T Into the skyblue――蒼空の下で始まる――
――まだ終わらないよ……全てが終わるのはもう少し後だ――
――2001年 2月10日 10時30分(中国中央部標準時)尖沙咀 伊達除霊事務所――
「それは何ですか?」
伊達雪之丞は、その声に振り返った。……珍しく書き付けなどしていたので、そのはずみにペン先が勢い良くあらぬ方向へと走る。舌打ちして、雪之丞は質問を発した助手に向き直った。
「……何がだ?」
それという指示語が指すもの。……自分の視界には、それらしいものの姿はない。
「いやだって……伊達サンが物を書いているなんて、これはもう天変地異の前触れとしか……いつもメモすらボクに取らせるのに……」
「これはお前に見せる訳にはいかないものなんでな」
答えてやり、雪之丞は再び書き物机に向き直った。あらぬ方向へと伸びた万年筆のインクを、修正液(日本製)で消し、作業を再開する。……背後から助手がこっそりと覗いてきているのは分かっていたが、別段覗いたところで助手に意味が分かるわけでもないだろう。
「伊達サン……これって……」
しかし予想に反して、助手は雪之丞が先程から書き付けていたものの正体に気付いてしまったらしい。これは、一大事ではある。
雪之丞の手元にある、『何かの図面』に。……助手が続けて言葉を発する。
「何ですか!?」
取り敢えず分かったのは、自分の予想が間違いではなかった事だった。……いや、何か心の中に蓄積していくドス黒いものを感じたが。
「……何だと思う?」
額に青筋を浮かべ、雪之丞は助手に訊いてみた。……助手は即答した。
「羽で空を飛ぶサソリ」
「どこにそんなモノが居るんだっ!?」
怒鳴りつけ、雪之丞は自らの画したモノを見つめた。……極めて客観的に眺めるとするならば、確かにサソリに見えない事もない。が、何がしか、納得できないものを感じる。
「あー……だから見せるのは嫌だったんだ……」
「あれ? これってサソリじゃないんですか? ……ボクは良く描けていると思いますけど……?」
「これの何処がサソリに見える?」
問う。……しかし、これまたあっさりと、しかも助手は先程より素早く答えてきた。
「え? ほらだって、尻尾があって……腕の先に鋏が付いていて……」
「それはエンジンだ!」
「それにほら。尻尾の先に棘が付いてるし……」
「それは尾翼だ!」
「ほら、この頭なんてサソリの姿を克明に描写したと言わしめるほどの素晴らしさですよ。伊達サン。これなら何処へ出しても恥ずかしくなんてありません!」
「……断言までしてくれてありがたいというかありがたくないというか……ちなみにそれは断じてサソリではないぞ」
「えぇっ!? これが……サソリ以外の生物!?」
「違うっ! そもそも生物じゃねぇ!!」
「じゃあなんだって言うんですか?」
邪気の全くない眼で聞いてくる助手。……邪気がないだけに、その言葉が全て真実である事を痛感させてくれる。……とりあえず気分は悪い。
「……飛行機だよ」
――その三十秒後。伊達除霊事務所に、凄まじいまでの笑い声が響き渡った。
――10時42分(中国中央部標準時)――
「で、何で飛行機なんですか……?」
未だに痛む頭を押さえつつ(殴られた)、明飛は再度師に質問した。……ちなみに、また殴られる事を警戒して、しっかりと身体は半歩ずらしてある。
「今度の仕事だ」
「……?」
表情で疑問符を投げる。……言った事は分かったが、肝心の意味が分からない。仕事で何故飛行機なのか……?
「ったく……多少使えるようになって来たからってまだまだ読みが甘いなお前は……」
嘆息しつつ、雪之丞がうめく。……明飛としては、文句の一つも言いたい所ではあるのだが、ここで文句を付けても何の意味もないだろうし、耐える。
「……で、それは……?」
「場所は啓徳(カイタク)空港跡地……」
空港。飛行機と聞いて予想はしていたが……
「で、相手は飛行機」
「へ?」
飛行機。例外はあるが、通常は、人を乗せて空を飛ぶ乗り物である。……で、飛行機。……意味が分からない。
「幽霊飛行機だよ…… むかーし事故った飛行機らしくてな…… 今でもご丁寧に啓徳空港で着陸失敗を繰り返しているわけだ……」
「……伊達サン……飛行機相手にどうやって闘うんですか?」
常識的に考えて、まともにやり合える相手ではない。実際、目撃者が居るくらいなら相当の力を持っている『霊』であろうし…… ついでに、無機物を霊たらしめているのは、相当な数(もしくは強さ)の霊であるはずだ。
「簡単な事だ」
こともなげに言ってくる、師。自分の意見を鼻で笑って答えてくる所を見ると、考えがあるのだろう。……自分には想像も付かないが……
「お前がやるんだよ」
………………………………………………………………………
半ば予想できた答えではあった。……自分がそれを認めまいとしているのもよく分かる。……だが認める他なかった。
「じゃ、俺は後から行くから依頼人に詳しい話聞いといてくれ。あ、この『図面』持ってっていいぞ。依頼人との待ち合わせは12時15分に現地だ」
先程のメモ用紙を押し付けられ、明飛は静かに悟った。
最早……退路などないのだ。
――10時48分(中国中央部標準時)――
(行ったか……)
雪之丞は溜息をついて、次の『依頼者』から来た『手紙』を引出しから取り出した。……『手紙』。電話でもメールでも済む所をわざわざ手紙で寄越したのは、やはり何か意味があってのことなのだろうか。
……いや、意味はあったのかもしれない。『これ』を雪之丞に見せたかったのだとすれば……
封筒を裏返す。……そこには、差出人の名が書かれていた。
『瀦双秀』
(これは……偶然か?)
『瀦双秀』。……その名には覚えがある。
自分が知っている『瀦双秀』は、一年前……死んだはずだ。……GS助手を志願する16歳の青年で『あった』はずだ。……だが、何者かによって……殺された。
そして、依頼日時は今日。……依頼内容は――
(『家を買ったのだが、どうやら霊的不良物件だったようで、夜な夜な霊が集まってくる。何とかして欲しい』……か。……平凡だな)
場所は土瓜湾(トゥグゥワン)。香港でも有数の工業地帯。……そして……本来、一軒家など殆どないはずの街でもある。
(怪しいといっても行かなくちゃならない……クソッ! 俺が何か人様の恨みを買うような事をしたかってんだ……)
実際には思い当たる事は星の数ほどあるのだが、偽名まで使って呼び出されるような事など、そうそう思い当たらない。……自分に恨みを持っている奴は腐るほどいるだろうが、自分を殺したいとまで思っている奴はそうそういないだろう。
(……結局のところ、同じ事か)
どちらにしろ、行ってみるしかない。……明飛は追い払ったし、幸い土瓜湾は啓徳空港にも近い。早々に用を済ませて応援に行ってやれば良いだろう。助けを借りたとは言え、明飛は一人で除霊を行った事もあるし、恐らく問題はない。
(あとは……俺、か)
雪之丞はいつものコートに袖を通した。
心なしか、ボタンが上手く留まらない気がする。……緊張……? 自分が?
(ハッ! まさかな)
心中で吐き捨て、ドアを開ける。……香港の風は今日も今日とて生寒い。……肌を差す寒気はとうに去り、ただ寒さの残骸だけが残るストリートを雪之丞は見つめ……そして……思いを断ち切るかのように、歩き出した……
――11時09分(中国中央部標準時)――
雪之丞を乗せて、タクシーは走る。……車に乗ってからも、不安と緊張は収まらなかった。
(俺が……恐れているもの……か)
精神を落ち着ける為に、高い金を払う事を覚悟でタクシーに乗ったが、帰って良くなかったかもしれない。……落ち着かない心は思考を迷走させ、身体の微動は未だに収まらない。……微動する心は迷いを生み、迷いは致命的な失敗を生み出す礎となる。典型的な悪循環だ。
しかしそうだとしても、震えは止まらない。不安は止まない。精神は張り詰めた状態で、いつ何時破綻を来たしてもおかしくはない。
(俺は…………何を恐れる……?)
自問の答えは、自分では見つからない。……自分は何も持っては居ない。……失うものなど……何一つとしてない。それは、数年前に自らして出した結論だ。……そう、あのメドーサに組する事を決意したときに……
(俺は……変わった……か?)
弓辺りに聞けば、『雪之丞は雪之丞じゃないの?』とでも答えるだろうか。自分が自分である為に必要なものは、その言葉で片付けて良い物なのだろうか。……分からない。……多分、誰にも分からない。
(分かるとしたら……それは俺がこの世から消えるとき……か。……ふん。まだまだ憂き世に未練はしこたまあるってのによ)
しかし、人間はいとも容易く死ぬ。
『壊れる』という表現の方が的を得ているかもしれない。……人間は、壊れる。壊れない人間など存在しない。……いや、壊れるのは全てのものだ。恐らく森羅万象、憂き世に生を受けてから後、壊れないものなど、存在し得ないだろう。
(『俺』も……簡単に壊れるのか)
どんなに霊力を高めたところで、どんなに力をつけたところで……自分も一個の、『人間』というモノに過ぎない。
壊れる。壊れ『させられる』。……どちらにせよ、自分が恐れているのは『消滅』そのものなのだろうか。
(いや、考えるべきじゃないな)
思考を強制排除。目的地に着くまで、意識を強制的に半覚醒状態に落とす。……今は、少しでも休息を取っておくことが必要だ。
場合によっては……ややこしい事になるかも知れない。意識を研ぎ澄ましておくに越した事はないだろう。
――11時50分(中国中央部標準時)土瓜湾倉庫街――
眼を閉じ、そして開く。……内在する時間を飛び越えて意識は時を越える。タクシーが停車する音が雪之丞を現実に引き戻した。
「着いたよ。お客さん」
運転手に料金を支払い、雪之丞は車外へと出た。……予想通り……倉庫街。工場地の外れの、最も人が立ち入りにくい場所。……ただ、まだ時間が早い為、一応人通りはあることはある。
(何でも……ないのかな?)
実際、ここで自分を狙うのは無理だろう。……人通りは元より、遮蔽物が多すぎる。警戒を誘っては、狙撃すらも成功はし得ない。
ともあれ、民家など何処にも見当たらない。
(何かある……か)
意識を研ぎ澄まし、待つ。
「……ったく、これじゃ明飛ン所にも行けねぇじゃねぇか……」
口を突いて出た愚痴は午前の涼気が残る蒼空へと消える。……蒼い空はその下で何が起こっているのかも知らぬげに、ただそこに光を投げ掛け続ける……
――11時55分(中国中央部標準時)啓徳空港跡地――
空港の跡地ってのは何でこんなに閑散としてるんだろう……
明飛は心中の疑問を適当に吐き捨て、空港敷地内へと足を踏み入れた。……何でこんなに閑散としているか?……決まっている。広くて、使われていないからだよ。
(にしても……依頼人さんは何処に居るんだ?)
明飛は訝った。思えば、依頼人との待ち合わせの正確な場所を、師は教えてはくれなかった。……それに全く気付かずにここまで来てしまう自分も自分だが。
携帯電話を取り出し、メモリ登録してある事務所の番号へと掛ける。
(………………………………出ない?)
師は事務所に居ないのだろうか。……本来、師、自らやるべき依頼人との交渉を明飛にやらせるくらいなのだから、事務所に居ないのは決しておかしい事ではない……が。
明飛は蒼空へ叫んだ。
「ボクの事はどうなっちゃうんですか伊達サァ――――――ンッ!!」
……叫びは誰も居ない飛行場跡に響き渡り、そのまま拡散して消える。……明飛は叫んだ体勢のまま、自身の携帯が鳴るのを聞いた。
「ハイ……金です。あ、伊達サン?」
『明飛……少し遅くなる。除霊、お前一人でやっといてくれ』
「え……」
除霊を一人で行うということはともかく…………
「あの、伊達サン……依頼人との待ち合わせ場所は……?」
それが分からなければ何をする事も出来ない。
『あれ? 言ってなかったっけか。その辺に工事してるとこないか?』
工事現場……? 明飛は左右を見渡した……………………あった。かなり遠くではあるが、確かに工事機械が軒を連ねている所がある。
「ありました」
『そこだ。依頼人に失礼な事すんなよ?』
「いえ……伊達サンほどには……」
確かに自分は師ほど、他人に対して失礼にはなれないだろう。……ついでに言えばなりたくもない。
『じゃな。頑張れよ明飛』
ぷつっ! つー つー つー
電話が切れてもその場からは動かない。……心の準備が出来ていないということもあるが、それよりもまずは荷物を整理しなければ。
(えーと、飛行機の霊っつったから破魔札は対艦超強力型を使っていいのかな…… でも高いの使うと伊達サン怒るしな〜 ……神通棍で除霊出来るかなぁ……)
考える。今の自分の力で、果たして飛行機の霊を除霊出来るのだろうか?
最近、神通棍を用いた除霊術の修行を始めた。……自分で評すのも何だが、上達はかなり早かったと思う。……あの師ですら、明飛の上達振りを見たときには素直に驚いていた。『これが才能の力なのか…… よおしっ! これなら勝てるっ! 奴に勝てるぞぉっ!!』などとも言っていたし、自分には才能があるという事は一応分かる。
……だが。
(技能は簡単に人を裏切る……ほんの少しの油断で)
半年前、命がけで学んだ教訓の一つだ。……気を張り詰めなければならない。自分は強い。強いという事を信じ、なおかつ油断しない。……それが強者の条件となる。
巨大なリュックサックの口を閉める。……とりあえず必要なものは取り出した。後は自分がやるだけ……
(よし……)
明飛は歩き出した。……と、ふと気付く。おいおい。ボクは依頼人に会う為に武装していたのか?
(…………ま、いいか)
再び歩みを進める。工事現場は閑散として、やはり無人地帯のように見えた。
――12時33分(中国中央部標準時)啓徳空港跡地 工事現場――
空港という場所柄近くに見えても、実際はかなりの距離を歩いたのだと……思う。それ故、工事機械が所々に置き去りにされている現場にたどり着く頃には、明飛はすっかり消耗し切っていた。
本来ここに空港があった頃には、この距離を歩かせるなどという事はなかったはずだ。……シャトルバスか、いわゆる『動く歩道』。ただ歩くしかない今よりは、ずっと快適に移動できたはずではある。
(ま、実際はどうか分からないけどね)
待ち合わせ場所に着いて息を整え、暫く待っても、依頼人は一向に現れなかった。何かこちらに不備があったのだろうか。
腹も減ってきた。こちらとしては、依頼人に話を聞いて、除霊前に昼飯を済ませるつもりだったのだが、肝心の依頼人が現れないのではどうしようもない。ひたすら待つ以外にない。
(伊達サンは何をやってるのかな……)
師が今ごろゆっくりと肉マンでも喰っているのかと思うと、やはり泣きたい気分になって来る。師が悪いのかどうかはともかく、なかなか現れない依頼人にも文句を言いたくなって来る。
(粽(ちまき)でも買って置けば良かったかなぁ……)
何もない時間を何もせずに過ごすことほど空しい事はない。……ことに、わざわざ武装までしてここまで来たのにこの態度では、本当に殺意が沸いて出てくるということにも耐えなければならず、色々と面倒も多い。
ふと、時計を見る。
(12時39分…… おかしいな。確か12時15分待ち合わせのはずだったのに……)
既に明飛自身が遅刻しているのだが、それより更に遅いとなると更におかしい。相手は悪霊に困っているのだから、恐らく遅刻して来る事など殆どないのだ。……現に、自分が今までに師と共に受けた仕事のいずれの依頼者も、時間ぴったり――もしくは時間より数十分早く――に明飛たちと顔を合わせている。この事から考えると、今回の依頼者は異彩をはなっていると言える。……いや、それが異彩と呼べるものなのであるかは知らないが。
(……一応電話で確認とっておこうかな……って、うん?)
こつ こつ こつ こつ こつ こつ
懐に手を入れた矢先、背後から足音。明飛は反射的に振り返った。
そこには、小柄な青年が居た。工事機械の陰から出て来たのか、今まで全く気付かなかったが。それに気付いたのは、革靴が立てる足音のお陰だ。
「伊達除霊事務所の方ですか?」
澄んだ声。現れた青年は小奇麗な紺のスーツに身を包んでいた。……出で立ちから察するに、青年実業家か何かだろうか。
「ハイ。ええと、あなたが依頼者の――ええと……キャンスーラオ……さん?」
確認するまでもない事なのだが、一応確認は取っておく。常に万全を期す事。これは、相手に対する礼儀でもある。
スーラオは苦笑したようだった。
「ええ。そうしといてください」
そう『しといてください』?
「え……?」
ふと、青年が左手に持っている棒に眼がいった。……布に包まれていて分からないが、1・3メートル位の、緩やかにカーヴした棒……
「あなたは関わった」
「え?」
スーラオが自分に向け、言う言葉。……それと同時に、彼が左手に持っていた棒を包んでいた布を、無造作に取り払う。
「!……それはっ!」
その棒は、黒光りしていた。……この類の武器の中でも、これは長いものなのではないだろうか。それだけの長大さが、それにはあった。
それは刀だった。……日本の、『太刀』と呼ばれる刀だ。
「あなたは関わってしまったんだよ……伊達雪之丞に……ね」
「何を……」
恍惚と、スーラオは語る。その眼は既に焦点を失い、光すらも点っていないように見える。歪んだ灰色の、壊れた眼……
明飛は後ろ腰から神通棍を抜いた。……本来ならば、この様な事は論外である。依頼者に剣を向けるなどということが、この世界で許されて良いはずがない。
だが。
(コイツ……狂ってる)
直感。……この男は今ここにある現実を見ていない。……視線そのものは明飛を映していても、その心はどこか違う所を見ている。……断じて、明飛を見ているわけではない。
「だからね……君に手伝って貰いたいんだ。……そうすれば……伊達雪之丞も苦しんでくれるだろう。……だってそうだろう? これは、彼が僕に味あわせたモノなんだからね」
一人で話しつづけるスーラオ。既にその声には、先程まであった青年実業家の皮は欠片も残ってはいない。ただ、一人の狂人の声を映すのみだ。
(先手……)
明飛は地を蹴った。どんなに反射神経が鍛え抜かれていようと、いきなりの奇襲を至近距離から受ければ、驚愕の分人間は反応が遅れる。
「ハァッ!!」
神通棍を振り下ろす。霊気のこもった棍は、狙い過たず、スーラオの刀を持った左手に叩きつけられた。……刀が落ちる。
(チャンス!)
体勢を崩した相手に向かって、一気に攻め込む。神通棍を頚に叩きつければ、とりあえずは眠ってくれるはずだ。
「ハァァァァッ!」
頚に神通棍を振り下ろす。スーラオはぼんやりとしたまま、視点は未だにこちらに合ってもいない。
ドグ……
頚に棍がめり込む異音が、神通棍を通して手に返って来る。
(!……殺しちゃった!?)
異様な手ごたえだった。……まるで、皮膚を通り越して骨に触れたかのような……
「……いきなりは酷いな……僕にだって準備があるんだから……」
「!……馬鹿な!」
スーラオは涼しい顔をして、自らの刀を拾い上げた。……明らかに頚に霊力を満載した神通棍の一撃を喰らっていながら……
「何で……」
「『何で』はないだろう? いきなりそっちから仕掛けてきておいて。なかなかアグレッシブな助手だね」
打たれた左首をさすりながら、スーラオ。……ふと、気付く。左首の辺りの質感が、周りの皮膚とは微妙に異なっている……あれは……
「じゃ、こっちから行くよ? あ、反撃する事は薦めないよ。どっちにしろおんなじなんだからね。疲れる分損だ」
言い、スーラオは……霊気を放射した。
「!…………これはっ!」
(間違いない……これは……)
そして、放射した霊気が消えた――否、『なくなった』とき、スーラオの姿は変わっていた。……長く伸びた頭髪。仮面のような顔。一回り大きくなった体格。……そして、昏い色の装甲で覆われた身体…………これは……
「魔装術……!」
黒と白を基調とした、霊気による鎧。……これは……師が……雪之丞が除霊時に使っている……魔装術だ。……普通に使用するならば、魔族と契約したもののみが使う事ができるという邪法……邪気を感じる。
「クソッ!」
明飛は神通棍を振った。……単純なパワー差が付いてしまったのならば、手数でカバーするしかない。そして、ここに於ける手数とは即ち、攻撃の回数を増やす事に他ならない。
「甘いよ……」
何が起こったのかは分からなかった。
ただ、一瞬スーラオの手の先が霞み、……そして次の瞬間、神通棍が根本からあさっての方向へと飛んで行った。……その光景は、やけにゆっくりと見えた。
(……居合……)
「……僕はね。本当はこんな事をするのが好きな訳ではないんだ。……君になら分かってもらえると思うな。半年くらい前、君もその様な事を言っていただろう?」
(! 学校の事件の時か……コイツ……ボクのことを観察していた……?)
「でもね……やらなきゃならないこともあるんだ」
足が動かない。……舌が口腔内で縮こまり、からからに乾いた喉には、幾ら唾液を流し込もうとしても適ってくれない。
「伊達雪之丞は……僕の兄さんを殺したんだ」
逃げなければならない。……だが、足も、視線も、動かす事が出来ない。
「兄さんを失った僕の苦しみ…… まずは伊達雪之丞に味あわせてあげないとね。……僕はその為にここまで来たんだから……」
スーラオがゆっくりと刀を抜く。……その刀身の煌きから、眼を離すことが出来ない。
「……僕は狂四郎(キャンスーラオ)。せめて、祈るよ……安らかに……ね」
(……伊達サン……!)
そして……刀は振り下ろされた。