時の道化たち

第一部ゴーストスイーパー武藤玄也
舞えよ竜〜交錯〜


「あら、それじゃあ、あなたがあの武藤さん? 美神さんと同期だっていう……」
武藤が自分の名を名乗ったあとに発した小竜姫の一言がこれであった。
「何で知ってるんです?」
少々驚愕した表情。可愛いかもしれないなどと、小竜姫は多少不謹慎なことも考えた。
「美神さんたちから直接聞いてますよ。優秀な方だそうですね」
「それはどうも」
武藤は恭しく礼をした。が、その礼は慇懃無礼のぎりぎり一歩手前のような雰囲気をかもし出していた。
 正確には小竜姫が彼のことを聞いたのは唐巣からだった。曰く、
「優秀だがどうにもよくわからない」
とのこと。実物を目にするとそれはなんとなく実感できる気がした。
「なるほど」
小竜姫がそんな事を考えてるあいだに武藤はぽんと手をたたくといった。
「それではあなたがあの小竜姫さん……あ、失礼。小竜姫『さま』ですね。お噂はかねがね」
笑ってそういう。小竜姫もつられて笑った。
「どちらでもかまいませんよ」
「では『さま』のほうで」
今度は多少おどけた調子だった。
「で、なぜ妙神山の竜神さまがこのような場所へ?」
「………」
彼の疑問はもっともなものだったが同時に小竜姫にとって一番いやな質問でもあった。
 小竜姫の沈黙は長くはなかった。むしろ短いといってもいい。それでも武藤は小竜姫に何か複雑な事情があることをその表情から見抜いたらしく、自分のことを話し始めた。
「実はこの辺に鮫の妖怪が出ましてね、地元の漁師さん達が困ってるんで僕が来たんですよ。GSとして。……まあ、来てみたら魔族がいたんで驚きましたがね」
「はあ、成るほど」
「おまけにやたらと強そうな魔族にまで襲われましてね……生きてるのが不思議ですよ。……藤色の髪の魔族でしたが」
「その魔族……メドーサという名前でしたか?」
「さて……そこまでは」
小竜姫はそうですか、とだけいった。
「どうやら、ここは魔族の住処らしいですね。僕も霊力の回復が早い……ここには地脈が集まってるんでしょう」
小竜姫は無言でこくりとうなずいた。
「それで小竜姫さま、何かそれらしい建物とか見つけてますか?」
「……いえ」
小竜姫の返答を聞くと彼は何も言わずに──無視されたのかという気分になるぐらいに何も反応せず──傍らにそそり立つ巨木を見上げた。大きい。気の直径は優に1メートルを超えていた。
 小竜姫は特に理由があったわけではないが彼の一挙一動を黙ってみていた。彼は目をつぶるとノックをするような調子でその巨木をたたいた。コンと何の変哲もない音がする。少なくとも小竜姫にはそう聞こえた。だが、武藤は目を見開くと満足そうにうなずいた。
「小竜姫様」
人懐っこく彼は笑いかけた。
「なんでしょう?」
武藤は何も答えずに手で彼女を呼び寄せた。
「?」
頭に疑問符を浮かべつつ小竜姫は従った。足に力を込めて跳躍。ふわりと小竜姫は武藤の隣に降り立った。
「この中、空洞です」
小竜姫が降り立つと同時に武藤は再び幹を叩いてそういった。注意深く聞くと確かに音がかすかに反響している。
 次に彼は巨木の周りを歩き回るとある一点で立ち止まり、木に向かって無造作に霊弾を放った。すると霊弾は木に当たらず樹皮を透過した。ゴン、と木の裏側で鈍い音が響く。
「なるほど」
小竜姫は武藤の横に立つと、
「砕!」
叫んで一閃。ガラスの割れるような音がして大木にぽっかりと穴が開いた。
「入り口を樹木に擬態させてたのね」
剣を鞘に収めながら小竜姫は言った。それから武藤を振り返ると、
「でもよく気づきましたね」
と、賞賛の言葉を述べた。
「何そんなにたいしたことじゃありません。周りでこの木だけが無事ですからね。誰だって何か変に思いますよ」
言われて小竜姫は辺りを見回した。確かに彼の言うとおりである。あたりの木は全て幹の途中から盛大に折れていた。
「そういえばそうですね。これ一体どうしたんです?」
「なに、たいしたことじゃありません」
武藤は肩をすくめた。そしてそのまま一歩下がる。
「それではご武運をお祈りしております」
最初、小竜姫は彼の言葉の意味することがよくわからなかった。
「『お祈りします』ってあなたはこれからどうするんです?」
「逃げます」
彼は即答した。
「………」
「正直言って、魔族の拠点を突入するなどということは僕の手には余ることですから。僕は美神さんのように自信家でもなければ唐巣神父のような正義感も持ち合わせていませんからね」
「自分を規定するのはおろかなことですよ。人はいくらでも変わります」
「理屈ではないのですよ。僕は結局のところ、さらに規定するなら、臆病者なんです」
「だったら、なぜ、すぐ逃げずに私にこのことを教えたんです?」
「少し、手助けをしたかったからですよ。いけませんか」
唐巣の言うとおりだ。『どうにもよくわからない』。
 武藤はこれで議論は終わりだといわんばかりにくるりときびすを返した。
 小竜姫はしばらく彼の背中を見ていたが、やがて何もいわずに穴の中を覗き込んだ。木の形状を考えれば当然だったが中は下に向かってまっすぐに縦穴が開いているだけである。
 小竜姫は躊躇なくその穴の中に飛び込んだ。

 『三番入り口より侵入者』の警報をプロフェッサー・ヌルはめんどくさそうに止めた。
「で?」
これまためんどくさそうにヌルはメドーサに水を向ける。
「先程も言ったとおりだ。私が小竜姫をやり、お前があの人間をやる。できることなら分断させたほうがやりやすいな」
「私が聞きたいのはそうじゃない。君が今右手に持ってるその『小竜姫の目的』とやらだ」
ヌルがにび色の杖でメドーサの右腕に抱えられている大きな封筒を指し示した。ごく普通のどこにでもありそうな大き目の茶色の封筒である。外から見た印象では大量の書類が入っているらしく、重そうだった。ヌルは畳み掛けるように聞いた。
「どうするんだ? 燃やすにしろ、隠すにしろ、速くした方がいいぞ。時間はあまりないからな」
「どうもしないさ」
「何だと?」
「どうもしない、といったんだ」
「どういうつもりだ」
ヌルが声を少し荒げるとメドーサはうるさそうにヌルを見て言った。
「いざというときの取引材料にでも使うのさ」
「……一体何なんだ、それは?」
ヌルはいまいち釈然とせず、メドーサに疑問をぶつけた。彼から見えるのは封筒の裏側だけなので、メドーサの持っているその書類が一体どういうものなのかわからなかった。
「何だっていいだろう」
「──共同戦線を張るなら、ある程度の情報は開示すべきだ」
「必要な情報ならな。これは不必要なことだ」
「何故そこまで必死になって隠す?」
「われわれが『竜』だからだ」
「………」
「………」
前にも書いたが竜はひどく自立心が強く、自分のことをさらけ出さない。それは彼等の政治的な立場にも関係があると思われる。彼らは魔界の部族の中でもかなり完成した自治権を保有している。これはひとえに彼等の戦闘能力の高さに起因していた。
 もともと、竜は人狼や月の神──月神族同様、神族にも魔族にも属していなかった。だが、魔族は『引き抜き』──かれらを自分達の傘下におさめる──を行い、その代償として高度な自治権を付与したのである。
 ゆえに竜は魔族の中でも一目置かれる存在だった。それはアシュタロスの率いる武闘派でも例外ではなかったし、アシュタロス個人に限ってもこれもまた例外ではなかった。よって、メドーサの立場もアシュタロスの配下でありながら、ある程度勝手に動けるという特殊な立場だった。
「……好きにしろ」
ヌルはようやく言葉を吐き出した。
「そうさせてもらう」

 最初、穴は円筒形のように見えたが、実際は底に行くほど、その直径は大きくなっていった。コンクリートの底の部分はおおよそ直径5メートル前後。通路からほんのり光が差し込んでいて、小竜姫の輪郭をかろうじて映し出していた。
 前方を見据えるとそこは細い通路だった。ドアや窓の類もない。無愛想な蛍光灯がこれまた無愛想で素材がむき出しの天井に張り付いている。壁も同様に素材がむき出しだった。小竜姫はそれにそっと触れてみたが、金属であるということ以外はわからなかった。ひどく冷たい。壁には大小さまざまな配管が設置されていて、強いて言えば、それが飾りのようにも見えなくはなかった。小竜姫は剣を抜き、意を決して一歩慎重に踏み出した。敵の姿は見えない。
 失望していない、といえば嘘になるだろう。唐巣は他人の評価に関して多少甘いところがあるが、それでも彼が優秀と認める人物はほんの一握りだ。
慣れというのもあったかもしれない。唐巣やピ−トといった面々や、金さえ払えば美神(+横島)も快く手を貸してくれたのでなんとなく彼も同じではないかという気持ちがあった。だが違った。武藤玄也という人間は明らかに彼らとは一線を画した範疇に属する人間だった。もしあそこで小竜姫が正当な報酬を払うと提案したところで彼は拒否したに違いない。
 ただ、彼が単なる臆病者だとは考えにくかった。もし、そうであるならば唐巣が優秀だというはずがない。
 しばらくすると目の前に扉が現れた。申し合わせたようにこちらも無愛想極まりない。小竜姫は剣を構え振り下ろした。ドアは吹き飛びほこりが舞う。
「罠の類はなかったようですね。杞憂でしたか」
誰ともなくそう呟くと小竜姫は歩を進めた。
(もう止めよう。今は敵に集中しないと)
 そもそも友人であるヒャクメや部下の鬼門の手を借りずに単独で行動してきたのに、ここで人間である彼の力を借りるのはナンセンスだろう。小竜姫はそう思うことにした。じぶんは『竜』なのだ。
「ここは……?」
先には更に通路が続いていた。但し、先程と違うのは高さと幅が若干大きく、左右にいくつかドアが備え付けられてる。そしてもちろん、小竜姫のぶち壊したドアの破片がそこかしこに落ちていた。小竜姫は一番近くにあったドアにつけられたネームプレートを見てみた。『第八実験室』と書かれている。廊下の奥に進むにしたがって、第七、第六、と数字は少なくなっている。やはり、ここの壁も無愛想だった。
 ところが小竜姫が次のドアを壊した先は多少勝手が違っていた。
 汗牛充棟、とはこういうことをいうのだろう。天井まである高い本棚がいくつも並びどれもこれもぎっしりと本が詰め込まれている。床にはじゅうたんがしかれ、照明も今まで歩いてきたところよりずっと明るい。
 その光景に一瞬見とれ、小竜姫は思わず立ち止まってしまった。とはいえ、それは一瞬のことで彼女はまたすぐに前進を再開した。その部屋の本棚は壁際だけでなく図書館のように部屋の中にも並列して置かれていた。そのおかげで部屋の見通しはひどく悪い。小竜姫は予想できる敵の奇襲パターンを考えながら進んだ。天井から来るか、あるいはその本棚の向こう側からか……。
 だが、小竜姫が本棚の角を曲がり、視線を走らせたとたん彼女の思考は停止した。いや、正確には彼女自身が停止させた。何も考えるな、と命じる。剣はすでに抜き身だった。右手だけ添えてあった自分の愛刀に左手も添え、振りかぶり、吼える。彼女の視線と殺意の矛先はメドーサに向けられていた。メドーサは相変わらず、あの小竜姫の癇に障るニヤニヤ笑いだった。

「状況を整理しよう」
真摯に構えた彼の顔はそれなりに絵になった。口の周辺にご飯粒と海苔さえついてなければ、ではあるが。少し早い昼食をとり、おにぎりの最後の一かけを武藤は口に放り込んだ。ペットボトルに入ったミネラルウォーターを飲み干し、口を乱暴にぬぐう。ボトルはその辺に捨てた。少し良心が痛んだが不要な荷物は少ないに越したことはない、と言い聞かせて痛みを無視した。
 武藤の横には銀色の球体──クサナギ──が浮かんでいた。
「いろんなことがありすぎて多少頭が混乱している。まずは僕たちの目的を再確認しよう。クサナギ、契約書の内容は覚えてるね」
「肯定です。今回の直接のターゲットは先ほど遭遇した鮫型の魔族だか機械だかの大群。そして、ピエトロ様の調査によってその鮫と関連性が判明したこの島の妖怪──正確には人的被害を及ぼす可能性のある霊的生命体、この二つの排除です」
武藤は小竜姫が入っていった穴の正面にある石の上に座っていた。たまたまそばにあった落ち葉をもてあそびながら言う。
「単純に考えて、僕はさっきの藤色の髪の魔族には勝てない。格が違いすぎる」
「玄也様でなく小竜姫様なら?」
「あの魔族をメドーサだと仮定すると……美神さんたちから話を聞いた限り、彼女らの実力は五分だ」
「となると小竜姫様を先に行かせて囮にする、という武藤様の判断は間違いではないですか?」
「………」
武藤は何も言わなかったがクサナギはかまわず、先を続けた。
「考えてもみて下さい彼女らの力が五分ならメドーサにもう一人味方がつけば小竜姫様の敗北は必至です」
「だが、僕が行ったところで足手まといになるのがおちだ。彼女が小笠原さんのように冷静になれるなら別だけどね……。大体において、この状況では僕らが一番に考えることは生き残ることだ」
「それならば、『本当に』逃げればいい話でしょう」
武藤は珍しく、少しいらだたしげに手を振るといった。
「なら訂正しよう。生き残ることも僕らの目的だ。仕事を完遂するのと同列に設定する」
クサナギが何も言わないのを玄也は肯定と受け止めた。
「建設的な議論に入ろう。情報が少な過ぎるがしょうがない。もう一度確認するが地表には魔族はいないね?」
「先ほどからサーチを行ってますが問題ありません。おそらくは小竜姫様がすべて消滅させたかと思います」
「時間が惜しいから、推論は排除してくれ。ということは目下、僕らの標的はあの鮫どもとこの……」
武藤はくいっとあごで前方にある先ほど小竜姫が入っていった地下への入り口を示した。
「この先にいる連中だけなわけだ。──小竜姫さまが入ってからどのくらい経過した?」
「三十分前後です」
武藤はしばし沈黙した。あごに手をやり目をつぶる。クサナギは武藤が何かを懸命になって考えてるのがわかった。
「ここからは考えていてもしかたないな。いくよ、クサナギ」
「了解」
武藤が穴のそばまで歩み寄ると、クサナギは帯状に変化し、武藤の下半身にその身をまきつけた。
「ゆっくり降りるよ。自分の基地の中に罠なんか仕掛けるやつはいないと思うけど……」
小竜姫から遅れること約四十分。武藤は小竜姫と同じルートから魔族の拠点へと侵入を開始した。

 手ごたえはあったように感じたが、それは小竜姫の妄想だった。
「あせるなよ。実体じゃないんだから」
小竜姫の想定では真っ二つにされたはずのメドーサ、正確にはその映像は平然とそういった。だが、小竜姫は油断なくメドーサをにらみつけ、距離をとった。
「さて、小竜姫。単刀直入に用件に入ろうか」
メドーサは大げさな身振りでそういった。
「お前の目的はわかってる。こいつだろう」
台詞と同時にメドーサの右手に大きな茶色の封筒が現れた。ついで彼女はその封筒についている紐をくるくると取り払うと中身を取り出した。そしてこちらに突きつける。
 『天龍童子暗殺に関する報告書』。そこにははっきりとそう書かれていた。
「思えば、初めてあんたと顔を突き合わせたのはこのときだったわけだが……」
なおもメドーサは書類をひらひらとさせて続けた。
「そろそろ決着をつけようじゃないか、小竜姫。初めもこれ、そして終わりもこれだ。……ついてきな」
映像のメドーサはすたすたと歩き出した。小竜姫も無言で続く。
 メドーサを追って本棚を曲がる、とそこに彼女はいなかった。代わりにぽっかりとまるで穴が開いたように本棚の隙間のドアが開け放たれていた。
「そのドアにはいんな。そしたらまっすぐ一本道で私のところに来る。待ってるよ」
どういう仕掛けかは知らないが声だけは聞こえてくる。
 小竜姫は悩んだ。彼女の誘いに乗るべきだろうか。マニュアルで考えるなら答えはノーだ。だが、
(仮に誘いに乗らないとして……そうしたらどうするのかしら)
メドーサにこちらの居場所が筒抜けなのは明らかだった。どこかに監視カメラでもあるかもしれない。さらにメドーサはこちらの目的まで理解していた。度肝を一瞬抜かれたものの、落ち着いてみれば自分の経歴を知り、あの時実際にかかわっていたならばメドーサが予想するのはそんなに難しくはないかもしれない。
「とっととしてもらおうか、小竜姫。こっちだって暇じゃないんだ。来ないんならこの書類を一切燃やしてもいいんだぞ」
いわば人質を取られた格好だった。小竜姫は唇をかむとしかたなくドアをくぐった。

 ヌルは小竜姫に映像と声を送っていた機械のスイッチの両方を止めると、目を細めた。
「これでいいのか?」
「ああ、悪いな。こちらの都合ばかり言ってしまって」
「あとで埋め合わせはさせてもらうからな」
「考えておこう」
いすにどさっと座りながらメドーサはそう答えた。そして逆にこう聞いてくる。
「ところで小竜姫と接触した人間とやらはどうした」
「入り口付近の会話を傍受した。どうやら逃げ帰ったようだ」
「人間らしいな」
メドーサのその声には軽蔑の色が遠慮なく叩き込まれていた。
「個人的には興味がある。美神令子の知り合いらしいな。できたら拷問してあの女の居場所を吐き出させたかったな」
「そんなことなら私が教えてやるよ。時間移動能力者に興味があったのか?」
「少し違うが……まあ、お願いしよう」
「ではこれで埋め合わせだな」
「冗談じゃない、そんなこと使い魔を飛ばせばすぐにわかるさ、ここ数十年暇がなくてわからなかっただけの話だ」
「じゃあ、教えてやらん」
「……これだから、女なんて嫌いだ」

 武藤は周りを見回してつぶやいた。
「すごい量の本だな」
ためしに書棚にちらりと目を走らせてみた。特に分類されているわけではないらしく色々な本がごっちゃになっておかれていた。『魔界植物事典』、『霊基構造総論』、『時間操作に関する諸知識』、『フランダースの犬』、『インド地方の神族について』、『多重結界応用論』、『高等呪術大全』、エトセトラエトセトラ。
 …………。なんだかひとつだけ場違いな本があった気がしたが武藤は深く考えないよう極力努力した。
(それよりも出口を探さないと!)
むりやり思考を現実に引き戻し、辺りを見回す。
 出口は二つあった。開け放たれたドアと、そうでないドア。閉まっているほうのドアも鍵がかかっておらず、選択肢は二つとなった。
「クサナギ、サーチはできる?」
「申し訳ありません。霊的濃度が高すぎて不可です」
「やっぱり無理か」
「はい、ノイズが激しすぎます」
「………」
普通に考えれば、あいているほうが小竜姫が向かったほうだろう。ただ……
(彼女と同じ道を歩む必要はもうないか? いや、そもそも彼女の目的は一体何だ?)
最初に会ったときにもう少し問い詰めるべきだったかと少し後悔する。やがて、武藤は言った。
「閉じているほうに行こう」
「理由は?」
「勘だよ」
「………」
「実際のところ、どちらでも良くてね。小竜姫さまが行った方向に戦力が集中しているからもう一方の道を行こう、っていうのと小竜姫さまの通った後に敵は残ってないだろうからそちらを行こう、っていう二通りの考え方があるんだ」
言いながら武藤はドアを開けた。

 不意にメドーサがいすから立ち上がった。
「どこへ行く?」
「小竜姫の相手をしてくる」
言いながら彼女は例の封筒を引っつかんだ。
「ここに呼んだのではないのか?」
「こんな手狭なとこで戦闘などできるか。格納庫のほうに呼んだよ」
「……くれぐれも壁や床を傷つけるなよ、あそこにはもう少ししたら、『究極の魔体』が入るんだ」
「わかってるさ。じゃあな」
メドーサは振り返りもせず、手だけ振ると扉を閉めた。
(理解に苦しむな……わざと有利でない条件下で戦うなど)
それに、結局あの封筒の中身もわからずじまいだった。あの時小竜姫には見せたようだがこちらからは見えなかった。
(考えてみよう)
不思議な点はいくつかあった。たとえば小竜姫がきたということが判明したとたんにメドーサが小竜姫の意図を察してしまったこと。
(小竜姫とメドーサが裏でつながっている? いや、それはありえないか)
先ほどのメドーサと小竜姫の会談の様子を思い出し、ヌルはそれを打ち消した。
(だが、小竜姫の来襲を予想ぐらいはしてたかもしれんな)
ところがヌルがさらに思索を続けようとしたそのとき、警報がけたたましく鳴り響いた。ヌルの目と指が忙しく操作盤のうえを行き来する。
「第四地区に侵入者? ──くそっ、三番入り口の警報を止めていたことが仇になったか」
監視カメラの映像を切り替え、問題の人物を映し出す。先ほど小竜姫といた人間だった。
(逃げ帰ったのではなかったのか……まあ、いい。どういうわけか別行動を起こしたらしいな。好都合だ。隔壁を下ろして適当な場所に追い込んで始末をつける)
ヌルは指をもう一度操作盤の上を走らせてから部屋を出た。

(おかしい……)
武藤は疑問を抱き始めていた。道があまりにも一本道すぎる。いつまでたっても分かれ道がない。
「クサナギ、どう思う?」
「まず、罠でしょうな」
「やっぱり。それじゃあ、戻ろうか」
あっさりと武藤はそう判断を下したがそうは問屋が卸さなかった。先ほど武藤が後やってきた通路は隔壁でふさがれていたのである。武藤は術をいくつか発動させたが彼の力で壊すことはとてもできなかった。
(死ぬかもな……)
やはり、逃げ帰るべきであったかもしれない。まあ、いまさら愚痴を言ったからといってどうしようもないが。
(いや……もっとポジティブに行くか)
「玄也さま……」
「腕輪の中に入ってろ、クサナギ。こうなったらなんとしても生き残ってやる」
「了解しました」
考え方の切り替えが早いのは彼の特徴だった。覚悟を決めてずんずんと奥に進む。やがて、ひらけた空間が彼をむかい入れたがその空間には先客がいた。
 外見は50代後半程度。禿げ上がった頭と、それとは対照的に豊かなひげ。中世の修道僧を思わせる服装をしていたが、眼光は敬虔さや信心深さからは程遠かった。右目の辺りには機械が埋め込まれていた。眼球の代わりに赤い宝石のようなものがあり、その周りは無骨な灰色の物体が肉体を侵食している。
「自己紹介ぐらいしましょうか」
と、その男は言った。
「私の名前はプロフェッサー・ヌル」
「ヌーちゃん、て呼んでいいですか」
「減らず口をたたく余裕があるとはね、結構、結構。ちなみに呼び名の件は却下ですが」
ヌルはそういうと持っているにび色の杖を構えなおした。すると、武藤の背後にあるドアが閉まった。重い音を立ててしまった
「時間が惜しいのでね、とっとと片付けさせていただきますよ。──炎よ!!」
ヌルが杖を振り下ろすとその先端から紅蓮の炎がほとばしった。
「蠢けよ炎!」
武藤も同種の術を発動させ、迎撃する。が、力は圧倒的にあちらのほうが上だった。多少勢いは殺せたものの、相変わらず炎は彼めがけて突進していた。横っ飛びでかわす。壁を背にするように自分の体をセッティング。炎が壁に衝突。爆炎。視覚で索敵。いた。
 武藤は駆けた。接近戦でならば多少はましだ、と武藤は今の力の押し合いでそう判断した。敵との距離が次第に迫る。右に回りこむように一歩踏み出し、すぐに反対側へと方向転換。雷がそばを駆け抜けた。軽い痺れ。敵は間近に迫った。武藤は人差し指を眼球に向かって突き出し、途中でぴたりと止めた。すぐにしゃがみこんで叫ぶ。
「歌えよ破滅!」
力を全方位に放射。眼前のまぼろしのヌルの姿が掻き消え、左手で衝突音が連続して聞こえた。次いで氷の小さな細かい破片がそこかしこに当たる。
「よく気づきましたね」
左手の現実のヌルがそういう。
「一応、幻術は扱えるんでね。子供だましレベルだけど」
「……今更ですが、名前は?」
「武藤玄也」
「ムーちゃん、と呼んでも──」
「却下」

 小竜姫がその部屋へ入ると右手から唐突に呼びかけられた。
「ようやく来たかい。お姫様」
その呼びかけには多分に侮蔑の感情が上乗せされていた。
 メドーサがそこにいた。今度は実体。彼女のすぐそばにドアがあった。ひょっとしたらそこから入ってきたのかもしれない。足元には茶色の封筒があり、壁にはさすまたが立てかけられていた。
 小竜姫は神剣を抜き放った。
 メドーサもさすまたをつかむ。
 互いに一言も声を発せず──閃光とともに彼女たちは時間より速くなった。


※この作品は、ジャン・バルジャンさんによる C-WWW への投稿作品です。
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