美神令子に潜むコンプレックス
(及びそのアイデンティティ的考察と仮定)
北白川 玉砕(北白川心霊心理研究所)
【美神令子とペルソナ】
美神令子を語るにおいてまず成すべき事は、その虚飾を全て引き剥がす事である。
優れた除霊師、豪快な守銭奴、自己主義でわがままな女等々・・・
その全ては美神令子が社会的生活を営むにつけ、演じてきた無意味な仮面「ペルソナ」であり、自我を守る見せかけの自己に過ぎないのである。
美神令子は、意識的にそれらのペルソナを使い分けて演じている。
それはまず、代表的な資質である「守銭奴」ひとつを取ってみても分かる。
美神令子は確かに「金を儲ける事」に異常な執着を見せてはいるが、「金品そのもの」への執着は意外にして、ほとんど見られない面を持っている。
「ケチ」だとの印象はあるが、それは無駄使いはしないというだけで、通常の経済観念の範疇に入るものなのである。ただ、普通より金額の桁が違うだけの話なのだ。
守銭奴とは、本来「金品の収集をする事のみ」に執着する一種の病的な性質の者を言うが、厳密に美神令子は、これには当てはまらないと言えよう。
危険を伴う仕事をこなし、その能力に応じた金額を報酬として要求しているのだ。
それに相応の価値があるからこそ、美神令子は優れたGSとしての地位を築いているのである。いわば、ペルソナによりペルソナが相互確立されているのだ。
では、そのペルソナに隠れた美神令子の本質には何があるのか。
その細い肩の背後は、暗闇のごとくコンプレックスが覆い被さっていたのである。
【美神令子とコンプレックス】
美神令子には、その胸の内に欠落した心象がある。
それが、コンプレックスの一つの要因となっていた。
では、その美神令子の自我にとって受け入れ難い情動的なショック(心的外傷)から生じて無意識下において抑圧された原体験とは如何なるものであろうか?
いわんやそれは「母親との死別」に他ならないのである。
思春期の最中、尊敬して頼りにしていた母親を失った事は、美神令子にとって悲しみ以上にその運命を左右するに充分過ぎる体験であったのだ。
まだ詳細な事実は語られていないが、その時期、中学生であった美神令子が反抗期にあったとの描写が存在している。
当時の美神令子が何を思い、何を感じていたのか。
おそらく、荒んだ毎日を過ごしていたものと思われる。
しかし、母親の仕事に、度々同行していたとの話もある。
これは、何を意味しているのだろうか?
言葉や態度で反抗していても、美神令子の心の奥底ではその母親を尊敬していた以上に畏怖し、恐れていたからではないだろうか?
美神令子にとって母親とは「母親元型・グレートマザー」としての存在が大きく、美神令子自身の自我・アイデンティティの確立に、障害となっていた可能性がある。
グレートマザーとは、全てを育み慈しむという母親本来を意味する肯定的な面と、全てを飲み込み、抱きしめ殺してしまう破壊衝動を伴う否定的な面を持っている。
美神令子が母親を頼れば頼る程、そのアイデンティティは母親に支配され、母親を避ければ避ける程アイデンティティを脅かす恐怖の存在として捉えられてしまうのだ。
そして、成長期における個人のアイデンティティの確立には、このグレートマザーとの対立が最大の課題となるのである。
母なる無意識との戦いが、美神令子の心の中で葛藤を生み、一方で頼り一方で疎ましがる二面性が形に表われたのが、中学時代の美神令子の姿ではなかろうか。
人間としての精神成長の意味で、この時期の反抗期は重要な通過儀礼なのである。
しかし、この対立は一方的な収束を迎えた。
「母親の死」が、その直接的な区切りを突きつけてきたのである。
美神令子にとって予想外のこの出来事は、確立されつつあったアイデンティティの一端に、欠落した心象を残してしまったのである。
美神令子の中では、まだグレートマザーの存在に対しての決着はついていない。
それが「コンプレックス」のひとつに挙げられるのだ。
後に成長した美神令子が母親と対面した時、その態度には甘え以外に特別な感情は見られない様に思える。
しかしこれは成長した美神令子の精神がグレートマザーとの決着をつけたからではない。アイデンティティの確立にまつわる事象は、そんなに簡単ではないのだ。
これはむしろ、グレートマザーとの決着をつけるべく過去の成長段階の再現であると見ると、美神令子の母親への甘え方が「幼児期」のそれに酷似している事が分かる。
今後、目に見える形での直接対決があるかどうかは分からない。
しかし、美神令子は自身のアイデンティティの完全確立の為に、グレートマザーを乗り越えなければならない。
そしてまだ、美神令子に立ちはだかる障壁はいくつも存在しているのである。
【美神令子とシャドウ】
美神令子の不完全なアイデンティティにおける無意識の奥にもうひとつ、元型と呼べる存在がある。
それはグレートマザーが美神令子個人の元型であるのに対し、いわば美神令子の魂そのものの無意識に存在する元型である。
それが「シャドウ・もうひとつの人格・メフィストフェレス」である。
美神令子は、その運命の創始者たるメフィストの存在を意識下に封じているが、それでも常に直接または間接的に自分の上に押し付けられてくる全て、に関わってきている事には気付いている。
しかし、美神令子はメフィストを認めるわけにはいかないのである。
それは何故か。
美神令子はメフィストを否定的なものとして捉えているからである。
メフィストを認める事は美神令子にとって、「自分自身を否定するもの」であると「思い込んで」いるのであろう。
実際、シャドウの存在は「もう一つの人格」であるのだが、それは「別人格」というだけの意味ではなく「自らを写し出す鏡」という特性を持っているのである。
人間の成長においては否定的なものを肯定的に含み捉える事で、自らの視点を築き上げ、積極的に生きるエネルギーの根源として取り入れる事が行われている。
自閉したイメージの世界は、破られるべきなのである。
生身の身体を実感し、現実に出会うために、シャドウを見つめる事は必要なのだ。
しかし、それでも尚、美神令子はシャドウを認められない。
なぜなら、その背後にそびえる巨大な「何か」に美神令子は抵抗する力を持っていないからである。美神令子は、本能的にその気配に気付いたのだろう。
それに抵抗する力を得るには、アイデンティティの完全な確立とシャドウとの融合が必要不可欠な条件ととなる。
では、美神令子が畏怖し恐れるものは何か。
「アシュタロス」
が、その答えである。
アシュタロスはメフィストにとって創造主であり、美神令子にとっては敵である。
この事はつまり、アシュタロスはどちらにとっても運命を司る立場の存在であると捉えられる。
メフィストも美神も生物的な本能の中で、アシュタロスの存在の大きさを敏感に感じとっているのであろう。
【美神令子とアニムス】
美神令子とメフィストの、その心象的なイメージの中でアシュタロスはどんな姿をしているのだろうか。
それは、おそらく「父親」と呼ぶべき男性的象徴であるはずだ。
そう考えると、美神令子の「男性不信的心象」の原因の一つがここにある可能性が指摘出来る。
美神令子が常に男性と距離を置いて接している事は、過去のエピソードで明らかである。それはもっと身近な男性、横島忠夫や父親との関係でも散見できる。
特に、父親との疎遠な関係は単なる感情的な行き違いだけでなく、母親を通しての父親像と、メフィストの持つ「アシュタロスの父性的イメージ」とのギャップを処理出来なかった故の悲劇のわだかまりではないだろうか。
美神令子は、本当は父親が嫌いなわけではないのだ。
しかし、その存在を肯定して理解するには、まだその心が未熟だったのである。
また、同時期の母親の死において、美神令子はとりあえず「父親の存在」を考えない事にして、精神行動的にやり過ごしたのではないだろうか。
そして、それが現在も続いてしまっているのである。
美神令子は実は「父親という存在」が怖くて仕方がないのであろう。
それはシャドウ・メフィストの持つ「アシュタロスへの畏怖」が強く作用している為でもあるが、それのみならず、美神令子が自分自身の心に持つ「女性の中の男性像・アニムス」が不確定であり、理解すら出来ていないからでもある。
アニムスは「父性的権威の集合であり、その理性と力の象徴」でもある、アイデンティティの一角を担う重要な自我意識なのである。
そしてアニムスは、心的エネルギーにおいては「力強さ」を強調する意味を持つが、その力の制御はまだ未熟な自我には不可能で、そのため美神令子はこの衝動的な力をとりあえず「霊能力の発達」に向ける事で自らのアイデンティティの欠落を補おうとしていたのである。
その上「アニムスに伴う父性的な男性像」を混沌とさせたままの美神令子は、その表層意識の中で男性一般の存在に対する自分の立場を、常に優位に保とうと自意識の向上に勤めた。
その顕著な例が「横島忠夫」である。
美神令子は表面上、彼を従属させる事で優越の立場を取り続けていた。
しかし、重ねたエピソードの中であろうことか、横島の持つ父性のイメージに自ら魅かれはじめたのである。
妙神山で自分の為にと必死で修行していた横島の姿に、美神令子の心は揺れた。
それが決定的になったのが、平安京でのメフィストとの邂逅である。
ここで美神令子は、今まで不完全ながら築いてきたアイデンティティが全くの虚勢である事を知らされたのである。
かなりの衝撃を受けた美神令子であったが、奇しくもそれを緩和させたのが誰あろう横島忠夫の存在であった。
もし、彼がその場にいなかったとしたら、美神令子の精神は崩壊していただろう。
そして、美神令子に衝撃を与えたメフィストも、実は救いの手を差し伸べていた。
それは、横島忠夫の前世・高島とのロマンスの一端をかいま見せた事である。
メフィストの純情な姿に自らを重ねたのか、自己嫌悪を感じながらも美神令子のアイデンティティは復帰した。
その証拠がある。
ようやく美神令子と横島忠夫が現代に戻ってきた際。
「美神令子の頬に流れた一筋の涙」
これは、美神令子とメフィストの魂が無意識の中で互いに呼応しあった結果である。
美神令子は、これにより自分を取り戻したのである。
しかし、まだそのアイデンティティは完全ではなかった。
【美神令子とリビドー】
美神令子は、メフィストを通じて父となるアシュタロスを畏怖している。
そして同時に、その父性的な部分に強く引き付けられる精神的な弱さがある。
そして美神令子は、自ら封じた無意識を自分の手でこじ開けなければならない。
母なる存在に対するコンプレックスを克服するためにも。
ペルソナを取り去った美神令子が直面したあらゆる事象は、彼女を四面楚歌に追いやる程に高く厚くそびえる障壁となっていた。
美神令子は、自らのアニムスを理解しアイデンティティを確立させ、シャドウとの融合を経てグレートマザーを打ち倒さなければ、その運命を切り開く事が出来ない。
美神令子は、何をどうすべきか?
その鍵は美神令子の持つ「本能的エネルギー・リビドー」にある。
美神令子は、今まで封じてきた自我を解放し、活性化させなければならない。
無意識層にあるリビドーの力は、シャドウ・メフィストが持つエネルギーそのものであり、自己実現に向かうための心的エネルギーの進行には必要なのである。
そして同時にグレートマザーを打破する為のリビドーの力にもなりうる。
そうすれば、自ら「母なる女性である自分の姿」がその背後にある事が理解でき、アイデンティティの確立に向けて拍車がかかるのだ。
また、確立したアイデンティティはアニムスの理解を導き出し、父性的存在との立場を対等に保って、その精神面での弱さの克服と解決に役立つであろう。
美神令子が目指すもの。
それは「父性的存在と対等の立場」あるいは「内なる母性を倒し、内なる父性に伴う強い心」であろうか。
これはいわんや「エディプス・コンプレックス」そのものではないか。
抑圧された幼児期の性衝動たるエディプス・コンプレックスは、その思春期に既に乗り越えていなければならないはずである。
しかし、美神令子はその当時アイデンティティの欠落で、その術を失っていたのだ。
そして美神令子は、その無意識の中で常に「愛」を求めていたのだ。
それも「父親の愛」を。
美神令子の男性に対する反発心は、その屈折した愛情の裏返しであったのだ。
美神令子のリビドーは、自らの愛を受け止めてくれる強い男性を求めていた。
それに叶う人物が、今までいなかっただけなのである。
だが、この美神令子の「愛」は危険である。
今のままでは、美神令子はアシュタロスの「父性」に囚われてしまう可能性がある。
自己革命を起こさなければ美神令子はアシュタロスの呪縛から逃げられない。
それに気付くか否か、道を選ぶのは美神令子自身なのである。
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