No.1 | 2001/03/22 18:30 | NN |
No.2 | 2001/03/29 11:16 | Iholi(yiholi@nike.dricas.com) |
NNさん、どうもはじめまして。
〉今のとこヒナタの売りって顔しかないんだから
〉もっとまともにかわいく描いてやればいいのにな椎名御大。
〉自分でヒロインにしたんだし。
〉今週のどの信長よりもあのヒナタ1カット作画どうでもよさ気炸裂。
〉
〉自分の描きたいキャラ(信長とか帰蝶とかオヤジ)と
〉比較的どうでもいいキャラ(日吉とかヒナタ)の
〉力の入れ様が性格付けから作画まで差があり過ぎな印象がある。
〉信長とか描いてるときはあんだけ楽しそうなのが伝わってくるんだが。
〉楽しそうなのはいいし見てて面白いんだが、
〉御大漫画家としては仕事人性質タイプだと思ってたんでこの落差はちょっとどうかと思う。
『極楽』の頃からこんな感じだったと思います。
特にコマ数当たりの登場率の多いキヌを見ると、一寸このマンガの看板娘とは思えない
ような(作画上の)扱いを受けている事もしばしばでした。
これはまあ、マンガを描いているのが人間である以上、仕事にバラツキが生じるのは
仕方の無いことです。
逆にそうした部分から、作家の制作方針から精神状態に至るまで(笑)色々と邪推してみる
のも、またひとつのマンガの楽しみ方です。例えば、
「こんな描き方をされているこのキャラは、今のエピソウドではあまり重要では無いのだな
と思わせといて、実は後で大活躍をするに違いない! いや、どうかこの子を活躍させて
やって下さいよ、先生ぇ……。」
といった見方とか(いや、マネしないほうが良いかも)。
まあでも、ヒナタも日吉(藤吉郎)もこのマンガにおいて折角の貴重なヒロゥイン(候補)
キャラなのだから(笑)、なるべく魅力的に描いて欲しいと願うのが人情です。
もっとも日吉の場合は竹千代無き今、マスコットとギャグメイカァの両方の素養を具えた
キャラとして、また農民出身の土臭さを強調したデザインが為されていると思います。
『極楽』におけるルシオラが、物語の中心に据えられてからは内面的には勿論外見的にも
魅力的に描かれるようになった例も在ります。
ヒナタも日吉も、まだまだ主役に成りきれていないヒヨっ子なのです。これから先の展開
こそが、彼女らの主役獲得の英雄物語となる事に期待しましょう。
Iholi@『Mr.』について、未だ『極楽』との比較でしか論じられないのが悔しい
今のとこヒナタの売りって顔しかないんだから
もっとまともにかわいく描いてやればいいのにな椎名御大。
自分でヒロインにしたんだし。
今週のどの信長よりもあのヒナタ1カット作画どうでもよさ気炸裂。
自分の描きたいキャラ(信長とか帰蝶とかオヤジ)と
比較的どうでもいいキャラ(日吉とかヒナタ)の
力の入れ様が性格付けから作画まで差があり過ぎな印象がある。
信長とか描いてるときはあんだけ楽しそうなのが伝わってくるんだが。
楽しそうなのはいいし見てて面白いんだが、
御大漫画家としては仕事人性質タイプだと思ってたんでこの落差はちょっとどうかと思う。