MISTER ZIPANGU > REVIEW 'LoveHINATA' > Vol. 6
前回は「信長ヒロイン説」をでっち上げてみたので、今回はその相方である日吉について触れてみたいと思います(ダメな方向に)。
連載開始以来怒濤の展開を繰り広げてきた「MISTER ジパング」ですが、サンデー24号(「信長行状改方」編)でとりあえず「連載を続けるための体制」は整った様子です。サンデー25号からは、話のノリがどことなく「GS美神」に似ているインターミッションっぽいエピソードである『殿と野獣』編が始まりました。
この話では、信長のキャラ特性をギャグ方面に大きく振って笑いを取る形になっており、このマンガの中での「信長」というキャラに新しい要素を積み上げることに成功していると言えます。エピソード全体に流れる『UFO特番』っぽい独特のインチキ臭さの演出も絶妙であり、久しぶりに「GS美神」の頃の椎名氏のギャグセンスが出てきたな、という感じがしますね。
ただ、今回の話で唯一疑問なのが、225ページに出てくる日吉の信長評の存在です。
ここでは、日吉が信長の事を「誰にも判ってもらえないが、やっぱり凄い人なんだ」と評価していますが、読者の側からすれば別にそんな事はこのマンガの第一話から繰り返し提示されている事実に過ぎない訳であり、ここであえて話のテンポを殺してまで『分かり切っていること』を挿入する必要があるのかなー、という気はしますね。
『心に常駐』内の「本能寺が変」で Turbo さんも仰っていますけど、「同じことを何回も言われて鬱陶しい
」って感じてしまうんですよ。
今回の話はあくまでインターミッションに過ぎない(と思われる)ので、ここは内面描写よりはテンポ重視で突っ走って頂きたかった所存です。
まぁ、今回の内面描写に関しては、日吉が「徐々に信長の考えに対して肯定的になりつつある」という事を提示するのが目的であった、と捉えるべきでしょう。日吉の信長に対する評価は、信長が何か行動を起こして「信長様ってスゴイ!」と思った直後にヒドイ目に遭い、「ああ、やっぱりダメじゃん!」と思い直すパターンを繰り返しているのですが、それでも徐々に日吉の評価メーターが「スゲエ」の方に振れつつある様が伺えます。
この評価の背景には、勿論信長がそれだけいろいろな意味においてスゴイ事をしており、日吉がそのスゴイ事の意図を正しく評価しているから――というのが優等生的な理解の仕方になるのですが、しかし本当にそれだけなのでしょうか。まだ出会って日が浅い上に身分も生い立ちも思考パターンも違うし、何よりも今では超法規的な権力によって信長の側に強制的に置かれる立場となった日吉が、本当に正しく主君である信長の素性を見抜くことが可能なのでしょうか?
この疑問に対しては、今の日吉の精神状態を説明できるキーワードが存在します。
一般的に「ストックホルム症候群」と呼ばれる、特殊な環境下で発生する心的相互依存症です。
「ストックホルム症候群」とは、強盗などで人質に取られた被害者が、長期に渡る犯人との監禁生活の中で、やがて被害者が犯人に対して必要以上の同情や連帯感、好意などをもってしまうことを指します。
元々は、1973年にストックホルムで発生した銀行強盗事件で、1週間に渡って人質に取られた女性が、事件解決後にその犯人グループの一人と結婚した――という事件が起こったことから名付けられました。今では、ストックホルム症候群はPTSD(心的外傷後ストレス傷害=いわゆるトラウマ)の一種として認められています。
1993年に発生したペルーの日本大使公邸人質事件でも、監禁されている人質達が自分を監禁している年若いゲリラ達に対して理解を示すようになり、やがて彼らに日本語やフランス語などを教えるという、ある種の文化交流まで発生していたそうです。
で、この「ストックホルム症候群」が発生するためには、以下のような状況設定が必要になると考えられます:
犯人との接触を避けることができない状況下では、人質は犯人としかコミュニケーションを取ることができず、結果として人質は犯人に対して常に何らかのコミュニケーションを取る必要性に迫られます。そして、コミュニケーションを取ることによって、犯人と人質は「共同体」を形成するようになります。
何故犯人が人質を取っているかと言えば、それが犯人にとって有利に働くからであり、当然自らが不利な状況下に置かれないためには「警察が踏み込んできたら人質を殺す」という選択肢を残しておく必要があります。
逆に言えば、人質にとっては自らの生命剥奪の権利を犯人が握っている事になります。警察が踏み込む=自分の死、という状況を理解した人質は、犯人よりもむしろ警察が踏み込んで来ることを恐れるようになります。
犯人は人質をいつでも殺せる立場にはいますが、自らにとって有利な状況を作るためには人質を最後まで「生かして」おく必要があります。人質に食事を与えたりトイレに行かせたりといった行動を取らなければなりません。
しかし、人質の側から見ると、この犯人の行動を見て「いつでも自分を殺せるのに、犯人は自分を生かしてくれているんだ」と思うようになります。また、事件が長期化すればやがて犯人と人質の間でコミュニケーションが生じますので、やがて犯人が何のためにこんな事件を起こしたのか、犯人が今までどんな生活をして来たのか、などの事情も理解できて来ます。
犯人に対する安心感と理解は、やがて犯人に対する近親感に変化します。
政治犯などに顕著ですが、社会とか権力機構とかに対する怒りが犯行動期になっている場合、犯人と深くコミュニケートしてしまった人質も、やがて犯人と同じような怒りを持つようになってしまう事があります。
俗に「同じ釜の飯を食った仲間」とか言いますが、警察権力と戦っている犯人との共同生活が長くなるに従ってこの論理が働き始め、やがて人質は犯人に共感し、警察などを犯人と一緒に憎むようになるのです(この現象をトラウマボンドと呼ぶらしい)。
では、これらの条件に信長と日吉の関係がどこまで一致するのか、検証してみます:
日吉は、現段階ではまだ木曽の蜂須賀家に居住しているという設定になってはいますが、信長の側近という立場上、信長と一緒の城に住み込むことになるのは確実です。彼の行動の自由は、徐々に奪われつつあります。
それより何より、まだ信長から逃げられる可能性があった段階で、彼を理解している(はず)の蜂須賀小六やヒナタが、揃って「信長との監禁生活」を勧めた事は、日吉にとってかなり大きな精神的負担を与えたはずです。小六やヒナタに促されるままに日吉は信長に任官することを決定しましたが、これによって日吉は「信長の付き人になるのは、自分で選択した事だ」という精神的なプレッシャーを自らに課す結果になりました。
負けず嫌いな日吉の性格からして、仮にも自分で決定した決断を覆すことは考えられないので、「逃げる」という選択肢は事実上存在しなくなりました。彼は、結果的に自らの意志で監禁状態の生活を選んだ事になったのです。
これはもう、説明の必要がないですな。帯刀が認められていない日吉は、刀を持っている信長や信秀に逆らえません。
彼は、常に「死の恐怖」に怯えながら精神的な監禁生活を送っています。
マンガの中でどのくらい時間が経過しているかは判りませんが、多分まだ信長と日吉が出会ってから1ヶ月も経過していないでしょう。まだまだこれからと言えます。
まだ信長は日吉に対して心をそんなに開いているようには見えませんが、両者の間には既にコミュニケーションが発生する兆しが見えつつあります。この二人の行くところには様々な困難が待ちかまえているのは歴史が証明していますが、その困難を二人で乗り越えることにより、二人の間にトラウマボンドが発生するのは時間の問題です。
サンデー24号での平手政秀と信長とのやり取りにも見られますが、信長は自分のスタイルを理解しない家臣や家族に対し、常に「怒り」を持っています。この怒りこそが信長のキテレツな行動の根幹にある訳なのですが、日吉はそれを徐々に見抜きつつあります。
今はまだ客観的な視点に立ってはいますが、おそらく日吉が信長に対して近親感を抱くようになるに従って、信長を理解しようとしない家臣に対して、信長と同じ様な「怒り」を感じるようになる可能性が高いです。
ここまで来れば、かなりストックホルム入ってきたかなー、って感じですね。
――と、長々と詭弁を書いて来ましたが、ここで私が述べたいのは別に日吉がストックホルム症候群に陥っているということではなく、「彼のマンガの中での思考が、やや不自然に感じられる」って事なのですよ。実は(手遅れ)。
つまり、日吉が信長のキテレツな行動を事あるごとに善意に解釈し、そこに「信長様ってスゴイ!」って描写が入る事に対しては、どうもまだ抵抗感が拭えません。サンデー25号の例の独白を例に取れば、「日吉が信長の事をそう思っている」というよりも、むしろ信長の台詞に対して「日吉の口を借りて、作者が読者に対して信長の台詞の真意を解説している」という風に受け取れてしまいます。
キャラクターの心情を台詞や表情などから推測するってのは、マンガを読む方に取っては大きな楽しみの一つであり、マンガを提供する側にとっては描写の見せ所であると思うのですが、サンデー25号における日吉の独白は、その楽しみをわざわざ減衰させている効果しか生んでいないと思います。
ここは別に、日吉が後ろから信長を感心するように見つめて「……」って吹き出しを付けるくらいの控えめさで十分なんじゃないかしら、とか思いましたがどうか。
あと日吉は最近「侍になりたい」という欲求が頭をもたげるようになって来ていますが、これについても「何故、侍になりたいのか?」っていう動機付けを一発入れて頂きたい所存です。
日吉の境遇からすれば、今のところ一番大きい理由は「立派になって義父を見返してやりたい」「力ある存在になって、弱いモノをいじめる連中を見返したい」辺りかなと推理できますが、この辺の理由だったら別に「立派な行商人」になっても果たせそうですしね。
何にしろ、今の日吉はストックホルム症候群に陥ってもおかしくない人質状態であり、この状況下で「日吉と信長の関わり合いによる成長」を読者に納得できる形で描くのは結構大変なのではないか? という気がします。現段階での日吉の唯一の強みは「家老並の権限が与えられている」ってのがありますので、この設定を生かして信長と対等に渡り合えるような展開に持っていくのでしょうか?
信長は「恋人の前ではなかなか素直になれないシャイでおシャマなヒロイン」である事が証明されましたが、その相方の日吉は信長との関係が「監禁状態でのみ成立する相互理解」に起因するトラウマになってしまう可能性を秘めている気がしてなりません。
ああ、信長と日吉との関係は、かつて「めぞん一刻」で音無響子が五代祐作に対して与えたような、恐怖と緊張と圧迫が全面に押し出された歪んだ愛情になってしまうのでしょうか。二人の関係の今後が心配です。
※参考:
・PTSD.info - 犯罪の被害者のための心的外傷後ストレス障害についてのページ
※注意:
ここの「ストックホルム症候群」は、あくまで「日吉の今の境遇を強引にストックホルム症候群に当てはめる」ために生半可な知識で書いたものであり、正確な描写ではないことをお断りしておきます。
本当の心身症はシャレにならないッスよ!
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