そう遠くない未来
薄暗い倉庫の中に、数人の男達がいた。
外見はごく普通の勤め人のようだが、隠しきれない禍々しさが仕草や雰囲気に現れている。
先ほどから男達は一言も喋らず、目の前の二人を見つめていた。
一際目立つ黒い仮面をつけた男と、麻のスーツを着込んだ軽薄そうな男が
倉庫の中心に立っている。男達はこの二人に呼び出されていた。
黒い仮面の男が口を開く。全身黒ずくめのその姿は、倉庫の闇にとけ込んでいるように見えた。
「どうした、誰もいないのか。」
錆を含んだ声が、倉庫に響きわたる。
「みんな、このTさんの力は本物なんだ。信じてくれ」
麻のスーツを着込んだ男が、必死に男達に呼びかける。Tというのは仮面男の名前らしい。
「そんなヨタ話で、逃亡中の俺達を集めたのか?残党狩りはますます厳しくなってるのに。」
男達の一人が不満の声をあげる。ツリ目の気の短そうな男だった。
「クラインさんよ、ただの資材調達係だったお前さんが、ずいぶん偉くなったもんじゃないか。」
クラインと呼ばれた麻のスーツに怒りの表情が浮かんだ。倉庫内に険悪な雰囲気が漂う。
「俺が行こう。」
険悪な雰囲気を打ち消したのは、見るからに普通のサラリーマンだった。
「使い魔の大魔球3号とやってみる。逃亡生活にも疲れたしな。」
男は力無く笑い、Tの前に進み出た。
「・・・・・・餞別だ。」Tはこう言うと、男に黒い珠を手渡す。
「これは・・・・・文珠!」
男の声が終わらないうちに、Tの両手から4個の文珠が飛び出す。
「時」「間」「遡」「行」、文珠が共鳴し黒い光を放つと男は姿を消した。
男達は言葉を失っていた、先の大戦でアシュタロスを阻止した人間、その人間と
同じ力を目の前の男は持っていたのだった。
しかし、沈黙も一瞬、
「何も、変わらねーじゃねーか。手品だってもう少しましだぜ。」
先ほどのツリ目男が、揶揄するように言う。Tを馬鹿にしたような目つきでみていた。
「失敗か・・・・・過去で何があった。」
Tは何気なくツリ目男に近づき一撃で男を倒す。殴る瞬間、Tの右手を黒いオーラが包んでいた。
桁外れのダメージに、ツリ目男の姿が本性であるネズミの姿に変貌していく。
「ずいぶんと立派な姿だな・・・・。」Tはこう言うと、ネズミを握りしめた。
「これからお前を過去に送る。そこでやることは分かっているだろうな。」
Tは頷くネズミをさらに強い力で握りしめる。ネズミは苦しそうに痙攣すると気を失った。
「こんな弱い奴に目的が果たせるとは思えんが、利用法はある。」
こう言うと気絶しているネズミに、文珠を二つ飲み込ませ過去へと送る。
文珠には「記」「録」の文字が浮かんでいた。
「もっと強い奴はいないのか。」Tは呆気にとられてる男達を見回す。
「今の男ですが・・・・、俺達の中で最強でした。」
クラインは、苦笑いしながら付け足す。
「でも、前の大戦で幹部だった人達とも接触予定ですし、例の物もそろそろ届くので、
戦力の充実にはそう時間はかからないと思います。」
この説明を聞き、Tは数名の男達にいくつか指示を与えると倉庫から出ていく。
クラインは慌ててTの後を追いかけた。
「Tさん、成功していたらどうなってたんですか。」
周囲に人がいないのを確認してから、かねてからの疑問をクラインは口にする。
「分からん、確実に言えることは歴史が変わるということだ・・・・・・・・。
その結果、お前達がどうなろうが俺には関係ない。アシュタロスの復活、
俺達の利害の一致はその一点のみのはずだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
Tの素っ気ない答えに、クラインは戦慄する。
「(俺は破滅に向かって進んでいるのかも知れない。)」
クラインはTと出会った運命を呪い始めた。
198×年
美智恵と公彦は、埠頭に隣接した廃ビルの階段をかけ昇っている。
公彦の脇には3歳くらいの横島が抱えられていた。
「敵の数が多すぎる。このままじゃまずい。」
一室にたてこもりドアを施錠する。数秒遅れて外部からドアをひっかく音が始まった。
ドアの外では、おびただしい数のネズミがドアに歯を立てている。
「まさか、ただのネズミにこれほど苦戦するとはね。」
「ただのネズミじゃないさ、ネズミはこれほど統率のとれた行動はしない。」
その道の専門家である公彦が言う。
今回の敵はネズミであった。襲撃されるはずの横島を抱え美智恵と公彦は逃走している。
単体の魔物と異なり、人数に乏しい美智恵達には最もやりずらい敵といえた。
打つ手無しの状況と判断し、美智恵は横島を抱きかかえる。
「・・・・・・撤退よ、悔しいけど多勢に無勢ね。」
美智恵は黒い文珠に念を込める。以前、小学校時代の横島を助けたときに手に入れたものだった。
「あぶない!」
文珠が発動しようとした瞬間、公彦は美智恵を突き飛ばした。
天井の排気口を食い破り、多数のネズミが今まで美智恵がいた場所に降り注ぐ。
美智恵と公彦の間にネズミの川が出来た。手にある文珠は雷のエネルギーを出し始めている。
公彦との合流は不可能と判断した美智恵は、公彦に最後の文珠を投げた。
文珠には「防」の文字が浮かんでいる。
「必ず助けに来ます。だからあきらめないで。」
閃光が美智恵を包むのと、ネズミが飛びかかるのはほぼ同時だった。
雷のエネルギーで数匹が黒こげになる。
一人残された公彦は、文珠による不可視の壁に守られていた。
「問題は、文珠の力がどれくらい続くかということか・・・・・・・」
徐々に範囲を狭めていく壁、意識を集中するため公彦は静かに目を閉じた。
現在
新都庁地下、普段は使われることのない一角に横島はいた。
「なんか懐かしいですね。あれから、そんなに経っていないのに。」
横島は、隣を歩いている美智恵に話しかける。
「そうね・・・・、尤も、私にとっては5年以上前なんだけど・・・・。」
美智恵は苦笑しながら、立ち並ぶ鳥居の下を歩く。
「で、誰なんです。会わせたい人って。」
「会えば分かる・・・・・と思うわ。」
美智恵は横島の質問にこう答えると、施設内の一室に横島を招き入れる。
室内には金属製のマスクを着けた公彦がいた。
「久しぶりだね横島君。」公彦は横島の方に歩いてくる。
「えーと、どちら様でしたっけ。」近づいてくる公彦に、訝しげな表情で横島が答えた。
「失礼。」公彦がマスクを外す。横島の頭に触手が一瞬だけ接続した。
「あ、あれ?」記憶のプロテクトが外され、横島は公彦を指さす。
「ブルーのおじさん。」横島は続いて美智恵を指さす。
「レッドのおば・・・・・」美智恵に睨みつけられる横島。
「おねーさん。一体どうして・・・・・・・。」
状況がよく分からず混乱している横島に、美智恵は説明を始める。
何故、過去に横島と出会っているのか。
そして、現在なにが起ころうとしているのか。
横島はただ黙って、美智恵の話を聞いていた。
「とてもすぐには、信じられそうにない話ですね。しかし、現実に俺は二人に助けられている。
でも、何で今まで黙っていたんです。」
美智恵の説明が終わってから、横島は口を開いた。
「敵は恐らく、時間移動能力者があなたを守っていることを知らない。お陰で過去2回の攻撃を
何とか退けることが出来ました。
敵が誰だか分からない以上、迂闊に情報を漏らすわけにはいかなかったの。
この話が出来るのも此処が完全な結界の中だから・・・・・・。」
美智恵の説明に、横島は反応する。
「2回?、小学校の時しか覚えてないんですが・・・・。」
「ずっと小さい時だから忘れてしまったのかもね。今回、事情を説明したのはそのことなの。
一週間後、小さい頃のあなたを連れて、私がこの時代に逃げ込んできます。
その時、一緒に過去へ行き敵を撃退してくれたのは・・・、横島君、あなただったの。
おねがい、過去のあなたを助けるためにも力を貸して。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
美智恵の依頼にとまどいを見せた横島であったが、すぐに落ち着きを取り戻す。
いま思えば、隠遁生活を終えた美智恵はどことなく不自然だった。
前以上に陽気に振る舞うことが多かったが、時折見せる暗い表情。
横島は美智恵の抱えている苦悩を少し理解できた気がした。
「それで、俺はどうすれば・・・・・・」
横島の協力を得られ、美智恵は安堵した表情を見せる。
「これからの一週間、出来るだけ文珠を用意しておいて下さい。ごめんなさいこれ以上は・・。」
横島は必要以上に情報を仕入れる危険性を理解し、それ以上の質問をしなかった。
「それと、これを・・・・・・」
美智恵は黄色いバンダナを横島に手渡す。
「精神波を遮断するバンダナよ、過去の公彦さんに未来の情報が漏れないように・・・・・」
「なるほど、でも何で黄色なんです。俺は赤の方が好きなんですが・・・・」
横島の疑問に、先ほどから黙っていた公彦が答える。すでにマスクは着け直していた。
「美智恵が赤、私が青、そう来れば次は黄色だろう。」
過去の反省から、特撮番組を調べた公彦のアイデアだったらしい。
「はあ、」横島は気のない返事をすると、急にあることに気づく。
「そう言えば、さっき僕と接触しましたね・・・・・。嫌ー、もうお婿に行けない。」
令子の父親に思っていることが筒抜けになるのは、なかなかに痛い体験だった。
大げさに頭を抱える横島の肩を、なぐさめるように公彦がたたく。
「心配ない、そもそも性衝動というのは・・・・・・・」
横島はこの後延々2時間以上、公彦から動物行動学の講義を聞く羽目になった。
198×年
廃ビルの一室
美智恵の撤退から数分が経っていた。
展開されている文珠の障壁も、今では範囲を半分ほどに縮めている。
周囲ではおびただしい数のネズミが齧歯類独特の歯をむき出しにしていた。
障壁が更に範囲を縮めた時、雷光と共に美智恵と横島が現れ周囲のネズミを黒こげにする。
横島は黄色いバンダナを巻いていた。
「待った?」
「今来たばかりさ。」
美智恵に抱えられながら公彦が答える。横島と美智恵は文珠の力で空中に浮かんでいた。
「ここでは不利、広い場所へ出ます。」
横島はそういうと、窓を破り外へと飛び出した。
「彼は、横島君かい?」
美智恵に抱えられながら、前を飛ぶ横島を公彦は見ていた。
「ええ、一か八かで未来に時間移動したの。そうしたら彼が待っていてくれて・・・・。」
美智恵自身、信じられないほどの展開だった。
子供の横島は、新都庁地下の結界内部に保護される手筈になっていた。
埠頭に移動した3人がコンテナの上に降り立つと、周囲はたちまちネズミに埋め尽くされる。
「これを使って下さい。」
横島はこう言って、文珠を5、6個美智恵に手渡す。
「しかし、すごい数ですね。でも大丈夫。」
横島はこう言うと、文珠をネズミの一角に投げつける。
すさまじい爆発が起こり包囲網に穴があく、日曜日で人気がないとはいえ無茶な攻撃だった。
「火力は充分です。」こう言って、横島はネズミの群に飛び込んでいった。
「鎧」、「剣」、「防」、RPGのラスボス戦のように次々に文珠による強化を行っていく。
横島にまとわりつくネズミの歯は、ダメージを与えることが出来なかった。
剣の一振りで100匹近いネズミが吹き飛ぶ。
「あのやり方では勝てない・・・・。」横島の戦いぶりを見ていた公彦が呟いた。
「一人で待っている間に、あいつらの心を読んだ。群を操っているリーダーを倒さない限り、
何度でも群を立て直し襲いかかってくる。リーダーを倒さなくてはダメだ・・・・・・」
「でも、どうやって・・・・、」大勢のネズミからリーダーを見つけだすのは至難の技だった。
公彦は考えていた作戦を美智恵に耳打ちする。
「さすがは動物学者ね、でもネズミの天敵ってホントにそれ?」
美智恵がこう言ったとき、埠頭中のネズミが横島に襲いかかり、あっという間に覆い尽くす。
公彦のいったとおり、このまま消耗戦を続けるのはうまいやり方ではなかった。
「今だ!」美智恵は「幻」と気を込めた文珠を横島の方へ投げつける。
文珠から巨大な白イタチの幻が浮かび上がり、ネズミ達を恐慌状態に陥れた。
DNAレベルで刷り込まれている根元的な恐怖が、リーダーの呪縛を切り離す。
バラバラに逃げだそうとするネズミに、統率された行動は見られなかった。
「キー」
大きな鳴き声にネズミ達の行動が止まる。少し離れたコンテナの上に、リーダーらしきネズミが
立っていた。そのネズミは、一際大きなシッポを立てるともう一度大きな声で鳴く。
徐々に統率を取り戻して行く群、しかし横島はその一瞬を見逃さなかった。
「縛」と気を込めた文珠をリーダーに投げつける。
「横島君、殺していけない。」
身動き出来ないリーダーにトドメを刺そうとしている横島に、公彦が声をかけた。
「これで大丈夫。」
公彦が精神の触手を離すと、リーダーネズミはよろよろと海の方へ移動していく。
それに引きずられるように、その他のネズミ達も全て海の中に消えていった。
レミング・ユーラシア北部に生息するネズミの習性を公彦は利用したのだった。
「今の精神感応で、少しだけど敵の姿が見えた。」
公彦は思考形態の異なるネズミから、僅かながら情報を手に入れていた。
今回美智恵が訪れた未来、それよりも数ヶ月先の世界に敵はいる。
「時」「間」「遡」「行」
その敵は同時に4個の文珠を使い刺客を送り込んでいた。
「時間移動が可能なほど文珠を使いこなす敵・・・・・・・。
(もしそれが本当なら私の知っている横島君じゃ勝てない。)」
美智恵は絶望的な気分で、横島を振り返る。
「今も2文字が最高です。それも簡単なものだけ・・・・。」
美智恵の言いたいことが分かったのか、横島は力無く言った。
文珠は複数同時に用いることにより飛躍的に力が増す。
今回横島が用いたのは、あくまでも一文字の連続だった。
美智恵は絶望的な気分だった。横島の成長を期待するには残された時間はあまりにも短い。
「(なんとかしなくては)」美智恵は焦りにも近い心境で空を見上げる。
やがて来る未来、敵は確かにそこにいた。
やがて来る未来
ベスパとドグラマグラは薄暗い倉庫の中にいた。
「お前達かい、アシュ様を復活させるなんてほざいているヤツは。」
ベスパは目の前の二人、Tとクラインを睨み付ける。
倉庫の周囲では、ベスパの眷属・妖蜂が包囲を完了していた。
「あんた達は、前の戦いでアシュ様の側近だった。なのになぜ、協力してくれないんだ。」
クラインは必死に、ベスパを説得しようとしている。
「お前達は、アシュ様の本心を知らないんだ・・・・・。」
ベスパはこう呟くと、妖蜂を倉庫内に呼び寄せた。
「これ以上、下らないことが出来ないように始末させてもらうよ。」
ベスパの指示で、妖蜂が一斉に二人に襲いかかる。
「交渉の余地はないようだが。」
Tはクラインを冷ややかに見つめた。
二人はあっという間に、妖蜂に埋め尽くされた。
「でかい口を叩いた割に、あっけなかったね。」
ベスパが倉庫から立ち去ろうとしたとき、倉庫内の温度が急激に上がった。
「しまった。」ベスパは慌てて振り返る。攻撃に向かわせた妖蜂は全て死に絶えていた。
結界で身を守りつつ、妖蜂の弱点・高温を可能にしたのが、Tの手に持った珠であることを
ベスパは瞬時に見抜く。
「貴様何者だ。」ベスパはTに肉弾戦を仕掛けた。
文珠を使う暇を与えないこと、それこそが文珠使いに有効な攻撃方法だった。
「面白い、俺好みの展開だ。」Tはこう言うとベスパの攻撃を軽く受け流す。
「アシュタロスの本心とやらを聞かせて貰うぞ。」
Tは向かってくるベスパの蹴りをかわし、鳩尾に一撃を加えた。
苦痛に体を折り曲げるベスパの喉元に、Tの手刀が向けられる。
手刀から出ている高出力の霊波が黒い光を放っていた。
「勝負あったな・・・・、アシュタロスは何故負けた。」
Tの質問に、ベスパは目に涙をうかべる。
「アシュ様は負けたんじゃない。アシュ様は・・・・死を望んでいたんだ。」
「馬鹿な・・・・・・・・」
仮面の下で、Tは少なからず動揺していた。手刀を戻しベスパから離れる。
「・・・・・姉の分まで生きろ。」Tはこう言うと倉庫の外に向かっていく。
「何故、姉さんのことを・・・、それに文珠、お前は一体。」
後に残されたベスパの声だけが、空しく倉庫に響いていた。
倉庫の外では、男達にドグラマグラが捕まっていた。
「お前には、後ほど役立って貰う。」
Tはこう言うと、男の一人が差し出した文珠を手にする。
「記」「録」先ほどネズミに飲み込ませた文珠を、Tは男達に回収させていたのだった。
文珠を握りしめると、十数年の時を経てネズミが見た光景が映し出される。
「あの男が自分を守っているだと。時間移動・・・・俺が出来ない芸当をどうしてあいつが。
文珠に頼った戦いばかりする未熟者のくせに・・・・・・・。
アシュタロスのことといい、どうもこの世界は気にいらん。」
Tはドグラを持ち上げると、クラインの方へ歩き出す。
「クライン、例の物を。作戦を変更する。」
「羽化したばかりです。もう少し時間をおかないと・・・・・。」
クラインの反対を無視し、Tは虫かごからクワガタのようなものを取り出す。
ドクラはそれを見て愕然とした。
「逆天号MKーII・・・・、成長の遅さから実戦配備されなかった兵鬼が何故今頃。」
「お前にはナビをやってもらう。嫌とは言わさん。
攻撃目標は一番近い地脈の合流地点・・・・・妙神山。」
ドグラにこう言うと、Tはクワガタを空中に放り投げる。
それは見る間に巨大な戦艦に姿を変えた。