LONG WAY HOME (前編)

著者:胡麻


 ざわめきを縫って流れる音の悪いアナウンス、飛び交う様々な国々の言葉……。

 一国の首都にあるとは思えないほど狭くて粗末なその空港の一角で、彼女は途方に暮れていた。
 飛ぶ予定の飛行機が遅れているのか、空港内ははち切れそうなバッグを抱えた大人とそして着膨れした子供を連れた家族づれであふれ、まるで通勤ラッシュさながらに混み合っている。
 そんな中で、何度も行き交う人々に肩を押されながらも、彼女は指定された場所にもう3時間も一人で待たされているのだ。
「……どうしたのかしら?」
 時計を見てつぶやくのももう何度目か。
 ため息をつく。
 こんな目に遭うのは初めてじゃない。
 彼女が呼ばれる土地は、大抵混乱の極みにあって、行く先々でなんらかのトラブルにぶち当たることになる。
 そしてこういう時は待つしかないと、彼女はもう十分学んだ。
 なるべく通行の邪魔にならないように、さりとて探しに来る人が見つけやすいようにと、彼女は柱の一つに寄りかかろうと後ずさった。

 ―――ドンッ!

「あ、す、すいません!」
 そこにも先客がいたらしく、肩の当たった方へ向き、慌てて謝る。
「あ、いえ………って、あれ?」
 聞き覚えのある声が、深々と下げられた頭の上から聞こえた。
「え……?」
 驚いて彼女は顔を上げる。
 そこにはスーツ姿の金髪の青年が立っていた。
「おキヌさん……おキヌさんでしょ?」
「ピ、ピートさん!?」
 驚く彼女の前で、美貌のバンパイアハーフが、最後に会った日のままの笑顔で笑った……。

「どうしてこんなところに……」
 突然の再会に動揺を隠せず、おキヌは茫然とピートを見つめた。
「ええ、実は久しぶりに休暇が取れたんで、実家に帰ろうと思ったんですけど、飛行機のエンジントラブルで急遽この空港に着陸することになっちゃって……おかげで丸1日足止めです」
 ピートはちょっと照れくさそうな笑みを見せて肩をすくめた。
「そうなんですか……。でも本当に久しぶりですね」
「ええ確か……」
「美神さん達の結婚式以来……ですよね」
 屈託なく笑ってそう言ったおキヌに、ピートはかすかに戸惑ったような表情を見せた。
「そうでしたね……。―――ところで、おキヌさんはどうしてこの国に?」
 ピートは改めて、久しぶりに出会ったこの旧友のいでたちを見回した。
 もと幽霊で、人間に戻ってから10年は経ち、公の歳は今年で27、8歳になるはずの彼女は、シックな感じのロングスカートに仕立ての良さそうなコートを羽織り、小ぶりのボストンバッグを手にしていた。
 前に会った時よりもずっと落ち着いた印象があったが、それでも長い黒髪と少女のようなあどけない笑顔は昔のままだ。
「私は……仕事です」
 かすかに小首を傾げて、彼女は答えた。
「ああ……」
 ピートは納得がいった様子で頷いた。
「この国も……やっぱりあなたを必要としているんですね」
 答える代わりに、おキヌは少し悲しそうに微笑んだ。

 美神除霊事務所のなくてはならない一員として、長い間美神と横島の3人でチームを組んできたおキヌだったが、2年前、その美神と横島がすったもんだの末にどうにか結婚式を挙げたのを機会に、美神の元から巣立つこととなった。
 ニューヨークにその居を移し、国連本部に新設されたばかりの世界超常現象対策局に、世界に数人といない貴重なネクロマンサー(死霊使い)として所属することになったのだ。
 そして、彼女に与えられる任務の多くは、世界中の大規模災害や紛争によって発生する霊を鎮めること―――。
 これら悲劇で生まれる霊たちは一カ所に大量に発生するため、オカルトGメンや民間のGSでも手に負えない。とは言え、ほうっておくと多くは悪霊と化し、その波動の悪影響で同じ土地に何度も紛争が繰り返される原因となってしまうのだ。
 しかしネクロマンサーの笛を持つ彼女にだけは、その笛の音で大霊団となった彼らをコントロールし、癒して鎮めることが可能だ。
「お仕事……ずいぶん忙しいんですか?」
「ええ、まぁ…」
 おキヌはあいまいに笑った。
 ネクロマンサーの数は少なく、そして世界には未だ災害や紛争の種が尽きることはない。
 おかげで彼女はこの2年間を、ほとんど世界中を飛び回る旅の中で過ごしているのだ。
「大変ですね、それは。―――少し痩せたんじゃありませんか?」
 ピートが心配そうに顔をのぞきこんできた。
「そうかしら? でも忙しいのはピートさんも同じでしょ? インターポールのフランス本部に栄転されたんだから」
「いや、多少忙しくても僕の場合、いざとなったら代わりがいてくれますから。でもネクロマンサーであるあなたの代わりはいないわけだし……」
「それは……でも、おかげでやりがいはありますよ。それに忙しい方が……」
 余計な事を考えずにすむから…という言葉を、おキヌは喉元で止めた。
「あ、私そろそろ行かなきゃ」
 ごまかすように慌てて腕時計を見る。
「本当はここにこの国の政府機関の人が迎えに来てくれるはずだったんですけど、もうずいぶん待ってるのに来ないし……、そろそろ現場に向かわないと日が暮れてしまうから……」
 言い訳めいたとことをつぶやきながら、彼女はボストンバッグを持ち直した。
「少し郊外の方なので、バスに乗らなきゃならないんです。それじゃあ、ピートさん、これで……」
「あ、ちょ、ちょっと待って下さい!」
 突然、慌てふためいた様子でピートがおキヌのバッグを奪った。
「ピートさん?」
「僕も一緒に行っていいですか?」
「え、ええ!?」
 おキヌはすっとんきょうな声を上げた。
「どうせ、飛行機は明日まで飛ばないし。せっかくこんな所で会えたんですから、僕にもなにか手伝わせて下さい!」
 せき込むような勢いでピートは言った。
「で、でも、そんな……」
「いーから、いーから。あ、バス乗場こっちですよね?」
 突然のことで目を白黒するおキヌをよそに、二人分の荷物を持ってピートはさっさと歩き出してしまった。

 ガタガタと鳴るローカルなバスから降りて、石ころだらけの細い道を歩いて、ようやく彼らは目的の場所にたどり着くことができた。
「本当にここなんですか……?」
「ええ、そうみたい……」
 地図を何度も確認しながら、おキヌは頷いた。
 しかし地図など無くても間違えようがなかっただろう。
 大岩があっちこちに顔を出すただっ広い荒れ地の真ん中に、その建物はポツリと建っていたからだ。
 バスから降りてから、二人が延々と歩いてきた一本道も最後にはまっすぐその建物につながっている。
 こんな荒野にふさわしくない、かなり大きくて近代的な建物だった。
 けれど、そこに今では人一人いないことはすぐに見てとれた。
 高々とした鉄柵と頑丈そうな鋼鉄の門扉に囲まれたその建物は、その外壁以外はほとんど形を残していなかったからだ。
 屋根にいくつも開いた大穴、ほとんどガラスが残っていない歪んだ窓枠、激しい火災にさらされたと一目でわかるほど真っ黒に煤けた壁……。
 少しずつ近づくにつれ、その建物の全容が彼らの目に入ってきた。
(空爆……か。こんな僻地まで……)
 悲惨さに、思わずピートは建物から目をそらした。
 この国は、ほんの1・2年前まで激しい内戦のさなかにあった。
 同じ国の中に無理にまとめられた、入り組んだ民族同士の長く深い対立が、ある日ついに火を噴いて、またたく間に国中に飛び火し、そこに例によって、人道主義と国際世論を背景に大国が介入して、国中がさらに激しい戦禍にさらされることになったのだ。
 泥沼と化した事態の沈静化を図るため焦った連合国軍による空爆は、首都はもちろん僻地にまで至ったと聞いている。
 なんの建物かわからないが、これもその災いを被り、焼け落ちたものの一つだろう。
 この破壊具合だと、中に人がいたとしたら多大な犠牲は免れなかったに違いない。
 ため息をかみ殺しながら、ピートはさっきから門扉にからみついた有刺鉄線を相手に四苦八苦しているおキヌを脇にどかせて、代わりにそれを外し重々しいその扉を開け放った。
 そして中へ何歩も入らないうちに、門の内側に落ちていた表札を見つけ、足を止めた。
「あれ、もしかしてここは……」
「ええ……」
 その横でおキヌが小さく頷いて、地面にうずくまる。
 そして足下の土に半ば埋もれかけていた小さな人形を拾い上げた。
 その顔にかかった泥を払ってやりながら、彼女は言う。
「ここ……孤児院だったんです―――」
 泥が払われてのぞいた人形の顔は、醜く焼けただれていた……。
「誤爆……ですか?」
 なんとも苦い、いやな気持ちをこらえきれずにピートは尋ねた。
「ええ。当時、ずいぶんあったみたい。ほとんどはニュースにもならなかったけど……。内戦で大量に発生した孤児たちを保護するためにここに集めた途端、ここもまた……」
 人形を優しく撫でながら、おキヌはひどく淡々と語る。
 それがまたやりきれなさを誘って、ピートは言葉を失った。
 やがて、おキヌは人形をそっと地面に戻し立ち上がった。
「さ、行きましょう、ピートさん」
 少し力なくそう言うと、おキヌはすたすたと焼け落ちた孤児院に近づいていった。
「…………」
 あっけにとられたようにその後ろ姿を見送ってから、ピートも慌てて後を追っていった。

 ――――チリーン……

 小さな金属音がかすかに聞こえた気がした。
「―――そこにいるの?」
 壁の大穴から今にも崩れ落ちそうな建物の中に足を踏み入れた途端、聞こえたその音に、おキヌは薄暗い部屋の隅に目をこらした。
 焼けこげた机やベビーベッドらしきものが積み上げられたその場所からは、確かに霊の気配がする。
「そこにいるんでしょう?」
 優しい声音でそっと呼びかけてみる。
「ねぇ、隠れてないで出てきて……?」
 返事の代わりにチリーン、とまた小さな音がした。
 それがどうやら鈴の音らしいことにおキヌは気づく。
『―――誰なの?』
 不審そうな声が聞こえた。
『誰?』
『誰なの?』
『大人?』
『大人の女の人だよ』
『大人がどうしてここに―――?』
 続いて様々な子供の声があがる。
 どうやらいるのは一人ではないらしい。
 暗がりの中で子供の集団がガヤガヤと一斉にしゃべりだす。
「みんな、そこにいるの? どうして隠れているの? お願いだから、そこから出てきて。みんなの顔が見たいの」
 根気よくおキヌは呼びかけ続けた。
 少し離れた場所では、ピートがそんな彼女をハラハラしながら見守っている。
 いくら相手が子供の霊でも、いくらおキヌが熟練したGSであろうとも、大勢の霊を一度に相手する場合は一瞬だって油断はできない。
『―――お姉ちゃん、誰?』
 ぼんやりと青白い光を放つ、5〜6歳くらいの少年の霊が机の後ろからふいに現れた。
 ようやく姿を現した相手に、おキヌはにっこりと微笑みかけた。
「私はおキヌ。―――遠い国からあなたたちに会いに来たの」
 そうしてじっと少年の姿を霊視する。
「あなたは……ニコライね。そうでしょ?」
『―――どうして僕の名前を知ってるの?』
 少年は露骨に警戒の表情を浮かべた。
「他のみんなの名前だって知ってるわ。マーサにエルザにトーニに、エイレン……みんなそこにいるんでしょう?」
 事前に渡されていたこの孤児院で亡くなった子供たちの写真付きの資料を思い出しながら、彼女は少年の背後に隠れている子供たちにも呼びかけてみた。
 名前を呼ばれて、途端に霊たちがざわめきだした。
『僕らの名前を知ってるよ!』
『私たちの姿が見えるのね?』
『見えるんだよ!』
 そしてまるで堰をきったように、突然物陰から子供たちが飛び出してきた。
 歳の頃は3歳から12、3歳ぐらいまでの、いかにも東欧系らしい顔立ちをした10人以上の少年少女たちの霊が、たちまちおキヌを取り囲んでしまった。
『ねぇねぇ、お姉ちゃん』
『遊ぼうよ』
『遊ぼうよ、お姉ちゃん!』
 四方八方から腕や服を掴まれて、彼女は慌てた。
「ちょ、ちょっと待って!」
 けれど、最期の日のままの幼い姿をした子供たちはその手を離そうとしなかった。
『だめだよー、久しぶりのお客さんなんだから』
『そうだよ、僕らずーっと遊んでくれる人を待ってたんだ』
『もうあたしたちだけで遊ぶのあきちゃった!』
『前に来た兵隊さんたちは、私たちのことが見えなかったのよ』
 子供たちは口々に言い立てる。
「ちょっと待って、ね? ―――ね、ねぇ、みんなどうしていつ