Epilogue――終章――
紅い…………空。夜と昼の一瞬の隙間。
横島は今、事務所の屋根の上にいる。
そこには彼の他には誰もいない。彼独りだけが、その空間には存在する。
そして、今。横島は…………泣いていた。
(……何も、出来なかった……)
そう、それは一週間前から何度も自らの中で繰り返した自責の言葉…… 自らを罰するために自らの中で反芻する、戒めの言葉。
(俺は……美神さんを、助ける事も出来なかった……。……何が『世界を救った』だよ……。何が『救世主』だよ。結局俺は……何も出来ない。誰も助けられない……)
涙を流しながら、胸中で……絶叫する。
(俺は…………何なんだ!? 力が何だ!? 力があったって……力があったって……俺は、……俺はっ……! 誰も、誰も守り切ることすら出来ない!!)
一週間前。
横島は、これまでで二度目の、途方もない無力感を味わった。美神は戻ってきた。日常も戻ってきた。しかし、横島はそれ以来毎日ここに来る。この時間、横島はここに来てしまう。自らの不甲斐無さに……いや、情けなさに……横島は、ここで涙する。
道化の仮面をかぶってはいても。
美神にも、おキヌにも、その事は知れているらしい。現に、この時間、彼は常に独りだ。
(駄目だ……駄目なんだよ……)
強くなりたい――
ファウストは言った。
『私は……分からん。メフィスト――いや、美神令子。私は、『彼女』と暮らした地へ、一度戻ってみるつもりだ。そこで、自らの心をもう一度、確かめる』
そして、
『そして、それでいて尚今のお前を愛している事――それが確信できたとき、私は再び、お前の前に現れるだろう』
そう、転移する間際。最後に、ファウストはこう言った。
『メフィストはもう、いない。私は……そのときは…………』
自分は、ファウストと同じなのかもしれない。横島は思う。
自分にとっての、『彼女』。自分は、未だにその面影を追いつづけているのかも知れない。
(……アイツは、こんな俺をどう思うかな……)
少なくとも、笑顔では見てくれないだろう。『彼女』が愛したのは、普段の自分だ。今の自分では……駄目だ。
(そうだよ……俺は『弱い』……。決して、決して……『強く』なんか……ない。強いのは……誰でもない……誰もが弱い)
ならば強いものとは何なのだろう。本当の意味での強さ、それは何処に在るのだろう。そして、自分はそれを手に入れることが出来るのだろうか?
ファウストはそれを探しに行った。彼はそれを見つけるだろう。たとえ何千年かかったとしても、探しつづけ、いつかは見つけるだろう。
何も出来なかった自分。
それを恥じている自分。
それはどちらも、自分ではない……しかしそれもまた、自分自身なのだ。いくら恥じても、いくら後悔しても、自分自身を否定する事は横島には出来なかった。自分を否定してしまったら、今まで自分の為に尽力してくれた多くの者たちを裏切る事になる。
(俺は…………何なんだ?)
横島は自問する。何も出来ない自分。『彼女』を救えなかった自分。そして今又、美神を助ける事すら出来なかった自分。
しかし、世界を救った、自分。
(俺は……俺はっ……!!)
横島は慟哭する。今の時間……蒼と黒の間隙に在る紅い時間、その時間が終わるまでそれは続く。
そして、間隙に在る時間が終わり……横島は袖で涙を拭う。
『自由時間』は終わりだ。仕事が始まる……
再び日常が始まる……しかし、日常は……
大切な物……
今はこの中で生きていく……自分は戦った……だから、だからこそ、今は『普段』に戻ろう。普段に戻って、それを心に留めよう。
そして、横島は、思う。
(強くなりたい……!)