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00/ 9/ 3 ラブヒナタ第4回 タイムギャル2000

不定期ヒナタ考察企画
ラブヒナタ(←タイトル)

第4回 タイムギャル2000

 「ラブにひなりやがって…!
  ラブにひなりやがって…!」(先週のマガジンの「ラブひな」をコンビニで立ち読みしながら呟くように)

 つうか、もはや連載開始当初に設定していた気になる伏線をすべて消化し、後は主人公とヒロインが文字通りラブにひなるしかやることがなくなりつつある「ラブひな」のことはさておき(←なら書くなよ)、今回のテーマはヒナタです。


 ヒナタと言えば、初登場時には懐からいきなり手裏剣を取り出して忍者っぽい振る舞いをしてみたけど結局忍者っぽい振る舞いをしてみただけだったり、橋のたもとで日吉の寝顔を見ながら一晩中妄想を働かせてニヤニヤしていたり、「自分は武田忍軍の情報部出身」と言っておきながら木曽の蜂須賀一家のことを何も知らなかったり、信長と日吉との掛け算妄想を働かせてニヤニヤしていたり、飯場で同僚のおばさんとエロトークを繰り広げて耳年増になったり、安祥城の戦いの前の晩に布団の中で日吉の事を考えつつ妄想を働かせてニヤニヤしていたりと(注:一部事実を誇張している箇所があります)、本来ならば本編のヒロインだったはずなのに随分とアレでナニな扱いを受けてきたような気がしないでもないのですが、しかしそんな彼女も『戦争の猿たち』編で、ついに不思議少女系キャラとして一気に大ブレイク!
 「惚けた顔して突拍子もないことを突然言い出し、周囲の人を困らせる」という不思議少女っぷりを突然発揮し始めたヒナタを目の当たりにした日吉は、なんかいい感じに大混乱している様子ですよ!(←ダメやん)

 というか、この前から始まった『継ぐのは誰だ』編になってからは、いきなりSFっぽい設定とか能力の描写が頻発しており、なんかヒナタの能力に振り回される日吉以上に、マンガ読んでる私の方が振り回されそうになりつつあります。
 これまでの「ラブヒナタ(←タイトル)」は、どっちかと言えばヒナタというキャラをネタにしつつからかって遊んでみることを主眼に置いてまいりましたが(こんなサイト主催者で大変に申し訳ない)、今回はヒナタがここ2ヶ月の間にこれまでとは大きく違ったキャラに成長しつつあることを鑑みて、これまでマンガの中に登場してきたヒナタのソレっぽい特殊能力を整理し、真摯な態度で理解を深めることを目的にしてみることにしました。

多元宇宙

 ヒナタの不思議少女系問題発言の多くは、サンデー37+38号と39号で行われています。
 この中では数多くの「伏線」を示唆するような台詞が出てきましたが、その中でもこのマンガの世界設定の基幹そのものを垣間見させてくれたのが、

私にも時間の流れが少しだけど見えてきたわ。
でもこれ、多分ヒカゲちゃんの見えてるものとはちょっとちがう。
だって…
私の世界では信長さまと天回宗は――
戦って…

 という、大層イカした台詞です。

 この台詞からは、我々読者が知っている歴史を持つ「世界」以外にも、天回宗という名の変な宗教団体が信長相手にドンパチやってた不思議世界が「現実」として存在していることを示唆しています。この手の「この世界以外にも、異なる世界が並列して存在する」系の世界設定は、俗に「パラレルワールド」とか「多元宇宙」とか言われていますけど、このマンガもこのモデルが世界構造の大枠として採用されていることが、この台詞で明確になりつつあると言えます。
 もしかしたら、ヒナタは(我々の世界ではなく)その不思議世界からやって来た人間である、という可能性も否定はできないような気がします。もしそうだとしたら、きっとヒナタが元いた不思議世界では、ここ日本はニッポンではなく「ジパング」とかいう珍妙な名前で呼ばれているに違いありません(決めつけ)。

 また、そのヒナタと同じ体を共有しているヒカゲは、「将来『秀吉』になる人間が、こんな戦で死ぬはずないじゃん」という趣旨の身も蓋もない台詞を以前していることからも判るように、ヒナタとは違ってあくまで我々と同じ歴史を持った世界(=つまりはこの世界)に属している人間であることは間違いないでしょう。
 彼女の言う「私の世界とのズレ」は、そのまま我々読者が知っている歴史とのズレに相当しますが、これは即ち、もしマンガが歴史と違ったオリジナルな展開を見せていたら、そのまま「歴史とのズレが生じている=何らかの『能力者』が歴史に介入している」事を意味します。例えば、サンデー40号でおっぱいを見せた直後に忍者に襲われるという大活躍を見せた期待のおっぱい要員・松下加江の存在などは、正にこの「歴史とのズレ」に当たります。

 これは、読者にとっては「今、マンガの中で何が起こっているのか?」ってことを把握しやすい点でかなり有益であり、また作者にとっても歴史モノというジャンルの中に留まる範囲内で作品の自由度を高める事が可能になることを考えると、作品世界モデルとしてはかなり優れた構造をしていると評価して良いでしょう。
 サンデーはマガジンと違って乳首をちゃんと描いてくれるマンガが多いので大好きです(真摯な表情で)。

予知能力

 「戦争の猿たち」編では、日吉が数に勝る今川兵を相手に対戦相手の動きを予測して大立ち回りを演じるという、なんか日吉が「ジョジョの奇妙な冒険」で言うところのスタンド(スタンド名:キング・クリムゾン)に目覚めたような活躍を見せましたが、これはどうやらヒナタが日吉の身を守るために自らの「未来を視る」能力を発動して日吉の意識に介入した、というのが真相の様です。
 従って、日吉にとって、ヒナタとはスタンド(スタンド名:ヒナタ)である、と定義することができますね(←できません)。

 それはともかく、未来予知能力ってはいわゆる「超能力」の中でも比較的ポピュラーなものであり、ギリシャ神話に出てくるカサンドラ、「To Heart」の姫川琴音、果てはマギー史郎のトランプマジック芸(台詞:「コレ、茨城のおばちゃんにはウケたんだけどね〜」)に至るまで、様々な予知能力者が多様なメディアに登場して来ました。また、その予知能力の「正体」のパターンも、「未来から来たので過去のことを全部知っているタイプ」から「自分の思った通りに未来を変えてしまうタイプ」まで実に多種多様なものが存在します。
 が、予知能力者が出てくるタイプのSFにおいては、「何故、そのキャラは予知能力を持っているのか?」という理由を、如何にも科学的っぽい理由で説明できなければならないという制約があります(じゃないとサイエンスじゃなくてファンタジーになってしまうから)。
 まぁ、「MISTER ジパング」は最初から「戦国ファンタジー」と銘打っていますので、別に何故ヒナタが予知能力を持っているのかを科学的に考える必要は全然ないんですけど、しかしエピソードのサブタイトルに「ホーキング宇宙を語る」(スティーブン・W・ホーキング/早川書房)とか、「継ぐのは誰か?」(小松左京/角川春樹事務所)などのサイエンス系の本のタイトルパロディを積極的に使っている辺りからして、このマンガも根底に流れるエッセンスはSFを強く意識したものであると考えるべきでしょう(と、強引に話をSF方向に持っていく)。

 で、この作品に登場する予知能力の「理由」として一番可能性がありそうなのは、この作品が前述の「多元宇宙」を採用しているかもしれないことを考えると、(パラレルワールドの設定としては最もオーソドックスなパターンである)ハイゼンベルグの「不確定性原理」の概念から導出されるタイプのものを想定してみるのが一番妥当かな、と思います。
 不確定性原理は、非常に大ざっぱに言えば『素粒子レベルでの運動は「確率」でしか示せない不確定なものであり、それ故に固有の「未来」を予測することはできない』というもの(らしい)のですが、それをSF的に発想を拡張させてみると、「『未来』は素粒子レベルで確率的に起こり得る数だけ分岐して存在しているんだから、そういう別の『未来』を辿った世界がこの宇宙と平行して存在していてもいいじゃないか」という考えが導き出されます。
 こういうノリで作られたのが、いわゆるパラレルワールドSFと言われるジャンルに属する作品です。

 このモデルが優れているのは、「量子力学的に言えば、歴史がそうなる可能性があった」というSFっぽい説明さえあれば、基本的にはどんな世界が平行に存在していてもオッケーになる点です。なので、「ヒトラーが勝った世界」というスケールの大きいモノから、「主人公が女にモテモテな世界」というセコいけどモノまで、多種多様な世界を持ったSF作品が作られて来ました。
 パラレルワールドSFとしては、「発狂した宇宙」(フレドリック・ブラウン/ハヤカワ文庫)や、「創世紀機械」(J・P・ホーガン/創元推理文庫)辺りが有名ですね(←古い)。

 このモデルに従った場合、ヒナタ(および、ヒカゲや天回宗といった「能力者」)の未来予知能力とは、本来ならば不確定であるはずの未来の「確定した状態」を視る能力である、と定義できます。能力者に見える未来はあくまで無数の可能性のうちの一つに過ぎませんから、前とは別の選択肢を取ることによって「未来」を変更することが可能になります。
 ただ、能力者は未来を見ることはできても全ての事象をコントロールできる訳ではありませんし、更にこのマンガにおいては、あまりにも未来が変わり過ぎると予知能力が働かなくなってしまうという制約も存在している様子なので、決して能力者も万能という訳ではないようです。
 現に、「継ぐのは誰か」編(その1)では、ヒナタの「でもこれ、多分ヒカゲちゃんの見えてるものとはちょっとちがう」という台詞の形で、このマンガの世界はヒカゲの世界(=我々が知っている歴史の世界)から「分岐」して枝分かれしつつある→ヒカゲの未来予知能力が使えなくなっていることが提示されています。
 今の「MISTER ジパング」の世界は、もう我々が知っている歴史の世界ではないのです。

 ――以上、もしこのマンガが世界モデルとして「不確定性原理から導出された多元宇宙」を採用していたという仮定で適当に話を進めて来ましたが、もしこの前提が正しいのであれば、今回のヒナタや天回宗達の「能力」に関して、椎名氏がその手のSF作品からアイデアを得ている可能性はかなり高いです。興味のある方は、この手の「多元宇宙」モノSFを読んでみるのもいいかも。
 「太閤記」もいいけど、ホーガンもいいぞ!(真摯な表情で)

好きとか嫌いとか

 という感じで、私のように昔SF読んで育った世代の人間にとっては、ここ最近のソレっぽい台詞がバンバン出てくる展開はンもう最高!(藤崎詩織@ときメモぱずるだまヴォイスで) って感じで萌え萌えなのですが、しかし現在の展開に対しては多少の懸念がない訳でもありません。
 例えば、この前のサンデー39号において、ヒカゲは

 ただ、この状態――悪くないわね。
 明日が判らないってこと。
 この世界が何なのか、この先、どうなっていくのか――
 私たちやあなたが何者なのか……
 もう見えないの。

 と、もはや彼女の能力でも“不確定性の霧の中”に沈んでしまう程、このマンガの世界が現在の歴史の世界から離れつつあることを提示していますが、これって逆に言えば、「今までこのマンガの中で積み上げてきた歴史的な設定が、全部台無しになっちゃった」とも取れてしまう危険性を孕んでいます。
 我々はこれまで、「ジパング」に出てきた日吉は我々の世界の豊臣秀吉と同一人物であり、信長も我々の世界の織田信長と同一人物であったと認識していたからこそ、このマンガを基本的には「歴史マンガ」と捉え、実際の歴史や他の歴史を扱った作品群と比較しつつ、色々と今後の展開を想像する楽しみを得てきた訳なのですが、それがサンデーのハシラで「未来はどこに……日吉は豊臣秀吉ではないのか?」とかいきなり怖い言葉でアオられちゃったら、こっちとしてはちょっと困ってしまいますよネ☆彡(ファンシー)。
 実際、チャットでも「じゃあ、これまでの盛り上がりは何だったの? タダの遊び? アタシの気持ちを弄ぶつもりだったのネ!」という意見(注;表現を大幅に湾曲してます)も流れていました。

 また、個人的に気になっているのが、以前ヒカゲがボソッと意味ありげに言っていた「いずれヒナタは消える」という事実そのものまでが、不確定性の霧の中でキャンセルされてしまったのか否か? という点です。ヒナタというキャラを語る上では、このヒカゲの言葉は決して無視できない要素だと思っているので、ちょっと気掛かりな感じ。
 やっは椎名ギャルは、一度は死んどかないとな!(←問題発言)


 そして、どうせ人間一度は死ぬものだ! 命短し恋せよ乙女! つう訳で、ここに来て急浮上して来たのが、日吉を想うヒナタの恋する気持ちです。
 日吉に対してヒナタが好意を持っている様は、「蜂須賀村の決闘」(その1)の序盤で、日吉の寝顔を見ながら妄想を働かせてニヤニヤしているヒナタの姿から容易に推測できます。ただ、その後は日吉と信長の仲が(やおい的な意味抜きで)急接近し、日吉が信長に付きっ切りになってしまう事が多くなったことが影響してか、その後はこの二人の間にはそれ以上の進展は見られませんでした。
 ヒナタが信長と日吉との掛け算妄想を働かせてニヤニヤしたりするシーンがあったのも、彼氏に会えない彼女の心情を考えれば致し方ないといったところでしょう(よくないと思います)。

 とは言うものの、前回の話ではヒナタが日吉(と、日吉の持っていた永楽銭)を見て、直感的に「すごく大事な永楽銭の使い方(=永楽銭で日吉が銃撃を受ける場所に弾避けを作る)」を思い付いたり、例のヒナタスタンドも日吉の生命の危機が発動のトリガーになっていたりする辺りを見ると、ヒナタの日吉に対する感情はかなりラブ方面に高まっていると思われます。
 また、これらのシーンからは、「ヒナタの能力は、日吉を助けるため(にだけ)発動する」ことも見て取れます。天回宗が(その意図は分からないにしろ)この世界の歴史の信長の力を殺ぐことを目的にして能力を使っていたり、逆にヒカゲがその場その場で適切な助言を行うために能力を使っているのに比べると、ヒナタの能力は何というか、良く言って「恋人思い」、悪く言えば「独善的」であると言えましょう。

 何にしろ、日吉は「自分が戦場で生き残ったのはヒナタのおかげ」ということを自覚している模様なので、今後日吉がヒナタに対して抱く感情も、より深い方向――ヒナタが自分を守ってくれた事に対する思いとか、ヒナタに守られているだけじゃダメだと憤ったりとか――に変わってくるかも知れません。というか、貴様も男ならそろそろ変われ(命令)。

信じていれば願いは叶う

 そしてサンデー39号では、ヒナタが

今はわかんない。あんたを助けて、また流れが変わったから。
でも――
どんなことも信じてれば、絶対 本当 になるから。

 と、日吉に対して言っているのが印象的です。この言葉は、今現在のヒナタ自身の「予知能力」に対する考え方、および日吉に対する期待を象徴しているものだと、私は思います。
 これって、つまりは「予知能力で見える未来は、意志の力でどうとでも変えられる」ということの現れなんですよね。

 「どんなことも信じてれば、絶対本当になる」ってのは、早い話が「信じる心があれば力になる」であり、「止まらない未来を目指して ゆずれない願いを抱きしめて」であり、「信じる それだけで越えられないものはない」であり、「Nice to Meet You Good to See You きっと」であり、即ち「何とかなるよ! 絶対大丈夫だよ!」である訳です。
 ヒナタの未来観は、まるでCLAMP原作マンガのアニメの歌に出てきそうな、無根拠な明日への自信にあふれた、やたらめったらポジティブシンキングなものであると言えましょう。この辺、下手に未来が見えるばっかりに辛気くさい性格になってしまった感があるヒカゲとは好対称です。

 予知能力者が出てくるマンガには、「予知能力を超えた活躍をし、未だ見えない未来へ活路を切り開いて行く」キャラの存在が必要にして不可欠なのですけど、果たして日吉はヒナタにとっての「予知能力を超えた活躍をする人物」になり得るのでしょうか?

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