい日は脆く儚い」ってのを強烈に印象ずけています。
でも、日吉は足軽とは言えない身分になっており、改方奉行って感じで
信長の側で修羅場をくぐるんではないかなとは思います。
姫捕り物語り編の見開きカラーのアオリで、
「なんでも自由にして良かった時代があった、なんでもありのその世界」
「オイオイオイ、日本の話だぜ。」
ってのがありましたが、サンデーのアオリとしては上出来ですね。
ただ、その自由とは、かの名作「北斗の拳アニメ版OP」での
「この〜腐敗と〜自由と〜暴力の真っ直中〜♪」
って言うニュアンスを併せ持つべきでした、何故ならば
言葉のヘ理屈が通じない当に『力』の時代その物だったからです。
いくさ・・・と呆然となる日吉ですが、それが日常だったのです。
でも信長大愚連隊でどんちゃん騒げば、少なくともその日は
その日常から抜けられたとも言えます。
現在の日本は平和ですが、価値観や既成秩序や風習が次々と壊れて流動化しています。
この濁流の様な状態は、実は信長達が生きた戦国時代に似ていませんか?
この混沌とした世界・・と、地理的な規模はデカくなりましたが、
その他の技術で、その「かたまり」は、あまり変わらないようです。
400年たっても、人はやはり人です。 そして歴史は人が織りなすのです。
と、哲学的に終わり。 近況・NXは修理からもどらーん!