『ジパング』の<倫理>。(中間報告)

No.12000/08/10 11:28 あしの(asinom@sky.plala.or.jp)

まだ今週のサンデーは見てないのですが、先週のサンデーをおとといまんが喫茶で流し読みして、
『極楽』にくらべて空の多さに改めて気がついた。それはそれとして、先週号なんか読んで思うこと。

「メインカルチャー、サブカルチャーの圧倒的に該博な知識を武器にして、
シリアス型の少年まんがの文法をいかにずらすかに心血を注ぐようにみえるこのまんが」

と『極楽』を一言でむりやりまとめたのはぼくですが(わはは)、
ズラす(パロディ・パスティーシュ)ためにはほかの「本流」がきちんとしてないといけないんですね。
あくまで「本流」あっての「ズラし」なのに、今、ほかの「本流」がグズグズなわけで、たとえば
本流の作品が真っ正面から「生/死」を扱ってくれれば、ズラしの作品は「死」をギャグにできるわけです(良識派からは白い目で見られながら)。
本流がきちんと道徳的にやってくれるから。でも、まんがも小説もそうだけど、本流が倫理を失ってるんじゃないですかね、いま。
そんななかで、ズラしに生きてきた椎名氏は、自分が本流にならなきゃな、と思ってもフシギじゃない。
残虐なシーンも多いですけども、ヒヨシのぶち切れ方をきちんと描いてまして、そういう流れのなかでは
残虐シーンの存在はむしろ必然。やっぱり椎名高志は「倫理」と正面から(でも照れながら)ぶつかろうとしてるな、と
先週号や1巻を見て、確信したわけです。
じつは『極楽』のおキヌの扱われ方の変化にもそれをちょっと感じていたのですが。
『極楽』の前半は、サンデーの三男のように好き勝手やってたのに、だんだん長男扱いされてきてどう自分を位置づけたらいいか
とまどってる感じがあります。もちろん『極楽』のおもしろさを否定してるのじゃなくてね。
『ジパング』は三男であった自分のテイストを忘れずに、
しかし長男の自覚もきちんと持って、というバランスの良さを感じます。あとはきれいにまとまらないことを祈るだけ。

まあ、ただ、ズラしに心血を注いできた自分をズラして、シリアスってるのかもしれない。

  ──あしの@「世界は地獄を見た。」おおおっ!テーマ音楽が耳朶をうつなあ。
        あのシリーズ、エンディングロール見るたびに、そこに載ってる
        「hot shot cool cuts」という社名(?)のセンスに感じ入りませんか?韻ふんでるし。


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